「裁判所の日」の行事会場で、主役である大法院長が大統領に随行するのを見た人は「司法の首は行政の首の『(将棋の駒の)歩』のようだ」と言った。そこで大統領が「ろうそくデモ精神」に言及すると、大法院長は「検察の捜査に積極的に協力する」と言った。その後、裁判所は積弊(前政権による弊害)清算の「政治の場」になった。今の裁判所に関する事態は、裁判所行政処(司法事務機関)判事に対する一部の違和感や反感が表出されているものだという。未確認の「裁判取引」を根拠に裁判官弾劾を要求し、「世論に応えていない」とうんぬんするのは、決して法的な手続き・行動とは見なせない。敵に暴力を振るっているのと同じだ。裁判所内ですら荒々しくて政治的かつ暴力的な行動が横行するなら、一般社会でもっとひどい事態が起こるのも時間の問題だろう。しかも、これに加えて「裁判取引」といううわさまで火だねとして投げ込まれた。裁判所は今後、大法院長火炎瓶襲撃事件よりもひどく暴力的な事態に陥る恐れもある。
今、検察は前政権の人物たちを文字通り「打ちのめ」している。標的捜査・別件捜査は当たり前、家宅捜索は日常茶飯事になった。誰かをターゲットに捜査して、ダメだったら別件で捕まえ、またダメだったらまた別件で捕まえようとする。暴力以上でも以下でもない。今回の裁判所の事態は、人事の不満が爆発しそうになったら、検察は警察に捜査権を奪われないように、大統領が負担を感じるほど忠誠を尽くせということだ。検察の捜査が法執行以外の意図で行われている間、実の法執行はきちんと行われずにいる。検察総長が民労総の違法デモ参加者たちを取り締まらずに、彼らを避けて裏口から出たのは、検察が今、何をしているのかを端的に示している。