「第九」のシーズンですな。今年もコンサートで聴くつもりないけど。
『薄暮』繋がりでベートーヴェンを研究して、更に解ることが増えた。

しかしフィナーレの冒頭、いつどの演奏で聴いても、残念な気持ちになる。
とんでもないカオスとカタストロフィを表現しようとしているのだろうが、オーケストレーションがどうしてこうなった?というくらい貧相で、ただ間違えただけにしか聞こえない。
酷いものだ。ここだけは原典では無理で、フルトヴェングラーのような旧世紀的増補改訂をしなければ、聴いてられない。

あと、歌詞。
「すべての人々は兄弟となる!」と、聞こえはいいが、なんか世界中で同じことを言うようになったオタクを見てると、この言葉も虚しく響く。
「仲間になれないなら立ち去れ!」とか、まるで今の排他的なオタク村じゃん、と。
こういうのって、一歩間違えればある種全体主義的な匂いを感じてしまう。


『薄暮』で重要な位置を占める「弦楽四重奏曲第14番」だが、実はこの「第九」の後に書かれている。
所謂「後期四重奏曲」は、非常に晦渋で難解だと言われているが、聴けば聴くほど、やはりこっちの方が良く書けてるなぁ、と感じる。

てな話をK野君にしたら、
「オケはプレイヤーも指揮者もあれこれうるさいんで、自由に書けないんですよ。四重奏の方が楽なんです」
なるほど。


「第九」にもめんどくさい大人の事情があったのかなぁ?
なんて思い始めると悲しくなるだけなので、とりあえずは朝比奈御大の新盤を待とう。