2-2 大尉のくせに生意気だ
ピアソン大尉のシミュレーションが終了すると同時に、管制室で観戦していた王立海軍の高級将校たちが目配せをしたり、頷きながら論評を開始した。彼らの軍服には、いずれも錨の形の黄金の襟章が輝いており、ピアソン大尉と所属を同じくする艦隊勤務所属であることがうかがえた。
「ニーズヘッグめ。あの状況でなぜ逃げだした」
頬に傷のある勅任艦長が侮蔑的な表情を隠そうともせず冷ややかな口調で決めつけた。
「条件は互角だ。相手からはピアソンの損傷程度は分からない」と、髭を蓄えた勅任艦長が反論した。
「互いに苦しいならなおさら攻めるべきだ」頬傷の勅任艦長。
「ピアソンに先に復旧されて撃たれたら、ニーズヘッグは粉微塵だ。逃げる判断は間違っていない。少なくとも海賊船としてはな」
「若い大尉をへこませてやるつもりだったんだがなあ」
言いながら、佐官の一人がオペレーターに告げた。
「ニーズヘッグに繋げ」
回線が繋がると、彼らの前に囚人服を着たひげ面の男の映像が現れた。
「くそっ、負けちまった」呻いている囚人服の男に、将官たちの中央にいた初老のハモンド提督が話しかけた。
「いや、ジャック船長。よくやった」
王立海軍のハモンド提督が、囚人である海賊船の船長を褒め称えている。
「君と乗組員たちには、一人当たり、二百回分の酒か甘味の配給券をやろう」
かつて辺境を恐怖に陥れた海賊ジャック船長は、ハモンド提督の気前の良さに仰天した。
「なんだって。いつもは勝っても三十回分なのに」
「それだけの価値はある」とハモンド提督が頷きながら言った。
「なにしろ、ジェームズ・アーサー・ピアソンを大破に追い込んだのだからな」
髭を蓄えた勅任艦長が意味ありげに、不機嫌そうにしている頬傷の勅任艦長を眺めて言った。
「士官学校でも教官たちを相手に引けを取らんかった男だ。卒業試験ではソームズと組んで教導部隊に土をつけている」
しばらく考えたジャック船長が取引を切り出した。
「……甘味はいらねえ。女房に会わせてくれよう」
老ハモンド提督が背後の将官や提督たちに振り向いて二言三言話してから向き直ってうなずいた。
「よかろう。ただし、周囲360度を見張らせてもらう」
「それでいい。結構だ」
王立海軍のハモンド提督に対して、約束を守れよ、などと念を押す必要はなかった。
ハモンド提督に対して誠意を疑うような言動をとっては、今回の約束は守られても次回以降、ジャック船長や彼の部下には二度と試験官のような役割は回ってこず、従って無期刑の間、廃棄コロニーか過酷な流刑地で千年を無為に過ごすことになるからだ。そうしてジャック船長の映像は消えた。
幾人かの高級将校は熱心に戦闘ログを見直して、ピアソン大尉とジャック船長が互いに取った戦術を読み解いていた。
「あの若造のおかげで8000£損をすることになりそうだ」
参謀の一人がぼやいた。
「従兄との約束で、負けたほうが銀の一角獣での支払いをもつんでな。ガードナーは、マネラ島のラムを取り寄せるに違いない」
ミンター参謀は少佐で、ガードナーは大佐であるが、二人の親しい間柄はよく知られていた為、上官にサーをつけない無礼も周囲のやや冷ややかな視線だけで見逃された。
「しかし、中々の読みではある。若い頃のウルフを思い出すよ」
やはり佐官の一人。件のガードナー大佐がいささか素っ気なく呟いた。淡々とした口調ながらも此れは彼にとって最大の賛辞だった。
幾人かは、名人のチェスの棋譜を見ているような気持ちで戦闘ログに見入っていた。
「しかし、ジャックもしぶとい。ここの思い切りが尋常ではないな」
頬傷のある艦長が指摘した。
映像の中、二隻の宇宙艦艇は独楽鼠のように目まぐるしく動き回り、慣性制御や重力帆を駆使して、主砲を備えた正面に相手を捕らえようと有利な場所を奪い合っている。
思考力と閃きに優れるピアソンがフェイントやブラフの大方を見切って、徐々に有利な軌道を占めるものの海賊船を仕留めきれない。逆に危うい場面も多々あった。
画面の中でピアソンの雷撃艇が斜め後ろからから接近し、直撃を受けたニーズヘッグが後部砲塔との連絡が遮断される。
しかし、ジャックは慌てずに2秒後に30%正面シールドを増強。真っ向からの撃ち合いで凌いでいた。
ピアソンの艦艇の動きが鈍っているのを見抜いたか。ジャックは逆に自分の艦全体の運営能力をほぼ完ぺきに把握し続けていた。
「経験のなせる業だな」とガードナー大佐が言った。
「ピアソンは逆に敵の思考や動きは大まか読み切っていたが甘いところがある。
それもジャックと比べればだが、教科書に乗せたいくらいだな」
「【ノマド】ソームズを副長にしたピアソンが負けるとは」
「いや、引き分け判定だろう」
口々に意見を述べる僚友たちを傍らに、ハモンド提督は窓際になってシミュレーター座席から此方を見上げている当のピアソン大尉へと視線を下した。
「ふむ、卵の殻を尻につけた青二才が一人前に睨んできおる」
「相当に事務仕事が不満だったらしいな」隣で提督の一人がそう言って笑い声を立ててた。
「で、紳士諸君。結論は決まったかな」
ハモンド提督の投げかけた声に、提督や将官といった立派なお歴々の面々が、渋い表情で口ごもった。
慎重に互いの表情を観察してから、高級将校の一人がため息を漏らして口火を切った。
「……論外だ。ピアソン大尉は彼の家系の正統な血統の最後の一人だぞ」
続いて、ほかの将校たちも意見を述べ始めるがおおよそが最初の意見に賛成していた。
「彼が戦死しても、伯爵が大尉の新しい叔父を作る見込みはおおよそ薄いね」
「ピアソン提督は海軍一筋だ。結婚したのも奇跡だぞ」
誰もアルゴン伯爵家の断絶に対して責任を取りたくないのか。
今度の論争で重ねられる言葉には伺うような慎重さがあり、いささか深刻な響きも込められていた。
「何とかいう遠縁の叔父がいたではないか?」
首を傾げながら迂闊な大佐が口を滑らせたが、すぐさま否定的な返答がなされた。
「賭博で借金を作り、勘当されてるな」
「今はどこの星にいるやら」
「放蕩児が次期アルゴン伯爵となるのはぞっとせんな。宮廷参事官か、或いは貴族院議員になって馬鹿な真似をされても困る」
「アルゴン伯爵の領地は、要衝だ。借金のかたに外国人の金貸しなどに売却しかねない」
たかが大尉一人のために海軍本部の立派な経歴を持つ男たちが頭を悩ませるのは、はたから見れば滑稽だったかも知れないが、彼らにとっては笑い事ではなかった。
アルゴン伯爵家は、ここ数世紀の間、或いは宇宙戦闘で、或いは地上戦で、或いは諜報戦で、或いは外交で、国家のために多くの犠牲を払い、その血族の多くが命を落としてきた為に先細って、今やその最後の御曹司と祖父である当主本人を除いたら、出自も怪しげな遠い親戚しか残っていないのだ。
まとめ役であるハモンド提督が咳払いをすると、閲覧ルームに静寂が広がった。
ピアソン大尉の辺境行きに反対している人間は多いのだが、ピアソン一族は執念深さで有名だったし、 誰も将来の貴族院議長。あるいは将来の宮廷参事官の首に鈴をつける役目をやりたがらなかった。
ハモンド提督としては、自分をこんな苦境に追い込んだピアソン大尉を呪う気持ちでいっぱいだった。
大尉はたかが一介の海尉艦長に過ぎないが、彼が将来、海軍本部に委員として席を置くことはほぼ確実で、例えば第一海軍卿などになって提督の上に立つことさえ、ないとは言い切れなかった。
また、彼が亡き父や一族がそうしてきたように、当然の責務を遂行するのを誰が一体、どんな理屈で妨げられるというのか。
己に匹敵する肩書を持つ男たちから視線が注目したのを感じ取ったハモンド提督は、どうやら自分が責任を取るしかなさそうだと、口元を歪めてからオペレーターに尋ねた。
「第7辺境管区の艦艇保全率は?」
「5年あたり98.7%です、マイロード」オペレーターの一人が素早くこたえる。
一般的な辺境防衛任務の赴任期間は、4年から8年とされていた。
「かなり高いな。1000隻のうち13隻が失われている」
それまで後方で黙っていた眼帯の佐官の呟きに、一番年嵩だろう白髪の提督が肩をすくめた。
「だが、シミュレーション結果を見ただろう。【ノマド】ソームズが操艦するピアソンを撃沈できる上手など、王立海軍でも幾人もおらんだろうな」
愉快そうに笑う白髭の老提督にがっしりした若い佐官が異を唱えた。
「所詮は、模擬戦に過ぎません。私怨に聞こえようと模擬戦は模擬戦です」
彼は士官学校時代のピアソン大尉に3対1で負け越していたが、頑丈そうな顎からうなりような声を出していた。
「それよりも、雷撃艇よりもっといい船は与えられなかったのかね?」
「王立海軍に艦艇を遊ばせておく余裕はありません」
と、そこでハモンド提督が頷きながら、渋々とだが結論を口にした。
「やむを得ないな。本人たっての強い希望だ。それに腕利きの艦長でもある。正直、遊ばせておくのは惜しい」
提督や将官たちがうなずいた。ハモンド提督が責任を取る以上、(提督本人は役目を押し付けられたと筋違いにも思っているかもしれないが!)国家にとって最善の判断をくだすのが彼らの役目である。
「決まりだ。ピアソン艦長には、第七辺境管区へと赴いてもらおう」
シミュレーター室では、ピアソン大尉もまた戦闘ログの解析を行っていた。おおよそは敵の動きを読んでいたが、艦艇の反応が鈍く間に合わない場面が目立った。乗員の練度を上げるのが、当面の課題だろう。
「ダメージコントロール効率が前回より7.3%上がりました」
ソームズ中尉がピアソン大尉に報告した。
ピアソン大尉の要求する水準からすれば、まだまだ遠く及ばなかったが、それでもとりあえずは最低限、艦を動かすだけの能力は整いつつあるように思えた。
とはいえ、乗員たちには担当する部署で最小限の覚えるべきことを覚えさせただけなので、一人死傷するだけでも、余裕も代替もなくなり、露骨に艦艇の戦力は低下してしまう。
これから先は、戦闘効率の上昇は緩やかになるが、その後は戦闘効率の低下を緩やかにするための訓練も必要となる。まだまだ課題は大きかった。
マクラウド中尉とミュラ少尉は、空中に投影された顔の映像だけであった。部下たちの間を廻って、下士官たちを労いつつ、連絡事項や改善点などを話し合っている。
「徐々に良くなってきています。現在の人員では限界がありますが、とりあえずは形になったかと」
マクラウド中尉が働きの優れた水兵の名をいくつか上げつつ、報告してきた。
確かに3週間の訓練にしては上出来だろう。
王立海軍の軍艦乗組員としては必要最低限のことを教え込んだだけで、まだまだ覚えるべきことが山ほどあるが。
手堅く報告をまとめて報告してきた副艦長に対して、やや難しい表情を見せながらピアソン大尉はうなずいた。
「訓練を終了する。ソームズ君。全員に解散を命じたまえ」そう告げてから、ピアソン大尉は考え込んで言葉を足した。
「明後日の23:00には輸送船団に乗り込むことになる。明日一日は、水兵たちを休ませておくのだ。君たちも休みたまえ。細かいことは報告する必要はない」ソームズ中尉が敬礼し、続いて画面の中で二人の士官も敬礼した。
ピアソン大尉は艦艇を模した巨大シミュレーターからしっかりした足取りで立ち去ると、軍港内に与えられた自室へとたどり着いた。恭しく迎え出た従卒のマッカンドリュースがロビンソンズのオレンジジュースドリンクを差し出す。
一杯だけ飲んでから、寝室へと辿りついたピアソン大尉は、誰も見ていないのを確認すると、椅子に寄り掛かって疲れた瞼を揉んだ。それから制服も脱がずにベッドへと倒れこんだ。ここ3週間ほどやるべきことが山済みで殆んど寝ていなかったのだ。
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