2-1 辺境宇宙の恐怖
航路警備の任に当たる哨戒艇においては、戦闘艦艇同士の一騎打ちという状況は、しばしば起こりうる事態であった。
ログレスの勢力圏は銀河系の数億の恒星系にあまねく広がっており、影響力を及ぼす航路は広大無辺であったから、例え4000万隻のフリゲートとそれに倍するスループやコルベット、戦闘艇などでも、到底カバーしきれるものでもなかった。
海賊船や私掠船、密輸業者との飽くなき追いかけっこが航路警備艦隊の主たる任務であったが、襲撃者たちは一か所の拠点や縄張りにとどまることなく、星系から星系へ転々として、貨物船や貿易船などに襲い掛かっては、素早く逃げ去る為にその神出鬼没ぶりには王立海軍も手を焼いていた。
航路利用に決められた料金を払わない程度の、さほど悪質ではない密輸業者は別としても、海賊船や私掠船は大抵、強力に武装した高速船を運用していることが多い。
宇宙航路を往来する商船や輸送船は、ほぼ確実にイオン・キャノンや電磁投射砲などで武装しているから、少なくともそれを制圧して無力化、できれば圧倒できるだけの戦闘力が海賊船や私掠船に求められる第一の条件で、次にはまず間違いなく駆けつけてくる王立海軍や地元政府の警備艦艇から逃げ切れるだけの足の速さも求められていた。
その為、敵勢力の領域にて単艦で活動することを求められる私掠船は、その大半が列強のいずれかの軍から払い下げられた雷撃艇やコルベットといった高速艇を。まれに大型スループや時にはフリゲートすらを運用していた。これらの船は比較的に安価で、かつ少人数で運用可能であり、にも拘らず武装商船や輸送船団の護衛戦力などを単独で撃破できるほどに強力であったからだ。
それに対して、辺境や未踏領域で活動することの多い海賊は、頑丈で長期戦に耐えうる軍用輸送艦や戦闘揚陸艦などを運用していることが多かった。これらの宇宙艦艇は、正規品でも50億£から100億£程度と安価で、惑星を襲撃するのに地上戦力を乗せることも可能であったし、また数を揃えることによって、商船団を逃がさないように包囲したり、性能的には優れているものの単独や少数で行動していることの多い正規軍の宇宙艦艇に対しても五分以上の勝ち目を見込めたからだ。
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廊下で毛布に包まって仮眠を取っていたエドは、戦闘開始を告げてけたたましく鳴り響くサイレンに穏やかな眠りを破られた。
CIC(戦闘指揮所)では、乗組員たちの体調をモニターしている。総員が目を覚ましたことを確認したのだろう。サイレンが徐々に小さく鳴っていく。
「よく眠れたかい?坊や」
エドを上から覗き込んできたのは、褐色の肌をした大柄な赤毛の女だった。
縞々のシャツを着た彼女は、いかにも熟練水兵らしく後ろ髪を下のほうで一つにまとめている。
「ううむ、あんまり」
言いながらも寝覚めはすっきりしていた。腰に付けた水筒からお茶を一口飲むと、口元を拭う。
「CICより通達。状況確認。標的までおよそ300万キロ。互いに重力力場を投射し、速度は急速に低下中。これより砲雷撃戦を開始する」男の声で告げられた。
天地左右。廊下の四方に埋め込まれた光源が穏やかな白の照明から、青味掛かった弱照明に切り替わった。
エドは間近にあるコンピューターへと取りついた。
女性も隣のよく分からない計器をじっと見ている。
しばらくは静寂が続いた。時折、重たい音ともに廊下が揺れている。
「うお、やられてる?」
エドのビビった声に隣の女水兵がくぐもった小さな笑い声を漏らした。
「互いに重力力場を投射して、重力帆やらを無効化しつつ、遠距離で撃ち合ってるだけさ。
安心しな。小型艦同士でこの距離だと互いのイオンキャノンやら電磁投射砲やらは、防御力場を厚くしたり、機動することで殆ど無効化できる」
「つまり?」
「決着つけるには、大昔のSF映画みたいにシールド破ける身近な距離で殴り合うしかないってこと」
言ってから女水兵はにやりと笑った。
「近接戦だね。あと30分で真正面からの殴り合いだよ」
「うぉぉ、死にたくねえ」エドはうめいた。
「ならさっさと働きな」
女水兵が今度は真剣な顔になってつぶやいた。
「一人の働きでは滅多に左右されないけど、乗員の動きで勝敗は案外ひっくり返るもんだよ」
徐々に揺れが激しくなる。エドは生唾を飲み込んだ。
エドたちの周囲に防護シールドと慣性中和力場が張り巡らされる。
廊下には、蜘蛛の巣のようなネット。もっとも吹き飛ばされる人間をどれほど保護してくれるかは分からない。宇宙服を着こんで、ほとんど服のようにしか感じないそれと、つけているのかも分からないヘルメット。周囲はほぼ真空になっている筈だ。
鼻が痒い。掻こうとしてエドは鼻に指が触れたと感じて疑問を感じる。
「俺はメットをつけているはずじゃないのか?」
「つけてるよ。メットが掻いて指に感触を伝えてくれてるんだ。髪の毛だって掻きむしれるし、汗も吹けるし、鼻も穿れる。そのほうが戦闘効率がいいんだよ」
「ふうん」不気味だと思ったが、それきり黙り込んだ。
砲を撃て。砲を収納しろ。右舷第7シールド30%増強せよ。重力帆準備。スラスター噴射。慣性制御を行う。重力制御を行う。機動とGに備えよ。保護シールドに入れ。
矢継ぎ早に出される命令に艦内の状況と敵艦の画像がグラフィックに表示されていた。
エドの頭の中では、学んだ単語がグルグルと廻っていたが、繰り返された訓練にも拘らず、指示に反応できる気がしなかったし、機械の操作にも一向に慣れることがないような気がした。
食事の度に出されるおつむがよくなる薬とやらも、元の出来が出来では一向に効き目がないようにおもえた。もっとも副作用がないだけに効きが弱いのはよく知られていたし、そもそも本人が頑張らないと大して効果もない薬なのだ。
「左舷第3から第5シールドを40%で維持せよ。10秒後解除」
CICからの指示にエドの手は自然と反応した。シールドを増強して、一息漏らした。
「音声認識にしたほうがいいんじゃないかね」
「……長期戦での戦闘効率やら、指揮官一人の間違いやら。もう黙んな」
増強したシールドに光が当たって煌めいた。
「どうなって……」言いかけてエドは黙り込んだ。女水兵がうなずいた。
「いい腕をしているよ。うちの艦長は。敵の攻撃を八割がた読み切って防いでいる。滅多な相手には負けないだろうね」
「そっ、そうか」
ホッとしたように頷いてから、エドはコンソールの操作に戻ったが。
「ただ……敵のほうが上手かもしれない」
ヘルメットの無線も、女水兵の小声のつぶやきまでは拾い上げなかった。
レコーダーでは、10億キロ先に不審な艦艇を発見したのは丁度12時間前。
ピアソン大尉は、情報転送で停船命令を出したが逃げ出した。それ以来、追いかけっこして少しずつ距離を縮めつつあった。
敵艦との距離が詰まるまで仮眠をとっていたピアソン大尉は、3時間前からCICの艦長席で指揮を執っている。
手の内を探り、神経とシールドを削りあう為に、互いに効くはずもない長距離砲撃を撃ち合い、重力力場やら情報収集ドローンやらを互いの至近距離に転送、投射しあい、徐々に距離を詰めていく。
「この分なら長距離跳躍に適したジャンプポイントに不審艦艇が逃げ込む前に捕捉できます」
CICのオペレーター席兼操縦席からソームズ1等海尉が報告する。
人手が足りず、指揮所にはたった二人だけしかいなかった。
艦長であるピアソン大尉の目の前には、莫大な情報が表示されていたが、彼は情報の優先度を素早く判断し、思考反応コンソールで必要と思う情報だけを次々と閲覧しながら、何とか先手を取って相手の動きを封じようと足掻いていた。
攻撃は稀に当たっているが、互いにシールドを抜けずにいる。シールドエネルギーの損耗も殆んどない。被弾の表示が出るたびに、CICは幾度となく揺さぶられている。
「……また当てられたか」
ピアソン大尉も動きを読まれている。手強い相手だった。
CICのオペレーター席は、卵型の防護幕。外皮だけでも音速の破片くらいは軽く防いでくれる上、中には透明の液体ジェル膜が浸透し、かなりの衝撃やダメージを吸収してくれる。
そして人間そのものも頑丈で、損傷から救出する医学も高度だが、それでも死者が出るときは必ず出るのだ。
周囲の様子が映し出されており、此の場にはいないマクラウド2等海尉とミュラ3等海尉も、透明なイメージ画像で着席しているように見えていた。
「艦形および出力からして、当艦とほぼ同級のコルベットと推測。記録が出ました。
画像の分析により、海賊船ニーズヘッグと判明」
マクラウド2等海尉の報告にピアソン大尉の眉がしかめられた。
「聞いた名前だな」
CICからもたらされた放送に女水兵が口の中で罵り声を上げた。
「くそ、まじかよ」女水兵の声には、慄きが走っている。
「なんだ?不味いのか?」エドが不安そうに尋ねた。
「メルネバの悪夢じゃん……ああ、なんでもない」
「悪夢ってなんだよ!すっごい気になるんだが!」
「よし、坊や落ち着け。相手は凄腕だが、今のところ艦長が優勢だ」女水兵はうなずいた。
唇を噛んでいるエドの目の前で、女水兵が指を動かして敵艦の映像を呼び出した。
「さっきからいいのを何発か当ててるだろ。ほら」
画像では、海賊船のシールドが虹色に煌めいている。大きな負荷がかかっている証拠だ。
だが、エドの眼が意味ありげに動いて、もう一つのデーターに視線を向けた。
こちら側のエネルギー残量も急速に消耗していた。主動力の対消滅炉のみか、予備の核融合炉まで全力で稼働させても、生み出されるエネルギーよりも消耗のほうがずっと大きい。
交戦相手の海賊船は、もはや満身創痍だった。
「想定していたよりも、ダメージコントロールが早いな」とピアソン大尉が冷ややかに言った。
一方でピアソン大尉も幾度となく痛撃を受けていたが、しかし、彼は艦のダメージを受ける場所を共に卓越した先読みとソームズ中尉の操艦で、かろうじて修理しやすい場所に限定するのに成功していた。
冷酷なまでに人間を数字として割り切り、避けられない時は損傷の少なく済む場所。戦闘継続に影響の小さい、そして修繕しやすい場所に被弾を限定することで戦闘能力を維持し続ける。
大方の被弾個所は予想された場所に集中し、そしてマンパワーを浪費しつつ、艦艇の戦闘力を維持している。
それが本来のピアソン大尉の性質と合致するかは別として、どちらかが倒れるまでこの戦いは続けならなければならないのだ。
ピアソン大尉は固く強張った表情で、柔軟な対応と命令を維持し続けた。彼にしても難敵を相手に読みあうのは尋常ならざる苦しみであったに違いないが、未知の相手との神経を削りあう戦いは、そして、ついに最後の時が訪れようとしていた。
ピアソン大尉は、矢継ぎ早に部下に対してダメコンの為の指示を出しているが、危惧していた通りに命令に対する反応の劣化が激しい。新兵たちが集中力を切らしていた。
「まあ、想定はしていた。此の侭いけば8割がた勝てる」
3メートル後ろで冷ややかに告げるピアソン大尉の映像を目の前に見ながら、ソームズ中尉はうなずいた。
「大尉殿が負けるはずありません」
「シールド右舷30%10sec強化」ピアソン大尉が指示を告げた。
次いで画面の中の敵が砲塔を動かし、発砲した。
「……やべぇ」
左舷後部にいたエドがつぶやいた。
先刻からやや遅れがちになっている反対側のシールドが、間に合わないのではないか。
いやな予感を覚えていたエドの危惧通り、右舷のシールドが強化されずあっさりと敵弾に貫通された。
強烈な衝撃が左舷を襲った。エドが叫んだ。
CICでは、ピアソン大尉にコンピューターが被害状況を報告していた。
「右舷損傷。シールド24%低下。生存者なし。左舷まで被害が到達。7名死亡。死亡者、エド…」
「後にしろ」
吐き捨てたピアソン大尉が自ら操縦桿を握っていた。ソームズ中尉が補佐して各種のスラスターや慣性・重力制御を行っている。二人はほぼ以心伝心で、ピアソン大尉の特にいいたい事は命令するまでもなくソームズ中尉は行ったし、ソームズ中尉の報告したいことはわずかな単語だけでピアソン大尉も了解した。まるで腕が四本、感覚器と頭脳が常人の2倍もあるサイボーグ並みに戦闘状況にタフに反応し続けている。
宇宙艦艇でのドッグファイトは、気圏内航空戦闘機より遥かに複雑な機動を描いて行うことも可能だった。
互いに重力力場の投射能力は落ち、損傷したにも関わらず、敵も味方も加速能力を取り戻しつつあった。
中和しきれないGが体に掛かる。空気の中を落ちる花びらよりも複雑な軌道を描いたピアソン大尉は、ロールしながら、すれ違いざまに海賊船に主砲を叩き込んだ。
さらに右舷シールドを艦長の手動に切り替えると、損害にかまわずに180度ロールし、再び、主砲を叩き込もうとして
「正面シールド60%」つぶやいてから、予想通りに、相手の残存砲塔が此方に向いて滅茶苦茶に撃ち捲っているのに気づいて冷笑を浮かべた。
だが、シールドの反応がわずかに遅かった。力場が張られるよりも一瞬早く、強烈な振動がCICを襲った。
「正面に着弾!」ソームズ中尉が叫んだ。周囲の画面や空中の画像が殆んどブラックアウトした。
復仇する気配もない。
「ピアソン大尉は無傷です。ソームズ副艦長が負傷しました。
後部指揮所ミュラ3等海尉は軽傷です。マクラウド2等海尉は軽傷です」
コンピューターが淡々と報告し続ける。運が良かったのか。
CICまで直撃弾が届く時など大抵3割から酷い時には8割の死者が出ることもあるのに、誰も死んでいない。だが、その幸運も船までは救ってくれなかったようだ。
「主砲破損。せん……戦闘系……動力……修復……不可能」
コンピューターが音声を繰り返している。
「ただちに緊急脱出してください。ただちに緊急脱出してください」
サイレンが鳴り続け、煙が噴出しては消火されている中、ピアソン大尉は舌打ちした。
「無事かね。ソームズ君」と部下に視線を向ける。
「はい。艦長もご無事で何よりでした」ソームズ中尉が応答した。
「では、脱出したまえ」ピアソン大尉が命令した。
「うえぇ、吐きそう。保護球が一回転した」
「こちら後部CICです。ご無事で何より、皆さん。ただ、我々は、おそらくは海賊の捕虜ということになると思いますが」
ミュラ少尉とマクラウド中尉の画像も時折、ノイズ混じりに復帰する。
「マクラウド君。その前に残った通信回路で水兵たちに脱出を促したまえ。それと……」
ピアソン大尉が鋭いまなざしを細めて、部下に命じた。
「ミュラ君と生き残りを重力帆付きのヨットに移譲させろ。できる限りでいい」
ピアソン大尉が言った瞬間、CICがひときわ大きく揺れた。
まるで断末魔のような不気味な振動だった。
よろめいたピアソン大尉が舌打ちしてから、立ち上がる。
「ソームズ、カプセルを融合させろ。本艦の反物質炉を暴走させて敵艦に突っ込む。設定を手伝え。
連中が拿捕しようと近づいてくれば、目のもの見せてやれるだろう。シールド持ちの艦艇にどれほど効くかは不明だが」艦を失う代わりに道連れにしてやるつもりだった。
「わかりました。お供します」とソームズ中尉が言った。
「馬鹿者。死ぬつもりはない」不機嫌そうにピアソン大尉が言ったが、そこで偵察ドロイドを射出していたミュラ少尉が叫んだ。
「あ!敵艦離脱していきます」
一瞬の沈黙の後。
「なぜだ?」
不愉快そうにピアソン大尉が誰にともなく問いかけた。
「さあ?」とミュラ少尉。
「遠距離からとどめを刺すつもりか?」
暴走を設定しながら、疑問を口に出したピアソン大尉だったが、マクラウド中尉が報告する。
「敵、ワープアウトしました」
「助かったー!捕虜も戦死も避けられそう!」
叫んだミュラ少尉をソームズ中尉が凶悪な目つきで黙らせた。
「どのみちこの艦はお終いだがな。総員脱出。我々もボートに移譲する」
ピアソン大尉がそう言ったところで、CICの光源が薄い青から白へと切り替わり、不気味な振動が収まり、涼やかな女の声が告げた。
「訓練を終了します。判定・撃沈。主要士官・生存。人員損耗率67%。皆様、ご苦労様でした」
CICとほぼ同時に、左舷や右舷通路など他の部署でも照明が白へと戻った。
死人と頬にペイントされ、口の前に×印が浮かんだエドが、戦死判定以降の全く知ることができなかった戦況を気にしつつ、天井を見上げてため息を漏らした。
「ふいい、やっと喋れる。勝ったのかね。それとも……」
CICの屋根の映像がふっと消え失せ、ピアソン大尉やソームズ中尉の座席後方。高所のシミュレーター管制室から見学していた王立海軍の高級将校たちが重々しく頷きあい、何事かを囁きあっているのをピアソン大尉は鋭い視線で見上げていた。