知能が高い人のことを聞いて羨ましいと思ったことはありませんか?今回はそんな高知能の人の取扱説明書です。
・頭の良さとは何か?
「頭が良い」というフレーズは世間ではいろんな意味で使われますが、ここでいう「頭の良さ」とは「知能の高さ」のことです。すなわち「情報を処理する能力の高さ」ということです。学校の成績も知能と関係なくはありませんが、成績がいい人は知能が高いかというとそうとは限りません。学校の勉強というのは平均よりちょっと上くらいの知能でも、やることさえやっていれば良い成績を取れるものです。また、たくさんの知識をもっているからといって知能が高いとも限りません。それに知能が高いからといって勉強ができて何でも知っているとは限りません。その特定の事柄に興味がなければ学ぶ動機づけがないからです。
・IQについて
IQとは知能テストのスコアを基にした知能の指標の1つと考えて差し支えありません。知能テストといってもいろんなものがあり、成人ではWAISテストが広く使われています。現在の最新バージョンはWAIS-IVというものですが、2016年の日本ではなぜか型落ちモデルのWAIS-IIIがまだ使われています。動作性IQとか言語性IQとかいうのは根拠がなく、最新バージョンのIVではこの区分がなくなっています。IQは平均レベルの人が一番多く、平均から離れるにつれて数が少なくなります。従ってIQが高ければ高いほど、また低ければ低いほど人口が少ないです。
・高知能の人はどんな世界に住んでいるか?
普通の人よりもたくさんの情報や視点を識別し一度に処理しているため、より緻密で厳密な世界に住んでいて、それが普通の状態だと思っています。非常に論理的でかつ処理能力が高く、普通の人が踏んでいるような思考のプロセスを当然のように飛ばして結論に達します。また、高い識別能力ゆえに普通の人がしないレベルで物事を区別し、感情を交えず、誰がやっても答えが同じになる正確な方法で思考します。他には、高度な内容の物事や普通の人が興味をもたないような物事に興味をもちやすいです。また、普通の人同士ではよく意見の食い違いがありますが、高知能の人は厳密で客観的な思考をするため、高知能であればあるほど意見の不一致が少なくなります。興味のあることはすぐに習得します。また彼らが提示する「意見」は論理的演算により導き出された「計算結果」であり、普通の人の考える、いろいろな主観や感情の混ざり合った「意見」とは本質的に違います。
・高知能の人の悩み
知能の低い人が社会に適応するための枠組みはたくさんあっても、知能が高い人は何でもできて困っていないと思われがちで、彼らが社会に溶け込むための支援態勢はあまり整っていません。自分よりも知能の低い人が殆どのため、飛び抜けた知能の人は一般社会では生きにくいことが多いです。一般社会ではあまりにも張り合いがない上に、自分の考えを人から理解されにくく、また多くの人の考えることが浅はかで愚かに思えたりします。人付き合いが面倒でばかばかしく感じたり、小さい頃から孤独を味わったりしやすいです。自分の興味や趣味も普通の人からは理解も共感もされず、変わり者扱いされます。普通に一般社会で生活していると気の合う仲間や尊敬できる人が見つかりにくく、恋人や配偶者にも恵まれにくいです。
子供のときには学校で教わる内容が簡単すぎたり既に知っていたり興味がなかったりして拷問のような学校生活を送る人もいます。自分より知能の低い人たちが狭い視野で自分だけ有利に立とうとずる賢く立ち回るのを見て、浅知恵にまみれた汚い世の中に嫌気がさすこともあります。普通の人がまともな思考回路をもっていないのに賢ぶって見えます。また、普通の人たちが追いきれない量・スピードの思考をするため、正しいことを言っているのにでたらめで意味不明だと思われたり、持論を押し付けていると思われたりもします。そして飛ばした箇所を詳しく説明すると相手が飽きたり途中で「話が長い」と怒り始めたりします。感情や主観を切り離して思考するため、普通の人からは「冷酷な人」とか「不愉快な人」というネガティブな評価をされることがあります。
また周りは殆どが自分より知能が低い人なので、「なんでそんな当たり前のことが理解できないの?」「なんで理解できてないということすら理解できてないの?」「話が矛盾してるじゃないか!」「どうしてそういう飛躍した理解になるの?」「話がずれて関係ない話になってるじゃないか!」と苛立ったり、成り立たないコミュニケーションに疲れ果ててしまうこともあります。先生や上司・同僚がはっきり言って知恵遅れに見え、人間関係や効率の悪さが嫌になることもあります。
知能が高いというだけで普通の人からは相手を見下しているという被害妄想を抱かれたり、「頭がいいなら相手にサービスをして当然」というような態度を取られたりします。また、問題解決は朝飯前の反面、世間話のような沈黙しないためだけの情報価値の低い会話が苦手で困ることがあります。高知能と分かると職場や学校で、教師や同僚・上司の考える「高いパフォーマンス」を勝手に期待され、プレッシャーをかけられたりします。このように人や世の中のダメなところがたくさん目につかざるを得ず、生き辛い人が多いです。頭が良いのと悪いの、どちらが幸せでしょうか。
・高知能の人は成功し偉くなり役に立つべきか?
高知能の人で偉くなる人は意外と少ないです。まず高知能の人口自体が少ないですし、学校や一般社会という「普通レベルくらいまでの人」のために作られた枠組みの中に適応できず、社会的に成功するためのレールに乗れないことも多いです。大多数の人から理解・共感を得にくいことも足かせになっています。また、「高知能の人は社会的に成功してその能力を使ってみんなの役に立つべき」みたいなことを言う人もいますが、高知能の人にもその人なりの人生があり、みんなの便利屋さんになったり人の機嫌をとったりするために生まれてきたわけではありません。みんなに尽くすかどうかはその本人が決めることです。
・高知能の人は難しいことを分かりやすく説明できるか?
説明を受ける人の理解力が十分であればそれは正しいと言えます。しかしそうでない場合は分かりません。なぜなら言葉によるコミュニケーションは双方向のものだからです。「難しいこと」の難しさのレベルが説明を受ける側の理解力を超えている場合、「分かりやすく説明する」こと自体が不可能です。能力的に分かる見込みがないのに分かりやすいも何もないですよね?知能の差がある場合、高い方が低い方に合わせることも一定の範囲内ならできますが、差が大きくなるにつれてその負担も大きくなります。普通の人の中にはそのことが分かっていない人も多いので、相手が合わせてくれて当たり前と思っていると、相手にものすごい負担がかかってしまいます。
・どうすれば高知能の人とスムーズにコミュニケーションしやすいか?
普通の人は人の話を聞いているようで聞けていません。自分が喋るのもいいですが、相手に最後までしっかり耳を傾けるようにしましょう。また、自分よりも知能の高い人に何か指摘されたときは、相手の前提とする情報が不正確だったり不十分だったりしない限り、自分よりも相手の方が正しい可能性が高いです。なぜなら相手の方が情報を処理する能力が高いからです。このようなときは素直に指摘を受け入れましょう。それに、客観的により正しい考えとそうでない考えを比べた時、客観的に正しい方を受け入れた方が矛盾がなく便利なのは明らかです。
また、自分が勝手に思っていることと誰かの発言や書かれていることを区別しましょう。普通の人はよくこれらがごちゃ混ぜになっていてトラブルが起きています。さらに、「普通の人」であることにあぐらをかいて自らの言動を省みず改善しないでいるとトラブルも起きやすいです。普通の人と思考能力の高い人がいるとき、普通の人が思考能力を高めるべく訓練すれば全体のスペックが上がり良い結果が期待できますが、思考能力の高い人が普通の人に合わせるばかりでは良いことはありません。物事を深く正確に考える訓練をしましょう。