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東アジアに広がる「いまどきの『独立』」
2017/2/9(木) 14:59 配信
トランプ米大統領の登場で、荒れ気味になりそうな2017年の東アジア。香港、台湾、そして沖縄−−。いま、これらの地域で「独立」の新たな機運が芽吹きつつある。独自の歴史や個性を有した三つの地域で高まる「独立を求める感情」は、相互に絡み合いながら、中国や日本の「中央」を揺さぶる要因になるかもしれない。
(ジャーナリスト・野嶋剛/Yahoo!ニュース編集部)
物々しい警備
いきなり入り口で警官に呼び止められ、身元を問いただされた。
「日本の記者です」(私)
「日本人か? 危ないから早く中に入りなさい」(警官)
びっくりして、慌てて会場に飛び込んだ。
2017年1月8日の台湾・台北。香港と台湾の「独立派」の合同フォーラムが開かれた。入り口を30人ばかりの警官がふさぎ、厳しいチェック態勢が敷かれた。たかだかフォーラムに、この物々しさは似つかわしくない。
ピリピリ感が漂う理由は、「独立派」を嫌悪する台湾の「愛国」活動家たちが、2014年の香港・雨傘運動でヒーローになった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)さんがフォーラムに出席するため、7日未明に台湾の空港に到着した際、待ち伏せして暴力を振るおうとしたからだった。
この日も会場前に数十名の活動家が詰めかけた。彼らは普段、尖閣諸島問題や慰安婦問題などで日本を厳しく批判するグループでもあり、警官が日本人の私の安全を心配したのもそうした理由からだった。
「独立派」会合に抗議の人波
フォーラムに集まったのは「台湾は台湾」「香港は香港」という独自のアイデンティティを強調しながら、中国と距離を置こうとする若者たちだ。台湾と香港でいま新しい政治勢力として台頭する彼らのすべてが政治的な「独立」を主張しているわけではなく、「本土派」や「自決派」と呼ばれることもあるが、中国と一線を画すスタンスは共通している。
フォーラム開催前には、中国の共産党機関紙人民日報が「港独(香港独立)と台独(台湾独立)の合流に未来はない」と厳しく釘を刺していた。
東アジアでは、2014年の台湾・ひまわり運動と香港・雨傘運動、その翌年の日本・シールズ(SEALDs)の安保関連法案への反対運動という、若者を中心とした社会運動が盛り上がったが、結果はそれぞれ違った。台湾では、中国との拙速な経済一体化を進める政府の動きを止めさせた。民主的な選挙を求めた香港や、安保関連法案に反対した日本では、事態を打破できなかった。
その後、台湾と香港では、それぞれの運動に携わった若者を中心に新政党が誕生した。台湾では2016年1月の立法院選挙で新政党「時代力量(じだいりきりょう)」が5議席を取り、香港では同年9月の立法会選挙で複数の新政党が計6議席を獲得し、現実政治へ食い込むことに成功した。一方、日本のシールズは対照的に政治参加を志向せず、昨年、解散という道を選んでいる。
道が分かれた香港・台湾・日本の運動
台湾のひまわり運動と香港の雨傘運動は、まるで兄弟のように水面下でお互いの経験を共有し合っている。独立運動に関する理論構築では台湾は香港より長い経験がある。両地で使う中国語もともに中国大陸とは違う繁体字だ。台湾側の独立関係の書物を香港の若者は読み漁った。事態の深刻さは香港のほうが厳しく、台湾側に香港を支えたいという気持ちも強い。
香港政府の方針で、台湾の時代力量の議員は香港に入国できない。背後には中国本国の意図もあるのだろう。そのため、香港の選挙などが一段落したこの時期に香港側を台湾に招く形で初のフォーラムが開かれたのだった。
会議では、前出の黄之鋒さんが「香港と台湾の民主化運動の人間たちはともに中国からの圧迫を受けており、そうした体験を共有し、交流することには大きな意義がある」と語った。
また、時代力量側には「我々は台湾の独立を目指す政党と言われても異存はない」と述べる議員もいた。会場の外側では「港独、台独は出ていけ」と大音響のアジ演説が続いていたが、フォーラムのムードはきわめて和気藹々とし、「絆」の深さが伝わってくるものだった。
香港と台湾の連携が成っただけで、中国には大きな痛手である。なぜなら、現在の香港の「一国二制度」は本来、台湾を統一することを見越して制度設計されたものだからだ。香港はその実験地とも言える。ところが香港では、約束された民主選挙が一向に実現されないなど、「一国二制度」は空洞化しつつある。香港で機能しない制度を、台湾が受け入れるはずがない。台湾では「今日の香港、明日の台湾」という言葉が流行したぐらい、中国の台湾政策への不信感が香港情勢を理由に広がっている。
沖縄の独立シンポで「台湾独立批判」も
台北のフォーラムから遡ること1カ月ほど前の沖縄。
かつて米軍ヘリが墜落した宜野湾市の沖縄国際大学で、「琉球民族独立総合研究学会」(以下「琉球独立学会」)のシンポジウムが開かれた。
琉球独立学会は、2013年に発足し、沖縄出身者だけに会員資格を限定する組織だ。研究者が主体の組織ではあるが、その綱領には運動への参画も掲げている。現在数百人の会員がいるとみられ、年に数回、シンポやセミナーを開催するなど活発に活動している。
「沖縄独立」は県内では少数派だ。2015年の地元紙による世論調査では、将来の沖縄の方向性について「独立すべき」は8.4%。「日本の中の一県のままでいい」が過半数を占める。辺野古基地問題で沖縄と日本政府の対立は解けないままだが、いまのところ「独立」が現実味を帯びているわけではない。
それでもこの日、大学の大教室を使った会場は出席者でびっしりと埋まった。登壇する人も、学者のほかに、高江のヘリパッド建設反対の活動家など反基地色が強く、学術と運動の両方の性格を感じさせる。
「自主決定権の確立」「ヤマトの圧政をはね返そう」などの勇ましい言葉や独立後の経済的自立の可能性を探る真剣な議論が延々と続く。
目を引いたのは、今回のシンポで、琉球独立学会の共同代表である松島泰勝・龍谷大教授が、台湾独立運動批判を展開したことだ。そのセッションは「会員向けの内容です」との理由で私は会場の外に出されてしまったのだが、のちに出席者から確認した話では、松島氏はこんな主旨の主張を展開したという。
「日米との連携や中華からの離反を志向する台湾独立運動は、日本からの『脱植民地』や米軍基地の撤廃を求める琉球独立運動とは大変違う方向を目指している」
「仮想敵」の違い
本来、沖縄も台湾も香港も、小さな「地域」が「中央」に対して自己決定権の強化や自立を唱えるという同じ土俵に立っているはずだ。
また、台湾や香港の人々が独自のアイデンティティ意識を次第に強めているように、沖縄でも「沖縄らしさ」「琉球文化」の復活を求める声は次第に高まっている。共通点は決して少なくない。
しかし、沖縄で「独立」や日本政府批判を掲げる人々は、台湾や香港の問題について総じて関心をあまり持たない傾向がある。それは松島氏の言葉にもあるように「中国」や「米国」との距離感の違いが深いところで関係していると思える。
つまり、香港や台湾の独立派にとって「仮想敵」は中国だが、沖縄の独立派にとっては、米国や日本が「仮想敵」だからである。ここでの仮想敵とは、軍事的な意味ではなく、独立や自立をめぐって対抗する相手という意味だ。
いま世界では、トランプ・米大統領などに象徴されるように「強い政治権力」の存在感が強まっている。中国・習近平政権も今年秋の党大会で2期目に入るが、その権力集中は過去の毛沢東に比されるほど。日本の安倍政権も自民党総裁任期を延長して2021年まで長期政権を維持する可能性が出てきた。
各地で「独立」の芽が育っているのは、こうしたトレンドとも関係しているという見方もある。東アジアの独立運動を研究する林泉忠(リン・センチュウ)・台湾中央研究院副研究員は、東アジア地域とりわけ香港や台湾における近年のアイデンティティの高まりや独立志向の顕在化現象を中国の台頭に関連づけ、この現象を「中国台頭症候群」と名付けている。
「政権が大国意識を強めると、内政や外交の目標が『中央権力の強化』に集約され、自然と各周辺地域の事情に対する配慮が弱まって抑圧的に振る舞いがちで、地域の目からすれば『強権』に見えてしまう」(林泉忠氏)
地域が反発すれば、逆に中央が警戒する。日本の公安調査庁は、2017年1月に出した報告書で、中国の大学などとの交流を行う琉球独立学会を中国と結託する「反日団体」と危険視したとも読み取れる記述を載せ、沖縄メディアから強く批判を浴びた。
言論の自由があるはずの香港でも「港独」の禁語化を主張する親中国政府系のメディアが増え、独立勢力の根絶を求める中国の思惑がひしひしと感じられる。
逆に台湾では政権与党・民進党の掲げる路線と時代力量の主張が合致するところも多く、時代力量は与党の一角として政権運営に参画している。
それぞれ状況には違いがあっても、共通するのは、東アジアの各地域での「独立」が存在感を強めつつある、という点だ。
我々はこうした「独立」とどう向き合えばいいのだろうか。解答を見つけるのは容易ではないが、取材で感じたのは「独立」を訴える人々は、彼らなりに社会の未来を深く憂慮し、理想を渇望する人々の集まりであることだ。かつての学生運動のような暴力的なイデオロギー性は目立たない。
大きく変わる若者たちの運命
2016年春、香港の雨傘運動で政治に目覚めたという若い香港人女性に会った。彼女の名前は游蕙禎(ヤウ・ワイチン)といい、香港の政党「青年新政」の一員だった。
「香港の将来は自分たちが決める」「自分のことを中国人と思ったことはない」。そんなふうにインタビューで目を輝かせて語ったあと、香港のホンハム駅の前で街頭に立って懸命に投票を呼びかけていた。当時彼女は24歳。「日本のメディアに載るの?」と照れながら、あどけなさが残る彼女が表舞台に立つ日は早くても10年は先ではないかと、内心タカをくくっていた。
ところが、である。彼女は同年9月の立法会選挙に立候補し、激戦の中で最後の当選者としてギリギリで勝ち抜き、議員になった。だが初議会の宣誓式で「Hong Kong is not China」とアピールして香港中が大騒ぎに。香港基本法に反したとして裁判所に議員資格を取り消されたが、議員資格を取り戻すべく裁判で戦い続けている。この1年、香港政治で最も波瀾万丈の日々を送った人だろう。
香港には、彼女の行動の幼稚さを指摘する声もあるが、数年前までは政治とは縁遠い人生を歩もうとしていた若者の人生が、数年間でこれほど大きな変転を遂げるところに、この「独立」問題の切迫性を見る気がする。
それぞれの体制が「独立」を唱える動きを「異物」と見なせば見なすほど、游さんのような人々はますます団結し、理想の実現を思いこがれるだろう。「中央」が、「独立」の主張の根底にある問題提起や、自治や主体性を求める人々の感情を汲み取り、その動きを内部に取り込むことができるかどうか。それができなければ、各地の「独立」は今後も成長を続けるかもしれない。
野嶋剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。1992年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学の後、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月からフリーに。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に活発な執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾で翻訳出版されている。最新刊に『故宮物語』(勉誠出版、2016年5月)、『台湾とは何か』(ちくま新書、2016年5月)。
[写真]
撮影:大城弘明
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
トップ画像素材:ロイター/ZUMA Press/AP/アフロ
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