第1部
005
集落に着いたのも束の間。俺はまたも端の方にキャロを置き捨て、小さな湖で身体を洗った。
疲れが溜まった身体を揉み解し、ほんの少しの休憩の後、集落を出た。
その理由は当然、あのキャロという剣士と早く離れたかったからだ。
それなのに――――それなのに…………!
「ふふん! 助かったわ。まさかあの状態から生きて出てくるとは思わなかったの。でもまさかジョシュ―に行くとはね。丁度、ちょうど私もジョシュ―に行くから同行してあげる。改めて自己紹介しておくわね。私はキャロ。伝説の冒険者になる予定よ。あなたは?」
どうしたらこんなに矢継ぎ早に言葉が出て来るのだろう。嘘と共に。
キャロはそのままシントの町に帰ればいいだけなのだが、そもそもシントの町へ行く者がいなかった。街道を真っ直ぐという道案内も、この世間知らずで無謀なお嬢様には通じなかったのだろう。早々に集落を去ろうとする俺を見つけた時、キャロの目は輝き、俺の目はくすんだ。
「ねぇあなた、名前は?」
『名を答えたらこの小娘との縁が切れないような気がするのは我だけだろうか?』
『至って同感だ』。
くそ、こんな事なら水なんてあげなければよかった。黙って放置しておけばよかったんだ。
『我もあそこでディルアを止めていればと後悔している』
「ふーん、ディルアね」
「っ?」
『この小娘、読心術でも使うのか?』
「鞘に名前の刻印なんて洒落てるじゃない。まぁ私も同じだから気付いたんだけど」
…………そうだ、初めて剣を買った時、武器屋のオヤジが気を利かせて掘ってくれたんだった。
ぬぅ、嬉しい思い出だが消し去りたい事象だ。
「……お前なぁ、さっさとシントの町に報告に帰ればいいだろう? 何でジョシュ―に行くんだよ。この踏み均された街道を一本道だぞ……」
「ふん! ディルアも知らない事があるのね。報酬は一割だけ少なくなっちゃうけど、報告は別の冒険者ギルドでもいいのよ」
くそ、知ってたか。
「それに、私は『お前』じゃなくて
いや、キャロは憑き物だ。
『同感だ』
……仕方ない。腹括るか。
「ディルアだ」
「ふふ、ようやく名乗ったわね」
握手のために差し出された手を俺は少しだけ、ほんの少しだけ握った後、丘陵の先を指差した。
「とりあえずこの丘陵の頂上まで行く。そこで一旦休憩だ」
するとキャロはきょとんとして首を傾げた。
「ほえ? でもついさっき出発したばかりよ?」
意図が伝わらなかったか。俺は立ち止まり後ろを歩くキャロの足を止めた。
「ん」
止まった瞬間、止まらないキャロの膝の痙攣を指差す。
「ぁ……」
俺は集落に着いた時大分休めたが、キャロは気絶していた。それに、そもそもここまで遠出をするつもりもなかったのだ。遠出の覚悟がなければ、肉体はそれだけ行き先のわからない外出に悲鳴をあげる。
キャロとまともな言葉を交わしてしまった以上、これはもう仕方ないだろう。
俺の指摘に黙ってしまったキャロは、ほんのり顔を赤らめてから俯いてしまった。
…………少しは反省してくれたのだろうか。
『優しい事だな』
『うるせえ』
丘陵地帯の頂上に着き火を
呼吸こそ大人しいが、吐く息は深く重い。
それが寝息に変わるまで、そう時間はかからなかった。
『どう思う?』
サクセスの言葉が唐突だと思わなかったのは、俺も似たような事を考えていたからだろう。
『キャロの事か?』
『そうだ。あの若さで冒険者ともなればそれなりの
確かに。シントの町は、
完全に新人……か。剣士としての素質は高そうだけど、動きが綺麗過ぎる気がする。やはりどこかのお嬢様とか? ……いやいや、そんな事ある訳ないか。
『日が落ちてしまったな』
『あぁ、仕方ないから深夜出発しよう』
『ディルア、お主も少し休むといい。魔物が接近したら我が伝えよう』
『へぇ、優しいじゃないか?』
『貴重な手駒を減らしたくないだけだ』
俺の悪態に悪態で返したサクセス。しかし、せっかくの厚意だ。ありがたく受け取ろう。
自分でも驚く程すぐに寝てしまったが、日が昇る少し前にサクセスが俺を起こした。
『そろそろだろう?』
『あぁ、助かった』
『お主の成長も楽しみだ』
成長ねぇ。今でこそサクセスというマントのおかげでなんとかなっているけど、一歩間違えれば俺はこのキャロと同じような境遇だったかもしれない。早いところ強力な《スキル》や《魔法》を身に付けたいものだ。
「さて…………ほら、キャロ。出発するぞ」
「ぬ、ぬぅ……この際泥水でも仕方ないわ。私、飲む!」
どんな寝言だ。夢の中でまで水分が枯渇しているとは可哀想な少女だ。
揺すっても起きないので、口の端から零れる涎を避けるようにペシぺシとキャロの頬を叩く。
「おかわり!」
上等だ。
『馳走してやれ』
「ほら! 朝だ! ぞ! ふ! ほ! この!」
そのうちベシベシと響き始めたキャロの頬が真っ赤になる頃、幸せそうなキャロの薄目が顔を見せる。
「…………はっ! …………まだ夜か……ぐぅ」
「おいこら! もうすぐ朝になっちまうんだよ! なんとしても今夜中にジョシュ―に着きたいんだ! いいから……起きろぉおおおおおおおっ! くぅっ、あ、そうだ! こうして鼻と口を塞いでしまえば……!」
「………………っ、っっっっ! ――――っ! こはぁあああああああああっ?」
よし、起きた。
「はぁはぁはぁ…………今のは、一体――――」
きょろきょろと辺りを見渡すキャロをよそに、俺は荷物を持ち上げて出発をアピールした。
「な、なんだか顔がジンジンする……?」
「虫にでも刺されたんじゃないか?」
「そっか」
真っ赤な頬をさすり、何故納得出来たのかわからないが、キャロはすっと自分の状況に納得した。
『中々良い見世物だった。ディルア、拷問の才があるのではないか?』
『ないない』
しかしキャロのやつ、一回寝たら早々に起きないみたいだな。出来ればこいつとの縁はこれきりにしてもらいたいものなんだが、性格を考えるとこの先が怖いんだよなぁ。
準備に手間取るキャロを放置して歩き始めると、キャロはあたふたとして着崩された装備のまま歩き始めた。優しくしてやりたいところだが、これ以上遅れる訳にはいかない。
なんたってキャロに食料がある訳もなく、昨晩も自分の食料をキャロと半分に分けたからだ。
おのれ、とことん疫病神な気がするが、見殺しにも出来ない。ある意味これが精いっぱいの優しさなんだろう。
歩きながらぎこちなくも装備を調えたキャロ。
知ってはいた。知ってはいたのだが、やはりコイツは旅慣れていなかった。トイレ休憩をとるもそこではとらず、中途半端なタイミングでトイレ休憩を希望したり、毒のある植物に手を出そうとしたり、食べ物や水分の消費は乱雑。
最早サクセスは絶句していた――というより呆れて物も言えなかったというところだろう。
もしかしたらこいつは俺以上にハズレクジなのかもしれない。いや、俺とのこの道中で学んでいって欲しいものだが、果たしてそれは可能なのだろうか?
「ほ、ほっ、ほっ! ……おぉ! ディルア! あれがジョシューよねっ?」
「あぁ、ようやく見えたな」
夕日に照らされるキャロの満面の笑みに釣られたのか、俺の口元も自然に緩んでしまった。
「わぁ、綺麗な湖……! お水も美味しそうね!」
そりゃ泥水飲むよりはいいと思うぞ。
「よーし! それじゃあ残り後少し! 頑張りましょう!」
拳をジョシューに向けて意気込むキャロに引っ張られるように足を進める。すると俺は足に重みを感じた。やっぱり、俺だってまだ旅慣れている訳でもない。こういった遠出は確実に俺の経験になる。
俺がこれだけ疲れているんだ。キャロの疲労は計り知れないだろう。
ちょっとしたラストスパートだったが、慎重に足を進めたおかげで、怪我もなくジョシューに着く事が出来た。
素性の知れない少女キャロを率いてここまで来たはいいが、はてさて……キャロはこの後どうするのだろうか。