第1部
003
キャロは俺を吹き飛ばすと同時に、一緒に倒れ込んできた。
そりゃそうだ、ヘルバウンドの攻撃から自分の身も守らないといけないからな。
『ふふふふ、面白い娘だ。ここまでディルアを追って来たというのか』
まぁ、目当てはマントだと思うんだけどな。
『なるほど、我が身か。執着というより引くに引けなくなったという様子だ』
「グルルルルルル……」
「くっ!」
キャロはヘルバウンドの威嚇を聞き、即座に立ち上がって俺の前で剣を構えた。
「いい? ここは一時休戦よ。今から私があいつの注意を引きつけるから、後ろから攻撃して。いくわよ? 三、二、一、今っ!」
…………矢継ぎ早に言うだけ言って行っちゃったな。
『ふむ。過去、部下に後先考えぬ馬鹿がおったが、あれも似た類いのものか。人間も魔族も変わらぬのう。ディルア、望み通り後ろから攻撃してやれ』
言われなくてもそうするつもりだ。
『そっちではない。……こっちだ』
ヘルバウンドの背後に回ろうとしていた俺は、サクセスの声と共に、マントが引っ張る方向へ誘導された。
……え? だってこっちは、え? そういう事?
「わ、私は剣士キャロ! 闇より生まれし死の狼よ! 今こそこの場で我が剣の錆としよう! ……ま、まだか~? 早く後ろに~!」
何故自分がさっき斬り付けた俺に信用されると思ったのだろう。
「ガァアアアッ!」
「ひぃっ? ば、馬鹿! あっち行けあっち!」
しかし……むぅ、本当に大丈夫だろうか?
『問題ない。柄先で頭部より首だな。それ、ガツンといってやれ』
「私なんか食べても美味しくないわよ! ちょっと! まだな――」
「ほい、ガツン」
「ぶほっ?」
少女にあるまじき断末魔というかなんというか……いや、死んでないけどな。
『ふはははは、見事だディルアよ。さぁ、当初の予定通り、奴を血祭りにあげるぞ?』
「わかってるよ……おりゃ!」
むぅ、やっぱり避けられるか。
少し素早さに自信があるといっても、今の俺にヘルバウンドは厳しすぎる。
ここはやはりこのマントの恩恵に
「さぁ来やがれ!」
魔物相手に挑発が通じるとは思えないが……。
「ガルァッ!」
おぉ、通じるもんだな。
おし、来た来た。くっ……やっぱりちょっと怖いどころの問題じゃないな。
今、正にこいつに噛まれなければならないって考えると、恐怖以上に逃げ出したい気持ちで一杯になる。
『不可能を可能にしてこそ魔王。ディルアはただ我を信頼していればよいだけの事』
「どこの世界に魔王を信頼する冒険者がいるんだよ」
『ふっ、では世界で初めて信頼する者となれ』
まったく、困ったマントもいたもんだな。
「ガァアアアアッ!」
「くっ?」
俺はヘルバウンドへの恐怖から身を倒してしまった。
しかし、流石は野生。ヘルバウンドは俺の動きに合わせて飛び乗ってきた。
「がるるっ!」
激しく首を振り――ってあれ? こいつ、びくとも動かないぞ?
『子犬如きの筋力で、我が身を動かすなど出来るはずもあるまい』
こ、これが、この漆黒のマントの力……!
『ようやく我が身の真価に気付いたか』
「だ、だったら、何でこいつ俺の腕から口を離さないんだ?」
『我が魔力で捕らえているからだ。離したくても固定されて口が離せぬのだ』
確かに……。
『どれ、もう少し遊んでやろうか』
「ガァッ!」
「おわっと? 離れたぞっ? いや……離したのか」
『我が身の力は守りの力。ディルア、お主の攻撃がなければ子犬如きも倒せぬ。我が力は見せた。さぁディルア、今度はお主の力を、見せてみよ』
お、俺の力って言ったって、どうすりゃいいんだよ。
『相手は魔物といえども獣。瞬発力しか能がない下等な種族よ。ならば魔物の攻撃にこちらの攻撃を合わせれば良い。ここまで言えばディルア、残りはお主の動き次第で決まる』
そういう事か。
「カァアアアッ!」
『余程腹が空いているのだろうな。やはり獣という事か……』
「ガァアアアアアアッ!」
跳び上がるヘルバウンドの顎下を潜り、前方へ転がり込んだ俺は、進む身体を引き止める。
力一杯に踏ん張り、ヘルバウンドの背を追うように跳び上がった。
『そう、それでいい』
「ガァッ?」
着地間際のヘルバウンドの尾を両手で掴み、倒れる力を利用し、反転しながら宙へ
『……翼を持たぬ身体にあれ以上の動きは出来ぬ。
「わかってるよっ!」
刃こぼれした自分の剣を下から思い切り突き上げる。腕に強烈な負荷を感じた。しかしヘルバウンドが生きて大地を踏む事はなかった。
『……ふむ、初戦にしては上出来だろうな』
高みからかけられるような嫌な声を聞くと、俺は全身から力が抜ける感覚を味わい、ヘルバウンドの亡骸を剣と共に落とした。
事が終わったと実感したのか、自然と震える身体を抑えるように手で肘を抱えた。膝を落とし、恐怖とも安堵とも違う感覚に歯を食いしばる。
『それが達成感というやつだ』
答えではなかったが、サクセスが言った言葉はそれに一番近かった気がする。
…………こんな感覚、久しぶりだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヘルバウンドから剣を抜き、血を拭ってから鞘に納め終える頃にはもう日が傾いていた。
『さて、これからどうする? まだ我を売ろうなどという下賤な考えを抱いているのか?』
「下賤は余計だよ。確かに……この能力は俺も捨てがたいと思っていたところだ」
『それは殊勝な心掛けだ』
「だが、それには一つ確認したい事がある」
『ほぉ? 言ってみよ』
「全てを聞いたとは思ってないが、お前の意図を聞きたい。高慢で傲慢な性格のお前の事だ。俺みたいな弱い冒険者に纏われて、一体何をしたい?」
『……あながち馬鹿でもないようだな。その通り。我には目的がある』
自称魔王ともなると相当大層な目的でもあるのだろうか?
『だがそれにはディルア、お主の芯。根底にあるものを見極めねばならん』
「……今は内緒って事か」
『そういう事だ。しかし案ずるな。その時が来たら話す。それにそれまではお主に使われてやろうではないか』
「困ったマントだな」
『サクセスだ』
「その時が来たら、だ」
『ふっ、なるほど。一本とられ……てない。おいディルア、お主先程「わかった」と言ったではないかっ』
五月蠅いマントはほうっておこう。
それよりも
「そ、それは腐りかけの玉子。……お願い、それを投げつけないで……!」
『随分幸せそうな夢を見ているようだな』
随分偏った見方だな。まぁ確かに幸せそうに眠っている。寝言をここまで明確に発するやつは初めて見たかもしれない。
「まぁいいか。先に依頼を済ませちまうか」
『それはなんだ?』
「魔物討伐の依頼書だよ。これに討伐対象が死んだ後の血を一滴付けると……」
『なるほど、それで依頼完了書になるという訳か。人間の文化も成長しているという事か。それで? この小娘は一体どうするのだ?』
「このままここに放置って訳にもいかないだろう」
『まったく、奇特な男だな』
サクセスの言葉を流すように無視し、俺は町の近くまでキャロを運んだ。当然引きずって。
町外れにキャロを捨て冒険者ギルドへ向かった俺は、扉を開けると共にギルド内の喧噪がピタリと止まったのを聞いた。
「はっ、無謀な討伐を受けた時も驚いたが、まさか怖じ気づくとはな」
「ははっ、そんなの最初からわかってた事だろう?」
「はははっ、よく面を見せられたもんだぜ」
顔見知りでもない冒険者が威勢よく俺を罵倒してくる。
しかし俺はそんな声に耳を傾けなかった。
ギルドの受付嬢は安堵した様子で俺を迎えた。
「やはり考え直してくれたんですね。違約金は発生してしまいますが、これもまた一つの成長――――え?」
受付嬢の言葉を聞き終える前に提出した依頼完了書。いつもは冷静な受付嬢が椅子から中途半端に立ち上がり、覗き込むように依頼完了書を見つめていた。
「う、嘘……討伐対象ランクDのヘルバウンドが――」
そう言いかけるも、受付嬢は未だ信じられない様子で口ごもった。
確かにそうだ。こんな辺鄙で村とも言えるような町で討伐対象ランクDのヘルバウンドを倒そうと思う者はほぼいない。いや、皆無と言っていい。
「信じられない」「マジか」などの呆然とした言葉が耳に届いたが、俺は報酬の事しか頭になかった。
金の亡者、と思われたくはないが、ようやく二週間は生活出来る程の収入を得る事が出来た。
金貨二枚、銀貨にして二十枚分の報酬だ。
『金……か。人間は相変わらず金が好きなのだな』
『控えめに言っても、大好きだよ』
『ほぉ? 器用に使い分けが出来るようになったな』
大衆の前でサクセスと話してたら完全に危ない人だからな。そういった懸念は消しておきたいところだった。どうやら心の開閉が上手く出来たみたいだな。
注目の視線を背中に浴びながら外へ出ると、再びサクセスが話しかけてきた。
『して? その金で一体何をするつもりだ、ディルア?』
「まずはこの剣を研いでもらってからだなー。そして宿をとって――」
『行きたいところがある』
サクセスからちゃんとした要望を聞くのは初めてかもしれない。
「どこへ?」
『お主のレベルでは、先のヘルバウンド以上の魔物を倒す事は中々難しい。それはわかっているだろう?』
「……確かに」
『先程ギルドの中で聞こえたが、ここはシントの町のようだな。ジョシュ―地方の小さな町だったはずだ』
「知ってるのか?」
信じてはいないが、サクセスが魔王だった頃の記憶、という事か?
『あぁ。それならばジョシュ―へ向かうといい』
「ジョシュ―地方一番の都だ。そこに何かあるのか?」
『なに、ちょっとしたアーティファクトがあるはずだ』
ジョシュ―か……確かにここからジョシュ―までは数日で着く事が出来る。
今回の報酬を使えば旅支度も出来るし、前の俺を知る者が多いこのシントの町では、今以上の成長も成功も見込めない――か。
良いきっかけだし、足をのばしてみるか。