第1部
002
「いっっっっったぁ~」
自身の手を握る涙目の少女。泣いた顔も中々可愛い――じゃない!
何だ今の声は? それに俺は今この少女に斬られたはず。
『斬られてなどいない。我があの程度の攻撃でダメージを受けるはずもなかろう?』
また声が聞こえた……。
『それはそうであろう? 我がそなたに話しかけているのだから』
……一体どこから?
『む? おぉ、そうかそうか。念話だけでは誰が喋っているかわからぬか。我だ、今そなたが纏っている漆黒のマントだ』
「またまた、そんなまさか――」
『――そのまさかだ。ほれ、これでいかがかな?』
そんな声が脳内に響くと、漆黒のマントはヒラヒラと動き、その
「おわっ? こっわ!」
『ふふふふ、ようやく気付いたようだな?』
何なんだこのマント。呪いでも憑いてるのだろうか?
『そんなやわなものなど憑いておらん。そなたの想像もつかぬような高位精神体が宿っているのだ』
へぇ、それなら高く売れそうだな。
『……売るだと?』
そりゃ金を稼ぐためにダンジョンに潜ったんだ。金になりそうなものは換金する。冒険者の鉄則だろ。
『ふん、そんな勝手がまかり通ると思っているのか、小童?』
なんか急に態度が大きくなったな、このマント。
「こ、こんのぉ!」
「うおっ?」
痺れから回復したのか少女は再び攻撃をしかけてきた。
油断していた俺は、頭を庇うように手を前に出すが、狙われたように剣はマントの胸元へ当たる。
再度聞こえる重く鈍い金属音。
当たっているのに…………痛くなかった。
何でっ? 何で全然痛くないんだ?
『一介の冒険者の攻撃など、毛ほども感じぬわ』
この……マント? このマントのおかげなのか!
『そうだ。ようやくわかったか、小童』
そしてこの声。高くもなく低くもないが、ややこもった感じの不思議な声。
これがマントから聞こえる声って事か。
こいつは一体何者なんだ? いや、そもそも人なのか?
『今そんな事を話している暇はない。ほれ、また小娘が痺れから回復したようだぞ?』
「そうだった。俺は今、どうしようもなく残念な少女に殺害されそうになっているんだった」
「だーれが残念な少女よ! 私にはキャロって名前があるんだから!」
キャロ、それがこの少女の名前。
見たところ年は十五、六ってところだろうか。
「えーっと、じゃあキャロさん? そろそろ冗談じゃ済まなくなるんだが、本当に俺と殺し合いをするって事でいいんだな?」
「と、とーぜんよっ!」
自分の中で結構凄んだつもりだったが、キャロの意地みたいなプライドは崩せそうになかった。
『どうする小童? 相手は引いてくれぬぞ?』
そんなの決まっている。
『ほぉ?』
「引かぬなら……俺が引きます! さぁ逃げろ!」
「あ、ちょ? ちょっと待ちなさいよっ!」
誰が好き好んで年端もいかない女の子と殺し合うってんだ!
俺は草木を掻き分けながら自身の持てる最速で逃げ出した。
キャロの速度は先程見てある程度把握出来た。
やつは「シントの町」で見かけた事がない。おそらく最近流れてきた新人冒険者だろう。まぁ、それについては俺も似たようなものなんだが、この場は俺に地の利がある。
「はぁ……はっ……はぁ――!」
息を切らしながら後ろを振り返るが、やはりキャロは追い掛けてこない。いや、引き離せたと言うべきか。
『ふむ、やはり新米冒険者にしては少々だが速度がある』
あぁ、こいつの事忘れてたな。
『こいつ、とは心外だな小童。我にもあの小娘同様、ちゃんと名前がある』
「マントに名前ねぇ……」
『ふはははははは! 聞いて驚け小童! 我が名はサクセス! かつて人間を恐怖と絶望の淵に追いやった伝説の初代魔王である!』
「はいはいよかったねー。えーっと? この方向だとあっちがさっきの川だから……出口はこっちか」
『…………おい小童』
はぁ。ホント今日はろくな日じゃないな。
周りより先んじてダンジョン探索出来たはいいが、ダンジョンには黒くてボロっちぃマントのみ。ダンジョンの外に出たらキャロって名前の変な冒険者が突っかかってくるし、ボロっちぃマントは好き勝手に喋りまくるし、挙げ句の果てにマントが魔王? はっ! そりゃ人間も絶望しちゃうってもんだぜ。
まぁいいか。これだけの防御力を持ったマントなら高く売れるはずだし――
『貴様、まだ我が恐ろしさをわかっていないと見えるな?』
「さーて、一体いくらになるかな~…………って、あれ?」
俺がマントをたたむために脱ごうとしたら、ありえない程の重さを感じた。
「あれ? なんだこれっ? マジで脱げないぞ?」
引っ張っても、屈んでも、身体全体で振り払ってもマントは俺から離れなかった。
『フッフッフッフ……』
「…………お、お前の仕業か?」
『当然であろう。こんなに扱いやすそうな宿主、そう簡単に手放してなるものか』
かなり高圧的なやつだ。
『それも然り。何と言っても魔王だからな』
信じがたい話だが、この有様じゃあ信じられない話でもない。
町に戻ったら高レベルの僧侶に頼んで、この呪いみたいな状況をなんとかしてもらうしかないな。
『言っておくが小童、司祭や僧侶などに我が魔力を破る事は出来ぬぞ?』
また読まれたっ?
「にゃろぉ……さっきから俺の考えがわかっているみたいだが、思考でも読み取れるのか?」
『そんな事、深くしまい込んだモノでない限り、口に食物を運ぶより
厄介だな……心のポーカーフェイスをしなくちゃ駄目って事だな。……こうか?
『ほぉ? 頭も回るようだな。良い素材を見つけたものだ』
「へんっ、いつか精神干渉攻撃をしてくるエレメンタル系の魔物を狩る時の練習をしておいたんだよ」
『奴らか。……あんな小さき存在と同一視されたくはないが、まぁいい。今日は機嫌がよいのだ』
これで機嫌がいいとか、やはり態度がでかいやつなんだな。
自称魔王だからそれも仕方ないかもしれないな。
『ふむ、人里が近いな?』
「お前、目でも付いてんのかー?」
そういえばさっきキャロって女の存在もわかったみたいだし。
『魔力を察知しているに過ぎぬ。多くの人間の魔力が近づいているのを感じる。そういう事だ』
なるほど、目じゃなく魔力で判断しているのか。
『尚、小童の姿は見えているぞ? 我が身を纏えばより正確な魔力を感じる事が出来るからな』
「はいはい。ったく、どうでもいいけどその『小童』ってのやめてくれないか? 俺にはディルアって名前があるんだよ」
『小童こそ我が名はサクセスだと伝えたはずだぞ。お前などと呼ぶでない』
強情……というより頑固な性格だな。
「わかったよ、わかりましたよ」
『ふっ、わかればよいのだ―――ディルア』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
町に戻った俺は、すぐにギルドへ向かった。
このやかましいマントをどうにかするために。
しかし――――
『ふん、だから言ったであろう? 我を引き剥がすなど不可能だと』
「あぁ~、ホント今日はツイてない。変なマントに変なマント、それにこの呪い」
マントをぐいと引っ張るも、やはり身体に吸い付いているように動いてくれない。
動いている時は時に気にならないのに……くそっ。
俺は今朝同様、ギルドの階段の前で溜め息を漏らした。
「はぁ、明日どころか今日を食いつなぐだけでも大変だってのに、一体どうすりゃいいんだよ……」
『何故だ? ディルアよ』
「何故って、そりゃ、金がないんだよ金が」
脳天気に聞きやがって。
『見たところ、ここは仕事を斡旋する施設のようだが? 金がないなら仕事をするべきだろう?』
自称といえど、魔王なのに至極真っ当な事言ってくるな、こいつは。
「それが出来たら苦労はしないんだよ。俺が出来る仕事なんて――」
『我が身の力を忘れたか、ディルア?』
……こいつの、力?
『キャロという小娘の力を防いでやったろう? まさか忘れた訳でもあるまい?』
…………もしかして――
「この討伐お願いします」
「あぁディルアさん……これは? え、いや、しかしこれは――」
「お願いします」
ギルドの受付嬢の制止の声も聞かず、俺は強引に仕事の受諾を押し切った。
そして辿り着いたのがここ。町から南へ五キロ程で発見されたヘルバウンドの巣。
炎のブレスを吐き、強靱な顎を持つ黒い狼。
『ふっふっふっふ。初めはもう少し様子を見ると思ったが、なかなかどうして。思い切ったではないか、ディルアよ?』
「うるせぇ、どうせこのままじゃのたれ死ぬんだし、道中何度か試しただろうっ」
『まさか自らの脚に剣を突き立てるとは思わなかったぞ』
それしか思い浮かばなかったんだよ……だが。
「おかげで剣が刃こぼれしちまったんだ。試す価値、大ありだ」
『その勇ましさ、嫌いではないぞ。ふむ、人間を前に腹を空かせた獣が一匹……なるほど、アレは先程の町の人間では手に余るだろう』
「なっ?」
正面に現れたのは、俺が知っているヘルバウンドより一回り程も大きかった。
驚きより一瞬遅れてやってきた恐怖に身を固まらせた俺を奮わせたのは、やはり自称魔王だった。
『魔物は、人を好めば好む程、その身体を大きくするという。さぞかし喰らったのであろうな……人を』
「くっ、やるぞ!」
『
くそ、ああ言えばこう言うやつだ!
『さて、仕留めるまでに幾度――奴の牙を身体に迎えるか。……その圧を、その恐怖を見事乗り越えてみせよ、ディルア』
「うぉおおおおおおおおおおおお――」
「危なーーいっ?」
……おや?
正面から迫るヘルバウンド。しかし、甲高い声が聞こえたのは俺の右側だった。
右から勢いよく近付く影に気付くと同時に、俺は衝撃によって左へ吹き飛ばされた。
……おやおや?
強く逞しい程の威力で俺を吹き飛ばした女。いや、この姿は少女だ。
………………少女?
おかしい。どこかで見たようなシルエットだな?
「あ、アンタばっかじゃないの? ヘルバウンドに立ち向かうとか正気っ?」
ついてくるこいつもこいつだよな。
息を切らせ、俺に悪態をついていたのは……あの、キャロって女剣士だった。