003 初めての町、フォールタウン
――フォールタウン街道への出入り口――
な……なんだこれは…………まるで廃墟じゃないか……。
巨大な外壁……だったと見れる場所はほぼ崩れ去り、門すらもまともに機能していない。奥に見える石造の家が崩れている。その跡地と見れる場所には木造の家が建っている。その家も深く傷つき、中が見える屋根のない家まで存在している。
俺もポチも目を丸くして驚き、悲しげな表情でリナがこちらを見る。なるほど、リードが言っていた「町という程ではない」というのはこういう事だったのか。
「…………」
「アズリーさん、フォールタウンで残っている戦士は私達三人と、まだ年端もいかない子供達、そして我等が長と、その護衛のみでなんです。商人も寄り付かず、ギルドに見放された町と呼ばれています」
「私達は何度も伝書鳩で救助を求めたが、ギルドを管理する国からの返事は、いつも生返事ばかりだった……っ」
リナが俯きマナが国に対する怒りを露わにしている。国からの返事自体はある。という事は……どういう事だ?
「俺達は町に近づくモンスターを討伐する遊撃隊みたいなもんだ。さっきみたいな群で襲ってくる事は今まで無かったんだが……状況は悪くなる一方だな。食料も水も少ない……頼れる男達は皆町を守りながら死んじまった。だからこの町は女子供、老人ばかりになっちまったんだ」
ギルドが機能していない町なんて初めて見た。これは、好きな事をずっとやって暮らしてきた俺には、余りにも悲惨な状況だった。
「アズリー、長に会ってもらいたい。来てくれないか?」
「…………ポチ」
「承知しました。門は私が見張ってましょう」
「頼むぞ」
「私達もここに残ってるよ。兄貴とアズリーは長と話して来てくれ」
マナがそう言うと、リナがポチの横にちょこんと座り始めた。
俺は、門の守りをポチに任せ、リードと共にこの町の《長》に会いに向かった。
歩いてみると、町の奥の方まで門と同じような状況だった。まだ被害が浅い……という程度だ。ダンジョンで暮らしていた俺が言える事じゃないが、人の住めるような場所じゃない事は確かだろう。
長と呼ばれる人の家は意外にも歩いて数分の場所にあった。てっきり一番奥にあるのかと思ったが、戦士が少ない現状なら、門が近い場所に住んでるのは妥当だと思えた。
大きな家だったが、やはり吹き抜けばかりの家で、ここに住めと言われたら俺ならかなりの抵抗があるだろう。
リードがやや傾いているドアを叩く。中から聞こえて来たのは意外にも若い女の声だった。
『どうぞ』
リードがドアを開けると、そこにはブロンドの美人が立っていた。
スレンダーな体と露出の多い衣服。装飾の多いレオタードと言うのが正しいだろうか。ボロボロの法衣を着た俺よりも軽装だった。
眼は大きくまつ毛も長い。青い瞳にシャープな顎先のライン。神殿にある女神像のような女だった。
「レイナ、今戻った、報告と長に会わせたい人がいる」
「その方か?」
吸い込まれるような瞳をしたレイナと呼ばれる女は、俺を品定めするかのようにじろりと見つめてくる。
「アズリーという者だ、死にそうだった俺達を助けてくれた魔法士だ」
「アズリーといいます。よろしくお願いします」
「なんと……これは失礼な事をした、さぁ上がってください」
レイナは素直に非を謝罪し、俺達を家の中へ案内した。
別段沢山の部屋がある訳でもなく、家の中は大きな一部屋だった。その右手奥に、おそらく長であろう人物が、机越しの椅子に腰掛けていた。
家の中もボロボロで、視界に映る家具も相当痛んでいた。
「ようこそおいで下さいました。話は聞こえていました。まずはリード達を助けて頂き感謝します」
初老を迎えるであろうその男は、確かに長と呼べるだけの風格と威圧感を発していた。
長は俺を見てすぐに立ち上がり、深々と頭を下げた。
「私の名前はライアン、以後お見知りおきを……」
「アズリーと申します。見聞を広める為、旅をし、魔法士としての技能を磨いてます」
この人達にとっちゃ、俺の旅なんて贅沢なものに見えるだろう。
しかし、この人達の前では、自己紹介くらい嘘を吐きたくなかった。
「それは素晴らしいですな。現状では勧められた事ではありませんが、ゆっくりしていってください」
「長、アズリーのおかげでキマイラを倒す事が出来たんだ!」
「な、なんですってっ! 我々を苦しめたあのキマイラを……」
「それは真ですかっ?」
ライアンとレイアは、喜び混じりの驚きを見せ、俺とリードに詰め寄って来た。
「おう、本当だぜ! アズリーの魔法は《六法士》にも匹敵するかもしれない」
「六……法士?」
聞き覚えのない単語だった。世界有数の魔法士……という事だろうか?
そういった称号を冠する人物や団体がいるという事だろうか?
「聞いた事がありませんかな? 魔法大学が排出した世界最高の魔法士達の事を……?」
「世界規模で有名なはずなんですけど……戦士大学の六勇士と双璧を成す呼称です」
「えーっと、長らく下界の情報を絶っていたので……その、知らないんです。ハハハ」
「そうでしたか……無粋な詮索をしました。お許しください」
「あぁ、町の長があまり頭を下げないで下さい。こちらが恐縮してしまいます」
そもそも礼や謝罪を受け取るのは苦手なのに、今日は礼や謝罪続きだ……。
「ハッハッハッハ、不思議と若い方と話している気がしないのは、親御さんの教育の賜物でしょうな」
「アハハハ、その、恐縮です」
「礼儀も
「かしこまりました」
「俺はポチと見張りを代わってくるぜ」
そう言ってリードは外に走って行き、俺はライアンに礼を言い、レイナと共に西へ向かった。
夜闇の中、光源魔法に驚いていたレイナと共に歩いている途中、人の気配がない広場に出た。
「ここは……?」
「十数年前は私もここで駆け回りながら遊びました。町が廃れてからは水を求めて別の意味で人が集まっていました」
「別の……意味?」
「……あちらをご覧ください」
レイナが指差した先には大きな古井戸があった。辺りを転がる桶は底抜け、上部に見える滑車から垂れる縄もボロボロだった。
「今は水が少ない……リードさんがそう言ってたのを思い出しました」
「そうです、今は十キロメートル程先にある川から水を汲んでくる他、飲み水を確保する事が出来ません。その水の入手さえも危険を伴います。今はリードや長が毎日何回か往復をして汲んできている状況なのです」
それを簡単に言いながらも、レイナはとても辛そうな表情をしていた。
身体的疲労に伴う精神的疲労……そういえばリードとライアンの顔を見たが、おそらく何日も眠っていないだろう。その疲労感は今の俺には計り知れない。
俺とレイナの沈黙を破るかのように、ポチが広場へ駆けてきた。
「マスター、お待たせしました。……こちらの方は?」
「ポチ、レイナさんだ。レイナさん、こいつは俺の使い魔のポチといいます」
「ポチです、宜しくお願い致します」
「レイナだ、宜しくお願いする。使い魔というのを初めて見た。愛嬌があってとても可愛いな」
ちょこんと座り込んで笑顔でポチを見るレイナもとても可愛い……とは言えない。
「ポチ、すまないが、今日は門番をしていてくれないか? リードさん達を出来るだけ休ませてあげたい」
「うわっ、マスターが私に『すまないが』ですって! これは朝になったら雨が降りますよ!」
「いいから行け」
「ふふふ、承知しました」
ポチは踵を返し元来た道を走って行った。
「アズリー殿、その……宜しいのですか?」
「構いませんよ、使い魔は寝なくてもじっとしていれば回復するようになっていますから」
「…………何から何まで申し訳ありません」
こんな町を放っておけるような奴がいたら、それは鬼か悪魔だろう。無性に国に対して腹が立ってきた。
俺はレイナに案内されて、やはりボロボロの家屋で夜を明かした。
途中、リード、マナ、リナが礼に来たが、早く帰って休めと言って追い返した。……本当によく礼を言われる日だったな。
人間はそんなもの求めていなくても自然に行動できるように出来ているはずなんだ。意図してそれをしない者は、俺の辞書の中では《悪》と呼ぶんだ。やはりギルドや国のあり方について疑問を感じる一夜だった。
――翌朝――
リード達と交代したのか、ポチが俺の下へやって来た。
「昨晩の状況は?」
「めちゃくちゃ寒かったです!」
「あぁ……俺も寒かった……これじゃ外にいるのと一緒だ」
「マスターはまだ布団があったでしょう! 私はずっと外でしたよ!」
俺に悪態つくポチ。人間より気温の上下に左右されない使い魔だが、やはり火のない場所では寒かったようだ。
リードはこれをずっと続けてきたのか……とんでもないな。
寒さの原因はわかっている。一つは勿論この家屋の問題だが、一番の問題は火が使えない事だろう。
火を
十度前後の気温だが、これを常に……となると心まで冷え切ってしまうだろう。
「ポチ」
「何ですマスター? そんな神妙な顔しちゃって?」
「しばらくここを拠点にするぞ。お前は周囲の警護を頼む。寒さ対策は何とかしてやるから」
「へぇ、この短期間ですが、良い意味で成長されましたね。旅に出る前とは大違いですよ?」
「あぁもう、いいからお前はこの布団を持ってまた門番でもしとけ。門にいる人間達を広場に集めてくれ」
にやりと笑うポチにくるんだ布団を投げつけ、ポチはそれを咥えて外に走って行く。
俺は、人を食ったようなポチの表情に溜め息を吐き、杖を持って立ち上がり、家屋を出て広場へ向かった。
昨晩の記憶が曖昧で少し迷ったせいか、ゆっくり歩いたせいか、広場には既にリードやレイナ達が集まっていた。
「アズリー、昨日はありがとな、久しぶりにゆっくり寝れたぜ」
「礼ならポチに言ってやってくれ、めちゃくちゃ寒いって言ってたからな」
「ハッハッハッハ、ポチにも同じ事言われたからお前にも言ったんだよ」
あいつめ、変なところが俺に似やがって……。ん、もしかしたら俺の方がポチに似たのかもしれないな?
八百余年も付き合ってるとよくわからなくなるな。
「ところで、こんな寂れた所で何するつもりだよ?」
「アズリー殿、恩人の前でこう言うのも申し訳ないのですが、雑務が溜まっておりまして……」
「朝はモンスターの動きが大人しくなるし、雑魚ばかりだから水汲みに行こうって話してたのよ」
レイナとマナも行くのか……まだ二十前後の年だろうに、しっかりしているな。
「川への水汲みは終わりだ。これからはここで水を汲んでくれ」
「おいおい、いくらお前が魔法士でも水属性の魔法なんて聞いた事ないぜ?」
「正確にはあるが、水魔法は水のある場所でしか使えない。だからここでは水魔法は使えない、しかし魔術なら…………ほいのほいのほい! 氷柱一角!」
六芒星の魔術陣を古井戸の上に飛ばし、発動させる。中から巨大な氷柱が現れ、古井戸に降り注いだ。
「こりゃ、昨日の魔法か! しかし、井戸をすっぽりと埋めちまった……溶かすにしても時間が掛かるぜ」
「ほいのほいのほい! 剣閃集降!」
同じように古井戸の上に魔術陣を飛ばし、その中からは無数の斬撃が現れる。
俺は斬撃を杖で操り、上手く均等に斬り刻み井戸の中へ落としていった。
「嘘だろ……キマイラの体を貫く氷柱を斬ってやがるっ?」
「これが魔法……いえ、先程アズリー殿は魔術と……?」
その後、同じ工程を何回か繰り返し、井戸の中には無数の氷の結晶が溜まった。
「す、凄いですアズリーさん! 私感動しましたっ!」
「最後の仕上げがまだだよ、リナちゃん?」
「へ、このまま待てば徐々に溶けていくんじゃ?」
「ほいのほい! ファイアースタンプ&リモートコントロール!」
魔法陣から古井戸のサイズに合わせた火の判子を発生させ、制御魔法を使いゆっくりと降下させていく。
井戸の表面まで溜まっていた氷は徐々に溶け始め、井戸の底へ滴っていく。
火の判子は氷を溶かし、時には砕き、井戸の底まで向かって行った。井戸の底は次第にぬかるみ、その上に水溜りを形成する、上から落ちてくる氷の粉末や水がその
「どうだ、古井戸が井戸になっただろう? 定期的に氷を落とせばそれは自然に溶けるだろうから、こんな大がかりな作業は今日だけだし、もうやりたくもないや。ハハハ」
「う……」
「う?」
「「「うぉおおおおおっ!!」」」
鼓膜が破れてしまいそうな程の歓声が広場に響いた。
ある者は手を取り合い、ある者は笑い、ある者は泣いて井戸の復活を喜んだ…………と、記憶があるのはここまで。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
起き上がった時、俺を迎えたのはリナとマナとリードだった。
「あれ、俺は一体?」
俺が起きると同時に、リードが地に頭を擦り付けて謝罪してきた。
「え、なんでリードさんが土下座してるんですか?」
「お、覚えてないのは無理もねぇ! すまん、喜び過ぎてお前の首を……こう、キュッとだな……」
そうか、キュッとされてたのか。そりゃリードの旦那も土下座するわ。
「そう言えば苦しかったような気もしたけど、結構一瞬だったみたいですね」
「め、面目ない……」
「アズリー、兄貴が迷惑を掛けた。本当にすまない」
「あーあー、マナさんもいいから立って立って、そういうのは嫌いなんだ。俺はもう大丈夫だから気にしないでくれ。それより井戸の方は大丈夫だった? 水が消えたとかないよね?」
「あ、あぁ、問題なく皆使えてるぜ。本当にありがとう」
リナとマナも続いて礼を言ってくる。
本来、氷柱一角などの氷魔術は一定の時間を置くと消えてしまうようになっている。しかし、《氷》という物質としての働きから生じた水に関してはその限りじゃない。
古い文献で読んだ情報が役に立ったって事だな。
「それなら良かった。水嵩が減ってきたら教えてください。いつでも補充しますから」
「そりゃつまり……しばらくここに居てくれるって事かっ?」
「そのつもりです。偽善かと思われるかもしれませんが、こういう状況は放っておけないと思いました。ポチがいれば皆さんの負担も大分無くなるでしょうからね」
「……ありがてぇ……」
小刻みに震え、俯きながら礼をするリードの腿に、数滴の雫が流れ落ちた。
俺は気恥ずかしさから視線を逸らすが、その先でもリナが……マナが……同じような涙を流していた。
人間の精神とは、斯くも脆く、斯くも薄いものなのかもしれない。最後に涙を流したのはいつの事だったろうか……長い年月を過ごし、俺は、長い時間を掛けて多くの知識を吸収したが、同時に失われていったモノも多かったのではないだろうか。
先程感じたのは、本当に気恥ずかしさだったのか……。人の謝辞を直視出来なくなってしまったのだろうか。
ポチとの痴話喧嘩から、怒りの感情の記憶が残っていると、辛うじて認識出来ている程度なのかもしれないな。
これは、俺の《失ったモノ》を取り戻す旅なのかもしれない。