001 悠久の神薬
「あ~、違う違う。なんでこうなっちゃうんだ……。透明化の魔法には時間制限を付けないと消えたままになっちまうからってのはわかってるんだが、時間制限の公式を魔法陣に組み込むと半透明になるのは何故だ? 組み込む場所が違うのか? いや、そうすると魔法陣のバランスが崩れてしまう……って事は、透明化母体魔法陣を拡大させてバランスを保つのか? いや、そもそもの公式文字が比例して大きくなるから意味がなくなる。うーん……わからねぇ……」
「マスター、いい加減外に出ましょうよ~」
「なんだポチ、まだダンジョンに籠って八十年程じゃないか。音を上げるのは早すぎるんじゃないかー?」
シベリアンヌ・ハスキーという犬種の《ポチ》。八百年前に俺の使い魔になり、以来俺の友人兼世話係みたいな事をしている。最近日に日に小言が増えて困っているんだ。
「八十年じゃありませんよ! 前回外に出たのだって六時間程じゃないですか! その前の事って覚えてます!?」
「んー……あ、透視魔法を眼鏡に刻印する研究をしてたな!」
「研究課題の事じゃありませんよ、私が聞きたいのはその研究で籠った期間ですよ! 百二十年ですよ!? 我々は合計二百年、外界から離れてるんですよ!? 仙人にでもなる気ですか!?」
「六時間外に行ったじゃないか、えーっと……何しに行ったんだっけ?」
呆れた様子でポチが溜息を吐く。
どうやらそろそろ限界のようだ。ストレスが溜まりやすいヤツだな。
「……眼鏡を買いに行ったんです」
「あぁそうだ、そうだったそうだった。あれ、確かあの眼鏡が…………あったあった! あ、ハハハハ、ひび割れてらっ」
「マスターは研究が成功したら、もう別の研究に移りますからね……マスター……いや、《アズリー》、友人として言わせてもらうが、君はもっと人らしい生活をした方が良い」
「おいおい、お前は使い魔だろう?」
「それはそうですが、マスターは人間です!」
ポチが言葉を発する毎に語気が強くなる。俺の事を本気で心配してくれているのだろう。
五千年前……当時十七歳の俺が偶然精製する事に成功した神薬《悠久の雫》。これを飲み、俺は不老の体となった。魔法士や錬金術師として才能がなかった俺が起こした、最初で最後の奇跡だった。
悠久の時間という特殊な恩恵を手に入れた俺は、長い時間をかけて魔法を訓練し編み出していった。
簡単な魔法一つ覚えるのに数か月を要した俺の不遇な程の才能は、それからあまり変わる事がなかった。勿論、過去の過程で覚えた事から、亀の歩み程の速さで成長はしているだろう。実際にも次のステップに進む時は、前程時間がかからなかった。
しかし、完全に新しい事を一から覚えるとなると、俺の才能はマイナス方面で全力を発揮した。
沢山の研究や訓練をして成長していった俺は、ある時モンスターに襲われていた小さいポチと、その母親を発見した。
当時八ヵ月かけて覚えた《アイスランチャー》を使いモンスターを追っ払ったが、ポチの母親は助からなかった。母の墓を前に泣くポチの顔は今でも忘れない。
それからポチとの楽しい生活が始まった。コイツは賢く、友好的で簡単な命令はすぐに理解した。
しかしどうしても別れが来るという事はわかっていた。そう、俺は悠久の時を生きられるが、ポチの生涯は、覗き用に作った透視眼鏡の五分の一程の時間で終わってしまう。
ポチに、半分だけ残っている《悠久の雫》の説明をして、「飲むか?」と聞いたところ、やはりポチは賢く、飲むのを躊躇い、そして悩んでいた。
まあ、最終的に気付かないうちに飲んでいたんだけどね。
馬鹿な俺が、研究資料でいっぱいの机の上から《悠久の雫》を零し、それがポチの餌箱の中に入ってしまったみたいだ。
そして愚かな事に、その事に気付いたのは五十年程経った頃だった。
あまりにも寿命で死なないポチを見て、ようやく《悠久の雫》の小瓶が倒れている机を見たのだ。そこからの推測をポチに話してやった時の顔は……正直面白かった。
ポチが使い魔になったのはそれから間もなかった。
「だから……ね、外に出ましょうよ~」
「外に出るったって、どこに行くんだよ……?」
「あのねマスター、なんで研究に没頭してたか忘れたんですか? 素晴らしい力を身に付けて世界に役立てる、そう言ってたじゃないですか」
「あぁ、馬鹿にしてた奴等見返すんだとか言ってたけど、五百年前に、そいつらが生きてる訳がないって気付いた時に変更した目標の話だな」
「まったく、マスターは抜け過ぎなんですよ! 感心はしませんが、覗き用に作った透視眼鏡だって使ってないじゃないですか!」
そりゃそうだ。
作ったら作ったで、別の欲求が芽生えてしまうのは確かに悪い癖だ。
最近世界も見て回ってないし、良い機会だと思って行ってみるか。
「しかし俺等って結構レベル低かったような……」
「何言ってるんですか、マスターはともかく、私のレベルは既に100ですよ」
「うっそ!? 何お前いつの間にっ!?」
「そりゃマスターと違って外で運動してますし? っていうか、食料採りに行くのも私だったじゃないですか!」
「ぬぬぬ……あ、えーっと……あった、透視眼鏡の副産物で出来た鑑定眼鏡!」
これを掛けてポチを見れば…………どれどれ?
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ポチ
LV:100
HP:2500
MP:507
EXP:9999999
特殊:ブレス《極》・エアクロウ・巨大化・疾風
称号:愚者の使い魔・上級使い魔・極めし者・狼豪
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愚者ってなんだよ愚者って……確かに俺は愚か……だから良いのか。
何故だ、納得してしまったぞ……。
あぁ、そうだそうだ、この眼鏡に反射の魔法を掛けて……と。
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アズリー
LV:20
HP:214
MP:9812
EXP:21955
特殊:攻撃魔法《特》・補助魔法《中》・回復魔法《中》・精製《上》
称号:愚者・偏りし者・仙人候補・魔法士・錬金術師・杖士
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MPのアドバンテージが凄いな。
知識ばかり詰め込んでたからこれだけのMPが付いたのか。レベルの向上でどんどん上がっていく可能性があるな。
称号も出来るだけ取った方が良いんだろうが、マイナスの称号もあるだろうし……まあ見りゃわかるけどな。愚者は俺の全てを下げているだろう。これを取り除くのには根気がいりそうだな。
偏りし者ってのは、やっぱり研究ばっかり続けてきたからってのがあるんだろうな。
さっき言われたからなのか仙人候補ってなんだよ。そんなエントリー用紙なんて書いてないぞ。
うーん、やっぱり、こういうのはなんとかしないといけないって事か。
「おーし、決めた! それじゃ、明日ここを引き払うぞ! ポチ、荷物をまとめておけ!」
「おお、お任せを!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……で、どうするんです?」
「太陽が眩しい……俺は今、これから数十年後に伝説の大冒険と呼ばれるような冒険を始めるのだ!」
「へー、で、どうしましょう?」
「旅や冒険には目的が必要だ。ポチ、お前なんかあるか?」
「目的……ですか、では、せっかく使い魔になったのです。世界のどこかで開催されていると聞く、《使い魔杯》に出場してみたいですね」
確かに聞いた事あるけど、ポチは何で知ってるんだろう?
俺の文献の中にそんなのがあったかもしれない。そこから知り得た情報って事か。
「マスターは何かありますか?」
「そうだなー、冒険者と言ったら、やはりダンジョンだろう! 最大の迷宮と言われる《魔王の懐》を攻略してみたいな! きっと珍しい書物やアーティファクトがあるんだろうな……あ、それに――」
「それに……なんです?」
「賢者になる……とは言わないが、せめて称号の愚者は無くしたいものだ」
ポチが口を開けて驚く。
やめてくれ、そんな眼で俺を見るな。
「じょ、冗談でしょ、愚者なんて称号もらったらとんでもなく能力が下がりますよ! って事は私には愚者の使い魔って称号がっ!?」
「あぁ、そう言えば入ってたな」
「道理で……レベルが上がってるのに体が軽くならないのには理由がありましたか……」
「そんなに気にするなよ。世間のベテラン冒険者クラスの力くらいはあるだろう?」
「それ以上に強くなれないのが不安過ぎます。まあ後悔もしてませんけどね。さて、どこに行きましょうか? 周りは密林、北へ行くと砂漠、南へ行くと海、東へ行くと草原、西へ行くと山岳地帯ですね」
砂は嫌だな。というか好き好んで行くような場所じゃない。似たような理由で山も無しだな。
行くとすれば海か、草原だな。こういう時は……
「ポチ、肉と魚、どっちが食いたい?」
「腐っても狼ですよ? 肉に決まってるでしょう」
「よし、それじゃあ
「アオォオオオオンッ!」
~~東、草原地帯~~
「いやー、大漁というか……大量だなぁポチ?」
「やみくもに歩き過ぎなんですよ! どうするんですかこの状況!? サイクロプスが七体にキラーマンティス三体ですよ?」
「落ち着け、俺達の絶妙なコンビネーションを編み出す良いチャンスだと思え。作戦名《ポチよ安らかに》を発動だ!」
「却下です! あ、良いアイディアありますよ、作戦名《アズリーの犠牲の恩恵》、これを発動しましょう!」
なんて恐ろしい事を考えつくんだこいつは!
「却下だ却下! とりあえず時間を稼げ!」
「しょうがないですねぇ、もうっ!」
ポチが無謀にもサイクロプスの中へ突っ込んで行く。
俺は杖に魔力を込め空に魔法陣を描き始める。その後、太陽光のような光の文字を書き、宙に浮かび上がり、魔法陣へと降り注ぐ。五芒星の中へ入っていった文字は魔法公式となり、その公式に合った魔法を発動する。
「よし、ポチ、後方へ下がれ! メテオランス!」
「「ギャアアアアッ!」」
モンスター達は灼熱の隕石を思わせるような槍で貫かれ、同時に貫かれた部分が瞬時に融け始めた。
そして、脳内にレベルアップを告げる鐘の音が広がる。相変わらず頭に響く音だな……。
「痛い、あれは痛いですよ! もう少し優しい魔法を選択出来なかったんですか!?」
「ケース毎の魔法使用方法がわからんのだ、仕方ないだろう! つーかさっきから小言のレベルが上がり過ぎだぞ!」
「小言じゃありません、マスターの為を思って言ってるんです!」
「そうですか、ありがとうございます!」
「どういたしまして!」
段々小姑みたくなっていくポチだが、どうやら俺の事を考えてくれているらしい。
もう顔も忘れてしまった父や母を思い出す。
十歳の頃に両親を失ってからずっと伯父の家にお世話になり、十五歳の成人になった段階ですぐに家を出た。事務的に俺を育てる伯父だったから、感謝こそすれ、情や名残はなかった。
「しっかし《魔王の懐》といい、《使い魔杯》といい、一体どこにあるんだ?」
「……まさか、その場に直行しようってんじゃないでしょうね?」
「え、違うのか? 魔王の懐はともかく、《使い魔杯》なら、ポチはレベル最高なんだからいけそうな気がしないか?」
「馬鹿言っちゃいけませんよ。レベル100なんてゴロゴロといるに決まってるじゃないですか。戦術を沢山学び、それを体に覚え込ませ、レベル以外の強さを手に入れなくては無理ですよ」
「つーか何でそんなに詳しいんだよ?」
「マスターの書庫で見つけた本に書いてありました。もうかなり古い本だと思いますけどね」
やっぱりそうか。俺が所有してる本の中にポチの涎臭い本が何冊もあるんだろうな。
こいつ、いつも肉きゅうをぺろっと舐めてからページめくるからな。どこぞの爺さんかって話だ。
「んじゃどうするんだよ?」
「どこか拠点を決めて、そこで情報を集めながら研鑽していくのがよろしいかと」
「それならやっぱりあのダンジョンの方が良かったんじゃ……」
「まーたそんな事言ってー、駄目ですよ。あんなとこにいちゃ人間とは呼べなくなります」
「で、人里は見つかりそうなのかね、ポチ君?」
俺の言葉に、ポチは仕方なしという面持ちで辺りの臭いを嗅いでいる。
犬の癖に表情が豊か……という訳でなく、使い魔になったらその使い分けがうまくなったというだけだ。
昔はこうじゃなかったのにな。
「スンスン……む、あちらに水の匂いがしますね」
「水のある所に人間ありか。何の当てもないんだ、とりあえず行ってみるか」
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