人生の折れ線グラフ -「いままで」と「これから」-人生の折れ線グラフ
-「いままで」と「これから」-

2018.05.30
人生の折れ線グラフ -「いままで」と「これから」- フリーアナウンサー安東弘樹 経済ジャーナリスト 酒井富士子

家族を扶養しながら全力で駆け抜けた
10代から30代。2人の息子への想い。

50歳という節目の年に27年間務めたTBSを退社し、フリーアナウンサーとして新しい一歩を踏み出した安東弘樹さん。実は、学生時代からアルバイトを掛け持ちして、自分の学費や家族の生活費を稼いでいた苦労人です。前編となる今回は、学生時代からTBS時代のキャリアを振り返り、安東さんのキャリアとお金の価値観に迫ります。

TBS入社初日に祖母と母、弟、妹の扶養申請

酒井:まずは、TBS時代のお仕事を振り返りたいのですが、そもそもテレビ局を目指したきっかけは何でしたか?

安東:小学校高学年のときに知った、太平洋戦争中の情報の統制を知ったことです。メディアの怖さを知って、情報を流す側であるメディア側に入り、自分が正しい報道をするんだ、という漠然とした使命感を感じていたんです。あと、早く就職先を決めたいという気持ちも強くて、募集が早かったテレビ業界を志望しました。

酒井:確かに、テレビ局の就職活動は、当時から開始が早かったですよね。

安東:キー局のアナウンサーは、すべての業種・職種のなかでもっとも就職活動のスタートが早いんです。でも、当時は、アナウンサーを目指すというよりは、マスコミを志望していました。あまり対策もせず、しかも体育会系バリバリだったので、面接で「目標とするアナウンサーは誰ですか?」と聞かれても、手を後ろに組みながら「すみません、私、どなたがアナウンサーか存じ上げません!」と力強く答えたりして(笑)。他の人と違ったのが良かったのかもしれませんね。

酒井:その当時から熱かったんですね!でも、なんでそんなに早く決めたかったんですか?

安東:うちは、僕が7歳のときに両親が離婚していまして、母の実家である祖父の家で暮らしてきました。高校時代からは、アルバイトを掛け持ちして、学費を自分で払って、家にもお金を入れていたので、早く就職が決まれば安心できるとも考えていましたね。

酒井:学生時代は、どんなアルバイトをされていたんですか?

安東:家庭教師で兄弟2人をみて、夏と冬には、長時間やれるアルバイトで生活費を補填するというのが基本でしたね。その中には、かまぼこ工場で20時~朝8時まで働いたり、宅配便の荷物を1日200個くらい配達したりと、とにかくあらゆるアルバイトをしました。大学時代は、夜間のアルバイトを中心に部活がOFFの時は、月に50万円稼いでいたときもあって、家族の家計管理もすべて僕がしていました。

酒井:ご苦労されたんですね。TBSに入社した当時のことは覚えていますか?

安東:祖母と母、弟、妹が扶養家族だったので、入社してからすぐ、扶養手続のために担当部署へ行ったら、会社の人に驚かれたのを覚えています。

酒井:新入社員でそういった手続をする方はやはり珍しいんですね。お給料の印象はどうでしたか?

安東:初任給の印象は、学生時代のアルバイトに比べると、正直こんなに少ないんだと感じました。でも、入社して初めてボーナスをもらってから、大学の友だちと会ったときに、お金の話をして驚きました。「あ、月収はそうでもないけど、ボーナスを含めた年収で考えると、みんなよりかなり多くもらってるんだ」と。これで、家族を養うのは楽になるなと感じましたね。

スポーツ担当からバラエティ担当になって、感じた開放感とやりがい

酒井:安東さんは最初、スポーツ担当だったそうですね。いろいろな競技に挑戦されるコーナーに出演されていたとか。

安東:そうですね。柔道やフルマラソン、アイスホッケー、空中ブランコ、高飛び込み……。本当にいろいろやりましたね。

酒井:本気でやりすぎて怒られたこともあったとか?(笑)

安東:たぶん他の方はほどほどに体験するんでしょうが、僕は根が体育会系なので、どの競技も本気で挑戦しました。取材相手のアスリートに勝とうとして(笑)。例えば、取材相手が腕立て伏せをやっていたら、僕も同じ回数を端っこの方でやったりしましたね。でも、そうやって本気で取り組んでいると、最初は冷やかしかなと思っていたアスリートの方も、興味を持ってくれるんです。そうして取材相手との距離がぐっと近くなった体験を何度もしました。

酒井:なるほど。その後、情報バラエティの担当に変わられたんですよね。

安東:実は、スポーツ担当だったときの僕を、当時のお昼の情報番組のプロデューサーが見ていて声を掛けてくれたんです。コメントがスポーツアナウンサーっぽくなかったのがよかったみたいですね(笑)。アイスホッケーでプロ相手に「本気で来いよ!」とか言いながらキーパーをやったりしていたのを、おもしろがってくれたようです。

酒井:スポーツ担当を離れて環境が変化することに抵抗はなかったのですか?

安東:新しい番組を一緒に立ち上げたいというお話だったので、即決しました。スポーツ担当に少し不満を持っていたこともあると思います。スポーツ実況ができるアナウンサーは今でも尊敬していますが、自分自身はスポーツ実況に興味が持てなかったんです。僕は広島ファンなので、巨人戦は特に(笑)。スポーツチームの広報との関係性づくりの業務も多くて、そこにも少し違和感がありました。

酒井:今までの現場とは全く環境が違うと思うんですが、バラエティの現場に移ってから戸惑ったことはありませんでしたか?

安東:いや逆に、開放感がありました。なんというか…プラスの空気が流れていましたね。まず、スポーツより、事務所や出演者との関係性づくりのための制限が少ないと感じました。また、これは情報番組をやらせていただいて気づいたのですが、もしかすると、もともと志望していた報道より、情報バラエティのほうが丁寧に、細かく情報を伝えられるので、正しい情報発信ができるのではないかと。すごくやりがいを感じました。また、身ひとつで真剣勝負に挑んでいるタレントさんのコメント力や現場の空気の変え方などを間近で見て、毎回すごく感動していました。

結婚相手はお嬢様? 180度違う夫婦の金銭感覚

安東:妻は、お嬢様で何不自由なく育ったタイプですね。ブランドものが好きとかではないのですが、「これまで節約は考えたことがない」という人でした。

酒井:学生時代から生活費を稼いだりお金の管理をされてきた安東さんとは全く違いますね。やっぱり金銭感覚も違いましたか?

安東:結婚当初は、光熱費の高さに驚きましたね。うちの実家はエアコンがありませんでしたし、当時家族4人で光熱費が毎月1万円くらいだったんです。でも、結婚後の生活では約4万円くらいになって、妻に「どういうこと?」って話をしたことがあります。妻としては光熱費が約4万円というのが、高いかどうかもわからなかったようですが(笑)。

酒井:そうなんですね。お金のことで喧嘩になることはないですか?

安東:あまりに感覚が違いすぎて喧嘩にはならないんですよ(笑)。でも、光熱費は家計のためだけではなくて、地球環境のためでもあるんだよと言い聞かせています。

酒井:今は、お金の管理はどちらがされているんですか?

安東:すべて僕が管理しています。毎月、妻に一定額を渡して、もし足りなくなったら補填するスタイルです。今では妻も、だいぶ節約が上手になってきたと思います。

酒井:家計簿もつけているんですか?

安東:いいえ、家計簿はつけていません。でも、頭の中で、これにはいくらかかってとか、貯蓄分はこれくらいでとか、常に計算しています。学生時代から生活費を稼いでいたので、節約をする習性がついているみたいです。僕自身は、趣味の車以外は本当にお金をかけないですね。たとえば洋服にもまったく興味がなくて、TBSが制服を作ってくれないかなと思っていたくらいでしたから(笑)。

子どもにも学費は自分で稼いでほしい。
お金は、血と汗を流して手にできるもの。

酒井:今では、安東さんも二児の父でいらっしゃいますよね。結婚して、お子さんが生まれてから、ライフステージに合わせた貯蓄額を想定してますか?

安東:平均生涯収入なども考えて、このくらいの貯蓄を何年で貯めようと常に計画を立てていますね。教育費など、将来に向けて毎月決まった額を貯蓄していますが、そのお金には、絶対に手を付けないようにしています。

酒井:ちなみに、お子さんに対してお金の教育はされていますか?

安東:「お金は天から降ってくるものではない」と教えています。お金は、自分で血と汗を流さないと手に入らない。二人とも男の子ということもあって、それがわかる人間になってほしいと思っています。

酒井:自立できる人になってほしい気持ちがあるんですね。お子さんの教育にかかるお金についてはどうですか?

安東:大学を卒業するまでの分は蓄えていますが、正直、大学の学費は自分で稼いでほしいなと考えています。

酒井:安東さんご自身が実践していたように! それに対する奥さまの反応はどうですか?

安東:「えー!」って言ってました(笑)。でも、自分で学費を稼ぐと、大学でしっかり勉強しようと思うものなんです。僕は、大学時代に部活もバイトもしてましたが、講義はいつも一番前の席で受けていましたからね。自分で学費を払っているからこそ、絶対何か吸収してやるという気持ちが強かったのだと思います。ですから、息子たちにもその感覚を身に付けてほしいですね。
( 後編へ続く... )

安東 弘樹(あんどう ひろき)

1967年10月8日生まれ。1991年にTBS入社。アナウンサーとして27年勤め(後期7年はプレイングマネージャー)、2018年3月末にTBSを退社。その後、フリーアナウンサーとしてキューブに所属する。2017年より日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員も務める。現在、レギュラーで「ふるさとの夢」(TBS)、「LIVEトリビア」(LINE LIVE)に出演するほか、多数の番組に出演中。

安東 弘樹(あんどう ひろき)

酒井 富士子(さかい ふじこ)

株式会社回遊舎 代表取締役。上智大学新聞学科卒業後、日経ホーム出版社(現、日経BP社)に入社。「日経ウーマン」「日経マネー」副編集長歴任後、リクルートに入社。「赤すぐ」(赤ちゃんのためにすぐ使う本)副編集長を経て、2003年から現職。近著に『60代の得する「働き方」ガイド』がある。

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