OVER PRINCE 作:神埼 黒音
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―――王国 戦士長邸宅前
「隊長!」
「ご無事ですか!」
「は、早く治療を……!だ、誰か!魔法詠唱者を呼んでこいっ!」
「それより早くポーションを!誰か持ってないのか!」
邸宅前で、慌しく部下達が動いている。
無敵とも言える強さを誇った自分達の隊長が、信じ難い程の深手を負っているのだ。それを見た全員の気が動転し、動きがぎこちない。
そんな騒ぎの中、フォーサイトの四人も体が固まったようにその場から動けずにいた。
(アングラウス……)
ヘッケランの胸に感じた事のない感情が満ちてくる。
戦士長の胸元で、眠るようにしてアングラウスが息絶えていた。
あれ程に勝利を願い、自分も死力を尽くし、全員が持てる力の全てを出し切った……と、思う。
だが、アングラウスは敗れた。
あれ程の稀代の剣豪すら、ガゼフ・ストロノーフという分厚い現実の前に散ったのだ。
(なのに、何でお前は……そんな満足そうな顔で……)
「勝ち負けじゃないんだよ、きっと」
横に来たイミーナが妙に哀しそうな顔で言う。その横顔には色んなものが含まれている気がして、いつものように軽口で返す事が出来なかった。
生まれた時からずっと蔑視の目で見られながら育ってきた彼女だからこそ、何か感じるものがあったのかも知れない。
「負けたけど、満足したんじゃん?きっと」
「負けて……満足、か」
分からない。そんなものが本当にあるんだろうか。
自分はずっと勝ち負けにこだわってきた。俺達を見下し、嗤って来た連中をいつか見返してやりたい一心で生きてきたのだ。そんな急に、悟りを開いたような心境にはなれそうもない。
「貴方の悪い癖ですよ、ヘッケラン。人生には勝ち組や、負け組なんてものはないのですから」
「何だよ、ロバーデイクまで。説教のつもりか?」
「こう見えて元・神殿の人間ですからな。説教はお手の物ですよ」
「………お布施しなきゃ。はい、黄銅板1枚(250円)」
「う、うーむ……この金額では神は納得しないでしょうな………」
ロバーデイクとアルシェのやり取りに顔がほぐれ、ゆっくりと肩から力が抜ける。
勝ちも、負けもない、か。
そう、だな……そうかも知れない。
じゃなきゃ、アングラウスの満足そうな顔に説明がつかない。
勝ちだの、負けだの、そんなものは他人が決めるんじゃなく、最終的に決めるのは自分自身なのだろう。俺は自分に自信が持てず、勝手に自分を負け犬だと決め付けていたのかも知れない。
(他の誰でもなく、自分が自分を“負け”に追いやっていたのか……)
「貴様ら、そこを動くなっ!」
「八本指に雇われた連中だな……只で済むと思うなよ」
そんな事を考えてる間に、大勢の騎士達に囲まれていた。ちょっとのんびりし過ぎたか。
だが、チームの皆を見ても誰も絶望はしていない。
ここからでも、どんな状況からも生き抜いてやるという気迫に満ちた顔だ。
(何て頼りがいのある仲間達なんだか……)
こんな悲惨な状況だというのに顔がニヤけてくる。
なぁーにが、勝ちも負けもないだ。
こんな最高のメンツとチームを組んでいる俺は……もう、既に最高の勝ち組だろうがッッ!
力を振り絞り、双剣を構える。絶対に誰一人、殺させやしない!
「全員、打ち合わせ通りに行くぞ!」
「あいよ!」
「えぇ、問題ありません」
「……了解」
全員の声を聞いて走り出す。
だが、意外な所から聞こえた声に自分達も騎士達も動きを止めた。
「よせ………その四人には、手を出すな!」
「隊長!?」
「どういう事です、隊長?」
「アングラウスとの………約束だ。君達が誰かは知らんが、あの男との約束を破る訳にはいかん」
その不意の言葉に、胸が詰まる。
たった一言か、二言の言葉を交わしただけだというのに、あいつは俺達の事を……。
「なるほど……なら、仕方ないですな」
「隊長の義理堅さは筋金入りさ。それこそ、アダマンタイトより固いときてる」
「お陰で貴族連中ともよく揉めたよなー。俺としちゃ大歓迎だわ」
戦士長の部下達が笑いながら次々と剣を収める。
この戦士長……いや、ガゼフ・ストロノーフという男には余程、人望があるのだろう。その言葉を聞いた騎士達が何も不平を言わずに次々と剣を下げ、その言葉に従ったのだ。
ついさっきまで刃を交えて戦っていた自分達を前にして、である。
人間を極限状態にまで追いやる戦場で、これは異常だと言って良い。威令なんてレベルじゃなく、殆ど《神通力》に近いのではないのか。
(帝国が……この男に戦場で負けっぱなしなんて、当たり前じゃないか……)
戦場でこの男が率いる部隊など、帝国からすれば悪夢の軍勢でしかないだろう。この男の指示に一糸乱れず、死も恐れずに火の中でも水の中でも突っ込むに違いない。
誰もが戦功をあげ、「生きて帰ろう」としている中で、こんな死兵集団とぶつかったら瞬時に溶けるか、壊乱するしかない。
「やれやれ、アングラウスも不甲斐ない事ですね……」
その言葉に振り向くと、“千殺”と名乗った男が酷く不機嫌そうな顔で立っていた。態度と良い、顔付きと良い、最初に見た時からどうも気に食わない男だったが……。
アングラウスや戦士長、その部下達を見た後だと余計にムカムカする面だ。
「では、手負いのストロノーフは私が頂くとしましょう。蒼を切り刻みたかったのですが、今回は我慢するしかありませんね……今頃、頭領が全員をミンチにしてしまったでしょうし」
その言葉に騎士達が色めき立ち、即座に戦闘態勢に入る。
人を揶揄する言葉で「忠犬」と言う言葉があるが、ここの騎士達は全員が忠犬らしい。
こりゃ、戦わずに済んで助かったかもな……。
「八本指が、生きて帰れると思うな!」
「我らの隊長には指一本、触れさせん!」
「ふん、雑魚が何匹集まろうと、我ら六腕に勝てる筈もない。そこの戦士長殿がお分かりでは?」
確かにいけ好かない野郎だが、こいつの実力は確かだ。
それに持っているレイピアも、かなりえげつない代物である。強力な魔法効果がエンチャントされているようだし、その先端には毒でも塗っているのだろう。
魔物の巣で何度か嗅いだ事のある、毒物を持つモンスターの匂いがするのだ。
「私に唯一勝てたかも知れないストロノーフがその有様ではね。私を倒せる者はもう居ない」
「―――――ここに居るぞ!」
「おやおや、これは勇敢な蒼のお嬢さん……歓迎しますよ?」
中空から魔法詠唱者と思わしき小さな少女が姿を現す。
アルシェよりも年下に見える、まんま子供だ。
しかし、あの自信満々の態度に、悠々と飛行しているところを見ると侮れない。魔法詠唱者の姿形に惑わされては痛い目に遭う……自身が経験してきた事だ。
ましてアルシェを若いと侮り、自爆してきた連中を何度も見てきたのだから。
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――‐少し前
イビルアイはペイルライダーと名乗った魔神クラスの化物を追っていた。
その遥か上空で非実体化し、今度は気配を覚られぬように万全の状態でイビルアイを見つめているペイルライダーが居る。追っているのか、追われているのか、もうよく分からない。
(ダニどもはいつでも始末出来る……まずは、姫君をこの騒ぎから守らなければ)
ペイルライダーが優先順位を決め、一つ一つの行動をこなしていく。
集めた首領達はレイスに管理させている。今頃は地獄のような悪夢でも見ている事だろう。
御方を不快にさせるなど、当たり前ではあるが楽に死なせるつもりなどない。
先程は「緊急事態」ゆえに例外的にその場で始末したが、あのダニは実に幸運であった。
(他のダニは、如何にしてくれようか……)
殺し方なら万と浮かぶ。苦しめ方も億通りあるだろう。
だが、何よりも大事なのは《御方に喜んで貰う事》であり《御方の為に役立つ事》である。
怒りの余り、己の気持ちを優先させるなど、あってはならない事だ。
(あのダニどもを、どう始末すれば御方は一番喜ぶのか……)
当然、直接聞く訳にはいかない。
そのような下らぬ事を聞こうものなら、そんな判断すら出来ぬのかと「失望」されるであろう。
想像するだけで腹の底から震えがくる。
いずれにせよ、簡単に殺すのではなく、全てを絞り尽くしてから殺すべきだろう。
(しかし、あの姫君は……)
改めて、直接見た姫君の事を考える。
当初は真祖であると思っていたが、やはり少し違う。
真祖といえば超が付く希少種であるが、それすら超える何かを感じるのだ。言うなれば……それは王族とも言える気配であり、他とは一線を画した存在である。
(吸血種の……姫君……さしずめ、吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)といったところか)
偉大なる創造主様の后として、これ程に相応しい存在はいないであろう。他にも大切に思われている存在が居たが、自分は断然、あの姫君を推す。
実はペイルライダーの推測はあながち間違っておらず、確かに彼女は吸血姫であった。
世界でも10指に入るような超希少なタレントを持っており、その所為で彼女は人間から吸血姫となり、数奇な人生を歩む事となったのだ。その希少性もあって、彼女は平たく言えば、ペイルライダーが考える后候補的な意味での「推しメン」とも言える。
そして、そんな彼女に武器を向けようとするダニが再度、視界に入ったのだ。
(いかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっっ!)
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(魔神………!)
イビルアイが体を固くし、全員が舞い降りてきた“地獄”に身を震わせた。
酷い。酷過ぎる。
その気配が、力が、存在が、何もかもが圧倒的すぎた。
フォーサイトの面々が、まるで腰でも砕けたかのように尻餅をつく。立っていられないのだ。
騎士達は呆然とし、剣を握ったまま固まってしまった。体を動かす事も、思考する事すら出来なくなった状態であり、まさに放心状態である。
フォーサイトの面々は仕事上、危険に敏感であり、騎士達は命知らずで危機に対し鈍感だった。
が、ほんの少しのキッカケで、次は恐慌や錯乱状態に陥るだろう。
無理もない。
誰がこの地獄を前にして平静で居られると言うのか。
その“地獄”が千殺へと目を向けた。
既にその視線だけで万の人間の動きを止め、発狂させる事が出来るだろう。
「ゼロが飼っている地虫であったな―――天帝の名の下に、貴様ら八本指の誅殺を行う」
「………お、おた、お助けを……」
「―――せめてもの慈悲として、愚か者の名を聞こう」
「ま、マリュ、まる、ム………」
千殺が哀れな程に動揺し、声と体を震わせていた。
ヘッケラン達は千殺に対し、先程まではいけ好かない男だと思ってたが、こうなるといっそ哀れである。何があの化物の気に障ったのか、その視線は千殺に固定されているのだ。
「いや、だ……死にたくない!死にたくない!」
千殺が狂ったように叫んだが、それに応えてくれる部下達など誰も居なかった。
八本指のゴロツキ達は逃げる事も、立ち上がる事も出来ず、ただ視線を地面に固定させ視界に入らないように全身全霊でその身を小さくさせている。
「ひひゃぁぁぁぁぁぁッ!」
死への恐怖感に耐え切れなくなったのか、千殺が目を見張るような速度でレイピアを突き出す。
彼の持つレイピア《薔薇の棘/ローズ・ゾーン》には恐るべき魔法効果が付与されている。
一つは《肉軋み/フレッシュグラインデイング》だ。周りの肉を捻りながら中へと食い込んでいく恐ろしい力。そして《暗殺の達人/アサシネイトマスター》の効果。
傷口を開く事で、ほんの少しの傷でもより深手となる魔法の力である。
そして、レイピアの先端には致死の猛毒がべったりと塗られており、その突き技は超一級品。
突きだけならばガゼフ・ストロノーフを超え、幾つもの武技が乗った閃光の突き技は、漆黒聖典の実力者であるクレマンティーヌに近い。
―――が。
その突きを受けた巨馬は不快そうに小さな嘶きを上げただけである。
肉を抉るどころか皮一枚すら引き裂けず、圧力に耐えかねたようにレイピアが撓み、ガラスが割れるような音を立てながら粉々に砕け散った。
「死にも誇りがある―――――が、うぬのようなカスには不要よッ!」
その声に巨馬が怒り狂ったように嘶き、その足を高々と振り上げる。
そして、地を這う地虫に雷でも落とすようにして、そのまま振り下ろした―――!
ベギャン!と形容しがたい音と共に、千殺の全身が巨馬の蹄に押し潰される。気が付けば千殺という男の姿は何処にも無く、赤黒い液体と染みだけが残されていた。
「拳を振るう価値もないわ」
圧巻であった。
今も尚。
目の前で起きた事が、夢のようで。
全員の目から光が消え去っていた。
「お前は、何者だ……この国に、仇なす存在なのか……?」
ただ一人、ガゼフ・ストロノーフが静かに立ち上がり、騎兵の目を真正面から見ていた。
その体からは今も流血が続いており、顔は青く、息も荒い。
「愚かな……この世界の全ては天帝の物であり、貴様らが所有している物など一つもない。大地も、木々も、空も、星も、生きとし生ける命も、大気も、石コロに至るまで、全てが天帝の所有物なのだ。貴様らなど、尊く寛大なる慈悲をもって《たまたま》生かされているだけに過ぎん」
―――尊き、至高なる御方の慈悲に咽び泣いて感謝する事だ。
最後にそう付け加えた言葉に、全員が絶句する。
違う。
余りに違いすぎる。その思考も、スケールも、何もかもが違いすぎて理解が追いつかない。
この大陸には幾度も王や皇帝と言われる存在が誕生したが、彼らとてよもや、星や空や大気まで支配しようなどとは考えた事もないだろう。
そんな存在がいれば、間違いなく狂人である。
が、その狂人が恐るべき力を持っていれば―――それは、現実のものとして動き出すのだ。
「この国に手を出すというならば……敵わぬまでも、一剣をもって抗うまでッ!」
「ほぅ……その言や良し」
傷だらけの体を引きずり、戦士長が《六光連斬改》とも言うべき、神技を放つ―――!
6つの煌くような閃光、その全てを騎兵が受け止める。
だが、その体は微動だにせず、いささかの衝撃すらも受けていないようであった。恐るべき眼光が戦士長を見据えた時、大勢の騎士達が我に返ったように立ち上がり、一斉に声を張り上げた。
「待ってくれ、隊長!」
「俺達はいつでもあんたと共に死ねる!一人では行かせない!」
「我らもお供する!」
「総員……隊長に続けぇぇぇぇぇ!!」
「「おぉぉぉ!」」
「意思を放棄した人間は人間にあらず―――ふん、猛き者どもよ」
騎兵が小さく呟き、緩やかに手を振るう。
同時に切り裂くような轟音が周囲へ広がり、騎兵を中心にして衝撃波が発生する。
騎士達が吹き飛ばされ、飛び掛かってきた戦士長に対し、騎兵が指一本をもってその胸を突いた。瞬間、戦士長の体が錐揉みながら吹き飛ばされ、地面へと転がる。
「ガゼフ・ストロノーフ―――――男なら強くなれ。強く、な」
余りの光景にフォーサイトもゴロツキも固まったが、イビルアイがとうとう声をあげる。
幾つもの魔法を唱えているのだろう。
その体が―――途方もない大魔力で青白く光っていた。
騎兵はそれに対し、何も言わずに背を向ける。まるで眼中に入っていないような態度であり、その背中は酷く無防備であった。
「待て、何処へ行くつもりだ………ッ!」
「我が剣と拳は、女に振るうものに非ず―――――!」
「何だと……貴様、私を馬鹿にしているのか!」
「ふん、女子(おなご)なら……戦うより、男を支える事を考えるのだな」
「貴様ぁぁぁぁぁぁ!」
それだけ言うと巨馬が高々と飛び上がり、ゴロツキが集まっていた辺りに轟音と共に着地する。
巨馬の蹄によって五人余りが押し潰され、衝撃で数人の体がバラバラに千切れた。
そして、その両拳を腰に引き付け、恐るべき力を解放する。
「―――――北斗羅裂拳ッッッ!」
目にも留まらぬ数百発の拳が辺りに吹き荒れ、それに触れたゴロツキが一人残らず破裂した。
数瞬後―――周辺には血溜まりが溢れ、鎧や何処かの肉が無造作に散らばる地獄絵図が出来上がったが、それを見た騎兵は一つ頷いただけで、その姿を煙のように消した。
「くっそぉぉぉ!」
その場に残されたイビルアイが、後を追う気力を失ったように膝を突く。
誰もがその姿を見て、肩を落とした。責める者など誰も居ない。
ただ、その場を圧倒的な無力感だけが支配していた。
その後、残された八本指が次々と戦士長の部下達に捕らえられ、邸宅前は静けさを取り戻したが、そこには勝利の余韻はなく、明け方に近づいた空も未だ王国を照らせずにいた。
[ガゼフ・ストロノーフ ― 生存]
[戦士長部下 ― 怪我人多数]
[フォーサイト ― 生存]
[八本指実行部隊、増援部隊 ― 壊滅]
鼓動や花火、共有記憶の影響を受け、覇者の道を歩み続けるペイルライダーさん。
コキュートスのように煌きを放つ存在には少しだけ優しいです。
そして、次話はいよいよ、満を持してあの男が登場……!
記念すべき50話にて、動乱編の一部が収束します。
壮大な締めくくりとして、何と驚きの1万字超えでお届け。
お菓子や酒を片手に、週末のお供にでもなれば幸いです。