LTLキリスト教会とは東京都町田市玉川学園2-5-2にかつて存在したプロテスタントの教会。リバイバルが日本に起きると言い続けて玉川学園商店街から立ち退いた。
記念としてその足跡をネットの情報のみでたどる。目次
Q-CHAN牧師
Q-CHAN牧師こと朝生能雄(あそう よしお、1950年(昭和25年)11月23日 - )は東京生まれの68歳。町田市でプロテスタントのカリスマ派の牧師として活動していた。身長は180センチメートル。早朝4時に起きての散歩を日課としていた[*]。
収入
教会の献金、チャーチスクールの月謝、駐車場経営、年金などの収入で生活していた[*]。
性格
元来、能雄の性格は意地っ張りで天の邪鬼でひねていた[*]。長女の結婚式を欠席した。長男の結婚にも反対してハワイへは行かないと式への参加を拒絶した[*]。父親に仏壇を拝めと言われたが拒否した。父親に3回勘当された[*]。
主張
進化論は嘘で猿は猿だと否定した。また日本の教会よりも韓国の教会の方がホームレスの人々を助けてくれているとの見解を述べた[*]。さらに日本は韓国に心から謝罪していない。居直っていて恩着せがましいことを言っていて謝る気持ちがない。それだから韓国は許してくれないのだと主張した[*]。
2019年 | 69歳 |
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2020年 | 70歳 |
2050年 | 100歳 |
来歴
薫と千鶴子の間に二男として生まれた。子供の頃はよっちゃんと呼ばれていた[*]。2歳違いの兄と姉がいる[*]。父の朝生薫は歯科医師だった。薫は酒乱で家庭内暴力を振るい恐ろしかったと能雄は回想していた[*] 。兄で長男の博行も世田谷で歯科医院を開業していた。
世田谷区から町田市玉川学園に転居した。転校した玉川学園で小学5年生の時にいじめを受けた[*] 。玉川学園高等部を卒業し1浪後に日本大学歯学部に入学。大学ではUFO研究会に所属した。浪人中に死にたくなりガラスのコップを歯で割ったが口の中は切れなかった[*] 。過蓋咬合(かがいこうごう)で喋るとくちゃくちゃと音がした[*] 。
クリスチャンになる
真理を求めて統一協会、真光、超越瞑想(TM)などの新宗教をかじった[*] 池袋で統一教会に勧誘され「2Days」と呼ばれる二泊三日の合宿に参加した[*]。たまたま実家の向かいに越してきたバプテストの宣教師に感化され27歳の時にクリスチャンになった。フライシュマンとボーエンという二人の宣教師は松見が丘キリスト教会で聖書を読む会を立ち上げた。能雄もそこで学んだことがあった[*] 。
未信者の頃は将棋を指していた。またタバコと酒が好きで特に酒はアルコールならなんでもよかった。歯科医は細かい作業で神経を使うからという理由でアルコールに依存していた。何度も禁煙に挑んだが意思が弱く失敗した。
カリスマ派に転向
福音派に17年間属していた[*] 。クラウディオ・フレーソン(1996)の集会でフレーソン夫人の手を頭に置いてもらったところ体が軽くなり倒れた。聖霊の油注ぎだった。カリスマ派に転向した[*]。
LTLキリスト教会
LTLキリスト教会ことLOVE THE LORD CHRIST CHURCHを2002年に創立した。町田牧師会にはカリスマ派の活動を嫌がる人がいるので加入しなかった[*] 。その代わりに東京リバイバルやミラクルクルセード実行委員会などで総務(雑用)を引き受けていた。講壇の下に灯油ポリかんを保管していた[*]。
教会を移転
2018年11月30日に東京都町田市玉川学園8丁目7番7号玉川学園ガーデンハウスB棟107号室に移転した[*]。引っ越しする気は一切なかった。能雄の意思ではなく神の導きだった[*]。移転後に以前の教会の建物に帰ったが汚くて入りたくなくなった。ボロ屋敷のようだった[*]。
牧師を名乗る
1991年から2000年まで歯科医師兼牧師だった[*] 。牧師養成機関を経ずに按手礼をガーナで受けた[*] 。ガーナで300円で購入した十字架のネックレスを身につけていた[*] 。元信者から「アフリカ旅行での按手礼など人にも神にも認められない。牧師としての知識と人格がどのように理解され按手礼を受けるに至ったのか」と疑問視された[*] 。2000年に父親が亡くなったことで土地を相続し歯科医院を廃業した。
人物
アッセンブリー京都教会の村上密牧師から「偽予言を拡散した」と非難される
2010年 12月 06日
にせ預言
町田市にある単立・LTLキリスト教会の朝生能雄牧師は、11月28日に日本に大リバイバルが起きると預言しました。また、28日から3日間、巨大津波が日本を襲う。日本の全ての火山が噴火する。日本列島が真っ二つに割れる。その他実現しなかった預言がたくさんインターネット放送を通じて流されました。この偽りの預言を信じた人々の中には深刻な問題が起きています。預言が起きなかったことについては、自分もアフリカの預言者たちにだまされたといっていますが、ご自分が人々をだましたことに対して責任を取ろうとはしていません。
2010年9月から2010年11月にかけ謎のグループから大量の預言を受け取った。毎日アフリカの牧師団から送られてくるという預言を朗読するようになった。同時期に天然ちゃんという人物が現れ偽預言を信じた能雄を支えた。2010年11月27日に謝罪放送と題して放送した。しかし自分も被害者なのだと強調した。
名前の由来
Q-CHANという名はアマチュア無線でかつて自身のコールサインであったJA1OOQから取っていた[*] 。中学生の時にアマチュア無線の資格を取得した。2006年9月15日にインターネット伝道を始めた[*] 。
父親の葬儀を欠席
薫は85年間も主を知らずに生きてきたが死を前にして心が変わった[*] 。介護をしていた能雄は心臓と腎臓が悪く危険な状態であった薫の布団の上下動を見て生死を確認していた[*] 。2000年5月19日にイエス・キリストを信じる信仰を持った。その5日前に能雄は実家の神棚と仏壇を捨てていた。仏式の父親の葬儀は欠席した。
母親の葬儀を欠席
1999年11月30日に母親の千鶴子が召天した。75歳だった。亡くなる8年前に洗礼を受けた。千鶴子はアルツハイマーを患ったあとにクリスチャンになった[*] 。その人生は苦しみの人生だった。12月4日に喪主で長男の博行が仏式で葬儀をしたので参加しなかった。クリスチャンとしての大きなチャレンジのひとつだった。非難と迫害と闇の圧力があった[*] 。
結婚
5歳年下[*] で8月18日生まれ[*] の妻の裕子(ゆうこ)とグアム行きの船上で出会[*] 27歳の時に出雲大社の分祠で結婚式をした[*] 。結婚後に大阪から東京に来た裕子は自殺未遂を繰り返した。未信者の裕子は日曜日に能雄が子供と礼拝に行くことに抵抗していたが6年後に信仰を持ち洗礼を受けた。その日に教会で2度目の結婚式をした能雄と裕子だったがクリスチャンホームになった後も夫婦喧嘩は絶えなかった。能雄はそのような家庭に失望していたのだが1996年のクラウディオ・フレーソンの集会で油注ぎがあり裕子の腰痛が治った。聖霊の火がつき毎朝毎晩、共に祈り聖書の話をして夫婦関係は回復した[*] 。
子供
裕子との間に三男六女をもうけた。長男は元RADWIMPSの朝生恵(あそう けい)。能雄は別の女性との最初の子供を中絶した[*]。 クリスチャンになってから中絶の罪の大きさに気がついた。プロライフ(中絶反対派)の活動に加わるようになった。長女はチャーチスクールに入れた。公立学校は君が代斉唱や日の丸掲揚などの偶像崇拝をさせる。そういうわけで9人とも学校教育を受けさせなかった[*] 。姪がムスリムと結婚してイスラム教に入信した[*]。セルフイメージ
能雄は非常に高いセルフイメージを持っている。能雄によるとセルフイメージが低いとやる気が起きない。生きることの喜びはセルフイメージがまず高くなければならない。しかしセルフイメージは自分で高くすると傲慢になる。イエスを認めることでイエスに認めてもらい神の子になったと信じる。そうして本当のセルフイメージを高めることができるとした[*]。
Wikipedia
2009年にWikipediaで朝生能雄の記事が作られた。しかし百科事典にふさわしい特筆性がないと削除された。能雄の記事を編集した人物は「このウイキベディアでもしつこい改ざんするものがおり、毎日のように書き換えている。アンチカリスマ派のようで、憎しみを持っている犯行である。霊の闘いとはこのようなものであり、リアルの世界の縮図のようなものがネット上でもある」という記述を行った。しかしウィキペディアは戦いの場ではないとたしなめられた[*]。
出典として見つかったのはクリスチャン新聞の記事のみであった。以下に引用する。
「電話は電話代がかかりますが、IPフォン、スカイプ、メッセンジャー(リアルタイムにチャットができるツール)などは何時間話しても無料です。相談の電話を頂いても、すぐ1、2時間は経ってしまうものです。ケイタイからかけてきた場合などは、特にカウンセリングの場合、1回では終わりませんから、回数をかさねるうちにかなりの額になってしまいます。その点で、スカイプなどであれば、金額を気にせずゆっくり話をすることができます」と朝生牧師は語る。
2007年01月28日号: ◎長時間の相談もネット電話で無料通話--LTLキリスト教会・朝生能雄牧師
伝道
2000年からフルタイムの牧師として伝道を開始した。2001年に JESUS SCHOOL を開校した。2006年9月15日からインターネット伝道も始めた。最初は50人しか入れないヤフチャのユーザールームで伝道をしていた。朝晩のライブ配信に加えて集会やデモの中継もしていた。
交通違反
車載配信中に信号機の表示が赤色の灯火にもかかわらず能雄の車両は停止位置を越えて進行した[*]。また以前に何度か給油している車両の給油口を開くのに5分を要した[*]。5,000円で購入したカブに高校2年生の時から乗っていた[*]。カブで転倒し同乗者のいとこに怪我をさせたので乗るのをやめた[*]
無料相談
近年は若い信者の獲得を狙ってふわっちやツイキャスなどのライブ配信サイトにも進出した。信者獲得の方法の一つは「自分自身の考えで物事を考えないでください」などと話し巧みにSkypeによる無料相談に誘導するものだ[*]。能雄によるとイエスの教えを説いているだけであって放送は勧誘目的ではないのだという[*]。
日付 | 場所 | イベント | メモ |
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2018/04/28 | 幕張メッセ国際展示場 | ニコニコ超会議2018 | コスプレ |
2018/04/30 | すみだ生涯学習センター | Pre Jesus Reigns | 重枝覚子 |
2018/05/04 | New Covenant Church - Baun | 11th pastors conference Batangas | Robert Clancy |
2018/06/14 | 新宿シャローム教会 | トランスフォーメーションセミナー | 潘劉玉霞 |
2018/06/18 | なかのZERO | デービッド・テーラー2018 決起集会 | 愛多妥直喜 |
2018/07/14 | なかのZERO | Amir Tsarfati Teaching in Japan 2018 | Amir Tsarfati |
2018/07/16 | カトリック築地教会 | March for Life Japan 2018 | デモ行進 |
2018/07/27 | 玉川学園商店街 | 第44回 玉川夏まつり2018 | 2日目は中止 |
2018/08/15 | ティアラこうとう | Jesus Reigns Japan | Gina Osmena |
2018/08/16 | なかのZERO | デービッド・テーラー2018 | George Scott |
2018/09/16 | キリスト品川教会 | ペンテコステ・アジア・宣教会議 | Asa Kain |
2018/10/04 | 東京のどこか | i2 Ministries | Joshua Lingel |
2018/10/23 | 千葉イエス中心教会 | イチョソク集会 | イチョソク |
奇跡
1人ではあるが死人を蘇らせた経験がある[*]。また能生は信仰によって腰痛、首の痛み、低血圧、花粉症が治った[*]。難病の人間には悪霊を追い出す必要があり追い出せば治ると断言した[*]。
能雄の参加する集会では決まって聖霊の油注ぎで人がバタバタと倒れた。しかし集会の参加者で元信者のルイスによると単に押されて倒れているだけだという[*]。
デービッド・テーラー
テーラーは1972年に米テネシー州メンフィスに生まれた。麻薬中毒に苦しんでいた17歳の時にイエスによって救われた。19歳から伝道者としての働きを始めた。それから1000回近く夢にイエスが現れた。2000年にはイエスによって天国に連れていかれて神に紹介された。その時に神はイエスがこれから彼の行う集会に訪れると言った。それ以降はテーラーのあらゆる集会にイエスが現れるようになった。
『イエス様の御顔を仰ぐ』(デービッド・E・テーラー著)は韓国でも出版された。この本を読んだというだけの50,000人以上の人々の所にイエスが現れた。2015年8月の日本で行われた集会の2日目にイエスがテーラーの部屋に歩いて入ってきた。日本のリバイバルは御顔を仰ぐことにかかっていると話した[*]。
2013年の「5年たったら南北統一が始まるだろう」という預言が成就した[*]。愛多妥直喜
アタンダ・ナオキはテーラー集会の実行委員長で横浜市にあるフェイス&ビクトリー国際教会の牧師。ナイジェリア出身で1990年に文化交換留学生として初来日。1991年に東京農工大学大学院に入学した。玉川学園前駅近くの横浜市に住んでいた。理由は役所での手続きを教会と一括でできるためだった[*]。
2014年に米国へ飛び2015年のデービッド・テーラーの来日を決めた。2015年から毎年デービッド・テーラーは来日していた。しかし2018年は土壇場でキャンセルされた。年を追うごとに集会への参加者が減っていた。デービッド・テーラーの代役にジョージ・スコットという預言者を呼んだ。ジョージ・スコットは10年以内に日本の人口の80%がクリスチャンになるとの大リバイバルを預言して帰国した。
再臨
イエス・キリストの再臨までの世界について信者のだよんがまとめているので引用する。世界がどんどん悪くなる。
ダマスカスが廃墟になる。
エゼキエル戦争が起こる。(ロシアがイスラエルに侵攻する。)
神の力で何とか阻止する。
第三神殿建設。
人間の罪の故に日本に災害が多発して人間の無力さを悟り神にすがるようになり日本のリバイバル(キリスト教信者の爆発的増加)が起こる。
それと連鎖してイスラエルもイエス様を受け入れるようになる。
世界全体が神によって祝福される。
イエス様の再臨。イエス様が空から降りてくる。
クリスチャンが空中携挙される。クリスチャンは天国に行く。
その後、艱難期が7年間訪れ世界は酷い状態になる。
7年後、サタンは地獄に縛られイエス様とクリスチャンは地上に戻ってきて1000年王国が始まる。
1000年後にサタンが復活し戦いが起こる。
サタンは再び縛られ永遠に地獄に行く。
クリスチャンは天国に行き永遠に天国で暮らす。
大体こんな予定が聖書に預言されています。
教会
小田急線玉川学園前駅北口徒歩5分という好立地にありながら信者数は横ばいで10人を超えることはなかった。大半は2年もたずに去っていった。
流し台を残して歯科医院の設備を取り払った会堂は牧師の書斎を兼ねていた。エアコンは故障していたが修理をせずにハイアール製の窓用エアコンを使用していた。講壇の十字架は2012年4月にペンテコステ系の特徴である赤色に塗り替えた。
賛美中に飛び跳ね絶叫する信者もいた。それが油注ぎからくるものか疑問だった能雄はカホンを担当させることにした。これに反発して過激なパフォーマンスをしていた信者は礼拝に参加しなくなった。能雄は「その信者を好きで批判したわけではなかったがそれを理解してくれることはないだろう。それが人間の性で自我執着がある限り人と人とが理解し合うことはない」と話したという[*] 。
2017年後半は牧師単独の主日礼拝になりそうな気配だったがスクーターで横浜から参加するだよんがいたおかげで難を逃れた。
教会での洗礼は滴礼だが希望すれば川で浸礼も受けられた。イエスを信じたと偽って洗礼を受けるよっさんや 野田草履などをはじめ愉快犯的な者が大勢いた。
ペルー人のルイスには洗礼を授けた直後に火のバプテスマを受けた能雄が異言で祈り悪霊追い出しをした[*] 。ルイスには古くからの教会員の麗子という女性がいた。麗子は以前からカリスマ派はおかしいと疑問視していた。能雄はルイスが信仰に熱心になるのを待っていた。そうしてタイミングを見計らって信仰の一致がないと理不尽に交際を禁じた。このようなやり方は汚いと能雄は麗子から非難された[*] 。能雄の妻はカリスマ派ではない。
2018年は教会を移転した。老朽化が激しいことと広い場所が欲しいという理由だった。能雄は新しい会堂には30人は入れると誇った[*]。さらに広い場所に移りたいとも話した[*]。
姉妹教会にTokyo International Christian Fellowship (TICF)とJesus New Covenant International Ministry (JNCIM)がある[*] 。
チャーチスクール
2001年に「JESUS SCHOOL」を開校した。能雄自身は伝道者の養成機関で学んだことはなかったが創造論に基づいた教育をしていた。聖書を徹底的に教え人格教育を目指すことを理念に掲げていた。2018年には1人だった生徒が3人に増えた[*]。チャーチスクールの卒業生の中には海外の宣教師の訓練学校に入学した生徒もいた[*]。千葉から通う子供もいたが学生割引は適用されなかった[*]。能雄は38歳から独学で英語を習得した。
2004年に登校拒否で能雄のジーザスクールに通うことにした中学生がいた。その生徒が残したメモを引用する。
あたしは大阪から東京に引っ越してきた。初めは、はっきり言ってうんざり。あたしの家は転勤族で、これまでも何回も引越ししてきた。これで、5回目の引越し。いい加減、慣れている。東京に引っ越してきた時は、中学1年生になる時だった。丁度、中学の入学式の時だった。周りには、誰も知り合いはいないし、知ってる場所なんてひとつも無い。東京に来ること自体、うんざり。いや、それ以前にこの家に生まれたことがうんざりだった。入学式は、全く記憶に残らないものとなった。覚えているのは、あたしの読んでいる本に興味を持って、うっとうしく聞いてくる女子だけだった。
あたしの家族は、クリスチャン。いや、正確には両親と兄がクリスチャンだった。弟とあたしは、まだ洗礼を受けていなかった。当時、受ける気は全く無かった。教会に行くのもうんざり、東京で暮らすのもうんざり。どうにでもなれ、という心情だった。母や父の知り合いの教会は遠かった。車で40分はかかった。はっきり言うと、朝っぱらから車に乗って、40分も走るのは、旅行の時だけで結構だ。それもまたうんざり。
それから、約半年ぐらいになって、教会を変えることにした。家の近くの教会になった。変える必要性がどこにあるのか。そう思いながらも、遠いし、ガソリン代がかかるからだろうと思った。
新しく来た教会は、はっきり言って新鮮な教会だった。色々と、あたし達の知らないことをやっていたり、牧師先生の話が一番強烈だった。ジョークと、神様の話を織り交ぜて話す牧師先生は初めてだった。でも、退屈で、説教しまくりの話よりは、楽しく、気軽に聞けたような気がする。
それから、だんだんと信仰が芽生えてきたような気がする。やっと、芽を出し始めた。そんな感じだった。でも、まだ洗礼という心境ではなかった。どちらかといえば、このまま教会にも適度に通って、好きなように生きようかな。そういう感じだった。
しかし、神様はあたしを選んでくれた。あたしは、中学2年生の時、精神的苦痛で、学校に行かなくなった。簡単に説明するならば、「登校拒否」だろうと思う。それから、母はあたしのために色々と学校を探してくれて、チャーチスクールと出会った。最初、行く気は全く無かった。なぜなら、もうこのまま死んでしまおうか。そんなことを考えたりしていたからである。しかし、勝手に自殺して、両親を悲しませたり、心に傷を負わせたりするのは、いやだった。とにかく、一回チャーチスクールの校長先生に会いに行った。
はっきり言って、あんまり気が進まなかった。しかし、これ以外の道だと、公立の学校が用意した、登校拒否時専門の学校に行く道があった。それだけはいやだった。心の中で、学校は嫌がっていたのだった。仕方なくというか、ためしにチャーチスクールに行くことになった。はっきり言って、なんだか使命感を感じた。あなたはこうしなきゃいけない。こうならなきゃいけない。そう言われているようだった。しかし、だんだんと話を聞けば聞くほど、神様が見えてきた。今まで、闇の中で閉じていた心の目が、光の中に照らされ目を開けれるようになった。だんだんと、神様はあたしを愛してくださる。あたしを選んでくださったんだ!そう思えるようになった。そして、夏休みに入る前あたりに、洗礼を受けたいと思うようになった。しかし、自分が気まぐれだから、すぐにいやになって、受けたことを後悔するんじゃないか?教会に行きたくなくなるんじゃないか?とか思ってしまう。しかし、チャーチスクールの校長先生が背中を押してくれた。
「洗礼はスタートだから、信じているなら受けるべきだよ」
その言葉で、あたしは受けようと、やっと決心がついた。
振り返ってみれば、神様は最初から、あたしにこの苦難と、困難を用意して、乗り越えられるように、母と父の子供をあたしにしたのだろうと思う。きっと、あたしの父と母が、厳しい人だったら、どうなっていたのやら。あたしの父と母だからこそ、今のあたしがあって、ここにいるのだろうと思える。神様は、こんな小さな人間のために、わざわざこんな道を用意してくれていた。本当に、神様はあたしのことを愛してくれていると、再度実感した。苦しみの時は、神様を恨んだり、憎んだり、また、神様に歯向かったりもした。しかし、神様はあたしを救ってくれて、こんな素敵な生活を与えてくれた。神様とは、本当にすべてを支配していて、素晴らしい方なのだと、やっと理解した。
平成16年9月5日に、川で洗礼を受けた。冷たかったし、他の人もいたので、慌てたり、ゆっくりしていられることはあんまり無かった。しかし、家に帰って、ゆっくりしている時、ああ、あたしは洗礼を受けたんだ。そう実感した。遅い実感だったが、嬉しくて、すごくワクワクしていた。
これからは、一緒に神様と歩んで生きたいと、本気で思った。
また、大阪に引っ越すけど、ここに来てあたしは大きなものを得られた。
東京は、あたしを洗礼に受けさせるための、場所だったのかもしれないと思った。