【芸能・社会】赤木春恵さん通夜に700人 “孫”えなり涙「すごく寂しい」2018年12月4日 紙面から
心不全のため先月29日に94歳で亡くなった女優赤木春恵さんの通夜が3日、東京・杉並区の築地本願寺和田堀廟所で営まれ、親しかった女優の大空眞弓(78)、音無美紀子(68)、えなりかずき(34)ら約700人が参列。女優として70年余り、舞台、映画、ドラマをフィールドに人間味あふれる演技で多くの人を魅了した名優の死を悼んだ。 午後6時。温かな人柄で親しまれた、赤木さんのやさしい笑顔の遺影が参列者を迎えた。87歳のころに撮影された赤木さんのお気に入りのポートレートだった。 赤木さんが大好きだったトルコキキョウなどで飾られた祭壇には、1993年の紫綬褒章や98年の勲四等宝冠章、森繁久彌さんと共演した1990年の舞台「佐渡島他吉の生涯」や御園座で上演された里見浩太朗(82)との舞台「美男の顔役」のスチールなど、ゆかりの品々が供えられた。 花々に囲まれた棺は、先輩の片岡千恵蔵さんや森繁さん、親友だった森光子さんから贈られた楽屋のれんで包まれた。長い焼香の列が続く中、会場にはTBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」「3年B組金八先生」、NHK連続テレビ小説「おしん」など、代表作のテーマ曲や主題歌が流れた。 5歳から出演した「渡る世間--」で泉ピン子の息子、赤木さんの孫役を演じたえなりは「小さいときから守っていただきました。いじわるな役とは真逆な人で、誰のことも悪く言わない人だった。だれにもやさしかった。すごく寂しいです。もうお話しできなくて悔しい」と“おばあちゃん”との別れに大粒の涙を流した。涙で言葉を詰まらせるえなりを横に、“渡鬼ファミリー”のひとり、大和田獏(68)は「えなり君は仕事仲間というよりも本当の家族だから。寂しいんだと思う」と気遣った。 戒名は圓優院釋尼春慧(えんゆういんしゃくにしゅんえ)。故人の穏やかで優しい人柄をしのんでつけられたものだった。告別式は4日午後1時から同所で。 <葬儀委員長の石井ふく子さん(92)の話> この業界でママって言っていたのは赤木のママだけ。60年近く前に森光子さんに紹介されたときに思わず「ママ」って言っちゃったら「ハイ」って応えてくれたんです。お顔を拝見したが、ふだんと同じ優しいお顔でした。最後に会ったのは1年以上前。まさか別れるとは思っていなかったから、あまり話さなかった。本当に優しくみんなを支えてくれる人。現場にママがいるか、いないかで何かが違っていましたね。 ◆参列者悼む声<武田鉄矢(69)の話> 「3年B組金八先生」での赤木ママのほめ言葉は力になりましたね。アノ顔で「上手ね~」って。のどかな感じで正真正銘のほめ言葉がうれしくてね。で、自分の至らなさもあっけらかんという人でね。若いときに出会えたのは生涯の宝物ですね。かわいがっていただきありがとうございましたと、声をかけました。もう、本当にお別れなんですね。 <藤田朋子(53)の話> いつも笑ってらっしゃって、キリキリした表情を一度も見たことがありませんでした。そこにいらっしゃるだけで、みんなが集まってくるような方でした。 <沢田亜矢子(69)の話> 楽しいことしか思い出せません。いつも変わらぬやさしさで、芸や人生においても、いろいろなことをお勉強させていただました。大きな支えでした。大きなバックボーンを無くなったようで悲しいです。 <杉田かおる(54)の話> 「3年B組金八先生」で14歳で妊娠する役をやったとき、赤木さんが「私は16歳から女優をやっているけど、あなたは15歳で大役をやれて幸せよ」って。どんな球を打っても投げても受けとめてくれる素晴らしい女優さんでした。歴史に残る作品でご一緒できて良かった。改めていまも私の原点だった気がします。 ◆主な参列者萬田久子、村井国夫、音無美紀子、藤田朋子、桑山哲也、中田喜子、大和田獏、杉田かおる、名取裕子、大空眞弓、川崎麻世、コロッケ、松本明子、桜町弘子、岡本信人、えなりかずき、樫山文枝、綿引勝彦、榊原郁恵、沢田雅美、長谷川哲夫、直江喜一、鶴見辰吾、武田鉄矢、沢田亜矢子、榎木孝明、中村雅俊、コシノジュンコ、薬丸裕英、浜木綿子(敬称略、順不同)
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