ザ・ドキュメウタリー

トゥパックシャクールのシャツを着て葉巻を吸うメウビッシュ

メウビッシュの存在の凄さは境界線にいる生物学的には完全に弱者な存在が生物学的には強者たちの音楽なり思想に興味をもってアンバランスな自己像を表現する姿を晒したところだと思う。

そういう弱者の中で初めて不特定多数の人目にふれたのが彼だったからであり、ヒップホップは社会的な弱者の表現手段ではあるけどメウビッシュは自分の弱さを自覚しつつも抜け出せない。

なけなしのヒップホップファッション、強い自己像、理想の自己像の演出、本人なりの自己改革。

こんな凄いものをみれるなんてまさにネットのある時代だからこそだと思うし正直、本人が報われることはないが他人にとっては最高のエンターテイメントだと思う。

彼の行動を一般のモノサシで叩く人がいるがわかってない。

これはひとりのライマーが自分の理想に生きようとする姿をみることができるという大げさでもネタでもなく歴史的な記録だと思う。

知恵遅れの本気と世間の解釈のズレが彼の美しさであり、このような出来事はネットの一過性の記録に留めてはいけない。

弱者が表現するヒップホップ、という、希少な存在なのだから。

本来淘汰されるはずの弱者が注目を集めた、という奇跡が起きて、注目を集めている間にすべてをぶちまけようとする弱者の悲痛な感情を顔を歪ませて本気でぶつけてるから支離滅裂なのに脳裏に刻まれるしクセになる。

インターネットの発展と文化がもたらした奇跡だと思う本当に。

人間社会の隅に追いやられてる存在であることが彼のアートの視覚的、音楽的な最大の特徴になっていると思う。

ズレた彼が常識通りにやろうとした結果、その他と大きくズレて生まれた偶然の産物で、彼が常識にとらわれない自由な発想の持ち主というわけではない。

深い意味はないんだ、メウビッシュの行動に。

ただ、彼の中の男の理想像が1996年くらいのウエストコーストでそれを彼なりに追いかけているだけだから。

ただ、ズレまくって空回りしてる姿が面白い。

ノリアキと同列で語る人がいるけど、彼はイロモノという集合には含まれるけど別物だよ。

メウビッシュ本人自身はイロモノじゃなく正統派、極めて王道なラップスターを追いかけていた。

こんな貴重な動きを忘れちゃいけないと俺は思う。

だいたいは弱者が勇気をだして自分を変えようとしても挫折の数が増えるだけなのだ。

彼はもがく。

しかし変われない。

それでも自分を変えようとバンダナを巻き、生きる記録。

ある意味では今、どの存在よりもオリジナルなのではないか。