2016年8月の始めの日曜日、私と哲学青年で岡本太郎美術館に行った。哲学青年の衣服は暑い日なのに黒いスーツ姿、私は白い麻のブラウスに白いズボンだった。岡本太郎美術館は駅から歩くと大分距離がある。でも私と哲学青年は美術論の討論に夢中になって長い道を歩いた。上野公園での道ではみんなにジロジロ見られたが、岡本太郎美術館は郊外なので人目を気にすることはなかった。

 

 岡本太郎美術館でのデートの哲学青年はいつもと違った。いつもは緊張しているのに、ここでの哲学青年はまるで天真爛漫な10歳の子どもだった。大はしゃぎで、私は生成りの日傘から見守っていた。美術館の前にあるレストランでは普段少食な哲学青年がパクパク食欲旺盛に食べる。私はデートのせいもあって軽くジュースくらいしか喉に通らない。ジュースを飲んでから薬を飲んだ。私が薬を飲むと哲学青年は途端に黙る。

 

 食事をしてから岡本太郎美術館に入館した。館内は貸し切り状態だった。哲学青年は岡本太郎美術館のこの絵を見つめる。

 

 

  私はこの絵が怖くて一刻でもその場から離れたかった。哲学青年は何分でも見つめる。なんでもこの絵の少女の気持ちがわかるという。ちなみの哲学青年はいつも黒いスーツ姿だ。同じものを何着も持っていて真夏でも涼し気に着こなしている。哲学青年曰く、この黒いスーツは言わば鎧兜と同じだという。哲学青年は背はやや高く、細い身体だ。哲学青年は線の細い繊細な男性に見える。私は彼がキレイだと思うが、哲学青年にとってコンプレックスだそうだ。女装させられそうになった過去があるしね。

 

 岡本太郎美術館は貸し切り状態、哲学青年と岡本太郎の美術を思いっきり語った。作品ですわりにくい椅子にも座った。

 

 上野と違って人がいないのでしゃべりまくって意気投合した。帰りの道でも哲学青年は子どものようにはしゃぎながら歩いていた。ああ、哲学青年はいつもは緊張していたんだなとわかった。哲学青年は私に言葉という言葉を語る。帰りの電車に乗り、私たちの家の駅に着いた。私は彼をもっと知りたかった。知りたいのと好きはセットになっているのか?私は彼の住まいのアパートに行きたいといった。哲学青年は焦っていた。私は自分は何を望んでいたか知っていた。