2017年04月25日 08:29
”悲劇の玉砕部隊”が事件を起こした?
カテゴリ:プロローグ
馬山虐殺事件でキーワードとなるのは1938年3月、太湖、日本軍。
私が気になった部隊誌の記述も、1938年3月、太湖、日本軍とかかわりがあります。
偶然にしては、両者とも時期と場所が近い。
ちなみにその時図書館で見つけたのが「歩兵第十八聯隊第八中隊誌」。
歩兵第十八連隊第八中隊史―日中事変および太平洋戦争における (1978年)/歩一八・八中会隊史刊行委員会
この本は非売品であり、戦友会内でしか配本していないらしく、「日本の古本屋」でもなかなか出品されません。
私も調査をはじめて8年後にやっと購入できました。
税抜き1万7千円…高かった。
でも調査のためだから後悔していない。
さて同書によると、昭和13年3月5日、中隊長から次のような行動概要を聞いたとのことです。
「聯隊主力(第一大隊、二個中隊、第二大隊は八中隊欠、第三大隊その他は如何)は、明六日出発し、無錫に至り、さらに太湖を船で南進して南岸の湖州付近に上陸し、敵の敗残兵を討伐、掃討しつつ、二十四日までに南京に到着する予定である。」
さらに3月17日には次のような記述があります。
情報
(中略)
②第三大隊も、無錫を出て船により太湖を南岸に進航中、海賊の巣窟とされる島を掃蕩にかかると、海賊の大反撃に会い、下士官、兵十二名戦死傷者を出した模様である、と。
3月17日にある「島」とは馬山のことではないか…?
でも事件のあった日は3月12日とされているし、別の島かもしれない可能性が残っていました。
時間はかかりましたが、ここで私ははじめて、自分の手で事実を掘り起こしてみようと決意しました。
でも、聯隊って何だ?大隊って何だ?中隊って何だろう…?
いろいろ戦記は読んでいましたが、当時の私の知識はこの程度でした。
まさにゼロからの出発でした。
私が気になった部隊誌の記述も、1938年3月、太湖、日本軍とかかわりがあります。
偶然にしては、両者とも時期と場所が近い。
ちなみにその時図書館で見つけたのが「歩兵第十八聯隊第八中隊誌」。
歩兵第十八連隊第八中隊史―日中事変および太平洋戦争における (1978年)/歩一八・八中会隊史刊行委員会
この本は非売品であり、戦友会内でしか配本していないらしく、「日本の古本屋」でもなかなか出品されません。
私も調査をはじめて8年後にやっと購入できました。
税抜き1万7千円…高かった。
でも調査のためだから後悔していない。
さて同書によると、昭和13年3月5日、中隊長から次のような行動概要を聞いたとのことです。
「聯隊主力(第一大隊、二個中隊、第二大隊は八中隊欠、第三大隊その他は如何)は、明六日出発し、無錫に至り、さらに太湖を船で南進して南岸の湖州付近に上陸し、敵の敗残兵を討伐、掃討しつつ、二十四日までに南京に到着する予定である。」
さらに3月17日には次のような記述があります。
情報
(中略)
②第三大隊も、無錫を出て船により太湖を南岸に進航中、海賊の巣窟とされる島を掃蕩にかかると、海賊の大反撃に会い、下士官、兵十二名戦死傷者を出した模様である、と。
3月17日にある「島」とは馬山のことではないか…?
でも事件のあった日は3月12日とされているし、別の島かもしれない可能性が残っていました。
時間はかかりましたが、ここで私ははじめて、自分の手で事実を掘り起こしてみようと決意しました。
でも、聯隊って何だ?大隊って何だ?中隊って何だろう…?
いろいろ戦記は読んでいましたが、当時の私の知識はこの程度でした。
まさにゼロからの出発でした。
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2017年04月25日 08:26
前触れもなく事件の証拠発見??
私は、旧日本軍のいわゆる「戦争犯罪」に関心を持っていました。
たとえば南京事件
南京よりはるか前にあった旅順虐殺事件
村人が一夜で皆殺しにされた平頂山事件
毒ガス攻撃で村が壊滅的被害を被った北坦事件
こうした本を仕事の合間によく読んでいました。
自分もこういうことに興味はあるけれどやれる事件は残されていないし、有名な先生方が多くいるから、入る隙間もないだろうと思い込んでいました。
なにしろ、世間からは「低賃金で辛い以外取り柄の無い」と思われている仕事をしていたため、日常の生活は自分のことで精いっぱい。
だから、小野賢二さんや松岡環さんみたいに身を削ってやろうなんて気持ちは、限りなくゼロでした。
でも、仕事のない休日は愛知県内の図書館にいって、軍事関連の本、特に郷土コーナーには、かなり充実していたので読み漁っていました。
しばらくして、ある部隊誌に気になる記述を見つけました。
それによると、郷土の部隊が1938年3月より太湖付近の掃討に出発した、ということが書かれていました。
1938年3月、太湖、日本陸軍…
この3個のキーワードは、なぜか私の頭にずっと残りました。
でもなんでこんなに気になるんだか?と考えると全然心当たりがありません。
それから1ヶ月後位たったころかと思うのですが、再び「南京への道」を読み、これらのキーワードと馬山虐殺事件の内容に、いくつか共通点があることに気づきました。
たとえば南京事件
南京よりはるか前にあった旅順虐殺事件
村人が一夜で皆殺しにされた平頂山事件
毒ガス攻撃で村が壊滅的被害を被った北坦事件
こうした本を仕事の合間によく読んでいました。
自分もこういうことに興味はあるけれどやれる事件は残されていないし、有名な先生方が多くいるから、入る隙間もないだろうと思い込んでいました。
なにしろ、世間からは「低賃金で辛い以外取り柄の無い」と思われている仕事をしていたため、日常の生活は自分のことで精いっぱい。
だから、小野賢二さんや松岡環さんみたいに身を削ってやろうなんて気持ちは、限りなくゼロでした。
でも、仕事のない休日は愛知県内の図書館にいって、軍事関連の本、特に郷土コーナーには、かなり充実していたので読み漁っていました。
しばらくして、ある部隊誌に気になる記述を見つけました。
それによると、郷土の部隊が1938年3月より太湖付近の掃討に出発した、ということが書かれていました。
1938年3月、太湖、日本陸軍…
この3個のキーワードは、なぜか私の頭にずっと残りました。
でもなんでこんなに気になるんだか?と考えると全然心当たりがありません。
それから1ヶ月後位たったころかと思うのですが、再び「南京への道」を読み、これらのキーワードと馬山虐殺事件の内容に、いくつか共通点があることに気づきました。
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2017年04月25日 08:24
南京事件以外にも虐殺事件があった?
2006年1月初旬、私は仕事の事情により、愛知県に引っ越しました。
愛知県に知り合いがいるわけでもないので、あちこち歩き回っていたところ、ある古本屋で一冊の本と出合います。
南京への道 (朝日文庫)/朝日新聞社
この本の354~355ページに南京事件以後に起きた大規模な虐殺事件の記述があります。
長文ですが引用します。
その大規模な実例は、太湖の島の一つ「馬山」での住民虐殺である。
南京では死体処理が行われていた三月十二日(旧暦二月十一日)、この島の山頂にいた中国国民党軍に食糧補給などして協力していた島民は、中国軍の撤退後に日本軍の包囲を受け、三光作戦(殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす)の復讐を受けた。
無錫市からの避難民や他村の漁民なども含めて約1500人が殺されたが、そのうち純粋の島民は999人であった。
総人口約四千人の四分の一が殺されたことになる。
後の四分の三は、山などに逃げて見つからなかったからだが、見つかったものは赤ん坊であれ老人であれすべて虐殺された。
一家全滅が八十余世帯。焼失三千余間。
初めて読んだ時は、そんなこともあったんだと思っただけで、自分で事実を調べようという気持ちはほとんどありませんでした。
愛知県に知り合いがいるわけでもないので、あちこち歩き回っていたところ、ある古本屋で一冊の本と出合います。
南京への道 (朝日文庫)/朝日新聞社
この本の354~355ページに南京事件以後に起きた大規模な虐殺事件の記述があります。
長文ですが引用します。
その大規模な実例は、太湖の島の一つ「馬山」での住民虐殺である。
南京では死体処理が行われていた三月十二日(旧暦二月十一日)、この島の山頂にいた中国国民党軍に食糧補給などして協力していた島民は、中国軍の撤退後に日本軍の包囲を受け、三光作戦(殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす)の復讐を受けた。
無錫市からの避難民や他村の漁民なども含めて約1500人が殺されたが、そのうち純粋の島民は999人であった。
総人口約四千人の四分の一が殺されたことになる。
後の四分の三は、山などに逃げて見つからなかったからだが、見つかったものは赤ん坊であれ老人であれすべて虐殺された。
一家全滅が八十余世帯。焼失三千余間。
初めて読んだ時は、そんなこともあったんだと思っただけで、自分で事実を調べようという気持ちはほとんどありませんでした。
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2017年04月25日 08:21
馬山虐殺事件とは?
旧日本陸軍の戦争犯罪といえば?
と聞かれて南京事件(南京大虐殺)を思い浮かべる人は多いと思います。
単なる偶然ですが、この記事を書いている今日は、奇しくも南京城が日本軍の攻撃により陥落し、いわゆる「南京事件」が発生した日でもあります。
日本軍は南京事件ほどの規模には届きませんが、類似した事件を各地で起こしています。
日本軍の攻撃によって壊滅的な被害を被った都市や村は、かなりの数に上るはずです。
それに伴い、戦争とは無関係の民間人が多く殺されるという事件も多いはずです。
しかし論争が行われているのは、南京事件、平頂山事件、三光作戦(儘滅作戦)など、メジャーな事件に偏っているが実情です。
南京事件の調査で有名な松岡環さんは、近年南京以外の都市で調査を進めています。
以前私が聞きに行った講演会では湯水鎮における虐殺事件について、現地の研究者を招いて報告されていました。
ようやく他の都市にも目を向けられる段階にきたか、というとそうでもありません。
日中戦争の戦場は広範囲にわたります。
それは占領地だけではなく、重慶・成都など占領地以外にも広がっています。
とても一人で抱えられる量ではありません。
それに調べるとしたらやっぱり金も掛かります。
でも日本は、残念ながら国益に反するようなことに補助金を出してくれるような国ではありません。
だから松岡さんのように自腹を切る有志を多く必要とします。
さて、ここでとりあげる馬山虐殺事件も、そのような事情から調査されてこなかった一例です。
事件をご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思いますので、かんたんに触れたいと思います。
いつ? 1938年3月12日~13日
どこで? 中国江蘇省無錫馬山
だれが? 日本陸軍の歩兵部隊と日本海軍の航空部隊の一部
なにを? 馬山に居住・もしくは避難してきた人々1500人余り
どうしたか? 虐殺した
この事件はなぜ起きてしまったのか?
日本軍の目的はいったいどこにあったのか?
私自身の調査でつかんだ事実を、ここで一つ一つ公開していきたいと思います。
と聞かれて南京事件(南京大虐殺)を思い浮かべる人は多いと思います。
単なる偶然ですが、この記事を書いている今日は、奇しくも南京城が日本軍の攻撃により陥落し、いわゆる「南京事件」が発生した日でもあります。
日本軍は南京事件ほどの規模には届きませんが、類似した事件を各地で起こしています。
日本軍の攻撃によって壊滅的な被害を被った都市や村は、かなりの数に上るはずです。
それに伴い、戦争とは無関係の民間人が多く殺されるという事件も多いはずです。
しかし論争が行われているのは、南京事件、平頂山事件、三光作戦(儘滅作戦)など、メジャーな事件に偏っているが実情です。
南京事件の調査で有名な松岡環さんは、近年南京以外の都市で調査を進めています。
以前私が聞きに行った講演会では湯水鎮における虐殺事件について、現地の研究者を招いて報告されていました。
ようやく他の都市にも目を向けられる段階にきたか、というとそうでもありません。
日中戦争の戦場は広範囲にわたります。
それは占領地だけではなく、重慶・成都など占領地以外にも広がっています。
とても一人で抱えられる量ではありません。
それに調べるとしたらやっぱり金も掛かります。
でも日本は、残念ながら国益に反するようなことに補助金を出してくれるような国ではありません。
だから松岡さんのように自腹を切る有志を多く必要とします。
さて、ここでとりあげる馬山虐殺事件も、そのような事情から調査されてこなかった一例です。
事件をご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思いますので、かんたんに触れたいと思います。
いつ? 1938年3月12日~13日
どこで? 中国江蘇省無錫馬山
だれが? 日本陸軍の歩兵部隊と日本海軍の航空部隊の一部
なにを? 馬山に居住・もしくは避難してきた人々1500人余り
どうしたか? 虐殺した
この事件はなぜ起きてしまったのか?
日本軍の目的はいったいどこにあったのか?
私自身の調査でつかんだ事実を、ここで一つ一つ公開していきたいと思います。
Posted by andre │コメント(0)