ヒトラーのプロバガンダと人々の心への影響
アドルフ・ヒトラーは有名であるが、何故有名か?が日本ではほとんど認知されていないように思う。
2013年に麻生副総理が「ナチスの手口に学んだら」発言をして話題になったが、そもそも「ナチスの手口」とはどのようなものだったのか?
追記: ここで、今の政権が実際にナチスの手口を使っていると主張するものではない、と強調しておかなければならない。それを言うと陰謀論になってしまう。そのようなことに関する証拠はブログ主は持っていない。
ブログ主が注目したのは、「我が闘争」に、ヒトラーが堂々と自らによる大衆の洗脳技法が書かれていたことである。ドイツではこの本の出版そのものが問題とされていた(もっともパブリックドメイン化やIT技術の進歩でこれを人目につかせないことは不可能)が、現実の理由はともかく、洗脳技術が書かれているという事実だけでも出版禁止を考慮するに十分である。一旦ヒトラーの手法が知られれば、それを応用・発展させようとする人々が出ることは避けられないだろう(これは推測だが。逆に、ヒトラーの手法に対抗するものを見出そうと死物狂いになる勢力もあったことはほとんど確実である。基本的人権の自然権的思想が戦後見直され、さらに国際的に人権を保護しようとする動きが急速に発展した。これはヒトラーの手法やそれに類似した手法への対抗の意味も大きい)。
従って、どちらにしても国民はこの手法を知る必用がある。似たような手口に騙されない責任が人間にはあるからだ。第2時世界大戦の悲劇を繰り返してはならない。
様々な意味でヒトラーは恐ろしいが、ブログ主が一番恐るべきものとみているのが「多数決で合法的に独裁者になった」ことである。そのためには、国民に独裁制を受け入れさせなければならない。そのための手法がナチスの手口で重要な役目を果たしている。
手法のうち大事なものはプロバガンダである。ブログ主はヒトラーの「我が闘争」第6章の政治宣伝の部分が興味深かった。技法の片鱗に過ぎないがおさらいしてみたい。また、ヒトラーが群衆心理学を学んで、それを応用していたことも確認する。
これを「単なる切り取りだ」というなら「そのとおり」とブログ主は言う。ナチスの手法はこんな単純なものではないからである。しかし、何故ヒトラーが世界を震撼させたか?の理由の一つがこの普遍性である(群衆心理学という基礎があるので、国籍民族などを問わずに有効である)。
特徴 プロバガンダは目的ではなく手段である
ヒトラーは兵役についていた第1時世界大戦において、プロバガンダを「敵から学んだ」と述べている。
ヒトラー曰く。
オーストリアやドイツの漫画で、イギリス人を矮小化し嘲笑したことは全く間違いである。これでは、実際の戦いで相手の予想外の強さに直面したとき、うろたえ、騙されたと感じてしまうから。
他方、イギリスやアメリカは、自軍の兵たちにドイツ人を野蛮人、匈奴と思わせた。これは正しかった。兵たちは、相手は最初から手強いと教えられ、恐怖に直面する準備がされていたので、敵と対面したとき「確かに正しかった」と信念を強めた。
そもそも、ドイツでは宣伝はまったく行われなかったか、まずい方法で行われた。
ヒトラーによれば、第1に大事なことは、宣伝は目的ではなく手段であること。その認識がドイツ上層部になかった。戦いを勝利に導くものでなければならない。
宣伝が「正しい」とは効果的だったか否かで測るべきで、学問的な正しさではかるべきではない。
特徴2 プロバガンダは大衆に対して行われる。それは知的水準の最も低い者に合わせなければならない。
第2に大事なことは、宣伝は常に大衆に向けられるものであること。それが圧倒的多数派だからだ。
インテリは除外して構わない。
これは非常に大事な前提だと思う。多数決を得るためには多数者に支持されなければならないからである。そして、大衆は必ずしも知的ではない、それどころか「大衆は非常に知性は低いものである」という経験や観察、心理学などからの前提がある。相手の数が多い程、知的には水準を低めなければならないということだ。
「戦争貫徹のための宣伝のときのように、全民衆を効果圏に引き入れることが問題になるときには、知的に高い前提を避けるという注意はいくらしても十分ではない」p.237
とまで言っている。
従って、
特徴 2-1. プロバガンダは理性ではなく感情に訴える
必要があり、それが効果的である。
「(宣伝の課題は)その作用はいつもより多く感情に向かい、いわゆる知性に関しては大いに制限されねばならない。」上巻p.237
特徴 2-2. プロバガンダはその対象となる者たちのなかで知性的にもっとも低い者に合わせる。
「宣伝は常に大衆的なものでなければならず、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。」上巻p.237
ヒトラーの演説は、しばしば内容が思想的に陳腐で深みがない、と馬鹿にされたが、それは意図的なものだったわけである。
「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、忘却力は大きい」上巻p.238
特徴 2-3 物事を単純化せよ
また、知性が低いのだから、大衆に対しては、ものごとを複雑にしてはならない。それは大衆に受け入れられない。白黒はっきりさせる単純化が必要で効果的である。もちろん自分に有利な方向で。
我が闘争では石鹸のポスターの例が書いてある。
「たとえば、ある新しい石鹸を吹聴しようとしているポスターについて、そのさいまた他の石鹸も「良質」であると書いたらなら、人は何と言うだろう?
「人々は、これにはあきれてただ頭を横にふるしかしかたがないだろう。」上巻p.240
大衆に分からせるには0か100かでなければならないわけである。
「(宣伝は)真理を客観的に探求すべきではなく、絶えず自己に役立つようにしなければならない」上巻p.240
従って、ヒトラーによれば、ドイツがやったように戦争の責任に関しても「ドイツだけに責任があるわけではない」と論ずるのは根本的に誤りとなる。
「かえって実際には、ほんとうの経過はそうでなかったにしても、事実そうであったように、この責任をすべて敵に負わせるのが正しかったであろう。」上巻p.240
つまり、たとえ嘘でも「悪かったのは全部敵だ!」と断言するのが正しいわけである。宣伝の目的にかなっているからだ。
また、
特徴 2-3. スローガンは単純に、かつひたすら繰り返す
べきである。
「宣伝は短く制限し、これを絶えず繰り返すべきである。」p.242
「けれども宣伝は、鈍感な人々に間断なく新しい変化を提供することではなく、確信させるため、しかも大衆に確信させるためのものである。〜最も簡単な概念を何千回も繰り返すことだけが、結局覚えさせることができるのである。」p.243
スローガンの説明には様々方法で行わなければならないが、結論は必ず同じことに帰着させなければならない。
追記: 第6章ではないが、ヒトラーの技法で大事なことのひとつに、
「人間は決して経済のために一身を犠牲にはしない。ただ理想のために死ぬものだということである。上巻p.204
「お国のため」というような「崇高な理想」によって大衆は動くということになる。だから「それでお前の生活は楽になったか?」と言っても洗脳は解けない。
人間は「崇高な理想」を求める性質があるし、それは多分あるだろう。しかし得てして自分の人生に悲惨さを感じる人はそのような呼びかけに大きな魅力を感じる。多分「救われた」気分もあるのかもしれない。それを捨てることはまた惨めな人生に戻ることだからそう簡単には引き下がらない。
群衆心理学による基礎
ヒトラーは若いときから「扇動者は心理学者でなければならない」と心理学に興味を持っていた。ヒトラーの手法はその意味で心理学的に正しかったか否か?も問題にされねばならない。
言語学者の高田博行氏の「ヒトラー演説---熱狂の真実」で、ヒトラーはフランスのル・ボン(Gustave Le Bon)という心理学者の「群衆心理」を読んでいた。絵を売って生計を立てていた時期にウィーンの宮廷図書館を定期的に利用し、この本のドイツ語訳を読んでいたと指摘されている。
以下、ル・ボンの指摘を列挙する。
- 群衆は「意思の強い人間の言葉なら何でもよく聞くものである」(これは意思が強いと見られることが大事だという意味であろう)。
- 指導者が簡潔に「断言」しできるだけ同じ言葉で「繰り返し同じ言葉で」繰り返すことで、(とにかく、断言すること、繰り返すこと、が大事)
- 繰り返した言葉が「威厳」を得て、「批判能力を麻痺」させ、群衆の中に「感染」していく。
- 群衆の中の個人は「単に大勢の中にいるという事実だけで、一種抗し難い力を感じるようになり、(ここは大事。「自信」「誇り」「力強さ」「安心感」といった感情(少なくともそう思える感情)に支配されるということ)
- 「暗示を受けやすく」、最終的には「自分で何も考えることができない機械人形となる」。(恐ろしい)
- 思想は理性に訴えるのではなく、「極めて単純な形式で」
- 感情に訴えることで大衆に受け入れられる。
- 「自由」とか「平和」のような極めて定義が曖昧な言葉が、しばしば大きな影響力を持つ。(ヒトラーは初期は「平和」や「自由」という言葉を多用していた!)
- 選挙においては「明確な意味をもたず、さまざまな願望を叶えるのに使える」決まり文句を新たに発見するような候補者が勝つ。
- 選挙の候補者は敵陣営から攻撃される恐れのあるような明確な要項文書を作成してはならないが「口頭による要項はどんなに誇張してあってもかまわない。〜これらの誇大な表現は大きな効果を生むが、口で言ったからといって、それは将来を拘束しない」。刺激的で大げさな言葉は指導者にとって有利である。演説はどんなに威嚇的であっても威嚇的でありすぎることはない。
(口頭で演説する分にはどんどん誇張してかまわない) - 演説においては、群衆の興味のありかを常に理解し、反応に合わせながら「さまざまに言葉を変えることが必要」である。(ヒトラーは、実際、メモを準備して演説をしていたが、聴衆の反応に合わせて臨機応変に演説していた。ラジオによる演説は暗示の効果が高いため重視したが、相手の反応が分からないためなかなか満足のいく演説ができなかった、と珍しく自己批判的になった。)
- 物事の本質的なことはまったく変えずに、ただ言葉を変えるだけで、新しく素晴らしいものができた幻想を与えることができる。
- 群衆が反感を持ってしまった事象について、その単語を変更することによって「用語を巧みに選択することによって」「最もいまわしいものでも受け入れさせることができる」天国を地獄と思わせることもできるし、最もみじめな状態を天国と思わせることもできる。
ナチ党が政権を掌握したときの新名称の例:(言葉の表面と意味内容が反対)- 「起業家」→「従業員の指導者」
- 「独裁」→「より高次の民主主義」
- 「戦争準備」→「平和の確保」
このように見ると、ヒトラーのプロバガンダは群集心理学の基礎に基づく普遍的な性格をもっていたことが分かる。(群衆心理学のみが基礎ではないが、ここでは省略する)。
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