「日本とは倫理観がまったく異なる中国から標本を借りてくると聞き、自分は反対した」。監修委員を務めた養老氏は、主催者側への憤りをあらわにした。
養老氏は平成7年に初めて日本で開催した同展の中心メンバー。このときは同氏が自費でドイツから標本を輸入したが、このころから、親族の知人で日本アナトミー研究所(当時)のスタッフだった男性が間に入るようになったという。
同氏によれば、男性とドイツ人研究者との間で契約トラブルが起こり、同展はいったん中止に追い込まれたが、男性はその後中国から標本を輸入、14年以降は同社主催の形で再開した。
養老氏は中国からの輸入標本の展示に強く反対し、運営からも手を引いたが、18年ごろまで監修委員として名前を連ねている。
「イベントの会場確保などで助けてもらったことがあり、彼に強く頼まれたから監修委員を引き受けた。もちろん、金なんかもらっていない」
中国の輸入標本を使ったイベントは当初、日本赤十字社や日本医学会なども後援した。ところが、高額の入場料や関連グッズの販売など興行的手法に対する主催者側への批判が大きくなるにつれ、後援を取り下げる団体も相次いだという。
一連の経緯について、日本医学会会長の高久氏は「同展を後援したことに対する非難の電話が頻繁にあり、情報収集したところ、標本の多くは中国の受刑者で、国際法に準拠した契約でないことが分かり、監修者及び後援を取り下げた」と文書で回答した。(2012.2.16 産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120217/waf12021708340005-n1.htm