「大変苦しい80年だった」

 国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」の開園80周年記念式典と祝賀会が開かれた。冒頭の言葉は、この80年を振り返り沖縄ハンセン病回復者の会の平良仁雄共同代表(80)が発した。

 迫害、隔離、断種や強制不妊手術、強制堕胎などあらゆる差別や偏見、人権侵害を受けてきたハンセン病の元患者たち。「この苦しみを、もう二度と繰り返さないよう、これからも語り続けていく」と声を振り絞る平良さんの姿に私たちは真摯(しんし)に向き合いたい。

 愛楽園は1938年11月10日開園した。80年の間に延べ3904人が入所し、2100人が退園、1372人が園で亡くなった。現在も142人の入所者が暮らす。

 入所者の平均年齢は84歳。自力で移動が困難だったり、体調がすぐれなかったりして介護が必要な人もいる。記念式典と祝賀会は多くの関係者が参加する中、入所者の姿は半分ほどだった。

 元患者たちの、家族や親族、社会から受けた激烈な差別の記憶は鮮明だ。実名を明かせないまま生涯を終えた人は数知れず、長い年月を経て今ようやく語り始めた人たちもいることを思えば、国の誤った政策の影響の甚大さ、根深さを知る。

 司法は2001年、国の隔離政策を違憲とし、翌02年に国は入所者だけでなく非入所者とも和解金を支払うことで合意した。しかし、県内で少なくとも500人といわれている非入所者のうち、和解手続きに着手した人はごく一部。元患者の多くが、今も病歴への差別や偏見を恐れているからだと推測されている。

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 元患者の一人、金城幸子さん(77)は約60年前、高校へ進学するため友人と2人で園を抜け出した。目指したのは当時の国立療養所長島愛生園(岡山県瀬戸市)にあった世界で唯一のハンセン病患者専用の普通科高校「新良田(にいらだ)教室」だ。

 「学びたかった」と金城さん。しかしそんな学びの場で待っていたのも差別や偏見だった。辞書を購入するため金城さんが渡したお札を、教師は目の前で消毒液に浸して窓に貼り付けたという。

 そんな同校の教訓を語り継ぐ自主映画の製作が今進む。2期生の森和男全国ハンセン病療養所入所者協議会会長(78)は「新良田は私たちの青春でもあり、偏見うずまく社会の縮図でもあった」と話す。忘れ去られようとしていたハンセン病の史実の一つが映画化される意義は大きい。

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 1948~72年までハンセン病患者を隔離施設に設置した「特別法廷」で裁いたとして最高裁が謝罪したのは2016年のこと。元患者の家族として差別を受けた人々が国を相手にした「家族訴訟」も継続中だ。

 隔離政策の根拠となった「らい予防法」が施行(96年に廃止)されて1世紀以上たつが、元患者や家族の人権回復は道半ばだ。国策にならい、ハンセン病への差別と偏見を助長してきたメディアの責任も重い。過ちへの謝罪と反省に終わりはない。