□サードアイ・アンド・ファーストライ



 うそは、嫌いだ。

 特に、些細な悪事や取るに足らない悪戯を隠そうとして吐くでっち上げのうそが、たまらなく嫌いだった。すぐにばれるのがわかっているのに、どうしてそんなうそを吐くのだろう。私はそんなつまらないことで腹を立てたりなんかしないと言っているのに、どうしてみんな私の目を真っ直ぐに見て、ほんとうのことを話そうとしてくれないのだろう。私の周りの人々は、誰も彼もそんなうそつきばかりだった。誰一人として、私に真正面から向き合ってくれようとしない。目を合わせてくれない。「あいつと目を合わせると、心を読まれてしまう」と誰かが言った。愚かな人だと思った。あなたたちが私と目を合わせてくれないから、私は心を読まざるを得ないんでしょうって、そう言ってやりたい気持ちでたまらなくなった。

 うそは、嫌いだ。

 たとえば私に間違った道を教えようとした人がいた。花屋はどこですか、と私が訊ねると、その人は私に、この先の分かれ道を右に曲がりなさいと教えた。けれどもそれはうそだった。花屋へ行くためには、ほんとうは分かれ道を左に曲がらなければいけなかったのである。心を読んで、すぐに彼が虚言を言っていることに気がついた。けれども私は、あえて彼の“建前”が言ったとおりに、右の道を選んで進んでいった。自分でもどうしてそんなちぐはぐなことをしているのかわからなかったけれど、足取りが自然と、無意識のうちにそちらの方を向いてしまっていたのである。十分歩いて、二十分歩いて、それでもまだまだ花屋は見えてこない。間違った道を教えられたのだろうか、いやまさか、もう少しだけ行ってみよう――それからさらに三十分歩いて、一時間歩いて――いつしか回りの景色が鬱蒼としたものになり、自分の踏みしめているものが獣道のそれだと気付いた頃になって、ようやく私は自分が彼に騙されたのだということを、覚った。まったくもって馬鹿馬鹿しい。そんなこと、はじめから気付いていたはずなのに、何故こんなわけのわからないことを……あぁ、無意識。これが無意識。うそを言われたことを理解していながら、それでもまだその言葉が真実かもしれないと心のどこかで信じている、臆病で弱虫な私に相応しい、ちっぽけな、無意識。
 ……これが、あの子の生きている世界だというのなら。
 こんなにか空しいものはないと、そう思った。

 うそは、嫌いだ。

 誰が得をする。誰の気が晴れる。詐欺や宗教のことを言っているのではない。そんなに大それたことじゃない。世俗に忌み嫌われた私がこの世で最も嫌っているもの、それは、私を忌み嫌う連中の吐き出す、あまりにもちっぽけで誰の気にも止まらないような、けれども確実に日常の中に溢れかえっている、そんな……うそ。

 うそは、嫌いだ。

 

 姑息なうそも、やさしいうそも、嫌い。
 だから私は、自分自身のことが、嫌い。
 うそつきな自分が、大嫌い。

 

 

 

 

 ▽


 ――妹がこんなにか泣き虫なのは、他の人より目玉の数が一つ多いせいなのだ。

 わあわあと泣きじゃくる妹を胸に抱いたまま、私はぼんやりとそんなことを考えていた。おろしたての洋服が、じんと熱い涙に濡れていく。お気に入りの服だったのになぁと、少し残念にも思ったけれど、でも上着の一枚で妹が泣き止んでくれるのなら、そっちのほうがずっといい。洋服なら何度汚されたり破かれたりしたって、後からいくらでも代わりのものが手に入るけれど……この子は、そうじゃない。一つしかない。一人しかいない。代わりなんて、どこにも在りはしない。
 お姉ちゃん、お姉ちゃんと嗚咽をあげていた妹も、ひとしきり涙を流し尽くすとようやく落ち着きを取り戻したようだった。それを確かめてから、彼女の体をそっと引き離す。私を見上げた妹の顔はすっかり泣き腫れてひどいものだったけれど、私に飛びついてきた時の悲愴な色はだいぶ和らいだようで、袖で顔を拭ってみせた後には、小さな微笑みさえも作ってみせてくれた。やはり、この子には笑顔が一番よく似合う。いっとう綺麗に咲いた薔薇のように、見る者を虜にしてやまない華の顔。
 私の妹は、その名前の表しているように、愛しくて、恋しい。
「落ち着いた?」
「……うん」
「そう、よかった」
 いい子ね、とそう言って頭を撫でると、妹はくすぐったそうな声をあげて顔を綻ばせた。涙の晴れた後の笑顔はいつにも増して輝いて見える。なんて素敵で、可愛らしいんだろう。好きな子に意地悪をしたくなる男の子の気持ちというのは、こんな感じなのだろうか。
 ……もちろんほんとうは、そんな笑顔は見ないほうがいいに決まっているのだけれど。
「あなたは、強い子ね」
「……強くなんてないよ」
「そんなことないわ。今日は家に帰って来るまで、涙を我慢できたじゃない。前と比べて、ずいぶん成長しているわ」
「でも……、それでも、みんなから逃げちゃったよ。また、ちゃんと向き合えなかったわ……」
 妹の声は沈んでいた。さっきまでの笑顔も落ち込んでしまって、表情に暗い陰を落としている。自分に自信が無いのだ。みんなから邪険にされてばかりいる自分のことを、彼女自身、好きになれないでいるのだろう。
 それはとても、とても哀しいことだと思った。
 誰かを好きになれなくてもいい、好かれなくてもいい。ただ、それでも自分自身のことだけは愛していてほしいと、そう思ったのだ。
「ねぇお姉ちゃん、私、またうそをつかれたよ……」
「……そう」
「みんなほんとうのことを言ってくれないの。誰も、だあれも、私の目を見てお話してくれないの。私が目を合わせようとするとね、みんな、目を逸らしちゃうんだ……。おかしいよね。私、なんにもしてないのに。誰にも嫌われるようなことなんてしてないのに……お姉ちゃんの言いつけ、ちゃんと守ったよ。それなのに、どうして、どうして、どうして――……」
 俄にそのひとみの再び涙を湛えはじめたのを見て、私は彼女を抱き寄せずにはいられなくなった。私と彼女の背丈はほとんど変わらないはずなのに、けれどどうしてか腕の中に抱いた彼女は、私よりもずっと矮小で華奢な存在のように思えた。抱き締める腕の加減を少し間違えれば、そのまま罅割れて、砕けて散ってしまいそうだとも。軋みを上げている。妹はもう限界だった。心も、体も、いつ壊れてしまうとも、わからない。
「大丈夫、……大丈夫だから。なにも心配なことなんて、ないわ」
 とうの昔に諦め、捻じ曲がってしまった私とは違う。妹はまだ、他人に希望を寄せていた。自分を理解してもらえるかもしれない。他人を理解できるかもしれない。好きになれるかもしれない。好かれるかもしれない。恋しい人ができるかもしれない。恋される人に、なれるかも……けれどもそれは、ひょっとすると彼女の意志ではないのかもしれないな、と思った。こんなにか泣き虫で臆病な妹が、はたして自ら望んでそんな痛みを伴う世界へ身を投じたりなどするだろうか。ほんとうなら最初の数回で絶望して、私と同じように逃避の道を選んでいたのでは……
 でも、そうじゃない。彼女はまだ、戦っている。相手にさえされないことをわかっていながらもなお、懸命に向き合おうとしている。彼女は逃げない。逃げられなかった。
 誰かが彼女を縛りつけて、どこにも逃げられないようにしているんだ。
 してしまったんだ。
 誰かの言葉が、やさしいうそが、今もなお彼女を傷つけ続けている。
「ねぇお姉ちゃん。……約束、もう一度聞かせてよ」
 胸に顔を埋めたまま、妹がくぐもった声で言った。
 約束と聞いて、思い浮かぶフレーズは一つきり。
 私と彼女とで交わした、ただ、一つきり。
「あら、忘れてしまったの? だめよ、言いつけはきちんと覚えておかなくちゃ――」
「忘れたわけじゃないの。ただ、もう一回お姉ちゃんの口から、聞きたいだけだよ」
「……そう。じゃあ、もう一度だけ、ね」


 うそは、嫌いだ。

 誰かを貶しめるための姑息なうそも。
 誰かを守ろうと思ったやさしいうそも。
 なにもかもすべて、嫌いなはずだったのに……

 

 

 

 

 

 

 ひとの気持ちを、理解できるようになりなさい
 ひとの痛みを、共感できるようになりなさい
 そうすれば、かわいいあなたのことだもの
 きっとみんなから好かれるにちがいないわ
 だからお姉ちゃんの言うことをよく聞いて
 一緒に頑張りましょうね

 かわいいこいし
 やさしいこいし

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、お姉ちゃん」
「なあに、こいし?」
 ふと、彼女の体が私の傍から離れていくような感触があって――けれども私は、彼女を抱き寄せた腕を解くことがどうしてもできなかった。どういうわけか、今ここで彼女を引き離してはいけないと、正体不明の感情が突然に込み上げてきたのである。これはなんというのだろう。相応しい言葉は浮かんでこなかったけれども、だけど決して、喜ばしい感情ではないことだけは確かだ。
 ――あぁ、けれどもあぁ、知っている。そうだ、私はうんざりするほどにこの感情を、視っている……忘れられようはずもない、この目に焼きついて拭えない。これは今までさんざん、私と、私の妹へと向けられてきたものだったじゃないか。忌み嫌われた私たちの、忌み嫌ってきた心情じゃないか。それがどうして私の胸の内に在るのだろう。いつからここに在ったのだろう。いや、いつから、なんてどうでもいい。この想いが胸中に在るということはつまり、私は、私のいっとう嫌悪しているはずのあいつらと同じ、うそつきの――


「それは、うそじゃないよね?」


 彼女を抱き寄せる腕の力の、自分でも驚くほどにこわばったことが、わかった。
 もう、離さない、離れられない、離したくなかった。


 こうしていれば、安心できる。
 たった一人の妹の温度を、実感できる。


 こうしていれば、安心できる。
 たった一人の妹と、目を合わせずに、済む――


「信じてもいいんだよね? お姉ちゃんは、私にうそをついたりしないんだよね……?」


 ともすれば、心臓の爆ぜてしまいそうな心地だった。鼓動は血脈を突き破りそうなほどに速く、熱い。ひとつ胸の打ち震える度に、頭の奥底までもがぐわんと揺れる。視界はかつて経験したことがないほどのひどい目眩に、表面も内面も、醜い形に歪んでいた。いびつに蠢く世界を直視していることにもう耐えられそうにもなくて、私は三つのひとみを固く瞑って、思わず、妹の体に縋りついた。それでもなおも胸の拍動は収まらない。抱き寄せた妹にも、きっとこの心音は届いていることだろう。私は途端に後ろ暗い気持ちでいっぱいになった。だって私はうそをついてなんていないのだから、こんなふうに胸の鼓動を荒げるわけなんてないはずなのだ。なのにさっきから、脈打つ心臓は壊れたままで、少しも治る気配をみせない。なんで。どうして。これじゃあまるで、私が……私が、うそをついているみたいじゃないか。ばれそうなうそを、必死で覆い隠そうとしているみたいで……。あるものか、そんなわけ。だって、うそは嫌いだ、大嫌いなんだ! それをどうして最愛のこの子に吐かなければならないというのだろう。もっともらしい理由はなんにも在りはしない。在ったとしても、そればかりは認めるものか。絶対に。私はうそを吐かない。ほんとうのことしか、言わない。この子なら愛される。愛されてしかるべきなのだ。心の弱かったばかりに、他人と向き合えず逃げ出してしまった私とは違う。こいしは、強い子だ。私なんかより、ずっと、ずっと、強くて。だから、愛されなければならない。私の分まで。この世界の、誰よりも……

 けれどもそれは、私の望みでしかなくて。
 彼女の願いではなくて。
 だから結局、……いちばんの卑怯者というのは、つまり……

「えぇ、うそなんかじゃ、ないわ」

 うそは、嫌いだ。
 卑怯で、臆病で、心の弱いやつのすることだ。
 やさしいうそだって、そう。結局は自分が大切な人の傷つくところを見たくないから吐かれるのであって、それはつまり、相手のためを思ってのことじゃない。自分の保身のためでしかない。綺麗なうそなんて、在りはない。なにもかも等しく醜い。すべて、嫌悪されて、しかるべきなのだ。
 だから。
 どうしてこの子が、私に向けて返してくれた表情があんなにも眩しいものだったのか……
 今も、理解できないままでいる。


「――そっか。じゃあ、お姉ちゃんの言うこと信じて、明日も頑張るからね!」

 

 

 

 

 

 

 翌日妹は心を閉ざした。
 私は、うそつきになった。

 

 

 

 

 

 ▽


 ――……ゃ、ん……

 夢に出てきたのはずいぶんと古い――あるいは、懐かしい光景。夢を見ること自体が久しいことだったけれど、思い返されたのがあの記憶では、目覚めはひどく優れないものだった。妙な時間に居眠りをしてしまったからだろうか、思考は鈍重で、ゆらゆらと水面のように揺れ動いている。

 ね……、ちゃん……

 あぁ、それにしてもひどいものを見た。……そう、ちょうどテリヴルスーヴニールと呼ぶのが相応しい、悪い夢。いつしか無意識の奥底に沈みきり、もうすっかり思い出すことはあるまいと思っていたのに、どうしていまさら思い返されたりなどしたのだろう。あるいは、誰かが私に想起させた? いったいどうして。なんのために――

「お姉ちゃん!」

 ふと鼓膜を揺さぶった一声にはっとなって振り返るとそこには、くだんの妹が、どこか心配そうな目の色をして私を見つめて立っていた。深層心理に押し隠したはずの、無意識の想起……妹の顔を見た瞬間に、嫌な予感が脳裏を過ぎった。もしかするとさっきまでの白昼夢は、彼女が……
「お姉ちゃん、こんなところでぼぅっとしてたら、体冷やすよ?」
「え……あぁ、そうね。ごめんなさい……」
 けれども、私に話しかけてくる彼女の声には、どこにもおかしな様子はない。そこにあるのはただ、昼間から物思いに心奪われていた姉のことを案ずる、思いやりの精神ばかりである。……少なくとも私にはそのように感じられた。固く心を閉ざした妹の本心は、もう、誰にも読み取ることはできない。
 その声はあの日と変わらない、とても穏やかなものだった。あの日から、なにも変わっていない。変わらなくなってしまった。私がいつまでもやさしくあって欲しいと願った彼女は、心に鍵を掛けた瞬間から、その表情だけしか表さなくなってしまった。もう長いこと、妹の泣き顔や怒ったところを見ていない。なにか大事なものがずれたきり、直らなくなってしまった。私の大切な妹は、その器だけを残して、いったいどこに行ってしまったというのだろう。再び満たされることはあるのだろうか。あの泣き虫だった妹は、どうすれば帰ってきてくれるのだろう……
 うそが、嫌いだった。どんなに小さくてささやかなことであっても、それは真実ではないのだから、必ずどこかに歪みを生み、傷を残していく。積み重なり、罅となり、やがては崩壊の引き金を弾く。妹はまさにそれだった。胸の中いっぱいに痛みと不安を抱え、それでもなおいつか報われること信じて、立ち向かい続けて――けれども結局、思いの届くことはなかった。伸ばした手を取ってくれる誰かは、ついに現れなかった。
 そうしてなにより、そんな満心創痍の彼女に止めを刺したのは。
 妹を、撃ち殺したのは……
「……ねぇ、お姉ちゃん」
 気が付けば妹の顔がとても近いところにあった。椅子に座ったままの私を覗き込むような格好で、互いの吐息だってかかるくらいの距離だ。けれども心はそうじゃない、あまりにも遠く、掛け離れている。
 掛け離れていたはず、だった。
「どうして泣いているの?」
「……え、」
「お姉ちゃん、泣いてるよ。気が付いてないの?」
 ……泣いてる?
 私が?
 どうして。そんな理由なんてない。涙なんて、ずっと忘れていたもの。私の分まで、あなたが泣いていたから、だから……
「……泣いてなんかいないわ」
「うそよ」
「少し欠伸が出ただけよ、あなたの見間違いでしょう」
「相変わらずうそが下手だね、お姉ちゃん」


 その時、私の目に飛び込んできたものがあった。
 第三の目に、映り込む心象があった。


 それは、もう見ることのなかったはずの原風景。
 無愛想だけれど妹想いの姉と。
 泣き虫だけれど誰よりも可愛らしい妹。
 どこにでもあるありふれた姉妹の形。
 だからこそ、失っていっとう後悔した光景。


 それが目の前にあるのだ。
 セピアではない、色鮮やかに、甦っているのだ……!


「こいし、あなた……」
「お姉ちゃん、ずいぶん前にお姉ちゃんが聞かせてくれた言葉、覚えてる?」
 私はもうなんと言葉を吐き出せば良いのかわからなくなっていた。声にしたい想いは次から次へと溢れてくるのに、どれもが胸の当たりでつかえてしまって、思うように言葉にならなかった。あぁどうしてこんな時ばかり。伝えたいこと、謝りたいこと、たくさんたくさんあるのに……!
 妹は、こいしは、ただたおやかな笑みを浮かべたままそこにいた。私の言葉を待っていた。それはもう中身の無い、笑顔を浮かべるだけの人形ではなかった。一度はなにもかも零れ落ちたはずの器に、なにかが再び、満ち始めようとしていた。 
「私ね、あの言葉をまだ信じてるよ。お姉ちゃんの言ったこと、信じてる」
「うそよ……」
「うそじゃないよ」
「ねぇこいし、ほんとうのことを言って。私のこと恨めしくはないの? 憎んでいるのではないの? 私、あなたにうそを吐いたわ……あなたをひどく傷つけた。殺されても仕方がないとさえ、思ったのよ……」
「………」
 うそが嫌い。うそつきが嫌い。だから私は、自分がうそつきになったあの日以来、自分で自分のことを許せないでいる。ほんとうに卑怯なやつだと、自らの口で卑下し、吐き捨てた。しかし、それさえもひょっとすると免罪符だったのかもしれない。ああそうだ、そうであったに違いない。結局私は今の今まで逃げ続けていたのだ。妹と向き合うことを避けてきた。彼女のその口から、憎悪や、怨嗟の言葉の溢れ出して来ることが怖かったんだ……
 憎んでいるはずなのだ。憎まれているはず。
 なのに、どうして……
「私ね、お姉ちゃんね、きっとあなたに投影していたんだと思う。あなたに、自分を重ねて見ていたの。他人との関わりから逃げ出してしまって、動物ばかりを相手するようになって。けれどもやっぱり、心のどこかでは寂しいなって、思っていたのかもしれない……でも、私は臆病で。もう一度立って向き合う勇気を、絞り出せそうにもなくて……だからあなたを利用した。あなたはまだ、誰かと触れ合うことを諦めていなかったから。あなたが誰かに好かれれば、愛される存在になれば、私もまた誰かに必要とされているような、そんな気がしていたのよ……。けれども、はじめから上手くいくわけなんてなかったのね。頑張るのは私じゃない、あなた自身なんだもの。私が私の望みをあなたに託したところで……あなたには、重荷にしかならないんだものね。ごめんね、こいし。ごめんなさい。お姉ちゃん、あなたにうそを吐いたわ。どうしてかしらね。あんなに嫌いなはずだったのに、いつの間にか、いっとう残酷なうそを、あなたに――」
 ふと、気が付けば。あたたかなものに包まれて、それと同時に言葉が遮られてしまった。そこは彼女の腕の中だと、すぐにわかった。あの日とは逆の立場、だけれども、胸に抱いたあの後ろ暗い罪の意識だけは、変わりない。
 しかし彼女は、「それは違うよ、お姉ちゃん」と言って、笑った。
「お姉ちゃんは、うそなんか言ってない」
「……どう、して」
「だって私は、あの言葉をまだ信じているんだもの。信じて、また明日から頑張ってみようって、そう思ってる。知りたいことができたの。知らない世界があったの。目を瞑っていても眩しくて、明るくて……そんな素敵な世界があるのなら、私、もう一度世界を、自分を見つめ直してみようって思った。閉じたひとみをまた開いてみるのも、悪くはないのかも、って。そう考えた時にね、真っ先にお姉ちゃんのことが思い浮かんだの。お姉ちゃんとの約束、思い出したんだ。私にとってあの言葉は重荷なんかじゃない、なによりも頼れる支えだった。誰に信頼されてなくてもいい、好かれなくてもいい、お姉ちゃんだけは私を信じてくれている、私を必要としてくれている、それだけで十分だった。謝らないといけないのは私のほうなんだよ、お姉ちゃん。私、はじめからお姉ちゃんの言い付けを守る気なんてなかった。だって、お姉ちゃんさえいてくれれば、私はそれで満足だったから。他にはなんにも、いらなかった。ほんとうに、ごめんなさい。私もお姉ちゃんに、うそ、吐いていたよ……」
 なによ、それ……
 うそを吐いていたのは、私の方よ。
 謝りたいのは、私の、
「お姉ちゃん、今、また「ごめんなさい」って言おうとしたでしょう」
「っ……」
「心なんか読めなくたって、わかるよ。だって、私とお姉ちゃんは姉妹なんだから。私の、たった一人のお姉ちゃん。だからね、もう、お互い目を逸らしながら暮らすのは、やめよう。私、お姉ちゃんにお話したいことがたくさん、たくさんあるの。人とお話する時は、ちゃんと目を見て話しなさいって、私に言い付けたのはお姉ちゃんなんだから」
 ――顔を見たいな、と思った。そうね、私も、あなたの目を見たいな、って。ずっと背け続けてきたけれど、今ばかりは、真っ直ぐに向き合いたい。きっとひどい顔をしているんだろうなぁ。妹は、泣き虫だから。目を真っ赤にして、そこにいっぱい涙を湛えて、けれども私の所に来るまでは零さないようにって、強がってみせて。ほんとうに強い子。私よりも、ずっと、ずうっと。だって、私は――
 胸に埋めていた顔を持ち上げると、そこには恋しいひとの顔があった。潤んだ二つのひとみの中に、私の顔が大写しになって揺れている。あぁ、なんてひどい顔。くしゃくしゃで、今にも泣き崩れてしまいそうで、けれども、必死になってそれを堪えている。だって、私はお姉ちゃんなんだもの。妹よりも先に泣いてしまっては、かっこ、悪いじゃないか……
「うそつき。お姉ちゃん、やっぱり泣いてたんじゃない」
「あなただって、泣き虫なところ、なんにも変わってないわよ」
「いいんだよ、私は。……妹だから、いいの」
「そう、ね……あなたは私の、妹、だものね……っ」
「そう、お姉ちゃんの、妹……。あのね、お姉ちゃん……私ね、今日、……私、はじめて、友達がねっ……」

 

 うそは、嫌いだ。
 偽りのしあわせしか、作り出せないから。
 ……だけど。
 だけれども、もし、うそをほんとうにすることが出来たのなら。
 偽物を、本物に変えられるのなら――

 

 

 私のうそを信じた彼女の、こんなにか笑えているように。
 今度は私が、この小さなうそつきを信じてみよう。
 ああ、私もいつか、この子のように咲けますように。




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