□大したことない四つの話
「大したことなかったわね」
あいつの指先一本に、私は負けた。わっと叫んで飛びかかっていった次の瞬間、私の胸にはなぜかぽっかりと穴が空いていて、冷たい夜風がひゅうひゅうとそこを通り抜けていくのを感じていた。次いでゆっくりと身体が傾いでいって、冷たい地面に無造作に放り出され、そこまできてようやく、私は自分があいつの放った凶弾に貫かれたのだということを理解した。
「あれ……?」
「もっと、満足させてくれるかと思ったのに」
視界がぼんやりとする。あいつはいったいどんな顔をしながら私を罵っているのだろう。その顔を拝めないのが残念だった。久しぶりに出逢えたのに、顔も満足に見ないまま事切れてしまうのが、どうしてかとても悔しかった。
「もう、行くわ」
最後にあいつはとてもつまらなさそうにそう言い捨てて、それからコクヨウセキみたいに輝く髪を翻し、私に背を向けて、そっと竹林の合間の闇に消えていった。そのいっとう綺麗な色は、私の記憶にあるものと少しも違っていなかった。白んでもいないし、痛んでもいない。同じ不死人なのに、私とあいつは、こんなにも違う。
……殺し合いの、力量も。
「ははは……」
血も、涙も、とめどなく溢れてくる。痛いよ痛い。痛いけど死ねない。ちくしょう、私だけこんなに痛い思いをするなんて理不尽だ。ちくしょう。次は殺そう。どうやって殺そう。必ず殺そう。殺して殺して殺し尽くそう。なんと言ったって私は、血も涙もない人間なのだから。
あぁ、……何かを考えることがこんなにも楽しいのは、ずいぶんと久しぶりだなぁ。
今に見てろよ、かぐや姫。
▽イーター
「大したことなかったわね」
私の記憶が正しければ、つい先ほどというか一瞬前まで、目の前のお盆にはお饅頭の山が在ったはずでした。少なくとも、大したことなかったわね、で済ませられる量ではなかったかと思います。大した量ですよ、幽々子様。縮めて大量です。
「あれ……?」
紫様が差し入れてくれた外の世界の温泉饅頭は、見た目の大きさの割には皮が薄くて、その代わり中には餡子がぎっしり詰まっているというそれはもう話を聞いただけで涎の出てくる一品でした。もちろん私だって楽しみにしていました。八割方幽々子様に持っていかれるだろうとは思っていましたが、それでも十個中二個でも手に入れば私はそれで満足でした。満足するはずでした。するはずだったと言うことはつまり現状私は少しもちっともこれっぽっちも満たされていないわけでしてなんというかああもううちの主人はどうしてこう、
「もっと、満足させてくれるかと思ったのに」
――あぁ、そういえばこんな言葉がありました。
仏の顔も三度まで、と。
「もう、行くわ」
茫然とする私を気にする様子もなく、幽々子様はすっと立ち上がり、そのまま部屋を出ていきました。そういえば今日は、顕界に降りてきた新しい神様と夕刻から宴会があるのだと今朝仰っていました。私的な会合だから、私は付いて来なくて良いとも。これから飲みに行くというのになにゆえ饅頭など召し上がっていくのか、その理由を訊けばおそらくこう答えることでしょう。軽いウォーミングアップだ、と。
「ははは……」
もう笑うしかありませんでした。その笑いがどこか乾いているのは、おそらく私の心の内が痛々しく荒れた乾燥肌をしているからです。春なのに、乾いているなんて、そんなのって、ない。
幽霊十匹分の殺傷力を持つと謂われる秘刀、楼観剣。無駄に食い意地の張っておられます幽々子様はいったい幽霊何匹分の質量をお持ちなのか、一度試してみるのもいいかもしれないと思う春の日でしたとさ。
▽閃光花火の落ちる時
魔理沙に、新しいスペルカードを開発したから見てほしい、と言われていざ来てみたはいいものの、実際この眼にしてみるとまぁ、その、……しょぼかった。私的がっかりレベルで言えばカレーに入ってる芋がじゃが芋じゃなくてさつま芋だったぐらいのがっかりだ。辛いのか甘いのかはっきりしてほしい。ぶっちゃけて言えば、まずい。
「大したことなかったわね」
「あれ……?」
思うような効果が出なかったのだろう、魔理沙はその後何度も何度もカードをかざしてはみたけれど、回数を重ねるごとに光はどんどん小さくなっていく。よくある失敗のスパイラルに、ものの見事に嵌ってしまったようだった。
「もっと、満足させてくれるかと思ったのに」
天の川をそのまま引っ張ってきたかのようなきらきらの弾幕に、天まで貫かんとする特大のレーザー。華やかさや派手さが魔理沙のスペルカードの一番の特徴で、私もその弾幕が(見ている分には)好きなのに、今の彼女が私に見せ付けてくるものはせいぜい線香花火といったところである。三尺玉を期待していたのに、出てきたのが線香花火ではお話にならない。満たされないどころか、それではかえって不満が募ってしまう。
魔理沙はさらに数分ほど粘ってみせたが、結局弾幕らしい弾幕が打ち出されることはなかった。魔理沙ががっくりと肩を落としてみせる。こうも気落ちした様子でいる彼女は初めて見たかも知れない。ここまで――今日私にスペルカードを披露するまでにどれだけの下準備を重ねてきたのだろう。その苦労を考えると、彼女のその気持ちはわからないでもなかった。私も、こつこつと時間をかけて組み上げてきた人形が思うように動いてくれなかったりすると、落ち込まずにはいられないから。
「もう、行くわ」
なんとなく居た堪れなくなってきて、魔理沙にそう言って踵を返そうとしたその時、それと同時に魔理沙は俯いていた顔を上げ、そして「ははは……」と力なく自嘲してみせた。普段は快活な彼女が、その時ばかりはとても小さく見えた。私の思っている以上にショックを受けているのかもしれない。なにか声をかけてあげるべきなのかもしれないが、何を言えばいいのかなんて、ちっともわからなかった。
そんな魔理沙を見ていることにもう堪えられなくなってしまって、私は何も言わないまま足早に場を去った。そうやって逃げ出した自分が、魔法を失敗した魔理沙よりも格好悪く思えた。まったく、らしくないなぁ。私も魔理沙も、全然なってない。そもそもどうして私に新しいスペルカードを見せようなんて思ったんだろう。自慢したかったのだろうか。見せ付けたかったのだろうか。でも魔理沙の性格を考えると、そういう“とっておき”は誰にも明かさずに隠しておくと思うのだけれど。
そんなふうにして、ふっと生まれた心の中のもやもやは、いつまで経っても晴れることは無かった。吹っ切れない感情を抱えたままの帰り道、線香花火のような幽かな光と、皺だらけの魔理沙の顔ばかりが、頭の中をずぅっと巡り続けていた。
▽うさみさんのある日
突然振り出した夕立に晒されて、近くにあったカフェに逃げ込んだ。さっきまでは眩しいくらいの斜陽が注いでいたのに、今の表通りはと言えば車軸を流したような雨が激しく地面を打っている。当分止む様子もなかったので、仕方ないからここで一服していこうということになって、私はブレンドコーヒーを、メリーはアッサムティーを注文――し終えたところで雨が止んだ。それはもう、狙いすましたかのように。
「大したことなかったわね」
メリーはこの偶然を笑っていたけれど、私はちっとも面白くなかった。面白くないというより、こんなところで315円の出費をしてしまったということが地味に痛い。ここは街中にあるお店だから、当然のことながら学生カードが使えない。別に珈琲代一杯も払えないほど貧しい学生生活を送っているわけではないが、こんなつまらないことで月旅行への道程が315円分遠のいてしまったのかと思うと、自分の運の無さが恨めしく思えてきてしまうのだった。
しかも、だ。
「あれ……?」
五分ほどしてから注文していた珈琲が届いたのだけれど、それがまた、美味しくなかった。香ばしくないとか風味に欠けるとか以前に、薄い。ちくしょう、やられた。そもそも五分やそこらでマトモな珈琲が淹れられるわけがない!
「もっと、満足させてくれるかと思ったのに」
これじゃあ315円分も取り返せてない。というかこんな珈琲に100円だって払いたくなかった! ……だって言うのにメリーが飲んでる紅茶はなかなか美味しかったらしくて、実にのほほんとした表情を浮かべてご満悦といった感じだった。メリーばっかり幸運の神様に愛されてずるい。私だって神様のご加護が欲しい! ……って、そんな私には厄神様がくっ付いているわけですかそうですか。
冗談じゃねー。
「もう、行くわ」
少しでも公平を保つべく、メリーにはゴールデンドロップを飲ませないことにした。当然のように非難の声が上がるが聞く耳は持たない。渋るメリーの腕を捕まえてレジまで引っ張ってきて、さぁお会計、と言うところで私は己の不幸がまだ続いていることを思い知るのでした。
さんびゃくえんしかない。
「ははは……」
そっと、メリーの方を振り返る。メリーはとても素敵な笑顔を浮かべていた。素敵すぎて目眩がした。そのひとみが真っ直ぐ私を見つめている。私の言葉を待っている。
どうやら明日からしばらくは、メリーに頭が上がらないという不幸が続きそうだった。
▽蛇足~或る(自称)ルナシューターの証言
「大したことなかったな」
違う、俺の実力はこんなもんじゃない。本気を出せばLunaticとか余裕だからマジで。
「あれ……?」
ぇ、ぁ、なに? 取得履歴?
あのほら一回削除してまたインストールしなおしたからさデータとか一回消えたんだうん消えた。
ちゃんと全部取ったって! 夢幻泡影とか楽勝だったから!
「もっと、満足させてくれるかと思ったのに」
いやなんつーの俺魅せプレイ派じゃないっつーか堅実なクリアを目指してるわけ。うん。
お前は見ててつまらんかったかもしれんけど俺としては満足したよ? 自己満足だけど!
なぁんちゃってあはははは、は……
「もう、行くから」
あ、ごめん。待って。俺が悪かった。いやほんとごめんちょっと嘘ついてた俺ほんとはルナどころかノーマルが、
「ははは……」
なにその勝ち誇ったような笑み! おい待てどこ行くんだよ!
待てよ! 待ってくださいよぉぉああぁぁぁぁ……!!