□紅の食卓



 どこか懐かしい、土の匂いで眼を覚ました。ゆっくりと見開かれた視界には、床の上に転がっている仲間たちの姿がまず飛び込んできた。どいつもこいつも死んだように眠っていてぴくりとも動きやしない。かく言う俺も、目覚めたばかりだからかどうかは知らないが、全身がひどく重くて寝返りも満足にいかない有様だった。いや、重いともまた違うようである。麻痺しているといった方がしっくりくるかもしれない。脚に力が入らず、爪先さえも伸ばせない。まるで神経が通っていないかのようで……いや、実際に通っていないのか。気付かないうちに毒か何かでも盛られてしまったのだろう。とすると目の前にいる俺の仲間たちは……全員、毒にやられてしまったのか。みな眠るように死んでいる。どういうわけか俺だけは生き長らえたようだが、劇毒が俺の体に残した後遺症はあまりにも大きい。精神に以上をきたす毒物ではなかったようで、こうして正常な思考は保たれたままだが、しかし体の自由がまるで利かないというのも、それはそれで多大な精神的苦痛であった。
 いったい誰が、なんの目的で俺たちに毒を? 考えを廻らせてはみたものの、思い当たる節はなにひとつとして思い浮かばない。誰に迷惑をかけるわけでもなく、ただ毎日をひっそりと暮らしてきた俺たち。妖精のように悪戯をして遊んだこともないし、妖怪のように人を襲ったことも無い。平和に、平穏に暮らしてきただけなのに、それなのにどうして、一族郎党皆殺しなど……
 ちくしょう……俺たちが何をしたっていうんだ! そう叫び声をあげようにも、しかし思うように息が吸えず、かえって息苦しさに咽返るばかりだった。麻痺が呼吸器官にまで及んでいなくて助かったと、今さらだが安心を覚えた。
 ――そんな時だった。俺に呼びかける誰かの声に気がついたのは。相手はどうやら俺より先に目覚めていたようで、荒い呼吸の音で俺に気が付いたようだった。「おぅい」という低い男の声がする。声の主を探そうと眼球だけを動かして辺りを見渡すと、相手はすぐに見つかった。どうやら視界の端っこに映っている、褐色の肌をした小太りのおっさんがそうらしい。
「君、生きていたのか!」
「おっさんこそ。生き残りがいて嬉しいぜ……」
「まったくだよ、私もさっきから皆に声をかけていたのだが、誰も眼を覚ましてくれなくてね……どうやら、生き延びているのは私と君だけのようだ」
 なんてことだ……俺は改めて事態の深刻さと、そして犯人の鬼畜さを思い知った。目につく範囲には何十という顔見知りが横たわっている。背後の様子はわからないが、おそらく目の前と同じ光景が広がっていることだろう。父、母、兄と妹……親戚に友人も。俺が今まで生きてきた中で知り合ってきたその誰もが、みな変わり果てた姿で倒れ臥していた。怒りと哀しみの入り混じった、どろりとしたいやなものが胸の中に込み上げてくる。吐き出せたなら、ぶつけられたなら、どれだけ楽になれることだろう。しかし俺はその感情をぐっと飲み込んで、腹の底にしまい込むことにした。俺はまだ、犯人の姿さえ見ていないのだ。
「おっさん、動けるかい?」
「だめだ……神経毒かなにかを盛られたようだ、身体に力が入らない」
「くそっ、これじゃあ犯人に復讐もできねぇじゃねぇか!」
 荒げた声は、しかし響き渡ることもない。立ち込める空気はひどく重く、俺の叫びは闇に吸い込まれるようにして消えていくばかりだった。それがまた悔しくて、俺は犯人に届きやがれともう一度咆哮したが、そんな俺を見ておっさんがこんなことを言った。
「やめてくれ……虚しいだけだ」
「なんだと! あんた、仲間が皆殺しにされたのに、よくもそんなに落ち着いていられるな!」
「……仕方ないだろう、これが私たちの、運命なのだから」
「ッ、どういう意味だ!」
「この運命は定められていたのだよ、最初から。ここに住む悪魔の手によって、な」
 言い終えると、おっさんは遠い目をしながら辺りを見渡した。おっさんが何を言っているのか理解できなかったが、とりあえず俺もそれに倣うことにした。
 俺たちの詰め込まれている部屋は一面を赤茶色の煉瓦で囲まれていた。それはまるで血色の塗料を塗ったくっているかのようにも見えて、なんだか生理的に受け付けない色合いをしていた。眼球の動く範囲で、部屋中をゆっくりと眺めていく。思った以上に広い部屋で、そのいたるところによくわからない道具が整然と並べられていた。ほんとう、ここは何をする部屋なのだ……そんな疑問を抱いた時だった。視界に飛び込んできたある光景に、俺は思わず呼吸を忘れた。
「な、ぁ……」
 壁の一角、そこに掛けられている無数の“それ”を見て、俺はさぁっと血の気が引くのを覚え、あわや貧血さえ起しそうになってしまった。大丈夫かい、とおっさんの声が届く。ばかやろう、ばかやろう、あの程度で、あんなものでッ、怖がってなんかいられるか!
 そこに並んでいたモノ……それは無数の刃物であり、ナイフだった。燭台に灯された小さな炎の光を受けて、そのどれもが鋭利な刃筋をぎらつかせている。どれだけの数があるのか正確なところはわからなかったが、十や二十で済まされる本数ではないだろう。幾十もの冷たい視線が俺を射貫き殺そうとしているようで、俺はそこに百目の化物でもいるのではないかという、身の毛もよだつ恐怖に心臓を押し潰されてしまいそうだった。
「おいおい、なんだよありゃあ……おっさんッ、あれはいったい、……ここはいったい、どこなんだよぉっ!?」
「調理場、だよ」
 おっさんは落ち着き払った声でそう言った。憐れみも悲しみも、怒りもそこにはなかった。その淡々とした無感情な声に、俺は苛立ちを隠しきれなかった。
「だから、あんたの言ってることの意味がわからねぇんだよ! 悪魔がどうしたんだよ! 運命ってなんなんだよ! 挙句の果てに、調理場だとぉ? まさかあんた、俺たちが、悪魔に食い殺されるって、そう言いたいのかよ?!」
 おっさんが俺の方へと振り向き、なにもかも悟っているかのような眼で、静かに俺を見据えてきた。この野郎、自分だけ賢者ぶりやがって。悪魔に食い殺されるだと? 冗談じゃねぇぞどうして俺が俺たちがそんな理不尽な目にあわなきゃいけないんだ! 生き延びてやる。生きて、生きて、そうして復讐してやる! くそぉ! 犯人はいったい、どこのどいつだッ――――

 俺が咆哮しようとした、その時、

 部屋の扉が鈍い音を立てながら、ゆっくりと開いた。

「――だっ、誰だてめぇ!」
 ドアは俺の背中側にある。だから来訪者の姿は見えなかったが、俺は構わずにそう叫んだ。それから幾許か沈黙があったが、それもヤツが深い溜息を吐いたことで断ち切られた。俺たちをこんな目にあわせておいて溜息とは何様のつもりだ! 声は上げたものの、それがヤツに届いたのかどうかはわからない。
「甘くしろ、ね……お嬢様の我侭とはいえ、あんまり乗り気になれないわねぇ」
「ぉ、おいお前俺の話を――」
「こういうのは、ちょっと辛いほうが好きなのに」
 心底、残念そうな声で。それでいて、ちょっと楽しげに。
 ま、待てよ……俺の話を聞けよおい! 辛いってどういう意味だよ! 俺たちをこれ以上どうするつもりだよ! 調理って、ナイフって、あ、ああぁぁぁ……
 ヤツは俺の脇を通り過ぎ、真っ直ぐにあのナイフの棚へと向かっていった。青いワンピースにエプロンを巻いた後姿を、俺は憎悪に満ちた目で睨みつけていた。そんな俺の視線に気付くこともなく、ヤツはナイフの選定に入った。何本も何本もその手にとっては、食い入るようにして刃を見つめている。銀の髪と銀の刃が、冷たく妖しい光を放っていた。
「悪魔の狗、そんな言葉を聞いたことはないかね」
 不意に声が届く。おっさんのものだった。
「し、知らねぇよ……悪魔だなんて、俺は……」
「君はまだ若いから、知らなくとも無理はない。……あそこでナイフを選んでいるのはな、この館に住む悪魔のしもべだ。我々の血肉を喰らう主人のために、あちこちから“食料”を集めてきては、ここで“調理”をして主人に食べさせてやっているらしい」
 ここからでは顔はよく見えなかったが、ヤツはまだ若い女のように見えた。そんな女が“調理”のためのナイフを一心不乱に選んでいる……狂っている。俺は女を直視していられなくなった。
「私の妻と子……生みの親も、皆いつの間にか忽然と、私の前から姿を消していった。どこに行ってしまったのか最初はまったくわからなかった。だから、後で噂を聞いた時にはぞっとしたよ。洋館に住む悪魔に、血の一滴まで食い尽くされてしまったのだという話……。嘘だ嘘だと信じて今日まで生きてきたのだが、いざこうして現実と向き合ってみれば……あぁ、なんて、呪わしい運命だ……」
 俺はおっさんの方を振り向き、すぐに目を逸らした。おっさんの目も、もうまともな色をしていなかったからだ。
 なにがなんだかわからない。俺の生まれてくる前にも、こんな猟奇的な事件があったっていうのか……知らねぇぞ、俺はそんなこと知らなかった! くそっ! 父さん、母さん! どうしてなにも教えてくれなかったんだよ! なにが運命だ! わかっていたなら逃げ出せたはずだろう! それなのにどうして……嗚呼、俺がここでこうして喚いていることも含めて、なにもかも決められた運命だったって言うのか?!
 俺はわあっと声をあげ、それからおんおんと泣き出した。どうしてか涙は涸れていたけれど、気にせず心の中で泣いた。誰も救えなかった俺を恨んだ。これから殺される俺を呪った。殺される? いいや違う。そんなものでは済まされない……

 俺はそこではっとした。とてもいやな予感がしたのだ。
 慌ててヤツの方へと視線を向ける。見なければよかったと、思った時にはもう遅い。
 俺の視界に飛び込んできたのは、妹の首に手をかけている、ヤツの姿だった。

「ゃ、……やめろよっ! もう死んでいるんだぞ!!」
 腹の底から声をあげた。さっきまで溜め込んでいたあのどろどろの塊を、俺はなんの躊躇いもなく吐き出した! 思いつく限りの罵声を浴びせた。少しでもヤツの注意が逸れればと、そればかり願って声を出した。けれど、ヤツは、決して妹を解放しようとはせず、それどころか妹の髪にナイフを当て、

 ざくりと。

「――――ッ?!」

 綺麗なみどり色の髪だった。お天道様の光の下できらきらと輝く、いっとう綺麗な髪だった。それが無残に無惨に無慚に散った。妹の体から断たれた瞬間に、あれほど瑞々しかったその髪はあっと言う間に鮮やかな色を失っていった。
 俺はもう呼吸さえ満足にいかなかった。鼓動は爆ぜて壊れてしまいそうなほどに早く、煮え滾った体液が全身を駆け巡った。憎い。こんなに殺意を覚えたのは初めてだ。この体ごと飛んでいけるなら、俺は音速を超える弾丸になってヤツの体を貫けるのに!
「新鮮ね。美味しそうだこと」
「てめぇ……俺の妹になんてこ「新しいナイフを試すのにはちょうどいいわね」
 ヤツが俺たちを一つずつ眺めていく。並べられた“食材”を前に、大そうご満悦な様子だった。
 やがてその視線が俺のそれとぶつかった。ようやく直視した、ヤツの顔は満面の笑みそのものだった。大好きなご主人様に料理を作ってあげるのだ――――俺たちで。喜ばれるところを妄想しているのだろう。美味しいわ、とそんな声を幻聴しているのだろう。端から俺の憎悪の眼も怒りの声もヤツには届いてなどいないのだ。ヤツの眼にはご主人様しか映っていない。ここにはヤツしかいない。はじめから、俺たちなんていない。
 俺と交差していた視線がぶれ、ヤツの眼がまた妹の方を向いた。それからヤツは、その手に持ったナイフを、妹の肌へ、

 や、やめろ……

「まずは皮を剥いて、」

 やめろ、やめろ……やめろっ……

「そうね、ぶつ切りでいいかしら」

 やめろやめろやめろやめろやめろやめろおおぉぉぉぉぉ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ねぇ咲夜、このカレーちょっとにん○゛ん多くない?」



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