「ポップの本質は一発芸だ」J-POPを創った男=織田哲郎が明かす“ヒットの秘密”
作曲家としてZARD、DEEN、大黒摩季、相川七瀬、AKB48などに楽曲を提供する一方、ソロアーティストとしてもヒット曲を数多く世に送ってきた織田哲郎。いわば“J-POPのオリジネイターの一人“である彼が、前作『One Night』以来6年ぶりのソロアルバム『W FACE』を10月30日にリリースする。ロック色の強い「RED」盤とアコースティック曲中心の「BLUE」盤の2枚からなる本作は、30年にわたるソロキャリアを集大成したような多面的なアルバムだ。そのリリース直前に行ったインタビュー前編では、稀代のヒットメイカー=織田哲郎の音楽哲学を探った。
●ビートルズで言えばポップなのはジョン・レノン。ポール・マッカートニーは職人だった
――ご自身の作品でも、また提供曲でも、数多くのヒット曲を世に送り出してきた織田さんですが、これまで何曲くらい作りましたか。
織田:自分のアルバムの200曲くらいも入れて、作品になっているのは全部で400~500曲くらいかな。作曲家として30年やってきた人間にしては少ないです。だから、ヒット曲の率を考えると打率はいいですよ(笑)。
――その曲数で累計4000万枚以上のセールスはすごいですね。織田さんの中で、多くの人に届く「ポップス」の定義があるのでしょうか。
織田:とにかく人を一発で振り向かせるものがポップスだと考えています。世の中では“心地よく作られたもの”がポップだと勘違いされがちです。でも、ビートルズで言えばポップなのは明らかにジョン・レノン。彼は一発芸が大得意で、心地よく聴かせるような音楽の構築は苦手なんですよ。一方、ポール・マッカートニーは構築の天才で、ソロになってからは“職人的な心地よさ”の方に向かってしまい、あまりポップではなくなった。ビートルズ時代は、身近にジョンというポップの大先生がいたから、ポップな楽曲を作ることができたんです。「Help!」といきなり言われたら、ハッと耳がいってしまうでしょう。見るものでも聴くものでも、ポップアートというものは、なるべくシンプルな何かにすべてを象徴させ、その一発で人の注意をひくものなんです。
――意図的に構築するのが難しいのだとしたら、上質なポップスはどのように生まれるのでしょう。
織田:理屈ではなく、瞬発力で突然浮かぶものです。そこから先の増改築は理屈でやれるところですが、ポップの本質的な部分は“浮かぶかどうか”だけ。人に対する影響力やインパクトというのは、だいたい簡単に作ったものの方が大きいんですよ。じっくり煮詰めて作ったものは、自分としては愛着が湧くけれど、ポップスとしての力は弱いですね。
僕は20代後半のころに、ほかのアーティストのアルバムを全曲プロデュースする、という仕事を多くやって、疲れ果ててしまいました。そうすると、“合格点なら、60点の曲でもいいか”という気持ちがどこかに出てきてしまう。そんな計算をしてしまっては、ポップなものはできない。だから、ある時期からなるべくシングルのA面曲だけを書いて、“この曲が合わないんだったら、ボツで構わない”という姿勢でやるようになりました。曲の数を絞って、本当にポップなものだけを人に提供しよう、と考えたんです。90年代以降はそんなやり方でしたね。
――じっくり作ったものではなく、いわば“思いつき”のような部分が評価されるというのは、作り手としては葛藤を生むところかもしれません。
織田:そうですね。切ない部分ではあるけれど、そればかりは仕方がない。“そういうもん”だから。
●90年代は、いろいろな歯車がうまくかみ合ったラッキーな時代だった
――80年代の日本語ポップスは「ニューミュージック」という呼び方で、ロックとは別のものという認識が一般的でした。それが90年代に入ってから、織田さんの作るロックのマナーを持ったポップスが世の中に広がっていき、ロック的な要素も入った「J-POP」というカテゴリーができあがったように思います。そうした流れを、ご自身ではどのように分析していますか。
織田:僕がデビューしたWHYというバンドが、すでにそんな志向でしたね。当時から、メロディーはアコギ一本で歌ってもきちんときれいなもので、でもオケはロックとしてカッコいいものがいい、と思っていて。ただそのころは、弦が入っていて、不必要なキメがやたらあるものじゃないと歌謡曲じゃなかったから「中途半端なもの」と言われたし、ロック系の人からは「歌謡曲っぽい」と言われたりして。そういう音楽がきちんと受け入れられるようになっていった変化については、素直にうれしいですね。自分が気持いいと思うものをみんなが気持ちいいと思ってくれるようになった、という感じでした。
――そうして、織田さんは楽曲提供したBBクイーンズ「おどるポンポコリン」(90年)以降、自身の「いつまでも変わらぬ愛を」(92年)、ZARDへの提供曲「負けないで」「揺れる想い」(93年)など、ミリオンヒット曲を連発しました。
織田:歯車がかみ合ってきているな、という感じでした。そもそも楽曲というものは、“曲がいい”というだけでヒットするものではない。いい歌詞が乗ることが大事だし、アレンジも歌もよくないとダメです。なおかつ、多くの人が聴いてくれるようなプロモーションができていないといけない。そうやっていろいろなことがうまく回らないと、ヒットにはつながらないんです。その意味で90年代は、いろいろな歯車がうまくかみ合っていた時代だと思います。
――一方、現在の音楽業界について伺います。90年代初頭はCDの売り上げがどんどん伸びる時代でしたが、2000年以降、頭打ちになってから厳しい状況になってきています。そうした中で、レコーディング芸術としての音楽が難しくなっている状態をどう思われますか?
織田:それは仕方がないですよ。逆に言えば、レコードがまだない時代は、生演奏しかなかった。そのころからハードの変化に応じて、人が音楽を楽しむ方法は変わってきたんです。レコードからCDに切り替わる以前のことを考えると、実はレコードはそんなに売れなかったんですよ。TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」(86年4月にレコード/カセットでリリース)は当時大ヒットだったけれど、それでも30万枚くらいだった。90年代のCDのセールスは、たまたまラッキーな時代だったと思います。
音楽を聴くためのソフトやハードをどう世の中に普及させるか、あるいはそこでどんな音楽を商売としてやるべきか、ということは、それを考えたい人が、それぞれのポジションで考えればいい。自分は単純に音楽を作ることのプロであって、そこにしか楽しみはないから、レコードがなければ演奏会用の音楽を作るだろうし、その時代なりに自分が作りたいものを作るだけです。
もちろん、ハードが変わることで作り手も変わる。ただ、パソコン一台で音楽が作れるようになっても、それはあくまで道具であって、その道具だからできることだけをエンジョイしているサウンドは単なる流行りになってしまうから、あまりそういうことはしたくないですね。音楽自体は、何十年経ってもリスナーが古くさいと思わずに聴ける普遍性を求めて作っています。売れる売れないはそこから先の話で、正直あんまり興味ない。歯車が上手く回れば売れるし、売れなかったらそれは仕方がない。売れても売れなくても「良い曲ができたなぁ」と思える瞬間に自分の最大の幸福があるので、「あんまりほかのことを考えても仕方がない」というスタンスですね。
●人がポップだと感じるメロディは、60~70年代からそれほど変わっていない
――「いい」と思える音楽の基準は、作り方や状況が変わっても変わらないものですか。それとも、ハードウェアや状況に規定される部分もあるのでしょうか。
織田:それはあります。例えば、いまの僕は“デジタル万歳”。なぜかと言えば、音楽制作ソフト「Pro Tools」が96kHz(録音サンプリングレート。一般的なCDは44kHz)に対応したから。打ち込みをやっていて、サンプル音源のクオリティがかなり上がっているので、これは楽曲の制作に大きく影響します。
――先ほど伺った良質なポップスに対する判断基準は、制作環境の変化の影響を受けますか。
織田:それはまったく変わりません。電気的な後処理で曲がカッコよくなることも認めるし、「ハードの変化でこういうことができるようになった」というポップさもアリです。でも、だいたいにおいて人がポップだと感じるメロディの要素というのは、実は60~70年代とそれほど変わっていない。50年代の音楽はいま聴くと古くさく感じますが、ビートルズの後期のメロディは、まったく古くなっていません。60年代はまだ古いものと新しいものが共存していたけれど、70年代には古いものが淘汰されて、新しいメロディの気持よさの価値観ができあがったんです。そして、現在に至るまでその価値観は大きくは変わっていない。当然、細かい変化はありますけど、それ以前の激変に比べると比率としては小さいものです。細かい話は理屈っぽくてつまらなくなるから、今回は割愛しますが(笑)。
――60~70年代に起きたような変化は、当分は起きないと。
織田: そうですね。例えば、服や車の形だって、結局は70年代くらいまでのものをマイナーチェンジしているわけでしょう? 音楽にかぎらず、いろんなものが大きく変化しない安定期に入っているのかもしれないですね。ここまでは「より便利に、快適に」という人間の欲求が文明を進化させてきたけれど――『マトリックス』という映画でも描かれているように、ここから先は、便利さの追求が必ずしも社会を発展させることにつながらないと思う。
例えば、恋愛の魅力を考えてみるとどうか。これまでになかった刺激的なできごとがあれば楽しいし、一方で心地よく、落ち着ける関係も魅力的ですよね。これを両立するのが、ものすごく幸せな恋愛だということになる。そして、音楽において刺激的なことが心地よさと両立していた幸せな時代が、60~70年代だったということです。それを過ぎたら、より刺激的なことは、体に悪いことでしかなくなっていく。いまはどんなジャンルでも、前衛的なものは普通の人にとって気持ちよくないものになっている。その点、60~70年代はアンディ・ウォーホールやビートルズが最先端で、しかも心地のいいものだった。こんなにハッピーな時代はない。その点、いまのポップ・ミュージックには、前衛的に見えたとしても、予定調和で先が見えているものしかない。文化として停滞せざるを得ない時期なんだと思います。
――織田さんの中に、「予定調和を超える前衛を見てみたい」という思いはありますか?
織田:それはありますよ。例えば、発表しない音楽を作るなかで、既存の理論を壊した音階やリズムを試したりもしています。そういう作業は、作り手としては面白い。でも、それをリスナーとして聴いてみると、面白くも心地よくもないものだったりするわけで。だから発表していないんですけどね(笑)。
それでも、細かいところでは「まだ同じことやっているよ、俺……」という意識で曲を作るのは耐えられないので、ポップスというフィールドのなかで、いろんなことを試しています。言ってみれば芸術家というより職人で、人から見たら同じ皿でも、自分にとって進歩があれば幸せだし、つまらなく思えば割ったりもする。大それた前衛じゃなくても、細かいところで「俺は新しいことをした!」と思えればいいと考えています。(神谷弘一)