一、教育とメディアの沈黙がもたらした「過去の忘却」
韓国人は朝鮮戦争を起こした北朝鮮による被害をほとんど忘却している。なぜなら、学校でその被害を正しく教えておらず、メディアもあまり言及しない。その結果、今の世代には韓国軍と民間人合わせて90万人以上の犠牲者が出た残酷な歴史、先祖の体験した恐怖が伝えられていないのだ。
過去、軍事政権時代には行き過ぎと思われるほど反共教育が徹底的に行われ、北朝鮮に対する敵愾心と反感を植え付けていた。しかし、1987年の「民主化」以後、とくに1998年から10年間続いた左派政権下で反共教育はほぼ消えてしまい、代わりに北朝鮮との調和と同質性の回復を強調する民族主義的な教育がその空白を占めるようになった。メディアの報道も同じで、過去のことは水に流し未来志向の関係を目指そうという話がほとんどだ。民主化以後、教育と報道において日本に批判的な内容が強調、増加してきたこととはあまりにも対照的だが、これこそが教育の力といえよう。
二、民族主義的な心理 - 「価値観」より「血」を強調
一般的な韓国人は、南北は当然統一しなければならないと思っている。なぜそう思うか。それは「南と北は同じ民族」という極めて単純な理由である。同じ民族の「別居」は不可能なのか? 異なる民族であれば統一の対象外か? こういった問題に対して真剣に考えることなく、ただ首脳会談という祭りの「ノリ」に流されているのだ。
実は、統一への願望は左派政権だけでなく、過去の軍事政権や右派政権時代にも教育と国家プロパガンダを通して強調されてきた。韓国人にとって統一は必ず成すべき「当為」であり「使命」のようなものだった。
ただし、過去に追求した統一は経済的、軍事的優位に基づいて南が北を吸収する「韓国主導」の統一だったが、現在の文政権のそれは南が主導する方式より、共存つまり「連邦制」に近い形式を目指しているようにも見える。
日本の評論家、メディアの中でも、南北は元々一つの民族だから統一しなければならならないと、まるで「民族」が結束と統一の前提条件であるかのように語られることがある。それは隣国に対するエールのつもりだろうけど、私はそれに大きな違和感を覚える。なぜなら結束と統一の必要条件は、「血」ではなく、「価値観」だからだ。