2018年09月07日
センサーなしでインフラ構造物の振動を捉える
「光学振動計測技術」
道路や橋梁などの社会インフラを安全に維持管理するうえで、点検は重要な業務である。NECが開発した「光学振動計測技術」は、コストと手間、技術者不足が課題となっている点検作業の効率化と精緻化を実現する画期的なテクノロジーだ。去る3月、愛知県の有料道路でその技術の実証実験が行われた。実験の成果と今後の可能性をレポートする。
老朽化が進む社会インフラの安全をいかに守っていくか
日本において道路や橋梁などの社会インフラが全国的に整備されたのは、1960年代から70年代にかけての高度成長期である。それからおよそ半世紀。インフラの老朽化が現在、深刻な社会課題となっている。
社会インフラの点検、補修・補強、更新は人々の安全・安心に関わる極めて重要な事業だが、その事業には多額のコストがかかる。国や地方自治体や道路事業者がそのコストを、いかに抑制し、いかに効率的にインフラの安全を確保していくべきか──。その問題に対する一つの答えが「テクノロジーの活用」である。
愛知県の有料道路で、「光学振動計測技術」を活用した橋梁点検の実証実験が行われたのはこの3月のことだ。実験の主体となったのは、愛知県内の8路線、計72.5kmの道路の運営、維持・管理を担う愛知道路コンセッション株式会社(Aichi Road Concession:以下ARC)である。
「国や自治体が所有する公共インフラの運営を民間企業に委ねる仕組みをコンセッション方式といいます。ARCは、その仕組みによって生まれた会社です。前田建設工業株式会社(以下前田建設工業)を筆頭に、5社の民間企業の出資によって成立しました」
そう説明するのは、ARCの道路の維持・管理の責任者である中島 良光氏だ。筆頭株主の前田建設工業は、数年前から「脱請負」を掲げ、再生可能エネルギー事業やコンセッション事業に積極的に関わっている建設会社。同社の技術研究所が、ARCの事業を技術面で支えている。
ARCが現在目指しているのは、オープンイノベーションの仕組みを導入して、道路の維持・管理に関わる技術開発のスピードを上げ、現場の課題解決に役立てることだ。そのプラットフォームとして同社は、「愛知アクセラレートフィールド」をこの8月に立ち上げた。「さまざまな企業に先端技術を持ち寄っていただき、その技術の検証を行う場」と中島氏は説明する。3月に実施された光学振動計測技術の実証実験は、その先駆けとなる取り組みだった。
3次元の微細な動きをその場で数値化して捉える
光学振動計測技術とはどのようなものなのか。この技術の開発者であるNECスマートインフラ事業部の村田 一仁は次のように説明する。
「ビデオカメラで対象物を動画撮影することによって、対象物の水平、垂直、奥行きの3方向の揺れを計測できる技術です。10メートル離れたところからの撮影で水平・垂直方向は約10ミクロン、奥行き方向は約40ミクロンの揺れを捉えることができます」
車が走る橋梁をカメラで撮影すると、走行による橋の「たわみ」が数値化され、PCの画面に波形としてリアルタイムで表示される。その技術を現場で実証しようとしたのが、3月に行われた実験だった。
「映像から水平・垂直方向の動きを捉える技術はこれまでもありました。しかし、奥行きまでを把握できる技術は、過去に例がないと思います。また、そのデータを事後分析するのではなく、その場で視覚的に3次元の動きを確認できる点も非常に画期的だと思いました」
前田建設工業・技術研究所の松林 卓氏はそう話す。
実証実験は非常にスムーズに進んだと振り返るのは、実験に立ち会ったARCの山本 和範氏である。
「橋梁を地上部から垂直に見上げる格好で撮影をしました。センサーも不要で、必要とした機材は、基本的にカメラとデータを処理するPCだけで、設置も短時間で済みました。限られた敷地で、シンプルな機材で点検ができる。それがこの技術の大きな特徴だと実感しました」
設置から撤収まで2日間にわたって行われたこの実験では、車の通行量や風量など、さまざまに異なる条件下で橋を撮影し、データを収集した。風によるカメラの揺れが発生しても、奥行き方向のデータ取得には大きな支障はないことなど、新たな知見も得られたという。
インフラ点検の課題を総合的に解決する
この技術が実用化することによって、インフラ点検の方法はどのように変わるのだろうか。
「従来は、点検が必要な場所に人が行って、目視でコンクリート表面のひび割れを確認したり、ハンマーで表面を叩く打音検査によって内部の劣化やボルトのゆるみをチェックしたりしていました。点検箇所が高所であれば高所作業車が必要になり、通行止めをしなくてはいけません。また、人がなかなか近づけない場所もあります。今回実験をした光学振動計測技術は、遠隔からの点検を可能にするので、作業員が点検箇所まで行かなくても異変を捉えることができるようになる可能性があります。この方法が実用化すれば、点検作業を大幅に効率化できるようになるはずです。人の手が届かない場所も点検できるようになるでしょう」(中島氏)
さらに「点検作業の属人化」という問題も解決できると話すのは、同じく実験に立ち会った前田建設工業の太田 健司氏だ。
「これまでの点検は、作業員の経験値、スキル、感覚に依存していましたが、この技術を使うことによって、点検の結果を定量的に把握することができます。また、得られるデータの精度も驚くほど高いので、今まで人の作業では発見できなかった異変を早期に見つけることもできるはずです」
一方、実験の過程で課題も見えてきた。松林氏が話す。
「雨、風、暑さなどの気象条件にいかに対応するか。あるいは暗い場所での撮影をいかに実現するか。それらが今後の技術的課題と言えそうです。また、海や川にかかった橋の全体を点検するには、地上部にカメラを設置して斜め方向から撮影する必要があります。角度のある撮影でのデータ取得の精度を上げていく技術開発にも、今後期待したいと思います」(松林氏)
加えて、ルール面での課題もある。
「社会インフラの点検方法には、国土交通省などが定めたルールがあります。新しいテクノロジーを活用した点検を正式な方法と認めてもらうことが、これからの一番のハードルとなるでしょう。そのハードルを越えるためには、今回のような実証実験の成果を広く世の中に発信し続けることが必要です」(中島氏)
道路のための技術を社会を支える技術に
ARCと前田建設工業は今後、愛知アクセラレートフィールドの枠組みをフルに活用して、新しい技術の実証実験を続けていく予定だ。この枠組み自体は、道路の運営、維持・管理に関わる課題解決を目指すものだが、そこから生まれる新しいソリューションは、広範な社会インフラに応用できる可能性があると中島氏は言う。
「道路構造物を対象にした技術が、さまざまなインフラを守るための技術に育っていくことが理想です。実証実験の成果を私たち自身の利益に結びつけていくだけでなく、成果を広く社会に還元し、社会全体を支える技術にしていきたいと私たちは考えています。そのためには、NECをはじめ、多くの企業に私たちの取り組みに参加していただくことが必要です」
技術を開発する側にとっても、このプラットフォームに参加することの意義は大きい。NECの村田は言う。
「技術開発の過程で現場のユーザーと意見を交換できる機会は、実はなかなかありません。今回の実証実験では、建築・土木のプロフェッショナルの皆さんから、意見、ニーズ、課題を直接お聞きすることができました。新しい技術、新しい発想、新しい方法を受け入れてくださる。新しいものを奇異なものとして否定するのではなく、肯定してその可能性を検討してくださる。それがARC様や前田建設工業様のカルチャーであると感じています。今後も、愛知アクセラレートフィールドに積極的に参加して、光学振動計測技術の可能性をさらに広げていきたい。そして、いろいろなプレーヤーと力を合わせてNECの技術資産を社会価値に結びつけていきたい。そう考えています」
一方に現場と課題を持つプレーヤーがいて、一方に技術とソリューションを持つプレーヤーがいる。その両者が手を携えて成功させたのが、今回の光学振動計測技術の実証実験だった。これはあくまでも始まりに過ぎない。社会インフラを守り、人々の安心・安全を守るための「共創」が、これからも続いていく。