平成2年の宗門問題がおこり
ラインで副部長になったばかりの私には
広宣部の白羽の矢が当たってしまう
その時の部長は
米軍キャンプでの仕事をされていて
部長就任の半年後には
職場近くに家を買って引っ越してしまった
年齢は35歳ぐらいだったかと思う・・
かくして
次の部幹部・地区幹部を育てながら
創価班の任務と高等部の担当もしていたし
もうメチャクチャだった・・
当時の私は
事故で妹を亡くした傷心から
活動する事でしか生きられないような
そんな精神状態だったのかもしれません
正直にいうと
この頃の記憶がほとんど消えています
ただ本当に忙しい毎日だったと・・
さて
広宣部の会合は
毎週深夜12時を回ってから始まり
大体が分県単位で
1時間程度の短時間で行われていた
宗門を攻撃する資料のレクチャーや
脱会者の情報や
顕正会の活動情報やら
その活動家の個人情報などなど
また、諜報活動の予定なども
その都度組まれていった
まだまだ
携帯電話など無かった時代で
早い時期からポケベルを使っていたが
それが
やがてアマチュア無線を使うようになり
張り込み中の車とも
随時連絡を取るようにもなっていった
諜報活動の目的は
ほぼ宗門側の活動掌握に絞られていき
宗門寺院行事の参加状況の掌握や
僧侶の話を確認するために
面の割れていないメンバーが参加することもあった
また
大石寺への登山会に際しては
高速道路のサービスエリアで
トイレ休憩にバスから出てくる
参加者も一人残らず撮影したりもしていたし
実際に
大石寺の様子を撮影しに行った事も2回あった
毎年の丑寅・新年勤行会の時も
各寺院に広宣部の諜報部隊が配置されて
12月31日の夕刻から
1月3日までの参加者数や車両確認をしていた
つまり年末年始
元旦の早朝であれ
望遠レンズのついたカメラを手に
野郎2人が
車の中で何時間も監視活動をする
こんな事を
全国の広宣部がやっていたのだ
これがまともな宗教団体なのか?
世界平和とどう結びつくのか
分かる人がいたら教えてくれ~w
今回はこの辺で(^ ^)/
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