面接
本日2回目の更新やで
惑星ログレスの自転周期は、1日24時間。人類が暮らしやすいよう惑星の大きさやマントルの動き、重力や大気の組成などまで地球とほぼ同じ数値に調整されている。
人類の発達した科学と、それが創造した恐るべき巨大な機械の力、そして自然の原理を解き明かした叡智は、今や惑星を思うがままに設計し、創造することさえ可能とするまでに至っていた。
しかしながら、安定した恒星を創り出し、或いは移動させるような事業は、今の人間の手にも余る事業だった。時刻は既に16:00を廻っている。すでに西の空には黄昏の宵闇が広がりつつあった。
ベーカー街の小さな海軍事務所ビルの前で、ミュラ少尉は浮遊車のタクシーを止めた。ビルの入り口には、アルゴン伯爵家の紋章を付けた黒塗りの馬車が停められている。ミュラ少尉がそばを通り過ぎるときに、馬車に繋がれた二頭のサイボーグ馬が小さく嘶きを一つだけ漏らした。
事務所ビルの入り口には、赤い装甲服を着こんだ陸軍レッドコートの番兵が2名、直立して警護を行っていた。
ミュラ少尉は公用がある訳ではなかったが、彼女がゲート内に踏み込んでもレッドコートたちは咎め盾する様子は見せなかった。
装甲服に付属するカメラ映像による認証で、彼女の名前と階級は既にレッドコートの網膜に浮かび上がっていた。
「王立海軍予備士官、セシリア・ミュラ少尉です」
「確認しました。どうぞ、お通り下さい。少尉殿」
顔を見合わせて微かに頷いた。不審者ではないことだけ確認すれば、一々要件を詮索することはレッドコートの職務には含まれていない。
しかし、通り過ぎた金髪の美しい女性士官の自信に欠けた不安そうな態度に陸軍歩兵たちは僅かだが好奇の視線を向けていた。
何とか言う要塞勤務士官の履歴書を机の上に放り投げてから、ピアソン大尉は壁の反対側で乗員の名簿を制作していたソームズ中尉に向かって肩をすくめた。
「人数は?」
「ご要望の水準に達している志願者は3名です。サー。
熟練水兵が2名。海軍兵学校の卒業者が1名で、航海士か
スループ級のB級操船技能及び保守点検A級資格を保有してます。サー」
ピアソン大尉はうなずいた。
「悪くない。しかし、思ったよりも集まりが悪いな」
欲しいのは水兵だった。街角に広告まで張ったが期待していた人数からは程遠い。
「辺境勤務ですから。どうしても。出立まで、時間もありませんし」
「おまけに新人艦長と来ては、な」
ピアソン大尉の言葉にソームズ中尉が恐縮する態度を見せた。
「そんなことは……」
「世辞はいい」
「申し訳ありません」
ここまでの面接。士官には特に見るべき人物はいなかった。うだつの上がらない要塞勤務士官に34歳の
ミュラ少尉がメモを片手に訪れた面接場は事務所ビルの最上階で、大尉という地位の海尉艦長が使用するにはやや不釣り合いにも思えた。とはいえ、ピアソン大尉は、いずれ然るべき地位を継ぐべき大貴族の子弟であるし、艦隊任務の海尉に就任できるか否かは常に海軍士官たちにとっての重大な関心事であったから、さほど異例という訳でもないかとミュラ少尉は肩をすくめて考えなおした。
6階の回廊入り口に設置された呼び鈴を鳴らす。
「はい」
出てきたのは、海軍事務所にはやや不釣り合いな燕尾服を着た女性だった。
「ああ、此方は」
言いかけたミュラ少尉を見るなり、すべて承知しているとばかりにうなずいた。
「勤務履歴書はございますか?」
ミュラ少尉の差し出したそれを慇懃に受け取りつつ、値踏みする眼差しを彼女に向けてくる。
「こちらでございます」
廊下の奥に案内されてみれば、壁際に椅子が並べられていた。
奥にあるヴィクトリア様式の椅子は士官用だろう。大勢の男女が既に並んでいた。
「あなた様で二十一人目でございます。こちらが整理札でございます。席にお並びください」
大半は縞々シャツを着こんだ水兵だが、下士官やヴィクトリア朝風の海軍制服を着こなした士官も3人ほど混ざっていた。
士官たちからも、やはり値踏みするような鋭い視線が新参者へと注がれて、ミュラ少尉は気後れを覚えた。
つばを飲み込むと、廊下へと並べられた上等な椅子の一つへとそっと座りこんだ。
ミュラ少尉のひとつ前に並んでいるのは、痩せた外星人らしき青年で、着古した海軍兵学校の制服を着ていた。おそらく何年も前に海軍兵学校を卒業し、士官候補生の口で乗り込める船を探しているのだろう。歳の近い彼女に挨拶だけでもするか迷った様子でチラチラと見てから、口の中でもごもごと何かを呟いてから帽子を持ち上げた。
いかにも内気そうな青年を一瞥してがら、きっと彼は撥ねられるだろうとミュラ少尉は思った。
宇宙艦艇の長期航海は、未踏領域での作戦行動ともなれば、時に数年にも及ぶ。
こんなにシャイでは、艦内生活にはとても耐えきれないだろう。
椅子に座って内面の世界へと入り込んだミュラ自身は、場違いなほどに哀れな士官候補生の存在をほとんど意識の外に置いていた。
彼女の脳裏を占めていたのは、まったく別のことで、廊下に並んでいる男女。
厳めしい壮年の士官、海でしか生きられない老いた下士官、年かさの士官候補生たちを見て、こうした並々ならぬ人生を生きてきた巌のごとき男が、そして厳しい世界で生き抜く覚悟を決めた立派な女が、戦闘艦艇に就任する為とはいえ、自身の半分も生きていない若い艦長に諂わねばならぬとはどんな気持ちになるものだろうかと考え、そして自分が選ばれる見込みはどれほどあるだろうかとも危惧していた。
ミュラ少尉の後にも、数人かの水夫と下士官、そして士官が一人やってきた。
アルハンブラ系だろうか。列の最後に並んだ大柄な士官は、黒髪。やや残酷そうな薄い唇に、強気そうな瞳をした黒髪の娘で、溌溂とした活力を発散しながら、自分が受かると確信しているのか。自信ありげに室内を見回していた。
肉体年齢だけは若く保つのが可能であったが、人生の最初の困難を切り抜けた時期の若者に特有の向こう見ずな程の自信というのは、本物の若者にしか宿らないものだ。
士官たちは、誰もが軍服をピカピカに磨き上げていた。ミュラ少尉は、自分の二角帽が薄汚れているのに気づくと惨めな気持ちに襲われて、目立たぬようそっと掌で磨きながら、来なければよかったと後悔し始めていた。
少なくとも、宮廷に有力な友人を持つ貴族士官の前に出る時の恰好ではない。
だが、もう履歴書は渡してしまっている。今更帰ったりしたら、もっと拙いことになりそうだった。
こうしている間にも少しずつ面接は進んでいった。
「ハラーです。HMS補給船カシミールで二等航海士を務めていました、サー」
受け取った神聖帝国出身の身分証を確かめる。
軍歴が記されている。一応、照会し本物だと確認してからソームズ中尉は身分証を返した。
最初の船に12歳で乗り込んでから88歳。老人は人生の前半生の殆んどを、宇宙艦艇で過ごしてきていた。
将官のそれと違い、平兵士に施される安価な遺伝子調整では、老化をほとんど留められない。
ハラー氏の外見は、ほぼナチュラル。自然年齢で五十にも六十にも見えた。
老人。帽子を抱えた手は微かに震えていた。染みも出ている。
「船に乗りてえです。サー」
宇宙船病。あまりにも長い間船外活動に従事したり、被爆すると罹病する病気で、治療する金もないのだろう。
「申し訳ないが、航海士には採用できない」
ピアソン大尉の言葉にも、ハラーのしわの刻まれた表情はピクリとも動かなかった。
何度も同じ言葉を聞かされてきたのだろう。
「現地採用枠の熟練水夫待遇ということになる」
続けられたピアソン大尉の言葉に、ハラーが激怒するかとソームズ中尉は思った。
しかし、ハラー氏は即答する。
「乗れるなら、何でも構いません。サー」
「よし。マッカンドリュース」
ピアソン大尉の言葉に、ふくよかな燕尾服の男性が進み出て、ハラー老人に宇宙港までの反重力艇チケットを手渡した。
「チャールズタウンの217番係留地。スカパフロー軍港行き。目的地への出発は14日後だ」
「ありがとうございます。サー」
メモと一時金、そしてチケットを額に押し頂くようにしてハラー氏が敬礼をした。
ピアソン大尉は、そっけなく肯いて、退出するように手を振った。
この哀れな老人がチケットを売って生活費の足しにしても一向に構わないし、やってくるなら使うつもりだった。
「マッコールっす。サー」
ソームズ中尉が、相手の身分証idを確認する。
マッコールは、もじゃもじゃ頭の逞しい男だった。
アクセントは下町風。明らかに市民権を持たない下層出身。
身分制で貧富の差も深刻なログレスでは、貧困ゆえか。下層出身者の王立海軍への志願者は常に絶えることがない。最もそれでも常に水兵は足りないのだが。
「HMSアトロポスに3年、輸送船ミズンに2年。あとはダークシャークで7年っす」
「海賊船だと?どういうつもりだ?」ピアソン大尉がぴしゃりと厳しく言った。
逮捕されて絞首刑にされる可能性もあったが、それを理解しているのか。
マッコールは鈍い表情でにやにや笑いを浮かべていたが、返事は打てば響いた。
「ダークシャークにミズンが拿捕されて、爆弾首輪付きの奴隷として下働きしてました。
そんで自分を買い戻したんでログレスに戻ってきたんす、サー」
ピアソン大尉が冷ややかな笑みを浮かべた。
「随分と波乱万丈の人生だな。マッコール」
「アイサー」とマッコール。
「ダークシャークでは何をしていた?」
「掌砲手っす」
ピアソン大尉に即答したマッコールが頬をぼりぼりと掻いた。
「やっぱり刑務所っすか?」
「いや。だが、強制だったことを証明できるか?」
ピアソン大尉が鋭い視線を向けた。
「向こうでの生活を記録したメモリーがあります」
馬鹿正直に差し出してきた。勿論、偽造の可能性もあるが、一介の海尉艦長の船に潜り込む為に小細工を凝らす馬鹿は少ないだろう。現時点では目的地も不明なのだ。
「後で確認し、適正だと判断すれば、罪状を消しておこう」
言ってからピアソン大尉は一旦、言葉を区切った。
「辺境警備だ。十年。下手をすれば三十年ということもあり得る」
「そんだけ長く船に乗せるんすね。サー」
マッコールがにやりと笑った。待ち遠しくて堪らないといった笑みだ。
「出航は2週間後。我々は宇宙港でシャトルに乗船し、衛星軌道上のスカパ・フロー軍港へ。
そこから先は、海軍の武装輸送船ヒックスに乗船し、輸送船を乗り継いで現地へと向かう」
言ったピアソン大尉が副官へと告げた。
「ソームズ中尉。マッコールを志願兵として名簿に載せておけ」
「アイ・アイ・サー」
マッコールへと向き直ったピアソン大尉が堅苦しい口調で告げた。
「宇宙港の係留施設はA2173番滑走路。
マッカンドリューに行って準備金を渡しておく。遅れるな。では行け」
「A2173番っすね。アイ・サー!」
頭に拳をつけて敬礼したマッコールが威勢よく言った。
ミュラ中尉は、懐中時計を確かめた。
水夫たちは、割合あっさりと合否判定を受けているようだ。一人当たり5分から15分。
時間がかかるのは、士官と下士官。そして士官候補生たちだった。
ログレスから3か月もかかる辺境星域の雷撃艇勤務にも関わらず、見たところ、士官が4~5人も集まっているのはミュラ少尉には不思議に思えた。
宮廷に影響力を持つ名門貴族の艦での勤務は、将来を見据えた布石になりえるのだろうか。
上手くやりさえすれば、の話だが。野心的な士官が有力な艦長の元に配属され、あるいは名門の子弟が海尉を務めている船に乗り込んで知己を得、最終的には腹心の地位に納まったという逸話はよく耳にする事例だった。
自身がピアソン艦長。恐らくは将来の提督の腹心の地位に収まるという考えを、いささか空想的に思えたが弄んでみる。
「ハ……ハーマン・アンドリュースです。
ベアトリス2世女王の御代。179年度にコルの海軍兵学校を卒業」
その士官候補生は、オドオドしていた。
「校長先生からの紹介状です」
どれほどの効果があるか、兎に角、手渡して、これで彼に切れる手札は全てだった。
「コルの海軍兵学校か」
ピアソン大尉が机の上で指を鳴らしながら、つぶやいた。
雷撃艇であれば受け入れる必要はないが、通常、王立海軍の艦艇には数名の士官候補生が配属される。 しかし、どの士官候補生を受け入れるかについては、艦長に完全な裁量が与えられていた。
手紙の封蝋は切られていた。紹介状は普通一度しか使われないが、何度も使われてきたに違いない。
ピアソン大尉は眉を顰めたが、視線を走らせる。
然るべき立場にある人物からの紹介状の偽造には、厳しい罪状が下される。加えて文章に記された紹介状の認識番号は、間違いなくマーフから定期連絡艇がもたらした校長のコードと完全に一致していた。おそらく偽物ではないだろう。
「私の知る限り、もっとも優秀な学生の一人であり……ふむ」
感心したように鼻を鳴らしたピアソン大尉だが、しかし、校長の言葉は売り文句の常套句でもあるのだ。
宇宙艦艇での士官としての雇用は給与が高く、商船であっても競争が厳しい。
王立海軍の艦艇には、士官候補生を引き受ける義務があったが、どの候補生を受け入れるかは艦長の胸先三寸で左右される。
平時における艦長就任は、貴族を除けば、まず郷士階級。それも代々の海軍一家で占められている。
法律上の下限は12歳だが、早いものは10歳やら8歳程度で船長の召使や従卒として船に乗る者もいる。 数年経って晴れて士官候補生となった頃には、既に一端の准尉として艦艇のことを隅々まで飲み込んでいる。
士官候補生から、艦に一人の海尉心得に抜擢され、そして海尉心得から難関の海尉試験を潜り抜けて海尉になるのは、大抵こうした生粋の士官候補生たち。宇宙艦艇の申し子みたいな連中で、その操艦技術たるやノマドにすら引けを取らない。
幼少から宇宙艦艇に乗り込んでいるようなこうした連中は、実に優れた士官になることも多い。
だが、それと統率者になれるかはまた別の話だった。
艦長というのは大変に孤独な職務であり、誰とも責任を分かち合えない。時に数千人の人間を率いて数か月、数年も虚空を進む船の秩序を保ち続かなければならないのだ。
いずれにしても、ピアソン大尉は自分の乗組員に、見るからに水兵に舐められそうな弱々しい士官候補生が欲しいとは全く考えなかった。クルーには出来るだけ使い出のある連中を揃えておきたい。
郷士身分で海軍一家の士官候補生なら、仕込む手間も少なく済むのだが、海軍一家なら市民や庶民でも構わない。
だが、そんな士官候補生たちは、どんな艦長も欲しがっている。手に入るかどうかは半々だろう。
いなければ士族でも構わないが、貴族や有力な市民は扱いが面倒なので引き受けたくない。
不安そうに青い顔で佇んでいる青年を一瞥もせずに、ピアソン大尉は手元にある次の履歴書に視線を落とし始める。
父親は事務員だった。祖父の代まで遡っても海軍は一人もいない。
「今日はありがとう、君。合否はおって連絡させてもらうよ」
さっさと行ってしまえとでも言うようにそっけなく手を振って、ピアソン大尉は次のものを呼ぶようにと兵卒に告げた。候補生の面接は、ほんの2分で終了した。
廊下で士官たちがひそひそと囁きあっていた。
「士官の枠は、あと何人かな」
その休職士官は、明らかに奥の様子を気にしていた。
「さっき、コナーズが来ていた」
隣にいる採掘船勤務の士官が明らかに渋々とつぶやいた。
「コナーズ?ウルフ艦長の3等海尉だったコナーズか?」
「そのコナーズだ」
「すると枠は一つ埋まったな。俺が艦長でもコナーズはとるよ」
二人の会話に、今まで沈黙していた港湾警備の老士官が口を挟んできた。
「ソームズとコナーズで二人埋まったわけだ。
グラナダ級雷撃艇だと60メートル。2式で80メートルか。
30名か多くて40名。士官は2人でも多すぎる」
「いや、辺境だから、マシンドロイドの兵士を補充できない。80か、120くらい乗ることもある」
「水兵が多くなれば、士官も多くして対応するから、あと1、2人は採用するかもしれん」
「採用してもあと一人だろうな」
気乗りしない態度で老士官が口にした。
「海尉が艦長の顔見知りの【ノマド】ソームズに【ジャックポット】コナーズでは、順位は先任序列ではなさそうだ」
ため息を漏らした白髪の士官が、ヴィクトリア様式の椅子から立ち上がった。
「諸君、俺は帰るよ。若者たちの中で年寄りが一番下っ端は耐えられんな」
「俺は残るぞ」
奥に座る予備士官は、断固として言った。
「海軍本部の周りを意味もなく歩き回って時間を無駄にするよりは、雷撃艇の3等海尉のほうが。4等海尉でもずっといい」
会話を耳にしていたミュラ少尉は恥ずかしさにうつむいた。少なくとも彼らや彼女らはミュラより本気だし必死だった。
経験豊富な士官や、名前の知れた海尉たちに混ざっては、ミュラのような若輩者にどれだけの勝ち目があるだろうか。
ミュラ少尉がこの日、何度目かの自己嫌悪に襲われていると、燕尾服のふくよかな男性が廊下の中央に現れて、ベルを鳴らした。
注目を集めてから、恭しく告げる。
「面接は一旦、ここで中座させていただきます。
次の面接は2時間後。21時からとなります。皆様方も、どうかご休息なさってください」
先刻までリストに目を通していたピアソン大尉は、瞼を揉み解すことで疲れ目を解消しようとしたが、しかし、食卓に部下のソームズ中尉と同僚のコナーズ大尉がいるのを思い出し、威厳を保つため、額に指先で軽く触れるだけに留めた。
「伊勢エビのカツレツでございます」
ピアソン大尉の侍従であるマッカンドリュースは、完璧な動作で給仕を務めあげていた。
態々、朝のうちに事務所ビルに材料を届け、台所を使って料理を仕上げたのだ。
「惑星メルテアのアムリタがございます。それともラム酒のほうがお好みでしょうか?」
「ラムをもらおう。レモンを絞ってくれ」
海軍本部からの書類を届けに来たコナーズ海尉も相伴に預かっていた。
「承知いたしました」
グラスに注がれたラムを片手にコナーズはぶっきらぼうに身を乗り出して言った。
「君が海軍本部に要請していた熟練下士官の招集だが、認可されなかった」
ピアソン大尉が、片方の眉を軽く上げた。
「ふむ、奇妙なことだ」
「全くだ。大貴族の士官の要望が却下されるのは、それも通常業務に関するささやかな要望が却下されるのは、これは大変に異例なことだといっていい」
コナーズがにやりと笑った。何かを知っているのだろう。
特に誰か有力者を怒らせた覚えはなかったが、ピアソン大尉はコナーズ大尉に尋ねた。
「何者が手を回したのか、分かるかね?」
「何者も」
ジャックポット・コナーズはかぶりを振ってから、再びにやりと笑った。
「時期が悪かったな。兎に角、今、各艦隊から熟練水兵や下士官がかき集められている」
「どういうことだ?」
ピアソン大尉の質問に、コナーズ大尉は無言で空になったグラスを持ち上げた。
マッカンドリュースが、コナーズ大尉のグラスをラムで満たした。
芳醇な香りを楽しみながら、コナーズ大尉が獰猛に笑った。
「来年度の建造予算。ドレッドノートが多めに建造されている」
ドレッドノートクラスは、その時代時代でほぼ最強とされる量産型戦艦を指している。大規模な艦隊を率いる上級提督か、さもなければ星域軍団の司令官のみが直卒とする強力な大型宇宙戦艦だ。
ドレッドノートクラスが増強されると言うことは、航路の哨戒や警備、偵察、連絡を旨とするフリゲートやスループではなく、最低でも突撃艦や駆逐艦などを配した会戦志向の戦闘部隊が新たに編成されることを意味している。
「……何隻だ?」
尋ねるピアソン大尉の声は低かった。
「例年より30隻多い。それにフリゲートや輸送船を削って、主力艦艇中心の発注がデボンポートやバロー・イン・ファーネスになされている」
デボンポートとバロー・イン・ファーネス。ログレス恒星系に位置する二つの地球型惑星は、ともに巨大な造船所を抱えていた。
「すると新しい星域軍団司令官(consul)か、提督(admiral)が十人は任命されるな」
ピアソン大尉はつぶやいた。そして考えを巡らながらも、当惑したようにつぶやいた。
「……領域防衛の為の鎮守府か、正規の機動艦隊か。いずれにしても軍団規模の艦隊がいくつか編成されるとして主敵はどこだ?」
ピアソン大尉の頭脳に仮想敵が思い浮かばないのではない。逆だ。心当たりが多すぎる。
列強に幾つもの帝国、無数の土侯国、通商同盟、宇宙海賊、蛮族、ノマドに
「メナス方面で暴れてるノマドに対処するためではないかな?」
コナーズ大尉の言葉に、ソームズ中尉の皿とナイフがいささか乱暴に衝突し、音を立てた。
「……失礼」とソームズ中尉。出身氏族に言及され、一瞬、動揺したのだろう。
ピアソン大尉は、ソームズ中尉を一瞥した。コナーズ大尉には、咎める態度に見えたが、ソームズ中尉がほっとしたように微笑むところを見ると、長い付き合いの二人だけで通じ合うものが在るのかもしれない。
銀の皿に横たわる牛のフィレ肉をナイフで切り裂きながら、コナーズ大尉が言った。
「実は、俺も内示をもらってる。ドレッドノートの士官の一人となる」
「提督か、それとも星将の旗艦勤務海尉か」
呟いてから、ピアソン大尉が相変わらずの堅苦しい口調を崩さずに祝辞を述べた。
「栄転だな。おめでとうと言わせてもらおう。ミスタ・コナーズ」
「何百人もいる海尉の一人だがな。ありがとう。ミスタ・ピアソン。
俺からも君に祝辞を送らせてもらうぜ。海尉艦長への就任おめでとう。ミスタ・ピアソン」
言ってからコナーズ大尉はにやりと笑った。
「ピアソン。君が赴任する方向は銀河系の外れだ。
相手にするのは、小規模な海賊や蛮族、精々2~3隻のノマドの小氏族。奴隷商人。そしてこすっからい密輸業者たちになるだろう。
君の操艦技術ならめったに遅れはとるまい。だが、侮るなよ。連中は強くはないが、狡猾で粘り強い。一瞬の油断が命取りになることもある」
「心しておこう」
食事をとりながら、忠告に対してピアソン大尉はうなずいた。
食後。マッカンドリュースによって食器が手早く片付けられていく中、3杯目のラムを楽しみながら、コナーズ大尉が話を振ってきた。
「それで、話は変わるが人員の補充は順調かね?君はどうしても士官や下士官を自力で集めなければならんぜ」
「……幾人か候補はいるが、な」
やや声に苦みを込めてピアソン大尉はつぶやいた。
水兵は何とか目途が付きつつあった。
残りは下士官と士官であったが、しかし、芳しくない。
ピアソン大尉の目配せを受けて、ソームズ中尉が候補の履歴書を食事の終わった机に並べていく。
「年寄り士官に要塞勤務。補給基地……碌なのがおらんな。要塞勤務の士官など、それしか使い道がない連中に決まっている」一目見たコナーズ大尉が厳しく決めつけた。
「そうとも限らん。ハドソン提督も、前半生は要塞勤務だった」とピアソン大尉。
「この中に、二人目のハドソン提督がいると思うか?」
コナーズ大尉が正気を疑うとでも言いたげに尋ねたが、ピアソン大尉は仏頂面で無言を守った。
燕尾服の女性が、食後のデザートとしてフルーツゼリーを運んできた。
「ソームズ君。何か意見はないかね?
公式の場ではない。忌憚のない意見を聞かせてくれたまえ」とピアソン大尉が言った。
頬をほんのり染めたソームズ中尉が据わった眼で一枚の女性士官の履歴書を取り上げた。
「このハーヴェイというのは、やめておきましょう。性格が悪そうです。
パブリックスクールで私をいじめた奴がこういう目つきでした。外面はいいけど腹の中は真っ黒ですよ」
「ハーヴェイ少尉は、戦闘機のパイロット資格を取得しておられますな」
マッカンドリュースがフルーツゼリー配りながら、酔っ払いにさりげなく指摘した。
「ふむ。では、マッカンドリュース。君は軍人ではないが、私の従卒として艦内で暮らすこととなる。
いわば当事者だ。特別に許す。君ならだれを選ぶ?」とピアソン大尉が言った。
「では、恐れながら……」
マッカンドリュースは、数瞬の間、十数枚の履歴書を眺めてから、一枚をそっと手に取って押しつけがましくならないよう主人へと差し出した。
「このミュラ少尉がよろしいかと」
「なぜかね?」
主人に問いかけられてから、初めて考えを口にする。
「細かな資格を幾つか持っていますので。半給休職の予備士官ではありますが、海軍の細かいアルバイトを絶え間なく、様々な分野で受けておられます」
「つまり腐ってはおらず、潰しが効くと。ふむ」ピアソン大尉が言うが、ソームズ中尉が言い張った。
「ああ、こいつは駄目です」
マッカンドリュースが眉を窘めた。
銀のスプーンを並べていたピアソン大尉のもう一人の使用人。燕尾服の女性が、口をはさんできた。
「恐れながら、ミス・ソームズ。女性士官を跳ねたい気持ちはわかりますが、一の部下を自認するのであれば、若旦那様の利益で考えなければなりません。かわいい女の子を全部落とせば、自分が残ると考えるのは早計です」
「なにをいってるんですか。ミュラってあれですよ。カースンの奴の子分ですよ。大尉殿」
ミュラ少尉の履歴書を手に取ったソームズ中尉が、眺めて間違いないと一人でうなずいている。
「カースン?」記憶に思い当たる節がなかったのだろう。ピアソン大尉が微かに片方の眉を顰めた。
「カースンはロイド卿の手下です。先輩と戦術課の首席を争っていた」とソームズ中尉が補足する。
「ロイド。ふん、ロイドね。ああ、思い出した。そんな喋る眼鏡置きが教室の隅においてあったような気もする」
どうでも良さそうな響きでつぶやいたピアソン大尉の傍らで、ソームズ中尉は憤懣やる方ないといった感じで憤っていた。
「図々しい奴。ロイドの野郎の船に乗ればいいのに。きっとスパイですよ」
「スパイですか」燕尾服の女性が尋ねた。
「です」ソームズ中尉が確信を込めてうなずいた。
「死刑ですね」燕尾服の女性。
「即死刑です。ノマドは裏切り者は脳みそを切り出して生体コンピューターの補助脳として千年も酷使するんです。こいつが先輩に害をなすような脳みそを切り出して脳の漬物にしてやります」
コナーズ大尉が大笑いした。