森田成也訳「レーニンと 旧『イスクラ』」(『レーニン』光文社古典新訳文庫)を検討する。
森田氏は翻訳にいたる経緯について訳者あとがきで次のように書いている。
「松田道雄氏が底本にした英訳は1925年のもので、かなり水準の低いものであった。英訳自体が間違いだらけであることに加えて、英訳からの翻訳にも無視できない誤訳が少なからず存在していた(その一部は河出書房新社版に収録されるさいに修正された が、中公文庫版は筑摩書房版を使っているので、誤訳のままである)。さらに、松田道雄訳では原注部分が訳されていない。そこで今回、ロシア語原著から改めて訳しなおしたしだいである。」(P502-503)
要点は2つ。
1. 英訳を底本とする 松田道雄訳には少なからぬ誤訳が存在する。
2. それでロシア語原 著から訳しなおした。
私はこれが事実がどうかを 検証する。森田氏による新訳は果たしてロシア語原文を正しく日本語に置き換えているであろうか。
なお、検討は上記の2点に絞り、その他の問題点 はどうしても必要な場合を除いて今回は言及しない。このため、当初書き下ろしたものから7割程度に縮め、全体を3つに分割した。
検討に用いたテクスト、森田訳は上記光文社古典新訳文庫、松田道雄訳は河出書房新社版、 ロシア語原文はИз архивов русской революции中のЛев Троцкийである。必要に応じて英訳も用いる。
森田訳の小見出しも併記してある。
レーニンとの最初の出会 い
プレハーノフ
ザスーリチ
マルトフ
〔森田訳P22-23〕
将来レーニンの伝記に取り組む偉大な伝記作者にとっ て、旧『イスクラ』の時期(1900~1903)は疑いもなく、特別の心理学的関心を<喚起するとともに>、多大な困難をも<感じさせる時期>であろう。というのも、まさにこの短い数年間にレーニンはレーニンに<なった>からである。といっても、< 欠落 >彼がその後<成長しなかった>ということではない。反対である。彼は十月革命前も、十月革命後も、<成長しつづけた>。しかもとてつもないスケールで! しかし、この成長はすでにより有機的なもの<であった>。たしかに、地下活動の時期から1917年10 月25日の権力獲得にいたる飛躍は偉大なものであった。<しかし、それは人間の外的 で、いわば物質的な飛躍であり、その飛躍についてはすでにその重みも規模も十分に測られている>。それに対して、第二回党大会での分裂に先立つ<成長は、表面的な観察から は見えない―それだけになおさら決定的な―内的飛躍なのである>。
< 喚起するとともに>、多大な困難をも<感じさせる時期>であろう。→представит исключительный психологический интерес и, вместе с тем, большие трудности
原文 ではこのセンテンスの動詞はпредставит 1個だ けである。
こ こは松田訳も動詞が2つある訳になっている。松田訳と同じ構造。
松田訳P254
旧『イスクラ』の時代(1900-1903)は未来のレーニンの大伝記作者にとって特殊な心理学的興味があるにちがいない。だが同 時に、大変な困難を提供するだろう。
レー ニンはレーニンに<なった>→レーニンはレーニンになってくる
Ленин становится Лениным。動詞становитсяは不完了体現在形。進行中のことがらを述べている。松田訳も過去形で同じ。
松田訳P254
レーニンはまさしくレーニンであったからで ある。
< 欠落 >彼がその後<成長しなかった>ということではない→これは彼がそれ以上成長しないということを意味しない。Это не значит, что он дальше не растет.
原文 はне растетで不完了体現在形。過去形ではない。松田訳も過去形で同じ。
松田訳P254
それは彼がそれ以上成長しなかったというこ とではない。
反対である。彼は十月革命前も、十月革命後も、<成長しつづけた>→それどころ か、彼は―それも何という割合でだろうか!―十月革命前も十月革命後も成長しているのだ。Наоборот, он растет -- и в каких пропорциях! -- и до Октября и после Октября.ここでもまた動詞は不完了体現在形。松田訳も過去形で同じ。
松田訳P254
十月以前においても成長した
しか し、この成長はすでにより有機的なもの<であった>→しかしこれ はすでにより有機的な成長である。Но это уже рост более органический.現在形。
<しかし、それは人間の外的で、いわば物質的な飛躍であり、その 飛躍についてはすでにその重みも規模も十分に測られている>
; но это был внешний, так сказать, материальный прыжок человека, который все, что можно взвесить и измерить, измерил и взвесил.
которыйとвсеを中心とするこの文の文法的構造を正しく把握しなくてはならない。которыйはчеловекаを先行詞とする関係代名詞。всеは文末にある過去形の2つの動詞измерил и взвесилの目的語である。そしてвсеの内容 がそれに続くчто節で説明されている。訳はこうなる。
しかしこれは、測ることのできる重さや大きさのすべてを測っ た人間の外面的な跳躍、いわば物質的な跳躍であった。(拙訳)
森田訳はこの文の文法的構造を捉えそこなっている。ま たчто節の内容そのものが無視されている。
<成長は、表面的な観察からは見えない―それだけになおさら決定的な―内的飛躍なのである>。→成長のうちには~がある。А в том росте,~есть…
このестьは判断辞、断定の語ではなく、存在を示す。文頭に前置格の節があることからも明らかである。
〔森田訳P23-24〕
この文章を書いている現在、あの時期からすでに20年以上も経っており、しかも、それは人間の記憶にとってはなはだ厄介な<激動の>年月だった。それゆえ、ここで語られていることが、実際に起こったことをどれほど正確に 再現しているのか、そういう心配が生じる<のも無理はない>。実を言うと、このような心配は私自身にもあるし、この仕事のあいだずっと付きまとった ものだった。そうでなくても、ぞんざいな回想や不正確な証言が多すぎるのだから! この回 想を執筆しているあいだ、<文献や便覧や資料の類はいっさい手にとらなかった>。しかし、その方がよかったと思っている。もっぱら自分の記憶に頼らざるをえなかったが、<そうすることでこの作業が独立したものとなり>、後から無意識になされる修正を多少なりとも免れたのではないかと思っている。この種の 無意識の修正は、最も批判的な自己検証があるもとでも避けがたいものなのだ。そして、将来の研究者が、<本書のテーマに関わる>文献や一般に当時の時代に関係する諸資料を<手にして>取り組むのなら、<この検証もやりやすくなるだろう>。
しかも、<それは>人間 の記憶にとってはなはだ厄介な<激動の>年月だった
→<激動の>は原文に存在しない。
原文のдвух десятилетий, и притом десятилетийの後半のдесятилетий以下は「,」があるこ とでも分かるように、その前にあるдвух десятилетийの外延的特徴を述べ ているのである。森 田訳はこの「,」によるつながりを寸断してしまっており、結果としてобременительныхの意味を捉えそこなっている。
ここで「厄介な」のは<激動の>年月だったからではなく、20年以上という時間が経ったことで記憶が曖昧になり、消え失せて 行くからで ある。トロツキーはそう述べている。
文法的構造は松田訳と同じ。
松田訳P254
その時期からこの文章 を書くまでに20年以上が過ぎた。それは人間の意識にとっては異常な重荷で ある。
そういう心配が生じる<のも無理はない>→これは~と いう当然の心配を生むかもしれないЭто может породить естественные опасения:
<無理はない>という語は原文に存在しない。これを訳に挿入するのは「無理」がある。この部分全 体として、「無視できない誤訳が少なからず存在していた」と森田氏自身が批判した松田訳を踏襲している。
松田訳P254
読者が不安をもたれるのは無理もない。
<文献や便覧や資料の類はいっさい手にとらなかった>
→私の手許にはまったく何の文書も便覧も資料等々もなかったПод руками у меня, ~~ не было решительно никаких документов,справочников, материалов и пр.
<手 にとらなかった>と「なかった」では全然違 う。
これも松田訳の踏 襲。
松 田訳P255
私はいかなるドキュメントも備忘録も何らかの資料といった ものも手にしなかった。
<そうすることでこの作業が独立したものとなり>→その自主的 な仕事
ее самопроизвольная работа
松田訳同様に<独立した>と訳されている語の原文самопроизвольнаяは「自主的な」「自発的な」の意である。この部分は全体的に松田訳を踏襲している。
松田訳P255
私はまったく私自身の記憶に頼らねばならなかった。そうし てこの条件における独立した作業が、無意識的な回顧による修正から救ってくれた。
<本書のテーマに関わる>→原文に存在 しない。
<手にして>→手に入れて から、手に入れた後でвзявши。完了体副動詞。点検に先立つことがらを述べている。森田訳は「資料を手 にしながら検証する」同時進行的動作をであるかのような誤解を生む惧れがある。「手にしたのち」と訳した松田訳よりも後退している。
<この検証もやりやすくなるだろう>→これによっ て点検は楽になるのである
облегчается этим проверка。動詞は不完了体現在形。一般的なことを述べている。
またэтимは造格、проверкаは主格であるから、森田訳のように「この検証」と訳すことはできない。
〔森田訳P24〕
ところどころで私は当時の会話や議論を対話形式で叙 述している。言うまでもなく、<20年あまり前の>会話を正確に伝えることができるとは思わない。しかし、<本質的な点では>まったく正確に伝えていると<思っているし>、若干の最も印象的な表現に関しては逐語的に伝えていると<思っている>。
<20年あまり前の>→それから20年余り後でдва с лишним десятилетия спустя
森田訳ではこの句が「会話」の語にかかっているが、 原文ではそのようなつながりはなく、単に時間の経過を示す句である。
ここでは森田氏が批判する松田訳がほぼ正解。
松田訳P255
もちろん20年以上もたってからでは
<本質的な点では>→要点は суть。森田訳では句のようになっている がそうではない。「印象的な」の訳は松田訳を踏襲。
<思っているし>~<思っている>→のように思 える как мне кажется, 挿入句である。
〔森田訳P24-25〕
<本書の課題は>レーニンの伝記のための一資料を<提供することであり>、したがってきわめて重大なことが<課題となっている>のだから、自分の記憶の特質について<一言>費やすことも許されるだろう。私は街並みや家の配置に関しては覚えるのが非常に苦手<である>。たとえば、ロンドンでは、レーニンのアパートと私のアパートとのあいだの比較的短い距 離でさえ何度も道に迷った。<かつては>人の顔を覚えるのも苦手であったが、この点に関してはその後大いに進歩が見られた。その 代わり、思想やその結合、思想的内容の会話に関しては非常に記憶力がよかったし、今もそうだ。このような評価が主観的なものでないことは、何度となく検証 の機会があったことで私は確信することができた。<私と同じ会話を聞いた>他の人物は、私ほど正確にはその会話を<再現>できなかったし、私の訂正を受け入れた。さらに次のような事情もつけ加えておかなければ ならない。私は青二才の田舎者としてロンドンにやってきて、あらゆることをできるだけ速やかに知り理解しようという強い意欲を持っていた。レーニンやその 他の『イスクラ』編集部員との会話が私の記憶に強烈に刻み込まれたのも当然である。この点は、以下に展開される回想の価値を評価するにあたって伝記作者に ぜひとも考慮して<いただきたい>点である。
<本書の課題は>→~が問題と なっている…речь идет о
<提供することであり>→原文に存在 しない。
<課題となっている>→~が問題と なっている…речь идет о
<一言>→二言三言несколько слов
覚えるのが非常に苦手<である>→覚えるのが 大変不得手だった ものだплохо запоминал 動詞は不完了体過去形。現在形ではない。
<かつては>→久しい間、 長い間Долгое время
<私と同じ会話を聞いた>他の人物は→私も居合わせた当の話し合いに居た他の人々が другие лица, присутствовавшие при той же беседе, что и я,
森田氏が批判したはずの松田訳を踏襲。もちろん誤訳。
松田訳P255
私が聞いたのと同じ会話を聞いた他人は
<再現>できなかったし→会話描写は 私より正確でないことがよくあったし
передавалиее нередко менее точно, чем я, 松田訳はほぼ正しい。
松田訳P255
私ほどには正確にその会話をくりかえせなかったし
考慮して<いただきたい>→考慮しないというわけにはいかないであろうне сможет не учесть 二重否定による強い肯定。
こ こも松田訳の踏襲。誤訳。
松田訳P255
伝記作家たちに考慮してほしいところである。
「無視できない誤訳が少なからず存在していた」として松 田訳を批判し「ロシア語原著から改めて訳しなおした」という「新訳」がなぜロシア語原文に依拠せず松田訳を踏襲しているのだろうか? 世の中に はまことに不思議なこともあるものだ。
レーニンとの最初の出会い
〔森田訳P25〕
<半ば>身ぶり手ぶりで雇った辻馬車は、紙に書いた住所をたよりに目的地まで送り届けてくれた。
<半ば>→原 文に存在しない。実はこれは『レーニン』ではなく『わが生涯』の中にある語である。полумимическим
『レーニン』の原文はмимическим путемでполу-が ないのだ。
Нанятый мною мимическим путем кеб доставил меня по адресу, написанному на бумажке, к месту назначения.
私から身振りで雇われた辻 馬車は紙に書かれた住所にしたがって私を行先へと送り届けた。(拙訳) мимическийは<顔の表情の>が原義。
なぜ『レーニン』ではなく違う原文の『わが生涯』の訳語が森田 訳に存在するのか? し かもこれは高田爾郎訳にそっくりである。3つを並べて みる。
●森田訳『レーニン』
<半 ば>身ぶり手ぶりで雇った辻馬車は、紙に書 いた住所をたよりに目 的地まで送り届けてくれた。
●森田訳『わが生涯』
半ば身ぶり手ぶりで雇った辻馬車は、紙に書いた住所をたよりに目的地まで送り届けてくれた。
●高田訳『トロツキー自 伝』=『わが生涯』の別名
半ば身ぶり手まねで雇った辻馬車は、紙片に書いたアドレス通り、めざす目的地へ私を送りとどけてくれた。
〔森田訳P25〕
その目的地とはウラジーミル・イリイチのアパート<である>。
<である>→であったбыла。過去形。
Этим местом была квартира Владимира Ильича.
その場所がヴラヂーミル・ イリイーチの住居であった。(拙訳)
原文は<目的地>ではな く「その場所」。
〔森田訳P25〕
あらかじめ教えられていた<通り>(たぶん チューリヒで教えられた<と思う>)、ドアノッ カーを決まった回数<たたいた>。
<通り>→原文に存在 しない。
<と思う>→原文に存在 しない。
<たたいた>→叩くようにстукнуть。森田訳「たたいた」のような事実を述べる文言はない。
原文
Меня заранее научили (должно быть, еще в Цюрихе) стукнуть соответственное число раз дверным кольцом.
私は、ドアの叩き金でしか るべき回数叩くように予め教えられた(まだチューリヒに居るときのはずだ)。(拙訳)
дверные кольцо=doorknockerドアノッカーのこと。ドアノッカーで日本語として通用すると思われるがここでは「ドアの 叩き金」と訳しておく。
この文の森田訳全 体がきわめて恣意的である。似て非なる訳だ。
〔森田訳P25-26〕
ドアを開けてくれたのは、<私の記憶では>、ナ デージダ・コンスタンチノヴナ<・クルプスカヤ>だった。明らかに私のノックでベッドから起き出してきたのだった。
<私の記憶では>→記憶してい る限りでは насколько помню
<・クルプスカヤ>→原文に存在 しない。これがクループスカヤであることはもちろんであるが、原文にないのだから注の形で記すべきであろう。
〔森田訳P26〕
チューリヒでも<同じ荒っぽいやり方で>アクセリロートのアパートを騒がせたのであった。
<同じ荒っぽいやり方で>→大 体このようにしてТаким же приблизительно образом
この訳語も『わが生涯』のものであるТаким же варварским образом
●『レーニン』の原文
Таким же приблизительно образом я потревожил в Цюрихе квартиру Аксельрода,
大体このようにして私はチューリヒでアクセリロートの住居の安眠を妨げたのだっ た。(拙訳)
●『わが生涯』の原文
Таким же варварским образом я потревожил в Цюрихе квартиру Аксельрода, только не на рассвете, а глубокой ночью.
同 じような荒っぽいやり方で私 はチューリヒのアクセリロートの住居の安眠を妨げたのだった。ただし、未明ではなく深夜に。(拙訳)
原 文が似ているとはいえ、なぜ『わが生涯』の訳語が森田訳『レーニン』に存在するのか?
〔森田訳P26〕
<私たちの>最初の会見…→私と彼との最初の会見…наше первое с ним свидание и
〔森田訳P26〕
たぶん<台所の食卓でだったと思うが>→た ぶんダイニング・キッチンでだと思うが
кажется в кухне-столовой.
まず、過去形ではなく現在形である。時制を無視するのも森田訳の著しい特徴である。
次にстоловой.は食卓ではなく食堂。в кухне-столовойはそのまま訳 せば「台所・食堂で」。食堂を兼ねた台所の意である。和製英語の「ダイニング・キッチン」の語がぴったりである。
〔森田訳P26-27〕
私は<流刑地からの>脱走の模様について話し、イスクラ派の<国境越えのルート>のまずい状況について不満を訴えた。<国境越えのルート>はエスエル(社会革命党)の高等中学生の手中に握られていた。この高等中学生は、<当時>繰り広げられていた激しい論争のせいで、イスクラ派にあまり<好感をもっていなかった>。そのうえ、非合法の運び屋たちは、運び賃のあらゆる相場を越えて、私から容赦なくふん だくった。
<流刑地からの>→原文に存在 しない。
<国境越えのルート>→原文に存在 しない。
これに照応すると思われる叙述が『わが生涯』にある(!)
「オーストリアの国境は…」(高田訳P167)、「オーストリアとの国境は…」(森田訳P285)。
原文австрийская граница…
しかし、これは翻訳を越えてもはや<創作>であ る。このような文言はロシア語原文にまったく存在しないからだ。
<当時>→原文に存在 しない。
〔森田訳P27〕
私は、ナデージダ・コンスタンチノヴナに、連絡先や密 会場所の住所の入った、<小さな包み>を渡し、<欠落>不適切な連絡先を廃棄する必要性があることを伝えた。
<小さな包み>→ささやかな知恵скромный багаж。森田氏はбагажだ けに目を奪われてモノである<包み>としたようだ。だがその前にскромныйとあることに注意しなければならない。この語は「ささやかな、質素な」の意。この時点 で、このコンテクストではбагажがモノではない可能性があることに気がつかなくてはならない。
さらにその後に, вернее,「もっと正確に言えば」という語がある。トロツキーの原文は前半で言ったことを後半でもっと正確に言い 直しているのだ。これでбагажを森田のように<包み>とは訳せないことが明白となる。森田氏は結局このことを理解できず、вернееを無視して前段と後段に何のつながりの必然性もない珍妙な訳文をひねり出す結果となって いる。
〔拙訳〕
私はナヂェージダ・コンス タンチーノヴナに住所や秘密の連絡場所の、蓄えもったささやかな知恵を、もっと正確に言えば、いくつかの使いものにならない住所を 抹消する必要性について、知っていることを伝えた。
Надежде Константиновне я передал скромный багаж адресов и явок, вернее, сведения о необходимости ликвидации некоторых негодных адресов.
ここは森田訳も松田訳も英訳もすべてこのбагажを「包み」と誤訳している。松田訳の誤訳を訂正する絶好の機会となり得たはずだが…森 田訳は誤訳を踏襲。
松田訳P256-257 ささやかな包み
英訳
I gave to Nadezda Constantinovna my modest pack of addresses and news or, to be more exact, data about the necessary liquidation of some useless publications.
〔森田訳P27-28〕
彼は私をウェストミンスター(外側から)やその他い くつかの<有名な>建物に案内してくれた。
<有名な>→注目すべきпримечательные
松田訳P257もこの語を「有名な」と訳している。誤訳の踏襲。
〔森田訳P28〕
そのときレーニンが<正確に>どう言ったか…(中略)…、「敵の」という<意味である>。
<正確に>→原文に存在 しない。
<意味である>→意味していたозначало。不完了 体動詞の過去形。過去の事実を述べている。
松田訳、高田訳『トロツキー自伝』はどちらも正しく過去形で訳している。森田訳のみが現在形で訳している。先行訳には誤訳が多かったからロシア語原典から訳しなおしたの ではなかったのか?
〔森田訳P28〕
こうしたニュアンスはあえて強調したもので はなく、すぐれて本能的なものであり、その声色によりはっきりと<現れていた>。何らかの<文化 的価値>とか…
<現れていた>→現れつつあるものである、現れているものであるвыражающийся。能動形動詞の現在形。主動詞と同時的・並行的に行なわれる動作を表わしている。
<文化的価値>→文化財また は文化の価値ценности культулы。「文化的価値」の訳は松田訳と同じ。「文化的価値」とするとкультурная ценностьと連想してしまう。
高田訳『トロツキー自伝』は「文化財」と訳している。森田が『レーニン』の前に訳出した『わが生涯』では同じこの語を「文化 財」と訳していたのだが。何が森田をして変更させたのだろうか?
〔森田訳P28〕
彼らは<知っている>…(中略)…だが<彼らは敵なのだ!>…目に見えな い影が < 欠落 > …人間文化 に投じられているのだ。そして彼はいつもこの影を<白日のようにはっきりと>感じとっていた。
<知っている>→できる、能 力があるумеют
松田訳は「理解している」(P257)、高田訳『トロツキー自伝』は「知っているか」(P168)と訳している。いずれも誤訳。森田訳はその高田訳を踏襲している。しかしумеютを「知っている」と訳すことはできない。
<彼らは敵なのだ!>→何という敵 であることか! какие враги! 感嘆文。
< 欠落 >→あたかもкак бы
<白日のようにはっきりと>→確実に、疑 いも無くс~ несомненностью。
「白日のように」は高田訳『トロツキー自伝』中の訳語と同じ。
高田訳P168
「しかもその影を、彼は、白日のようにいつ もはっきりと感じていたのであった。」森田訳は高田訳の語順を入れ替え、高田訳の文末「のであった」 を外しただけ。
ここの原文と拙訳は次の通り。
с такой же несомненностью, как дневной свет.昼の 光のような確実さで
〔森田訳P28〕
ウェストミンスター<宮殿>のような「細部」<にま で気を配る余裕は無かった>。
<宮殿>→城замка。 замкаには「宮殿」の意もあるが一般的には「城」である。またこことほとんど同じ文章が『わが 生涯』にあるが、トロツキーはこちらはВестминстерского дворца「ウェストミンスター宮殿」と している。この違いを出すためにも、ここは「ウェストミンスター城」と訳すべきである。森田氏は『レーニン』のВестминстерского замкаも『わが生涯』のВестминстерского дворцаもどちらも「ウェストミンスター宮殿」と訳している。『わが生涯』下巻の「訳者解題」でこの建物が「国会議事堂として使われていた巨大なゴ チック式建造物であるウエストミンスター宮殿のことである」(P566)と書いているが、異なる著作の単語の違いを無視して同じ訳語で押し通すことができるのは なぜだろうか?
〔森田訳P29〕
彼の目的は<私のことを>よく知り、<それとなく>試験することだった。そして試験は実際、<「全科目」にわたっていた>。
<私のことを>→原文に存在 しない。
<それとなく>→原文に存在 しない。
<「全科目」にわたっていた>→「全科目に わたって」いたのである。был~"по всему курсу" 「 」の範囲。
ここは高田訳『トロツ キー自伝』の訳文をほぼ踏襲してい る。
高田訳P168
彼のねらいは、私をよ く知り、またそれとなく私を試験するためであった。そして事実、試験は「全科目」にわたっていた
〔森田訳P29〕
私は彼とさまざまな問題について話した。レ ナ川の流刑囚の構成や<その内部でのグループ分け>についてである。積極的な政治闘争や中央集権的組織やテロに対する態度が、<当時の分裂の基本線>であった。
<その内部でのグループ分け>→流刑地にお ける内部諸 グループ
внутренних в ней группировках
<当時の分裂の基本線>→分水嶺の中 心線Главной линией водораздела
「当時の分裂の基 本線」という森田訳は松田訳とまったく同じ(P258)である。
〔森田訳P29-30〕
…<流刑地で繰り広げられていた>組織的・政治的闘争とのあいだに、私たちはいかなる結びつきも<見出しておらず>、そのことについて考えても見なかった。少なくとも、レナ川<の流刑地>に<『イスクラ』の各号と>レーニンの小冊子『何をなすべきか』が<届くまで>はそうだった。
<流刑地で繰り広げられていた>→われわれのнашими。森田訳のような文言は原文に存在しない。
<見出しておらず>→結びつけて おらず(связи~)не проводили 。この部分は松田訳「見出さなかった」(P258)にそっくり。
<の流刑地>→原文に存在 しない
<『イスクラ』の各号と>→『イスク ラ』の当初の数号первых номеров "Искры"。どうしてここから「各号」という訳文が導き出せるのか理解に苦しむ。
<届くまで>→<現 れるまで>до появления
〔森田訳P30〕
<そのとき><レーニンが語ったことの>趣旨を非常にはっきりと覚えている。<『歴史的観点から見た自然の根本的原理』>という著作については<非常にいいと>思ったが、プレハーノフはこれは<唯物論的ではない>と言って<反対している>、と。
<そのとき>→原文に存在 しない。
<レーニンが語ったことの>→ヴラヂーミ ル・イリイーチの批評のзамечания В. И:
<『歴史的観点から見た自然の根本的原理』>という著作については→自然に対する歴史的見解についての本はкнижка об историческом взгляде на природу 。ボグダーノフのこの著作名は挙げられていない。注で記すべきである。
<非常にいいと>→大変重要で あるとочень ценной
<唯物論的ではない>→唯物論ではないне материализм。「的」のわずか一文字であるが、まるで意味が違う。松田訳の踏襲
松田訳P258 唯物論的でないといって
<反対している>→賛成していないне одобряет。 これも「賛成していない」と「反対している」ではまるで意味が違う。
〔森田訳P30〕
当時レーニンはこの問題について自分の意見をまだ持っ ておらず、プレハーノフの哲学的権威に敬意を表しつつも<ためらいがちに><彼の>見解を<紹介した>だけだった。
<ためらいがちに>→訝しげに、 疑念を抱いてс недоумением
<彼の>→プレハーノ フのПлеханова
<紹介した>→伝えていたпередавал。動詞は不完了体の過去形。反復されていた過去の事実を述べている。
〔森田訳P30〕
当時、私は、<プレハーノフの評価>に< 欠落 >大いに<驚か されたものだ>。
<プレハーノフの評価>→プレハーノ フの意見、判定плехановская оценка。森田訳ではプレハーノフが評価の主体なのか評価の客体=対象なのか、曖昧で ある。
<驚かされたものだ>→(私を)驚かせたудивила。 森田式に受動態で訳すならば「驚かされた」。ここの動詞は完了体の過去形。完結したことがらを述べている。
〔森田訳P30〕
私は、< 欠落 >モスクワの中継監獄で<レー ニンの>著作『ロシアにおける資本主義の発展』を集団学習したこと、流刑地で<マルクスの>『資本論』にとりかかったが、第二巻で中断したことなどを話した。その話の中で、『ロシアにおける資本主義の発展』で<用いられている>膨大な量の統計資料に言及した。
< 欠落 >→私たちがど のようにкак мы
<マルクスの>→原文に存在 しない。
<とりかかった>→取り組んで いたがработали над。不完了体動詞の過去形。反復されて いた過去の事実を述べている。
<など>→原文に存在 しない。
< 欠落 >→私はЯ
<その話の中で、>→原文に存在 しない。
<『ロシアにおける資本主義の発展』>→『資 本主義の発展』"Развитии капитализма".
トロツキーは書名 を省略形で書いている。
<用いられている>→練り上げら れたразработанных。被動形動詞過去形。
松田訳の踏襲。ロシア語から訳せば松田訳を訂正できたはずだが。
松田訳P259
『ロ シアにおける資本主義の発達』において用いられた…
〔森田訳P31〕
<第二論文>では、マハイスキは、マルクスの再生産表式<の>「仮面をはぎとり」、それがインテリゲンツィヤによるプロレタリアートの搾取を理論的に 正当化するもの<に他ならないと書いていた>。それはわれわれのあいだに理論的<怒り>を引 き起こした。
<第二論文>→二番目の ノート、小冊子、印刷物Вторая тетрадь
再生産表式<の>→からс
<に他ならないと書いていた>→見出だしてусматривая。不完了体副動詞。主動詞と同時的・並行的な動作。
<怒り>→憤慨возмущение。「理論的怒り」は松田訳(P259)と同じである。
〔森田訳P31-32〕
後に< 欠落 >受けとった<最後の>第三<論文>は、<積極的>綱領を載せており、経済主義の残りかすをサンディカリズムの萌芽と結びつけていたので、<まったく首尾一貫していない>という印象を<受けた>。
< 欠落 >→私たちに よってнами(受けとられた)
<最後の>→最後にНаконец, 森田訳のような形容詞ではない。
<論文>→ノート、小 冊子、印刷物Вторая тетрадь
<積極的>→実際的положительной 。<積極的>綱領とはいったい何のことか?
<まったく首尾一貫していない>→完全な破綻 というполной несостоятельности
<受けた>→呼び起こし たпроизвела
「後に受けとった最後の~~、<積極的>綱領を載せ」の部分は、漢字表記・平仮名表記の違いを除けば松 田訳(P259)と同じである。
〔森田訳P32〕
私の今後の仕事に関しては、この時の会話ではごく一般 的に<触れられた>だけであった。私は何よりも出版された諸文献について学び、その後で再び非合法にロシア に帰って<革命運動に従事するつもりだった>。まずは「周囲の状況を見きわめる」べきだ<ということになった>。
<触れられた>→原文に存在 しない。
<革命運動に従事するつもりだった>→原文に存在 しない。
これとよく似た文章が『わが生涯』にある。
「だが、いずれにせよ、私は革命の仕事のために、ふたたび 非合法的にロシアに帰るつもりであった。」(高田訳P11)
不注意にか? 原文に忠実であれば不注意などということはありえない。なお、「ごく一般的に」の訳語は高田訳と同じである。
<ということになった>→と決まっ た、決定したРешено было
〔森田訳P33〕
<住人たちは>そこでコーヒーを飲んだり、<いつ終わるともしれぬ雑談にふけったり>、煙草を吸ったり< 欠落 >していた。
<住人たちは>→原文に存在 しない。意味の上では確かにこの住居の住人たちが主語であるが、原文にはない。
<いつ終わるともしれぬ雑談にふけったり>→話しをしに 集まったりсходились для разговоров
ロシア語原文のどこからこんな訳文が出てくるのか? 考えられるのは、ロシア語原文を見ることなく、松田訳の「長談義をやり」という訳文をいじくったことである。
< 欠落 >→などи пр。
〔森田訳P33〕
こうして、私の生涯における短いロンドン時代が始まっ た。私は、『イスクラ』の既刊号と雑誌『ザリャー(黎明)』を<むさぼるように読んだ>。<このころから私は『イスクラ』に寄稿しはじめた>。
<むさぼるように読んだ>→~を吸収す ることにむさぼるように取りかかった
принялся с жадностью поглощать 「~を吸収することにむさぼるように取りかかった」ので あって<むさぼるように読んだ>のではない。松田訳の踏襲。
松田訳P260
…バックナンバーをむさぼるようにして読んだ。
<このころから私は『イスクラ』に寄稿しはじめた>
→『イスクラ』への私の寄稿の始まりはこの時期のことであるК этому же времени относится начало моего сотрудничества в "Искре".
松田訳の踏襲
松田訳P260 またこのときに、『イスクラ』に投稿しはじめた。
〔森田訳P33〕
シリッセルブルク要塞<監獄>の<200周年に寄せた><小論を>書いたが、<これが『イスクラ』のデビュー作となった>。
シリッセルブルク要塞<監獄>→シリッセル ブルク要塞Шлиссельбургской крепости 。<監獄>という語は原文に存在しない。もともと軍事要塞であったものが後に監獄として使われるよ うになったので名称は元のままである。
<200周年に寄せた>→200年祭 に寄せてК 200-летнему юбилею。日 本語にすると「た」と「て」たった一文字の違いであるが、森田訳では<小論>にかかる連体修飾語。トロツキーの原文は副詞節であり、文法的にまったく異なる。
<小論を>→小さな記事 をзаметку
<これが『イスクラ』のデビュー作となった>→『イスク ラ』向けの最初の私の仕事だとおもうがкажется первую мою работу для "Искры".
松田訳に依拠していれば、もう少しロシア語に近くなったであろ うに。
松田訳P260「これが『イスクラ』に書いた最初のものだと思う。」
〔森田訳P33〕
その小論の<最後は>ホメロスの言葉、より正確にはホメロスを訳したグネディチの言葉で<締めくくった>。革命がツァーリズムの<上にかけた><「払いのけることのできない手」>というものだった(私は<シベリアからの脱出の際に>列車の中で『イリアス』を読んだのだった)。
<最後は>…<締めくくった>→~で終わっていたКончалась。動詞は不完了体の過去形。過去の事実を客観的に述べている。森田訳「締めくくった」のような動作、行為 の完了の意味は含まれない。
<上にかけた>→上に載せるであろう、上に置くであろうналожит на 。動詞は完了体未来。森田訳はこれをあろうことか過去形にしている。
動詞の体(アスペクト)も時制も無視。トロツキーは言うだろう:「これは私の文章では ない!」と。
<「払いのけることのできない手」>→「無敵の両 手」 "необорных рук"
ここは誤訳がひどい。
この句の主格はнеоборные руки。 необорныйは古代教会スラヴ語の単 語で、не-обор-ныйと分解できる。意味はнеоборимый,с которым нельзя бороться,от которого нельзя оборониться,очень сильный打ち克ちがたい、克服できない、どうしようもないほど強い、~と戦うことができないほど 強い,~に対して防戦することができないほど強い、といった意味である。
ここから私は「無敵の両手」と訳した。この後で松田訳をみると「不敗の手」としている。英訳を見 ると"invincible hands"「無 敵の両手」とあり、私と同じ解釈を取っている。
さて、トロツキーがここで言及しているのはニコラー イ・イヴァーノヴィチ・グネーディチНиколай Иванович Гнедич(1784-1833)訳によるホメーロス『イーリアス』のことである。
言及している箇所は第一歌 Песнь перваяの566-557行 である。トロツキーはこの箇所を、革命とツァーリズムについてのアナロジーとして用いたものと思われる。
Или тебе не помогут ни все божества на Олимпе,
Если, восстав, наложу на тебя необорные руки".
邦訳を見る。呉茂一訳(平凡社ライ ブラリー『イーリアス』上、2003年、P50-51)は 「無敵の腕」としている。
よしオリュンポスに神々の数はあろうと、そな たに対して無敵の腕を
この私が ふるおうとして迫り寄るとき、 そなたを護れる者はいまいぞ」。
土井晩翠訳(冨山房1940年、1995年新版、P44)は 「わが手の威力」
ウーリュムポスの群神の数はた如何に多くと も、
わが手の威力打たん時汝を救ふものなけむ
呉茂一の邦訳(現在でも容易に入手できる)か英訳(これも容易に入手可)を見さえすれば正解に到達できるのに、どうやら森田はそれをしなかった。「払いのけることのできない手」とは一体何のことか!!?? 意味不明である。
<シベリアからの脱出の際に>→シベリアか らの道中по дороге из Сибири
松田訳P260 シベリアからの旅の途中。 この方がロシア語に近い。
〔森田訳P33-34〕
<この小論はレーニンに気に入られた>。しかし、<「払いのけることのできない手」>については無理からぬ疑問を抱いていて、悪気のない笑みを浮かべながらそのことを私に<伝えた>。「でもあれはホメロスの詩の一節なんです」と弁解したが、古典からの引用は必要ではな いという点に快く同意した。<この小論は『イスクラ』に掲載されたが>、<「払いのけることのできない手」という言葉は削られていた>。
<この小論はレーニンに気に入られた>→レーニンは 記事が気に入った。あるいは、記事はレーニンの気に入った。Ленину заметка понравилась.
ロシア語初級に必ず出てくる文型。意味上の主体は与格。訳文は「日本語らしい自然な訳」 を目指す森田氏のものとは思えない、およそ日本語としても不自然な訳だ。
<「払いのけることのできない手」>→同前
<伝えた>→述べたвыразил
<この小論は『イスクラ』に掲載されたが>
→『イスクラ』で小記事を見出すことができるが、または記事は『イスクラ』で見出すことが できるがЗаметку можно найти в "Искре",
можно найтиからどうやって「掲載された」という訳文を導くのだろうか?
<「払いのけることのできない手」という言葉は削られていた>
→しかし、「無敵の両手」は無しにであるно без "необорных рук".
後半はわずかな違 いをのぞいて、ほぼ丸ごと松田訳の踏襲。
松田訳P260 同一部分を下線で示す。
「でもあれはホメロスの詩の一節なんですよ」と私 は弁解したが、古典≪略≫の引用が必要≪略≫ないということは快く承認し た。さてその論文は『イスクラ』に掲載されたが、「不敗の手」ということばはけずられていた。」
〔森田訳P34〕
<同じころ>、私はホワイトチャペル……で<最初の講演>を行い、<ナロードニキの><「老」>チャイコフスキー…やアナーキ ストのチェルケーゾフ(彼も<すでに>若くなかった)と論戦を交 わした。その結果、……<白髪の><亡命家たち>が<これほどまでに馬鹿げた議論を展開したことに>心底驚かされた。
<同じころ>→まさにこの とき、まさにこのころТогда же
<最初の講演>→はじめのこ ろのいくつかの報告でс первыми докладами。なぜ複数形に なっているのかを森田氏は考えたのだろうか? 複数の報告が行なわれ、トロツキーはその一人なのである。そしてそこでチャイコーフス キィやチェルケーゾフと争ったというのだ。
<ナロードニキの>→原文に存在 しない。
<「老」>→「老人」"стариком"。形容詞ではなく名詞。
<すでに>→原文に存在 しない。
<白髪の>→седобородые白いあごひげの。「白髪の」ならばсединыである。
<亡命家たち>→亡命者たちэмигранты。「亡命家」という日本語はない。
<これほどまでに馬鹿げた議論を展開したことに>→このような 明らかに馬鹿げた話しをすることができるということにспособны нести такую явную околесицу...
〔森田訳P34〕
ホワイトチャペルとの<関係を取り計らってくれたのは、>ロンドンの<「古くからの住民」>であるアレクセーエフだった。彼は<亡命マルクス主義者>で、『イスクラ』編集部と近い関係にあった。
<関係を取り計らってくれたのは、>→連絡を務め ていたのはСвязью с …служил
<「古くからの住民」>→「故老」 「古老」"старожил"。森田訳は単語を分解して字義どおりに訳したものだが、それではこの単語に" "「 」がついている意義が消え失せる。
<亡命マルクス主義者>→マルクス主 義者-亡命者марксист-эмигрант
〔森田訳P34〕
彼は、<私のイギリス生活においてあれこれ世話を焼いてくれ>、総じて私にとってのあらゆる情報の源であった。
<私のイギリス生活においてあれこれ世話を焼いてくれ>
→私にイギリス暮らしのことを詳しく教えてくれたものであり
посвящал меня в английскую жизнь
動詞は不完了体過去形。反復されていた事実を述べている。
森田訳のような文言は原文中にまったく存在しない。 訳文からすると森田氏はменя в английскую жизнь を<私のイギリス生活において>と取っているとしか考えられないがпосвящать кого во что…で、「~(人)に他人の知らないことを詳しく教える」の意であり、в английскую жизнь は教えられる内容なのである。また、この句が対格であり、森田訳から推察されるような前置格ではな いことも明白である。
この誤訳はおそらく高 田訳『トロツキー自伝』に依拠することによって生じたものと推察される。字句上の表現は若干異なるが、解釈は両者同一である。もちろん誤訳であ る。
高田訳「彼は私のイギリ ス生活に献身的な世話をしてくれ、」(上、P170)
〔森田訳P34〕
<今でも>< 欠落 >覚えているが、ホワイトチャペルへの行き帰りに。アレクセーエフと<いろいろと話し込んだのち、>アレクセーエフの二つの意見をウラジーミル・イリイチに伝えた。一つはロシアにおける国 家体制の交替に関してであり、もう一つはカウツキーの最新<著書>についてである。
<今でも>→原文に存在 しない。
< 欠落 >→私がどのように…伝えたかを как я…передал…。この欠落は重大。この結果、引用部分全体の意味が歪んでいる。
<ホワイトチャペルへの行き帰りに>→ホワイト チャペルへ行く途中と帰り道にв Уайт-Чепел и обратно
森田訳は「ホワイトチャペルへの行き」と「ホワイトチャペルへの帰りに」の複合語。「…への帰り道」は明らかにおかしい。
<いろいろと話し込んだのち、>→詳しい会話 の後で、詳しい話の後で
после обстоятельного разговора
この部分の森田訳は基本的に松田訳を踏襲している。
松田訳P261
「ホワイトチャペルへの行き帰りに、アレク セーエフと詳しく話をしたあとで、そのときの彼の意見を二つとりあげて、ウラジーミル・イリイッチに話したことを覚えている。」(P261)
<著書>→小冊子книжки
〔森田訳P34〕
ロシアでは<専制政府の>リジッドさゆえに…、とアレク セーエフは<言った>。
<専制政府の>→専制の、専 制政治のсамодержавия。「政府」にあたる語は存在しない。
<言った>→言ってい た、言っていたものだったговорил不完了体過去。反復されていた過去の事実を述べている。
〔森田訳P34-35〕
リジッドさ(過酷さ、強固さ、頑固さ)という<外来語を使ったのを>はっきりと覚えている。
<外来語を使ったのを>→言葉をСлово。また「使ったのを…」にあたる 語も存在しない。
〔森田訳P35〕
アレクセーエフの<もう一つの意見>はカウツキーの<著作><『社会革命の翌日』>についてであった。
<もう一つの意見>→二つ目の判断は、見解はВторое суждение 。すぐ前の文で「意見мнение」 の語が出てきているからсуждениеを「意見」と訳すのは避けるべきである。 この語は元来、動詞судить判断を下す、裁く、という語の名詞化であるから「判断」「判定」などの語がよい。
<著作><『社会革命の翌日』>→小冊子『社会革命の翌日に』книжки "На другой день после социальной революции".森田訳は前置詞Наの存在を無視している。
〔森田訳P35〕
<そのロシア語版を編集したのも彼であった>→ロシア語訳 はまさに彼によって校閲されたものだったはずだ(、と思う)кажется, им же был проредактирован русский перевод.
森田氏が<編集>と訳しているロシア語は露露辞典によれば「出版にあたって検査、点検し、訂正、修正する こと」との語彙になっており、日本語で言うところの「編集」とは意味にずれがある。
<「馬鹿め」、>レーニンは不意にそう言い、腹立たしそうに口をとがらせた。不満なときに<いつも><そうする癖が>あった。
<「馬鹿め」、>→「馬鹿な!」"Ду-рак",
<いつも>→原文に存在 しない。存 在するのはбывало「よく起こったものだ。」
<そうする癖が>→原文にその ような文言は存在しない。これは松田訳に由来する。この部分は松田訳をほぼ踏襲している。
松田訳P261
「『ばかめが』と不意にレーニンはいって腹 立たしげに口をつぼめた。彼はいつも不満足なときはそうする癖があった。」
プレハーノフ
〔森田訳P36〕 これは松 田訳に由来する。 松田訳P262 私がヨーロッパへ旅立つ前に また、森田訳では大陸へ行くのはレーニンであるかのようだ。誤 解を招く。 これも松田訳 踏襲。 松田訳P262 ひそかに教えてくれ 松田 訳の踏襲。 松田訳P262 全員がスイスへ転居することを主張したが
ここは松田訳に依拠せず森田訳オリジナル。だが松田訳の方が原 文に近い。 松田訳P262 (プレハーノフは…)主張したが <あいだに激しい衝突があることを>→あいだの諸 々の鋭い衝突についてОб острых столкновениях между 原文はОб острых столкновениях между あいだの諸々の鋭い衝突について。森田氏はстолкновенияхもконфликтыも「衝突」と訳している。単語の違いはどこへ行ったのだろうか? <理解していった>→気づいて いったузнавал 。「理解していった」ならпонималであろう。 松田訳由来。 松田訳P262 …衝突があることを理解するようになった。 |
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〔森田訳P37〕
しかし私は綱領を<全体として>理解していたので
<全体として>→あまりにも 全体的なやり方で、大まかにслишком оптовым порядком
〔森田訳P38〕
<意見の>相違は次のような点で起こっていた。レーニンの側は、資本主義の基本的諸傾向<―>生産の集中、中間階層の没落、階級分化等々の…
<意見の>→原文に存在 しない。松田訳由来。
松田訳P262 見解の相違は、…
資本主義の基本的諸傾向<―>生産の集中、中間階層の没落、階級分化等々の
→資本主義の基本的諸傾向の、生産の集中の、中間諸階層の分解の、階級分化等の
森田訳は資本主義の基 本的諸傾向を「―」以下で三点挙げているが、原文では単に列挙されているだけである。
〔森田訳P38〕
綱領には周知のように、「多かれ少なかれ」という言葉 が<散見されたが>、それは<プレハーノフによるものであった>。
<散見されたが>→数多くある がизобилует 不完了体動詞の現在形である。
<プレハーノフによるものであった>→プレハーノ フに由来しているэто от Плеханова。現在形である。松田訳と同一。
〔森田訳P40〕
私はそれをごく当然のことだと思って、<頭のてっぺんから足のつま先まで>…(略)…気づかなかった。
<頭のてっぺんから足のつま先まで>→骨の髄までдо конца ногтей。成句である。
松田訳とほぼ同一。
松田訳P264 頭のてっぺんからつま先まで
森田訳は、原文の完了体副動詞に始まる部分を後に持っ てきているので、原文の持つ立体的構造が不鮮明である。
Я считал это в порядке вещей, не догадываясь, что европеец до конца ногтей Плеханов мог только ввиду крайности обстоятельств решиться на такую чрезвычайную меру.
骨の髄までヨーロッパ人で あるプレハーノフがそのような非常措置をとることができたのは事情が如何ともし難かったからでしかなかったということに私は気づかず、これを当然のことだ と見なした。(拙訳)
〔森田訳P40〕
話し声で迷惑をかけ<たくなかった>のだ
→迷惑をかけてはいけなかったのだったнельзя было беспокоить
願望の表現ではなく禁止表現。
〔森田訳P41〕
彼は<欠落>いくつかの<一般的な>質問をし、
<欠落>→私にмне
<一般的な>→大雑把な、 ひととおりのбеглых
ザスーリチ
〔森田訳P41-42〕
彼女は非常に遅筆で、創造の真の苦しみに悩まされてい た。
松田訳と90%以上同じ。
松田訳「彼女はひじょうに遅筆で創造の苦しみに悩まされて いた。」(P261)
Писала она очень медленно, переживая подлинные муки творчества.
拙訳
彼女は創造の真の苦しみに 悶々としており、非常に遅筆だった。
переживаяは不完了体副動詞で、ここでは主文の理由・原因を述べている。原文は立体的構造をもっているが森田訳は平板で羅列的。原文の立体的構造が訳文にも反 映されなくてはならない。
〔森田訳P42〕
古い<急進的インテリゲンツィア>
→インテリゲ ンツィヤ的急進主義者интеллигенткойрадикалкой
松田訳と同一。
〔森田訳P42〕
彼女の<論文>「ブルジョア出身の革命家」について<会話したときのことを>覚えている。
<論文>→原文に存在 しない。松 田訳に存在。
<会話したときのことを>→自分の、彼 女との会話を свой разговор с ней。森田訳では、覚えているのは会話そのものではなく、会話をめぐる状況ということ になってしまう。
〔森田訳P43〕
だが、ヴェーラ・イワノヴナは<冷淡で>、次のようにさえ<言っ た>。
<冷淡で>→たまに、時 おりнет-нет да и 。冷淡にあたる語は原文に存在しない。
松田訳由来。したがって盗用の証拠。
松田訳P266 ヴェーラ・イワーノヴナは、その論争に冷淡だっ た。
<言った>→言うだろうскажет。完了体。未来の意味である。
これも松田訳由来。
松田訳P266 彼女は次のようにさえいった。
松田訳には無視できな い誤訳があるのではなかったのか?
〔森田訳P45〕
<「ヴェーラ・イワノヴナは道徳や感情に流れるきらいがある」>…(略)…<彼女がマルトフといっしょになって個人的テロに傾いたからであ る>。
<「ヴェーラ・イワノヴナは道徳や感情に流れるきらいがある」>
→「ヴェーラ・イヴァーノヴナには道徳や感情の上に作り上げられたものがたくさんある」"У Веры Ивановны многое построено на морали,на чувстве",
<彼女がマルトフといっしょになって個人的テロに傾いたからであ る>
→彼女とマールトフが、いかに個人的テロルに同意しかけたかを、レーニンは話したи рассказал, как она с Мартовым склонились было к индивидуальному террору,
この部分は3つの理由で極めて重大な誤訳である。
1.森田訳の後半の文(原文では続 きの文)が、あたかも前半の理由を述べたものであるかのように訳されていること。
原文ではи рассказал,以下でザスーリチの道徳的・感情的なところが例示されているのだが、森田訳のような理由 を述べる文ではない。
2.森田訳の後半の文も、原文ではレーニンが物語ったрассказалものであるのに、森田訳ではそれがほとんど消失しており、あたかもトロツキーが言ったも のであるかのように訳されていること。
3.最大の問題点。森田訳では「個人的テロルに傾いた」と断定しており、ザスーリチとマール トフが個人的テロルを支持したことになっているが、原文では「同意しかけた」склонились было となっており、二人は結局、テロルには同意しなかったのである。正反対に訳さ れてしまっている。
森田氏はсклонились былоを見て過去形に訳したのだと思われるが、動詞(または動詞と助動詞)過去形が2つ並ぶことはありえない。これは助詞であって、動詞過去形に添えて開始された動作が中断・実現しなかったことを示す。
これこそトロツキーに対する誤解を与えるようなものではないのか?
〔森田訳P46〕
…「偏向」の痕跡は…<見出すことができるだろう>。
<見出すことができるだろう>→見出すこと ができるможно найти。 推測ではない。
〔森田訳P46〕
<なぜそん なことになったかというと>、レーニンが<ヨーロッパ>大陸の方に…(略)…出したのだった。
<なぜそんなことになったかというと>→事の次第 は、たしか、こんな具合だった
Дело было, кажется, так.
<ヨーロッパ>→原文に存在 しない。松 田訳由来。
松 田訳P267 マルトフとザスーリッチは、問題の号をレーニンがヨー ロッパに行っていた留守のあいだに、出版したのだった。
〔森田訳P46〕
ヴィルナでの鞭打ち刑の<ニュースは>、<『イスクラ』><受任者の><電報>によって<ロンドンに><知らされた>。
<ニュースは>→原文に存在 しない。
<『イスクラ』>→原文に存在 しない。
<受任者の>→代理人のагентское
<電報>→電信のтелеграфное
<ロンドンに>→原文に存在 しない。
<知らされた>→届いたПолучилось
この部分は松田訳に森田氏が加筆してなったもの。
松 田訳P267 ヴィルナでの笞の刑のニュースは、電報でロンドンにもたら された。
原文
Получилось агентское телеграфное сообщение о виленских розгах.
拙訳
ヴィルナの笞刑を知らせ る、代理人の電信が届いた。
〔森田訳P47〕
ザスーリチは<きちんと系統だった議論のできない人だった>
→ザスーリチは本格的に論争するということをしていなかった
Спорить по-настоящему Засулич не спорила,
<できない>という文言は存在しない。
松田訳踏襲。
松 田訳P267 ザスーリッチは本当の議論のできない人だった。
〔森田訳P47〕
彼女は…それから<興奮しながら>一気に<まくしたてるのだが、勢いあまってむせてしまうほどだった>。
<興奮しながら>→燃え上がっ てзажегшись。完了体副動詞だから、主動作に先立つ動作、ことがらを述べる。森田訳では完了体副動詞の訳にならない。
<まくしたてるのだが、勢いあまってむせてしまうほどだった>
→フレーズの文句にむせながら、自分の中から大慌てで捲くし立てるのだった。
Выбрасывала из себя быстро и захлебываясь ряд фраз。
今度はзахлебываясь不完了体副動詞で、ここでは主動作と同時的・並行的な動作、ことがらを述べている。
<一気にまくしたてる>は松田訳P267と同一。
〔森田訳P47〕
しかも彼女は、自分に反対している相手に向けて<話すのではなく>、<きっと自分に賛成してくれるだろうと思われる>人物の方を向いて<話すのである>。
причем обращалась она не к тому, кто ей возражал, а к тому, кто, как она надеялась,способен ее понять.
しかも彼女が向いて いたのは、彼女に異を唱えていた相手のほうではなくて、彼女が望んでいたように彼女を理解することのできる相手のほうであった。(拙訳)
<話すのではなく>→原文に存在しない。
<きっと自分に賛成してくれるだろうと思われる>→原文に存在しない。
森田訳より松田訳 の方が相対的に正しい。とくに後半部分。
松田訳P268
だが彼女は、それを答えなければならない人間に向かってで はなく、自分のいうことをわかってくれるだろうと思う人に向かっていうのであった。
〔森田訳P47〕
彼女が何かを<しゃべろうとすれば>、爆発的にしか話せなかった<からである>。
<しゃべろうとすれば>→話すために はей, чтобы сказать
<からである>→理由を示す 文言は原文に存在しない。
松田訳の踏襲
松 田訳P268
と いうのは、何かいおうとすれば、彼女は爆発的にしゃべりださねばならなかったからである。
〔森田訳P47〕
<そしていざ話すとなると>、<欠落1>演説者の予定をまったく無視し(彼女は<最初 からそうした手順をまったく馬鹿にしていた。)、<欠落2>他の演説者も…(略)…自分の<言いたいことを>最後まで<一気にまくしたてるのだった>。
<そしていざ話すとなると>→しかし、彼 女が話したときにはそれはもうНо уж в этом случае она говорила, 過去形
<欠落1>→いわゆるтак называемой
<最初からそうした手順をまったく馬鹿にしていた>
→完全に軽蔑してс полнейшим презрением
<欠落2>→いつでもи всегда
<言いたいことを>→言いたかったことをчто хотела сказать.過去形。
<一気にまくしたてるのだった>→言い尽くすのだったи договаривала до конца
最後の文は松田訳に酷似
松 田訳P268 …、彼女のいいたいことをおしまいまでいってのけるので あった。
森田氏はдоговаривать もвыбрасивать(前出)もどちらも「一気にまくしたてる」と訳している。単語の違いなどお構いなしである。
〔森田訳P48〕
両者のあいだには<まったく共感の要素がなく>、<体質的にまったく異なっていることを彼ら自身も感じていた>。
<まったく共感の要素がなく>→共感がなかったわけではないがне то что не было симпатии。共感はあったのだ!
森田訳は正反対に訳してい る。こ れこそトロツキーに対する誤解をふりまくものではないのか? またザスーリチやレーニンに対する誤解をもふりまくものではな いのか?
<体質的にまったく異なっていることを彼ら自身も感じていた>
→器質的に深 く異なっているという感覚が存在していたа было чувство глубокого органического несходства.
この部分は松田訳とほとんど同じ。
松田訳P268 ふたりのあいだには共感がなかったばかりではなく、 お互いに自分たちは、体質的にいちじるしく違ったものあると感じていた。
Между ними не то что не было симпатии, а было чувство глубокого органического несходства.
彼ら の間には共感がなかったわけではないが、器質的に深く異なっているという感覚が存在していた。(拙訳)
マルトフ
〔森田訳P48〕
<心理的洞察に優れていたザスーリチは>→炯眼な心理学者としてкак тонкий психолог
<この時すでに多少の反感を感じていた>→反 感のニュアンスがないではないが
не без некоторого оттенка неприязни
〔森田訳P48〕
モスクワでも<キエフでも>
<キエフでも>→キーエフでと同じように как и в Киеве。ここは松田訳(P268)と同じ。森田訳に「、」がないだけ。
〔森田訳P48〕
<名だたる><マルクス主義文筆家><については論文を通じて知っていただけである>。
<名だたる>→原文に存在 しない。森田氏の頭の中に存在するだけである。
<マルクス主義文筆家>→著述家マル クス主義者たちをЛитераторов-марксистов
<については論文を通じて知っていただけである>→~について 知ったのは論文でだけだったзнал только по статьям.
〔森田訳P48〕
シベリアでは<数部の>『イスクラ』とレーニンの『何をなすべきか』を<読んだ>。<『ロシアにおける資本主義の発展』>の…
<数部の>→数号のнесколько номеров 森田訳は松田訳P268と同じ。
<読んだ>→読み終えた、読み通したпрочитал。 完了体過去。森田訳は松田訳P268と同じ。
<『ロシアにおける資本主義の発展』>→『資 本主義の発展』"Развития капитализма", 「ロシアに おける」は原文に存在しない。トロツキーは省略して書いている。
〔森田訳P49〕
ロンドンでは『イスクラ』<と>『ザ リャー』の<各号>、および一般に外国の<文献を><熱心に><研究した>。
В Лондоне, штудируя с остервенением "Искру", "Зарю" и вообще заграничные издания, я…
<各号>→原文に存在 しない。
<文献を>→諸出版物をиздания,
<熱心に>→夢中になっ てс остервенением
<研究した>→研究してい るとштудируя。不完了体副動詞。原文ではこの後に文が続くのだが、森田訳はここで切っている。
〔森田訳P49〕
私は<『イスクラ』を全体として>受け入れており、<そのころは>『イスクラ』またはその編集部員のあいだに異なった傾向やニュアンス<の差>や影響力<の差を><見つけ出そう>という<気持ち>は<さらさらなく>、それどころかそうすることに<欠落><内心の敵意さえ感じていた>。
<『イスクラ』を全体として>→全体として の『イスクラ』を "Искру" как целое。森田氏はв целомと取り違えている。森田訳 は松 田訳P268と同じ。
<そのころは>→そ の数ヶ月в те месяцы 森田訳は松田訳P268と同じ。
<の差>、<の差を>→どちらも原 文に存在しない。恐らく松田訳『くいちがい』、『(影響力の)大小等』に由来する。
<見つけ出そう>→探し出すискать。森田訳はнайтиを 連想させる。
<気持ち>→考えмысль
<さらさらなく>→縁がなかっ た、無縁であったбыла чужда
<欠落><内心の敵意さえ感じていた>→内心ではあ たかも敵対的でさえあったи даже как бы внутренне враждебна как быの訳が欠落している。
この部分は松田訳を踏襲 している。
松田訳P269
私は『イスク ラ』を全体として受け入れており、そのころは『イスクラ』またはその編集員のあいだに、無力な傾向や、感情の上でのくいちがいや影響力の大小等を 見つけ出そうという気持はなかつたし、また実際そういうことに対する一種の内的な嫌悪すら持っていたのであった。
〔森田訳P50〕
<「どうしてまずいのかね」>、彼は興味深そうに尋ねた。おそらく私が単なるその場の思いつきで言ったのでも、自分だ けの意見として言ったのでもないと<感じたのだろう>。
<「どうしてまずいのかね」>→どうして不 都合なのですか、どうして具合が悪いのですかПочему неудобно? 「 」にあたる記号" "はない。もっともこれは目くじらを立てる ほどのものではないかもしれないが。一般に森田訳のレーニンは物腰が横柄である。
<感じたのだろう>→推測しなが らпредполагая不完了体副動詞。主動詞と同時的・並行的な動作だからこの訳し方はまず い。松田訳 の踏襲。
松田訳P269
おそらく彼は私が、その場の思いつきでなく、そしてまた私 個人だけの見解ではない何ごとかをいっているのだと思ったのだろう。
〔森田訳P50〕
<「それはそのー」>、私 はお茶を濁した。
<「それはそのー」>→いや、それ は何となくДа так как-то。同じく「 」にあた る記号" "は原文に存在しない。
ついに「研究者」でさえ書き言葉を話し言葉で書くようになったか!? 書くならば「それはそのう」である。このようなことを書くから「日本語の乱れ」云々と言 われるのだ。
〔森田訳P50〕
<「僕はそうは思わんね」>→私 はそうは思いませんねЯ этого не нахожу。「僕」が漢字になっているだけで森田訳は松田訳(P270)と同じ。
〔森田訳P50〕
当時、<このような>文章表現上の手法には、<多少>「自己中心主義」<的なものを><感じないこともなかった>。
<このような>→このв этом
<多少>→原文に存在 しない。
<的なものを>→~臭をдушок
<感じないこともなかった>→思われるこ とがあり得た、思われ得たмог почудиться
松田訳の踏襲
松 田訳P270
当時、このような書き方のく せには、かすかな「自己中心主義」が感じられないでもなかった。
〔森田訳P50〕
…、最も近しい<同僚たちの>路線に<納得していないことの表われ(ママ)であり>、自分の<路線を守る>保険<になった>。
<同僚たちの>→寄稿者たち のсотрудников 森田訳は松田訳と同じ。
<納得していないことの表われ(ママ)であり>→~に関して 確信がないことの結果としてのкак результат неуверенности насчет
<路線を守る>→路線のлинии
<になった>→であったбыло
〔森田訳P50-51〕
<まさにこの点に>、小規模ながら、レーニンのあの頑強で粘り強い、<あらゆる状況を利用し>、形式的な<配慮>の前で立ち止まることのない、目的意識性<を垣間見ることができるだろう>。<これこそが指導者としてのレーニンの>基本的特徴をなすものなのである。
<まさにこの点に>→ここ、私た ちの前にТут перед нами
<あらゆる状況を利用し>→意味のない 慣行を打ち破るпопирающая все условности。 原文とまったく異なる勝手な作文である。しかもこの部分は松田訳(P270)と同じ。つまり盗用の証拠だ。もっとも英訳を底本とする松田訳には少し酷であるが。
<配慮>→こと、こと がらчем
<これこそが指導者としてのレーニンの>→指導者レー ニンのЛенина-вождя。「これこそが」、「としての」にあたる語は原文に存在しない。
〔森田訳P51〕
彼は、<まるで話すように>すらすらと際限なく<書き まくった>。
<まるで話すように>→話していた のと同じよ うにтак же как и говорил
<書きまくった>→書いていたписал。不完了体。
〔森田訳P51〕
<あるとき、>レーニンは<図書館で><ナジェジュディンを批判する>論文を<執筆した>。この人物は、当時スイスに小さな出版社を持っていて、<社会民主党と社会革命党とのあいだにいる>人物であった。
<あるとき、>→原文に存在 しない。
<図書館で>→閲覧室でв библиотечном зале
<ナディジュディンを批判する>→ナヂェージ ディンに反対するпротив Надеждина。固有名詞が間違っている。
<執筆した>→どのように 書いていたかを覚えている Помню, как Ленин писал
Помню, как が欠落している。また、動詞は不 完了体過去であるから「書いていた」である。
<社会民主党と社会革命党とのあいだにいる>
→社会民主主 義者たちと社会革命党員たちとの間のどこかにいる、位置する
где-то между социал-демократами и социалистами-революционерами。
социал-демократами и социалистами-революционерамиと複数形になっていることに注意しなければならない。
〔森田訳P51-52〕
「<君は>ユーリー(マルトフ)の論文を<読んだかね>」、ウラジーミル・イリイチは<大英>博物館で私に尋ねた。
「読みました」
「<どう思った?>」
「<よくできていると思います>」
「<ふむ、たしかによくできている>。だが明確さが足りない。結論がないんだ。<私も同じテーマで論文をここに書いたんだが、さてどうしたもの か。そうだな、ユーリーの論文に対する注にでもするか>」
<君は>→あなたはВы。Выを「君」 と訳す無神経。森田氏はレーニンとトロツキーの同志的平等関係を一貫して目上―目下関係で訳す。
<読んだかね>→読みました かчитали
<大英>→原文に存在 しない。トロツキーは省略して「博物館でв музее」とだけ書いている。
<どう思った?>→どう思いま すか? Как находите? 現在形。時制無視。
<よくできていると思います>→よいと思わ れますКажется, хорошо
<ふむ、たしかによくできている>→いいことは いいんですがХорошо-то хорошо,
<私も同じテーマで論文をここに書いたんだが、さてどうしたもの か。そうだな、ユーリーの論文に対する注にでもするか>
→私は、ここに少しばかり要点を書き上げたんですが、どうなるものか今のところ分かりませ ん。果たして、ユーリーの論文への注にしたものでしょうか?
Я вот тут набросал кое-что, да не знаю теперь, как быть: пустить разве дополнительным примечанием к статье Юлия?
レーニンの発言、最後の部分は発話スタイルは勿論のこ と、訳文もいい加減である。特に「私も同じテーマで論文を書いたんだが」などという文言は原文 にまったく存在しない。松田訳ですら「私もここで一つ書いたんだが」(P270)と訳しているというのに。ここまでくると森田氏の恣意的作文・捏造・偽造である。
〔森田訳P52〕
<エピソード的な意見の相違が生じた。>→不一致が偶 発的に、たまたま燃え上がったэпизодически вспыхнуло разногласие
<エピソード的な意見の相違>とは何のことか? 分かるようで分からない。読まされる方は和製英語的に、「逸話のような意見の相違」と解 するだろう。最大の問題点は森田氏がこれを原文どおりに副詞эпизодическиとして訳しておらず、形容詞として取り扱っていることである。эпизодическиは偶発的に、たまたまの意である。
〔森田訳P52-53〕
マルトフは<この論点を踏まえて>、<自分の>考えを<展開した>。大衆デモを警察から防衛するすべを学ばなければならないが、警察との闘争のための<特別グループ>をつくる必要はないというものだった。
<この論点を踏まえて>→この意見を 引き継いでподхватил это соображение
<自分の>→原文に存在 しない。
<展開した>→展開し始め たстал развивать
<特別グループ>→個々のいく つかのグループотдельные группы
〔森田訳P53〕
<集会や会議の場以外の私的な場で>話をしている姿を…
<集会や会議の場以外の私的な場で>→集会や会議 においてではなく、私的な話し合いの中で…не на собраниях и совещаниях, а в частной беседе
не ~, а… 「~ではなくて…」構文である。
〔森田訳P53〕
<彼は、><歴史の実験室の中から生まれた>おそらく最も<確固たる>功利主義者であった。
<彼は、>→これはЭто
<歴史の実験室の中から生まれた>→いつかあるとき歴史の実験室がつくり出したкогда-либо выпускала лаборатория истории когда-либоの訳が欠落。
<確固たる>→厳しいнапряженный
〔森田訳P53〕
歴史的広がりを有して<いたがゆえに>→いるものな ので、いるがゆえにтак как … широчайшего исторического захвата。現在形。
〔森田訳P54〕
レーニンは、<今日の問題に取り組みながらも><欠落><明日という日に思いを馳せていた>。
<今日の問題に取り組みながらも>→今日という 日を自分の下に踏みしめながらподминая под себя сегодняшний день
<欠落>→思考で、思 考によってмыслью
<明日という日に思いを馳せていた>→(思考で)明日という日に突き進んでいた。
врезывался мыслью в завтрашний.
〔森田訳P54〕
マルトフの頭には無数の<―そしてしばしば機知に富んだ―>洞察、仮説、提案がつまっていたが、しばらくすると彼自身そのことを忘れてしまうことも 珍しくなかった。それに対してレーニンは、自分に必要なことを、必要なときに捉えた。
<―そしてしばしば機知に富んだ―>→この ような挿入的説明の文章は原文に存在しない。解釈の押し付け。
この箇所は部分的な象嵌的修正では立ち行かないので全 体の試訳を挙げる。
У Мартова были бесчисленные и нередко блестящие догадки, гипотезы, предложения,о которых он часто сам вскоре позабывал, а Ленин брал то, что ему нужно, и тогда,когда ему нужно.
拙訳
マールトフは無数の、そし て度々すばらしい洞察、仮説、提案を持っていたが、彼自身、よくそのことをじきに忘れていた。一方、レーニンは、自分に必要なものを、しかもそれが自分に 必要なときに掴んでいた。
〔森田訳P54〕
マルトフの思想は緻密であったが、<どこか>脆いところがあり、そのためレーニンは一度ならず不安げに頭を振ることに<なる>。
<どこか>→原文に存在 しない。
振ることに<なる>→余儀なくさ れていたзаставляла不完了体過去。
〔森田訳P54〕
その後、第二回<党>大会での分裂の際、<イス クラ派>は、<「硬派」と「軟派」>に分かれた。
<党>→原文に存在 しない。松田訳P272にある。
<イスクラ派>→イスクラの メンバーたちискровцы
<「硬派」と「軟派」>に→強硬派と穏 健派にна твердых и мягких。「 」 にあたる記号" "は原文に存在しない。
〔森田訳P55〕
それは、両派を分かつ明確な<路線上の相違>はまだなかったが、問題へのアプローチ<の仕方>、断固たる姿勢、最後までやり通す覚悟といった点で<両者に>違いがあることを<示していた>。
<路線上の相違>→分かつ明確 な線отчетливой линии водораздела
<の仕方>→原文に存在 しない。
<両者に>→原文に存在 しない。
<示していた>→裏書してい たのでсвидетельствуя。不完了体副動詞。主動詞と同時的・並行的な動作。ここでは因果関係。
〔森田訳P55〕
<レーニンとマルトフに関しては>→レーニンと マールトフとの関係に立ち戻るならば
Возвращаясь к отношениям Ленина и Мартова
ここは森田氏が批判した松田訳の方が正しい。
松田訳「さて、レーニンとマルトフとの関係にたちもどれ ば」(P272)
〔森田訳P55〕
痩せた<肩をひきつらせるのであった>。→痩せた肩を すくめるのだったповодил худым плечом
<肩 をひきつらせる>という言い方を日本語です るものだろうか?
〔森田訳P56〕
<そんな時>、ユーリーという名前は<独特な響きで>、<すなわち>、少し強調気味に、まるで<警戒するような>調子で<発音された>。
「非常に立派な人間だよ、まったく。非凡な人物だと 言ってもいい。だけど、何とも温厚すぎるね」
<そんな時>→しかもпричем
<独特な響きで>→特別な仕方 でпо-особому
<すなわち>→原文に存在 しない。
<警戒するような>→警告するようにс предостережением:ここの誤訳はかなり重大。「警戒」と「警告」では意識と行動のベクトルの向きが正反対である。
「警戒する」は松田訳と同じ。
<発音された>→発 音されていたпроизносилось。不完了体。
〔森田訳P56〕
<さらに>、マ ルトフは明らかにヴェーラ・イワノヴナ(ザスーリチ)からも影響 を受けていて、このことは、政治的にというよりもむしろ心理的にマルトフをレーニンから遠ざける要因になっていた。
А на Мартова влияла, несомненно, и Вера Ивановна, не политически, а психологически отгораживая его от Ленина.
一方、マールトフに対し て、疑いなく、ヴェーラ・イヴァーノヴナもまた、政治的にではなく心理的に影響を与えており、その結果としてマールトフをレーニンから遠ざけていた。(拙訳)
〔森田訳P56〕
もちろん、<以上述べたことはすべて><事実的資料というよりも心理的な特徴づけを一般化したものであ り>、しかも22年も経っ てから<なされた>特徴づけ<にすぎない>。
<以上述べたことはすべて>→こうしたこ とのすべてвсе это
<事実的資料というよりも心理的な特徴づけを一般化したものであ り>
→実際の資料よりも一般的な、心理学的な特徴づけであり
больше обобщенная психологическая характеристика, чем фактический материал,
<なされた>→なされるдаваемая。被動形動詞現在。
<にすぎない>→原文に存在 しない。
〔森田訳P56〕
この期間に多くのものが私の記憶にのしかかってきた し、その叙述の中には個人的な関係から生じる曖昧で取るに足りない諸要素も混じっているだろうし、そのために不正確になったり、<バランスを欠いた叙述>になっているかもしれない。
ここは誤訳が甚だしい。
За это время многое легло на память, и в изображении невесомейших моментов из области личных отношений могут быть и неправильности, и нарушения перспективы.
この期間中に多くのことが 私の記憶の上に積み重なった、それで個人的な関係の面の、最も些細な諸場面の描写の中には間違いや見込み違いがあるかもしれない。(拙訳)
森田訳の最大の問題点
изображенииとневесомейших моментов из области личных отношений とを何の理由もなしに切り離し、後者を主格であるかのように訳していること。
原文では「個人的関係の面の最も些細な諸場面のневесомейших моментов из области личных отношений」が「描写изображении」にかかって、一つの長い句を形成している。後半の主語は неправильности とнарушения перспективыである。
<バランスを欠いた叙述>→見込み違いнарушения перспективы
いったい原文のどこから「バランスを欠いた叙 述」などという不正確でバランスを欠いた叙述が導き出せるのか!? まったくの作文。
〔森 田訳P56〕
<今となっては>、いったいどこまでが回想で、どれが後から無意識になされた再構成であるのかは<不明である>。しかし、<私としては>、基本的には<欠落>記憶が当時のありのままの事実を再現しているものと<思っている>。
<今となっては>→原文に存在 しない。
<不明である>→原文に存在 しない。
<私としては>→私にはмне
<欠落>→それでもや はりвсе же
<思っている>→思われるдумается
ここの森田訳もかなり恣意的である。
Что тут воспоминание и что невольная реконструкция задним числом? Но думается мне, что в основном все же память восстанавливает то, что было, и так, как было.
ここの何が回想であり、何 が後になっての無意識的な再構成であろうか? しかし、基本的 にはそれでもやはり記憶が、あったことをあったとおりに再現していると私には思われる。(拙訳)