森田成也訳
「ロシアにおける発展の 特殊性」の検証
中島章利
森田成也訳『永続革命論』(光文社古典新訳文庫)に『ロシア革命史』第一巻の一部が収録された。
本稿はその検 証を行う。
森田氏は2000年7月、インターネットサイト「レッドモール党掲示板四トロ同窓会」でトロスキーという ペンネームで『ロシア革命史』(岩波文庫)訳者藤井一行氏への批判・誹謗を開始した。
トロスキー=森田氏による藤井氏批判を箇条書きにすると以下のようになる。そのまま引用 する。
1 「第1巻をざーと見たかぎりでは、改善点のみならず、多くの改悪点が目立ちます」
2 重要な専門用語に 対する無知がある。例「ペレヴォロート」という単語を「変革」と訳してい
ること。1861年の農奴解放を知らないのです。
3 専門用語とは限ら ない、一般的な誤訳ないし不適訳も目立ちます
4 この翻訳は全編にわたって、 この種の「誤った原文忠実主義」(実際には忠実でもなんでもなく、日本語の仕組みがわかっていないだけ)が散見されます。
5 指摘すべき部分が「たくさんあり、だいたい1ページあたり、数ヵ所ずつぐらいありま す」
6 藤井氏の不幸は、ただ自分一 人だけで翻訳しようとし、他の誰にも訳文をチェックさせようとしなかったことにあります。
7 藤井氏の翻訳能力について は、以前から、研究者の中では問題視されていました。
いずれ劣ら ぬ重大な批評である。そしてこれらを総括して曰く、
本当に、藤 井氏がトロツキーの基本思想を何も理解していないということが、これでよくわかります。
さて幸いな ことに、この度、練達のロシア語翻訳者森田成也氏によってロシア革命史第一巻の一部が翻訳された。上記第五項にあるように、藤井訳には誤訳が「1ページあ たり、数ヶ所ずつぐらいあります」といわれているから、少なくともその箇所は原文に則して正しく訳し直されているはずである。本稿はそれを 追跡する。
凡例。赤―藤井訳と同一。ピンク―藤井訳の同義語、同一内容、類似表現による言 い替え。黒―森田氏のオリジナル部分。網 掛け/ / は語順が入れ替わって いる部分。入れ替えの様相は/ /で表示。
仮説を提示する。
「森田訳には黒の部分がかなり多くなり、赤は少なくなる。また黒の部分はロシア語の正し い訳である。」
森田氏は上記1-7項で藤井氏のロシア語能力の如何にまで踏み込んで『ロシア革命史』の誤訳を問題にしたの である。当然、かなりの訳し直しが出なければならない。黒の部分は圧倒的に増え、赤は減らなくてはならない。また黒の部分は当然、ロシア語原文の正しい訳 になっているはずである。本稿はこの仮説を森田訳の全編に渡り、逐一検証する。
この仮説が実証されない場合は何を意味するか。
なお以下の検 証では、問題の部分だけロシア語原文を示すが、そのフルテキストは藤井論考「森田成也訳「ロシアにおける発展の特 殊性」について」所収のそれを参照さ
れたい(ナンバーは対応させてある)。
森田成也訳 「ロシアにおける発展の特殊性」(『ロシア革命史』第一巻より)
タイトル
●森田訳 「ロシアにおける発展の特殊性」(P386)
●藤井訳 「ロシアの発展の特殊性」(P51)
●藤本訳 「ロシアの発展の特殊性」(P156)
●原文 ОСОБЕННОСТИ РАЗВИТИЯ РОССИИ
【問題点】森 田訳のみが「ロシアにおける~」と前置格風に訳している。原文では≪発展の特殊性≫が中心語句。それが何の発展かを説明するために≪ロシア≫の語が生格で 後ろからかかっている。森田訳ではロシアの中で何かが発展することになるがそれが不明である。≪ロシア≫の語は生格であるがそれを≪ロシアにおける≫と訳 す根拠はどこにあるのだろうか?
1
●森田訳P386
ロシア史における基本的で最も揺ぎのない特徴は、その発展の緩慢さであり、ここからロシアの経済的後進 性、社会形態の原初性、文化水準の低さが生じている。
●藤井訳P51
ロシアの歴 史の基本的で、もっとも変化しにくい特徴は、発展が後れているという [2刷以下で「より緩慢な」と補正] 性質で、そこ から経済上の後進性、社会形態の原始性、文化水準の低さが生まれる。
●藤本訳P156
ロシア史の基本的な最も堅固な特徴は、その発展のテンポの緩慢さであり、そのことから派 生する経済的立ち遅れ、社会形態の原始性、文化水準の低さである。
★森田訳の藤 井訳との類似度(赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似)
ロシア史における基本的で〔最も揺ぎのない〕特徴は、その発展の〔緩慢さ〕であり、ここからロシアの経済的後進性、社会形態の原初性、文化水準の低さが生じている。
〔 〕 最も揺るぎのない→最も堅固な(藤本訳)
緩慢さ→緩慢さ(藤本訳)
【問題点】下 線部、森田訳のみが「ロシア史における」と訳している。原文はчертой истории России
≪歴史истории≫は 生格。「ロシアの歴史の特徴、ロシア史の特徴」。何故にここでもまた「~における」と前置格風に訳すのだろうか? その根拠は? また、その場 合、何の特徴のことが言われるのだろうか?
2
●森田訳P386
気候の厳し い広大な平原の住民は、東方からの風とアジアからの侵入者にさらされ、自然そのものによって長期にわたる立ち遅れを運命づけ られた。遊牧民との闘争はほとんど一七世紀末まで続いた。冬の寒さと夏の旱魃を運んでくる東風との闘いは今もまだ終わっていない。発展全体 の基礎である農業は粗放的方法で営まれていた。北部では森林が伐採され焼き払われた。南部では未開墾のステップが掘り返された。自然の征服 は、深く進行するのではなく、浅く広く進行した。
●藤井訳P51
東の風とアジアの移住民にたいして無防備な広大で苛酷な平原に住む住民は、自然そのも のによって長期の後進性を運命づけられていた。遊牧民との戦いは一七世紀の末近くまで続いた。冬には酷寒をもたらし、夏には旱魃をもたらす風との闘いは、 いまでも終わっていない。農業―それは発展全体の根幹である―は、粗放的に進められ、北方では森林が伐採され、焼かれ、南方では未開の草原が掘り起こされ た。自然征服は広くすすめられたが、深くはすすめられなかった。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
/気 候の厳しい広 大な平 原の住 民は、/東方 からの 風とアジアか らの侵 入者にさ らされ、/自然そのものによって長期にわたる立ち遅れを運命づけられた。遊牧民との闘争はほとんど一七世紀≪略≫末≪欠落≫まで続いた。冬の寒さと夏の旱魃を運んでくる東風との闘いは今もまだ終わっていない。/発 展全体の基 礎で ある/農 業は/粗 放的方 法で営 まれていた。北部では森林が伐採され焼き払われた。南部では未開墾のステップが掘り返された。自然の征服は、/深 く進 行するのではなく、/ 浅 く広 く進 行した/。
【森田訳の問 題点】
ア ≪…住民 は~にさらされ≫は原文のравнины, открытойを正しく訳していない。
ここの部分 の原文は
Население гигантской и суровой равнины, открытой восточным ветрам и азиатским выходцам,
原文は≪равнины平野≫に後ろから≪открытой無防備の≫という形容詞がかかる。藤井訳、藤本訳のように≪~に無防備な平原、~にさら された平原≫となるのが正しい。森田訳ではоткрытойが≪Население住民≫にかかることになる。しかし、それは格の用法を無視するものだ。Населениеは 中性、открытойは女性。文法の基本中の基本の無理解。解釈以前の問題で文法的にありえない。
イ ≪東風≫ 原文は≪ветрами風≫。≪東≫は原文に存在しない。細かいことだが、≪今でもまだ≫の≪まだ≫も原文には 存在しない。
ウ ≪掘り返 された≫ まず日本語の問題として≪掘り返す≫は一度掘ったと ころを再び掘る。いったん埋めたところをもう一度掘る、が原義。そうなるとこのステップは≪未開墾≫ではなくなる。原文は≪взрывались掘 り起こされた≫。露和辞典でもこの語義で出ている。≪掘り返された≫であればロシア語でも別の単語になる。和露辞典で引いてみればよい。
エ ≪深く進行するのではなく、 浅く広く進行した≫ 原文はшло вширь, а не вглубь
≪浅く≫に あたる語は原文に存在しない。無用な解釈を押し付けるもの。
実はこれは 山西訳に由来するものである。
山西訳「こ うして自然の征服は、浅くかつ広くすすめられたのである」(角川文庫P18)
★印で挙げた≪塗り分け部分≫が意味すること
まず素朴に 考えてみよう。同じ原文から2種類の訳が作られたとする。2種類の訳は原文の文法構造を正しく反 映し、原文と同一語彙、同一言語規範の範囲内で違う言葉、表現が選ばれるのが普通である。原文に対して先訳と同一部分が多い訳文を作る訳者などいるはずが ない。藤井訳と藤本訳を比べれば明らかだ。翻訳者は原文の内容と原作者の意図を正しく伝えつつ、訳文の中で自己の独自性を発揮しようとするものだからだ。 訳者と訳文の創造性はここにある。
この観点か ら見た場合、森田訳は藤井訳との同一部分(赤色の部分)が多すぎるのである。後段になると同 一部分(赤色の部分)はさらに増える。これはこの後の作業 で証明されることなので、ここでは予備的指摘に留める。しかし読者の皆さんは十分に留意していただきたい。
●藤本訳P156 森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網掛けは語順入れ替え
東方≪略≫の風とアジア≪略≫の他国者にさらされた広大で峻厳な大平原の住民は、自然そのものによって、長い間の立ち遅れを余儀なくされていた。<藤本訳は抄訳のためここまで>
3
●森田訳P386-387
西方で は蛮族がローマ文化の廃墟の上に移住してきて、残 された古い多くの石が彼らにとっての建築材料となったのに対して、東方のスラブ民族は、荒涼たる平原の上にいかなる遺産も見出さなかった。彼らの 先行者たちがスラブ民族自身よりもずっと低い文化水準にあったからである。西欧の諸国民は、すぐにその自 然の境界内に定着して、工業都市という経済的・文化的凝固物をつくり出した。東方の平原の住民は、狭さを感じはじめるやいなや、森 に深く入るか、辺境へ、ステップヘと退いていった。
●藤井訳P51-52
西の蛮族がローマ文化の廃墟に住みつき、そこで数々の古い石がかれらの建築資材になった とき、東のスラヴ人は荒涼たる平原にいかなる遺産も見いださなかった。かれらの先人はかれら自身よりずっと低い段階にあったからである。西欧の諸民族は、 まもなく自然がつくりだした境界につきあたり、工業都市という経済・文化の集中地をつくりあげた。東の平原の住民は土地が狭くなったと知るとすぐ、森にも ぐりこむか、辺境へ、草原へとすすんでいくかした。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。
西方では蛮族がローマ文化の廃墟の上に移住してきて、残された/古 い/多 くの/石が 彼らにとっての建築材料となったのに対して、東方のスラブ民族は、荒涼たる平原の上にいかなる遺産も見出さなかった。彼らの先行者たちがスラブ民族自身よりもずっと低い文化水準にあったからである。西欧の諸国民は、すぐにその自然の境界内に定着して、工業都市という経済的・文化的凝固物をつくり出した。東方の平原の住民は、狭さを感じはじめるやいなや、森に深く入るか、辺境へ、ステップヘと退いていった。
【森田訳の問 題点】
ア ≪西方で は蛮族が≫ 原文は≪западные варвары西の蛮族≫。западныеは形容詞で次の≪варвары蛮族≫にかかっているが、これを≪西方では≫と訳す根拠は何か? 少なくとも原 文から「乖離」(森田訳『永続革命論』の訳語から)することは間違いない。
イ ≪残され た≫ 原文に存在しない。
ウ ≪スラブ民族自身よりも≫ 原文≪чем они сами彼ら自身よりも≫ ≪彼ら≫と≪スラヴ民族≫ との関係が分かりにくい。ここは原文通り代名詞のまま訳した方がよい。
エ ≪文化水準≫ 原文は≪ступени≫で≪文化≫にあたる語 は存在しない。
オ ≪諸国民≫ 原文は≪народы≫ この文章は17世紀以前のロシ アについて述べているものであり、その前にも≪варвары蛮族≫、≪славянеスラヴ人≫などの語があるから近代国家の国民を思わせる≪諸国民≫の語は適切でない。
カ ≪その自然の境界内に定着して≫ 原文≪упершиеся в~に行き当たったところの≫ 能動形動詞過去。≪定着して≫ は語義にない。
藤井訳との違いを出そうとして語義にない訳語を案出することに創意を発揮するのは止めた 方がよい。それよりもこの語の文法的性格に忠実に≪~に行き当たった諸民族は≫とするだけで原文の文法構造に忠実でしかも藤井訳との違いもある訳文が打ち 出せるというものだ。
キ ≪凝固物≫ 原文≪сгустки≫ 露和辞典でこの名詞を見るだけでは≪凝塊、かたまり≫しか見つからないが、動詞сгуститьを 見れば≪集中させる≫の語義が見つかる。ここから≪集中≫≪集中化させたもの≫の意が出てくる。
ク ≪退いていった≫ 原文≪уходило≫ スラヴ民族は≪狭さ を感じ≫たのだから、より広い≪ステップ≫をめざしたのだ。ならば≪退いていった≫という訳語は奇妙だ。
4
●森田訳P387
農民の中の最も能動的で進取の気性に富んだ分子は西方では都市の住民、職 人か商人になった。東方では能動的で大胆な分子は、一部は商人になったが、多くはコサック、国境警備隊員、植民者となった。 社会的階層分化の過程は、西方では集中的な形で起きたが、東方では長期にわたるぐずぐずした過程であり、領土拡張の過程に よって拡散された。「モスコヴィヤ[ロシアの古名]のツァーリは、キリスト教徒ではあるが、怠惰な精神の国民の上に君臨している」と、 ピョートル一世の同時代人ヴィーコは言った。モスコヴィヤ人の「怠惰な精神」は、経済発展の緩慢なテンポ、階級関係の無定形さ、内的歴史の貧困さを反映し ていた。
●藤井訳P52
農民層の中でもっとも創意に富み、進取の気性にめぐまれた分子は西方で都市住民、手工業 者、商人になった。東方の積極的で勇敢な分子は一部は商人に、しかし、大部分はカザーク、国境守備隊の兵士、開拓者になった。西ではげしかった社会分化の 過程は、東では停滞し、拡張の過程によって崩されていった。「モスコーヴィヤのツァーリはキリスト教徒ではあるが、愚鈍な連中を統治している」―ピョート ル一世の同時代人であるヴィーコはそう記している。モスコーヴィヤ人の「愚鈍」は経済発展の速度ののろさ、階級関係の曖昧さ、内的歴史のとぼしさの反映で あった。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。
農民≪略≫中の最も能動的で進取の気性に富んだ分子は西方では都市の住民、職人か商人になった。東方では能動的で大胆な分子は、一部は商人になったが、多くはコサック、国境警備隊員、植民者となった。/社 会的 階層分 化の過程は、/西方で は集 中的な形で起きたが、/東方では長期にわたるぐずぐずした過程であり、領土拡張の過程によって拡散された。「モスコヴィヤ[ロシアの古名]の ツァーリは、キリスト教徒ではあるが、怠惰な精神の国民の上に君臨している」と、ピョートル一世の同時代人≪略≫ヴィーコは言った。モスコヴィヤ人の「怠惰な精神」は、経済発展の緩慢なテンポ、階級関係の無定形さ、内的歴史の貧困さを反映していた。
【森田訳の問 題点】
ア ≪能動的≫ 2箇所あるが原文では異なる単語である。初めは≪инициативные≫、次は≪Активные≫。同じ単語で訳すのはなぜだろうか?
イ 職人≪か ≫ 原文は≪,≫であり、≪か≫にあたる語は存在しない。
ウ ≪起きたが≫ 原文では≪西方ではинтенсивныйであり≫。≪起 きたが≫に当たる語は存在しない。
エ ≪長期にわたるぐずぐずした過程であり≫ 原文≪задерживался≫ 研究社露和辞典の1,4の語彙を組み合わせたものだが、冗長。
オ ≪拡散さ れた≫ 原文≪размывался≫ この語に≪拡散する≫の意があるだろうか?
5
●森田訳P387-388
エジプト、インド、中国の古代文明は十分自足的な性格を有していたし、低 い生産力にもかかわらず、その社会関係がほとんど細部に至るまで完成された水準に達するだけの十分な時間があった。ちょうどこれらの国の職人が自分 の生産物を完成させたようにである。ロシアは地理的にヨーロッパとアジアのあいだに位置していただけでなく、社会的、歴史的にもそうであった。ロ シアは、ヨーロッパ的西方と異なっていただけでなく、アジア的東方とも異なっていた。それは、 さまざまな時期に、さまざまな点で、一方ないし他方に接近した。東方はタタール人の圧迫をもたらしたが、それは、ロシア国家 の建設にとって重要な要素になった。西方の方がはるかに恐るべき敵であったが、それと同時に教師でもあった。ロシアは東方の 様式で形成される可能性を有していなかった。なぜなら、ロシアは常に西方の軍事的・経済的圧力に適応しなければならなかったか らである。
●藤井訳P52-53
エジプトやインドや中国の古代文明は独自の価値をもつものであった。そして、低い生産力 にもかかわらず、それらの国々の手工業者が自分たちの製品をしあげるのとほとんど同じように完璧に社会関係をこまごまと仕上げるだけの時間が充分あった。 ロシアは地理的にヨーロッパとアジアの中間に位置するばかりでなく、社会的・歴史的にもそうであった。ロシアはヨーロッパ的西洋と異なっていたが、アジア 的東洋とも異なっていて、さまざまな時代にさまざまな特徴を示しながら、前者に接近したり、後者に接近したりした。東洋はタタールのくびきをもたらし、そ れはロシア国家の建設の重要要因となった。西洋はそれよりもずっと恐ろしい敵であったが、同時に師でもあった。ロシアは東洋の形態で国家を形成することが できなかったが、それは、つねに西洋の軍事的・経済的圧力に順応せざるをえなかったからである。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
エジプト、インド、中国の古代文明は十分自足的な性格を有していたし、低い生産力にもかかわらず、そ の社 会関係が ほとんど細 部に至るまで完成された水 準に達するだけの/十 分な/時 間が/あっ た。/ちょ うどこ れらの国の職人が自 分の 生産物を完成させたようにである。ロシアは地理的にヨーロッパとアジアのあいだに位置していただけでなく、社会的、歴史的にもそうであった。ロシアは、ヨーロッパ的西方と異なっていただけでなく、アジア的東方とも異なっていた。それは、さまざまな時期に、さまざまな点で≪欠落≫、一方ないし他方に接近した≪略≫。東方はタタール人の圧迫をもたらしたが、それは、ロシア国家の建設にとって重要な要素になった。西方の方がはるかに恐るべき敵であったが、それと同時に教師でもあった。ロシアは東方の様式で≪欠落≫形成される可能性を有していなかった。なぜなら、ロシアは常に西方の軍事的・経済的圧力に適応しなければならなかったからである。
【森田訳の問 題点】
ア ≪自足的 な性格を有してた≫ 古代文明が自足的な性格を有していたとは何のことだろうか?森田氏はこの意味を分かって訳しているのだろうか? ≪自足的≫とは自分に必要な ものを自分で間に合わせることである。森田訳では古代文明は他の地域、経済圏、文化圏とのつながりをもたず自力でやりくりしていた、という意味になる。し かも≪十分に自足的な≫とあるからなおさらだ。
これはどう考 えても不自然である。
露和辞典でも≪自足的≫の次に≪独立した意義、内容をもつ、それ自体価値のある≫の語彙 が示してある。こちらの語彙で訳さなければ意味不明。
イ ≪ちょう どこれらの国の職人が自分の生産物を完成させたようにである≫
森田訳では ≪ちょうど~ように、十分な時間があった≫としか読めない。だが原文は≪почти до такой же детальной законченности, до которой ремесленники этих стран доводили свои изделияこれらの国々の手工業者たちが自分たちの製品を仕上げていたのと同じような細かい完璧さ にまで≫とあるように、先行詞は≪完璧さ≫であり、重点もこの語にある。不必要に原文を切り刻むからこんな誤訳が起こる。
ウ ≪ヨー ロッパ的西方≫、≪アジア的東方≫ 原文は≪европейского Запада≫、≪азиатского Востока≫ 森田訳でこの後にも≪西方 ≫、≪東方≫と訳されている語は原文でいずれもЗапад 、Востокと大文字で書き始められているから固有名詞。≪西洋、西欧≫、≪東洋、オリエント≫など と訳すべきものである。
エ ≪だけで なく≫ 原文に存在しない。
オ ≪タタール人の圧迫≫ 原文≪татарское игоタタールの くびき≫ 歴史用語としてほぼ定着しているもの。
藤井訳が「農民改革」と訳したことに対して森田氏は2000年7月14日金曜日にトロ スキーのペンネームで「『農奴解放』を知らない藤井一行氏」と いう書き込みで罵声を浴びせていたが、これはそのまま自身に跳 ね返るものである。
カ 適応≪しなければならなかった≫ 原文≪приходилось≫ ある事情で~せざるを得なかった、~することを余儀なくされた。の意。
塗り分けで分かるように、ほとんど藤井訳の引き写し。
6
●森田訳P388
過去の歴史家たちは、ロシアに封建的諸関係が存在していたことを否定していたが、その後 の研究によって無条件にその存在が証明されたとみなすことができる。それどころか、ロシアにおける封建制の基本的要素は西方に おけるのと同じであった。しかし、長年にわたる科学的論争によって封建時代の存在が確認されたという事実を一つとっただけでもすでに、ロ シアにおける封建制の未成熟さ、その無定形さ、その文化的遺産の貧困さを物語ってあまりある。
●藤井訳P53
以前の歴史家たちはロシアに封建的諸関係が存在したことを否定してきたが、その存在は後 年の≪研究者≫によって無条件に証明されたと考えていい。そればかりか、ロシアの封建制の基本的要素は西洋のそれと同じであった。しかし、封建時代という ものを長期間の学問的論争によって明らかにせざるをえなかったという事実だけですでに、ロシアの封建制の未成熟、その無定形、その文化遺産の貧しさが充分 に証明される。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。
過去の歴史家たちは、ロシアに封建的諸関係が存在していたことを否定していたが、そ の後の研 究≪ 略≫に よって無条件に/そ の存在が/証明 されたとみなすことができる。それどころか、ロシアにおける封建制の基本的要素は西方におけるのと同じであった。しかし、長 年にわたる科学的論 争によって/封 建時代/の 存在が確認されたと いう事実を一つとっただけでもすでに、ロシアにおける封建制の未成熟さ、その無定形さ、その文化的遺産の貧困さを/物 語って/あ まりある。
【森田訳の問題点】
ア ≪ロシアにおける≫ 原文≪русскогоロシアの≫ 同前。
イ ≪確認されたという≫ 原文≪пришлось устанавливать立証せ ざるを得なかった≫。пришлосьが訳から欠落している。
ウ ≪西方≫における 原文на Западе。固有名詞。同前。
エ ここも語順が3箇所、非本質的に入れ替えられているだけで藤井訳の引き写していってよい。
能動形動詞過去отрицавшеесяを「忠実に」訳せば藤井訳と違う文体で訳文をつくることができる。
なお藤井訳≪研究者≫によって は≪исследованиями研究≫に よって の誤訳。(HP:http://ifujii.com/irrj-hoi.htmlで訂正された)
原文と試訳
Существование феодальных отношений в России, отрицавшееся прежними историками, можно считать позднейшими исследованиями безусловно доказанным. Более того: основные элементы русского феодализма были те же, что и на Западе. Но уже один тот факт, что феодальную эпоху пришлось устанавливать путем долгих научных споров, достаточно свидетельствует о недоношенности русского феодализма, о его бесформенности, о бедности его культурных памятников.
以前の歴史家たちによって否定されてきた、ロシアにおける封建的諸関係の存在は、最近の諸研究によって無条件に証明されたものとみ なしてよい。それどころか、ロシアの封建制の諸要素は西欧におけるものと同じであった。しかし、封建時代を長期間の学問的論争という方法によって立証せざ るを得なかったという事実だけで既に、ロシアの封建制の未成熟、その無定形、その文化遺産の貧しさを十分に証明するものである。
7
●森田訳P389
後進国は先進国の物質的・思想的成果を同化吸収する。しかし、このこと は、後進国が先進国に奴隷的に追随するとか、先進国の過去の諸段階のいっさいを再現するということを意味する ものではない。歴史の循環の反復説―ヴィーコとその後の後継者たち―は、古い前資本主義的文化―部分的には資本主義的発展の初期段階の―発 展軌道に対する観察にもとづいていた。過程全体が地方的でエピソード的である場合には、たしかに、さまざまな文化的諸段階が別々の発生源である程度 繰り返されるということが起きた。
●藤井訳P53
後進国は先進諸国の物質的・思想的成果を同化する。しかし、そのことは、後進国が先進諸 国に奴隷的に追随し、先進諸国の過去のあらゆる段階を反復するということを意味するわけではない。歴史の循環が反復されるという理論―ヴィーコとその後年 の後継者たち―は、過去の、資本主義以前の文化の軌道、部分的には、資本主義発展の初期の実験の軌道にたいする観察をとりどころにしている。文化のもろも ろの段階がつぎつぎに別の発生源で反復されるという周知の事態は、実際に過程全体の地方性や偶発性に起因していた。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。
後進国は先進≪略≫国の物質的・思想的成果を同化吸収する。しかし、このことは、後進国が先進≪略≫国に奴隷的に追随するとか、先進≪略≫国の過去の/諸段 階の/いっ さい/を再現するということを意味するものではない。歴史の循環の反復説―ヴィーコとその後の後継者たち―は、古い前資本主義的文化の―部分的には資本主義的発展の初期段階の―発展軌道に対する観察にもとづいていた。過 程全体が地 方的 でエ ピソード的 である場合には、/た しかに、/さ まざまな文 化的諸段 階が別 々の発 生源であ る程度繰 り返さ れるというこ とが起きた。
【森田訳の問題点】
ア ≪同化吸 収する≫ 原文≪ассимилирует≫ 誤訳ではないが森田訳は重言。
イ ≪とか≫ 原文は≪,≫ 森田訳に相当する語は原文に存在しない。
ウ ≪諸段階 のいっさい≫ 原文≪все этапы すべての段階≫ этапыはвсеに照応して複数形になっているのだから≪諸段階のいっさい≫とするのは重言。
エ 追随する ≪とか、~再現するとか≫ 原文≪воспроизводя≫副動詞。副動詞は述語動詞と同時的・並行的な動作を表現するものである から藤本訳、藤井訳のように訳さねばならない。森田訳のように並列的に訳すことは誤りである。
オ ≪初期段 階の≫ 原文≪первых опытов≫ опытовが欠落している。
カ ≪過程全体が地方的でエピソード的である場合には、たしかに、 さまざまな文化的諸段階が別々の発生源である程度繰り返されるということが起きた。≫
原文≪С провинциальностью и эпизодичностью всего процесса действительно связана была известная повторяемость культурных стадий в новых и новых очагах.≫
森田訳の下 線部はいずれも原文に存在しない。原文を捉えきれずに七転八倒している。この文章の主語は≪известная повторяемость周知の反復性、反復されること≫。述語は≪связана была結びついてい た≫。
主部は、訳文は工夫していただくとして、新しい発生源で或る文化段階が繰り返され、別の 新たな発生源で先のものとは別の文化段階が繰り返されること、という意味。これは全過程の地方性と偶発性とに結びついていた、と述べられている。この構造 をおさえなくてはならない。
塗り分け部 分で明らかになるのは、このオの部分以外は藤井訳をほぼそのまま踏襲している事実である。そして、黒色のオ部分=森田氏のオリジナル部分は既に見た ように、原文にない語句が3つも挿入され、しかも皮肉なことに原文の構造を捉えそこなうという自体が「起きた」。
●藤本訳P156-157
遅れた国は先進諸国の物質的ならびに知的成果に同化するものである。だがこのことは、 遅れた国が先進国の過去の全段階を再生産しつつ、先進諸国の跡を盲目的に追随することを意味するものではない。歴史のサイクルの反覆論―ヴィコと彼の追随 者たち―は、古い前資本主義的文化、部分的には資本主義発展の初期の経験の軌道の観察に依拠している。実際、常に新たな文化の発祥の地における文化段階の 一定の反覆性は、その全過程の地方性、偶然性と結びついていた。
8
●森田訳P389
しかしながら、資本主義はこのような条件の克服を意味する。それは、人類の発展の普遍性 と永続性を準備し、ある意味でそれを実現した。まさにこのことによって、個々の国民の発展形態が繰り返される可能性はなくなったのである。後進国は先進国 に追いつこうとつとめざるをえないので、順番を守らない。歴史的後発性の特権―このような特権も存在する―のおかげで、後進国は一連の中間的段階を飛び越 すことによって、想定されていた時期より早く出来合いのものを摂取することが可能になる。より正確に言えば、そうすることを余儀なくされる。
●藤井訳P53-54
しかし、資本主義はそれらの条件を克服することを意味する。資本主義は人類発展の普遍性 と永続性を準備し、ある意味ではそれを実現した。まさにそのことによって個々の民族の発展形態の反復の可能性が失われた。先進諸国に肩を並べようとせざる をえない後進国は順番を守らない。歴史上の立ち後れという特権―そのような特権も存在するのだ―のおかげで、中間の一連の段階をとびこえて、予定の時期よ りも先に既成のものを摂取することが可能になる、いや、もっと正確に言えば、そのことを余儀なくされる。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。
しかしながら、資本主義はこのような条件の克服≪略≫を意味する。それは、人類の発展の普遍性と永続性を準備し、ある意味でそれを実現し た。まさにこのことによって、個々の国民の発展形態が繰り返される可能性はなくなったのである。後 進国は/先 進≪ 略≫国に追 いつこうとつ とめざ るをえないの で、/順番を守らない。歴史的後発性の特権―このような特権も存在する≪略≫―のおかげで、後進国は/一 連の/中 間的/段階 を飛び越すことによって、想定されていた時期より≪略≫早く出来合いのものを摂取することが可能になる。≪略≫より正確に言えば、そうすることを余儀なくされる。
【森田訳の問 題点】
ここは藤井訳 をほとんどそのまま写している。問題なし。
●藤本訳P157 森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網掛けは語順入れ替え
/資 本主義は、/し かしながら、/これら諸条件の克服をも意味している。資本主義は人類の発展の普遍性と恒久性を準備し、ある意味ではそれを実現した。まさにこのことによって、個々の民族の発展形態が、同じように反復される可能性はないのである。/先 進諸国の 跡を追わざるをえない/遅 れた国は/、同一の順序に従って先進諸国を追うのではない。歴史的立ち遅れの特権―このような特権は存在する―は、一連の中間≪略≫段階を跳び越え、すでにあらかじめ用意された一定の時点を手に入れ、それどころかむしろ、手に入れることをよぎなくされるのである。
9
●森田訳P389-390
野蛮人は弓からただちにライフル銃へと移行し、この二つの武器のあいだに 存在した道をたどりはしない。アメリカにやってきたヨーロッパの植民者たちは歴史を最初から始めはしなかった。ドイツやアメ リカ合衆国が経済的にイギリスを追い越すのを可能にした事情こそまさに、これらの国の資本主義的発展の後発性に他ならない。 反対に、イギリス石炭産業の保守的な無政府性は、マクドナルドとその友人たちの頭の中と同様、イギリスが資本主義の覇権国としての役割をあまりに長期にわ たって果たしてきたという過去の報いなのである。歴史的に後発的な諸国民の発展は、必然的に、歴史的過程のさまざまな発展段階の独特の結合 をもたらす。発展の軌道は全体として、非計画的で複雑で複合的な性格を帯びる。
●藤井訳P54
未開人は、過去に弓と銃の間にあった道をたどることなく、すぐに弓を銃ととりかえる。 ヨーロッパの渡米移民はそもそものはじめから歴史を開始したわけではなかった。ドイツや合衆国が経済的にイギリスに先んじたという事情は、まさにそれらの 国々の資本主義発展の後れに起因する。反対に、イギリスの石炭産業に見られる保守的無政府性は、*マクドナルドやその友人たちの頭脳に見られるそれと同じ ように、イギリスがあまりに長く資本主義の覇者の役割を演じてきた過去にたいする代償である。歴史的に後れた民族の発展は必然的に、歴史的過程の相異なる 諸段階の独特の組み合わせをもたらす。軌道は全体として、予定どおりではない、複雑な、結合的な性格をもつにいたる。
【森田訳の問 題点】
ア ≪野蛮人 ≫ 原文≪Дикари≫ 露露辞典では「未開状態に生活している種族に属する人間」(ウシャコーフ)、「原始的文化段階にある人 間」(オー ジェゴフ)とある。≪野蛮≫には≪乱暴で礼儀を知らないこと、文化、教養の低さを感じさせること≫ の語彙があるので森田訳は適切であるとは言い難い。人類学でこの語を用いるだろうか?
イ ≪移行し ≫ 原文≪сменяют … на~ …を~と取り替える≫ なぜ語の原義から<乖離して>≪移行し≫という訳に<移行し>なければならないのか? その根拠は?
ウ ≪この二 つの武器のあいだに存在した道≫ 原文≪пути, который пролегал между этими орудиями в прошлом過去にこれらの武器の間 に通っていた道、~に伸びていた道≫
森田氏は≪ 存在した≫としているが、これはпролегал междуを上手く意訳した藤井訳の表面的加工。意訳を通り越して違訳。適切とはいえない。また≪ 過去に≫が欠落している。
エ ≪アメリカにやってきたヨーロッパの植民者たち≫ 原文≪Европейские колонисты в Америкеアメリ カにいるヨーロッパからの移民たち≫ 下線部に留意。≪アメリカ≫は対格でなく前置格。≪アメリカにいる移民たち≫となる。藤井訳はぎりぎりのところで上 手く意訳している。森田訳は藤井訳にもたれかかって≪渡米移民≫を≪アメリカにやってきた…≫と書き換えた。こうなると原文は対格になっていなければなら ない。
オ ≪アメリ カ合衆国≫ 原文≪Соединенные Штаты合衆国≫ ≪アメリカ≫の語はない。単に≪合衆国≫
カ ≪…イギリスを追い越すのを可能にした事情こそまさに、…の後発性に他 ならない。≫
原文
≪То обстоятельство, что Германия или Соединенные Штаты экономически опередили Англию, обусловлено как раз запоздалостью их капиталистического развития.≫
ドイツあるいは合衆国がイギリスを経済的に追い越したという事情は、まさにそれらの国 々の資本主義的な発展の遅れによって惹起されている。
原文の中心 構造は≪То обстоятельство, что …, обусловлено как раз запоздалостью… …という事情は、まさに~の遅れに よって惹起されている、条件づけられている、制約されている≫である。これが際立たねばならない。森田訳のような≪可能にした≫、≪他ならない≫の語は原 文に存在しない。
10
●森田訳P390-391
中間的諸段階 の飛び越えの可能性は、もちろん、絶対的なものではない。その可能性の程度は、究極的には、国の経済的・文化的な潜在能力に よって規定される。さらに、後進的な国民は、外部からの出来合いの成果を借用する際に、それを自己のより原初的な文化に適応させ、そのこと によってしばしばこの成果そのものの水準を引き下げる。こうして、同化吸収の過程それ自体が矛盾した性格を帯びたものとなる。たとえば、ピョートル一世の 時代、西方の技術や技能を、とりわけ軍事および織物業のそれを導入したことで、かえって、農奴制が、労 働組織の基本形態として強化されることになった。ヨーロッパからの武器供与とヨーロッパからの借款―そのどちらも、疑いもなくより 高度な文化の産物であった―はツァーリズムの強化をもたらし、そのことによって国の発展を阻害した。
●藤井訳P54-55
もとより、中間の諸段階をとびこえる可能性は決して絶対的なものではない。その可能性の 大きさは究極的には国の経済・文化の内容のいかんで決まる。加えて後進民族は、外から借用した既成の成果を自分たちのより原始的な文化に適応させること で、しばしばそれを低下させる。同化の過程そのものがそこでは矛盾を含んだものとなる。こうして、ピョートル一世のもとでの西洋の技術と技能、わけても軍 事的・マニュファクチュア的なそれの諸要素が導入されたことで、主たる労働組織形態である農奴制が強化されるという事態が生じた。ヨーロッパ的な軍備と ヨーロッパ的な借款―そのいずれも疑いなく、より高度な文化の所産なのだが―が、逆に国の発展を妨げるツァリーズムの強化をもたらした。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
中 間的諸 段階の飛 び越えの可 能性は、/も ちろん、/絶対 的なものではない。その可能性の程度は、究極的には、国の経済的・文化的な潜在能力によって規定される。さらに、後進的な国民は、外部からの/出 来合いの成 果を/借 用す る際に/、それを自己のより原初的な文化に適応させ、そのことによってしばしばこの成果そのものの水準を引き下げる。/こ うして、/同 化吸 収の 過程そ れ自体が矛 盾し た性格を帯びたも のとなる。/た とえば、ピョー トル一世の時 代、/西方の技術や技能を、とりわけ軍事および織物業のそれ≪欠落≫を導入したことで、かえって、/農 奴制が、/労 働組織/の基 本/形 態と して/強化 されることになった。ヨーロッパからの武器供与とヨーロッパからの借款―そのどちらも、疑いもなくより高度な文化の産物であった―は/ツァー リズムの強化をもたらし、/そ のことによって国 の発展を阻 害した。
【森田訳の問題点】
ア 絶対的なものでは≪ない≫ 原文≪совсем не абсолютна;≫ совсемの訳が 欠落している。
イ ≪潜在能力≫ 原文≪емкостью容量≫
ウ ≪外部からの出来合いの成果を借用する際に≫ 原文≪заимствуемые ею извне готовые достижения≫ いかなる文法的根拠から森田訳が生れるのかぜひ聞きたい。
原文ではこの句の前に動詞≪снижает引き下げる≫があり≪достижения諸 成果、到達物≫が目的語という構造になっている。≪~という成果を引き下げる≫である。そして≪заимствуемые ею извне готовыеそれによって(ею=нация)他所から借用されている既成の(成果)≫はдостиженияに かかる修飾部分なのだ。
森田訳では≪外部からの≫は形容詞で≪成果≫にかかっているが、извнеは副詞で あってдостиженияにかかることはない。森田訳≪借用する≫は動詞として訳されているがзаимствуемые
の語尾を見たのだろうか? 動詞の語尾変化でこのようなもの があるか? ない。あるはずがない。これは形動詞だからである。そしてその語尾変化=複数から明らか なとおり名詞достижения(複数)にかかる。
また、森田訳≪(借用する)際に≫の≪際に≫に当たる原文の単語は何か? ぜひ示して欲しい。訳文から想像 するにпри, когдаなどがあるはずだが…
エ ≪西方の技術≫ западнойを≪西方の≫と訳すことはありうることだが、≪西方の技術≫となると読者にまず理解でき ないのではないか?
オ ≪織物業の≫ 原文≪мануфактурнойマニュファ クチュアの≫
カ ≪それ≫ элементовが訳から欠落している。
キ ≪かえって、農奴制が、労働組織の基本形態として強化されることになった≫
原文≪привело к усугублению крепостного права как основной формы организации труда≫
森田氏に尋 ねる。≪かえって≫に当たる語は何だろうか?
≪労働組織の基本形態として強化される≫
森田氏は関 係副詞какを誤解していないか? ≪A как B≫で≪BとしてのA≫。またAとBは同格になる。し たがってここは≪крепостного права как основной формы организации труда≫で≪労働組織の基本形態としての農奴制≫である。
森田訳では、それまでは労働組織の基本形態ではなかった農奴制が、西洋の技術の導入以 降に労働組織の基本形態になる、という珍妙なことになってしまう。
森田訳は例え ば
Я работаю инженером.私は技師として働いている。
という、名詞 造格の用法を思わせる。
ク ≪武器供 与≫ 原文には≪供与≫に当たる語は存在しない。
ケ ≪… ツァーリズムの強化をもたらし、そのことによって国の発展を阻害した≫
原文≪привели к укреплению царизма, тормозившего, в свою очередь, развитие страны.≫
森田訳は重文になっている。その上で森田氏に3点尋ねる。1.≪阻害した≫に 当たる原文中の動詞は何か? 2.≪阻害した≫の主語は何か? 3.≪そのことによって≫に当たる 原文中の語は何か?
私見。原文は重文ではなく複文である。基本部分をなすのは≪привели к укреплению царизмаツァーリズムの強化をもたらした≫。これに形動詞生格тормозившего以下の句が同じ生格のцаризмаにかかって、ツァーリズムの内容規定をしている。≪тормозившего, …, развитие страны≫は≪国の発展を阻害したとこ ろの~≫である。
≪в свою очередь≫ 『レーニン』にも同じ表現が登場 していた。
まずочередьは≪順番、順序≫の意。своюは≪свой自分の≫の 対格。「順番で、まず相手が…して、次に自分の順番で、自分が…する」の意。藤井訳は文脈から上手く「逆に」と訳している。『レーニン』のときもそうだっ たが、ここでも森田氏はこの句を訳すことができていない。
コ 塗り分け を参照していただきたい。網 掛け/ / =藤井訳とは語順が入れ替え られている部分が6ヶ所ある。そのうち4箇所で誤訳、不適切訳が生じている。語順が入れ替えられていない部分にも誤訳、不適切訳がないではないが、ここほどではな い。6箇所中4箇所というのは大変な割合である。
この事実は森田訳に、そしてこれまでの西島栄訳にも大きな疑問を抱かせる。
11
●森田訳P391
歴史の法則性 は、衒学的な図式主義といかなる共通性も有していない。不均等性は、歴史過程の最も一般的な法則であって、それは、後発国の運命のうちに最 も先鋭で複雑な形で現われる。外的な必要性の鞭のもと、後進国は飛躍を行なうことを余儀なくされる。不均等性という普遍的法則からもう一つ の法則が生じる。他により適切な名称がないので、それを複合発展の法則と呼ぶことにしよう。さまざまな発展段階の接近融合、個々の段階の結合、時代 遅れとなった古い形態と最も現代的な形態とのアマルガムである。この法則なくしては≪―≫むろん、その物質的内容の全体を取り上げた上でのことだ が―、ロシアの歴史を理解することはできないし、総じて、二番目、三番目、十番目の文化水準にある諸国の歴史も理解することはできないだ ろう。
●藤井訳P55
歴史の法則性は公式主義者の図式主義とは縁もゆかりもない。歴史過程のもっとも普遍的な 法則である不均等性は、立ち後れた国々の運命にもっとも強く、かつ複雑な形であらわれる。外的必然性の鞭のもとで立ち後れは飛躍を強いられる。不均等性と いう普遍的な法則から別の法則が生まれる。それは、相異なる発展段階の接合、別々の段階の結合、時代遅れの形態ともっとも近代的な形態とのアマルガムとい う意味で、ほかにより適切な名称がないため、結合発展の法則と名づけていい。この法則―もちろんその物的内容を全体としてとりあげた場合のことだが―をぬ きにしては、ロシアの歴史は理解できない。一般に第二、第三、第一〇の文化水準のすべての国々の歴史についてもそうであるように。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
歴史の法則性は、〔衒学的な図式主義〕といかなる共通性も有していない。/不 均等性は、/歴 史過程の最も一 般的な 法則であっ て、/そ れは、後 発国の 運命の うちに 最も先 鋭で≪略≫複 雑な形で現われる。/〔外的な必要性の鞭のもと〕≪略≫、/後進国は飛躍を行なうことを余儀なくされる。不均等性という普遍的≪略≫法則からもう一つの法則が生じる。/他 により適切な名称がないの で、 それを複合 発展の法則と 呼ぶことにしよう。/さ まざまな発 展段階の接近 融合、 〔個々の 段階の結合〕、時 代遅れと なった古い形 態と最も現代 的な形態とのアマルガムで ある。/この 法則なくしては―むろん、その物質的内容の全体を取り上げた上でのことだが―、ロシアの歴史を理解することはできないし、総じて、二番目、三番目、十番目の文化水準にある≪欠落≫諸国の歴史も理解することはできないだろう。
森田訳〔衒学的な図式主義〕→藤本訳と同一
森田訳〔外的な必要性の鞭の下〕→外的必要性の鞭の下で(藤本訳)
森田訳〔個々の段階の結合〕→藤本訳と同一
【森田訳の問 題点】
ア ≪衒学的 ≫ 原文≪педантским形式主義的な、形式主義者の≫。衒学的は≪学者ぶること≫
イ ≪後進国 ≫ 原文≪отсталость後進性≫
ウ ≪それを 複合発展の…アマルガムである≫
トロツキーの原文はもちろん複文。関係代名詞によってさまざまな内容が結合され渾然一 体となった「アマルガム」を形成している。森田訳はこの立体的な「アマルガム」をペダンチックに、単文の羅列に分解する。
原文を見よ う。先行詞は≪другой закон≫。これを関係代名詞которыйで受けてその内容がза以下とв смысе以下の2点述べられている。
за以下は≪за неимением более подходящего имени, можно назвать законом комбинированного развития,より適切な名称がないのでкомбинированного развитияの法則と名づけることができる≫
森田訳のよ うな≪~にしよう≫の文言は原文のどこにも存在しない。
в смысле以下は≪в смысле сближения разных этапов пути, сочетания отдельных стадий, амальгамы архаических форм с наиболее современными.行程のさまざまな時点の接近、個々の段階の結合、時代遅れの形態と最も近代的な形態との アマルガムという意味における≫
エ この法則 なくしては≪―≫むろん ≪―≫の位置はここでよいか?
オ ≪諸国≫ 原文≪всех …странすべての国の≫
カ 理解することはできない≪だろう≫ 原文≪нельзя≫понять理解することはできない
≪だろう≫ という類推の語は原文に存在しない。
●藤本訳P157 森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網掛けは語順入れ替え
歴史の法則≪欠落≫は衒学的な図式主義とは無縁である。/歴 史過程の最も一般的な法則であ る/不 均等性は、/遅れた国の運命において最も鋭く、かつ最も複雑な形で現れる。外的必要性の鞭の下で、遅れは跳躍を強いられる。こうして不均等性という普遍的法則から別の法則、他により適切な名称がないので、複合的発展の法則と名づけうる法則が生まれる。つまりこれは、/発 展の/諸/段 階の接近、個々の段階の結合、古い形態と最も新しい形態とのアマルガムを意味する。この法則がなければ―もちろんその/.全/物 的内 容を/ん だ― /一 般にすべての二流、三流ないし十流の文化の国の歴史と同じように、/ロ シア史を 理解することはできない。
12
●森田訳P391-392
より豊かな ヨーロッパからの圧力のもと、ロシアの国家は、ヨーロッパにおけるよりもはるかに大きな割合で国民から富を吸い上げた。この ことは、人民大衆を二重の貧しさへと運命づけただけでなく、有産諸階級の基盤をも弱めた。それと同時に、ロシアの帝政は有産階級の支持を必 要としたので、その形成を促進するとともに、厳格に統制した。その結果、官僚化した特権諸階級はけっして身の丈いっぱいに成長するこ とができなくなり、ロシアの国家はそれだけますますアジア的専制へと接近した。
●藤井訳P55-56
ロシアではより豊かなヨーロッパの圧力をうけて、国家が西洋よりもずっと大きな割合で国 民の資産を収奪した。そしてそのことで人民大衆を二重の貧困に運命づけただけでなく、有産階級の基盤を弱めもした。同時に国家は有産階級による支援を必要 として有産階級の形成を促進したり、規制したりした。結果として官僚化した特権諸階級は一度もまっすぐに立ち上がることができず、ロシアの国家はそれだけ アジア的専制国家に近づいた。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
/よ り豊かなヨーロッパか らの 圧力の もと、/ロ シアの/国 家は、/ヨー ロッパにおけるよ りもは るかに大 きな割合で国民か ら富を吸 い上げた。このことは、人民大衆を二重の貧しさへと運命づけただけでなく、有産諸階級の基盤を/も/弱 め/た。それと同時に、ロシアの帝政は有産階級の支持を必要としたので、その形成を促進するとともに、厳格に統制し≪略≫た。その結果≪略≫、官僚化した特権諸階級はけっして身の丈いっぱいに成長することができなくなり、ロシアの国家はそれだけますますアジア的専制≪欠落≫へと接近した。
【森田訳の問題点】
ア ≪ロシア の国家≫ 原文≪государство…в России国家はロシアにおいて≫
タイトルにおいて起こっていたことと逆のことが起こっている。タイトルでは生格を前置 格風に訳していたが、ここでは前置格が生格風に、あるいは形容詞風に訳されている。格の用法にまことに無頓着な「訳」者だ。
イ ≪ヨー ロッパ≫ この1行に森田訳では2度≪ヨーロッパ≫の語が登場する。原文は最初が≪Европы≫、2度目が≪Западе≫であ る。先に出てきた「能動的」でもそうだったが、原文の単語の違いにも頓着しない「訳」者である。
ウ ≪ロシア の帝政≫ 原文≪оно≫ государство国家のこと。
エ ≪厳格に ≫ 原文に存在しない。
オ ≪身の丈 いっぱいに成長する≫ 原文≪подняться во весь ростすっくと立ち上がる、まっすぐに立ち上がる≫
動詞поднятьсяを≪ 成長する≫などと訳す翻訳者がいるとは驚いた。狂気の沙汰だ。辞書を引くだけで解決できるのに。
≪во весь рост≫も研究社、岩波の両露和辞典に出ている。引きさえすればこんな珍訳にはならなかっただ ろうに。怠慢と妄想の産物だ。
カ ≪できな くなり≫ 原文≪никогда не могли決してできなかった≫ ≪~なり≫など原文に存在しない。
キ ≪ロシアの国家は≫ 原文≪государство в Россииロシアにおける国家≫ アと同じ。
ク やはりこ こでも黒=森田氏のオリジナル部分で誤訳が多発。改鋳しない方がよかったのだ。
13
●森田訳P392
一六世紀初 頭以降に公式にモスクワのツァーリによって移植されたビザンチン的専制体制は、貴族の支援のもと封建的領主層を鎮圧し、 貴族を自己に従属させ、農民を貴族に隷属させた。こうして、この専制体制は、これらの基盤にもとづいて、ペテルブルクの皇帝 絶対主義に転化した。過程全体の後発性は次のことのうちに十分はっきりと特徴づけられている。すなわち、一六世紀末に生まれた農奴制が、一七世紀に確固と したものとなり、一八世紀に最盛期を迎え、一八六一年になってようやく法律上廃止されたことである。
●藤井訳P56
一六世紀初頭からモスクワのツァーリが公式にとりいれていったビザンチン的専制は、新興 貴族の力をかりて封建的豪族をおさえつけ、農民を新興貴族に隷属させて、新興貴族を自分に従属させていった。そしてそれを足場としてペテルブルグ皇帝[イ ンペラートル]絶対主義に転化した。過程全体の立ち後れは、農奴制が一六世紀末に生まれ、一七世紀に形をととのえ、一八世紀に最盛期を迎え、一八六一年に なってやっと法的に廃止されるという事実で充分明らかになる
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
一六世紀初頭以降に/公 式に/モ スクワのツァーリに よって/移植されたビザンチン的専制体制は、≪欠落≫貴族の支援のもと封建的領主層を鎮圧し、/≪ 欠落≫貴 族を自 己に 従属させ、/農 民を≪ 欠落≫貴 族に隷属させた/。こうして、この専制体制は、これらの基盤にもとづいて、ペテルブルクの皇帝絶対主義に転化した。過程全体の後発性は/次 のことのうちに十 分はっ きりと特 徴づけられている。/す なわち、/一 六世紀末に/生 まれた/農 奴制が、/一 七世紀に確 固としたものとなり、一 八世紀に最盛期を迎え、一 八六一年になってよ うやく法律 上廃 止された ことである/。
【森田訳の問 題点】
ア 一六世紀 初頭≪以降に≫ 原文≪с начала XVI века16世紀初めから≫ с началаを何ゆえにわざわざ≪以降に≫と訳さなければならないのか? 曖昧さを増幅するだけである。
イ ≪貴族≫ 原文≪дворянства≫ これは15-16世紀頃からのモスクワ大公に奉仕する小領主層、「新しい」貴族のことを指している。それ に対して森田訳で封建的≪領主層≫と訳されているものがбоярство。こちらはキーエフ・ルーシ以来の古い貴族、貴族階級を指している。どちらも貴族であることには違 いないから、この部分で≪дворянства≫を≪貴族≫と訳すことは無用な混乱を生み出すもとである。
ウ ≪鎮圧し ≫ 原文≪смирило抑え込み≫ ≪鎮圧する≫は暴力的な力で反抗勢力を粉砕、抑圧することを指す。ここでは抑え込 む、従順にさせる、慰撫するなどの語彙。
エ ≪農民を 貴族に隷属させた≫ 原文≪закабалив ему крестьянство≫
完了体副動 詞は述語動詞の表す動作に先立って完了した動作を表すの が本義。したがって森田訳のように≪貴族を自己に従属させ、農 民を貴族に隷属させた≫と訳すのは誤り。≪農民を新興貴族に隷 属させてから、新興貴族を自らに従属させた≫という語順で訳さなければならない。
オ ≪これら の≫基盤 原文≪этой≫основе 複数形ではなく単数形。
14
●森田訳P392-393
僧侶は、貴族に追随し、ツァーリ専制体制の形成において大きな役割を演 じたが、その役割は完全に従属的なものだった。ロシアの教会は、西方のカトリック教会が到達したような支配的な高みにまで上 りつめることはけっしてなかった。それは、専制体制に対する宗教的下僕の地位で満足し、それを白己の恭順さの功績とみ なした。主教と府主教は、世俗の権力の手先としてのみ権力を享受した。総主教は、ツァーリが交替するのといっしょに交替した。ペテルブルク時代 に、ツァーリに対する教会の従属はいっそう隷属的なものとなった。二〇万人もの司祭と修道士たちは基本的に官 僚制の一部であり、一種の宗教警察であった。このことの見返りとして、ロシア正教の僧侶たちは、信仰活動上の独占を、その土地と収入を、正 規の警察によって保護してもらった。
●藤井訳P56
僧侶階級は貴 族階級につづいてツァーリの専制政治の形成に大きな役割を果たした。しかし、その役割はまったく副次的なものであった。ロシアでは教会はカトリックの西洋 でそうであったような支配的地位にまでのぼったことは一度もない。教会は専制の精神的な僕の地位に満足し、それを自分たちの恭順にたいする報償と見なして いた。主教[以下、聖職者の位階については訳注「*聖職者」を参照]や府主教は世俗権力の傀儡としてのみ権力をもっていた。総主教はツァー リとともに交替した。ペテルブルグ時代には教会の国家従属はもっとずっと奴隷的になった。二〇万の司祭や修道士は実質的に官僚の一部、一種の教団警察で あった。それにたいする見返りとして信仰問題での正教会の僧侶の独占権、僧侶の土地と収益が、普通の警察によって守られた。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
僧侶≪欠落≫は、貴族≪欠落≫に追随し、ツァーリ専制体制の形成において大きな役割を演じたが、その役割は完全に従属的なものだった。ロシアの教会は、/西方の/カトリック/教会が到達したような支配的な高みにまで上りつめることはけっしてなかった。それは、専制体制に対する宗教的下僕の地位で満足し、それを自己≪略≫の恭順さの功績とみなし≪略≫た。主教と府主教は、世俗の権力の手先としてのみ権力を享受した。総主教は、ツァーリが交替するのといっしょに交替した。ペテルブルク時代に≪略≫、/ツァー リに対する/教 会の/従属 はいっそう隷属的なものとなった。二〇万人もの司祭と修道士たちは基本的に官僚制の一部であり、一種の宗教警察であった。このことの見返りとして、/ロ シア正 教≪ 欠落≫の 僧侶た ちは、/信 仰活 動上の/独占≪欠落≫を、その土地と収入を、正規の警察によって保護してもらった。
【森田訳の問 題点】
ア ≪追随し ≫ 原文≪вслед за≫ ≪追随し≫とすると≪他人の言動を無批判に真似する≫というニュアンスが強いので、 ここは≪~に続いて≫がよい。
イ ≪ロシア の≫教会 原文≪Церковь…в России教会はロシアで…≫ 似て非なる訳文。
ウ 西方のカ トリック教会 原文≪на католическом Западеカトリックの西欧で≫ これも似て非なる訳文。しかもЗападеは固有名詞である。≪西方≫と普通名詞で訳してはならない。
さらに問題 なのは、森田訳では≪ロシアの教会≫と≪西方のカトリック教会≫の2種類があることになってしまう。原文では≪教会は、ロシアでは…、カトリックの西欧で は…≫となっている。
エ ≪それ≫ 原文≪она≫ すぐあとにまた≪それэто≫と続くと分かりにくい。≪она≫を≪教会≫ と訳すべきである。
オ ≪宗教的 ≫下僕 原文≪духовной精神的≫прислуги ≪духовной≫には≪精神的≫と≪宗教的≫の2義があるが、≪専制体制に対する宗教 的下僕≫というのは明らかに論理矛盾である。これでは専制体制は世俗権力ではなくなり、一方、表向きは世俗の権力より上位に位置する宗教権力ヒエラルキー 体系の一端を担う教会が、自分より下位の世俗権力に宗教的にかしずくなどということありえない。ここは≪精神的≫として初めて論理的に首尾 一貫する。
カ ≪みなし た≫ 原文≪вменялаみなしていた、みなしていたものだった≫不完了体。
キ ≪ツァー リに対する従属≫ 原文≪зависимость от государства国家への依存≫
ク ≪隷属的 な≫ 原文≪рабской奴隷的な≫ ≪закабалив隷属させてから≫という副動詞がすでに出てきているのだから、これとは異なる訳語になる べきだ。
ケ ≪基本的 に≫ 原文≪в сущности本質的には、実際は≫
コ ≪ロシア正教の僧侶たちは、信仰活動上の独占を≫
原文≪монополия православного духовенства в делах веры信仰の諸問題での正教会の僧侶たちの独占 権≫ ≪ロシア≫の語は原文に存在しない。また≪僧侶たちは≫という主格ではない。格の用法に対する無理解。またここを主格で訳したために、原文では能動 態になっている述語動詞を受動態で訳すはめになっている。もう少し原文に忠実であったらどうなのか?
サ ≪正規の ≫警察 原文полицией≪общего порядка≫ 森田訳で≪宗教警察≫と訳された語との対比 である。≪正規の≫ではニュアンスがややずれる。警察そのものは元来≪正規の≫ものだからだ。ここでは正教会という領域と日常生活という領域各々でのполицияのこ とをのべている。直訳すれば≪共通の部類の≫である。
ここも赤=藤井訳との同一部分がひじょうに多い。
15
●森田訳P393
後進性のメシアニズムたるスラブ主義は次のような考えにもとづいて自己の哲学を打ち立て た。すなわち、ロシア人民とその教会は徹頭徹尾民主的であるが、公式のロシア[官僚、貴族などのロシア支配層]は、ピョートルによってロシアに移植されたドイツの官僚制に他なら ないというものである。マルクスは、この点について次のように論評している。「ドイツのロバたち[愚か者]が、フリードリヒ二世の専制主 義などをフランス人のせいにしたのとまったく同じだ。あたかも、後進国の奴隷を仕込むのに必ずしも文明化された奴隷を 必要としないかのように」。この短い論評は、スラブ主義者の古い哲学のみならず、「人種主義者」の最新の啓示についてもその本質をあますと ころなく暴露するものであろう。
●藤井訳P57
後進性のメシア主義であるスラヴ主義は、ロシア国民とその教会は徹底して民主的である が、公的ロシアはピョートルが植えつけたドイツ官僚体制であるとする哲学を構築した。その点についてマルクスはこう指摘した―「まったく同じようにチュー トン人の愚者は、フリードリヒ二世の専制政治等々をフランス人のせいにしているではないか。まるで後れた奴隷が、必要な技能を習得するのに、教養のある奴 隷をつねに必要とするとは限らないかのように。」この簡潔な指摘はスラヴ主義者の古い哲学のみならず、「人種主義者」の最新の啓示についてもその本質をあ ますところなくとらえている。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。
後進性のメシアニズムたるスラブ主義は次のような考えにもとづいて自己の/哲 学を打 ち立てた。 すなわち、ロ シア人民 とその教会は徹 頭徹尾民 主的であるが、公式 のロ シア[官 僚、貴族などのロシア支配層]は、ピョー トルに よってロシアに移 植さ れたド イツの官 僚制 に他ならないというも のである/。/マ ルクスは、/こ の点 について/次のように論評している。「ド イツのロバたち[愚か者]が、フ リードリヒ二世の専制主 義な どを フランス人のせいにし たの と/まっ たく同じだ/。あたかも、後進国の奴隷を仕込むのに/必 ずしも/文 明化された奴 隷を/必 要とし ないか のように/」。この短い論評は、スラブ主義者の古い哲学のみならず、「人種主義者」の最新の啓示についても その本質をあますところなく暴露するものであろう。
【森田訳の問 題点】
ア ≪ロシア ≫に 原文に存在しない。
イ ≪他なら ない≫ 原文に存在しない。
ウ ≪ドイツ のロバたち≫ 原文≪тевтонские ослыチュートン人の愚か者たち≫ ≪ドイツの≫の語は原文 に存在しない。
森田氏は凡 例10で「引用元(原書)の文章が確認できた範囲で、原則として原文に基づいて適宜修正したが…」(P6)と述べてい る。
マルクスの 原文は次のとおり
«ganz wie die teutonischen Esel den Despotismus FriedrichsⅡ…»(Marx Engels Werke. Band28.s287.)
下線部はマ ルクスの原文でも「チュートン人の愚か者たち…」である。邦訳は「ドイツのろばたち」(大月書店版第28巻、P236)としてい る。大月版訳は正しくない。
原文に基づ いたはず-少なくとも邦訳の出典を挙げているから-の森田訳も正しくない。しかも邦訳の「ろば」を「ロバ」としただけで同一である。[愚か者]と補ってはいるが ここでも踏襲である。本当にマルクスの原文を確認したのか? それともこれは例外だと言うのか?
チュートン人はゲルマン民族の一部族であるから、これを「ドイツの」と訳すことは原文が せっかく狭く規定しているのを曖昧にするもの。tuetonischには確かに第2義として≪ドイツ人の≫という語義があるが、「ドイツ人の」と言うためにマルクスがわざ わざteutonischと言うとは考えにくい。もしそうなら、なぜ『ドイツ・イデオロギー』ではなく『チュート ン・イデオロギー』と言われないのか。書名はもちろん後代の命名によるが、この中で、「ドイツのイデオローグ」と言われており「チュートンのイデオロー グ」とはされていないのである。
森田氏の凡 例10について少し意見する。私は引用文を訳す場合も、引用文の原文に戻って訳すのではなく引 用された文のまま訳すべきであると考える。
例えば、 レーニンの『人民の友とは何か』にマルクスの「『経済学批判』序言」が引用されているが、これはマルクスの原文に戻ることなく、レーニンが引用した形その ままで訳すべきなのである。なぜなら、レーニンはここでマルクスをそのまま逐条的に引用してはおらず、レーニン流に解釈、翻訳しているからである。ここか ら史的唯物論のマルクス的理解とレーニン的理解との差異が浮かび上がる。これをマルクス原文から訳しなおすことはレーニン原文に対する改竄であるととも に、この問題の所在そのものを覆い隠してしまうのだ。
ちなみに、 プレハーノフ『史的一元論』にもマルクス「『経済学批判』序言」の引用があるが、こちらはドイツ語原文を逐条的にロシア語に翻訳している。ところでレーニ ンは後に『カール・マルクス』で再び『序言』を引用しているが、ここではプレハーノフ訳と同じになっている。これらの事実は史的唯物論の探求にとって興味 深い問題を投げかけている。
エ ≪フラン ス人のせいにした≫ 原文≪сваливают…на французовフランス人たちのせいにしている≫ 動詞は 現在形である。
オ 同じ≪だ ≫ 原文≪Ведь точно так жеまったく同じように…ではないか≫ Ведьの訳が欠落 している。
カ ≪後進国の奴隷を仕込むのに必ずしも文明化された奴隷を必要としない≫
原文≪отсталые рабы не нуждаются всегда в цивилизованных рабах, чтобы пройти нужную выучку≫
原文の主語 は≪отсталые рабы遅れた奴隷たち≫ 森田氏は原文の構造を理解していない。森田訳にはこの主語が欠落して いるばかりか、目的語に転化してさえおり、意味がまるで違っている。ほぼ反対の意味になっている。この誤訳は重大。
≪(奴隷を)仕込むのに≫ 原 文≪чтобы пройти нужную выучку必要な技能を習得するために≫ пройти には≪学ぶ、習得す る≫の語義がある。露和辞典にも出ている。выучкуは既出の語。
キ ≪その本 質をあますところなく暴露する≫
森田訳は≪ その本質をあますところなく≫までは藤井訳と同一。≪暴露する≫だけ差し替え。
≪暴露する≫ とは過激な訳だ。だがそんな語は原文に存在しない。
原文は≪исчерпывает до днаすっかり片をつけている≫。藤井訳はこの意を捉え て上手く訳している。
ク で≪あろ う≫ 原文に存在しない。
16
●森田訳P393-394
ロシアの封建制のみならず、旧ロシアの歴史全体もまたみすぼらしかったが、その最も惨め な現われが、手工業と商業の中心地たる本格的な中世都市がロシアには存在しなかったことである。手工業はロシアでは農業から分離することがで きず、家内工業的性格を保持していた。古いロシアの諸都市は、商業、行政、軍事、地主の中心地であり、したがって消費の中心地であって、生産の中 心地ではなかった。ハンザ同盟と近い関係にあり、タタール人の支配を受けなかったノヴゴロドでさえ、商業都市にすぎず、工業 都市ではなかった。たしかに、農民の家内工業がさまざまな地域に分散して存在していたために、広範囲に及ぶ商業的仲介が必要とされた。
●藤井訳P57
ロシアの封建制の貧しさのみならず、ロシアの過去の全歴史の貧しさは、手工業・商業の中 心地としての真の中世紀的都市が欠けている点にもっとも悲惨な形であらわれていた。ロシアでは手工業が農業から分離する暇がなく、家内手工業の性格をもち つづけていた。ロシアの古い都市は商業、行政、軍事、領主の中心地、したがって生産の中心地ではなく、消費の中心地であった。ハンザに近く、タタールのく びきを経験しなかったノーヴゴロトでさえ工業都市ではなく、商業都市にすぎなかった。たしかに、農民の手工業がさまざまな地域に分散していたため、大規模 の商業的仲介の必要が生じていた。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
ロシアの封建制≪略≫のみならず、旧ロシアの/歴 史/全体/もまたみすぼらしかったが、/そ の最 も惨 めな現 われが、/手 工業と商業の中心地た る本 格的な中 世≪ 略≫都 市がロ シアには存 在しなかったことで ある/。/手 工業は/ロ シアでは/農業 から分離することができず、家内≪欠落≫工業的性格を保持していた。/古 い/ロ シアの/諸都市は、商業、行政、軍事、地主の中心地であり、したがって/消 費の中心地で/あって、/生 産の中心地ではなかっ/た/。ハンザ同盟と近い関係にあり、タタール人の支配を受けなかったノヴゴロドでさえ、/商 業都市にすぎず、/工 業都市ではなかっ た/。たしかに、農民の家内工業がさまざまな地域に分散して存在していたために、広範囲に及ぶ商業的仲介/が/必 要/と された。
【森田訳の問 題点】
ア 手工業≪ と≫商業の 原文≪ремесленно-торговых手工業・商業の≫複合形容詞。
イ ≪できず ≫ 原文≪не успело~する時間がなかった≫が原義。
ウ ≪近い関 係にあり≫ 原文≪близкий к~に近しく≫ ≪関係≫の語は原文に存在しない。
エ ≪タター ル人の支配≫ 原文≪татарского игаタタールのくびき≫定着している歴史用語
誤訳が非常 に少ない。裏腹に赤=藤井訳との同一 部分が多い。
17
●森田訳P394
しかし、あち こちに転々と移動する商人には、西方で手工業ギルドや商工業の中小ブルジョアジーが周辺の農民と不可分に結びつきつつ占めていたような地位 を社会生活の中で占めることはまったくできなかった。さらに、ロシア商業の本線が国外に延びていたため、はるか以前から商業 の指導権は外国の商業資本家の手中に保持され、取引全体が半植民地的性格を帯びることになった。この取引においてロシアの商 人は、西方の都市とロシアの農村との仲介者 にすぎなかった。このような経済的関係は、ロシア資本主義の時代にいっそう発展を遂げ、 帝国主義戦争において極端な形で現われた。
●藤井訳P57-58
しかし、行商人は、西洋で、周辺の農民と不可分に結びついていた手工業同業組合や商工業 の中小ブルジョアジーが占めていたような地位を、社会生活で占めることはまったくできなかった。加えて、ロシアの商業の主な道は国外へ通じていて、すでに 遠い昔から外国の商業資本に指導権を保障し、ロシアの商人を西洋の都市とロシアの農村との仲介人とする流通全体に半植民地的な性質をあたえていった。その 種の経済関係はロシアの資本主義時代にいっそう発展し、帝国主義戦争で極端な形であらわれた。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
しかし、あちこちに転々と移動する≪略≫商人には、/西方で/手 工業ギ ルドや 商工業の中小ブルジョアジーが/周 辺の農民と不可分に結びつき つつ/占めていたような地位を社会生活の中で占めることはまったくできなかった。さらに、ロシア≪略≫商業の本線が国外に延びていたため、≪欠落≫はるか以前から/商 業の指 導権は/外 国の商業資本家 の手中に/保持 され、/取 引全 体が半 植民地的≪ 略≫性格を 帯びることになった。/こ の取引において/ロ シアの商人は、西方の 都市とロシアの農村との仲介者に/すぎなかった。このような経済的関係は、ロシア≪略≫資本主義の時代にいっそう発展を遂げ、帝国主義戦争において極端な形で現われた。
【森田訳の問題点】
ア ≪結びつ きつつ占めていたような≫
原文≪принадлежало ремесленно-цеховой и торгово-промышленной мелкой и средней буржуазии, неразрывно связанной со своей крестьянской периферией≫
森田氏は原 文を理解できず珍妙な訳文を提出している。藤井訳という先訳にしたがえばこのような誤訳はせずに済んだはずだ。原因は格の用法を理解していないことにある。
後ろのсвязаннойは被動形動詞過去でбуржуазииにかかる。≪自らの農民的周 辺地域と結び付けられていたブルジョアジー≫である。そして前4つの形容詞がбуржуазииにかかる。そしてこのбуржуазии(与格)にто место, которое принадлежалоがつ ながる。≪…中小ブルジョアジーのものであったところの地位、~に属していたところの地位≫という構造だ。
イ ≪本線≫ 原文≪Главные пути主な道≫ 道路や鉄道のことではない。
ウ ≪延びていたため、…保持され、…帯びることになった≫
原文≪вели…, обеспечивая…,придавая…≫
原文は不完 了体副動詞構文。不完了体副動詞は基本的には主動詞と同時・並行的に行われる動作を示す。主動詞は≪вели≫である。
ところが森 田訳は主動詞と副動詞が同時・並行的に訳されていない。正しくない。
エ ≪すぎなかった≫ 原文に存在しない。関係代名詞構文を破壊したことの結果の一つ。 原文では≪ロシアの商人が…仲介者であった流通全体に≫である。
オ ≪このよ うな≫ 原文≪Этот родこの種の≫
18
●森田訳P394-395
ロシアの都市が取るに足りない存在であったことは、アジア的国家の 形成を促す上できわめて重要な役割を果たしただけでなく、とりわけ、宗教改革の可能性を、すなわち、封建的・官僚的ロシア正 教を、ブルジョア社会の諸要求に適合したキリスト教の何らかの近代的タイプに置きかえる改革の可能性を排除するものであった。国家に 従属した教会に対する闘争は、農民的宗派―その最大最強のものは古式分離派であった―の形成という域を出ることはなかった。
●藤井訳P58
ロシアの都市のみすぼらしさはアジア型の国家の形成をもっとも大きく促進したが、そのせ いで、とりわけ宗教改革の可能性、すなわち封建的・官僚的正教を、ブルジョア社会の要請に即応した、キリスト教のなんらかの近代化された一変種とおきかえ るといういれかえる可能性が失われた。国家的教会にたいする闘いは、もっとも強大な宗派であった*古儀式派の分裂を含めて、農民の宗派の域を出なかった。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
ロシアの都市が取るに足りない存在であったことは、アジア的国家の形成を/促 す上 で/き わめて重要な役割を果たした/だけでなく、≪欠落≫とりわけ、宗教改革の可能性を、すなわち、封建的・官僚的ロシア正教を、ブルジョア社会の諸要求に適合したキリスト教の何らかの近代的タイプに置きかえる改革の可能性を排除するものであった。国家に従属した教会に対する闘争は、/農 民的宗 派/― その最 大最強の ものは古 式分離派で あった―/の形成という域を出ることはなかった。
【森田訳の問 題点】
ア ≪取るに 足りない存在であったこと≫ 原文≪Ничтожество≫ 誤訳ではないが冗漫。簡潔に≪卑小さ、惨めさ、みすぼらしさ≫と訳してはどうか?
イ ≪アジア 的国家≫ 原文≪азиатского типа государстваアジア型の国家≫ 両者は決して同じではない。
ウ ≪きわめ て重要な役割を果たしただけでなく≫ 原文≪наиболее способствовавшее≫
能動形動詞過 去。誤訳の大きな原因は形動詞構文を無視していること。この形動詞はНичтожествоにかかる。ここの原文を直訳すればこうなる。
Ничтожество русских городов, наиболее способствовавшее выработке азиатского типа государства,
アジア型の国 家の形成を最も促したところの、ロシアの都市のみすぼらしさは
エ 封建的・官僚的≪ロシア≫正教 ≪ロシア≫の語は原文に存在しない。
オ ≪近代的 タイプ≫ 原文≪модернизованной разновидностью近代化された一変種≫
カ ≪国家に 従属した教会≫ 原文≪государственной церкви国家的教会≫ この原文のどこから≪国家に従属し た…≫という訳が出てくるのか? 常人には及びもつかない。まことに「卓越した」訳者である。
キ ≪農民的宗派―その最大最強のものは古式分離派であった―の形成という域を出ることはな かった≫
原文≪не возвышалась над крестьянскими сектами, включая и самую могущественную из них, староверческий раскол≫
「卓越し た」訳者森田氏に対して常人の常識的理解を対置する。
≪農民的宗 派…の形成という≫訳文に対応すると思しき原文は≪над крестьянскими сектами農民の宗派を≫で ある。常人には≪…の形成という≫に対応する原語が見つけられない。
副動詞≪включая~を含めて≫が無視されている。また名詞≪раскол≫も無視されている。
19
●森田訳P395
フランス大革命の一五年前に、コサック、農民、農奴的なウラル労働者によ る反乱運動が起こった。これはプガチョフの乱として知られている。時の政府を震撼させたこの人 民蜂起が革命に転化する上でいったい何が足りなかったのだろうか? 第三身分である。都市の工業民主主義派なしには、農民戦争は―農民宗派の運動が宗教改革 にまで高まることができなかったのと同様―革命にまで発展することはできなかった。それどころか、プガチョフの乱の結果として、官僚的絶対主義はかえって 強化された。なぜなら、それは、難局にあたって貴族の利益の守護者としての自己の正当性を再び証明したからである。
● 藤井訳P58
フランス大革命の一五年前、プガチョーフ反乱という名で知られるカザークと農民とウラー ルの農奴労働者の運動がロシアに勃発した。この恐るべき民衆反乱が革命に転化するのになにが足りなかったか? 第三階級である。農民の宗派が宗教改革にま で高まりえなかったように、農民戦争は工業にたずさわる都市の民衆なしには革命へと発展しえなかった。プガチョーフ反乱の帰結は、逆に、難局にあってあら ためて自分の存在を正当化した官僚絶対主義、貴族の利益の守り手としてのそれの強まりであった。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
フランス大革命の一五年前に、/コ サック、農 民、/農 奴的 な/ウ ラル/労 働者に よる反乱運 動が起 こった。/こ れはプ ガチョフの≪ 略≫乱と して知 られて いる/。 時の政府を震撼させたこの≪欠落≫人民蜂起が革命に転化する上でいったい何が足りなかったのだろうか? 第三身分である。/都 市の/工 業/民 主主義派な しには、/農 民戦争は/―農 民≪ 略≫宗 派の 運動が 宗教改革にまで高まる ことができな かったの と同様―/革 命に まで発 展す ることはできな かった/。/そ れどころか、/プ ガチョフの≪ 略≫乱 の結 果と して、/官 僚的絶 対主義/は かえって強 化された。 なぜなら、それは、/難 局にあ たって/貴 族の利益の守 護者と しての/自 己の≪ 欠落≫正 当性 を再び証明した/からである。
【森田訳の問題点】
ア ≪農奴的 なウラル労働者≫ 原文≪крепостных уральских рабочихウラールの農奴労働者≫
イ ≪反乱≫ 運動 ≪反乱≫は原文に存在しない。
ウ ≪起こっ た≫ 原文≪разразилось勃発した≫ この語は、災難などが突発的に、激しく発現することを示す。
エ ≪プガ チョフの乱として≫ 原文 ≪под именем пугачевщиныプガチョーフの反乱という名で、~の名の下に≫
オ ≪時の政 府を震撼させた≫ 原文≪грозному恐るべき≫ 森田訳のような語は原文に存在しない。まことに「恐るべき」訳だ。
カ たりな かった≪のだろうか≫ ≪のだろうか≫は原文に存在しない。
キ ≪工業民 主主義派≫ 原文≪промышленной демократии工業に従事する大衆≫
露和辞典を 見るだけではこのдемократииを訳すことはできない。例えばУшаковの辞典にこうある。Средние и низшие слои общества,массы 中、小の社会層、大衆
ク ≪なぜなら、それは、難局にあたって貴族の利益の守護者としての自己の正当性を再び証明した からである≫
原文には≪なぜなら≫以下の理由を述べるような文章は存在しない。根本原因は森田氏がま たしても形動詞構文を寸断していることである。
原文後段にある形動詞≪оправдавшего≫は≪абсолютизма≫にかかる。
упрочение бюрократического абсолютизма как стража дворянских интересов, снова оправдавшего себя в трудный час
貴族の諸利害の擁護者としての官僚制絶対主義、難局において自己を再び正当化したところ の官僚制絶対主義の強化
20
●森田訳P395-396
国のヨーロッ パ化は、形式的にはピョートルの時代に始まったが、次の一世紀のあいだにますます、支配階級それ自身の、すなわち貴族それ自身の要求になっていった。一八 二五年、貴族出身のインテリゲンツィアは、この要求を政治的に一般化して、軍事的陰謀を企てた。その目的は専制を制限するこ とであった。つまり、先進的な貴族たちは、ヨーロッパにおけるブルジョア的発展の圧力のもと、自国に欠けていた第三身分の代わりをつとめようとしたわけで ある。しかし、彼らは、自由主義的な体制を望みつつも、それを自己の身分支配の基盤と結びつけようとした。そのため、彼らは何よりも農民を 立ち上がらせることを恐れた。陰謀が、優秀ではあるが孤立した将校の企てにとどまり、ほとんど戦闘を交えることなし に粉砕されたのも、驚くべきことではない。これがデカブリスト の乱の意味するところであった。
●藤井訳P58-59
国のヨーロッパ化は形式的にはピョートル時代にはじまるが、つぎの世紀にはしだいに支配 階級そのもの、すなわち貴族階級が要求するものになっていった。一八二五年、貴族階級のインテリゲンツィアはその要求を政治的に普遍化し、専制の制限とい う目的をかかげて軍事的陰謀におよんだ。ヨーロッパのブルジョア的発展の圧力をうけて先進貴族が、ロシアに欠けている第三階級のかわりをつとめようとした わけである。しかし、かれらはやはり自由主義的な体制を自分たちの階級支配の基盤と結びつけたいと思ったため、農民が立ち上がることなによりも恐れた。陰 謀が、輝かしいが孤立した将校層の企てとして終わり、かれらがほとんど闘かわずして降伏したとしても不思議ではない。それがデカブリストの反乱の意味であ る。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
国のヨーロッパ化は、形式的にはピョートルの時代に始まったが、次の一世紀のあいだにますます、支配階級それ自身の、すなわち貴族≪欠落≫それ自身の要求≪略≫になっていった。一八二五年、貴族≪欠落≫出身のインテリゲンツィアは、この要求を政治的に一般化して、/軍 事的陰謀を 企てた。/そ の目 的は/専 制を制 限す ることで あった/。 つまり、/先 進的 な貴 族た ちは、/ヨー ロッパに おけるブ ルジョア的発展の圧力の もと、/自国に欠けていた第三身分の代わりをつとめようとしたわけである。しかし、彼らは、自由主義的な体制を/望 みつ つも、/そ れを自 己の身 分支 配の基盤と結びつけよ うと/し た。そのた め、/彼らは/何よ りも/農民を立ちがらせることを/恐れた。陰謀が、優秀ではあるが孤立した将校≪略≫の企てにとどまり、ほとんど戦闘を交えることなしに粉砕されたのも、驚くべきことではない。これがデカブリストの≪略≫乱の意味するところであった。
【森田訳の問 題点】
この部分は塗り分けで明らかなようにほとんど藤井訳と同一。ただし、この同一度は文字 レベルでのものなので、文字が同じだから訳も正しいということにはならない。例えば下記のウ、エを参照。
ア 貴族≪出 身の≫インテリゲンツィア 原文≪дворянская интеллигенция≫ ≪出身の≫にあたる語は原文に存在しない。
イ ≪企てた ≫ 原文≪пришла к~に及んだ、辿り着いた≫ 森田訳ではまだ計画段階であって実行していない意味になる。
ウ ≪望みつ つも、…結びつけようとした≫
ここも初歩 的な原文の構造を理解していない。
原文は≪хотело …сочетать結びつけることを望んでいたものだった≫ 動詞不定形の用法。
また≪все же≫が訳から欠落している。
エ ≪粉砕さ れた≫ 森田訳では陰謀が≪粉砕された≫ことになる。原文は≪офицерства, которое расшибло себе голову почти без боя…≫で、将校が先行詞。この誤訳も関係代名詞構文が≪粉砕された≫ことが主たる原因であ る。
21
●森田訳P396-397
農奴労働を雇用労働に置き換える傾向を最初に示した地主階層は、工場を所有していた地主 たちであった。この方向にいっそう拍車をかけたのは、ロ シアの穀物がますます大量に国外に輸出されるようになったことである。一八六一年、貴族出身の官僚たちは、自由主義的地主に依拠し ながら農民改革[農奴解放]を実行した。無力なブルジョア自由主義派は、この事業において従順な合唱 隊としての役割を演じた。言うまでもなく、ツァーリズムが、ロシアの根本問題、すなわち農業問題を解決したやり方は、プロイ センの君主制が次の一〇年間にドイツの根本問題、すなわち民族統一を解決したやり方よりもはるかにけちくさく、姑息なもので あった。ある階級の課題を別の階級が解決することこそ、後進国に固有の複合的方法の一つなのである。
●藤井訳P59
自分たちの階層の中ではじめて工場を所有した地主たちは農奴労働を自由雇用労働にあら ためたいと考えるようになった。ロシアの穀物の対外輸出の増大もその方向に拍車をかけた。一八六一年、貴族官僚は自由主義的な地主層に依拠して農民改革を おこなう。無力なブルジョア自由主義は従順な合唱隊としてその作戦にかかわった。プロイセンの君主制はその後の一〇年でドイツの基本的な問題、すなわち民 族統一を解決したが、ツァリーズムがロシアの基本的な問題、すなわち農業問題をそれよりさらにしみったれにずるがしこく解決したことはいうまでもない。あ る階級の課題を別の階級の手で解決することこそ、後進国特有の結合的方法のひとつである。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
/農 奴労働を≪ 欠落≫雇 用労働に置 き換える傾向を最 初に示 した地 主階層は、/工 場を所有し ていた地 主たちで あった/。/こ の方 向にいっ そう拍 車をかけたの は、/ロ シアの穀物がま すます大量に国外に輸 出さ れるようになったことで ある/。一八六一年、貴族出身の官僚たちは、自由主義的≪略≫地主≪略≫に依拠しながら農民改革[農奴解放]を実行した。無力なブルジョア自由主義派は、/こ の事業にお いて/従 順な合唱隊としての役 割を演じた/。言 うまでもなく、/ツァー リズムが、ロシアの根本間題、す なわち農 業問題を/解 決した/や り方は、/プ ロイセンの君主制が次 の一 〇年間 にド イツの根 本問 題、す なわち民 族統一を解決した/や り方よ りもは るかにけちくさく、姑 息なも のであった/。ある階級の課題を別の階級≪欠落≫が解決することこそ、後進国に固有の複合的方法の一つなのである。
【森田訳の問 題点】
ア ≪農奴労 働を雇用労働に置き換える傾向を最初に示した地主階層は、工場を所有していた地主たちであった≫
原文≪Помещики, владевшие фабриками, первыми в среде своего сословия стали склоняться в пользу замены крепостного труда вольнонаемным.≫
まず、原文の主部は≪Помещики, владевшие фабриками, первыми в среде своего сословия自分たちの階層の中で初期の工場を所有した地主たちは≫である。
原文のどこにも≪傾向を最初に示した≫などの語は存在しない。≪最初に≫にあたるらしい 語は≪первыми≫であるが、これは≪工場фабриками≫にかかる形容詞なのである。二つの単語がともに造格になっていることに森田氏は注意し たのだろうか? 注意していれば森田氏のように副詞として≪示した≫にかかるようには訳せないのである。 解釈の問題ではない。初歩的な文法の問題である。誰が訳しても文法に忠実である限り、森田氏のような訳は出てくるはずがない。
なぜかようなことが起こるのか? 考えられるのは、藤井訳を下敷き にして、原文と照らし合わせることなく自分の頭の中だけで勝手に書き換えたということだ。
藤井訳はこの部分を≪自分たちの階層の中ではじめて工場を所有した地主たちは農奴労働を自由雇用労働にあ らためたいと考えるようになった≫と訳している。この 文末の部分を≪傾向を…示した≫と「訳し」=書き替えたのではないのか? もし違うのであれば、原文のどこ のどのような把握から森田氏の訳が出てくるか、説明すべきである。
述語動詞部分は≪стали склоняться в пользу замены крепостного труда вольнонаемным農奴労働の雇傭労働への取り替え支持に傾くようになった≫である。これを≪傾向を…示し た≫と訳すことにも無理がある。
この部分の最大の問題点は森田訳の語順である。
森田訳では≪農奴労働から雇傭労働への置換えようとしたのは≫≪工場を所有していた地主 たちだった≫となる。地主階層の中の工場所有地主、と外延を狭めていく訳文になっている。
原文は≪…工場を所有していた地主たちは…支持に傾くようになった≫と、初めから限定的 に述べている。ロシア語では一般に重要なことは後ろにもっていくという規則があるが、この規則に照らした場合、ここの主張の中心は≪…取り替え支持に傾く ようになった≫にあるのだ。だからこそ、それを受けて≪対外輸出の増大が云々≫の文が続くのである。
イ ≪ロシア の穀物がますます大量に国外に輸出されるようになったこと≫
原文≪В эту же сторону толкал и возраставший экспорт русского зерна за границу.この側面を促進していたのがロシアの穀物の増大した対外輸出であった≫。訳文が冗漫である。中心語句は≪возраставший экспорт増大した輸出≫。わざわざ≪~こと≫と訳す必要も意味もない。もともと名詞句だからだ。
ウ ≪貴族出 身の官僚たち≫ 原文≪дворянская бюрократия貴族官僚≫ 複数形ではないし≪出身の≫にあたる語も存在しない。
エ ≪農民改 革[農 奴解放]≫ 原文≪крестьянскую реформу≫ この訳語を見て正直驚いた。藤井氏がこの訳語を採ったことを捉えて2000年、森田氏は次のように 藤井氏に罵声を浴びせたのだから。
1861年にロシアの貴族官僚が「農奴解放をおこなった」という文 章を何と「農民改革をおこなった」と訳しているのを見て驚きました(59頁)。
ロシアの専門家である藤井氏 は、1861年の農奴解放を知らないのです。原文はもちろん、「農奴解 放」を意味するタームであり、どの辞書を見ても歴史用語としてきちんと載っています。彼はおそらく、このタームが「農奴解放」を意味する歴史用語であるこ とをまったく知らず、辞書を調べることもなく、訳してしまったのでしょう。たしかに機械的に訳せば、「農民改革」と訳せる原語であるのはたしかだからで す。それにしても、「農奴解放」とい うタームも知らず、『ロシア革命史』を訳すとは……。(「農奴解放」を知らない藤井一行氏 投稿者:トロスキー 投稿日:07月14日(金)14時52分14秒)
★森田氏に訊く。≪農民改革≫と訳した藤井氏を「農奴解 放」を知らぬ者とこき下ろしておきながら、なぜ同じ述語で訳すのか、訳せるのか? 説明して欲しい。これを回避することは許されない。解 答せぬことは自己の言説に対する無責任の証明、研究者失格である。また社会的には「名誉毀損」で訴訟の対 象ともなりうるので ある。
オ ブルジョ ア自由主義≪派≫ 原文≪буржуазный либерализмブルジョア自由主義≫ ≪派≫は原文に存在しない。
カ ≪役割を 演じた≫ 原文≪состоял при этой операции в качестве покорного хора.≫ 原文に存在しない。原文は≪состоял≫で原義は≪~であ る、~の任にある≫。
キ ≪やり方 ≫ 原文に存在しない。原文は≪что царизм …, чем прусская монархияツァーリズムが…プロイセンの君主制よりも…したこと≫
ク ≪姑息な ≫ 原文≪воровато狡猾に≫
ケ ≪別の階 級が解決すること≫ 原文≪Разрешение задач одного класса руками другогоある 階級の課題を他の階級の手によって解決すること≫ ≪руками≫の訳が欠落している。
22
●森田訳P397
しかしなが ら、複合発展法則が最もはっきりとした形で現われるのは、ロシア工業の歴史とその性格においてである。遅れて勃興したロシア工業は、先進諸国の発展過程を 繰り返すのではなく、その発展過程の中に入り込み、先進国の最新の成果を自国の後進性に適合させた。ロシアの経済的発展が全 体としてギルド的手工業とマニュファクチュアの段階を飛び越えたように、工業の個々の諸部門でも、西方では何 十年という単位で測られたような生産技術段階を一連の部分的飛躍によって飛び越えた。そのおかげで、ロシアの工業は、一時期、きわめて急速 なテンポで発展を遂げた。[一九〇五年の]第一革命と[一九一四年の第一次]世界大戦とのあいだに、ロシアの工業生産高はほぼ二倍に増大した。この事実は、ロシアの一部の歴 史家にとって、「ロシアの後進性と緩慢な成長という神話を放棄しなければならない」との結論を十分根拠づけるものであるように思われた。実 際には、これほどの急速な成長が可能であったのはまさに後進性のおかげなのである。しかし、残念ながら、この後進性は旧ロシ アが清算されるその瞬間まで継続しただけでなく、旧ロシアの遺産として今日に至るも残されているのである。
●藤井訳P60
しかし、結合 発展の法則は、ロシアの工業の歴史と性格にもっともはっきりあらわれている。ロシアの工業は遅く生まれながら、先進国の発展を反復することなく、その最新 の成果をみずからの後進性に適応させながら、その発展にまきこまれていった。ロシアの経済発展が全体として同業組合的手工業やマニュファクチュアの時代を 踏みこえたとすれば、個々の工業部門では、西欧で数十年単位で測定されたような技術・生産諸段階を越える数々の部分的飛躍をおこなった。そ のおかげでロシアの工業はある時期にはきわめて速いテンポで発達した。第一革命と戦争の間にロシアの工業生産はほぼ二倍に増えた。このことは、ロシアの一 部の歴史家には、「後進性と緩慢な発展という作り話は放棄するほかない」†という結論をだす充分な根拠に見えた。実際にはそのような急成長の可能性はまさに後進性 によって規定されているのである。その後進性は悲しいことに、古いロシアの廃絶の時点のみならず、今日にいたるも遺産として残っている。
† 主張はエム・エヌ(ルビ)・・*ポクローフスキー教授のもの。付論一参照。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
しかしながら、複合発展≪略≫法則が/最 もはっきりとし た形で現 われるの は、/ロ シア≪ 略≫工 業の歴史とそ の性 格にお いてである/。遅れ て勃興した/ロ シア≪ 略≫工 業は、/先進 諸国の発展過程を繰り返すのではなく、/そ の発 展過 程の中に入 り込み、/先 進国の最 新の成果を自 国の後 進性に適合させた/。ロシアの経済的発展が全体としてギルド的手工業とマニュファクチュアの段階を飛び越えたように、/工 業の/個 々の/諸部門でも、西方では何十年という単位で測られたような/生 産/技 術/段階を一連の/部 分的飛躍に よって/飛 び越 えた/。そのおかげで、ロシアの工業は、一時期、きわめて急速なテンポで発展を遂げた。[一九〇五年の]第一革命と[一九一四年の第一次]世界大戦とのあいだに、ロシアの工業生産高はほぼ二倍に増大した。この事実は、ロシアの一部の歴史家にとって、「ロシアの後進性と緩慢な成長という神話を放棄しなければならない」との結論を≪略≫十分根拠づけるものであるように思われた。実際には、これほどの急速な成長が可能であったのはまさに後進性のおかげなのである。しかし、/残 念ながら、/こ の後 進性は旧ロ シアが 清算されるその瞬間まで継続しただけで なく、/ロシアの/遺 産として/今 日に至るも/残されているのである。
*原注 このような主張をしたのはエム・エヌ・ポクロフスキー教授である。付論1を参照せよ。
【森田訳の問題点】
ア ≪入り込 み≫ 原文≪включалась巻き込まれた、引き込まれた≫。誤訳というよりは文脈からの意味のずれ。この場合はвключатьсяに 受動の意味があることを押し出した方がよい。
イ ≪適合さ せた≫ 原文≪приспособляя適合させながら≫不完了体副動詞。主動詞はвключаласьの方である。
ウ ≪ように ≫ 原文に存在しない。原文は≪Еслиш…とすれば≫
エ ≪でも≫ 原文に存在しない。
オ 一連の≪ 部分的≫飛躍 Monad Press版原文は≪частых≫ いくつもの≪頻 繁な≫飛躍。
カ ≪世界大 戦≫ 原文は単に≪войной戦争≫
キ ≪神話≫ 原文≪легенду≫ ここでは≪作り話、作り事、虚構≫
ク 後進性の ≪おかげなのである≫ 原文≪определилась定まっていた、規定されていた≫
ケ ≪残念な がら≫ 原文≪увыああ≫ 間投詞。文中にあるので訳しにくいが、原文のニュアンスを何とか伝えて欲しい。≪残 念ながらк сожалению≫という「穏かな表現」ではないのだから。
この部分は藤本訳との同一度が非常に高い。よく見て欲しい。
●藤本訳P157-158 ならびに森 田訳の同一度(青 色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
複合的発展の 法則は、しかしながら、ロシアの工業の歴史と性格のうちに表現されていることに、議論の余地はない。遅れて出発したロシアの工業は、先進諸国の発展をくりかえさず、/先 進諸国 の最新の成果を自国の遅 れた条件に順応させつ つ/先 進諸国の仲 間入りをした/。ロシアの工業の発展が、全体としてギルドやマニュファクチュアの時代を跳び越したように、工業の個々の≪略≫部門≪略≫も、西欧では数十年を数えた生産技術の諸段階を、それぞれの飛躍によって跳び越えた。このおかげで、ロシア工業は、ある時期、異常なテンポで発展したのである。第一革命と≪略≫大戦との間に、ロシアの工業生産≪略≫はほぼ二倍となった。このことは/若 干の/ロ シアの/歴 史家に、「立ち遅れと/成 長の/緩 慢性/に 関する伝説を放棄せねばならぬ」という結論を引き出させるための十分な根拠を与えたようにみえた。実際には、この急速な成長の可能性は、まさに旧ロシア打倒の瞬間まで維持されていただけでなく、その遺産として今日まで続いている立ち遅れによって定められたものであった。
23
●森田訳P398
国民の経済水準を測る基本的な指標は労働生産性であり、この労働生産性はそ れはそれで、国の経済全体に占める工業の比重に依存している。帝政ロシアの経済が最も高い水準に達した[第一次世界]大戦前夜において、一人あたりの国民所得はアメリカ合衆国の八分の一から一〇 分の一であった。ロシアの就労人口の五分の四が農業に従事していたのに対し、アメリカでは農業従事者の二・五倍の工業従事者がいたことを考 えれば、これも驚くにあたらない。さらにつけ加えれば、大戦前夜、ロシアでは一〇〇キロ平方メートルあ たり〇・四キロメートルの鉄道が敷設されていたのに対し、ドイツでは一一・七キロメートル、オーストリア・ハンガリーでは七・〇キロメート ルであった。その他の比較係数も同じようなものであった。
●藤井訳60-61
民族の経済水準の主たる尺度は労働の生産性であり、労働の生産性は逆に国の経済全体で の工業の比重で決まる。戦争前夜、帝政ロシアが繁栄の最高点に達したとき、ひとりあたりの国民所得は合衆国の八分の一から一〇分の一であった。合衆国で農 業従事者一人につき工業従事者が二・五人であったのにたいして、ロシアでは就業人口の五分の四が農業に従事していたことを考慮すれば、それは驚くことでは ない。ロシアでは鉄道が戦争前夜に一〇〇平方キロメートルあたり〇・四キロメートルなのに、ドイツでは一一・七、オーストリア=ハンガリーでは七・〇で あったことをさらにつけくわえよう。ほかの比較係数も同じようなものである。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
国民の経済水準を測る基本的な指標は労働≪略≫生産性であり、この労働≪略≫生産性≪略≫はそれはそれで、国の経済全体に占める工業の比重に依存している。/政 ロシアの 経済が≪ 欠落≫最も高い 水準に達した[第 一次世界]/大 戦前 夜に おいて、/一人あたりの国民所得はアメリカ合衆国の八分の一から一〇分の一であった。/ロ シアの就労人 口の五分の四が農業に従事していた/の に対し、/ア メリカでは農 業従事者の二・ 五倍の工 業従事者が いた/ことを考えれば、これも驚くにあたらない。/さ らにつけ加えれ ば、/大 戦前 夜、ロ シアでは/一 〇〇/キ ロ/平 方/メー トルあたり〇・四キロメートルの/鉄 道が/敷 設されていたのに対し、ド イツでは一一・七キ ロメートル、オー ストリア・ハ ンガリーでは七・〇キ ロメートルであった/。その他の比較係数も同じようなものであった。
【森田訳の問題点】
ア ≪を測る≫ 原文に存在しない。
イ それはそれで 原文≪в свою очередь≫ この 語は前にも登場している。ここでも森田訳は分かったような分からないような曖昧な訳。
ここで言われているのは、経済水準の基本指標である労働生産性が経済全体に占める工業の 比重にかかっている、という相互制約的な関係のことである。研究社露和辞典でも「(相手の行為に答えて)今度はこちらから」と説明され ている。例えば藤井訳のように、はっきりと訳したい。
ウ ≪経済が最も高い水準に達した≫
原文≪достигла высшей точки своего благосостояния(帝政ロシアが)その繁栄の最高点に達した≫
≪経済が≫ではなく≪繁栄が≫、≪高い水準に≫ではなく≪最高点に≫である。
エ ≪大戦≫ 原文≪войны戦争≫
オ ≪アメリカ≫合衆国 原文≪Соединенных Штатах≫ で≪アメリカ≫の語は存在しない。
カ ≪アメリカでは≫ 原文≪в Соединенных Штатах合衆国で≫ これはあんまりだ。
キ ≪これも≫ 原文≪чтоこれは、~であることは≫ ≪も≫とすることは、これ以外にも驚くに当たらないことがあることになる。
ク ≪つけ加えれば≫ 原文≪Прибавимつけ加えよう≫ 動詞二人称複数形で≪~しよう≫という表現。
ケ ≪一〇〇キロ平方メートル≫ 原文≪на 100 квадратных километров100平 方キロメートル当り≫ 算数の初歩からいってもこれはとんでも ない違いだ。こんな単位は存在しない。数学が得意であったトロツキーがこんな間違いを犯すはずはない。
100平方キロメートル=10km×10km。
100キロ平方メートル≒100km平 方? 訳語に素直に従うなら100キロ平方だから100km×100kmに なる。これは100平方キロメートルの100倍の面積だ。
コ ≪敷設されていた≫ 原文に存在しない。
サ で≪あった≫ 原文はゼロ語尾で現在形。
24
●森田訳P398-399
しかし、すでに述べたように、他ならぬこの経済の分野においてこそ、複合発展の法則は最 も強力な形で現われる。農業の大部分が[一九一七年の]革命にいたるまでほとんど一七世紀の水準にとどまっていたのに対し、ロシアの工業は、その技 術と資本主義的構造に関しては、先進諸国の水準に達しており、いくつかの点では追い越してさえいた。労働者数が一〇〇人未満の小企業は一九 一四年にはアメリカで全工業労働者の三五%を占めていたのに対し、ロシアではわずか一七・八%であった。労働者数が一〇〇人 から一〇〇〇人の中大企業の比重は両国でほほ同一であったが、一〇〇〇人以上の労働者を雇用する大企業は、アメリカで全労働者数の一七・八%を占めていたのに対し、ロシア では四一・四%であった! 最も重要な工業地帯で見ると、この最後の数字は もっと高くなる。ペトログラードの工業地帯では四四・四%、モスクワの工業地帯では五七・三%にまで達する。ロシアの工業をイギリスやドイツの工業と比較しても同様の結果が得られる だろう。この事実をわれわれが最初に確認したのは一九○八年のことだが、それは、ロシアの経済的後進性に関する通俗的観念には容易には収まらないも のであった。ところが、それは後進性を否定するものではなく、ただ後進性を弁証法的に補完するものなのである。
●藤井訳P61
しかし、すで にのべたように経済の分野でこそ、結合発展の法則はもっとも強くあらわれる。農業の大部分が革命そのものにいたるまでほとんど一七世紀の水準にとどまって いたのにたいして、ロシアの工業はその技術と資本構成の面で先進諸国と同じ水準にあり、ある点では先進諸国をしのいでさえいた。労働者数一〇〇人未満の小 企業は一九一四年の合衆国では工業労働者総数の三五%にのぼったが、ロシアでは一七・八%にすぎなかった。労働者一〇〇人ー一〇〇〇人の中企業と大企業で は比重はほぼ同じだが、労働者一〇〇〇人を超える巨大企業は合衆国で労働者総数の一七・八%だったのに、ロシアでは四一・四%に達していた! 重要工業地 域では後者の比率はさらに高く、ペトログラード地域では四四・四%、モスクワ地域では五七・三%にさえおよんだ。ロシアの工業をイギリスやドイツの工業と 比較しても同じような結果が得られよう。この事実は一九〇八年にわれわれが初めてつきとめたものであるが、それはロシアの経済的後進性という周知の考え方 にはおさまりにくい。しかし、それは後進性を否定するものではなく、それを弁証法的に補完するにすぎない。
★森田訳の藤井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
しかし、すでに述べたように、他ならぬこの経済の分野においてこそ、複合発展の法則は最も強力な形で現われる。農業の大部分が[一九一七年の]革命≪欠落≫にいたるまでほとんど一七世紀の水準にとどまっていたのに対し≪略≫、ロシアの工業は、その技術と資本主義的構造に関しては、先進諸国の≪欠落≫水準に達しており、いくつかの点では追い越してさえいた。労働者数が一〇〇人未満の小企業は一九一四年にはアメリカで/全/工 業労働者/の三五%を占めていたのに対し、ロシアでは/わ ずか/一 七・八%で/あった。労働者数が一〇〇人から一〇〇〇人の中≪略≫大企業の比重は両国でほぼ同一であったが、/一 〇〇〇人以 上の/労 働者/を 雇用する大企業は、アメリカで/全/労 働者/数/の一 七・八%を占めていたのに対し、ロシアでは四一・四%であった! 最も重要な工業地帯で見ると、この最後の数字はもっと高くなる。ペトログラードの工業地帯では四四・四%、モスクワの工業地帯では五七・三%にまで達する。ロシアの工業をイギリスやドイツの工業と比較しても同様の結果が得られるだろう。この事実を/わ れわれが最 初に確 認したのは/一 九〇八年の こと/だ が/、それは、ロシアの経済的後進性に関する通俗的観念には容易には収まらないものであった。ところが、それは後進性を否定するものではなく、/た だ/後 進性を 弁証法的に補完する/ものなのである。
【森田訳の問題点】
ア ≪革命≫ 原文≪самой революции≫ самойの訳が欠 落している。
イ ≪資本主義的構造≫ 原文≪капиталистической структуре≫ ここは資本主義的な構造性を言っているのではなく、いわゆる≪資本構成≫のことであ る。
ウ ≪アメリカ≫ 原文≪Соединенных Штатах合 衆国≫ 合衆国=アメリカではない。
エ ≪見ると≫ 原文に存在しない。
オ ≪数字≫ ≪процентパーセント、百分率≫
カ ≪通俗的観念には容易には収まらない≫ 原文は≪трудно укладывается в…≫で≪収まりにくい≫。また森 田訳で≪通俗的≫の原文は≪банальное≫。ここはトロツキーがзакон комбинированного развитияの内容を、統計的数字を挙げて述べている箇所。ウシャコーフ辞典を見ると語義としてизбитый≪周 知の≫がある。この訳語がぴたりとはまる。
●藤本訳P158 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
ところで、すでに述べたように、/複 合的発展の法則が最も強力に現 われるのは、/経 済の分野で ある。農民の土地耕作の大部分がまさに革命にいたるまで、おそらく17世 紀の水準にとどまっていたのに対して、ロシアの工業は、その技術と資本構成において先進諸国の水準にあり、ある点ではこれらの諸国を追い抜きさえしていた。労働者≪略≫100名以下の小規模企業は、1914年、米国で全工業労働者の35パーセントを占めていたが、ロシアでは≪欠落≫17.8パーセントであった。一方、労働者≪略≫100~1000名の中規模・大規模企業の割合がほぼ同一であったのに比べて、1000名以上を擁する巨大企業は、米国の全労働者≪略≫の17.8パーセント≪欠落≫に対し、ロシアでは、41.4パーセントを占めていたのである! 最も重要な工業地域の後者の割合はさらに高く、ペトログラート≪略・欠落≫地域≪略≫44.4パーセント、モスクワ≪略・欠落≫地域は実に57.3パーセントであった。同 様の結果は、/ロ シア≪ 略≫工 業をイギリスあ るいはド イツの工業と比較してみ ても/え られる≪ 略≫。1908年、/わ れわれに よってはじめて明らかにされた/こ の事実は、/ロ シアの経済的立ち遅れという月並みな観念とは一致しがたいものである。しかしながら、この事実は立ち遅れを否定するものではなく、弁証法的にそれを補強するもの≪略≫であるにすぎない。
25
●森田訳P399-400
工業資本と 銀行資本との融合も、ロシアでは、おそらく他のどの国にも見られないほど完全な形で起こった。しかし、銀行への工業の従属は、まさにそのことによって、西 ヨーロッパの金融市場へのロシア工業の従属を意味した。重工業(金属、石炭、石油) は、ほとんど完全に外国の金融資本の支配下にあった。外国の金融資本は、ロシ アに、補助的・仲介的な銀行システムを自分のために構築した。軽工業も同じ道をたどった。外国人は全体としてロシアの株式資本の約四〇%を保有していたが、工業の基幹 部門ではこの比率はいっそう高かった。ロシアの銀行と工場の支配株式が外国人の手中にあったと言ってけっして過言では ない。しかも、イギリス、フランス、ベルギー資本の株式所有率は、ドイツ資本の株式所有率のほとんど二倍高かった。
●藤井訳P62
工業資本と銀行資本との融合もロシアではおそらくほかのどんな国にもなかったほど完璧 におこなわれた。しかし、工業の銀行従属はまさにそのことで西欧の貨幣市場への従属を意味した。重工業(金属、石炭、石油)はほとんど完全に外国の金融資 本の支配下におかれ、後者はロシアで自分のために補助的で仲介的な銀行網をつくりだした。軽工業も同じ道をたどった。外国人が全体でロシアのすべての株式 資本のおよそ四〇%を所有していたとすれば、基幹工業部門ではその比率はもっとずっと高かった。ロシアの銀行と、重・軽工業の工場の支配的な持株は外国に あり、しかもイギリスとフランスとベルギーの資本の比率はドイツのそれよりも二倍近く高かった。少しの誇張もなくそう言いうる。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
工業資本と銀行資本との融合も、ロシアでは、おそらく他のどの 国にも見られないほど完全な形で起こった。しかし、/銀 行へ の/工 業の/従属は、まさにそのことによって、西ヨーロッパの金融市場へのロシア工業の従属を意味した。重工業(金属、石炭、石油) は、ほとんど完全に外国の金融資本の支配下にあった。外国の金融資本は、ロシアに、/補 助的≪ 略≫・仲 介的な銀行シ ステムを/自 分のために/構築した。軽工業も同じ道をたどった。外国人は全体としてロシアの≪欠落≫株式資本の約四〇%を保有していたが、/工 業の/基 幹/部門ではこの比率はいっそう高かった。ロシアの銀行と≪欠落≫工場の支配≪略≫株式が外国人の手中にあった/と 言ってけっして過言ではない。/し かも、イギリス≪ 略≫、フ ランス≪ 略≫、ベ ルギー≪ 略≫資 本の株 式所有率 は、ド イツ資 本の 株式所有率の/ほ とんど/二 倍/高 かった/。
【森田訳の問題点】
ア ≪工場≫ 原文≪заводов и фабрик重工業工場と軽工業工場≫
イ ≪外国人 の手中にあった≫ 原文≪находился за границей外 国にあった≫
ウ ≪過言で はない≫ 原文≪Можно сказать без всякого преувеличения何の誇張も なく…と言うことができる≫ Можно сказатьの訳が欠落している。また、原文ではМожно сказатьは森田訳の ≪しかも…≫以下すべてにかかっているが、森田訳ではそうなっていない。原文の意味を考慮することなく寸断した結末である。
ここの原文 を挙げておこう。
Можно сказать без всякого преувеличения, что контрольный пакет акций русских банков, заводов и фабрик находился за границей, причем доля капиталов Англии, Франции и Бельгии была почти вдвое выше доли Германии.
下の塗り分けをご覧いただければ分かるが、この部分の森田訳はほとんど藤井訳の機械的 コピーである。そして語順を入れ替え原文のつながりを寸断した箇所イで不適切訳が生じた。
この事実は問題の所在箇所とその性格を如実に示すものである。
●藤本訳P158-159 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
産業資本と銀行資本≪略≫の融合もまた、ロシアでは≪略≫他の諸国ではみられないほど完全に行われた。だが、/工 業の/銀 行への/従属は、まさに/工業の/西ヨーロッパ≪略≫金融市場への/従 属を意味した。重工業(金属・石炭・石油)は、/ロ シアにお いて、/自 己にかわる/補 助的か つ仲 介的銀行制 度を/設 立していた/外国≪略≫金融資本に、/ほぼ完全に/支配されていた。軽工業も同一の過程をたどった。/ロ シアの全株 式資本のお よそ40パー セントを、/外 国人が/全 体として/所有していたが、/主要/工 業≪略≫/部門において、その割合はさらに高いものであった。ロシアの銀行、工場を支配しうるだけの株式が外国人の手中に集まっていたといっても誇張ではなく、その上、イギリス、フランス、ベルギー/所 有≪ 略≫/株 式/資 本は/ド イツの/ほぼ2倍にあたったのである。
26
●森田訳P400-401
こうしたロシ ア工業の成立条件とその構造とが、ロシア・ブルジョアジーの社会的性格とその政治的特質をも規定した。工業が高度に集中した性格を有していたことは、 それ自体すでに、資本主義的上層と人民大衆とのあいだに中間的諸階層のヒエラルキーが存在していないことを意味した。さらに、工業、銀行、 運輸における最重要企業の所有者が外国人であったという事情が加わる。これらの外国人は、ロシアから利益を引き出すことに成功しただけでなく、 外国の議会での政治的影響力をも獲得した。彼らは、ロシアにおける議会制度のための闘争を推進しなかっただけでなく、しばしばそれに敵対した。フランス支 配層の恥ずべき役割を想起すれば十分であろう。以上が、ロシア・ブルジョアジーが政治的に孤立し反人民的性格を有していたことの基本的で不可避的な原因で あった。ロシア・ブルジョアジーはその歴史の黎明期において、宗教改革を行うにはあまりにも未成熟であったとすれば、革命の指導を行なうべき時 期がやって来たときには、あまりにも成熟しすぎていたのである。
●藤井訳P62-63
ロシアのブ ルジョアジーの社会的性格とその政治的相貌はロシアの工業の発生の諸条件とその構造によって規定された。工業の高度の集中化それ自体がすでに、上層の資本 家と人民大衆との間に中間的な階層の段階がなかったことを意味していた。それに、最重要の工業、銀行、運輸の各企業の所有者が外国人であったという事情が 加わった。かれらはロシアからひきだされる利潤を国外で現金化しようとしたばかりでなく、外国の議会にたいする自分たちの政治的影響をも実現しようとし た。そしてロシアの議会制度をめざすたたかいを前進させなかったばかりか、それをしばしば妨害した。公式フランスの恥ずべき役割を想起するだけで足りる。 ロシアのブルジョアジーの政治的孤立と反国民的な性格の基本的でぬぐいがたい原因はこれである。ロシアのブルジョアジーが自分たちの歴史の黎明期に宗教改 革を遂行するにはあまりに未熟であったとすれば、革命を指導する時が来たときにはもう熟しすぎていた。
★森田訳の藤井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
こ うしたロ シア≪ 略≫工 業の成 立≪ 略≫条 件とその構造とが、/ロ シア≪ 略≫・ブ ルジョアジーの社会的性格とその政治的特 質/を も規定した/。工業が高度に集中した性格を有していたことは、それ自体≪略≫すでに、/資 本主 義的/上 層/と人民大衆とのあいだに/中 間的/諸≪ 略≫/階層の/ヒエラルキーが存在していないことを意味し≪略≫た。さらに、/工 業、銀行、運輸に おける/最 重要/企業の所有者が外国人であったという事情が加わる。これらの外国人は、ロシアから/利 益を/引 き出/す ことに成功しただけでなく、外国の議 会での≪欠落≫政治的影響力をも獲得≪欠落≫した。彼らは、ロシアにおける議会制度のための闘争を推進しなかっただけでなく、/し ばしば/そ れに/敵対した。/フ ランス/支 配層/の恥ずべき役割を想起すれば十分であろう。/以 上が、/ロ シア≪ 略≫・ブ ルジョアジーが政 治的に孤 立し反人 民的≪ 略≫性 格を 有していたことの基 本的で不 可避的な原 因であっ た。ロシア≪略≫・ブルジョアジーはその歴史の黎明期において、宗教改革を行うにはあまりにも未成熟であったとすれば、革命の指導を行なうべき時期がやって来たときには、あまりにも成熟しすぎていたのである。
【森田訳の問題点】
ア ≪性格を 有していたことは≫ 原文に存在しない。
イ ≪資本主 義的上層≫ 原文≪капиталистическими верхами資本主義的支配層、資本主義の指導層≫ いずれ にせよ≪上層≫では分かりにくい。
ウ ≪ロシアから利益を引き出すことに成功しただけでなく≫
原文≪реализовали не только извлеченную из России прибыль...ロシアから引き出された利潤を現金化しようとしただけでなく≫ ≪成功した≫の語は原文 に存在しない。
森田氏が底本にしたとするMonadPress版テクストに忠実 に訳すならこうならなければならない。この部分の森田訳はMonad Press版に則しているとは言い難い。
この箇所にはテクストそれ自体の問題性が加わる。これ に関しては藤井一行氏の指摘を参照していただきたい。グラニート版を底本としている藤本訳にも当てはまる。
≪извлеченную≫は被動形動詞過去。森田訳のような名詞でもなければ動詞不定形でもない。
≪реализовали≫は≪現金化しようとした≫。文脈からして不完了体。
エ 行う≪べ き≫ ≪べき≫は原文に存在しない。
●藤本訳P159 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
ロシア工業の起源によって定められた条件とその構造は、ロシア・ブルジョワジーの社会的性格とその政治的外貌を決定した。工業の極度の集積それ自体が、すでに資本家的上層と人民大衆との間に中間的≪略≫階層≪欠落≫が欠如していることを示すものであった。さらに/こ れに加 えて、 主要な工 業、銀行、運輸≪ 欠落≫業 の所有者は/外 国人であ り/、これらの外国人はロシアから利潤を引き出≪欠落≫しただけでなく、外国の議会における政治的影響力をも獲得したこと、さらにロシアの議会制度のための闘争を前進させなかったばかりか、しばしばこれに反対したということをつけ加えることができる。このことは、フランス≪欠落≫人が公式に果たした破廉恥な役割を思い起こすだけで充分であろう。これがロシア・ブルジョワジーの政治的孤立と反人民的性格との基本的かつ抜きがたい原因なのである。ロシア・ブルジョワジーは、その歴史の黎明期には、宗教改革を行うほど/成 熟/し て/い なかった/が、革命を指導すべき時期が≪略≫きた時には、すでに≪略≫熟しすぎていたことが明らかになったのである。
27
●森田訳P401
ロシアのこうした全般的な発展経路に一致して、ロシアの労働 者階級を形成するための貯水池となったのは、ギルド的手工業ではなく、農業であり、都市ではなく農村であった。しかもロシア・プロレタリ アートは、イギリスの場合のように過去の重荷を引きずりながら何世紀もかけて徐々に形成されていったのではなく、一連の飛躍を通じて、諸状 況、諸紐帯、諸関係の大きな転換、過去との急激な断絶を通じて形成された。まさにこうした事情が、ツァーリズムの集中された抑圧とあいまっ て、ロシア労働者をして、革命思想の最も大胆な結論を受け入れるのを容易にしたのである。それはちょうど、後発的なロシア工業が資本主義組織の最新の成果 を受け入れやすかったのと同じである。
●藤井訳P63
国の全体的 な発展経過に相応して、ロシアの労働者階級の供給源は、同業組合的手工業ではなく農業であり、都市ではなく農村であった。しかもロシアのプロレタリアート は、イギリスのように、漸進的に、何世紀にもわたって過去の重荷をひきずって形成されたのではなく、さまざまな飛躍でもって、情勢やもろもろの関連や関係 の大きな転換やきのうの日との急激な断絶という道を経て形成された。まさにそのことがーーツァリーズムの集中的な抑圧とあいまってーーロシアの労働者に革 命思想のもっとも大胆な結論を受けいれやすくしたのである。ロシアの後れた工業が資本主義組織の最新のことばを受けいれやすかったのと同様に
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え/部を示す。≪略≫=意味に大き な影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
ロシアのこう した全般的な発展経路に一致して、ロシアの労働者階級を形成するための貯水池となったのは、ギルド的手工業ではなく、農業であり、都市ではなく農村であった。しかもロシア≪略≫・プロレタリアートは、イギリスの場合のように/過 去の重荷を引きずり ながら/何 世紀も かけて/徐 々に/形成されていったのではなく、一連の飛躍を通じて、諸状況、諸紐帯、諸関係の大きな転換、過去との急激な断絶を通じて形成された。まさにこうした事情が、ツァーリズムの集中された抑圧とあいまって、ロシア≪略≫労働者をして、革命思想の最も大胆な結論を受け入れるのを容易にしたのである。それはちょうど、/後 発的な/ロ シア≪ 略≫/工業が資本主義組織の最新の成果を受け入れやすかったのと同じである。
【森田訳の問題点】
ア ≪ための ≫ 原文に存在しない。
イ ≪一連の ≫ 原文に存在しない。
ウ ≪こうし た事情≫ 原文≪этоこれ≫
藤井訳との一致はすこぶるつき。ほとんどそのまま丸 写し。そのせいか問題点の数は激減した。
●藤本訳P159 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
ロシアの/発 展の/全 般的/過 程と一致して、ロシア≪略≫労働者階級≪略≫形成の補給源は、工場制手工業ではなく農業であり、都市ではなく農村であった。その際、ロシア・プロレタリアートは、イギリスの≪略≫ように、過去の重荷を引きずりつつ、幾世紀にもわたって徐々に形成されたのではなく、/環 境、紐 帯、諸 関係の急 変や過 去の 日々と断 絶す ることによる/飛 躍によって/形 成されたのであった。まさにこの事実が-ツァーリズムの集中的抑圧と結びつき-/立 ち遅れたロ シア工業が資本主義組織の最 後の結論の受け手となったのと同 じよ うに、/ロ シア労働者を革命思想の最も大胆な結論の 受け手とし たのである/。
28
●森田訳P401-402
ロシア・プロ レタリアートはその生成の短い歴史を各地で絶えず新たに繰り返した。金属加工業、とりわけペテルブルクの金属加工業では、農村から完全に分 離した生粋のプロレタリア層が結晶化しつつあったのに対して、ウラルでは、半ばプロレタリア的で半ば農民的なタイプが支配的であった。ど の工業地帯でも毎年新たな労働力が農村から流れ込み、こうしてブロレタリアートとその基本的な社会的貯水池[農村]との紐帯が新たにされた。
●藤井訳P63
ロシアのプロレタリアートはその短い誕生の歴史をつねに新た に再現していった。金属加工工業では-ペテルブルグではとくにそうであったが-、農村と完全に縁を切った生粋のプロレタリア層の結晶ができていったのにた いして、ウラールではまだ半プロレタリア=半農民のタイプが優勢であった。毎年、農村からあらゆる工業地域へ新鮮な労働力が流れこみ、プロレタリアートと その主たる社会的源泉との結びつきを一新していった。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
ロシア≪略≫・プロレタリアートはその/生 成の/短 い/歴史を各地で絶えず新たに繰り返した。金属加工≪略≫業、/と りわけ/ペ テルブルクの/金属加工業では、農村から完全に分離した生粋のプロレタリア層が結晶化しつつあったのに対して、ウラルでは、≪欠落≫半ばプロレタリア的で半ば農民的なタイプが支配的であった。どの工業地帯でも/毎 年/新 たな労 働力が/農 村から/流れ込み、こうしてプロレタリアートとその基本的な社会的貯水池[農村]との紐帯が新たにされた。
【森田訳の問題点】
ア ≪各地で ≫ 原文に存在しない。
イ ≪半ばプ ロレタリア的で半ば農民的な≫ 原文≪полупролетария-полукрестьянина半プロレタリア・半農民の、半プロレタリア半農民の≫
まず原文は 森田訳のような形容詞ではない。複合名詞の生格。日本語にいう≪半農半漁≫のようなものだ。さらに≪で≫となると接続詞が存在しなければならないことにな る。
2000年に藤井氏を「-」の使 い方を理解せぬ者として罵声を浴びせたトロスキー=森田成也氏本人の言うところを聞こう。
「2つの単語で一体の意味を現わさなければならない場合に、「-」を使うのです。この重 要な使い方を藤井氏は理解していない。」
トロスキー氏による藤井「批判」は森田氏にも見事に当てはまることに気づかなくてはなら ない。
この部分全体もほとんど藤井訳のコピー。黒色=森田氏のオ リジナル部分が誤訳になっているのは何とも皮肉なことだ。
29
●森田訳P402
ロシア・ブル ジョアジーの政治的無能力を直接規定したのは、プロレタリアートと農民に対するブルジョアジーの関係であり、その性格であった。プロレタリ アートは日常生活においてすでにブルジョアジーに敵意を抱き、自己の課題をきわめて早々と一般化して理解していたため、ブルジョアジーはプ ロレタリアートを自己に従えることができなかった。しかし、ブルジョアジーは同じく農民をも自己に従えることができなかった。 なぜなら、ブルジョアジーは、共通した利益の網によって地主と結びついており、どんな形であれ所有関係の激変を恐れていたからである。したがって、ロシア 革命の後発性は、年代の問題であっただけではなく、国民の社会的構造の間題でもあったのだ。
●藤井訳P64
ブルジョアジーの政治的無能は、プロレタリアートと農民にたいするブルジョアジーの姿勢 によって直接、規定された。ブルジョアジーは労働者を率いることができなかった。労働者が日常の生活でブルジョアジーに敵対しており、自分たちの課題を普 遍化することをごく早くに学びとっていたからである。しかし、ブルジョアジーは農民を率いることでも同じように無能であった。なぜなら地主と共通の利害の 網で結ばれていて、いかなる形でのものであれ所有権の侵害をおそれていたからである。このように、ロシア革命の立ち後れは、年代の問題であっただけでな く、国民の社会構造の問題でもあった。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
ロシア・ブルジョアジーの政治的無能力を/直 接規 定したの/は、プ ロレタリアートと農民に 対する/ブ ルジョアジーの/関 係/であり、その性格であった。/プ ロレタリアートは日 常≪ 略≫生 活に おいてす でにブ ルジョアジーに敵 意を抱き、自 己の 課題を/き わめて早々と/一 般化して/理 解していたため、/ブ ルジョアジーはプ ロレタリアートを自 己に従 えるこ とができなかった。/しか し、ブルジョアジーは/同 じく/農 民を/も 自己に/従えることができなかった。なぜなら、ブルジョアジーは、/共 通し た利益の網に よって/地 主と/結びついており、どんな形≪略≫であれ所有関係の激変を恐れていたからである。したがって、ロシア革命の後発性は、年代の問題であっただけではなく、国民の社会的構造の間題でもあったのだ。
【森田訳の問題点】
ア ≪…関係 であり、その性格であった≫
原文≪Политическая недееспособность буржуазии непосредственно определялась характером ее отношений к пролетариату и крестьянству.ブルジョアジーの政治的無能はプロレタリアートと農民に対するその態度によって直接、規 定された≫
森田氏は格 の用法を見誤っている。造格のхарактером に 中性名詞複数生格отношенийが後ろからかかって いるのだ。≪характером≫はブルジョア ジーの態度、姿勢の特徴・性質のことである。森田訳のように規定要因が2つあるのではない。
イ ≪敵意を 抱き≫ 原文≪противостояли逆らっていた、抵抗していた≫ 心理的なだけのことを言っているのではない。
ウ ≪従える ≫ 原文≪вести за собой率いる≫
エ ≪従える ことができなかった≫ 森田訳ではこの訳文が2度登場する。しかし原文では最初は≪не могла вести за собой率いることができなかった≫、2度目、つまりここは≪оказалась … неспособной вести за собой率いる ことに…無能だった≫である。原文が異なるのに同じ訳語でよいのか?
30
●森田訳P402-403
イギリスが≪欠落1≫ピューリタン革命を成し遂げたとき、その全人口は五五〇万人そこそこであり、そのうち 五〇万人がロンドンに住んでいた。フランスはその大 革命期において、二五〇〇万人の全人口のうちやはり同じ五〇万人だけがパリに住んでいた。二〇世紀初頭のロシアは、約一億五〇〇〇万人もの人口を抱 えていたが、そのうち三〇〇万を越える住民がペトログラードとモスクワに住んでいた。これらの比較数値の背後には、巨大な社会的相違が潜んでい る。一七世紀のイギリスのみならず、一八世紀のフランスでさえ、まだ近代プロレタリアートを知らなかった。ところが、ロシアでは、都市と農村におけ るあらゆる労働分野の労働者階級は、一九〇五年にはすでに一〇〇〇万人を下らない数に達しており、家族を入れると二五〇〇万人を越 えていた。すなわち、大革命期におけるフランスの全人口よりも多かったのである。クロムウェルの軍隊を構成していた屈強な手 工業者と独立農民から始まって、パリのサンキュロットを経て、ペテルブルクの工業プロレタリアートに至るまで、革命はその社会的力学とその 方法とを、したがってまた≪欠落2≫その目的を≪欠落3≫大きく変貌させたのである。
●藤井訳P64-65
イギリスがピューリタン革命を遂行したのは、全人口が五五〇万をうわまわらず、そのうち の五〇万がロンドンに住んでいたときである。フランスは革命時に、全人口二五〇〇万のうちパリにはやはり五〇万人が住んでいた。二〇世紀はじめのロシアは およそ一億五〇〇〇万の人口を数えたが、そのうち三〇〇万人以上がペトログラードとモスクワに住んでいた。この比較の数字の裏には、きわめて大きな社会的 な違いがひそんでいる。一七世紀のイギリスのみならず、一八世紀のフランスもいまだ近代的プロレタリアートというものを知らなかった。ロシアでは一九〇五 年までにあらゆる労働分野で、都市でも農村でも労働者階級はすでに一〇〇〇万人をくだらず、家族をあわせると二五〇〇万人をこえていた。つまり、大革命時 代のフランスの人口より多かったのである。クロムウェルの軍隊の不屈な手工業者や独立農民から-パリのサンキュロット[裕福な層がはいていたキュロット (半ズボン)をはいていない人々のことで貧民層を言う]を経て-ペテルブルグの工業プロレタリアにいたるまで、革命はその社会的メカニズム、方法を、また まさにそのことで目的をも大きく変えた。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
イギリスがピューリタン革命を成し遂げた/と き、/そ の全 人口は五 五〇万人そ こそこであ り、そ のうち≪ 略≫五 〇万人がロンドンに住んでいた/。フランスはその大革命期において、/二 五〇〇万人 の/全 人口/の うち/や はり同 じ五 〇万人だ けが/パ リに/住んでいた。二〇世紀初頭のロシアは、約一億五〇〇〇万人もの人口を抱えていたが、そのうち三〇〇万を越える住民がペトログラードとモスクワに住んでいた。これらの比較≪略≫数値の背後には、巨大な社会的相違が潜んでいる。一七世紀のイギリスのみならず、一八世紀のフランスでさえ、まだ近代プロレタリアート≪欠落≫を知らなかった。ところが、ロシアでは、/都 市と農 村に おけるあ らゆる労働分野の/労 働者階級は、/一 九〇五年にはす でに/一〇〇〇万人を下らない数に達しており、家族を入れると二五〇〇万人を越えていた。すなわち、大革命期におけるフランスの全人口よりも多かったのである。クロムウェルの軍隊を構成していた屈強な手工業者と独立農民から始まって、パリのサンキュロットを経て、ペテルブルクの工業プロレタリアートに至るまで、革命はその社会的力学とその方法とを、したがってまたその目的を大きく変貌させたのである。
【森田訳の問題点】
ア ≪欠落1≫ ≪свою自分の、自 身の≫が欠落している。
イ ≪イギリ スが≪欠1≫ピューリタン革命を成し遂げたとき、その全人口は五五〇万人そこそこであり、そのうち 五〇万人がロンドンに住んでいた≫
原文 ≪Англия совершала свою пуританскую революцию, когда все население ее не превышало 51/2 миллионов, из которых полмиллиона приходилось на Лондон.≫
原文で赤く塗った部分に注目していただきたい。これで分かるように原文≪A, B≫「AはBである」という構 造になっている。когдаは後ろの成分にあるから≪イギリスが…したのは、~したときである≫と訳さねばならな い。
ウ ≪大革命 期≫ 原文≪в эпоху своей революции≫ ≪大≫は原文に存在しない。
エ ≪抱えて いた≫ 原文≪насчитывала数えていた≫
オ ≪都市と農村におけるあらゆる労働分野≫ 原文≪во всех областях труда, в городе и в деревне,あらゆる労働分野で、都市でも農村でも≫ 原文の構造を理解できていない。2つの前置詞句が並 んでいる。誤訳の原因は≪ ,≫の見落とし、ないしは無視。
カ ≪数に達 しており≫ 原文に存在しない。森田氏の創作。
キ ≪全人口 ≫ 原文≪население≫ ≪全≫にあたる語は原文に存在しない。
ク ≪を構成 していた≫ 原文に存在していない。
ケ ≪プロレタリアート≫ 原文≪пролетариевプロレタリアたち≫
コ ≪欠落2≫ ≪а тем самым ≫が 欠落。≪まさにそのことによって≫
サ ≪欠落3≫ ≪и≫が欠落。≪その 目的をも≫ 強調。
31
●森田訳P403
一九〇五年 の事件は、一九一七年の二つの革命、すなわち二月革命と十月革命の序幕であった。序幕には、劇のすべての要素が含まれており、ただそ れが終幕にまで至らなかっただけのことである。日露戦争はツァーリズムを揺るがした。大衆の運動をバックにして、自由主義ブルジョ アジーはその反対行動でもって君主制を威嚇した。労働者は、ブルジョアジーとは独立に、むしろそれに対立する形で≪欠≫組織された。そ のとき初めて生まれたソヴィエトがそれである。農民は、広大な国土のすみずみで土地を求めて反乱に立ち上がった。農民も、軍隊の中の革命的部分 も、ソヴィエトに引きつけられた。ソヴィエトは、革命の最も高揚した瞬間に、君主制から公然と権力を奪おうと争った。
●藤井訳P65
一九〇五年の事件は一九一七年の両方の革命、二月革命と十月革命のプロローグであった。 プロローグにはドラマのすべての要素が秘められていたものの、結末にまではいたらなかった。露日戦争はツァリーズムをぐらつかせた。自由主義ブルジョア ジーは大衆の運動を背景にした反抗で君主制を威嚇した。労働者はブルジョアジーから自立して、ブルジョアジーに対抗して、ソヴェトという形で組織された。 ソヴェトはその時はじめて生を受けた。農民は広大な国土の全体で土地を獲得するために蜂起した。ソヴェトは革命がもっとも高揚した時点で公然と君主制から 権力を奪いとろうとした。農民も軍隊の革命的部分もそのソヴェトに味方した。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
一九〇五年の事件は、一九一七年の二つの革命、すなわち二月革命と十月革命の序幕であった。序幕には、劇のすべての要素が含まれており、ただそれが終幕にまで≪略≫至らなかっただけのことである。/日/露/戦争 はツァーリズムを揺るがした。/大 衆の運動をバッ クに して、/自 由主義ブルジョアジーは/その反対行動でもって君主制を威嚇した。労働者は、ブルジョアジーとは独立に、むしろそれに対立する形で組織された。そ のとき初めて/生 まれた/ソ ヴィエト/がそれである。農民は、広大な国土のすみずみで土地を求めて反乱に立ち上がった。/農 民も、軍隊の中 の革 命的部分も、≪ 略≫ソ ヴィエトに引 きつけられた。/ソ ヴィエトは、革命の最 も高揚した瞬 間に、/君 主制から/公 然と/権 力を奪お うと 争った/。
【森田訳の問 題点】
ア ≪二つの ≫ 原文≪обеих両、両方の≫ 似ているようだがやはり意味が異なる。まとまりとして捉えるからだ。
イ ≪ただそ れが終幕にまで至らなかっただけ≫ 原文≪но только не доведены до концаただし結末にまで至らなかっ た≫
このтолькоは助詞 ≪だけ≫ではなく接続詞≪ただし≫。森田氏愛用の研究社露和辞典2345ページに「〔時に、а,но,даを伴い〕でも、ただし(но)」と説明されている。まさしくこの場合だ。
ウ ≪日露戦 争≫ 原文≪Русско-японская война露日戦争≫ 森田訳は日本人側からの発想。
エ ≪むしろ ≫ 原文に存在しない。
オ ≪欠落≫ 原文≪в виде советовソヴェトという形で≫
カ ≪そのとき初めて生まれたソヴィエトがそれである≫ 原文≪советов, впервые призванных тогда к жизни≫ 森田訳ではソヴェトの形成は労 働者の組織化とは別に、どこかで創られていたことになる。そうではない。労働者が≪ソヴェトという形で≫組織されることによってソヴェトがこのとき初めて 生れた、とトロツキーは述べているのである。
●藤本訳P160 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
1905年の事件は、1917年の2つの革命、すなわち二月革命と十月革命のプロローグであった。このプロローグにはドラマのすべての構成員が登場していたが、ただ最後まで完遂されはしなかった。日露戦争はツァーリズムを揺るがせた。大衆≪略≫運動を背景にした自由主義的ブルジョワジーは、≪略≫反対行動によって君主制を脅かした。労働者はブルジョワジーから独立し、かつ/こ れに反対して、/そ の時はじめて呼 びかけられたソ ヴェトに/組 織された/。農民は/土 地の ため、/国≪ 略≫の/広 大な/地 域で/叛 乱を 起こした。農 民ば かりでなく/革 命化 した/軍 隊/も、/革 命の最 高潮期には君 主制と権 力を争う ことになった/ソヴェトに向かったのである。
32
●森田訳P404
しかし、すべての革命勢力はそのとき初めて表舞台に登場した のであり、彼らには経験もなければ、自信も不足していた。自由主義者たちは、ツァーリズムを揺るがすだけでは不十分であってさらにそれを押し倒さなければ ならないことがはっきりとしたまさにその瞬間に、これみよがしに革命から飛びのいた。ブルジョアジーは人民からきっぱり決裂し、しかも、当 時すでに、民主主義的インテリゲンツィアのかなりの部分を自己に従えていた。そのおかげで君主制は容易に軍隊を内的に分化させ、忠実な部分 を選抜して、労働者と農民に対して血の制裁を加えることができた。こうしてツァーリズムは、肋骨を何本か失いはしたものの、それでも一九〇 五年の試練を生きて切り抜けた。 しかもまだ十分強力なまま切り抜けたのである。
●藤井訳P65-66
しかし、革命 勢力はいずれもそのときはじめて立ち上がったのであり、経験もなければ決断力も不足していた。ツァリーズムをぐらつかせるだけでは不充分で、さらにくつが えさなければならないということが明らかになったまさにその時点で、自由主義者は挑戦的に革命に背を向けた。ブルジョアジーが民衆と急激に断絶したーーし かもブルジョアジーは当時でもすでに民主主義インテリゲンツイアのかなりの層を味方にとりつけていたーーおかげで、君主制は軍隊を分裂させ、忠誠な部隊を 選抜し、労働者と農民に血の制裁を加えることが容易になった。多少の肋骨は失ったものの、ツァリーズムはそれでも生きて、しかも充分に強くなって一九〇五 年の試練をくぐりぬけた。
★森田訳の藤井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
しかし、すべての革命勢力は≪欠落≫そのとき初めて表舞台に登場したのであり、彼らには経験もなければ、自信も不足していた。/自 由主義者た ちは、/ツァー リズムを揺 るがすだ けでは不十分であっ てさ らにそ れを押 し倒さなければな らない≪ 略≫こ とがはっ きりとしたま さにその瞬 間に、/これみよがしに革命から飛びのいた。ブルジョアジーは人民からきっぱり決裂し、しかも、当時≪略≫すでに、民主主義的インテリゲンツィアのかなりの部分を自己に従えていた。そのおかげで君主制は容易に軍隊を内的に分化させ、忠実な部分を選抜して、労働者と農民に対して血の制裁を加えることが≪欠落≫できた。/こ うしてツァー リズムは、/肋 骨を/何 本か/失 いはしたも のの、/そ れでも/一 九〇五年の試練を/生 きて/切 り抜けた。/し かも/ま だ/十 分強力な/ま ま/切 り抜 けた/のである。
【森田訳の問 題点】
ア ≪飛びの いた≫ 原文≪отшатнулись от~から離れた、絶縁した、背を向けた等≫ 同じ表現が『永 続革命論』にも登場するが森田訳はそこでも≪飛びのいた≫となっている。辞書に書いてある言語規範を機械的にあてはめただけで文脈に合わないのである。
イ ≪従えていた≫ 原文≪увлекла за собой≫ これ自体は正訳。ただし、そうなると先に指摘したが、P62で≪вести за собой≫を≪従える≫と訳していたことと齟齬を来た す。P62の訳語が不適であることの森田氏本人による証明である。本人は自覚していないが。
ウ ≪できた ≫ 原文に存在しない。
●藤本訳P160 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
しかしながら、あらゆる革命勢力はこの時はじめて登場したのであり、彼らには経験もなければ自信もなかった。自由主義者たちは、ツァーリズムを動揺させるだけでは不充分で≪略≫、さらにこれらを打倒せねばならぬことが明らかになったまさにその時、/革 命から/示 威的に/身 を引いたのである。ブ ルジョワジーが/民 主≪ 略≫的 インテリゲンツィヤの 多くのグ ループを道づれにして/人民と決定的に決裂したことは、君主制が軍隊内部を分化させて忠実な部隊を分離し、労働者と農民に≪略≫血の制裁を加えることを容易にした。ツァーリズムは肋骨を数本折ったとはいえ、1905年 の経験を無事に、かつ充分元気にきりぬけた。
33
●森田訳P404-405
序幕から本劇[一九一七年革命]にいたるまでの一一年間に、歴 史の発展は諸勢力の相互関係にいかなる変化をもたらしたのであろうか? ツァーリズムはこの時期に、歴史の発展の諸要求といっそう大きく矛盾するようになっ た。ブルジョアジーは経済的にいっそう強力になったが、すでにわれわれが見たように、この強さは、工業がいっそう高度に集中され、外国資本がますます大き な役割を果たすようになったことにもとづいていた。一九〇五年の教訓を肝に銘じたブルジョアジーは、ますますもって保守的で疑い深くなっ た。中小ブルジヨアジーは、以前から取るに足りない存在だったが、いっそうその比重を引き下げた。民主主義的インテリゲンツィには何らかの安定した社会的 支柱がそもそも存在していなかった。彼らは束の間の政治的影響力を持つことができても、独立した役割を果たすことはできなかった。ブルジョア自由主 義≪派≫に対する依存がはなはだしく増大した≪欠落≫。
●藤井訳P66
プロローグと ドラマをへだてた一一年の間の歴史発展は勢力の相互関係にいかなる変化をもたらしたであろうか? ツァリーズムはその間に歴史の発展が要求するところとま すます大きく矛盾するにいたった。ブルジョアジーは経済的により強力になったが、その強さは、すでに見たように、工業のより高度の集中化と外国資本の役割 の増大によるものであった。一九〇五年の教訓の影響でブルジョアジーはさらに保守的で疑い深くなった。中小のブルジョアジーの比重は前にも小さかったが、 さらに低下した。民主主義インテリゲンツイアにはなんらかのしっかりした社会基盤はまったくなかった。民主主義インテリゲンツイアは一時的に政治的影響を あたえることはできたが、独自の役割を果たすことはできなかった。ブルジョア自由主義にたいする依存が著しく大きくなったからである。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
序幕から本劇[一九一七年革命]にいたるまでの一一年≪略≫間に、歴史の発展は諸勢力の相互関係にいかなる変化をもたらしたのであろうか? ツァーリズムはこの時期に、歴史的発展の諸要求といっそう大きく矛盾するようになった。ブルジョアジーは経済的にいっそう強力になったが、/す でにわ れわれが見 たように、/こ の強 さは、/工業がいっそう高度に集中され、外国資本がますます大きな役割を果たすようになったことにもとづいていた。一九〇五年の教訓を肝に銘じたブルジョアジーは、ますますもって保守的で疑い深くなった。中小≪略≫ブルジョアジー/は、以 前から取るに足りない存 在だったが、/いっ そう/そ の/比 重/を/引き下げた。民主主義的インテリゲンツィアには何らかの安定した社会的支柱がそもそも存在していなかった。彼らは束の間の政治的影響力を持つことができても、独立した役割を果たすことはできなかった。ブルジョア自由主義派に対する依存がはなはだしく増大した≪略≫。
【森田訳の問 題点】
ア ≪肝に銘 じた≫ 原文に存在しない。なぜこんな文言を創作する必要があるか?
イ ≪派≫ 原文に存在しない。
ウ ≪ブル ジョア自由主義≪派≫に対する依存がはなはだしく増大した≪欠落≫≫
原文≪:зависимость ее от буржуазного либерализма чрезвычайно возросла.ブルジョア自由主義への依存が 甚だしく増大したからである≫
森田訳は ≪:コロン≫の存在を無視して前の文章とのつながりを断ち切っている。原文は≪:≫によって前の文の説明をしているのだ。
黒=森田氏 のオリジナル部分がほとんどなくなっていることが分かる。藤井訳の1ページに数ヶ所あると氏が言う誤訳はいったいどこにあるのか? 氏の言説の方にこそあるの ではないのか?
●藤本訳P160-161 ならびに森田 訳の同一度(青 色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
プロローグとドラマそのものを分ける11年間の歴史の発展は、諸勢力の≪略≫関係をどのように変えただろうか。/こ の間、/ツァー リズムは/歴史の発展の要請と一層鋭く衝突するようになった。ブルジョワジーは経済的により強力になったが、すでに≪略≫みたように、その力は産業のより高度な集積と/ま すます巨 大化する/外 国資本の/役 割/に 依存するものであった。1905年の経験を受けて、ブルジョワジーはさらに保守的になり、疑い深くなった。/以 前に も大きくなかった/中 小ブルジョワジー/の比 重は、/さ らに/下がった。/民 主≪ 略≫的 インテリゲンツィヤは、/一 般的に、/な んらかの強 固な社 会的支柱を/もたなかった。彼らは一時的な政治的影響力を持つことができたが、独自の役割を演ずることはできなかった。すなわち、彼らはブルジョワ自由主義≪略≫へ極端によりかかるようになったの である。
34
●森田訳P405-406
農民に綱領、 旗、指導部を与えることができたのは、こうした状況のもとでは、若いプロレタリアートだけであった。こうして、彼らの前には壮大な課題がそびえ立ち、ここ から次のような喫緊の必要性が生じた。すなわち、人民大衆をすみやかに包含し、労働者の指導のもとに彼らを革命行動へと立ち上がらせることが できる、そうした特別の革命組織をつくり出すことである。こうして一九〇五年のソヴィエトは、一九一七年に巨大な発展を遂げた。ここで指摘しておくが、ソ ヴィエトがロシアの歴史的後発性の産物であるだけではなく複合発展の所産でもあるということは、最も工業の発達した国であるドイツが、一九 一八~一九年の革命高揚期に、ソヴィエト以外の組織形態を見出さなかったという事実のうちに示されている。
●藤井訳P66-67
その諸条件のもとで農民に政治綱領、旗、指導をあたえうるのは 若いプロレタリアートだけであった。こうしてプロレタリアートのまえに壮大な課題が提起され、そこから、いっきょに人民大衆をとらえ、労働者の指導下で革 命的行動ができるようにするための特殊な革命組織をつくる緊急の必要が生まれた。こうして一九〇五年のソヴェトが一九一七年に巨大な発展をみる。ここで指 摘しておきたいが、ソヴェトがロシアの歴史の立ち後れの産物であるだけでなく、結合発展の所産でもあるということは、もっとも工業が発達した国であるドイ ツのプロレタリアートが一九一八ー一九一九年の革命の高揚期にソヴェト以外の組織形態を見いだせなかったという事実からだけでも証明される。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
/農 民に≪ 欠落≫綱 領、旗、指 導部を与 えることができたの は、/こ うした状 況の もとでは、/若い プロレタリアートだけであった。こうして、彼らの前には壮大な課題がそびえ立ち、ここから/次 のような/喫 緊の必 要性が生 じた。/す なわち、/人 民大衆を/す みやかに/包 含し、労 働者の指導の もとに彼 らを革 命≪ 略≫行 動へ と立ち上がらせることが できる、 そうした特 別の革 命組織をつ くり出すこ とである/。こうして一九〇五年のソヴィエトは、一九一七年に巨大な発展を遂げた。ここで指摘しておくが、ソヴィエトがロシアの歴史的後発性の産物であるだけではなく複合発展の所産でもあるということは、最も工業の発達した国であるドイツ≪欠落≫が、一九一八~一九年の革命≪略≫高揚期に、ソヴィエト以外の組織形態を見出さなかったという事実のうちに示されている。
【森田訳の問 題点】
ア ≪立ち上 がらせること≫ 原文に存在しない。
イ ≪ドイツ が≫ 原文≪пролетариат наиболее индустриальной страны, Германии最も工業が発達した国であるドイツのプロレタリアート≫ ≪プロレタリアート≫が欠落。これはかなり重大。
●藤本訳P161 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
/こ のような情勢下で/農 民に綱領、旗印、指 導を与えることができたのは、/ただ若いプロレタリアートのみであった。このようにして、プロレタリアートに/課 せられた/巨 大な任 務は、人 民大衆をた だちに把 握し、/彼 らを/労 働者の指導の下で、/革 命行動に蹶起させうる革命組織の設立を急務としたのである。かくして、1905年のソヴェトは、1917年には巨大な発展をとげた。ついでながら、ソヴェトはロシアの歴史的立ち遅れの単なる産物ではなく、複合的発展の所産で≪略≫ある。そのことは、より工業化されたドイツのプロレタリアートが、1918~19年の革命的高揚期に、ソヴェト以外の組織形態を見出しえなかったという事実が示すところである。
35
●森田訳P406
一九一七年の革命は依然として、官僚主義的君主制の転覆をその直接の課題としていた。 しかし、古いブルジョア革命と違って、今や決定的な勢力として舞台に登場したのは、集中された工業にもとづいて形成され、新しい組織と新しい闘争方法で武 装した新しい階級であった。複合発展の法則はここではわれわれの前にその最も極端な姿をとって現われる。≪≫朽ち果てた中世的遺物の転覆から始まっ た革命は、わずか数ヵ月のうちに、共産党を指導者とするプロレタリアートを権力に就けたのである。
●藤井訳P67
一九一七年 の革命は依然として官僚主義的君主制の打倒を直接の課題としていた。しかし、過去のブルジョア革命とちがって、決定的勢力として登場したのは、いまや、集 中化された工業を基礎として形成され、新しい組織と新しい闘争方法をそなえた新しい階級であった。結合発展の法則はここでわれわれの前で極端な形で発現す る。すなわち、革命は中世紀の腐敗物の解体からはじめて、数カ月以内に共産党を指導者とするプロレタリアートを権力の座につけるのである。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
一九一七年の革命は依然として、官僚主義的君主制の転覆をその直接の課題としていた。しかし、古いブルジョア革命と違って、/今 や/決 定的な勢 力として舞 台に登 場したのは、/集中≪欠落≫された工業にもとづいて形成され、新しい組織と新しい闘争方法で武装した新しい階級であった。複合発展の法則はここではわれわれの前にその最も極端な姿をとって現われる。/朽 ち果てた/中 世的/遺 物の転 覆か ら始 まった/革 命は、/わずか数ヵ月のうちに、共産党を指導者とするプロレタリアートを権力 に就けたのである。
【森田訳の問 題点】
ア ≪朽ち果 てた中世的遺物の転覆から始まった革命は≫
原文≪:начав с низвержения средневекового гнилья, революция≫
問題は2点。第1は再び≪:コロン ≫を無視していること。前の文の具体的内容を述べているのだが、そのつながりが消失している。≪すなわち≫などの語が必要である。
第2、完了体副動詞構 文がまるで関係代名詞構文のように訳されていること。これは藤本訳も同じ。
副動詞は主動 詞に関連して補助的に機能し、状況語である。ここは≪…から始まって、革命は…≫
とすべきであ る。
イ ≪就けた ≫ 原文≪ставит≫ 現在形。時制無視。
塗り分け参照。黒=森田氏のオリジナル部分はほとんど なくなった。藤井訳の誤訳はどこへ行ったのか?
●藤本訳P161 ならびに森田訳の同一度(青色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え
1917の革命は、いぜんとして官僚的君主制の打倒を≪略≫直接の任務とし≪略≫た。だが、古いブルジョワ革命と異なり、/決 定的≪ 略≫勢 力として≪ 欠落≫登 場したのは、/い まや/集積された産業を基盤とし、新しい組織と新しい闘争手段によって武装した新しい階級であった。複合的発展の法則は、ここでも、われわれに対して最も明確な形で表現されている。すなわち、/中 世的/腐 敗/物の転覆によって始められた革命は、数カ月の間に、共産党を先頭とするプロレタリアートを権力につかせているのである。
36
●森田訳P406-407
したがって、ロシア革命は、その出発点の課題からすれば民主 主義革命であった。しかし、ロシア革命は政治的民主主義の問題を新しい形で提起した。労働者が全土をソヴィエトで覆い、そこに兵士や部分的には農民をも引 き入れていたときに、ブルジョアジーは依然として、憲法制定議会を召集するべきか否かをめぐって駆け引きに明け暮れていた。本 書において諸事件を叙述していく中で、この問題はきわめて具体的な形でわれわれの前に立ち現われてくることだろう。ここでは、革命の思想と形態の 歴史的移り変わりの中にソヴィエトを位置づけるにとどめよう。
●藤井訳P67-68
ロシア革命は当初の課題からすれば、このように民主主義革命 であった。しかし、革命は政治的民主主義の問題を新しい形で提起した。労働者が全国をソヴェト組織で覆いつくし、兵士や部分的には農民をもソヴェトにかか えこんでいったのにたいして、ブルジョアジーは、依然として、憲法制定会議を招集すべきか否かで争い続けていた。事件の記述の過程でこの問題はきわめて具 体的に提起されるであろう。ここでは革命の思想と形態が歴史上で入れ替わる中でソヴェトが占める位置について論及するにとどめたい。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
したがって、ロシア革命は、その出発点の課題からすれば≪欠落≫民主主義革命であった。しかし、ロシア革命は政治的民主主義の問題を新しい形で提起した。労働者が全土をソヴィエト≪欠落≫で覆い≪欠落≫、そこに兵士や部分的には農民をも≪欠落≫引き入れていたときに、ブルジョアジーは依然として、憲法制定議会を召集するべきか否かをめぐって駆け引きに明け暮れていた。本書において諸事件を叙述していく中で、この問題はきわめて具体的な形でわれわれの前に立ち現われてくることだろう。ここでは、革命の思想と形態の歴史的移り変わりの中にソヴィエトを位置づけるにとどめよう。
【森田訳の問 題点】
ア ≪ときに ≫ 原文≪В то время как~であるのに対して≫ 対比する句。森田訳はкогдаを連想させる。
イ ≪駆け引 きに明け暮れていた≫ 原文≪продолжала торговаться言い争いを続けていた≫
誤訳とは言 い切れないがニュアンスがずれると思う。
ウ ≪本書に おいて≫ 原文に存在しない。
エ ≪位置づ ける≫ 原文≪наметить≫ 原意は≪印をつける、大雑把に描く、概要を示す≫
森田訳のよ うに≪位置づける≫と言い切ることはかなり原意から離れることを意味しないか?
●藤本訳P161-162 ならびに森田 訳の同一度(青 色)・類似度(水色)。網 掛けは語順入れ替え。入れ替えの様相は/ で示す。
/ロ シア革命の 初期の任務は、/こ のようにして、/民主主義革命であった。だが、この革命は政治的民主主義の問題を新たに提起した。/労 働者が/兵 士と一 部の農 民を自 己の陣営に引 き入れ、/全国をソヴェトで覆ってしまった/時にも、ブルジョワジーはいぜんとして、自らが憲法制定会議を召集す≪略≫べきか否か、というかけひきを続けていたのである。事件の叙述がすすむにしたがい、この問題は最も完全な姿をとってわれわれの前に立ち現われ≪略≫るであろう。ここではただ、革命≪略≫思想とその形態の歴史的変遷において、ソヴェトが占める地位に注意をはらうにとどめておこう。
37
●森田訳P407
一七世紀中 葉、イギリスのブルジョア革命は宗教改革の外皮のもとに展開された。独自の祈祷書にもとづいて祈りをあげる権利のための闘争は、国王、貴 族、教会やローマの支配者たちに対する闘争と同一視された。長老教会派とピューリタンたちは、自分たちの地上の利益が聖なる神慮の揺 るぎない庇護のもとにあると信じて疑わなかった。新しい階級の闘争課題は、彼らの意識の中では、聖書の文言や教会儀式の形式と渾然 一体となっていた。新大陸への移民たちは、血で認証されたこの伝統をたずさえて大西洋を渡った。ここから、アングロサクソン 人におけるキリスト解釈の異常なまでのこだわりが生じるのである。かつて一七世紀の人々が自分たちの勇敢さを正当化するものとみなしたその 当の魔術的文言でもって、今日、イギリスの「社会主義」閣僚たちが自らの臆病さを正当化しているのをわれわれは目にしてい る。
●藤井訳P68
一七世紀半ばのイギリスのブルジョア革命は宗教上の改革とい う外皮をまとってくりひろげられた。みずからの祈祷書にもとづいて祈る権利をかちとるたたかいは、王、貴族、教会とローマの支配者たちに抗するたたかいと 同一視された。長老派とピューリタンは、自分たちが地上の利害関係を神慮の不動の庇護下におこうとしていると深く信じていた。新しい階級がめざしていた課 題はその意識の中で聖書の文言や教会行事の形式と不可分に結びついた。移民たちは血であがなわれたこの伝統を大洋のかなたへ運んでいった。 キリスト教にたいするアングロ=サクソン流の解釈がすぐれて生命力に富むのはそのためである。今日なおイギリスの「社会主義」閣僚たちが自分たちの臆病さ を、一七世紀の人々が自分たちの勇気ある行為を正当化する根拠をもとめようとしたほかならぬその魔術的な文言で理由づけようとしていることをわれわれは 知っている。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
一七世紀中葉、イギリスのブルジョア革命は宗教≪略≫改革の外皮のもとに展開された。独自の祈祷書にもとづいて祈りをあげる権利のための闘争は、国王、貴族、教会やローマの支配者たちに対する闘争と同一視された。長老教会派とピューリタンたちは、自分たちの地上の利益が聖なる神慮の揺るぎない庇護のもとにあると信じて疑わなかった。新しい階級の≪欠落≫闘争課題は、彼らの意識の中では、聖書の文言や教会儀式の形式と渾然一体となっていた。/新 大陸への/移 民たちは、血 で認 証されたこ の伝 統をた ずさえて大西洋を渡った。 ここから、/ア ングロサクソン人 における/キ リスト≪ 欠落≫/解 釈の 異常なまでのこだわりが生じるのである。かつて/一 七世紀の人々が自分たちの勇 敢さを正 当化するも のとみなしたそ の当 の魔 術的≪ 略≫文 言でもっ て、/今 日、イ ギリスの「社会主義」閣僚た ちが/自らの臆病さを正当化しているのをわれわれは目にしている。
【森田訳の問 題点】
ア ≪独自の ≫ 原文≪собственному自分自身の≫
イ 教会≪や ≫ 原文церкви ≪и≫ 教会≪と≫
ウ ≪自分た ちの地上の利益が聖なる神慮の揺るぎない庇護のもとにあると信じて疑わなかった≫ 原文≪что они свои земные интересы ставят под незыблемое покровительство божественного промысла≫
. Просвитериане и пуританеが深く信じていた内容がчто節で述べられている。
まず主語は≪они彼らは=. Просвитериане и пуритане≫である。 森田訳では≪利益≫。これではどういじくりまわしたところで正しい訳が出て来るはずがない。
次に動詞は≪ставят置こうとしている、据えようとしている≫。不完了体現在。主語のониに対応して三 人称複数。
もし、森田訳のように訳すならсвои земные интересыの前にあるониはどうなる? そしてониの前にあるчтоは?
原文は難しいものではない。まったく平明なものだ。文法的に正しく思考すればロシア語初 級の力量で充分に訳せるものである。
エ ≪新しい 階級の闘争課題は≫ 原文≪Задачи,за которые боролись новые классы≫
森田訳では 名詞句になっているが原文は関係代名詞節による構文。
まず≪闘争課題≫という語は存在しない。存在するのは≪Задачи課題(複数)≫。これに関係代 名詞がかかっていく。≪за которые боролись~を目指していた、~を目指して闘っていたновые классы新しい階級(複数)が≫という構造。
森田訳は文 法構造をまったく無視している。
オ 渾然一体 と≪なっていた≫ 原文неразрывно分かちがたく≪срослись結びついた≫ 動詞は 完了体過去だから≪なっていた≫ではなく≪なった≫である。
カ ≪血で認 証された≫ 原文≪кровью скрепленную血によって確かなものにされた≫
キ ≪異常な までのこだわり≫ 原文≪исключительная 優秀なживучесть旺盛な生命力≫
このどこか ら≪異常なまでのこだわり≫という訳が出てくるのか? 常人には信じられない。
ク ≪今日≫ 原文≪и сегодня今日も、今日でも≫ иによる強調。
ケ ≪正当化している≫ 原文≪обосновывают根拠付けようとしている、理由付けようとしている≫不完了体現在。森田訳には≪正当化≫ という語が2度登場している。
初めは≪оправдания≫、次がこの≪обосновывают≫である。語が異なるのになぜ同じ訳語になるのだろうか? 不思議だ。
38
●森田訳P407-408
フランスで は、宗教改革が素通りされたため、カトリック教会が国家的存在として革命まで生き長らえた。革命は、ブルジョア社会の課題を 表現し正当化するものを、聖書の文言にではなく、民主主義の抽象概念に見出した。フランスの現在の支配者たちがジャコバン主義にどれほどの 憎悪を抱いていようとも、まさにロベスピエールの峻厳な活動があったおかげで、彼らは依然として自らの保守的支配を、かつて旧社会を掘りくずすの に用いられた概念でもって覆い隠すことができるのである。
Во Франции, перешагнувшей через реформацию, католическая церковь, в качестве государственной, дожила до революции, которая нашла не в текстах библии, а в абстракциях демократии выражение и оправдание для задач буржуазного общества. Какова бы ни была ненависть нынешних заправил Франции к якобинизму, но факт таков, что именно благодаря суровой работе Робеспьера они все еще сохраняют возможность прикрывать свое консервативное господство формулами, при помощи которых было некогда взорвано старое общество.
【森田訳の問 題点】
ア ≪素通り されたため≫ 原文≪перешагнувшей踏み越えた(ところの)、飛び越えた(ところの)≫能動形動詞過去。直前のフランスにかかる。森田訳のような理由を説明する語ではない。
イ ≪国家的 存在として≫ 原文≪в качестве государственной国家的教会 として≫
государственнойの後ろにцерквиが省略されている。≪存在≫の語は「存在」しない。
ウ ≪支配者 たち≫ 原文≪заправилボスたち≫ ≪支配者≫よりもっと直截な表現の語。
エ ≪掘りく ずす≫ 原文≪было…взорвано爆破された、破壊された≫ これを≪掘りくずす≫と訳すのは無理だ。
オ ≪概念≫ 原文≪формулами諸公式、決り文句(複数)≫ 少なくとも≪概念≫ではない。
森田氏のオリジナル部分=黒は、ほとんどなくなった。 藤井訳の誤訳はどこへ行った?
それでもピンク色=類似部分など手を加えたところで誤 訳が生じている。
●藤井訳P68-69
宗教改革を踏みこえたフランスでは、カトリック教会は国家教会 として革命時まで生きのびた。そこでは革命は、ブルジョア社会の課題の表現と正当化を聖書の文言ではなく、民主主義という抽象概念に見いだした。フランス の今日の元締めたちがジャコバン主義にたいしていだいている憎しみがいかなるものであれ、事実は、かれらが依然として、自分たちの保守的支配を、かつて旧 社会を破壊するのに使われた諸規定で隠蔽することができているのは、まさにロベスピエールの非情な働きのおかげだということである。
★森田訳の藤井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
/フ ランスでは、/宗 教改革が 素通りされたた め/、カトリック教会が国家的存在として革命≪略≫まで生き長らえた。革命は、ブルジョア社会の課題を表現し正当化するものを、聖書の文言にではなく、民主主義の抽象概念に見出した。フランスの現在の支配者たちがジャコバン主義に≪略≫どれほどの憎悪を抱いていようとも、/ま さにロベスピエールの峻 厳な活動が あったお かげで、/彼 らは依 然として自 らの 保守的支配を、か つて旧社会を掘 りくずすのに用いられた概念でもって覆い隠すことができるのである/。
39
●森田訳P408
偉大な革命はいずれも、ブルジョア社会の新しい段階を画したし、その諸階 級の新しい意識形態を生み出した。フランスが宗教改革を素通りしたように、ロシアは形式民主主義を素通りした。ロシアの革命政党は、 自己の刻印をその時代全体に捺すことを運命づけられていた。この党は、聖書にでもなければ、「純粋」民主主義という世俗化されたキリスト教にでも なく、社会的諸階級の物質的諸関係のうちに革命的課題を表現するものを求めた。ソヴィエト制度はこの諸関係を、最も単純で、仮装されていな い、透明な形で表現するものであった。勤労者の支配は、ソヴィエト制度を通じて初めて実現された。ソヴィエトが今後どのような歴史的変転を 経ようとも、それは、かつての宗教改革や純粋民主主義の制度と同じぐらいぬぐいがたく大衆の意識の中にしみ込んだのである。
【森田訳の問題点】
ア ≪画したし、…生み出した≫ 原文≪отмечала示した、記録した≫
原文の動詞が1個しかないのに訳文で、異なる2個の動詞があるのはなぜか? まったく常人 には及びもつかぬ≪超訳=跳躍≫だ。
イ ≪ロシアの革命政党は、自己の刻印をその時代全体に捺すことを運命づけられていた。≫
原文≪Русская революционная партия, которой предстояло наложить свою печать на целую эпоху,≫
関係代名詞構文を断ち切ったために意味の重大なずれが生じている。
森田訳に素直に従えば≪ロシアの革命政党≫とはボリシェヴィキ、メニシェヴィキ、エス エルその他の諸党ということにならざるをえない。しかし、原文では関係代名詞節がかかることによって、≪革命政党≫の規定を狭め、実はこれがボリシェヴィ キ党であることを述べているのである。森田訳ではそれが分からない。
ウ ≪革命的課題≫ 原文≪задач революции革命の 諸課題≫ ≪革命≫は森田訳のような形容詞ではなく、名詞の生格。≪革命にとっての課題≫≪革命が直面する課題≫の意味である。森田訳では意味がずれる。
エ ≪ソヴィエト制度を通じて≫ 原文≪в системе советовソ ヴェト制度の中で≫
●藤井訳P69
偉大な革命は いずれもブルジョア社会の新しい段階とその諸階級の新しい意識形態の記録である。フランスが宗教改革を踏みこえたように、ロシアは形式民主主義を踏みこえ た。時代の全体に刻印を押す使命をになったロシアの革命政党は、革命の課題の表現を聖書とか、「純粋」民主主義という世俗化されたキリスト教とかにではな く、社会諸階級の物質的諸関係にもとめようとした。ソヴェト制度はそれらの関係をもっとも簡潔に、偽装なしに、透明な形で体現するものであった。勤労者の 支配権がソヴェト制度の中ではじめて実現された。ソヴェト制度はその後の歴史上の有為転変がどんなものであったにせよ、かつて宗教改革や純粋民主主義の制 度がそうであったように大衆の意識に深くしみこんでいる。
★森田訳の藤 井訳との同一度、類似度
赤=藤井訳と同一、ピンク=藤井訳に類似、網 掛け//=藤井訳と語順が異なる。/で入れ替え部を示す。≪略≫= 意味に大きな影響のない省略。≪欠落≫=欠落がある。
偉大な革命はいずれも、ブルジョア社会の新しい段階を画したし、その諸階級の新しい意識形態を生み出した。フランスが宗教改革を素通りしたように、ロシアは形式民主主義を素通りした。/ロ シアの革命政党は、/自 己の刻 印を/そ の時 代≪ 略≫全 体に/捺 すこ とを運命づけられていた/。この党は、/聖 書に でもなければ、「純 粋」民主主義という世俗化されたキリスト教≪ 略≫に でもな く、社 会的諸 階級の物質的諸関係の うちに/革 命的課 題を表 現す るものを/求め≪略≫た。ソヴィエト制度はこの諸関係を、最も単純で、仮装されていない、透明な形で表現するものであった。勤労者の支配≪欠落≫は、ソヴィエト制度を通じて初めて実現された。ソヴィエト≪欠落≫が今後/ど のような/歴 史的/変/転/を経ようとも、それは、かつての宗教改革や純粋民主主義の制度と同じぐらいぬぐいがたく大衆の意識の中に染み込んだのである。
検証作業を終 えての結論
1.仮説は実証されない。
●赤=同一部分は異常なほど多い。しかも後半に行くにつれて増えていき、ほとんど丸ごと「引用」に近く なる。
●ピンク=類似部分もかなり多い。この部分は森田氏が同義語、類義語で言い換えている部分。言い換えである から藤井訳の誤訳の訂正ではない。
言い換えたことによって意味のずれが生じている箇所もあるが、原文の意味を損ねているこ とはまずない。
●黒=森田 氏のオリジナル部分の分量は多いどころかむしろ少ない。そしてページが進むごとに減っていく。
以上の検証結果は、私が冒頭に掲げた仮説、
「森田訳には黒の部分がかなり多くなり、赤は少なくなる。また黒の部分はロシア語の正し い訳である。」
の前半は実証されなかったことを意味する。
つまり、トロスキー=森田成也氏の指摘1-5項-藤井訳には山西訳に比 して多くの改悪点があり、不適切な訳、誤訳が数多くみられるというもの-、これが事実に反することを意味する。
表向きは藤井訳を厳しく「批判」しているが、森田訳は藤井訳との同一部分・類似部分がき わめて多い。そしてこの部分に誤訳はほとんどない。
では仮説の後半「黒の部分はロシア語の正しい訳である」についてはどうか?
これも実証されなかった。むしろ反証された。
2.黒=森田氏のオリジナル部分は大半が誤訳である。
臆測ではな い。それぞれ逐一、事実を以って指摘した。いずれも解釈以前の問題であり、ロシア語初級文法にすら反する誤りに満ち満ちている。
3.語順変換により構文破壊、文意破壊が生じている。
3分の2あたりにまで見られる語順変換 は、多くの場合、関係代名詞構文や形動詞構文を破壊しており、文意の破壊をもたらしている。
4.恣意的創作の文言の多在。
誤訳を遥か に超えて、原文の単語からは出てくるはずのない訳、原文に存在しない文言の挿入がひじょうに多い。翻訳を超えて、もはや創作の領域に踏み込んでいる。
『永続革命論』のAmazonのカスタマーレビューに「光文社の古典新訳文庫は本当に読みやすい文章で古典新たな魅了を我々に提供してくれてい ます」というレビューがあるが、このレビューを書いた方の、「読みやすい」という感想は否定しない。しかし、森田訳の場合の読みやすさは、原文の文法構造 の破壊、それによる文意の破壊、話し言葉の多用―トロツキーの原文は形動詞などの多用に象徴されるように並べて書き言葉で書かれている―によってもたらさ れていることを知らねばならない。
同じく『レーニン』のカスタマーレビューには「訳文の出来は個人の評価に委ねますが」 と、もう少し理性的に書かれているが、私はこう言いたい。訳文の出来を個人の評価に委ねることは出来ない。訳文の出来は原文を正しく訳しているかどうかに 照らして判断されねばならないと。
以上の2,3,4は、森田訳『レーニ ン』、西島栄訳『永続革命論』、森田訳『永続革命論』に見られるのと同様の症状である。これもまた臆測ではなく、私が事実を以って示したものである。
森田訳『わ が生涯』も高田爾郎訳、現代思潮社版の踏襲の上に成立したものである。これも臆断ではない。塗り分けによる検証結果を示した。これらの訳業が踏襲の上に成 り立っているとする根拠は
1. 先行訳の誤 訳を訂正せずそのまま継承している部分が多数あること。
『わが生 涯』の踏襲が意味するものについては藤井一行氏の研究を参照していただきたい。
2. 先行訳との 類似部分があまりにも多いこと。
3. 原文に存在 しない文言が森田訳の中に存在すること。これは『レー ニン』、西島栄訳『永続革命論』に見られる。
4.「ロシアにおける発展の特殊性」の訳業は、この事実を逆の面から補完する。
とりわけ 『永続革命論』の翻訳で森田氏=西島栄氏はロシア語文法についての無知(形動詞、時制、格の用法、接続詞など)をさらけ だし、自分でも前訳を多く訂正せざるを得なかった。
一例をあげ る。
西島栄訳 『永続革命論』から
A「党の新しい分派(反対派)は、プロレタリア革命をその同調者-農民-から引き離す傾向を助長するという危険をはら んでいる」(『トロツキー研究』No.49.P60)
B「…古い永続革命論がまさに農民からの離反という危険でもって党の『新しい』分派を脅か しているという結論に達したというのである。」(同、P61)
ここが姫岡訳が「孕んでいる」となっているのを「はらんでいる」とひらがなにしたのを除 いて姫丘訳とまったく同じであること、また、これが誤訳であって次のように訳すべきであることを指摘した。(拙稿『永続革命論はいかに訳さ れたか』2007年10月)
中島訳A
「プロレタリア革命の成長をその同盟者である農民から切り離す諸傾向の発生という危 機が、党の新しい部分(反対派)を脅かしている」
中島訳B
古い永続革命論が、まさしく農民を切り離すという危険でもって党の「新しい」部分 を脅かしている、という結論にラデックは辿り着いたのである。
本年4月に出た森田訳『永続革命論』 で当該部分は次のように改訳された。
森田訳A
党の新しい部 分(反 対派)は、 プロレタリア革命の発展をその同盟者たる農民から乖離させる傾向をもたらす危険性に直面している。(P94)
森田訳B
古い永続革命 論が他ならぬ農民からの乖離という危険性でもって党の「新しい」部分を脅かしているという結論に達したというのである。(P95)
姫岡訳と まったく同一の訳文で、原文と正反対の意味である訳が市場に流布することが避けられたことは喜ぶべきことである。だが、トロツキー研究所の会員と『トロツ キー研究』誌定期購読者は、高い会費を-会員10000円、私もその一人だ、定期購読者5000円-払っているのに、この原文とは正反対に訳された代物をトロツキーの新訳と称してつか まされたのだ。製造者責任はないのか?!
藤井一行氏や私の指摘がなかったとしたら、この改訳は一体どうなったであろうか? おそらくもっとひどいもの だったはずだ。なぜなら、森田氏は、藤井氏の指摘のかなりの部分、並びに中島の指摘の3分の1程度を取り入れているからだ。
森田氏はトロツキー研究誌上に発表したものを「全体を見直し、全面的に修正した」と書い ているから、この改訳も自力で行ったと主張するであろう。それならそれでよい。
では別稿で 示した、森田訳『永続革命論』第6章、エピローグに存在する多数の問題点はどのように説明できるだろうか? 同一度、類似度、ロシア語 文法理解度も前と同じ症状を示しているのである。
ひるがえっ て、「ロシアにおける発展の特殊性」は森田氏訳『レーニン』『わが生涯』『永続革命論』に比して、きわめて誤訳が少ない。誤訳が少ないのはよいことである が、赤=藤井訳との同一部分がきわめて多い。森田氏はトロスキーの変名で藤井訳には誤訳が多いと言っていたのにであ る。
『わが生涯』の発行は2000年12月、西島訳『永続革命論』は2006年12月、『レーニン』は2007年3月、そして森田訳『永続革命論』が2008年4月。
西島訳から 今回の森田訳『永続革命論』までわずか1年4ヶ月。あれほどロシア語文法の無理解を晒していた人物が、ほとんど誤訳が無くなるほどに 急速にロシア語能力を高めるということがあるだろうか? まずありそうもないことは森田訳『永続革命論』第6章、エピローグが相変わらずの 症状を呈していることを見れば分かる。その同じ『永続革命論』の中に「ロシアにおける発展の特殊性」は同一訳者の手になるものとして収録されているのであ る。
この事実は 一体、何を意味するであろうか?
ここから導 かれる合理的推論は、森田訳は藤井訳を可能な限り下敷きにしているのではないか、森田訳は藤井訳無くしては生れ得なかったのではないかということである。
判断は読者 にゆだねよう。
2008年6月4日