『わが生 涯』 第23章
中島章利
《凡例》
赤字―高田訳と同一。漢字⇔ひらがなの変換は同一とみな す。固有名詞の表記違いも同一とみなす。読点の有無も同一とみなす。語順の入れ替えは網掛け表示。
ピンク字―単語の本質的ではない言い換えを含むが高田訳とほぼ同 一。語順の入れ替えは網掛け表示。
青字―現代思潮社版と同一。語順の入れ替えは網掛け表示。
水 色―現代思潮社版と 類似。語順の入れ替えは網掛け表示。
(露)/ ―ロシア語原文とは語順が異なる。
(高)/ ―高田訳とは語順が異なる、入れ替えがある。
(現)/ ―現代思潮社版とは語順が異なる、入れ替えがある。
語順の入れ替え箇所を / で示す。
省略がある部分の幾つか―革命的な闘争→革命的闘争、 自由主義者→自由主義者たちといった省略や助詞の省略など意味に関係しない省略―は≪略≫で示す
三月二五日、私はニューヨークのロシア総領事館を訪れた。(高)/す でに/ニ コライ二世 の肖像画は/壁から取り外されていたが、(高)/旧ロ シアの警察≪ 略≫の≪ 略≫よ うな重苦しい雰囲気が/ま だ/支配 していた。例によってだらだら長引く事務とつまらない言い争いのあげく、総領事は、ロシアに帰国するための必要な書類を発行する手配をした。ニューヨークのイギリス領事館では、質問用紙に必要事項を記入すると、イギリス当局としては私の渡航を妨げるようなことはないと告げられた。このように万事は順調に進んだ。
(高)/三 月二七日、/私 は家族と幾人かの同国人とと もに、/ノ ルウェーの 汽船 クリスチャニヤ・フィヨルド号で/出発した。私たちは多くの花束と演説で送られた。私たちは革命の国に向かうのである。私たちにはパスポートもビザもあった。革命≪略≫、花束≪略≫、ビザ≪略≫、これらは一つのハーモニーとなって、(現)/放 浪の身 たる/私 たちの/心を満たしてくれた。
カナダのハリファックスで、汽船はイギリスの海軍当局による船舶検査を受けた。憲兵将校≪略≫は、アメリカ人、ノルウェー人、デンマーク人、その他の国の人々の書類についてはP538形 式的に審 査しただけだったが、われわれロシア人には直接の訊間を行なった。貴君らの信条はいかなるものか、貴君らの政治的目的は何か、等々。私はこの件に関して彼らと話し合うことを拒否した。「私の身元を確かめるための質問ならかまわんが、それ以上はごめんこうむる。なぜなら、ロシアの内政は今のところイギリス海軍の警察の監督下にはないのだから。」だが、私が拒否したところで、憲兵将校のマッケンとウェストウッドが、私に対する無益な訊問を繰り返したのち、他の乗客≪略≫に私の素性について聞いて回ることを妨げはしなかった。将校たちは、私が「恐ろしい社会主義者(terrible socialist)」であると主張した。この取り調べはあまりに無礼千万なものであり、ロシアの革命家≪略≫は、幸か不幸かイギリスの同盟国の国民ではなかった他の乗客≪略≫と比べて、まったく差別的な待週をされたため、訊問を受けた人々の一部はすぐさま、当局のやり方に対してイギリス政府に激しい抗議文を送った。私は、小悪魔のことを大魔王に訴える気にはならなかったので、それには参加しなかった。しかし、このときはまだ、事態がその後どうなるのかについて予想はつかなかった。
四月三日、水兵≪略≫を率いたイギリス≪略≫将校たちがクリスチャニヤ・フィヨルド号に乗り込んできて、現地の海軍司令官の名において、私と私の家族、その他五人の乗客に下船を命じた。この命令の根拠について尋ねると、彼らは、(高)/ハ リファックスで/今 回の事態について/すP539べ て/「明らかになる」だろうと約束した。(高)/こ の命令は/不 法であると/私 たちは/宣言し、それに従うことを拒否した。すると武装した水兵が私たちに飛びかかり、多くの乗客が「恥を知れ(shame)!」と叫ぶ中、私たちの腕をつかんで軍の小型艇に乗り移らせた。そして、(高)/巡 洋艦に守られな がら、/こ の小 型艇は/私たちをハリファックスヘと運び去ったのである。一〇人ほどの水兵が私の腕をつかもうとしたとき、上の息子が私を助けようと≪略≫駆けより、その小さなこぶしで(高)/将 校の/一 人を/殴り≪略≫ながら叫んだ。「もっと殴った方がいい、パパ?」そのとき息子は一一歳であった。こうして彼は、イギリス≪略≫民主主義に関する最初の授業を受けたのである。
警察は私の妻と子供≪略≫をハリファックスに残したまま、残りの者を(高)/鉄 道でア ムハースト〔一 カナダ南東部の都市〕に連 行し、/ド イツ人捕虜 が収容されていた/強制収容所に送った。(高)/こ この/収 容所の取 り調べ室で、/わ れわれは、(高)/ペ トロパブロフスカヤ要塞に/私 が/投獄されたときでさえ経験したことのないような身体検査を受けた。なぜなら、ツァーリの監獄では、憲兵によって丸裸にされて触診されるとき一対一で行なわれたのに対し、この民主主義的同盟国では、一〇人ばかりの人間の面前で恥知らずな屈辱的行為が行なわれたからである。私は、(高)/こ の取 り調べの中心人物であった/ス ウェーデン系カナダ人の/オ ルセン軍曹/―刑 事タ イプの/赤 毛の男―/のこ とは一生忘れられない。この企てを遠くから指導していたペテP540ン師どもは、(高)/われわれが/非 の打ち所のないロシア人革命家であり、/革命によって解放された祖国に帰ろうとしている/ことを十分承知していたのだ。
翌朝になってようやく、収容所司令官のモーリス大佐は、われわれの執拗な要求と抗議に答えて、われわれの逮捕≪略≫理由について公式の説明を行なった。「諸君は現在のロシア政府にとって危険なのだ」―彼は手短にこう述べた。大佐は雄弁で≪略≫ないうえに、朝っぱらから、猜疑に満ちた興奮の表情を≪略≫浮かべていた。「しかし、ロシア政府の在ニューヨーク領事館は/われわれに/ロシアヘの入国証明書を発行しているし、だいたい、ロシア政府についての心配はロシア政府自身に任せておくべきではないのか!」モーリス大佐は、少し考え込み、口をもぐもぐさせながら、つけ加えた。「諸君は同盟国全体にとって危険なのだ。」
われわれの(高)/勾 留を正当化する/い かなる/文書も提示されなかった。大佐は自分個人の意見として次のように言い添えた。諸君は、明らかに、(高)/理 由あっ て/自 分の祖国を見拾てざるをえなかった/政治的亡命者なのだから、白分の身に(高)/何 が起こっ ても/今さ ら/驚くべきではない、と。(高)/こ の男にとって/ロ シア革命は/存在しなかった。(高)/か つて/わ れわれを/政治 的亡命≪略≫に追いやったツァーリの閣僚たちが、今では、亡命することにも失敗して獄中で呻吟しているのだP541ということを彼にわからせようとしたのだが、イギリスの植民地とボーア≪略≫戦争で出世を果たした大佐殿には、この説明は複雑すぎたようだ。私がしかるべき敬意を払うことなく話すのに業を煮やした大佐は、私の背後でこう毒づいた。
「こいつを捕まえたのが、南アフリカの海岸だったら…。」これが彼のお気に入りの口ぐせだった。私の妻は、正規のパスポートを持って国外に出たのだから、公式には政治的亡命者ではなかった。それにもかかわらず、妻は一一歳と九歳の二人の≪略≫子供といっしょに逮捕された。子供を逮捕したという表現は誇張ではない。最初カナダ当局は子供を母親から引き離して孤児院に入れようとした。そのことを察した≪略≫妻は驚いて、息子≪略≫と離れ離れになることなど何があっても認めないときっぱり言明した。その抗議のおかげでようやく子供たちは、母親といっしょに、ロシア系イギリス人の警官のアパートに住むことを許された。この警官は、手紙や電報が「不法」に出されるのを防ぐために、たとえ(高)/母 親抜 きで/子 供たちだけで あったと しても、/監 視のもとでなければ、/街に出ることを許さなかった。(高)/一 一日も たって/よ うやく妻と子供たちは≪略≫ホテルに移されたが、毎日一回は警察に出頭するという条件つきだった。アムハーストの戦時収容所は、ドイツ人の所有者から接収した(高)/鋳 物工場の/荒 れはてて古P542び た建 物/の中にあった。寝台用の板寝床が縦に三段つらなり、それが二列ずつ奥に向かって通路の両側にずらっと並んでいた。こうした条件のもとで八〇〇人もの人間が暮らしていた。このような「寝室」が夜になるとどんな雰囲気になるかは想像に難くない。人々は、すっかり希望を失い、通路にあふれ、肘で押し≪略≫合いへし合いし、横になったり、立ち上がったり、トランプやチェスに興じたりしていた。多くの者が(高)/手 作業で/い ろんな/も のを作っていた。中にはすばらしい技術を持っている者もいた。(高)/私 の/も らった/ア ムハーストの捕虜 たちの手作りの品は、/今≪ 略≫で も/モ スクワ/に/保存されている。抑留者たちは、自分の肉体的・精神的均衡を保つために英雄的な努力をしていたが、それでも気の触れた者が五人も出た。われわれは彼らとも一つ屋根の下で寝食をともにした。
私がほとんど一カ月近くいっしょに暮らした八〇〇人の虜囚の内訳はというと、イギリス軍に沈められたドイツの戦艦に乗っていた水兵が約五〇〇人、(高)/戦 争が 勃発したとき/カ ナダに いた(高)/ド イツ人労働者が/約 二〇〇人、それに、(高)/将 校と/ブ ルジョア階 層出身の/民 間人が/約 一〇〇人/であった。(高)/わ れわれが革命的社会主義者で あるがゆえに逮 捕された≪ 略≫と いうことが、ド イツ人捕虜仲 間のあいだに 知れ渡るにつれて、/わ れわれと彼 らとの関 係は/ますます明確なものになっていった。(高)/板の仕 切りの 向こうにかたまって暮 らしていた/将 校と上 級下 士官たちは、/たちまちわれわれを敵とみなした。その代わり、一般の水兵大衆はますますわれP543われに共感を寄せてくれるようになった。
(高)/収 容所で 過ごした/こ の/一カ 月間は絶え間ない集会のようなものだった。私は捕虜たちに、ロシア革命、リープクネヒト、レーニンについて、古いインターナショナルの崩壊の原因や、戦争へのアメリカの介入について語った。(高)/私 たちは、/こ うした演 説会に加えて、/絶え間なく集団討論を行なった。われわれの友情は日を追うごとにますます緊密になっていった。
一般の捕虜大衆は、その気分からすると二つのグループに分かれた。一方のグループはこう言っていた―「もうたくさんだ。こんなことはもうこれっきり永遠に終わらせなければならない」。彼らは街頭や広場に駆けつけることを夢想していた。もう一つのグループは(高)/こ う/言っ ていた―「何でやつらは俺をこんな目に合わすんだ。(高)/も う/二 度と/俺/に手を出させねえぞ…」。
「でもどうやってやつらから身を隠すんだ?」、他の者が尋ねた。
(高)/背が高く、/青 い目をした、/シレ ジア出身の炭坑夫バビンスキーは言った。「女房子供といっしょに森の奥深くに住みつくよ。家の周りに狼用のわなをしかけてな。(高)/家 を出ると き/必 ず銃 を持 ち歩 くようにする。誰も家には近づけさせねえ」…。
「俺もだめなのか、バビンスキー?」
P544「おまえもだめだ。俺は誰も信じねえ…。」
水兵たちは私の収容所暮らしが少しでも楽になるよう≪略≫あらゆることをしてくれた。おかげで、私が食事の≪略≫列に並んだり、(高)/一 般の雑 役任 務/―床掃 除、ジャ ガイモの皮剥き、食 器洗い、共 同便 所の掃 除な ど―につく権利を取り戻すためには、何度も彼らに抗議しなければならないほどだった。一般の兵士大衆と(高)/将 校≪ 略≫/と の≪ 略≫関 係は敵対的なものだっ た。/と いうのは、将校の一部は、捕虜の 身でありな がら、「自 分の」水 兵≪ 略≫の 素行調査を≪ 略≫し ていたか らである/。(高)/将 校た ちは/つ いに、収容所司令官のモーリス大佐に直訴し、私の反愛国主義的プロパガンダに対する不平を訴えた。このイギリス軍の大佐はすかさずホーエンツォレルン家の愛国主義にくみし、(高)/今 後/私が/公衆の面前で話をすることを禁じた。もっとも、この禁≪略≫令は私の収容所生活が終わりにさしかかった頃に出されたものであり、(高)/私 と/水 兵および労働者との結びつきをよ り深 めただ けだった。/水 兵と労働者たちは、/大 佐の禁令に対 して、/五 三〇名の署名のある抗議文でもっ て/答 えた。オルセン軍曹(中島注―高田訳はここだ け「オルソン軍曹」と表記している)による苛酷な支配のもとで行なわれたこの一種の人民投票は、アムハースト収容所で味わったあらゆる労苦をつぐなってあまりある満足感を私に与えてくれた。
われわれが収容所に捕われていたあいだずっと、収容所当局は、われわれがロシア政府P545と 通信する権利を一貫して拒否し続けた。(高)/わ れわれが/ペ トログラードに宛てた/電 報は/当 地に発信されなかった。われわれはこの措置について英国首相のロイド=ジョージに訴えようとしたが、この電報も差し止められた。(高)/植 民地にい たころの習慣で、/モー リス大佐は/被勾留者の人身保護をないがしろにすることに慣れっこになっていた。しかも、戦争は、この種の不法を正当化する絶好の口実となった。さらにこの収容所司令官は、私に対し≪略≫、妻との面会を許可するにあたって、(高)/ロ シア領事館へ の/い かなる/伝 言も/彼 女に/託さないことを条件にした。信じがたいことだが、事実である。私は面会を拒否した。もちろん、領事の方も、われわれの救助を急ぐようなことはしなかった。彼は本国からの指示を待っていた。だが、どうやら指示は来なかったようである。
言っておかなければならないが、われわれの逮捕と釈放≪略≫の舞台裏については今なお完全にはわかっていない。イギリス政府は、おそらく、私がフランスで活動していた頃すでに(高)/ブ ラックリストに/私 の名前を/入れていたのだろう。イギリス政府は、私をヨーロッパから追いだすために、あらゆる手段でツァーリ政府を助けた。たぶん(高)/イ ギリス当局は、/ア メリカで の私 の反愛国的活動に関する情報を追 加し たこ の旧リ ストにもとづいて、/私 を/ハ リファックスで/逮 捕した/であろう。逮捕の知らせがロシアの革命派の新聞に伝わったとき、ペトログラードのイギリス大使館は、どうせ私が帰国しないものとふんでか、ペトログラP546ー ドの各紙に対し次のような公報を送りつけた。カナダで逮捕されたロシア人≪略≫は、「ロシアの臨時政府を転覆させる目的でドイツ大使館からの資金を手に」渡航中であった、と。これは、少なくとも、誤解の余地のない言い回しではある。レーニンによって指導されていた『プラウダ』は、(高)/明 らかにレーニン自身のペンに よって、/四 月二八日、/ブ キャナンに対し≪略≫次のように回答した。
(中島注―高田訳は四月一 六日であるが、同じである)
「(高)/ト ロツキーは、/一 九〇五年のペテルブルク労働者代表ソヴィエトの元議長であり、/数十 年に わたって/革 命に/私 心なく献 身してきた革命家である。/こ のよ うな/人物が、ドイツ政府から資金の出ている計画に関係があるなどという公報の誠実さを、一瞬たりとも信じることなどできるだろうか? それはまさに、革命家に対する明白かつ前代未聞の破廉恥な中傷である! ブキャナン氏よ、貴君はいったいこのような情報をどこから得たのか? どうして(高)/貴 君は/こ のことを/語らないのか? ……(高)/六 人もの 人間が、/同 志ト ロツキーの/手/足/を とって引 きずっていった。そしてこれはすべて、ロシアの臨時政府に対する友好の名において行なわれたのだ!」…。
この事件全体の中で≪略≫臨時政府自身が果たした役割がいかなるものであったのかという問題となると、なおさらはっきりしない。当時の外相ミリュコーフが、(高)/私の逮 捕に/心 の底から/賛成であったことは証明を要しない。彼はすでに一九〇五年以来、「トロツキズム」にP547対する敵意に満ちた闘争を遂行していたし、この用語自体、彼の発明品であった。しかし、ミリュコーフはソヴィエトに依存していたし、彼の(高)/杜 会愛国主義的/同 盟者/はまだボリシェヴィキの迫害に加担していなかっただけに、なおさら慎重に立ち回らなければならなかった。
イギリス大使のブキャナンは≪略≫回想録の中でこの間題について次のように述べている。
「トロツキーらは、彼らに対する臨時政府の意向が明らかになるまで、ハリファックスで勾留されていた。」
ブキャナンの言うところによれば、ミリュコーフはわれわれの逮捕についてただちに情報を得ていた。すでに四月八日に、イギリス大使は、われわれの釈放に関するミリュコーフの要請を 自国政府に伝えていたそうである。しかし、その二日後には、同じ≪略≫ミリュコーフが、釈放の要請を引っ込めて、われわれがもっと長くハリファックスに勾留されることを望むと伝えてきた。「というわけで」、とブキャナンは≪略≫結んでいる―「彼らの勾留が延長された責任はまさに≪略≪臨時政府にあるのである」。
以上の説明はかなり真実に近いだろう。だが、ブキャナンは、臨時政府転覆のために私が受け取ったというドイツの資金について説明するのを忘れている。そして、それも驚くに≪略≫値しない。というのも、私がペトログラードに戻った直後に私に問いつめられて窮地にP548陥っ たブキャナンは、新聞紙上で、この資金については自分のまったくあずかり知らないことであると声明することを余犠なくされたからである。「偉大な」「解放」戦争のときほど多くの嘘がつかれたことは≪略≫ない。もし嘘が爆発力を持っている≪略≫としたら、今ごろ地球は、ベルサイユ講和のはるか以前に灰燼と化していただろう。
結局、ソヴィエトが介入し、ミリュコーフは引きさがらざるをえなくなった。四月二九日、いよいよ強制収容所から釈放されるときがやってきた。だが釈放の際にも暴力が用いられた。われわれは荷物をまとめて護送兵といっしょに出発するように命じられただけであった。どこへ何の目的で移送するのか説明するようわれわれは求めた。この要求は拒否された。(高)/わ れわれが 要塞に連 行さ れるのだと 思った/捕 虜た ちは/騒然としはじめた。われわれは最寄りのロシア領事の立会いを求めた。これも≪略≫拒否された。(高)/広 大な海 上交通路を 支配下におさめている/こ れらの/紳士 たちの善意を信じない十分な理由があった。われわれは、この新たな移送の目的が教えられない限り、自分の意志で出発するつもりはないと宣言した。収容所司令官は実力の行使を命じた。護送兵≪略≫はわれわれの荷物を運んでいったが、われわれは断固として寝台の上で横になっていた。そのため、護送兵≪略≫は、一カ月前にわれわれを汽船から運びだしたときと同じように、(高)/わ れわれの手 足を持って運ぶという任務に直 面するは めになった。 しかも、今 度は、激 昂し た水 兵≪ 略≫の群 集の 中をか き分けて/そうしなけP549ればならなかった。そういう事態になって初めて、収容所司令官は譲歩し、(高)/ロ シアに送 還するためにデンマーク船に移すの だ/と、/そ の独 特のイ ギリス植民地風スタイルで/説明した。その赤黒い顔はぴくぴくひきつっていた。われわれが自分の手もとから離れていくということにどうしても我慢ならなかったのだ。アフリカの海岸で彼の手に落ちていたらいったいどうなっていただろう!… われわれが収容所から出ていくとき、捕虜の仲間たちは荘重な送別会をしてくれた。将校たちがその仕切り部屋に閉じこもり、何人かが隙間から鼻を突きだしているだけであったのに対し、水兵≪略≫と労働者≪略≫は通路の両側にずらっと整列し、即席の楽隊が革命行進曲をかなで、(高)/友 情のこもった手が/四 方八方か ら/私たちに≪略≫差し伸べられた。捕虜の一人が短い演説を行ない、ロシア革命に挨拶を送り、ドイツ君主制に呪誼の言葉を投げつけた。(高)/私 は、/戦 争まっ 最中の/ア ムハーストでド イツの水 兵たちと/交 わした/友 情を/今 でも/暖 かい/気 持ち/で思い出す。彼らの多くは、後年、(高)/ド イツから/友 情あ ふれる手 紙を/私 に/送ってくれた。
われわれを逮捕しその後私たちの出発を見届けにきたイギリスの憲兵将校マッケンに対し≪略≫、(高)/別 れ際 に/私 は、/憲法 制定議会における最初の仕事として、(高)/ロ シア市民に対す る/イ ギリスとカ ナダの警 察に よる侮 辱行 為に ついて(高)/ミ リュコーフ/外 相/に質問するつもりだ、と脅してやった。
P550すると、(高)/機 転の利く/こ の憲 兵は/次のように答えを返した―「私どもとしては、あなたが憲法制定議会に選ばれないことを願いますよ」。