『わが生涯』
 第13

中島章利

 

《凡例》

赤字―高田訳と同一。漢字⇔ひらがなの変換は同一とみな す。固有名詞の表記違いも同一とみなす。読点の有無も同一とみなす。語順の入れ替えは網掛け表示。

ピンク字単語の本質的ではない言い換えを含むが高田訳とほぼ同 一。語順の入れ替えは網掛け表示。

青字現代思潮社版と同一。語順の入れ替えは網掛け表示。

水 色―現代思潮社版と 類似。語順の入れ替えは網掛け表示。

()/ ―ロシア語原文とは語順が異なる。

()/ ―高田訳とは語順が異なる、入れ替えがある。

()/ ―現代思潮社版とは語順が異なる、入れ替えがある。

語順の入れ替え箇所を / で示す。

省略がある部分の幾つか―革命的な闘争→革命的闘争、 自由主義者→自由主義者たちといった省略や助詞の省略など意味に関係しない省略―は≪略≫で示す

 

第13章       ロシアヘの帰

 

第二回大会における私と少数派との関係は短命だった()/す でに/数ヶ 月う ちに/こ の少数派の中に/二 つの路線が/浮 上してきた。私は、分裂は重大≪略≫エピソードだがそれ以上のものではないとみなしできるだけ早く多数派統一する準備をすべきだという立場であっただが別の人々にとっては第二回大会の分裂は日和見主義に向かって進む出発点だった一九〇四年はメンシェヴィキの指導≪略≫グループとの政治的・組織的衝突明け暮れた衝突は、自由主義≪略≫に対する態度とボリシェヴィキに対する態度という二つの点をめぐって繰り広げられた私は、自由主義者≪略≫が大衆に依拠しようとする試み容赦なく排撃するべきだという立場に立まさにそれゆえ、ロシア社会民主≪省≫党の二つの分派の統一をますますきっぱりと要求するようになっていった。()/同 年九 月私 は/少 数派か らの離脱を正 式に明 した/もっ とも、四 月以来すでに事 実上その構 成メ ンバーに 属していなかったの だが()/こ の時期/私 は/ロ シア人亡命者から離れて/ミュ ンヘンで/数 カ月聞/す ごした。/こ の都市は、/当 時ドイツで最も民主的で最も芸術的とみなされていた。おかげで私は、バイエP328ル ン地方社会民主主義と、ミュンヘンの美術館と、『ジンプリチシムス』風刺画家たちについて、それなり見聞を得ることができた。

()/党 大会開 催さ れていた頃から/す でに()/ロ シア/南 部全土にわたって力強いストライキ運動に覆われていた農民騒動がますます頻繁に起こるようになった大学は騒然としていた日露戦争は一時的に運動の発展中断させたがツァーリズムの軍事的瓦解たちまち革命の力強い推進力となった新聞は大胆になり、テロリスト行動は頻発し自由主義者≪略≫は活発に動きはじめ自由主義者の祝宴カンパニア開始された。こうして革命の基本的諸問題が目の前に突きつけられることになった私にとって抽象概念であったものが、()/今 や社会的素 材で/本 格的に/満たされはじめたメンシェヴィキ、とりわけザスーリチは、()/ま すます/自由主義者≪略≫/希望 を/かけるようになっていった。

まだ大会前のことだが、()/編 集部 の会 議/カ フェ「ランドルト」で行 なわれた/あ とザスーリチは、こういう場合彼女独特の遠慮がちながら頑固な調子で()/不 満をこ ぼしたこ とがある/わ れわれが自 由主義者をあまりにも攻撃しすぎるとい うのだこれは彼女にとっていちばんの泣き所だった

()/見 てごらんなさい/彼 らがどんなに努力しているか」、()/彼 女は、/レー ニンか ら/視 線そ らしながら/言っ た。 だが、その発言は何よ りもレー ニンに向けられたものだった
P329
ストルーヴェは()/こ う言っ てます/ロ シアの自由主義者≪ 略≪は 社会主義と手を切る べきではないさ もないとド イツ≪ 略≫自 由主義惨 めな運 命をたどるこ とになりかねないフ ランスの急進社会党 を見 習うべきだ、って」。

だからこそいっそう彼らたたかなければならないんだ」、レーニンは愉快そうに微笑みながら、まるでヴェーラ・イワノヴナを挑発するように言った。「まあ、なんてこと」、彼女は、呆れてものも言えないといった調子で叫んだ―「彼らが私たちの方に向かってきているというのにその彼らをたたくだなんて!」。

()/こ の問題/私 は/全 面的にレーニンを 支持した。この間題はとともにますます決定的性質を帯びるようになった

自由主義祝宴カンパニア―これはすぐに袋小路にぶつかった―がたけなわであった一九〇四年秋私は「次は何か?」という問題を提起し次のように答えた()/ゼ ネラル・ストライキだ けが/活 路/く ことがで きる、そしてその次に来るのは自由主義に対抗して大衆の先頭に立ったプロレタリアートによる蜂起だろう、と。この立場はメンシェヴィキからの私の離反いっそう拍車をかけた

()/一 九〇五年/一 月二三日〔旧暦の一月一〇日〕早私は、汽車の中で一睡もできないまま疲れはてて講演旅行からジュネーブ帰ってきた売り子の少年が前日新聞を売ってP330た。そこには冬宮への労働者≪略≫の行進が行なわれるだろう、と未来形で書かれていた私はたぶん行なわれなかったのだろうと判断した一、二時間ほどのち『イスクラ』の編集部に立ち寄ったマルトフは極度に興奮していた

行進は行なわれなかったんでしょう?」、私は尋ねた

行なわれなかっただって?」、彼は飛びかからんばかりに言った―「僕たちは夜通しカフェに座って最新の外電を読んでいた君は何も知らないのか? ()/ほ ら、/こ れを見てみろ、/こ れを! 」、そう言って彼は新聞を差し出した私は、血の日曜日事件に関する外電記事の最初の一〇行に視線をらせた()/頭 を殴 られたような/鈍 い衝撃と焼けつくような感情の高まりに襲われた

これ以上国外にとどまってなどいられなかった大会以来、私はボリシェヴィキとつながりを持っていなかったメンシェヴィキとも組織的には手を切っていた私は自分の責任で行動しなければならなかったパスポートは学生≪省≫を通じて入手することができた一九〇四年秋に再び国外に戻ってきていた妻〔セドーヴァ〕とともにミュンヘンに向かったパルヴス()/自 分の家 に/私 たちを住まわせてくれた。その家でパルヴスは、()/一 月九日以 前の事態を論 じた/私 の/パンフレット原稿を読だ。その顔には興奮の色が隠せなかった。「今回の事件はこの論文の予測を完全に裏づけた()/ゼ ネラル・ストライキが闘争P331主 要な方法で あることを否定するも のは/誰 もま い一月九日の行進は、いかに坊主の法衣に隠れていようとも最初の政治的ストライキ()/こ れだ けは言っておかな ければ ならないが、/ロ シア革 命は民 主主 義的労 働者政 府の権 力を もたらすだろう」―パルヴスはこうした趣旨のことを私の小冊子の序文に書いてくれた。

パルヴスは()/疑 いも なく/前 世紀の 終わりか ら今世紀の はじめに かけて傑 出したマ ルクス主義者であった彼はマルクスの方法を自に駆使し広い視野を持ち、世界舞台で展開されているあらゆる重要な事柄を追っていたこのことはその思想のすばらしい大胆さと力強くたくましい文体とあいまって彼を真に傑出した著述家たらしめていた彼の初期の諸労作()/社 会革命の諸問題に/私 を近づけ()/プ ロレタリアートによる権力獲 得を/に とって/天文学的な「究極の目標から現代の実践的課題へと決定的に変えてくれたしかしパルヴスの中にはいつも何かしら無分別であぶなっかしい要素があった。何よりもこの革命家は()/金 持ちになると いうまっ たく思いもかけぬ夢に とりつかれていた。そして、()/当 時/彼 はこ の自分の社会革命構想と結びつけていた

党機は硬直してしまっている」、彼は嘆いた―「ベーベルでさえすっかりが固くなっている。われわれ革命的マルクス主義者には()/同 時にヨーロッパの三 つの言語で/発 行さ れる/大 日刊/必 要だがそれには金がいるんだ、金が」。

P332このように、この()/丸 々とした/ブ ルドッグのような/頭の 中には社会革命に関する思想と富に関する思想とがからみ合っていた彼はミュンヘンで自分の出版社を設立しようと試みたがこれはかなり惨めな結果に終わったその後、パルヴスはロシアにおもむき一九〇五年の革命に参加しただが、その()/思 想/先 駆性と独 創性/に もかかわらず指導者としての質はまるで発揮されなかった一九〇五年革命の敗北後、彼にとって下降期が始まったドイツからウィーン移り、そこからさらにコンスタンチノープルに移ってそこで世界大戦を迎えたこの戦争おいてパルヴスは一種の軍需商人として活躍し、たちまち金持ちになった。それと同時に、彼は()/ド イツ軍主 義の進歩的使命/公 然と/擁護するようになり、派と完全に手を切りドイツ社会民主党における最右翼のイデオローグの一人となった世界大戦の勃発以来私が彼と政治的のみならず、個人的にも関係を断ったことは、言うまでもない

私とセドーヴァミュンヘンからウィーンに移ったすでに亡命者ロシアヘ逆流しつつあったヴィクトル・アドラーは()/亡 命者たちパ スポートや 隠れ家の住 所を手 配するた め/仕 事/すっかり忙殺されていた彼のアパートで私は国外にいるロシア≪略≫保安警察員知れ渡ってい私の貌を床屋に頼んでつくり変えてもらった「今しがたアクセリロートから電報を受け取ったところだ」、ア ドラーは私に言ったP333ガポン国外に逃れ()/社 会民主主義者//称 しているそ うだかわいそうに彼があのまま消え失せていたら、美しい伝説が残ったのに亡命してしまったら滑稽な存在になるしかない。そう思うだろ」、アドラーは、()/皮 肉/辛 辣/和らげるような輝きをたたえながらつけ加えた―「ああいう連中は党の同志でいるより歴史の受難者でいる方がいいんだ」。

ウィーンで、私たちはセルゲイ大公暗殺の報に接したさまざまな事件があいついで起こった社会民主党の新聞は()/東 方/目 を/転じた私の妻は、キエフアパートを探し連絡をつけるために一足先に出発した。私は、()/退 役少尉補/ア ルブーゾフ/パス ポートを持って二月にキエフに到 着したが数週間アパート転々とした最初は若い弁護土の家に泊まったが彼は自分の影にさえ怯えるような人物だった次に技術専門学校の教授のところに泊まりついで自由主義派の未亡人のところに泊まった。あるときには眼科医院に潜伏したことさえあった私の素性を承知している院長の指示で看護婦が足浴してくれたり害のない目薬を点眼したりしてくれたが、それにはいささか閉口した私は二重に秘密活動をすることを余儀なくされたつまり()/非 合法の宣 伝ビラを書き、/か つ、/私 が目 を酷 使しな いよう厳 重に監視している看 護婦に 隠れて/そ れをしな ければな らなかった回診の時聞になると、院長は、信用のおけない助手を追っ払い信用のおける助手をP334ともなって私の病室にやってくると()/私 の目を診察しているかのように見せか ける ために、/す ぐにド アを 閉めて鍵 をかけ窓のカーテンを引いたそのあとで、私たち三人は用心しながらも、愉快に笑い合った

「煙草をお持ちですか? 」と院長が尋ねた

「ええ持ってます。」

「たくさん(Quantum satis)?

「ええ、たくさん(Quantum satis)!

再び私たちは笑い合った。それで診察は終わり、()/私 は/再 び/宣 伝ビラを書 きはじめるのであった。この生活は私には非常に楽しかった真面目に私に足してくれる愛想のよい年老いた看護婦に対してきまりの悪い思いをした

キエフには当時、有名な非合法印刷所があり周囲で何度も摘発があったにもかかわらず憲兵司令官ノヴィツキーおひざもとで何年も持ちこたえ私の宣伝ビラ一九〇五年春印刷したのも、この印刷所だっただがもっと長文のアピール文はキエフで知り合った若い技師のクラーシンに委ねたクラーシンはボリシェヴィキの中央委員会のメンバーでありカフカースにある()/設 備の整った/大 きな印刷所を管理していた私はキエフこの印刷所のために一連のビラ執筆した()/そ の印刷の出来栄えた るや、/非 合法P335の 条件下 ではまったく異 例なまでに/見 事だっ た

この時期の党は革命と同じくまだ非常に若くの点でも仕事の点でも未熟さと不十分さがについたもちろん、クラーシンとてそのような傾向からまったく免れているわけではなかったしかしにはすでに、堅実さや、断固たる姿勢、「行政的」能力がそなわっていた彼は一定の≪略≫経験を積んだ技師であり次々仕事をこなし非常に評価を受けていた知人の範囲も、当時の若い革命家の誰よりも広く彩だった労働者地区、技術者のアパートモスクワの自由主義≪略≫工場主の邸宅文学≪略≫サークルあらゆるところにクラーンンはつながりを持っていたこれらすべてを巧みに結びつけていたおかげで、()/彼 の前には/他 の者 にはけっして望 めないよ うな実 践的可 能性が/けていた

一九〇五年、クラーシンは党の一般的活動に参加しただけでなく最も危険な領域の活動を指導していた武装労働者≪略≫部隊の編成、武器の調達、発物製造などである広い視野を持っていたにもかかわらずクラーシンは、政治においても生活全般においても何よりも直接的な成果を追求するタイプの人間だったここに彼の強みがあった、同時にアキレス≪略≫そこにあった()/期 にわたって粘り強く/勢 力結 集し たり政 治的訓練を 積み重 ねたり、経 験理 論的に 総括したりする/こ とこうしたこと彼には向いていなかった一九〇五年革命が期待に背く結果に終わったときクラーシンの関心P336 第一位を占めたのは電気工学であり、総じて工業≪略≫であった()/ク ラーシンは/こ の分野でも傑出した実務家としての()/本 領を発揮し/並 々ならぬ成 果を達 成した技師としての活動によって得た大きな成功がそれ以前の数年間革命≪略≫活動の中で得たのと同じ個人的満足感を彼に与えたことは、疑いない十月革命に関しては、あらかじめ失敗連命づけられ冒険として敵意のこもった疑惑の目で見ていた長いあいだ彼は、経済的崩壊克服する能力がわれわれにあるとは信じていなかったしかしやがて彼は、スケールの大きい活動ができる可能性に食指を動かすことになる

一九〇五年におけるクラーシンとのつながりは私にとって、まさに天からの贈り物だった私たちはペテルブルクで落ち合うことを約束した。また、彼からペテルブルクでの隠れ家をいくつか教わったその中で最も重要だったのはコンスタンチン砲兵学校の軍医長アレクサンドル・アレクサンド ロヴィチ・リトケンスのア パートである運命()/≪ 省≫/彼 の家族長く結びつけることになったザバルカンスキー通に面した()/リ トケンスのアパート/砲 兵学 校の建物の中にあ り私は幾度となく一九〇五年の不穏な()/昼 と/≪ 略≫この中で過ごことになる。()/軍 医長のア パートに/い る/私 の/と ころへ、/≪ 略≫学 校の校庭や建 物の中で はけっして見 かけることのないタイプの人間が/衛 兵≪ 略≫の 目の前を通って/し ばしば/出 入りしていた。しかし、砲兵学校の下級職員≪略≫は軍医長に好意を寄せていたので密告されるこP337ともなくすべてが順調に運ばれた軍医長の長男≪略≫アレクサンドルは、まだ一八歳だったがすでに党に所属しており数カ月後≪略≫、オリョール県の農民運動を指導したが神経の酷使に耐えられず病気になって死去した下の息子のエヴグラフは当時高等中学校の学生だったが後年、≪略≫内戦で活躍し、ソヴィエト政府の教育関係の仕事で大きな役割を果たしただが、一九二一年クリミアでギャング団に襲われて殺された

ペテルブルクにおいて私は、公には地主ヴィケンティエフの身分証明証で暮らしていた革命家のあいだではピョートル・ペトロヴィチとして通っていた組織の上では私はどの派にも属していなかった。また、()//協 力関 係を保っていたク ラーシン/当 時/調 停派≪ 略≫ボ リシェヴィキで あったこのことは当時の私の立場からしていっそう二人のあいだを接近させた同時に私は非常に革命的な路線をとっていた()/地 方/メ ンシェヴィキ≪ 略≫・/グ ループとも連絡を取り合っていた()/私 の影響の もと、/こ のグループは、ツァー リ≪ 略≫の 諮問機関にすぎ最 初の国 会をボイコットする立 場に立 ち/メ ンシェヴィキの/在 外/指 導部と衝 突するにいたったしかし、このメンシェヴィキ・グループはまもなく壊滅した()/組 織を当局に売ったのは、/金 縁眼鏡のニコライ」と呼 ばれていたドブロスコークと いう男で、/こ のグループ活 動的メ ンバーでありながら/職 業的挑発者であった彼は、私がペテルブルクに潜伏していることを知っていたし、私の顔も知っていたそこへ、私の妻が()/森 のP33中 で行 なわれた/メー デー集会で/逮捕 されるという事件が起こった私は一時的に身を隠さなければならなくなった夏になってから私はフィンランドに逃れたそのは息つぎの合間を得て、激しい執筆活動に打ち込むとともに、短い散歩を楽しんだ。新聞をむさぼるように読み、各党の形成経過を追い新聞の切り抜きをし事実を整理した()/こ の時期に/ロ シア社会の内≪ 略≫的 諸力およびロシア革命の展望について自分の最終的な見 解をつ くり上げた私は当時次のように書いた

ロシアはブルジョア民主主義革命に直面しているこの革命の基礎をなしているのは農業問題である()/権 力/と るのは、ツァー リズム地 主に対 抗して農 民を自 らに従える階 級党 だろう。だが、自由主義者も、民主主義的インテリゲンツィアも、それを遂行する能力を持たない彼らの歴史的時期は過ぎ去ったのである()/革 命の//舞 台/す でに/プ ロレタリアートに よって/占 められている社会民主≪略」だけが労働者≪略」を通じて農民を自らに従えることができるこのことは、ロシア社会民主≪略」党の前に、西諸国よりも早く権力獲得する展望を開く社会民主≪略≫党の当面する課題は民主主義革命を完遂することであるだが権力を獲得したプロレタリアートの党は()/自 らを/民 主主義綱領に限定することはできない党は、社会主義的諸措置の道へと移行することを余儀なくされるだろう党がこの道をどこまで先に進めるかは国内の力関係のみならず()/国 際情勢//全 体に依存していP339したがって()基 本的な戦略路線は/社 会民主党/が、農民に対する影響力をめぐって自由主義非妥協的に闘争しながら()/す でに/ブ ルジョア革命の時期において/権力 獲得の課題を自らに提起する ことを求めている。」

革命の全般的展望に関する問題は戦術≪略≫諸問題と≪略≫密接に結びついていた党の中心的な政治的スローガンは憲法制定議会であったしかし革命≪略≫闘争の歩みは()/ど のように/憲 法制定議 会召集するのかという問題を提起したプロレタリアートによって指導された人民≪略≫蜂起という展望からは臨時革命政府の樹立という考えが出てくる革命におけるプロレタリアートの指導的役割は臨時革命政府におけるその決定的役割を保証することになるだろう。

この問題をめぐって、党の上層部大論争が行なわれとりわけ私とクラーシンとのあいだでもが交わされた私は、ツァーリズムに対する革命の完全な勝利は農民に依拠したプロレタリアートによる権力かあるいはプロレタリア権力への直接的な移行を意味するだろう、という趣旨のテーゼを書いたクラーシンはこのような断固とした間題設定に肝をつぶした彼は、臨時革命政府というスローガン私が作成したその行動綱領については受け入れたがその政府において社会民主≪略≫党が多数を占めるかどうかという問題をあらかじめ決定することは避けた私のテーゼはこうしたペテルブルクで印刷さP340れ、 クラーシンは、五月に国外で開催されることになっていた党全体の大会でこのテーゼを擁護することを引き受けたしかし、党全体の大会は開かれなかったその代わりクラーシンは、ボリシェヴィキだけの大会で臨時革命政府の問題に関する討論に積極的に参加しレーニン決議案に対する修正案として私のテーゼを提出したこのエピソードは政治的に非常に興味深いので第三回大会の議事録から一部を引用しよう

クラーシンは次のように述べいる。

同志レーニンの決議案に関して言えば、()/そ の欠陥/ま さに/そ れが臨時政府の問題を強 調し ていない点臨 時政府と武装蜂起との関が 十分明確に指 摘さ れていない点に/あ ると私は考える実際には臨時政府は人民≪略≪蜂起によって、その機関として発生する・・・さらに()/こ の決議案は、 あたかも臨 時革命政府武 装蜂起勝 利専 制≪ 略≪崩 壊後 になっ ては じめて現われる という見解を 表明しているが、それは不 正確である//私 は/考え るそうではなく、臨時革命政府はまさに蜂起の過程で発生しその蜂起の遂行に最も積極的に参加しそれを組織化することを通じて蜂起の勝利を保証するのである専制が完全に崩壊してしまってからようやく社会民主党臨時革命政府に参加することが可能になるかのように考えるのは無邪気である他の者火中の栗を拾ったなら、それをわれわれ分かち合おう考える者など誰もいないだろう。」

P341これは()/ほ とんど逐語的に/私 のテーゼを/なぞった定式である。

()/基 調報告の中で純理論的に問題を立 てていた/レー ニンはクラーシンの問題設定に並々ならぬ共感を寄せた。たとえば彼は次のように述べている

「全体として、私は同志クラーシンと同意見である。()/当 然の ことながら、/私 は政 論家と して/記 述的な/間 題/設 定/注意を向けた()/同 志クラーシンは闘争目標の重要性を指摘したが/こ れはまっ たく正しいし私も彼とまったく同意見である闘いとるべき地点を占領することを念頭におかないかぎり、闘うことはできない。」

決議案はクラーシンの主張に従って修正されたここで次のことを指摘しておくのも無駄ではなかろうすなわち、昨今の論争において臨時政府に関する≪略≫第三回大会の決議≪略≫が()/「ト ロツキズム」に対抗して/何 百回となく/持ち出されたことであるスターリン的思考様式に毒された「赤い教授」連中は()/私 に反 対す るた めに/レー ニン主義の模 範と して/引用している章句/実は私によって書かれた/ものであることをつゆ知らないのである

* * *
 私が暮らしていたフィンランドの環境は、およそ永続革命≪略≫思い出させるようなものではなかった丘陵松林湖水()/秋 の/澄 みきった/空 気そして静寂九月末、私はフィンP342ラ ンドのさらに奥へと引っ込み、森の≪略≫湖畔にぽつんと建っている「ラウハ」というペンションに落ち着いたこの名前はフィンランド語で「静寂」という意味である()/秋 をむ かえた/広 大なペンションは、完全に静まり返っていたスウェーデンの作家がイギリスの女優といっしょにこの数日間をペンションで過ごしていたが勘定を払わずに旅だった宿の主人は彼らを追ってヘルシングフォルス〔ヘルシンキ〕に急行した女主人は重い病でふせっていてシャンパンの助けを借りてどうにか心臓を動かしていた。もっとも、私は一度も彼女の姿を見たことはなかったが。()/主 人の留 守中に/彼 女は/死ん だ彼女の遺体は私の()//部 屋/安置 された給仕()/主 人を探しに/ヘ ルシングフォルス/向かった客へのサービス係としてボーイが一人残されただけになった。

()/大 量の/初 雪が/降っ た松林は一面の雪に覆われた。ペンションは死んだように静まりかえっていたボーイは地下にある台所へと姿を消し私の部屋の上には死んだ女主人が眠っていた私は一人きりだったそれはまさしく「ラウハ」、静寂そのものだったの姿はなく物音ひとつ聞こえなかった私はひたすら書き散歩した

ある日の郵便配達人が一束のペテルブルクの新聞を持ってきた私は片っぱしから開いて読んだそれはまさに()/開 け放たれた窓 から/暴 風雨が/飛び 込んできたようなものだったストライキが発生しまたたくまに広がり都市から都市へと波及しつつあった

P343ホテルの静寂の中で、新聞のガサガサ≪略≫いう音が≪略≫雪崩の轟音のように私の耳に響いた革命は全速力で進行しつつあった

私は急いでボーイ勘定を払い、馬車を呼びつけ「静寂」を置き去りにしたまま雪崩に向かってを走らせたそしてその夜、すでに私は、ペテルブルクにある技術高等専門学校の講堂の演壇に立っていた。