『わが生涯』 第13章
中島章利
《凡例》
赤字―高田訳と同一。漢字⇔ひらがなの変換は同一とみな す。固有名詞の表記違いも同一とみなす。読点の有無も同一とみなす。語順の入れ替えは網掛け表示。
ピンク字―単語の本質的ではない言い換えを含むが高田訳とほぼ同 一。語順の入れ替えは網掛け表示。
青字―現代思潮社版と同一。語順の入れ替えは網掛け表示。
水 色―現代思潮社版と 類似。語順の入れ替えは網掛け表示。
(露)/ ―ロシア語原文とは語順が異なる。
(高)/ ―高田訳とは語順が異なる、入れ替えがある。
(現)/ ―現代思潮社版とは語順が異なる、入れ替えがある。
語順の入れ替え箇所を / で示す。
省略がある部分の幾つか―革命的な闘争→革命的闘争、 自由主義者→自由主義者たちといった省略や助詞の省略など意味に関係しない省略―は≪略≫で示す
第13章 ロシアヘの帰還
第二回大会における私と少数派との関係は短命だった。(高)/す でに/数ヶ 月のう ちに、/こ の少数派の中に/二 つの路線が/浮 上してきた。私は、分裂は重大≪略≫エピソードだがそれ以上のものではないとみなし、できるだけ早く多数派と統一する準備をすべきだという立場であった。だが別の人々にとっては、第二回大会での分裂は日和見主義に向かって進む出発点だった。一九〇四年は、メンシェヴィキの指導≪略≫グループとの政治的・組織的衝突に明け暮れた。衝突は、自由主義≪略≫に対する態度とボリシェヴィキに対する態度という二つの点をめぐって繰り広げられた。私は、自由主義者≪略≫が大衆に依拠しようとする試みを容赦なく排撃するべきだという立場に立ち、まさにそれゆえ、ロシア社会民主≪省≫党の二つの分派の統一をますますきっぱりと要求するようになっていった。(高)/同 年九 月、私 は/少 数派か らの離脱を正 式に表明 した。/もっ とも、四 月以来すでに、事 実上その構 成メ ンバーに 属していなかったの だが。(高)/こ の時期、/私 は、/ロ シア人亡命者から離れて/ミュ ンヘンで/数 カ月聞/す ごした。/こ の都市は、/当 時ドイツで最も民主的で最も芸術的とみなされていた。おかげで私は、バイエP328ル ン地方の社会民主主義と、ミュンヘンの美術館と、『ジンプリチシムス』の風刺画家たちについて、それなりの見聞を得ることができた。
(高)/党 大会が開 催さ れていた頃から/す でに、(高)/ロ シア/南 部は全土にわたって力強いストライキ運動に覆われていた。農民騒動がますます頻繁に起こるようになった。大学は騒然としていた。日露戦争は一時的に運動の発展を中断させたが、ツァーリズムの軍事的瓦解はたちまち革命の力強い推進力となった。新聞は大胆になり、テロリスト的行動は頻発し、自由主義者≪略≫は活発に動きはじめ、自由主義者の祝宴カンパニアが開始された。こうして革命の基本的諸問題が目の前に突きつけられることになった。私にとって抽象的概念であったものが、(高)/今 や社会的素 材で/本 格的に/満たされはじめた。メンシェヴィキ、とりわけザスーリチは、(高)/ま すます/自由主義者≪略≫に/希望 を/かけるようになっていった。
まだ大会前のことだが、(高)/編 集部 の会 議が/カ フェ「ランドルト」で行 なわれた/あ と、ザスーリチは、こういう場合の彼女に独特の、遠慮がちながら頑固な調子で、(高)/不 満をこ ぼしたこ とがある。/わ れわれが自 由主義者をあまりにも攻撃しすぎるとい うのだ。これは彼女にとっていちばんの泣き所だった。
「(高)/見 てごらんなさい、/彼 らがどんなに努力しているかを」、(高)/彼 女は、/レー ニンか ら/視 線をそ らしながら/言っ た。 だが、その発言は何よ りもレー ニンに向けられたものだった―
P329「ストルーヴェは(高)/こ う言っ てます。/ロ シアの自由主義者≪ 略≪は 社会主義と手を切る べきではない。さ もないと、ド イツ≪ 略≫自 由主義の惨 めな運 命をたどるこ とになりかねない。フ ランスの急進社会党 を見 習うべきだ、って」。
「だからこそ、いっそう彼らをたたかなければならないんだ」、レーニンは愉快そうに微笑みながら、まるでヴェーラ・イワノヴナを挑発するように言った。「まあ、なんてこと」、彼女は、呆れてものも言えないといった調子で叫んだ―「彼らが私たちの方に向かってきているというのに、その彼らをたたくだなんて!」。
(高)/こ の問題で/私 は/全 面的にレーニンを 支持した。この間題は時とともにますます決定的な性質を帯びるようになった。
自由主義者の祝宴カンパニア―これはすぐに袋小路にぶつかった―がたけなわであった一九〇四年秋、私は「次は何か?」という問題を提起し、次のように答えた。(高)/ゼ ネラル・ストライキだ けが/活 路を/開く ことがで きる、そしてその次に来るのは、自由主義に対抗して大衆の先頭に立ったプロレタリアートによる蜂起だろう、と。この立場は、メンシェヴィキからの私の離反にいっそう拍車をかけた。
(高)/一 九〇五年の/一 月二三日〔旧暦の一月一〇日〕早朝、私は、汽車の中で一睡もできないまま疲れはてて講演旅行からジュネーブに帰ってきた。売り子の少年が前日の新聞を売ってきP330た。そこには、冬宮への労働者≪略≫の行進が行なわれるだろう、と未来形で書かれていた。私はたぶん行なわれなかったのだろうと判断した。一、二時間ほどのち、『イスクラ』の編集部に立ち寄った。マルトフは極度に興奮していた。
「行進は行なわれなかったんでしょう?」、私は尋ねた。
「行なわれなかっただって?」、彼は飛びかからんばかりに言った―「僕たちは夜通しカフェに座って、最新の外電を読んでいたんだ。君は何も知らないのか? (高)/ほ ら、/こ れを見てみろ、/こ れを! 」、そう言って彼は新聞を差し出した。私は、血の日曜日事件に関する外電記事の最初の一〇行に視線を走らせた。(高)/頭 を殴 られたような/鈍 い衝撃と焼けつくような感情の高まりに襲われた。
これ以上国外にとどまってなどいられなかった。大会以来、私はボリシェヴィキとつながりを持っていなかった。メンシェヴィキとも組織的には手を切っていた。私は自分の責任で行動しなければならなかった。パスポートは学生≪省≫を通じて入手することができた。一九〇四年秋に再び国外に戻ってきていた妻〔セドーヴァ〕とともに、ミュンヘンに向かった。パルヴスが(高)/自 分の家 に/私 たちを住まわせてくれた。その家でパルヴスは、(高)/一 月九日以 前の事態を論 じた/私 の/パンフレット原稿を読んだ。その顔には興奮の色が隠せなかった。「今回の事件はこの論文の予測を完全に裏づけた。今や、(高)/ゼ ネラル・ストライキが闘争P331の主 要な方法で あることを否定するも のは/誰 もいま い。一月九日の行進は、いかに坊主の法衣に隠れていようとも、最初の政治的ストライキだ。(高)/こ れだ けは言っておかな ければ ならないが、/ロ シアの革 命は、民 主主 義的労 働者政 府の権 力を もたらすだろう」―パルヴスは、こうした趣旨のことを、私の小冊子の序文に書いてくれた。
パルヴスは、(高)/疑 いも なく、/前 世紀の 終わりか ら今世紀の はじめに かけて傑 出したマ ルクス主義者であった。彼はマルクスの方法を自在に駆使し、広い視野を持ち、世界の舞台で展開されているあらゆる重要な事柄を追っていた。このことは、その思想のすばらしい大胆さと力強くたくましい文体とあいまって、彼を真に傑出した著述家たらしめていた。彼の初期の諸労作は(高)/社 会革命の諸問題に/私 を近づけ、(高)/プ ロレタリアートによる権力の獲 得を、/私に とって/天文学的な「究極の」目標から現代の実践的課題へと決定的に変えてくれた。しかし、パルヴスの中には、いつも何かしら無分別であぶなっかしい要素があった。何よりもこの革命家は、(高)/金 持ちになると いうまっ たく思いもかけぬ夢想に とりつかれていた。そして、(高)/当 時/彼 は、こ の夢想を自分の社会革命的構想とも結びつけていた。
「党機構は硬直してしまっている」、彼は嘆いた―「ベーベルでさえすっかり頭が固くなっている。われわれ革命的マルクス主義者には、(高)/同 時にヨーロッパの三 つの言語で/発 行さ れる/大 日刊紙が/必 要だ。だが、それには金がいるんだ、大金が」。
P332このように、この(高)/重く丸 々とした/ブ ルドッグのような/頭の 中には社会革命に関する思想と富に関する思想とがからみ合っていた。彼はミュンヘンで自分の出版社を設立しようと試みたが、これはかなり惨めな結果に終わった。その後、パルヴスはロシアにおもむき、一九〇五年の革命に参加した。だが、その(高)/思 想の/先 駆性と独 創性/に もかかわらず、指導者としての資質はまるで発揮されなかった。一九〇五年革命の敗北後、彼にとって下降期が始まった。ドイツからウィーンに移り、そこからさらにコンスタンチノープルに移って、そこで世界大戦を迎えた。この戦争においてパルヴスは一種の軍需商人として活躍し、たちまち金持ちになった。それと同時に、彼は、(高)/ド イツ軍国主 義の進歩的使命を/公 然と/擁護するようになり、左派と完全に手を切り、ドイツ社会民主党における最右翼のイデオローグの一人となった。世界大戦の勃発以来、私が彼と政治的のみならず、個人的にも関係を断ったことは、言うまでもない。
私とセドーヴァはミュンヘンからウィーンに移った。すでに亡命者の波がロシアヘと逆流しつつあった。ヴィクトル・アドラーは、(高)/亡 命者たちに金やパ スポートや 隠れ家の住 所を手 配するた めの/仕 事に/すっかり忙殺されていた。彼のアパートで私は、国外にいるロシア≪略≫保安警察員に知れ渡っている私の外貌を床屋に頼んでつくり変えてもらった。「今しがたアクセリロートから電報を受け取ったところだ」、ア ドラーは私に言った―P333「ガポンは国外に逃れ、(高)/社 会民主主義者を/自/称 しているそ うだ。かわいそうに…。彼があのまま消え失せていたら、美しい伝説が残ったのに。亡命してしまったら、滑稽な存在になるしかない。そう思うだろ」、アドラーは、(高)/皮 肉の/辛 辣さ/を和らげるような輝きをたたえながらつけ加えた―「ああいう連中は党の同志でいるより歴史の受難者でいる方がいいんだ」。
ウィーンで、私たちはセルゲイ大公暗殺の報に接した。さまざまな事件があいついで起こった。社会民主党の新聞は(高)/東 方に/目 を/転じた。私の妻は、キエフでアパートを探し、連絡をつけるために、一足先に出発した。私は、(高)/退 役少尉補/ア ルブーゾフの/パス ポートを持って二月にキエフに到 着したが、数週間はアパートを転々とした。最初は若い弁護土の家に泊まったが、彼は自分の影にさえ怯えるような人物だった。次に、技術専門学校の教授のところに泊まり、ついで自由主義派の未亡人のところに泊まった。あるときには眼科医院に潜伏したことさえあった。私の素性を承知している院長の指示で、看護婦が足浴してくれたり、害のない目薬を点眼したりしてくれたが、それにはいささか閉口した。私は二重に秘密活動をすることを余儀なくされた。つまり、(高)/非 合法の宣 伝ビラを書き、/か つ、/私 が目 を酷 使しな いよう厳 重に監視している看 護婦に 隠れて/そ れをしな ければな らなかった。回診の時聞になると、院長は、信用のおけない助手を追っ払い、信用のおける女の助手をP334ともなって私の病室にやってくると、(高)/私 の目を診察しているかのように見せか ける ために、/す ぐにド アを 閉めて鍵 をかけ、窓のカーテンを引いた。そのあとで、私たち三人は用心しながらも、愉快に笑い合った。
「煙草をお持ちですか? 」と院長が尋ねた。
「ええ持ってます。」
「たくさん(Quantum satis)? 」
「ええ、たくさん(Quantum satis)!」
再び私たちは笑い合った。それで診察は終わり、(高)/私 は/再 び/宣 伝ビラを書 きはじめるのであった。この生活は私には非常に楽しかったが、真面目に私に足浴してくれる愛想のよい年老いた看護婦に対しては、きまりの悪い思いをした。
キエフには当時、有名な非合法印刷所があり、周囲で何度も摘発があったにもかかわらず、憲兵司令官ノヴィツキーのおひざもとで何年も持ちこたえた。私の宣伝ビラを一九〇五年春に印刷したのも、この印刷所だった。だが、もっと長文のアピール文は、キエフで知り合った若い技師のクラーシンに委ねた。クラーシンはボリシェヴィキの中央委員会のメンバーであり、カフカースにある、(高)/設 備の整った/大 きな印刷所を管理していた。私はキエフでこの印刷所のために一連のビラを執筆したが、(高)/そ の印刷の出来栄えた るや、/非 合法P335の 条件下 ではまったく異 例なまでに/見 事だっ た。
この時期の党は、革命と同じくまだ非常に若く、人物の点でも仕事の点でも、未熟さと不十分さが目についた。もちろん、クラーシンとて、そのような傾向からまったく免れているわけではなかった。しかし、彼にはすでに、堅実さや、断固たる姿勢、「行政的」能力がそなわっていた。彼は一定の≪略≫経験を積んだ技師であり、次々と仕事をこなし、非常に高い評価を受けていた。知人の範囲も、当時の若い革命家の誰よりも広く、多彩だった。労働者地区、技術者のアパート、モスクワの自由主義≪略≫工場主の邸宅、文学≪略≫サークル―あらゆるところにクラーンンはつながりを持っていた。これらすべてを巧みに結びつけていたおかげで、(高)/彼 の前には、/他 の者 にはけっして望 めないよ うな実 践的可 能性が/開けていた。
一九〇五年、クラーシンは党の一般的な活動に参加しただけでなく、最も危険な領域の活動をも指導していた。武装労働者≪略≫部隊の編成、武器の調達、爆発物の製造などである。広い視野を持っていたにもかかわらず、クラーシンは、政治においても、生活全般においても、何よりも直接的な成果を追求するタイプの人間だった。ここに彼の強みがあったが、同時にアキレス腱も≪略≫そこにあった。(高)/長期 にわたって粘り強く、/諸勢 力を結 集し たり、政 治的訓練を 積み重 ねたり、経 験を理 論的に 総括したりする/こ と―こうしたことは彼には向いていなかった。一九〇五年革命が期待に背く結果に終わったとき、クラーシンの関心のP336 第一位を占めたのは電気工学であり、総じて工業≪略≫であった。(高)/ク ラーシンは/こ の分野でも傑出した実務家としての(高)/本 領を発揮し、/並 々ならぬ成 果を達 成した。技師としての活動によって得た大きな成功が、それ以前の数年間に革命≪略≫活動の中で得たのと同じ個人的満足感を彼に与えたことは、疑いない。十月革命に関しては、あらかじめ失敗が連命づけられた冒険として、敵意のこもった疑惑の目で見ていた。長いあいだ彼は、経済的崩壊を克服する能力がわれわれにあるとは信じていなかった。しかし、やがて彼は、スケールの大きい活動ができる可能性に食指を動かすことになる…。
一九〇五年におけるクラーシンとのつながりは、私にとって、まさに天からの贈り物だった。私たちはペテルブルクで落ち合うことを約束した。また、彼からペテルブルクでの隠れ家をいくつか教わった。その中で最も重要だったのは、コンスタンチン砲兵学校の軍医長アレクサンドル・アレクサンド ロヴィチ・リトケンスのア パートである。運命は(高)/私≪ 省≫を/彼 の家族に長く結びつけることになった。ザバルカンスキー大通に面した(高)/リ トケンスのアパートは/砲 兵学 校の建物の中にあ り、私は幾度となく一九〇五年の不穏な(高)/昼 と/夜≪ 略≫をこの中で過ごすことになる。(高)/軍 医長のア パートに/い る/私 の/と ころへ、/軍≪ 略≫学 校の校庭や建 物の中で はけっして見 かけることのないタイプの人間が、/衛 兵≪ 略≫の 目の前を通って/し ばしば/出 入りしていた。しかし、砲兵学校の下級職員≪略≫は軍医長に好意を寄せていたので、密告されるこP337ともなく、すべてが順調に運ばれた。軍医長の長男≪略≫アレクサンドルは、まだ一八歳だったがすでに党に所属しており、数カ月後≪略≫、オリョール県の農民運動を指導したが、神経の酷使に耐えられず、病気になって死去した。下の息子のエヴグラフは当時、高等中学校の学生だったが、後年、≪略≫内戦で活躍し、ソヴィエト政府の教育関係の仕事でも大きな役割を果たした。だが、一九二一年にクリミアでギャング団に襲われて殺された。
ペテルブルクにおいて私は、公には地主のヴィケンティエフの身分証明証で暮らしていた。革命家のあいだではピョートル・ペトロヴィチとして通っていた。組織の上では私はどの派にも属していなかった。また、(高)/私が/協 力関 係を保っていたク ラーシンは/当 時、/調 停派≪ 略≫ボ リシェヴィキで あった。このことは、当時の私の立場からして、いっそう二人のあいだを接近させた。同時に私は、非常に革命的な路線をとっていた(高)/地 方の/メ ンシェヴィキ≪ 略≫・/グ ループとも連絡を取り合っていた。(高)/私 の影響の もと、/こ のグループは、ツァー リ≪ 略≫の 諮問機関にすぎない最 初の国 会をボイコットする立 場に立 ち、/メ ンシェヴィキの/在 外/指 導部と衝 突するにいたった。しかし、このメンシェヴィキ・グループはまもなく壊滅した。(高)/組 織を当局に売ったのは、/「金 縁眼鏡のニコライ」と呼 ばれていたドブロスコークと いう男で、/こ のグループの活 動的メ ンバーでありながら/職 業的挑発者であった。彼は、私がペテルブルクに潜伏していることを知っていたし、私の顔も知っていた。そこへ、私の妻が、(高)/森 のP33中 で行 なわれた/メー デー集会で/逮捕 されるという事件が起こった。私は一時的に身を隠さなければならなくなった。夏になってから私はフィンランドに逃れた。その地で私は息つぎの合間を得て、激しい執筆活動に打ち込むとともに、短い散歩を楽しんだ。新聞をむさぼるように読み、各党の形成経過を追い、新聞の切り抜きをし、諸事実を整理した。(高)/こ の時期に/私はロ シア社会の内≪ 略≫的 諸力およびロシア革命の展望について自分の最終的な見 解をつ くり上げた。私は当時次のように書いた。
「ロシアはブルジョア民主主義革命に直面している。この革命の基礎をなしているのは農業問題である。(高)/権 力を/と るのは、ツァー リズムと地 主に対 抗して農 民を自 らに従える階 級、党 だろう。だが、自由主義者も、民主主義的インテリゲンツィアも、それを遂行する能力を持たない。彼らの歴史的時期は過ぎ去ったのである。(高)/革 命の/表/舞 台は/す でに/プ ロレタリアートに よって/占 められている。社会民主≪略」党だけが労働者≪略」を通じて農民を自らに従えることができる。このことは、ロシアの社会民主≪略」党の前に、西欧諸国でよりも早く権力を獲得する展望を開く。社会民主≪略≫党の当面する課題は民主主義革命を完遂することである。だが、権力を獲得したプロレタリアートの党は、(高)/自 らを/民 主主義綱領に限定することはできない。党は、社会主義的諸措置の道へと移行することを余儀なくされるだろう。党がこの道をどこまで先に進めるかは、国内の力関係のみならず、(高)/国 際情勢/の/全 体に依存していP339る。したがって、(高)基 本的な戦略路線は、/社 会民主党/が、農民に対する影響力をめぐって自由主義者と非妥協的に闘争しながら、(高)/す でに/ブ ルジョア革命の時期において/権力 獲得の課題を自らに提起する ことを求めている。」
革命の全般的展望に関する問題は、戦術的≪略≫諸問題と≪略≫密接に結びついていた。党の中心的な政治的スローガンは憲法制定議会であった。しかし、革命≪略≫闘争の歩みは、(高)/誰がど のように/憲 法制定議 会を召集するのかという問題を提起した。プロレタリアートによって指導された人民≪略≫蜂起という展望からは、臨時革命政府の樹立という考えが出てくる。革命におけるプロレタリアートの指導的役割は、臨時革命政府におけるその決定的な役割を保証することになるだろう。
この問題をめぐって、党の上層部で大論争が行なわれ、とりわけ私とクラーシンとのあいだでも激論が交わされた。私は、ツァーリズムに対する革命の完全な勝利は、農民に依拠したプロレタリアートによる権力か、あるいはプロレタリア権力への直接的な移行を意味するだろう、という趣旨のテーゼを書いた。クラーシンはこのような断固とした間題設定に肝をつぶした。彼は、臨時革命政府というスローガンや、私が作成したその行動綱領については受け入れたが、その政府において社会民主≪略≫党が多数を占めるかどうかという問題をあらかじめ決定することは避けた。私のテーゼはこうした形でペテルブルクで印刷さP340れ、 クラーシンは、五月に国外で開催されることになっていた党全体の大会でこのテーゼを擁護することを引き受けた。しかし、党全体の大会は開かれなかった。その代わりクラーシンは、ボリシェヴィキだけの大会で臨時革命政府の問題に関する討論に積極的に参加し、レーニンの決議案に対する修正案として私のテーゼを提出した。このエピソードは政治的に非常に興味深いので、第三回大会の議事録から一部を引用しよう。
クラーシンは次のように述べている。
「同志レーニンの決議案に関して言えば、(高)/そ の欠陥は/ま さに、/そ れが臨時政府の問題を強 調し ていない点、臨 時政府と武装蜂起との関係が 十分明確に指 摘さ れていない点に/あ る、と私は考える。実際には臨時政府は人民≪略≪蜂起によって、その機関として発生する。・・・さらに(高)/こ の決議案は、 あたかも臨 時革命政府が武 装蜂起の勝 利と専 制≪ 略≪崩 壊の後 になっ ては じめて現われる という見解を 表明しているが、それは不 正確である/と/私 は/考え る。そうではなく、臨時革命政府はまさに蜂起の過程で発生し、その蜂起の遂行に最も積極的に参加し、それを組織化することを通じて蜂起の勝利を保証するのである。専制が完全に崩壊してしまってからようやく社会民主党が臨時革命政府に参加することが可能になるかのように考えるのは、無邪気である。他の者が火中の栗を拾ったなら、それをわれわれと分かち合おうと考える者など誰もいないだろう。」
P341これは、(高)/ほ とんど逐語的に/私 のテーゼを/なぞった定式である。
(高)/基 調報告の中で純理論的に問題を立 てていた/レー ニンは、クラーシンの問題設定に並々ならぬ共感を寄せた。たとえば彼は次のように述べている。
「全体として、私は同志クラーシンと同意見である。(高)/当 然の ことながら、/私 は政 論家と して、/記 述的な/間 題/設 定に/注意を向けた。(現)/同 志クラーシンは闘争目標の重要性を指摘したが、/こ れはまっ たく正しいし、私も彼とまったく同意見である。闘いとるべき地点を占領することを念頭におかないかぎり、闘うことはできない…。」
決議案はクラーシンの主張に従って修正された。ここで次のことを指摘しておくのも無駄ではなかろう。すなわち、昨今の論争において、臨時政府に関する≪略≫第三回大会の決議≪略≫が(高)/「ト ロツキズム」に対抗して/何 百回となく/持ち出されたことである。スターリン的思考様式に毒された「赤い教授」連中は、(高)/私 に反 対す るた めに/レー ニン主義の模 範と して/引用している章句が/実は私によって書かれた/ものであることをつゆ知らないのである。
* * *
私が暮らしていたフィンランドの環境は、およそ永続革命≪略≫思い出させるようなものではなかった。丘陵、松林、湖水、(高)/秋 の/澄 みきった/空 気、そして静寂。九月末、私はフィンP342ラ ンドのさらに奥へと引っ込み、森の≪略≫湖畔にぽつんと建っている「ラウハ」というペンションに落ち着いた。この名前はフィンランド語で「静寂」という意味である。(高)/秋 をむ かえた/広 大なペンションは、完全に静まり返っていた。スウェーデンの作家がイギリスの女優といっしょにこの数日間をペンションで過ごしていたが、勘定を払わずに旅だった。宿の主人は彼らを追ってヘルシングフォルス〔ヘルシンキ〕に急行した。女主人は重い病でふせっていて、シャンパンの助けを借りてどうにか心臓を動かしていた。もっとも、私は一度も彼女の姿を見たことはなかったが。(高)/主 人の留 守中に/彼 女は/死ん だ。彼女の遺体は私の(高)/上の/部 屋に/安置 された。給仕長は(高)/主 人を探しに/ヘ ルシングフォルスに/向かった。客へのサービス係としてボーイが一人残されただけになった。
(高)/大 量の/初 雪が/降っ た。松林は一面の雪に覆われた。ペンションは死んだように静まりかえっていた。ボーイは地下にある台所へと姿を消した。私の部屋の上には死んだ女主人が眠っていた。私は一人きりだった。それはまさしく「ラウハ」、静寂そのものだった。人の姿はなく、物音ひとつ聞こえなかった。私はひたすら書き、散歩した。
ある日の晩、郵便配達人が一束のペテルブルクの新聞を持ってきた。私は片っぱしから開いて読んだ。それはまさに、(高)/開 け放たれた窓 から/暴 風雨が/飛び 込んできたようなものだった。ストライキが発生し、またたくまに広がり、都市から都市へと波及しつつあった。
P343ホテルの静寂の中で、新聞のガサガサ≪略≫いう音が≪略≫雪崩の轟音のように私の耳に響いた。革命は全速力で進行しつつあった。
私は急いでボーイに勘定を払い、馬車を呼びつけ、「静寂」を置き去りにしたまま、雪崩に向かって馬を走らせた。そしてその夜、すでに私は、ペテルブルクにある技術高等専門学校の講堂の演壇に立っていた。