暇があると、頬杖をついて、自分の好きなもののことを考えて、なんだか、うっとりしてしまうのは、子供のときからの癖であるとおもう。
誰もいない台所で、カウンターに肘をついて、虚空に目をおいて、にやにやしていたりするので、目撃されて、お手伝いの人に不気味がられたりした。
どんなことを考えているのかというと、十枚くらいも積み重なったパンケーキの、一枚ごとのそれぞれにバターが塗ってあって、トップにはカリカリに焼けたベーコンが載っていて、載りきれなくてパンケーキの周りのお皿にも散らばっていて、そのカリカリカリなstreaky baconの上から、たっぷりメープルシロップがかかっている。
よく見ると、向こう側にはフライパンで焼いた縦に切ったバナナが良い匂いをさせていて、蠱惑的な湯気を立てている。
脇の皿には当然、半熟に焼いたフライドエッグがふたつあって、パンケーキを上から食べていって、3枚目くらいになると、フライドエッグを上に載っけて、フォークの背でむぎゅっとつぶすと、黄身があふれてきて、パンケーキにしみとおっていって、興奮するくらいおいしい食べ物になる。
あまりのおいしさに、想像の世界にすぎないことを忘れて、目をぎゅっとつむります。
よく考えると、おもしろいことだが、子供のときは、現実の朝食は、たっぷりミルクが入った紅茶だったのに、おなじ子供の頃でも、想像のなかではコーヒーで、しかも、その頃から大好きだったラテやカフェ・コン・レチェではなくて、アメリカのダイナーで出てくるような「レギュラー・コーヒー」だった。
いま書きながら理由を考えると、多分、子供のときに初めてアメリカを訪問したときから、どういう理由によるのかダイナーというものが好きで、イリノイやテキサスの田舎の町を訪ねたときは無論のこと、マンハッタンでさえ、親たちにせがんで、ダイナーに必ず連れて行ってもらった。
おとなになってから考えてみると、あれはダイナーと行っても、観光名所みたいなところであって、いわばなんちゃってダイナーだが、カーネギーホールのすぐそばの
Brooklyn Dinerという有名な店で、観光名所とはいいじょう、パンケーキもチキン・ポット・パイも、好物のアメリカ食べ物が、やたらとおいしい店で、おとなになってからも、いまでも、なんど足を運んだかしれない。
そのダイナーの幸福な朝の記憶が強く影響していたからで、子供に刺激が強い幸福を与えると、天使が翼でつくった影のように脳髄の表面に投射されて、思考そのものに影響を与えるようになる良い例なのではあるまいか。
自分が一生というものに対して、ほぼバカみたいに楽観的で、テキトーであって、なんだか紆余ったり曲折したりしても、結局は大団円のめでたしめでたしになるに違いないというような、はなはだしくシアワセなアイデアを持っているのは、もしかすると、子供のときに遭遇した幸福な時間が、あまりに強烈だったからかもしれません。
薬物に中毒して脳が変性したりするのはヤクチュウだが、幸福に中毒して脳が機能障害を起こすのは、なんと言うのだろうか。
シアチュウ、かしら。
この頃、また、日本のことをよく考える。
瘧が収まったというか、なにかが心からポロリととれるようにとれて、記憶のなかの異文化に対しても紐帯というものがあるとして、その紐帯が切れてしまって、別にうんざりしたわけでもなく、2010年を最後に日本に滞在しようと思わなくなった最大の理由である放射性物質の蔓延とも関係がないが、いまでは、どうして、ああも日本に興味があったのか判らないし、特にネットを通して日本の文化や社会のforeignに感じられる部分がおおきくなって、なんだか自分とは縁がない国だったなとおもって、再訪するという気持もなくなってしまったが、それは悪いことではなくて、正常に復しただけであるというか、日本語で考えることに集中するあまり、日本人みたいな気持になってしまって、日本語の感情が血流をめぐりはじめる、ということがなくなって、少し輪郭がぼけて、色が褪せた、現実なのか幻影なのかも判然としない、姿の美しい日本が記憶の霞の向こうに立っているだけです。
上田の別所温泉に安楽寺という曹洞宗の寺があって、八角三重塔で有名だが、クルマを止めて門から入ろうとしたら、寺の人が来て、もう閉める時間なのだという。
しばらく考えていて、外国人のふたりづれで、ほんとうは軽井沢からやってきただけだったが遠くから遙々来たのに気の毒だと誤解したのでしょう、
特別に開けますよ。
それにね、あなたがたは、とても運が良い。
明日からはハイシーズンで、拝観料が上がるんです、と言って笑いながら、一揖という言葉が相応しいお辞儀をして、去って行った。
門から入って、曲がった瞬間に、タイムワープすることになっている。
瞬間的に空気が鎌倉時代のものになるような錯覚が起きる。
鎌倉にも断片的には、残っている。
例えば夕暮れの日野俊基の墓や、やはり夕暮れの名越えの切り通し、釈迦堂や朝比奈の切り通しに残っているような、あの「空気」が、この八角三重塔のある境内には、まるのまま、おおきな塊になって残っていて、唖然とした気持になって、やがて、粛然とする。
普段は、プロの写真家が舌をまく腕前で、素晴らしい写真を撮るモニさんが、カメラを手にもったまま、塔をみあげているので、
「写真、撮らないんですか?」と聞くと、次に来たときに、たくさん撮るからいい、と述べて、全身で境内の鎌倉時代のエーテルを吸収しようとしているかのように、身動きひとつせず立っています。
日本には異界が、そこここにある。
佐久の天狗山トンネルというトンネルを抜けると、そこにまったく近代とは相貌が異なる異形の世界があって、どこまでも黄金の稲穂の海が広がっていて、これが現実だろうかとおもうほど美しい風景をつくっているのは、前にも述べたことがある。
クルマを止めて、誰もいない稲田のまんなかに立っていると、風がふきぬけていって、日本人の特別な、宗教的と呼びたくなるほどの米への情熱をこめて丹精を込めてつくられた稲穂が、ざああーという音を立てて、日本の美しさというものが、結局は、人間の将来への希望をつかみとるための努力の結晶なのだということが、理屈ではなくて判る。
あるいは、鎌倉は、過剰なくらいの量の死が、あの小さな町に堆積していて、朝比奈の入り口からもう、山の斜面から墓地が町を見守る姿が見えて、そこここに墓地があって、円覚寺にも妙法寺にも、たくさんの死が豊蔵されている。
死の美しさの発見は、日本の人の文化上の偉業であるとおもいます。
西洋人が見いだした死の美しさは死者の無軌道を手にすることに憧れた、言ってしまえばオカルト的なものであることを免れないが、日本人は生よりも正統な美を死において見いだした。
侍の自死の昔から、日本人が何かといえば死にたがるのは、生の汚濁から自分の魂を救済するための死への衝動だとおもうが、そのほかに、もう物質に煩わされずにすむ、死というものの不可触の永遠の美に憧れるからではないだろうか。
日本の怪談の特徴は、最近こそ人間の悪意を下敷きにした救いのない恐怖が売り物であるけれども、それは、「呪怨」くらいから始まった新しい傾向で、もともとは、恐怖よりも、美しく、哀れで、人間という儚い存在が精一杯に永遠というものに反抗する姿を描いたものが多いのは、小泉八雲の手を通じて、記録された小泉節子の数々の口承の物語が伝えている。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/05/31/thesweetestlittlewoman/
自分にとって日本は何だったのだろう?
と、この頃よく考えるが、それは、なんだかありきたりだけれども「西洋ではない視点」であったのだとおもう。
日本人は、なあんとなくアジア系西洋人とでもいうような風で、うまく近代の世界を説得して、まわりの国も、なあんとなく、「日本人ってアジア人だけど西洋人として行動したがる風変わりなハイブリッドなのよね」とおもうことになっているけれども、しかし、それは、実は根本から大間違いのヘンテコな話であるのかも知れなくて、ありえないものはありえないのだというか、和魂洋才だの脱亜入欧なんてやれないのがあたりまえで、言葉の遊びで文明が建設できるものならやってみろというかなんというか、日本人も西洋人も含めて、世界中の人間が、日本と日本人というものに、現実とは似ても似つかない、途方もなくええかげんな認識をもってしまっているのではないだろうか。
能楽には日本がたくさん詰まっている。
もう少し詳らかに言うと、日本という沈黙がいっぱい、ぎゅうぎゅうに詰まっている。
すでに死んでしまっているのに、そのことを知らないまま、舞台の上で、泣き、舞い、慟哭する魂は、あれは、ほんとうは日本そのものなのではあるまいか。
あの言語表現が届き得ない美を、どう贔屓目に見ても気高い倫理性を持ったことがない民族が、どうやって作り得たかを考えると、死の沈黙と絶対性が持つ美への激しい憧れ以外には考えられない。
人間性も生を享受する悦びも投げ捨てた人間の、破滅の側からの絶対優位のメッセージとして、足運びは静かになり、舞台は沈み、薪の炎が闇に沈む。
あの、突然沈黙の闇に響き渡る鼓の音の恐ろしさは、つまりは、あの死の世界においては、われわれは鹿威しの、鹿の側に立たされているからであるに違いない。
子供の頃から日本人のおとなでも退屈する能楽のほうがきらびやかでウィットもある歌舞伎より遙かに好きであったのは、子供心にいままで目にしたことがない死の美学に惹かれるところがあったからでしょう。
歌舞伎はイアフォンがウイットも筋書きも英語でみんな解説してくれるが、能楽は、ただ視覚美と音で、しかし、日本を愛するには、言語的な意味がみな削がれおちた能楽のほうが適していたのは、死者と交感するには、言語はむしろ邪魔であったのだとおもっています。
Hurdy Gurdy Man
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/
に書かれている午後を過ごした日が、日本滞在の最後の日だった。
あのときから、日本は少しづつ遠い存在になって、いまは、ときどきは夜半の夢のなかにだけ存在する国であったような気がすることがある。
あれほど異なった国。
湿った空気と、暗い常緑樹の、たしかにコンクリートに蚕食されているのに、それでも圧倒的な緑で囲まれた印象を持っているのは、多分、日本の歴史的な姿が、そう呼びたければ神が、現代日本のコンクリートの開発を、まだ許してはいないからでしょう。
コンクリートジャングルであるのに、街の形はいまでも森のままであるような町は、日本にはいくらでもある。
名前のない通り。
暗闇坂、紀尾井坂、魚藍坂、幽霊坂。
通りには名前がついていないのに、坂には名前が付いていて、あまつさえ坂の名の標識までが立っていて、不思議な不思議な町を、歩いて、なんだか死後の世界を旅してきたような気持になって振り返ってみることがある。
これから暫く、ときどき、大好きだったものを振り返って遊ぶ、ひとり遊びの癖に付き合ってください。
話しているうちには、いつか、どこかで会ったことがあるのを、おもいだすかもしれない。
現実の路上ではなくて、夢のなかだったかもしれないけれど。
>門から入って、曲がった瞬間に、タイムワープすることになっている。
ガメさんがあの瞬間、あの体感を知っているなんて、なんて嬉しいことだろう。
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来週末に迫った京都検定1級試験を前に、テキストにしがみいた方が効率的だと解っているのに、現場に行ったほうが骨身で理解できると屁理屈をこいて京都のあちこちに出かける日々。今日も京都御苑の拾翠亭や御所に出かけては「ほほう、これが地震殿か」などと満足してみたり。
1級の試験はそれこそ重箱の隅をつつくような問題のオンパレードで、真面目に取り組むと自然にマニアになる。オタクになる。そうなると観光客でごった返してる清水寺なんかには行きたくなくなります。アホくさくて。
京都の知識を溜め込もうとしているのは京都のガイドなどしたいと思ってるからで、京都検定1級だとたいそう箔がつくかなあとかさもしいことを考えたりしてるわけだけど、ガイドに必要な知識は、実際にはバスの乗り換えの妙だとか、どこのカフェは素敵とか、そういうことの方だと思います。
この時期みんな紅葉を目指してて、京都好きフォーラムでは紅葉写真が目白押しで、そんな中僕の投稿は広沢池の鯉あげで池の水が抜かれている写真とか。赤い葉っぱなどカケラもないので誰もイイねを押してくれません。マニアな知識は観光客や自称京都好きには不要なのかもしれません。
今回の文章を読んで、ああ、京都にもぞわぞわする場所はいくつかあるなと思いました。そういうところをどう紹介すればいいのか。そういうところを理解して感動するにはある程度のスキルや感性が必要で、だから誰でも案内して良いということではないでしょう。ましてや、一生に1度しか来ないであろう海外からの観光客を、金閣寺や清水寺に連れて行かずに上御霊神社というのは、彼らにとって良いことなのかどうかよくわかりません。
ただでさえテキストにしがみつく時間が足りてないのに、さらにコメントなど書いてたりしてたら、来週末の試験結果は………。まあ頑張りますわ〜。
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遠野物語が怖いのはなぜだろう って思う。魂が震える ってゆーのか 頭の芯までぶるぶると震えて、そのあと何故だか 憑き物が落ちた やうに すっきりとした気分になる。感動ってゆってもいろいろある。涙が出たり 腹から笑ったり、気分が高揚したり 怒りがこみ上げたり・・
魂が震える のは何か幽霊や物の怪と共振するものがあるのだろう。
幽霊になってまで人前に出てこなければならない 人間存在の哀しさ
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