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劉連仁事件のあらまし

劉連仁さんは、山東省の青島から車で1時間半ほどの高密県草泊村(現在の地名)で、両親と弟4人、妹1人、それに妻を含めて9人の家族で、地主から土地を借りて、細々と農業を営んでおりました。 当時劉連仁さんは32歳で妻は妊娠9ヶ月でした。

1944年8月頃(旧暦)、自宅を出たところで、中国かいらい軍(偽軍)4人に銃を突きつけられ拉致されました。当時、付近の村でも拉致事件が起きてお り、お金を払えば釈放されるという噂もありましたが、貧しいためにお金を払う余裕もなく、高蜜の駅から青島に連行されてしまいます。ここから800人ぐら いの中国人とともに、門司港に移送され、行き先も知らされないまま、北海道の明治鉱業所昭和鉱業所(沼田町)に連行されました。

ここでは、石炭の掘削と運搬が主な仕事で、昼夜2交替の12時間労働、食事時間以外に休憩時間も与えられず、その食事も1回に饅頭1個というひどいものでした。

その上、仕事のノルマが達せられない時は、そばにある棒くい、鉄棒、シャベルなどで暴力の制裁を受けました。あるとき、暴力で殺されるという危機を感じて、仲間4人とともに逃亡しました。

逃亡後は、北海道の山野をさまよい歩きますが、仲間も捕まりたった一人になってしまいます。劉連仁さんは、捕まれば殺されると思い、人に会うことを恐れて ほら穴を堀り、「穴から穴へ」の生活を続け、冬になれば極寒の地になる北海道の山奥で、日本の敗戦も知らずに13年も生き抜きました。しかし、劉連仁さん は絶望して、2回も自殺を図ったそうです。1958年1月末、当別町の山奥の洞穴に隠れていたところを、うさぎ猟にきた人に発見されました。

当時の政府(総理大臣は強制連行を実行した東条内閣の商工大臣であった岸信介)は、劉連仁さんを不法入国者、不法残留者として扱い、強制連行・強制労働の事実を認めませんでした。ところが帰国の前日、愛知官房長官から、手紙と十万円が届けられました。劉連仁さんは、拉致し虐待した事実も認めず、謝罪もない金銭の受取りを拒否し、「日本政府に対する賠償を含む一切の請求権を留保する」という声明を出して、白山丸で帰国しました。

戦後50年になる1996年、再三にわたる謝罪と賠償の要求を無視してきた日本政府を相手に、劉連仁さんは東京地裁に提訴しました。2001年7月、請求 金額全額を認めさせる勝利の判決を得ましたが、劉連仁さんはこのことを知ることなく、前年の9月に病気のため87歳で亡くなりました。いま、妻の趙玉蘭さ ん、長男の劉煥新さん、長女の劉萍さんが訴訟を引継ぎ、劉煥新さんが原告代表として何度も来日して、裁判を闘っております。  

東京地裁で画期的勝利!

2001年7月12日、東京地裁で被告国に対して勝利の判決を勝ち取りました。

《判決のポイント》

  • 戦前の強制連行・強制労働の事実を明確に認定し、劉連仁さんの被害の実態を克明に認定した。
  • 不当な奴隷労働に耐えかね、脱出して山中に逃げた劉連仁さんに対し、これを発見し救出すべき義務が政府にあったとし、戦後救済義務違反を認めた。
  • 「時の壁」(除斥期間の適用)によって逃げようとする政府に対し、「正義・公平の理念に反する」として戦後の責任を認めた。
  • 以上の認定の上にたって、「劉連仁が被った精神的損害を慰謝するための金額は、2000万円を下ることはない」と請求全額を認めた。

この判決は、戦前の強制連行・強制労働の法的責任を認めるものではなかったのですが、中国人の戦後補償裁判では初めての勝利でした。 勝利判決後、直ちに 首相官邸への面会要請、内閣府、外務省、法務省、厚生労働省などへ控訴を断念するよう要請行動を行ないましたが、不当にも国は判決を不服として、控訴をし ました。

しかし、この判決の成果は、福岡地裁判決の企業への勝利、新潟地裁での国と企業への勝利と繋がってくるだけでなく、他の戦後補償裁判の闘いに生かされてきています。

控訴審のたたかい

私たちは、2002年1月に控訴審を支援するために、また全国の強制連行訴訟のたたかいと連帯するために、「中国人強制連行・劉連仁裁判勝利実行委員会」 を結成いたしました。 この実行委員会は、毎回の法廷への傍聴や報告集会の呼びかけ、ニュースの発行などを行い、来日した原告のお世話などをやってきまし た。 また、劉連仁国際署名ネット事務局にも加わり、100万人国際署名にも取組みました。

原告代表の劉煥新さんは、ほとんどの控訴審に来日して参加し、東京都内だけでなく全国各地の労組や団体を回って署名の要請をしてきました。 この署名運動 は、中国の方でも広範な支持を受けて、2003年11月には100万筆(日本373,439、中国629,162)を突破することができ、裁判所に提出い たしました。 

また、2004年3月には、劉連仁さん発見の地・北海道当別町の山奥や強制労働をさせられた沼田町の明治鉱業所跡での雪の中での自主「現場検証」を行い、 法廷で上映することも出来ました。 控訴審は11回開かれ、10月26日には結審を終え、来春の判決が予想されます。

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