トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

赤木さん長女の野杁さん 「女優とは思えない、普通の人でした」

2018年11月30日 紙面から

囲み取材に応じる赤木春恵さんの長女・野杁泉さん(隈崎稔樹撮影)

写真

 赤木さんの長女の野杁泉さん(61)は東京都府中市の赤木さんの事務所兼自宅前で会見し、赤木さんの最期の様子などを語った。

 野杁さんによれば、赤木さんは3年前に大腿(だいたい)骨の手術を受けてからは入退院を繰り返していた。元気だったが、1カ月ほど前に体調を崩し、予断を許さない状況が続いていたという。「日に日に、階段を下りるように弱っていった感じでした」。入退院の期間中には、パーキンソン病の診断もされたが悪化しなかった。認知症的なこともなく、最期までしっかり話もできたという。

 「つらいこともあったと思いますが、泰然自若としていて、愚痴も文句も言わない人でした。強くてやさしい人。人をかき分けて前に出るタイプじゃなく、とても女優が職業とは思えなかった。普通の人でした」と振り返った。

 10月末ごろ、赤木さんは孫娘に「みっちゃんが来たの。潮を吹く魚の話をしたの」と親しかった森光子さんの話をしたことがあったという。かつて2人でハワイに行ってクジラを見たことがあり、野杁さんは、その時の記憶がよみがえってきたのではないか、と話した。

 家族に見守られた安らかな最期だった。泉さんは「これ以上頑張ったら、娘が倒れちゃうと思って天国にいったのかと思います」と涙ぐんでいた。

弔問を終えた川崎麻世

写真

◆川崎麻世 自身の離婚問題で「心配かけました」

 赤木さんの自宅には同じ所属事務所の大空真弓(78)、川崎麻世(55)や女優仲間の音無美紀子(68)らが弔問に駆け付けた。

 赤木さんと舞台で何度も共演した川崎は「大好きな女優さんでした。素晴らしい人生を送られ、最期まで女優として生き抜いたと思います。麻世は可能性を持ってる、自分を大事に頑張れ、と励ましの言葉もいただいていました」としのんだ。

 最後に会ったのは2011年の赤木さんの誕生日を祝う食事会だった。電話ではたびたび話していたそうで、川崎の離婚問題も気にかけていたという。「僕のプライベートのことでも最後の最後まで心配していただいた。いろいろご心配をかけてごめんなさい、と言ってきました」と涙ながらに話した。

◆「おもちのような手」

 ▽赤木さんと親交の深かった女優浜木綿子(83) 「入退院をされていることはうかがっていましたが、まさかこんなに早く逝ってしまわれるとは。共演した楽屋では、赤木さんの赤ちゃんのような、おもちのような手を握ってから舞台に上がっていました。それが力になり、励ましになっていました。人の心を察知するお優しい方、本当に良い方でした。寂しいです」

 

この記事を印刷する

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ