OVER PRINCE 作:神埼 黒音
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マルチビジョン
―――エ・ランテル
都市長のパナソレイは何度も書き直した手紙を再度、早馬に託して王都へと走らせる。
訓練された伝書鳩にもそれらを括り付け、窓から放つ。
そして、問題の「彼」の下へも馬を走らす。先程、馬車を借りていったという情報が入ったので、急いで後を追わせる事にしたのだ……《新たなプレート》を持たせて。
(貴族派などの手に負えるような人物ではない……)
頭に浮かぶのは遠国の貴人。
当初は貴族派に良いように使われているのかと思っていたが、とんでもない話であった。
彼は―――異常だ。
あの森の賢王を力で従えたというだけでもその異常さが分かるというのに、凱旋してくるや否や、瞬く間に街の英雄となったのだ。いや、あの熱狂は英雄どころではない。
自分は幸い、仕事でその姿を見る事はなかったが、見た者が口を揃えて言うのだ。
―――――あんな魅力的な人物を見た事がない、と
無論、森の賢王を従える程の力の持ち主だ。英雄として崇められるのは当然だろう。
だが、軽く数万人は居たであろう群集を一人残らず熱狂させるなど、そんな事がありえるのだろうか?最初に浮かんだのは何かの魔法かマジックアイテムだったが、そんな広範囲に無差別に、その上、どれだけ時間が経過しても薄れないものなど、聞いた事もない。
そんなものがあるなら、この国はとっくに一つに纏まっているだろう。
それどころか、あらゆる国家が統一されるではないか。
そこまで考えて、パナソレイは思わず笑ってしまう。
余りにも国が長く停滞し、二つに割れてしまっているからだろう……。
すぐ都合の良い英雄などを求めてしまう。自分でさえこうなのだから、疲弊しきった民衆からすれば尚更だ……下手をすれば、彼を担いで反乱すら起きかねない。
馬鹿馬鹿しい、と笑うのは簡単だ。
だが、何十万という民の命を預かる者としては、あらゆるケースに備えなくてはならない。
(せめてもの救いは、彼にその手の野心は薄そうだという事ぐらいか……)
彼に本当にその気があるなら、あの場から消えたりせず、悠々と街に滞在していれば良い。
それだけで、この街は彼のシンパだらけになっていたかも知れないのだから。
(もしくは、あの熱狂には何か条件があるのか?)
日時、秒数、太陽の位置、星の場所、魔力、何らかの儀式、一度しか使えない………
分からない。分からない。
ただ、自分の知る限りの事は書いた。
(そして、蒼の薔薇との関係……)
ティア殿だけではなく、門番の話では何とリーダーであるアインドラ家の令嬢と共に居たと言う。
彼女はラナー殿下と非常に親しい為、国王派であると断言出来るが、一緒に居る彼まで果たして、そうであるかは断言出来ない。もしくは取り込もうとしている最中なのかも知れない。
現状では余りにも情報が不足し、打てる手が少なすぎた。
自分に出来たのは冒険者組合の長・アインザックと相談し、大幅にランクを上げる事を決定した事ぐらいである。
周囲の冒険者から反発が生まれるかも知れないが、彼を敵に回すのはもっと恐ろしい。
少なくとも、立てた功績にはきっちり報いる、という事だけは伝えておかなければ……。
(これ以上の政治的な判断は、陛下のお考えに委ねるしかあるまい)
パナソレイはハンカチで汗を拭い、コップに入った水を勢い良く飲み干した。
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―――――リ・エスティーゼ王国 王城
「クライムの好きな英雄、と呼ばれる方なのかも知れませんね」
「是非、そうあって欲しいと思います」
王城の一室で、ラナーとクライムがゆったりとした時間を過ごしていた。
見た目は可憐な姫と、純朴な従者と言った風の二人だが、可憐である筈の姫の頭は忙しく回転している。エ・ランテルから何度も送られてくる連絡についてだ。
黄金と呼ばれるラナーを以ってしても、その男が何者なのか見当がつかないのだ。
(その男は一体、何―――?)
父から、メイドから、噂から、僅かに入ってくる情報を纏め上げ、一つの情報としていく。
王城に閉じ込められている自分には情報源が余りにも少ない。
遥か南方の国から来た王子などと言われているらしいが、当然そんな話に信憑性などない。
むしろ、人の皮をかぶった悪魔である、と考える方が余程合点が行く。
数百年を生きる大魔獣を力ずくで従え、何万とも何十万ともいわれる観衆を熱狂させる。
それも、一瞬で。
それは果たして、簡単に英雄などという言葉で括って良い存在か?
違う。
違うだろう。
それはむしろ、王や皇帝、時には悪魔と呼ばれる存在に近い。
危険だ。
―――――この国にとっては。
が、自分にとって危険かどうかは別だ。
どれだけの延命策を施しても一向に纏まらず、崩壊の亀裂が深まるばかりの現状。
このままでは自分と、鎖に繋いで一生飼いたいと思っているクライムが幸福に暮らしていくには難しいだろう。現状のままでは大貴族の誰かに嫁がされ、自分の未来は闇に落ちる。
幾許かの時間を稼ぐ為にも………
いっそ、その悪魔のような男を使って現状という壁にぶつけてしまうのも良いかも知れない。
流石に破壊する事は無理でも、多少の穴でも空けば掘り出し物ではないか。
「クライムも、英雄になりたいのですか?」
クライム用に作った無邪気で、何処までも明るい笑顔を作りながら聞いてみる。
数え切れない程の表情パターンを作ってきたが、この表情は特別だ。
彼が最も好むであろう表情だからこそ、気が抜けない。
そして、この表情を信じ、太陽のように明るく、民に何処までも慈愛の目を向ける姫、という彼が自分に抱いているイメージを想う時、愉悦が背筋から込み上げてくるのだ。
(そんな者は何処にも居ない……目の前に居る私は全て嘘なんですよ、クライム?)
そんな都合の良い、御伽噺に出てくるような姫が何処に居るのだろうか。
居るならば是非、そう―――私が見てみたい。
余りの可笑しさに笑い出したくなる。
いけない、いけない……顔の表情を保たなくては。
「い、いえ……!英雄なんて、自分にはそんな大それた………!」
顔を真っ赤にして左右に振っている。可愛い犬だ。
この純朴な瞳が、自分の本当の姿を知ったらどのように歪むのであろうか。
(英雄、か………)
その男を何らかの悪に仕立て上げ、最後にはクライムが討つ、というシナリオを描くのも悪くないかも知れない。ただ、そのシナリオで行くと蒼の薔薇が敵に回る可能性がある。
この短期間で、百戦錬磨の彼女達からこれ程の信頼を得るとは一体………。
ともあれ、数少ない味方、それもアダマンタイト級冒険者を敵に回すのは愚の骨頂であろう。
うまく味方につけ、働いて貰わなければならない。
「私のクライムなら、きっと英雄になれます」
「………ラナー様の恥にならぬよう、粉骨砕身努めます」
さりげなく《私の》と言った部分を強調して言葉にしておく。
そう、比喩でも何でもなく。
クライムという存在は、私の《所有物》に他ならない。
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―――――スレイン法国
20名近くの様々な人間が集まり、会議が行われていたが、その報告は余りに衝撃的であった。
エ・ランテルにおいて「英雄」が誕生したと言うのだ。はじめは一笑に付していた重鎮達であったが、その人物が先日、クレマンティーヌが報告してきた人物と同一であるという。
以前、念の為に12名を以って構成される最高会議にまで議題を上げ、そこで例の戦士長暗殺の計画を延期とし、様子見を決めたばかりであった。
だと言うのに、次に入ってきた報告ではもう「英雄」となっているのだ。
何があった?
何がどうしたら、そうなる?
これまで数百年という長きに渡り、人類を裏から支えてきたスレイン法国の中枢部であっても、何が何やら分からない……といった状況である。
故に、今回は法国の各部門の頂点とも言える12名だけでなく、更に広く人を集め、知恵を絞っていたが、未だ結論は出ない。
英雄。英雄である。気軽に使って良い言葉ではない。
それが人類の為に振るわれるなら、どれだけ大きな力となる事か。
そんな英雄が、愚かな争いを繰り返す王国に現れたという。
馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑いたくなる想いと。
もしかすると、という相反する想い。
少なくとも現状として分かっている事は……その人物が、かの著名な大魔獣「森の賢王」を力ずくで服従させ、使役する事に成功したという事だ。そして、何万とも何十万とも言われる観衆から熱狂をもって迎えられた人物である、という事。
そして、性格や素行に大きな問題があるものの、確かに英雄の領域に踏み込んでいるクレマンティーヌをまるで子供扱いにし、戦う前から兜を脱がせたという、いわくつきの人物。
法国の重鎮達からすれば見当も付かない相手だ。
いや、この世界における誰からしても理解し難い人物であろう。
「ともあれ……《次元の目/プレイナーアイ》で偵察、監視を行う事を提案したい」
「無難ではあるが、それしかあるまいな」
叡者の額冠を装備した巫女を中心に、多数の魔法詠唱者から魔力を注ぎ込む大儀式。
これを以って一時的に第八位階の魔法を行使する……これこそがスレイン法国の防衛や監視、時には攻撃など、国家の安寧を保ってきた必勝のシステムであった。
これによって、幾度もの危機を辛うじて乗り越えてきた、と言って良い。
が、参考人としてこの場に呼ばれていたクレマンティーヌが声を上げる。
珍しい事だ。彼女がこんな場で、発言をした事など滅多にない。
何故なら、彼女はこの国などどうでも良いと思っているし、可能ならば、この場に居る全員を自分の手で縊り殺したいとすら思っているのだから。
「止めておいた方が宜しいかと。彼は、見た事もない魔法を行使する人物です」
普段の口調を知る者からすれば、この言葉だけで目を見開くであろう。
法国の重鎮、と呼ばれる存在が全て集まっているこの会議では、彼女も口調を改めざるを得ない。当然、その内心では狼狽している連中を見てざまぁ、と大笑いしているのだが。
生まれた時から、今日に至るまで……自分を苦しめ続けてきた連中。
その親玉どもが慌てふためいている。
これだけでも彼女の心には愉悦が走り、笑いを堪えるのに必死であった。
「それは例えば、フールーダ・パラダインのように、という事かね?」
「いいえ、それ以上かと」
帝国が誇る逸脱者、フールーダ・パラダイン。
あの人物が居る所為で、帝国には殆ど手が出せない状況にある。過去、軽く手を出し、何度か手酷い目に遭ってきた、という苦い経験があるからだ。
「フールーダ以上だと!?いい加減な事を言うな!」
「ここは普段、お前が管を巻いている酒場ではないのだ。発言に気を付けよ」
「懸命に働いている兄に恥ずかしいとは思わんのか」
それらの声を聞いて、彼女は遂に耐え切れなくなった。
もう我慢する必要はないだろう。
ないに決まっている。
こんな国、こんな連中、勝手に死んでしまえ。―――むしろ、死ね。
「―――――騒々しいのぅ。これが会議と言えるのかぇ?」
クレマンティーヌが感情を爆発させる刹那、静かな声が聖堂に響く。
法国の中でも特に尊敬と畏敬を持って知られる、カイレの声であった。
この場に居る者も、年齢的に長老とも言うべきカイレには襟を但し、頭を下げる。
良くも悪くもスレイン法国は純然たる「人間国家」である為、功ある年長者には立場や地位を越え、敬意を示す風潮が強い。
「お主ら、その人物が“神の子”であったとしたら、どうするつもりかぇ?勝手に一方的な監視や覗き見をして、その不興を買った場合、一体誰が責任を取るんぢゃ?」
その声に、聖堂が雷に打たれたように静まり返り……。
―――その後、爆発した。
「ま、まさか……カイレ様は、かの人物が“神人”であると?!」
「ワシらが知らぬ間に神が降臨され、子を残された可能性を誰が否定出来るというんぢゃ」
「し、しかし……我等はここ数百年、大陸全土へ常に“目”を広げておりました!」
「神人どころか、“神そのもの”である、という可能性を何故、お主らは考えんのぢゃ」
「か、か、神ですと!?」
「い、幾らカイレ様と言えど、冗談にも程がありましょうぞ……!」
「神が、神が……しかも、我が国ではなく、他国に!?」
カイレが口に出した“単語”に対し、一同の間に激震が走る。
クレマンティーヌも横目でカイレをチラ見し、流石に絶句していた。
(確かにモモちゃんはハンパなかったけど……へ?!もしかすると、もしかしちゃう訳!?)
クレマンティーヌの中に、生まれて初めてと言って良い奇妙な感情が生まれる。
これは喜びか?それとも恐怖か?嬉しさか?
目の前の慌てふためいている連中を見ていると、今すぐにもモモちゃんに抱き付いて熱烈なチューでもしたくなる。嬉しくて、楽しくてしょうがない。
自分は、ここの連中なんかよりよっぽどモモちゃんを知っている。会っている。言葉を交わしている!彼の声も知っている!あのトンでもない大魔法も!
(モモちゃんはなんもかんも、ブチ壊しちゃうのか!常識も風習も慣習も、何もかも!)
思わずガッツポーズをしてしまいたくなる。
何がそんなに嬉しいのか、愉快なのか、自分にもわからない。
ただ、ただ、愉快なのだ。
息が詰まるようなこの国を、大騒ぎさせているなんて笑い出したくてしょうがない。
「ともあれ、例の戦士長などに関わっておる場合ではないな……」
「いつまで愚かな派閥争いなどをしているのやら……」
「まずは然るべき人物を派遣し、その新たな英雄殿に接触を図るべきであろう」
「悪神や魔神とも言える存在であったらどうするつもりだ。八欲王を忘れた訳ではあるまい!」
「国こそ違えど、《人間》から崇められる程の英雄が悪しき存在である訳がなかろう」
「幸せな《夢》を語るのも良いが、陽光聖典への補充はどうするつもりだ?」
「予備兵を出せば良かろう!何なら風花を出せば良い」
「風花は破滅の竜王を探るのに、既に手一杯なのは知っておろう……」
「目の前に迫っている、ビーストマンの危機も忘れてはなるまい」
「いっそ、漆黒聖典か水明聖典を竜王国に出しても良いのでは?」
「神殿の守りをどうするつもりだ……狡猾なエルフの連中が何をしてくるか分からんぞ」
会議は更に騒がしさを増していく。無理もない。
突然「海外の宝くじ一等1000億円」が当たった可能性があります、などと言われてもそれをいきなり信じる者は居ない。疑って当然である。
むしろ、そんな夢のような話より今日を、まずは足元を、考えるのが人間だ。
それが人間という種の美徳でもあり、限界でもあり、モンスターとは違う所でもある。
結果的には法国の慎重さが“神”との接触を遅らせる事となったが、その結果が良いものになるのか悪いものになるのかは、まだ誰にも分からない。
そう……彼らは神を信じ、仕える者ではあっても、あくまで人間だ。
未来を完璧に予知し、最善最適の道を選ぶなど、誰にも出来ない事である。
何せ彼らの信じる“神”こそが、ウルベルニョや機関などの“架空の敵”を追うと言う、一番、ハチャメチャな道を歩み出しているのだから。
いよいよ第四章の開始です。
各地からの過大評価と、様々な思惑が鈴木悟を襲う!
そして、迫り来る(存在しない)機関の影……!
……がんばれ、さとるさま。(笑顔)