メトセラはかく語りき 金銭編

この数年でも、びっくりすることがいくつかあった。
オカネのことで言えばビットコインで、ピラニアの群れのなかに投げ込まれた経済の未来というか、人間のすさまじい吝嗇のなかに投げ込まれて、あっというまに本来の仮想通貨から、本質はチューリップでもNTT株でも、なんだって同じのただの投機対象にされて、よってたかって、機能をひんむかれて、もみくちゃになって、陵辱されたあげく、「けっ、ただの売女じゃねーか」ということになって、泥まみれの姿で市場のドブに放り込まれておわってしまった。

その結果は、悲惨なもので、だいたいUSDで8000くらいのところで落ち着いたら、機能させようと待ち構えていたひとびとも、ほぼ仮想通貨としてのビットコインは、少なくとも暫くのあいだは、諦めざるをえなくなった。
「数学理論の裏付けがある経済市場」という人類の夢は、人間の貪欲さに負けて、また数十年、遠のいてしまったことになる。

肥沃な農土に変わるはずだった荒野に、なすすべもなく、また立って、皆がああでもないこうでもない、まるで経済を知っているような顔をつくるのが上手な順にテレビに顔を売ったりして、いわば市場の「鞘稼ぎ」に精ををだす学者芸人や、やり手ファンドマネージャーの、愚かな顔を観なければならないのかとおもうと、うんざりどころではない。

昔から有名な実験があって、これは、いまも繰り返し行われて、結果は同じだが、ファンドマネージャーならファンドマネージャーの「優秀な専門家」がつくったポートフォリオと、チンパンジーにダートを投げさせてつくったチョーテキトー・ポトフォリオを較べると、たいした変わりが見られない、とプリンストン大学教授のBurton Malkielが述べて、その現実の報告が記されている著書、

A Random Walk Down Wall Streetがベストセラーになったのは1973年だった。

2011年になると、この、長い間信じられていたリサーチの結果に、一群のひとびと、例えばResearch AffiliatesのCEO、Rob Arnottが異議を唱える。

「Burton Malkielの説は正しくない。我々は異なるインデックスで、もっと慎重に検討してみたが、チンパンジーが投げるダートでつくったポートフォリオのほうが、トップの専門家たちがつくったポートフォリオよりも、遙かにおおくの収益を生んでいることが確認された」

チンパンジーのほうが、年収数十億円のファンドマネージャーや銀行員たちよりも、すぐれた市場予測をすることは、それ以来、何度も何度も確認されている。

数学と経済市場の知識があって、このブログをずっと読んで来てくれた人は、ところどころ「えっ?」とおもう箇所に遭遇して、胸がキュンとしたに違いない、もしかしたら発狂しそうになったかもしれない。

そうでなくて、あんた、ウソをついているんでしょうが、って?
あのね、そんなことを言うなんて、きみ、日本人なんじゃないの?

わしは、もともと勉強して、使い途がなくなった数学の趣味が昂じて投資を始めたのは、前にも書いたことがある。
元金は、多分、きみが毎日つかっているもののなかに入っている小さな小さなものについてのアイデアであったりして、中松博士というか、発明でつくった。
つくった、というよりも、「できた」といったほうがいいか。

ともかく、数学というよりも、その数学の広い地平のなかの幾何学という分野に基づく知識によった、おもいつきで、なるほど、こうやるといいのね、という手管を編み出して、投資の第一段階は、それに拠って、ぬははは、になったのだった。

2010年になると、「これから7年は、子育てとオカネモウケとオベンキョー三昧になるのじゃ」と宣言して、地球の辺境、ニュージーランドに立てこもって、といっても、二度ほど、大規模な欧州遠征をやったが、だいたいはオーストラリアとニュージーランドの辺境ブラザースのふたつの国にこもって、ひきこもり青年をやっていた。

小さいひとびとは、折角、不良にしようと尽力した父親の願いと努力も虚しく、母親似のドマジメ人間になって、オカネモウケは、バブル景気のブースターがついて、なんだかアホらしいくらい資産が増えてしまって、オベンキョーは、
語学をはじめ、やっぱりアホなんじゃんな短足な進歩を遂げた。

念の為にいうと、ここで、「短足な進歩」というのは「長足の進歩」というイメージ的に把握しにくい日本語表現のために、いまわしが発明した反対表現です。

みっつのなかで、いっちゃん簡単だったのは、オカネモウケだった。
既存の数学で応用できることは、オカネの世界では極端に少ない。
不動産については、あれこれ、理論を立てて、その理論に従って、むやみやたらと儲かったが、振り返って考えてみると、あれは、理論で儲かったというのは単なる妄想で、もしかして、ただのバブル景気だったんじゃないの? と言われると、そうなような気がしなくもないが、なあーに、オカネモウケというような反知性的な行為においても、自分が頭がいいせいで儲かったということにしておいたほうが、朝の目覚めがえらそーになってよいのです。

え?
その秘密を教えろって?
伊峡のラーメンをおごってくれたら教えてあげよう。

チャーシューは3枚ないと嫌だからね、

なんちて。

冗談です。
教えませんよ。
オカネモウケの呪文を他人に教えてどうする。
本を書いたりテレビに出たりして、いろいろ、アベノミクス、なんちゃって、呪文を唱えたりしてるひとびとをみてみいよ。

みんなビンボでしょう?
売れる呪文は効験がないから売れる。
効験あらかたな呪文は、自分の手のひらに書いて、自分だけが読むのが最もよいのだとゆわれている。

プライベートに講義を依頼して、経済理論を解説してもらったフランクリン・ルーズベルト大統領が、「いまのは、いったいなんだ。経済学者だと聞いていたのに、数学者なんじゃないの? なんか、騙された感じ」と、ブツクサ言われた、経済学者John Maynard Keynesは、歴事上の5大投資家に必ず加えられる、J.M.Keynesと同姓同名です。

このふたりが同姓同名であることには、実は、必然的な理由がある。

ははは。
からかって、ごめん。
おなじ人なのね。
ケインズが、アラン・チューリングが卒業したキングス・カレッジで取った学位は数学です。

この人が、どのくらい凄腕の投資家だったかというと、キングスカレッジの事務長時代には、3万ポンドの基金を、40万ポンド近くになるまで増やしている。

ケインズのカネモウケの人としての立場は判りやすいというか、(広義の)数学で判ることと、数学で判らないことに市場をわけて、前者に較べれば圧倒的な大部分を占める数学で判らないことに対しては、数学者の常識をもって臨んで、非数学的な事象として対処した。

日本でも有名な「金融市場への賢明な投資は、100枚の写真のなかから最も美しい女の人だと思う人への投票ではなく、最もたくさんの人が美人と考える人への投票であるべきだ」という「市場美人投票説」は、元の英語がKeynesian beauty contestというので判るとおり、この人が挙げた例えです。

余計なことを書くと、あんまりそのことについて触れた本は、少なくとも英語ではあまりないのではないかとおもうが、ケインズは、この時代では極めて特異な投資家で、それまではインサイダー取引が主で、「一般投資家」も、誰と誰がクラブで会っていたというようなゴシップを元に、そのインサイダーの情報交換によってどこの株があがるかを予測して投資する、ということが当たり前であった時代に、
インサイダー情報が手に入る立場であったのに、断って、新聞の株式欄の数字だけから判断して、いわば完全なオープン市場を仮想的につくりだして株を売買していたことで、これによって、ケインズがどんな投資思想をもっていたか、よく判ります。
株式が、ちょうどいまの不動産市場のように、一部のインサイダー情報に基づく相対取引でしかなかった時代に、現代的な投資をおこなって成功した人だった。

この記事は、ヘンな人がやってくるだけでうんざりなので、もういま以上は金輪際書かないことに決めたオカネ記事へのアフターサービスとして書いている。
食後の、熱いお絞りでんねん。

最近は欧州にも、あのニッポンの熱いおしぼりは進出して、いつかバルセロナのカーサブランカの裏にある有名なレストランで、入ってきた、いかにも大学教授風の知的風貌のおっちゃんを見るともなく眺めていたら、本がぎっしり詰まっていそうな、でっかい革鞄を傍らの椅子のうえにおいて、ウエイトレスに「とりあえず、ビール!」というなり、渡された、あっちっちなおしぼりを、勢いよく、盛大な音を立てて「パンッ」とやったので、モニさんと、笑いをこらえて、顔が真っ赤になって、死にそうになったことがあった。

あれは、いま考えてみると、きっと日本に留学していたか住んでいたことがある人だったのだとおもうが、アフターサービスというのは、かくも重大なものなのである。

ビットコインが、瞬く間に市場での存在の意味が変わって、チューリップの球根に化けてしまったのを見ても判るとおり、投資や金融の世界から投機に以降してしまうことによって、すべての金融商品は、行く先が見えなくなってしまう。
わしはウルフ村田の大ファンだが、人間としてであって、こんなことをいうと威勢良く怒り出すに決まっているが、ウルフ村田が説いているのは、いかに「投機」市場で勝つか、ということで、少なくともわし定義での「投資」とは何の関係もない。
だから、ウルフさん、ごめんね。
ウルフさんが勧奨する銘柄に興味をもったことも全くない。
「池のなかの鯨」という。
あれはネガティブな例えだが、ウルフさんの基本的な発想は、池の中に、小さくても鯨をつくるのがいいという発想であることもおおくて、いまちょっと事のついでだから説明する気になったが、特殊性を持つ日本市場では、割といい考えではある。

慌てて書くと、「特殊性」と言っても、金融文化というようなことではなくて、
数字を挙げるのがいちばん手っ取り早いだろうとおもうが、世界全体の株式市場のなかで日本株が占める割合は、たしかいまでは8.5%内外だったと思います。

確かめてみる気もおきないので、ググれば簡単に出てくるはずなので自分で見てもらいたいが、21世紀初頭には15%くらいだったのが、いまはそのくらいになっている。
世界第2位の市場なんだけどね。

第一位のアメリカが53%だか54%だかなので、群小マーケットの首位、というような立場にあるのが日本の株式市場で、しかも参加者が圧倒的に日本人なので、おのずから特殊になる。
ほら、「会社四季報」って、あるでしょう?
あれをみんなが読んで、毎日みんながおなじ日経新聞を毎朝読んでから参加するマーケットなんて、珍しいのですよ。

ちょっと頭をまわして考えてみると判るが、おおきなdiversityを持ついまの世界経済市場で、たった8.5%の規模しか持たず、しかもひどく偏った産業構成を持つマーケットでは、投資はすべからく投機に変化してゆく。
これはよく英語世界では日本市場の説明に挙がる例だが、ソフトバンクは、
いま会社のウエブサイトを見ると、社債が、
S&PでBB+、ムーディーズでBa1
と書かれている。

記憶をたどると、ひと頃より、よくなっているとおもうが、それでも、国でいえばフィリピンくらいで、お寿司屋さんふうにいうと「投機の上」です。
でも日本では、そんなもん、気にする人いませんよ、なのは、つまりは、日本の市場全体が小さいからです。

ほら。
前に、どうしても投資をやりたければ、まず

The Intelligent Investor (邦題:賢明なる投資家)

くらいから読んで、いっぱいオカネ読書して、いざ買うかなあ、となったら、一個一個の会社を研究して、PEをはじめ、指標はあたりまえ、経営者の人格、考え方、行跡まで、ちゃんと調べて買わないとダメだよ、と述べたでしょう。

わしの誠実を極めるお友達たちのことだから、ちゃんと言うことを理解してくれて、The Intelligent Investor の、ぶっとい本を買ってきて、
開いてみて、うおおおおお、とおもって、枕にして、ぐわああああああ、とおもいきり午寝をしたと思います。

オカネの話、つまんないでしょう?
だから、言うたやん。(←文末に、見えない草が生えている)

あのときは、わざと言わなかったが、実はどうしてもどうしてもどうしてーーーーも、投資をやりたくて、でもお勉強は頭が受け付けないんです、という人に対して勧められる方法がなくはない。

ちょうど毎月の貯金のようにして、ドル・コスト平均法でETFを買う。
ググると、いっぱい、この方法に反対する人の記事が出てくると思います。
でも、まあ、気にしなければいいんですよ。
「そんな、ひどい」というかもしれないが、この見るからにテキトーな記事が信じられない人は、投資なんかしないで、オカネのことを忘れて、マンガを描いて遊んでいるのが最もよい。
皮肉じゃないのね。
マンガを描くには絵が下手なんですけど、という場合は、最近あきられて低調だが、ポケモンGO!なんかのゲームがよいと思われる。
あれ、ほら、歩くからね。
健康に資する無料ゲームであるところがよい。

書いていて、飽きてきたので、もう終わりにしたいが、ひとつだけ、つけくわえておいたほうがよいことがあります。

前にも触れたが、不動産市場(いつか話そうとおもうが、実は、不動産には言葉の正しい意味での「市場」なんてものはないのだけど)も、株式市場も、大恐慌だとか、戦争の勃発だとか、そーゆーブラックスワン的なイベントは「ない」ことになっている。
あるんだから、そんなことではおかしいではないか、と言う人が直ぐに出てくるもので、気持は判らなくはないが、交通事故に遭うことを前提に十字軍の甲冑に身を固めて出勤すると、多分、昼休みになる前に課長に呼ばれて、二三日休んできなさい、と言われると思う。

リスクを標準偏差と読みかえて、μ+2σで、95.44%なのは、誰でも知っていることだと思うが、5%に満たない確率で起きることに備えて投資行動を取るくらいなら、初めから投資になど興味をもたないほうがいいに決まっている。

だから、普段は、財政上の問題として、いろいろな青森賢人会のひとびとが卓見主任なことを述べている国債の過剰発効や、あまつさえ、日銀が株をぶわぶわ買ってしまうようなことに「お、おい。発狂したのか」というのは正しいが、日々を生活する個人としては、そんなもん気にして生活しているわけにはいかない、というほうが正常であるとおもわれる。

考えるのをやめてもダイジョブで、ただ、日本の場合は、やや特殊な事情があるので、心配ならば、国債金利の上昇を監視しているだけでよいとおもう。
国債金利の引き受け手がいよいよ減少して、金利が上がり、特に同時に円安がトレンドとして始まった場合には、腰を浮かして逃げにかかったほうがよい。
その後にやってくるのは、日本の場合、ここまででは想像もつかなかったハイパーインフレだとおもうが、諄々に考えて行くと、個人からすれば、実は、上記の指標が「明らかに変曲点を越えた」と判断したところで行動しはじめて時間的には十分間に合うはずです。

歴史的に言っても、おおきな経済変動で破滅するのは、

1 奇妙な理屈を信じ込んで、あるいは吹き込まれて、妙に頑張ってなにもしないでいてしまう人

2 市場の変化に機敏に反応して行動を起こしてしまう人

の二種類で、経済の動きは「前代未聞の急速な動き」と表現されるような事象でも、人間の感覚からすると、ひどくゆっくりなので、「自分が100%確かだと予測した危機」が、すぐに現実となって現れないことに焦れて破滅してしまう人のほうが遙かに多い事をおぼえているといいとおもう。

特に日本の人の場合は「社会のがわの視点に立って」ものを見ることしか出来ない、いわば全体の視点に特化された観察をする人がおおいので、失敗しそうで、あぶなっかしい人が、オカネの理屈に通暁しているはずの人のあいだで多いように見えます。

オカネも、恋愛や、仕事や、研究と同様、自分でやってみなければ、コツ、という言い方がケーハクでよろしくなければ真芯のところがつかめないのは、おなじことで、あたりまえです。
ひとの話を聴いて、おお、そうか、じゃ、もうカネモチになったも同然じゃん、というわけにはいかない。

これから、きみは、たったひとりで、あるいは滅法、運がよければ生涯を共にする人とふたりで、オカネの海を渡っていくことになるわけだけど、海の水が飲めないのとおなじことで、オカネは、あんまりきみの役に立ってはくれない。
でも、前から何度も述べているように、この世界は、99%のどうでもいいことで出来上がっていて、オカネは、その「どうでもいい99%」からきみを解放してくれる。
自分の一生を、おもいっきり「価値のある1%」に集中して使える。

あ。
最後に、もうひとつ言い忘れたことをいうと、例えば、さっき言ったように数学的に言えば、ETFに投資する、言葉を変えれば、市場そのものの成長に投資するのが最もよいのだけれども、ここで注意しなくてはいけないのは、日本の株式市場のETFでは市場の成長に投資したことにはならないことです。
それは、いわば「日本株式会社」に投資したことにしかならない。
国別の市場規模に従って比例配分して投資するのがよいが、めんどくさければ、なにしろ世界の半分以上を占めていて、なんでんかんでん揃っているアメリカ市場のETFを買うのが良いとおもわれる。

それからね。
実は投資家というのは、成功ばかりしている人はオカネのことがちゃんと判っていないカネバカの人が多いんです。
わしも、そのくちだとおもう。
一万円なくなっても、一億円なくなっても、おなじ痛みしか感じないカネ鈍感男なのではないか。
逆に、オカネの感覚がある人は、なぜか、必ず失敗するように見えます。

どうしてだかは、判りません。
もしかしたら、神様は、オカネのことばかり考えている人間が嫌いなのではないかしら。

いいとしこいて詩を書いていたり、妻の横顔を絵に描いて、これなら壁に飾れるな、とひとりごちていたり、子供部屋のベッドのわきで、あきもせずに、小さい人の寝顔をジッと見つめていたりする人のほうが、神様はずっと好きなのではないか、と信ずべき理由がある。

神様は残酷であるようでいて、案外、やさしい気持がある人なのかも知れません。

 

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One Response to メトセラはかく語りき 金銭編

  1. odakin says:

    親切で優しい記事、ありがとう。

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