野球に興味のある人も、ない人も、ここ数年のセ・リーグの異変には気づいているだろう。
広島カープ──快進撃、三連覇。
近年のカープの強さはセントラル・リーグ屈指で他球団の追随を許していない。クライマックスシリーズのファイナルステージでは難なく巨人を退け、日本シリーズ進出を決めたのは周知のとおり。また、2018年シーズンの観客動員数は過去最高の223万人を記録した。
もう4年も経つが、黒田博樹がメジャーから21億6000万円の超高額オファーを蹴ってカープに戻ってきた。全国的に脚光をあびただけではない、世の中に、お金にかえられないものの貴さ、貫く仁義、その生きざまを見せつけ、全国の野球ファンはもちろん、中年サラリーマンの心をわしづかみにした。「男気」が社会現象にまでなった。
いま、カープが第二次黄金期に突入したのは衆目の一致するところだ。セ・リーグで三連覇以上の実績はあの川上巨人軍が、ONを擁して達成したV9以外はない。
ただ、第一次黄金期の最後の優勝となった1991年のことが頭をよぎる。あの年は炎のストッパー津田恒美が病に倒れ、その後、大野豊がリリーフで孤軍奮闘。打線は小粒ながらつなぐ四番の西田真二がヒットを重ね、小刻みに得点を重ねていった。
歓喜の日は10月13日の広島市民球場だった。ダブルヘッダー、第2戦の阪神戦、9回2死、大野が投げたバッターのひざ元に沈む変化球に古屋英夫はハーフスイングで三振。マウンド上で抱き合う、大野、達川光男──。すぐさま胴上げとなり、山本浩二監督の大きな体が、宙に舞った。
興奮さめやらぬセレモニーの数分後、広島市民球場ではグラウンドにシートが敷かれ、たる酒が割られた。あろうことかグラウンドでのビールかけだ。このことはファンと一体になった歓喜のビールかけとして伝説になり、まさに市民球団らしい一幕と今でも語り継がれている。
内情としては、優勝しながらも122万人余程度の観客動員数では、苦し紛れの球団経営であったことは否めない。当時、広島市の人口が109万人であったことから、「あと一回みんな応援に行きましょう」と密かに合言葉が生まれたのもこの頃だった。