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「不肖・宮嶋」勝谷誠彦さんは「一言で言うと敵に回したくない人」

2018年11月29日6時0分  スポーツ報知
  • 勝谷さんの通夜に参列した宮嶋茂樹氏

 テレビなどで辛口コメンテーターとして活躍したコラムニストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さんが28日午前1時48分、肝不全のため、兵庫県尼崎市の病院で亡くなった。57歳だった。週刊誌記者、テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」や雑誌連載など幅広く活動した。最近は重症のアルコール性肝炎で入退院を繰り返していたという。この日は尼崎市内で通夜が営まれ、報道カメラマンの宮嶋茂樹氏(57)ら約300人が参列。29日に葬儀・告別式が執り行われる。

 「不肖・宮嶋」こと報道カメラマンの宮嶋茂樹氏が、勝谷さんの通夜に参列し、「不肖・宮嶋」の名付け親だった勝谷さんとの深いつながりに思いをはせた。

 20代の頃、フィリピン・マニラのゴーゴーバーで出会ったという2人。カンボジアの自衛隊派遣、湾岸戦争など、世界各地で取材した。「一言で言うと敵に回したくない人。優秀な人でした。勝谷さんが写真に興味を持った時は脅威を感じました」と振り返った。

 雑誌の企画を考えている時、勝谷さんから「『宮嶋三等兵』と『不肖・宮嶋』のどっちがいい?」と聞かれた。「不肖」は「未熟で劣ること。とるに足らない存在」の意味。宮嶋氏は「どっちも嫌だけどなあと思いながら(選んだ)。勇ましい見出しをつけて、一人称で記事を書こうと。今では名刺にも入れています」と、生みの親に感謝した。

 1991年の湾岸戦争では、現地のあまりのすさまじさに「写真は撮れません」と尻込みした宮嶋氏に「ここで撮れへんかったら、一生後悔するで」とささやいたという。「それでシャッターを押しました。後で見たらとても使える写真ではなかったですけど」と懐かしそうに振り返った。また、一番思い出に残っている取材については「渡鹿野島の潜入ルポかな。勝谷さん、途中で具合が悪いって尼崎に帰っちゃって、残り2、3日は一人で針のむしろでしたよ」と、三重県の島での潜入取材を挙げた。

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