赤穂浪士の物語といえば、播州赤穂藩の藩主であった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、足利将軍時代からの名門の家柄である吉良上野介(きらこうずけのすけ)に勅使下向(ちょくしげこう)の接待役で対立し、ついに江戸城内で上野介に脇差を抜いて討ちかかり、その日のうちに切腹を命ぜられ、赤穂藩もお取り潰し。
その主君の遺恨を晴らすために、播州赤穂の47人の浪士たちが、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の打ち鳴らす山鹿流陣太鼓のもとに、吉良邸に討ち入って、見事、主君の仇を討ったという物語です。
では、そもそもどうしてお殿様である浅野内匠頭は、吉良上野介に討ちかかるという凶行に至ったのでしょうか。
単に自分が嫌がらせを受けて腹がたったからと凶行に及んだというのなら、それではまるでバカ殿様です。
その結果、五万三千石の播州浅野家がお取り潰しになったのです。
お取り潰しになるということは、藩士たちは翌日から、全員無職無収入の浪人者になり、家族を露頭に迷わせることになることを意味します。
さらに赤穂藩の商業の取引先のすべてにも多大な迷惑を及ぼすのです。
演劇は、話を単純にしなければなりません。
ですから、そのような物語展開になります。
しかし武士は、公(おおやけ)に仕える者であって、本来「私心」を持ってはいけないとされた時代です。
まして殿様ともなれば、腹立ち紛れに凶行に及ぶなど、決してあってはならないことです。
ところがその凶行が行われ、あろうことか、元赤穂藩士たちが吉良邸に討ち入りまで行いました。
集団での討ち入りは、集団による暴行傷害致死事件です。
凶行ですから、たとえ本懐を遂げたとしても死罪は免れません。
そうであるにも関わらず、どうして彼らは、討ち入りを強行したのでしょうか。
古来、理由は主君への忠義のためだったとされています。
そうであれば、主君は立派な主君でなければなりません。
また殿中での刃傷沙汰も、藩士たちが納得できるだけの明確な理由がなければなりません。
その理由が「爺さんのイジメに耐えかねて」なのでしょうか。
もしいまこれをお読みのあなたが大石内蔵助だったとして、そのような理由で討ち入りをするでしょうか。
すくなくとも、大石内蔵助は、藩のお取り潰し後、つまり失業後に、京都の祇園で日々遊び呆けるだけの財力があったのです。
それだけの財がありながら、あなたは間違いなく切腹に至る討ち入りをされますか?
もちろんそれもありだと思います。
我が子、我が孫がイジメで自殺に追い込まれたら、草を分けてでもその相手を探し出してでも、こ_ろしてやりたいと思う。
その気持ちは理解できます。
しかし、それだけでしょうか。
江戸時代というのは、権力は常に責任とセットあらねばならないとされた時代です。
たとえば先般、川崎で中一児童殺害事件という悲惨な事件がありましたが、あのような事件がもし江戸時代に起きていれば、川崎の町奉行は間違いなく切腹です。
川崎の町奉行は、そのような悲惨な事件や事故が起こらないようにするために、ありとあらゆる権限を与えられている人だからです。
それだけの権限を与えられていながら、実際に事件が起きたのなら、その責任は当然、奉行の責任です。
みずから腹を切れば、見事に責任を取ったということで、奉行のお家は安泰です。
この場合は当時は世襲ですから、奉行の息子が親のあとをついで奉行になります。
奉行がみずから腹を切らず、いつまでもグズグズしていたら、江戸表から使者がやってきて、
「上意でござる。腹を召されい!」
となります。
この場合は、お上の手を煩(わずら)わせたわけですから、奉行の家はお取り潰しです。
奉行の家族も、郎党も、全員官舎を追い出され、翌日から住むところもない浪人者になります。
また奉行の親戚(これもまた武士たち)一同も、果たすべき責任を果たせなかった人物を輩出した家系の一員として、いまでいうなら5親等くらいまで、更迭や降格、知行地召し上げ、減俸など、厳しい処分が行われます。
それだけ江戸の武士の処分は厳しかったし、そういう処分があるからこそ、町民や農民たちも、武士の言うことをちゃんと聞くという社会が営まれたのです。
ここまでは町奉行の場合です。
町奉行の管轄は、町民や農民等です。
武士は管轄外です。
では武士が事件を起こした場合は、誰が責任者となるのでしょうか。
赤穂浪士は、討ち入りの時点では浪人者とはいえ、もとはれっきとした赤穂藩士です。
襲われた吉良上野介は、現役の殿様です。
この場合の責任者は誰になるのでしょうか。
これが地方にある藩の中で起きた武士同士の襲撃事件なら、その処分は藩主の責任で行われるとご理解いただけると思います。
処分権が藩主にあるということは、藩主が責任者だということです。
では藩主同士が争って事件を犯した場合の処分権は誰にあるのでしょうか。
その処分権者が責任者です。
そして川崎町奉行の事件に明らかなように、赤穂浪士の襲撃事件のような大きな事件が起きれば、その責任者は、どう軽く見積もっても切腹ものです。
その責任者は誰でしょうか。
こたえは将軍です。
将軍は、天子様(天皇のこと)から全国の武士とその知行地の一切に関する管轄権を委ねられている(これを親任といいます)人です。
つまり、武家に関する問題の一切の総責任者が将軍です。
では、事件の結果を受けて、将軍が腹を切るのでしょうか。
事件が起きたときの将軍は、五代将軍徳川綱吉の治世です。
綱吉といえば、生類憐れみの令が有名ですが、犬を殺してはいけないという御触れを出したことで「犬公方」と揶揄されたなどと教科書は記述していますが、この生類憐れみの令は、以後、幕末まで何度も繰り返し出されています。
どういうことかというと、要するに「犬畜生であっても、その命の尊厳は、大事にしなければならないのだ」という御触れだからです。
犬畜生でさえ、命の尊厳は認められるべきものなのです。
まして人間であれば、その命はもっと尊重されるべきです。
武士は常に腰に刀をさしています。
これは、目の前になにか不条理があれば、斬捨御免の権限を与えられているということです。
しかし、だからといってみだりに刃物を抜いて殺生事件を起こすことを認めているわけではありません。
だからこそ「犬畜生でも命の尊厳は守るべし」という布告が出されたのです。
よく「あいつは犬畜生にも劣るやつだ」という言葉がありますが、生類憐れみの令によって、犬畜生でさえ命の尊厳を守るべしとされていたから、どうしようもない、もはや殺す以外にないような者のことを、その犬畜生にも劣る奴と表現したのです。
それほどに生命の尊厳を大切にしようとした綱吉将軍のお膝元の江戸で、まず江戸城内での浅野内匠頭事件、続いて江戸市中で赤穂浪士の討ち入り事件が起きたわけです。
仮にもし、そこで将軍が責任をとって腹をお召になる、あるいは辞任するという先例を作ってしまったらどうなるでしょうか。
将軍を失脚させるためには、江戸城内で刃傷事件を起こすか、江戸市中で武家を対象に乱暴狼藉を働けば、将軍を失脚させることができるという、世の中の仕組みを確立してしまうことになるのです。
これは絶対に認めるわけには行きません。
さて、これらの事件の一切の処理を委ねられたのが、大老格にあった柳沢吉保です。
そこで是非、みなさまには大老格の柳沢吉保になっていただいて、事件をどのように処理するのがもっともベストな選択になるかを考えていただきたいのです。
まず、将軍綱吉は、たいへんにご皇室尊崇の念の強い方です。
天皇あっての日本であり、将軍はその天皇から政権を委ねられて、天下の治世を行う者というのは当時の常識ですが、綱吉はとくにそのお気持ちが強くて、新たに御皇室に三万石を寄贈し、また毎年の正月には、将軍家としての皇室への新年のご挨拶と、品々の献上を欠かさずに行っていました。
そんな綱吉の姿勢が、この時代に新井白石や荻生徂徠、山鹿素行など、皇室を中心とした我が国の形と儒教を一致させようとする数々の学者を輩出しています。
将軍家のお正月の新年のご挨拶のお礼として、ご皇室から江戸の将軍に毎年、使者が遣わされました。
それが「勅使下向」です。
この勅使は、朝廷の貴族の中の、概ね中納言、少納言クラスの人が務めました。
これは官位からすれば中納言で正四位、少納言なら従五位下の役席です。
一方、将軍は、たとえば綱吉なら右大臣ですから、こちらは正二位です。
要するに圧倒的に将軍の方が位が上です。
では、その中納言や少納言が、勅使として将軍に会うときは、その席次は勅使が上座でしょうか。
それとも身分の高い将軍を上座にすべきでしょうか。
普通の常識でいうと、勅使が上座になります。
なぜなら勅使は「天皇の代理」だからです。
ところが室町幕府以来の伝統で、勅使と面談する際にも、将軍を上座にして面会させるということが慣習となっていました。
このことは、ご皇室を差し置いて明の皇帝から「日本国王」の肩書をもらった足利義満の影響が大であったものと思われます。
これにより、日本国内には天皇と日本国王という二つの頭が生まれ、このことが価値観を混乱を招いて、それが結果として足利幕府をも滅ぼす戦国時代を招いています。
吉良上野介は、その足利幕府の時代における高位高官を務めた家柄です。
ですから武士の中でも特別に位の高い家として、「高家(こうけ)」という名称を戴いていました。
高家は、伝統や慣習の模範であり、従って勅使下向の接待役などの伝統行事には、常に高家がその監修を務めてきたわけです。
ところが浅野内匠頭の播州赤穂家は、皇室尊崇論者である山鹿素行を家老待遇で藩の学者として招いた藩です。
そして浅野内匠頭は子供の頃から皇室尊崇を骨の髄まで叩き込まれてきたお殿様です。
その浅野内匠頭が勅使下向の接待役を命ぜられたとき、天皇の名代である勅使が将軍よりも下座にある。
これは許しがたいことです。
当然、「おかしいのではありませんか?」と、やんわりと抗議するけれど、高家であり監修役である吉良上野の助からは、「伝統でござる」の一言で、全部ひっくりかえされてしまう。
一度目の勅使下向の接待役のときは、それでも初めてのことだからと、吉良のお殿様の指示に従うのだけれど、事々に将軍家が上、たとえ天皇の名代であっても身分の低い勅使は下座とする吉良家のやり方には、どうしても納得しかねる。
これは同じく山鹿素行の教えを受けて育った赤穂の他の藩士たちもまったく同じ考えになります。
席順が異なるということは、使う食器から屏風の置き方、座布団の種類まで、いちいち全部違ってしまうのです。
浅野内匠頭が、皇室尊崇の姿勢から、勅使を上座として席次を設定すれば、それを確認に来た監修役の吉良上野介によって、設営を全部ひっくりかえされ、一からやり直しを命ぜられてしまう。
しかもそのやり直しは、赤穂藩士たちが抱く皇室を当然上座とする順番とは真逆のものとなるのです。
武士であれば、自分が辱められることなら、どんな辱めにも耐えてもみせる。
けれど、我が国の原点となる皇室を辱めるような席次の作り方には、たとえそれが室町以来の伝統であったとしても、天皇の歴史はそれよりもはるかに古いのです。
どうあっても納得できない。
この藩士たちの怒りが、ついには藩主の怒りともなって起きたのが、殿中松の廊下での傷害事件です。
大名同士の刃傷沙汰が江戸城内、将軍のお膝元で起きたのです。
柳沢吉保としては、何が何でもその責任を将軍の責任に帰させるわけにはいきません。
そこで浅野内匠頭の一切の言明を許さず、浅野内匠頭の乱心として事件を処理しようとします。
たまたま病気で気がおかしくなったことによって起きた殿中傷害事件なら、それは事件ではなく、ただの事故です。
事故であれば将軍の責に帰すべきことではありません。
けれど、浅野内匠頭は、乱心であったとされることを拒否します。
乱心でなかったとするならば、理由があって行った行為ということになります。
そしてその理由が、皇室尊崇という山鹿流に起因するということになれば、現任の将軍の責任だけでなく、室町将軍以来のすべての将軍が、その責任を追求されることにもなりかねません。
そうなれば国内の価値観が分裂し、世の乱れのもとを作ることになってしまいます。
そこでどうしたのかというと、浅野内匠頭の一切の弁明を許さず、事件を突発的な傷害事件としました。
あくまで突発的な傷害事件というなら、その事件当事者に、殿様であっても土間で切腹という恥辱を与えて責任を取らせるだけで、将軍の責に帰すべきものにならないからです。
ところが浅野内匠頭にしれみれば、この処分には、もちろん傷害事件を起こした張本人ですから処分には従うけれど、納得できるものではありません。
だから辞世の句は、
風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を いかにとやせん
と詠みました。
花というのは桜の花のことで、日本の形そのものを意味するとともに、散っていく我が身を意味します。
日本の本来のあるべき形を取り戻そうとした自分は、散っていくけれど、その無念をどうするのだ?という意味の歌です。
藩主の無念を、そのまま放置し、世の不条理を抱いたまま藩もお取り潰しになった元赤穂藩士たちは、なんとしても悪しき伝統を改め、主君の無念を晴らそうとして、吉良邸への討ち入りを決意します。
目的は、単に吉良のお殿様ではないのです。
吉良のお殿様に代表される室町以来の皇室を軽んずる伝統を覆さんとする、そのための討ち入りです。
彼らはそのために、様々な艱難辛苦を乗り越えて、見事、その本懐を達成します。
だからこそ、討ち入りに際して、わざわざご丁寧に山鹿流陣太鼓を打ち鳴らして、討ち入りの理由を高らかに宣言しているのです。
ところが、こうなると困るのが将軍です。
皇室尊崇の念は、赤穂藩以上に綱吉は強い心得を持っています。
さりとて室町以来の伝統を、元赤穂藩士たちの暴力によって覆したとなれば、世の中に暴力を認めることになります。
これは先に発布した生類憐れみの令と矛盾することです。
とにかく武士による大掛かりな殺傷事件が起きてしまったのです。
そして武門の長は、将軍その人です。
選択肢として、
1 将軍に責任を取ってもらって辞任していただく。
2 大老の柳沢吉保が一切の責任をとって腹を切る。
このようなことをすれば、市中で武士による刃傷沙汰が起きるたびに、将軍や大老が失職することになります。
それはむしろ逆に治安を悪化させる原因になりかねません。
では、
3 赤穂浪士47名を無罪放免する。
というのはいかがでしょうか。
これはできないことです。
現実に刃傷沙汰を起こしているのです。
そのことへの責任はちゃんと取ってもらわなければ、他の武士への示しがつきません。
つまり47名は、切腹または斬首にする他ないのです。
しかしそうすると、将軍の責任問題が浮上します。
つまり47名の処分と、将軍に責任が及ばないようにするという二律相反する事柄への回答を出さなければならないのです。
もしみなさんが柳沢吉保の立場なら事態をどのように収拾されるでしょうか。
柳沢吉保は、江戸市中に「赤穂の浪士は義挙である」という噂をばらまきました。
47人の行為は、主君の仇を討った、まことに見上げたものである、としたのです。
見上げた行いであれば、将軍がその責任を問われることはありません。
本来であれば、逮捕後すぐに処分となるところ、他家預かりとなって、処分(切腹)までおよそ50日を要した理由がここにあります。
義挙ならば善行をしたのですから、処分はありません。
けれども、それが江戸市中の評判であって、幕府としては彼らの行った暴力行為については厳しく処分した、となれば、幕府の威厳も損なわれません。
まことに大岡裁き以上に凄みのある、処分を、このときの柳沢吉保は行っているわけです。
また浅野内匠頭他、浪士たちが不服とした将軍と勅使の席次については、すぐに浪士たちの要求を受け入れたとあっては、幕府の威信に傷が付きます。
勅使と将軍の席次が修正されたのは、ですから綱吉の死去後のことです。
昔は、芝居や講談の最後の討ち入りのシーンで、山鹿流陣太鼓が出てきます。
帰りの蕎麦屋で、お爺ちゃんが、
「実はな、あれは・・・」
と、子供達に話して聞かせる。
公式には、上に述べたような意思決定のプロセスは決して明らかにはされないことです。
しかし自分が大老として処分を決定しなければならない立場になれば、他に選択肢がありません。
こうして、江戸時代の人々は、それぞれの判断力を磨いていったのです。
講談や芝居は、それなりに楽しめば良い。
けれど、そうした歴史を通じて、子供達が判断力に磨きをかけていくことは、もっと大事なこととされてきたのが、かつての日本だったのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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