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2018-11-29

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「恥の多い生涯を送って来ました。」といえば、
 太宰治『人間失格』である。
 どういうわけか、この一行を憶えている人は多い。
 人が恥をかきながら、そして恥を知りながら
 生きていくものだということは、昔から言われてきた。
 ただ、この太宰治の書いた一行は、格別に見事だ。

 恥の多い生涯とか言うには、この文のこの一行は、
 あまりに若いように思える。
 恥が多いと知った人間なら、恥を語るのに、
 もっと諦観のようなものが混じるのではないか。
 「思えば、まぁ、恥ずかしいことが多かった。」と、
 率直なあきらめで語れば、本当のことに聞こえる。
 だが、「恥の多い生涯を送ってきました。」では、
 どうしても、ませた青年の言い方に感じられるのだ。
 しかし、だからこそ、この主人公が
 「恥の多い」人だったのだろうということがわかる。

・などと言っているぼくはぼくで、
 恥ずかしいことをたくさんしてきている。
 しかし、おもしろいものだ。
 恥は、いや、恥もまた、財産であると思うようになった。
 過去にやらかした失敗も同じなのだけれど、
 昔、若気の至りでかいた恥は、もう経験できない。
 あのときこのときの恥ずかしいことが、
 もしなかったらと考えると、驚くことに、
 あってよかった、あったほうがよかったと思えるのだ。

 どんな恥ですか、どういうふうに恥ずかしかったのですか
 などと聞かれたところで、教えたくない。
 じぶんから言いたくなって言うことはあっても、
 人から問われて白状するようなことは、ありえない。
 だって、きみ、恥なんだからね。
 衣服を脱ぐにしたって、脱ぐならじぶんから脱ぐよ。
 押さえつけられて丸裸にされるのは御免だ。
 とはいえ、恥は恥で財産に勘定されている。

 いま、恥ずかしさ真っ盛りの少年よ青年よ中年よ、
 恥はおそらく一生ついて回るものです。
 じっと見つめて、しょうがねぇなぁと言うしかないです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
破廉恥になれるのは、若い人よりも、実は老人のほうです。


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