襲撃② 不死
ルードレイクさんの出血は主に額の傷から流れるものだった。頑丈そうな兜は何処に? 身体を覆う鎧も所々破損し、ヒビが入っていた。まるで何かに激しくぶつかられたみたいだ。
「ルードレイクさん! しっかり……!」
食堂から持って来たナプキンで止血を試みたけど、あっという間に白が赤に染まりきってしまった。泣きそうになっていると騒ぎを聞きつけたエリュシカがあたしたちを見、「救急箱取って来ますね」と冷静に裏へ駆けて行く。
「ち、血が止まらない……」
「……頭の出血は大袈裟ですから、泣く程のものではありませんよ」
えぐえぐしゃくり上げていると、苦しげに目を伏せたままほとんど口を動かさずにルードレイクさんが呟いた。一言すらも激しい痛みに耐えるようだ、骨が折れているのかもしれない。
「……アリアちゃん、騎士として私は今ここで、貴女に安全な場に留まることを命じるべきなのでしょうね。……でも、個人的なことを申し上げても良いのであれば……」
ゲホッ、と咳き込んだ拍子に、激しく息を吸い込んで彼女は胸を押さえた。それでも歯を食いしばって言葉を紡ぐ。
「……どうか私の代わりに、あの人のことを頼みます」
それだけ言い切ると、ほっとしたように口元を緩めて、ルードレイクさんは気を失ってしまった。
失血が酷い、森からここまで辿り着いたのはただ強靭な精神力だけでやり遂げたことだろう。
あたしは籠手の上からその手をぎゅっと握り締めると頷いた。
そして包帯や消毒液を抱えて戻って来たエリュシカに向き合うと口を開く。
「ねえエリュシカーーーー」
二階の一室の天井から、指示された屋根裏部屋に入ると、探していたものは物が煩雑に詰め込まれた箱の中にあった。
だけど悲しいことに、矢は一本。エリュシカパパたるジョゼさんの大昔の狩道具らしいから仕方ない。
余りにも心許なかったけど無いよりマシだ、そう思って箱の中の洋弓を掴むと、瞬時に脳裏に文字が浮かび、
「……人間ってよくやるよね、全く」
弓を腕に引っ掛けて矢を咥え、木箱を踏み台に小さな窓を開けると、なんとか身体をねじ込んで外に出る。
煉瓦の屋根の上に立つと、ビュウと吹いた風が髪を流した。だけどそれは一瞬で、風は比較的凪いで穏やか。良いことだ、矢は真っ直ぐ飛ぶに限る。
遠くで音が聞こえている。敵陣に急ぐべく、あたしは不安定な屋根の上を【俊足】スキルで走りながら、【跳躍】スキルで屋根から屋根へと飛び移り街の空を移動して行く。
やがて街の正面、中腹に物見櫓を有する大通りに差し掛かって、あたしは敵の姿を捉えた。
ついでに。
「…………ギュスタさん!?」
「アマミヤアリア!? おい馬鹿か何をのこのこ出て来ているんだ、さっさと安全な場所にーーーーうおっと」
ひっ、と思わず息を呑む。
それも無理はない、何しろ、巨大な猪の長大な牙に捕まってぶら下がっていたギュスタさんが、大きな首を振り乱された勢いのまま空中に放り飛ばされたんだから。
「ーーーー!」
思わず目を瞑ったけど、そこはさすが王立騎士団の人、軽やかに身を翻すと華麗に屋根の上に着地を決め、あたしの前に姿勢良く立つとふうと額の汗を拭った。
「どういうことだ。伝令にルードを逃して向かわせたのに……まさか、彼女は」
ハッと目を見開くギュスタさんに、あたしは首を振って苦笑する。
「気を失ってますけど無事です。今はエリュシカが看病を」
「……そうか」
ほっと胸を撫で下ろし、しかし即座に顔を引き締めると、ギュスタさんは屋根の下ーー大通りの幅いっぱいに陣取って、耳障りな咆哮を上げているその魔獣を睨んだ。
それはーーーー
「で……でっかい猪ですね!!」
でっかい猪だった。
「ーーああ。高さ4m、全長6mはある巨大な猪とは驚きだ。豚鼻は鋼鉄のように硬く、軽く掠めただけで鎧が砕けてしまう。あの
「ありがとうございますギュスタさん」
解説役を代わってくれたギュスタさんに心から賛辞を送る。
ご、語彙を失うインパクトだった……。
何あれ! めっちゃ吠えてるし! 鼻息荒いし! 涎が滝のようだし! 怖い! 怪獣! マンモス! あんなのと戦えって!?
しかも森にいた半獣人タイプと違って四足歩行のリアル猪。知性はなさそうだけど、ただまっすぐにこの大通りを突っ切っただけで町の主要施設をほぼ一掃できるだろう。ちょっとお散歩するだけで町・壊滅だ。
見ればギュスタさんの額にもルードレイクさんほどでは無いものの赤い血が滲み、左腕を痛めたのか軽く押さえている。……ギュスタさんだって、森でちらりと見ただけでも相当強い人なのに。あの猪、上から見る限り傷一つ付いてないように見える。
そこであたしはようやく重大なことに思い至り、ギュスタさんに詰め寄る。
「ギュスタさん、高遠くんは!?」
ギュスタさんは苦々しげに左腕を下ろしながら、右手で地上、猪の前方に立つ小さな人影を指し示す。
輝く剣を構えたその姿。遠視スキルを使うまでもなく瞬時に見定めるとあたしは叫んだ。
「高遠くん!」
「雨宮さん?」
声に気づいた高遠くんがこちらを見上げる。
直後、猪は巨大な頭をもたげてその剣のような牙を高遠くんに向けて振り下ろす。
「ギャーー!?」
「おっと」
あたしの悲鳴をよそに、高遠くんは手にした
四点の一点を失って猪は無様にバランスを崩し、地に崩れる。あれ、なんだろう、結構弱い……そう思っていたら。
「……あまり気持ちのいいものでは無いよ」
ギュスタさんの呻くような一言の意味を、すぐに理解することになるーー猪の足の切断面、そこから白い骨が伸び赤い肉が盛り上がるように湧き出て、瞬時に足の形を成すと、もう硬そうな毛に覆われてしっかりと地に足裏を付けていた。ーーーーき、切った足が生えて来た!?
愕然としてギュスタさんを見ると、彼は苦々しげな表情で唇を噛み、目を細めその光景を眺めていた。
「ーー奴は知性もなければ、攻撃も大振りなため避けるのも難しくない。
……ただ、あの少年の手で、あのようにとっくに数十回単位で致死量のダメージを与えているはずなのに、何度も再生を繰り返し力つきることが無かった」
「何ですかそれ……不死身ってこと!?」
「そうは思いたくないけどね……だが完全なる不死は魔族ですら成し得ていない奇跡だ。必ず何かしらの穴はあるはずだ。……こちらが消耗しきる前に、それを見出せれば良いけれど」
ギュスタさんは歯がゆそうに左腕に触れ、通りを見下ろした。
巨大な魔獣と正面から対峙し、肩で息をしながらも、その双眸には微塵も諦めの色なんて見られない。どころか、ちらりとあたしの方を見上げ、心配そうに眉を下げている。
あたしは咄嗟に声を張り上げていた。
「高遠くん、もう逃げようよ! このままだと死んじゃうよ!」
目を瞑り、必死に頭を振る。神さまの言葉を思い出す。異世界で死んでしまったら、もう元の世界には帰れないと神さまは言っていた。
だけど高遠くんはそっと首を横に振ると、いつものように優しく笑って言った。
「……教室じゃそんな風には見えなかったかもしれないけど、これでも諦めと往生際の悪さには自信があるんだ。
それに、雨宮さんが死んじゃうよりは全然いいよ」
そう言うと、再び聖剣を構え、不死身の相手に毅然と立ち向かい前だけを見てしまう。
あたしは取り残されたように立ち尽くしていた。聖剣の鋭い音、魔獣の唸り声が煉瓦を揺らす。
か弱い女の子として、高遠くんに守られる。物語のヒロインみたいに。そうだったら良いなと思ってたのに、今全然うれしくないところを見るに、あたしはやっぱりそもそもその素質がまるでゼロみたいだった。
自嘲気味にふふふと笑っていたらギュスタさんに訝しがられる。
「気が触れたか……?」
「ギュスタさん、あたし」
「うん」
「たぶん今から失恋するんで……」
「は?」
あーあ、とため息をつく。
あたしの気持ちと正反対に、見上げた空は青く清々しく嫌味なぐらい綺麗だった。
あの日、中学3年の冬、高遠くんに出会った日を思い出す。星もない真っ黒な夜のこと、でも今でも胸の中できらきら輝いている大切な宝物だった。
「だから無事に帰って来れたら、その時はルードさんとエリュシカと、みんなで慰めてくださいね」
あたしはよっしゃーと空に吠えると、屋根の上を元気に走り出した。