歴史書のような体を装いつつ学術的な裏付けはゼロ。文字通り「ぼくがかんがえたさいきょうのれきし」の上に、後半は架空戦記ファンタジーという、歴史学に後ろ足で砂をぶっかけるような内容が波紋を呼んでいる「日本国紀」。
Buzzap!でその内容のトンデモっぷりを紹介したところ、「ウルトラライト(Ultra-right)ないしオルトライト(Alt-right)ノベル」とまで呼ばれてしまいましたが、新たにコピペ疑惑が浮上しました。詳細は以下から。

コピペが発見されたのは豊臣秀吉による朝鮮出兵、いわゆる文禄・慶長の役に関するところ。「民史」を引用しているかのような記述ですが……。

Wikipediaの記述は以下の通り。固有名詞の使い方以外、ほぼコピペとなっています。
この戦争について『明史』は「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」と総評する。
(文禄・慶長の役 - Wikipediaより引用)
「百田尚樹もWikipediaも同じ明史を訳したから同じ文章になった」と思う人もいそうですが、明史に記された文章は以下。
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。
-『明史・朝鮮伝(漢文)』
読むと分かるように、明史では最初の主語は豊臣秀吉(關白)ではなく、Wikipediaの記述も意訳であることが分かります。
これだけでも十分物書きとして大丈夫なのか心配になりますが、なんと1991年12月に大阪新聞に掲載されたエッセイからも1ページ近くコピペが行われている事が「論壇net」によって明かされてしまいました。

意訳部分までコピーしてしまっているため言い逃れできる状況ではなく、「日本コピペ紀」とまで揶揄されてしまった「日本国紀」。有志による解析はまだ進行中であるため、今後どのような爆弾が出てくるのか気になるところです。
なお、百田尚樹の著作についてのコピペ騒動は今回が初めてではなく、「『黄金のバンタム』を破った男」の記述にWikipediaのデマをそのまま使っている内容があることがAmazonレビューで指摘されていたこともあります。
最後に、百田尚樹は「本来、歴史教科書や通史の本に、参考文献はありません。それは「記紀」含め、これまでに存在したすべての公式文書あるいは古文書だからです」と豪語しています。

(魚拓)
Wikipediaや大阪新聞は公式文書なのか古文書なのか、ぜひとも教えていただきたいところですが…?

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