最後の放課後
終業のチャイムが鳴った。
2年A組の教室は、一斉に立ち上がりそれぞれに動き出したクラスメイト達で一気に賑やかになる。放課後は高校生の本番だ。
その喧騒の中で、大きな部活用バッグを肩に背負い。
一歩歩くごとにみんなに話しかけられながらも、爽やかな笑顔で丁寧に応対するその人が教室を出て行くのを、あたしは視界の隅で見守っていた。
ーーーー神さま仏さま教職員のみなさま、同じクラスになるという奇跡を与えてくださって本当にありがとうございます。粗品を送りたいので住所教えてください。
そんなことを考えながら、あたしーー雨宮アリアも遅ればせながら起立して、放課後のはじまりに胸を弾ませる。
と、いつの間にか机の横に立っていた2人に気がついた。
「アリアちゃん、新しくできた駅前のパンケーキ屋さん一緒に行かない?」
カーディガンからはみ出る指先を合わせて、可愛らしく首を傾げる小柄な女の子、ミユちゃん。
「あ、ごめんねミユちゃん、今日は……」
「まーた『高遠くん観察』か。大変だねー恋する乙女ってやつは」
ブレザーのポケットに両手を突っ込んでけらけらと笑う長身の女の子、チカちゃん。
2人とも1年生の時から仲良しのお友だちだ。
「そうでもないよ〜、最近は週4から週3に減らしたし」
「微々たる差」
「でもアリアちゃん、ストーカーは犯罪なんだよ? 高校生で前科者は人生キッツくない?」
本気で嘆かわしい表情をするミユちゃんに慌てて釈明する。
「す、すとーかーとかじゃないし! ただグラウンドを遠くから眺めてたらたまたまサッカー部の練習が目に入るだけであって!」
「それを世間では不審者と呼ぶんだよー」
「つーかグラウンドの外から練習場所見ても人なんか豆じゃん」
「高遠くんは遠目でも輝いてるからオーラで分かるもん!」
「光る豆の幻覚だよー」
いつものようにけちょんけちょんに貶されてあたしはぐぎぎと歯をくいしばる。
チカちゃんは「高遠ねー」と首をひねる。
「確かに綺麗な顔してるけど、私らはタイプじゃないからよく分からんよね」
「ねー」
「も、もったいない! 人生10割損してる! あたしが教えてあげるから! まだ間に合うから2人とも早く高遠くんの魅力に気づこう!」
「あっ⁉︎ しまった変なスイッチ押してしまった」
「もーチカちゃんいい加減にしてよ。お店閉まっちゃうでしょ」
高遠くん。
「あ、始まった」
「仕方ない。放置して満足するのを待とう、自然災害と同じだよ」
「そうだね」
独自調査による自動販売機との比較によれば、推定身長177㎝。
「いきなり自販機をメジャーで計り出した時はビビったよね」
「本人に聞けばいいのにね」
好きな食べ物、休み時間に食べていたものから推測するにパンより米派。甘いものは多分そんなに好きじゃない。
「バレンタインにおにぎりを下駄箱に入れようとした時はさすがに友達として止めたよね」
「『具がトリュフチョコだったらいいの!?』 とか大泣きされたけど最早かける言葉もなかったよね」
2年にしてサッカー部のエース、しかも運動だけでなく勉強もできる。
高遠くんと同じ学校に通いたくて死ぬほど背伸びしてこの高校に入学したために、私は赤点常習犯となりました。(進級ヤバかった。)
「再々々々テストに受かったとき担任の先生本気で泣いてたもんね」
「卒業式かと思ったよね」
誰もが認める超絶爽やかかっこいいルックス。だけど一番の魅力はその優しさ。正に紳士。
ーーーそう、あたしが初めて高遠くんに出会ったあの日。
あれは中学3年の冬のことだったーーー
「あ、始まった。この回想長いんだよね」
「もう駄目だ聞いちゃいられねぇ…… ほら、そんなことしてるうちにサッカー部の練習始まっちゃったよ?」
ハッとして教室の窓に駆け寄り外を見ると、グラウンドの一画にサッカー部の青いジャージを来た部員たちが集まり、基礎練習を始めていた。
不覚! 練習前にチームメイトと爽やかに談笑する今日の高遠くんを見逃してしまった!
ダッシュに備えて準備体操をしながら、2人に別れを告げる。
「そういうわけだから、ちょっと行ってくるね!」
「どういうわけなの?」
「よくやるよねー。そうやって1年の時から話しかけることすらできなかったくせに」
「いやいや、もう同じ教室で同じ空気を吸えるだけでもったいない幸せなので……」
4月に入りもうすぐ一週間。
あたしは今死んでもいいぐらい幸せだった。
「アリアちゃんが幸せならどうでもいいけどね~。
じゃあ今日は私たちだけで食べに行くけど、今度は一緒に行こうね?」
「うん、また明日!」
挨拶もそこそこに教室を駆け出して行く。
ついでに言えばあたしがしているのは厳密には観察じゃない。一言言いたいことがあってその機会を伺っているだけなのだ。勇気が出なくて一年もただ見てるだけになっちゃったけど……。
足取りは軽い。だけど、パンケーキなるものをしばらく口にはできないことも、そもそも2人に会える明日なんて来ないんだってことも、この時はまだ知らなかった。
* * * * * *
どういうわけか、グラウンドに高遠くんはいなかった。
女子マネージャーの人が
「既読にもなんないし帰っちゃったんじゃない? 」
「高遠くんいないなら今日は帰ろっかなー」
なんて話しているのを遠巻きに聞きながら、あたしは頭の中でぐるぐると疑問符をかき混ぜていた。そんなはずない。真面目で誠実な高遠くんが、連絡もなしに部活を休むなんて何かあったに違いない!
そうして一も二もなく捜索を決めると走って校舎に戻った。
下駄箱の前で、ちょっと迷ってから、『2ーA 高遠深也』と書かれた扉に手をかける。
心の中で土下座しながらそれを開ける。
中にはまだ、高遠くんのスニーカーが残っていた。
ということはまだ、校舎の中にいる?
嫌な予感がして慌てて弾かれたように駆け出した。
具合が悪くてどこかで倒れてるのかもしれない。
保健室、職員室、くまなくあちこちを覗き込みながら校舎中を回る。
階段を何往復もしてさすがにぜえぜえと息が上がる。人がいそうな所はあらかた探し終えてしまった。
まだ探していない場所は……うーん……
「西棟4階、旧教室?」
何年か前、生徒数減少に伴い校舎西棟と東棟の整理が行われ、その結果いくつかの教室が余ったらしい。その一つがこの4階最奥の教室だ。
今は使わない机や椅子などを押し込む部屋になっているみたいで、生徒はまず近寄らない場所だった。
廊下側の窓に沿ってびっしりとロッカーが積まれているから、中を覗くこともできない。
こんなとこにいるかなー、と半信半疑でドアに手をのばすと、中から聞き慣れた声が聞こえた。
「……それじゃあ、その世界の人たちはどうなるっていうんだ!」
高遠くん! 高遠くんの声だ。
「16人に同時に話しかけられても高遠の声だけは的確に判別できる」とチカちゃんに言わしめたあたしの耳に間違いはない。
でも、温厚な高遠くんの、こんな風に怒った声は初めて聞いた。思わずビクッと肩が震える。
「全員死ぬだろう。対抗するには異世界の力が必要だ。お前さえ承諾してくれるなら、今すぐにでも来て欲しい。ただーーー」
高遠くんではない誰かの声がした。高遠くんはこの人と2人で中にいるらしい。
子どものようでも大人のようでも、男の人のようでも女の人のようでもある不思議な声だった。
放課後に2人きりとなれば不穏な展開を想像してしまうけど、話の内容がなんだか物騒なような?
と思っていたら、不思議な声はとんでもないことを言ってのけた。
「我々の世界で死ねば、二度とこの世界には帰って来られないが」
いや、いっそ「好きです付き合ってください」とか言ってくれた方がまだマシだったかもしれない。
いまなんて? 死ぬ? 帰ってこれない? それって高遠くんのこと?
さらに信じられない言葉が、高遠くんの声であたしの耳に届いた。
「……分かった。僕にできることがあるなら、戦おう。連れて行ってくれ」
直後、教室からまばゆい光が漏れ出し、あたしは堰を切ったように勢いよくドアを開けた。
「高遠くん!」
だけどあたしの視界が捉えたのは、教室の床に浮かび上がった……なんだろう、魔法陣? のような物の上に立つ高遠くんの後ろ姿が、光の中に吸い込まれるように消えて行く瞬間だった。
………え、えー……なにそれ? CG? VR?
目をごしごし擦っているうちに、魔法陣の放つ光が弱くなって行く。
な、なんか消えようとしてる?
高遠くんはどこに!?
「……いや、迷ってられるか!」
とう、と勢いよくあたしは魔法陣に飛び乗った。
だってさっきの会話、よく分からないけど、多分このままじゃあたしは高遠くんに二度と会えない気がする。それは困る。あたしはまだ、高遠くんに言っていないことがあるのだ。
「…………!」
光に触れた体が熱い。溶けて行くみたいだ。目の前がだんだん白くなっていく。
意識が薄くなっていく。死んじゃうのかな。せめて高遠くんは無事だったらいいな、と思いながら耐え切れずに瞼を閉じた。
そうしてあたしの体は、この世界から完全に消えてなくなった。