増田虎達
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社会学がどうかは知らんが、フェミニズムってのは最初は常識を疑う学問だったはず。それが、女性が不利になってくると、「常識でしょう。なんでわからないの」と、「常識」を用いて人々を諭し始めるようになったけど、常識っていうのが要は変数であって、たった5年くらいでも大きく変わっちゃうものなんてのもあるんだな。

社会学・フェミニズムの人たちって、一回何かを定めてしまうと、もうそこから一切変化させないというか、動かさないというか、そんな習性がある。もちろんそうじゃないと言語性IQの世界が成立しないという側面があるのは知ってる。チェスで、数ターンごとに駒の配置がランダムに変えられたら、そんなゲーム馬鹿馬鹿しくって誰もやらなくなるだろう。だから、なるべく変化しない、一貫した、文脈のある、「静的」なものが望まれるっていうのはわかるんだけど、それにしたって社会学・フェミニズムの学者さんは知識や物事をアップデートしなさ過ぎる。最初に決めたことを変えなさすぎる。あまりにも「静的」すぎる。そこをやっぱり、動作性IQを駆使する人たちに突かれてるんだな。

『トイレスタンプ香りジェルさんのツイート: "https://t.co/YybTRszRT5 悪い国(そもそも悪の定義とは?平和に対する罪?戦争犯罪?)であれば、その国に所属する民間人を問答無用で大量虐殺する事に正当性があると考えているジェンダー学者の世界観めっちゃ面白いな。「戦争に負けたらワイは死刑や」とぼやいてたルメイとかもあの世で頷いてそう。"』へのコメント

この記事に対して55件のコメントがあります。人気のあるコメントは「これ単に、戦勝国はどんな悪事を働こうが正当性があり、敗戦国にはないというだけの話だなあといつも思う。現代の倫理観で考えたら、いかなる殺戮にも正当性などあるはずがないのだけど。」、「シュナムルと同じこと言うヤツがほかにいるとか信じたくないので、こいつはシュナムル。」、「そういう世界観なんじゃなくて、単に日本が嫌いってだけで、基本的には何も深く考えてないのでは、と思った。」、「ブ米削除/戦争をした当事者ではない現代の人が正当性を理由に虐殺を支持するのはありえないよ。現代人であるからこそフラットな目線で過去の悪事を認め、(当事の正義を非難するでなく)繰り返さないことが大事なのに」などです。

b.hatena.ne.jp

『社会学はどこから来てどこへ行くのか』出版によせて
jtsutsui.hatenablog.com/entry/

>この時代における日本の社会学は、いわゆる「現代思想」、ポストモダン哲学、フレンチ・セオリー(もちろんフーコーもその中に数え入れられる)の強い影響を受けた、理論的百花斉放の時代であった。筒井はどうか知らないが、稲葉も岸も北田も、まさにその時代の空気をいっぱいに吸い込み、その時代ならではの「黒歴史」を抱え込んでいる。

>だから、経験社会学における理論の多くは「緩い」ものになりがちだ。というのも、人々の概念が緩いからだ。同じ前提から複数の(しばしば矛盾した)結論が出てくるような、あまり演繹的ではない「理論」が展開されることもしばしばである。

>いったい、「ふつうの社会学者」はどうやって知識の妥当性を確保しているのだろうか。この話題は、『社会学はどこから来てどこへ行くのか』でも少し触れられている。ぜひ読んでいただければと思う。

『社会学はどこから来てどこへ行くのか』出版によせて
jtsutsui.hatenablog.com/entry/

>80年代から90年代にかけての、社会学の派手なイメージの背景には、社会の包括的な理解としての「社会理論」研究があったことは確かだろう。フランス現代思想を取り込んだ(あるいは「乗り越えた」)抽象的な理論言説は、それこそ社会の総体のみならず、女子高生からオウムに至るまで、直近の社会現象をも首尾よく説明しているかのような雰囲気を醸し出した。

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