ガメ・オベール、というのはほんとうの名前ではない。
あたりまえではないか、と言う人もいれば、えっ、そうなのか、と思う人がいるところが世界というもののおもしろいところで、ほんとうの名前のわけでない、と初めからわかっていたひとには、ガメ・オベール、という名前が「ほんとうの名前だ」と考えるひとの存在が信じられない。
ほんとうだと思っていた人のほうには、そんなインチキな名前で他人を欺していたなんて酷い、という人もちゃんといて、この頃はもうなくなったが、よく怒りに満ちたコメントをもらったりしたものだった。
もう、とっくに削除されている記事が多い、初めのほうから読んでいた人、たとえばナスやネナガラ、josicoはんなどは知っているが、このブログ記事は、初めはゲームブログで、義理叔父がひょんなことから知り合いになったひとの運営するゲームサイトのはしっこにボタンがあった。
そのひとの会社では義理叔父は、なあんとなく自分が書いているようなふりをしていたりしていたらしいが、それはぼくの身元を隠しておいてやりたい、という気持ちがあったからだと思われる。
あるいは、そのあとではサイトにやってくるひとたちは、サイトの運営会社の社長が書いているのだと「証明」したりしていたが、それは義理叔父とぼくには好都合で、
うっかり社長が書いたのがばれたような「証拠」をつくっておいたりして遊んでいた(^^)
ガメ・オベールは、もちろん、game overで、実際にもゲームばかりやっているぼくが、何度も何度もコンピュータスクリーン上に見た言葉で、ゲームブログにちょうど良いと考えたのだった。言葉遊びが好きなので、別にGamay Auberという表記をつくったがワインが好きなひとは知っているように、gamayはブドウ種で、Auberは、たとえばフランスでは比較的ありふれた姓である。
日本でなら、作曲家のDaniel Auber
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Auber
が有名だろう。
大庭亀夫のほうは、むろん、game over(ガメ・オーバ)を日本風に姓・名の順になおしたものを漢字にしたのでした。
なにごとによらず慎み深いぼくは、自戒をこめてオオバカメという意味をこめてあるのもいうまでもない。
初めは日本人のふりをして書いていて、ちょっと妙なことでばれて(頭の良い人がいて気が付かれてしまったことがあって)、その次は欧亜混血だということにした。
そのうちにめんどくさくなって、生活のまんま書くようになってしまったが、予想されたことでなかったとは言わないが、今度は、実生活を何分の一か書いただけで、
「そんなことが現実のはずはない」というひとがたくさん現れた。
広尾山に家があるううう?
その上に軽井沢に別荘をもってるうううう?
それで、日本に住んですらいないってえええ????
バッカじゃねえの、というわけで、嘲笑・罵倒のコメントやなんかが山ほど来た(^^)
そのうちにもっと面白いひとたちが来て、ぼくが「ニセガイジン」だと「証明」したが、何百人も束になって「イジメ」に来たそのひとたちから少し離れたところには、ぼくが記事や写真に忍ばせておいた「動かぬ証拠」をみて、驚いたひとたちも立っていたようだった。
日本に住んでいるひとには判るはずがないものが多かったので、ちょっと狡かったが、嫌がらせを専門に生きているひとたちが考えるのと違って、従兄弟やぼくは、こういう「バカ反応」を楽しんでいても、実際に話しかけたいひとたちにまで、「ほんとうではないのではないか」と思われるのは、少し、寂しい気持ちがしたからである。
書くことがなくなってくると、そのうちに書いてしまうだろう「ごぼう」事件はおもしろかった。
義理叔父は、ぼくと友人たちよりもずっと深刻に受け止めていたが、ぼくのほうは、ああいうふうにもっていけば、そりゃ、そうなるでしょーよ、と思っていたので、義理叔父が日本の社会におおきく期待していたほうを傷ましいと感じた。
ぼくのほうは、賭に勝って、約束どおり何につかってもよい、限度額が月300万円の義理叔父の会社の「法人カード」を手に入れたので、はっはっは、やった、というだけのことで終わってしまった。
ちょっと、びっくりしたのは、義理叔父が現実の世界で反応しようとしたことで、
インターネット・セキュリティの世界のひとたちは知っているように、どこの国でも、ログなどはアングラでいくらでもでまわっている。
IPアドレスとタイミングから本人を特定するのはわけもないことで、しかし、そういうことは嫌いなので、我慢してもらうことにしたりしていた。
ひとりだけ、義理叔父が驚かせてしまったが、あとのひとは(義理叔父によれば)
会社の人を使って「監視」しているだけなのではないかと思う。
義理叔父の欠点は、日本への愛情が強すぎることで、「バカな奴には我慢できない」と言ったりする。ぼくからみれば、ながいあいだ成功した会社の持ち主をやってきたので、なんだか「王様」みたいになってわがままなだけだが、むかしは、(主に日本語をなおしてもらうために)パスワードを共有していたので、ぼくの知らないうちに、えらいことを書かれて慌てたりした。
日本語の世界とは、あまり関係がないのだから、考えてみると「慌てる」必要はないわけだが、ぼくには、その頃からjosicoはんやナス、ネナガラ、すべりひゆ、というネット上の大切な「友人」がいて、多分、そのひとたちの存在のせいで、「ガメ・オベール」という存在が自分の生活のなかでも意味をなしてきていたのだと思います。
現実のぼくを見て知っているひとびとは、もちろん、いうまでもなく、記事や写真に
「ウソであったとしたら、あるはずのないもの」を発見してメールをくれたひとたちは、かなり大勢いて、ぼくは、自分でやったことであるのに、
「世の中には賢い人がいるものだ」と驚いたりしていた。
ところが、上に書いた、「お友達たち」のほうは、意表をつかれた、というか、
考えもしなかった、というか、
「なにがほんとうでもいいや」と揃って、口を揃えて、メールを送ってきた。
「ガメは、ぼくの友達だから」
その日本語ネット上の古い友達たちの言葉は、どれほど、ぼくをびっくりさせたことだろう。
そのころから、ぼくの「日本語アタマ」のなかでは、現実よりもインターネットのほうがリアリティをもちだしたのではないかと思います。
ぼくが外国語を趣味にしているのは、その言葉に熟達することによって、うまくは言えないが、自分にも見知らぬ人格が自分のうちがわに育ってくるからで、エラソーに、と言われてしまうだろうが、最近は日本人の気持ちがだいぶん判るような気がするに加えて、「大庭亀夫という仮名を使う日本人」がアタマのなかに住んでいるような感じがする。
これも、読んですぐに気が付いた頭の良いひとがいたが、ぼくは正に義理叔父がかーちゃんシスターと結婚したことによって、ごく小さいときから日本に縁があった。
イギリスからニュージーランドに移動するには、当時はシンガポールを経由でいくか、成田を経由するのが便利で、成田を経由するときには、義理叔父の母親である、鎌倉ばーちゃんの家に一週間は泊まっていったりした。
ここから先は、ちょっと、まだ(主に父親と従兄弟の側の理由で)ごにょごにょと口ごもらねばならないが、ぼくは子供のときに、かなり長期間、日本に住んでいたことがある。
むかしの記事の「サイドバイサイド」
http://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/21/サイドバイサイド/
をこのあいだ自分で読んでしまったが(^^)、記事に、自分が日本に住んでいたときの気持ちがこもっているようで、人間の文章には、こんなふうに過去の記憶が反映されるのだなあー、と思ったりした。
「自分の身の上話をしない」
「日本語で書くことに意味がないことは書かない」
という方針で始めた、このブログ記事も、最近はだらしがなくなってきて、
なんだか、テキトーで、第一、むかしなら、何時間も調べたり考えたりして、これは日本語ではこういうべきなのだな、と考えて日本語にしていたものが、いまはヘーゼンと英語のまま、ポンと書いてしまったりする(^^;)
「頽廃」という言葉をおもいだします。
(閑話休題)
こんなくだらないブログは広告チラシの裏に書いておくべきで、「公共の場」で書くべきでない、とか、下手な日本語が読むに耐えないから、この後も「日本語圏」で発言するようなら、ただではおかない(^^) とか、いろいろな「攻撃者」もあらわれたが、白状すると、そのときどきに、おもいきり怒ったようなふりをしたのは「演技」である。
こーゆーことにも、勘がいいひとはいて、というか、あるいはいろいろ言ってみて「当たる」のを期待して言い散らしているだけなのかも知れないが、
実はたいして怒っていないのに気が付いて、「冷血漢」だとどっかに書いているひとがいて驚いたが、ほとんど外れている洞察のなかで、案外、これは当たっているのかもしれない、とおもうことがある。
カポーティの実録ものの主人公みたいなひとだと思われると困るので、あわてて書いておくと、英語の日常では、ぼくは冷血漢ではない、と思う。
誰も言ってくれないので、日本語であるのをいいことに、ここに明然と書いておくが、ぼくは誰よりもよい夫で、小さい人もきっとあまりにやさしいのでびっくりするのが受けあいなくらいやさしい父親であることが予想されておりw、友人たちにとっても、最後の最後には「ガメに頼んでみるしかねー」と思いだす存在であるとおもわれる。
(そこの、きみ、なにを咳き込んでおる)
それなのに、たとえばインターネット上で自分に対して「集団サディズム」の徴候が見えてくると、チャンスとばかり、わざわざ火に油を注いで、きゃっきゃっと言ってよろこんで、興味津々の英語人たちに、ひとの悪い冗談を述べて、あまつさえ、英語に訳してみんなでフォーラムの団欒に供したりするケーハクさは、考えてみると、要するに日本語が自分にとっては外国語にすぎなくて、いくら上手になったつもりでも、限界がある、というか、しっくり魂の形になっていない、というか、まったくうまく言えないが、このくらいが「外国語」の限界で、そうであれば、Joseph Conrad などは、どういう内心であったのだろう、と何度も考えた。
もうすぐ6年になるのではないかと思うが、日本語でずっと(途中でお休みはだいぶあるが)ブログ記事を書いてきて、ふりかえってみると、まだほんとうにはわからないが、
外国語にはひとの魂を傷つける能力がないのかもしれない。
少なくともいままでは、日本語でなにを言われても、へえええ、と思うだけで、英語の世界でのように、「明日ジェット機に乗ってでかけていって、ぶんなぐってくれるわ」ということはなかった。
なんだか、自分の能力の限界をみるようでもあって、寂しい感じがします。
結果として、ごぼうwwwや、ニセガイジンは、言葉がひどいが「バカ避け」になってよかった、と思っています。
あんまり自分の頭で考えられないひとは、自分の力でほんとうとほんとうでないものを見分けることができないので、たとえばグルグル先生に訊いてみるとか、そーゆーことでしか判断しない。
そうやって残ったのは、なんだかひとにすぐれてものを考えることに長じたひとたちで、初めは幼児ポルノじみた二次元オタクのへんなおにーちゃんと思っていたり、日本語が不自由なおじさんだけど、いいひとだな、とおもっていたりしたひとが、時間がたってみると、優秀な研究者であることがわかったり、日本という社会のインターネット上とはまるで異なる、現実社会の「知性を評価する機能の健全さ」というようなことを考えることもある。
日本のひとは気が付かないが、日本という社会は「知的力」を評価することにおいては、まだまだ、欧州などは足下にも及ばないすぐれた批評機能をもっているのだと思う。
気が付いてみると、インターネットだけで知っている友達は、どうやら「知のひと」だらけになりつつあって、そーゆー頭がいいひとが集うサークルみたいになると困るので、今度はどうすればいいのかなあー、と思うが、とりあえずは、(いつものことだが)他人の知力というものを過小評価して、どうせみんなニセガイジンの大合唱だべ、とほくそ笑んでいた、自分の傲慢を反省しているところなのでもあります。
ちょっと思いついたので書いておくと、たくさんあらわれた攻撃者のなかで、佐藤亜紀というひとにだけは、マジメに答えたのをおぼえている。
無茶苦茶攻撃的な性格のひとで、両手でぶんぶんすりこぎを振り回すようなことをするので、ひょえええ、と思ったが、言ってくることは「うまれついてのナチ」だの「人種差別主義者」だので(こちらからみれば)滅茶苦茶でも、実はこのひとの悪態は、議論の文法としては、ちゃんと体裁をなしていたからです。
やたら過激な語彙を使いたがるので、その文法の筋のよさがみえなくなってしまって、傍でみているひとたちに、ずいぶん同情してもらったりした(^^)が、ぼくとしては、他の箸にもボーにもかからない、みるからに卑しげな、あるいは一見はまともそうな言葉使いの、バカバカなひとびとと同列に扱うわけにはいかない、と感じた。
だから、このひとが襲来したときだけは、ちゃんと相手をしようと考えたが、
最後のほうで、佐藤さんがぼくについて、ぼくには見えないところで「白豚」と罵った発言を、誰かほかのひとが自分の悪口だと思ったとかで、しかもそのひとは罵られた仕返しに集団で佐藤亜紀さんを攻撃して、その結果佐藤さんはツイッタのアカウントを閉鎖せざるをえなくなったそーで、心から気の毒だと思っている。
ぼくが日本語のツイッタアカウントや、このブログ記事のアカウントを年中削除して、とんずらこいてしまうのは、自分の日本語を読み直していて、くっそおー、へったくそだなあー、とうんざりしてしまうからで、自業自得というか、どうでもいいことだが、
佐藤亜紀さんは、いろいろな人間とのやりとりに生気を取り戻す力を認める、日頃の考え方からして、アカウントを閉鎖したくなかったはずで、言葉使いが悪くて、言う事が滅茶苦茶なくらいで、集団サディズムの被害に遭うのでは、エキセントリックな作家なんてやってられない。
道理で退屈な文学ばっかり残るわけだ、と考えたりしたものでした。
このひとについては、ツイッタで
「私は常に虐殺される側の人間だ」
という意味のものがあって、仮に、そう思いもしなくてカッコイイから書いてみた、というだけのことでも、そういう言葉にたどりつくのは、芯がまともなひとの証拠であると思う。
自分でにわかには信じられないが、もうすぐ30歳になってしまうので、ちょっと生活を変えた方がいいよねー、とよく思う。
理屈からいって30歳だから生活を変える必要というものはないが、むかしからの人間の知恵で、節目を真に受けて、いろいろ、出来そうなことや出来ないに決まってることを決心するのは、よいことであると決まっている。
この頃は、あきらめがついて、自分の生活をよりいっそうばらすようになった。
「海に行く」と前からでてくる日課が、実は船で沖にでることであったり、要塞じみたバカ家に住んでいることなども、下品にも、ときどき書いてしまっている。
そーゆーことをばらすと、お友達が少なくなるに決まっているが、それはそれで仕方がない、というか、こっちがめんどくさくなって自分の実際の生活をだらしなくもみせてゆくに従って、ひとりふたりと去っていっても、また日本語をはじめたときの「ひとり言語」に戻るだけのことで、すかたがなかるべし、と思うのです。
(また、ずっとブログ記事を書くとおもうのね)
(しつこくて、やーね)