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[5425] わたしのかんがえたかっこいいるいずさま(ルイズ魔改造)(更新停止)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2011/06/05 21:17
 その日、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは変質した。


 始まりはいつものこと、魔法の成績で母から叱られ屋敷の庭に逃げ出したことだ。
 いつもと少しだけ違ったことがあるといえば、その日は雷の鳴る大雨が降っていたということだろう。

 ルイズは庭で一番の大樹の下に逃げ込み、涙か雨かすでに判別が付かなくなったずぶ濡れの顔を両手でぬぐう。

 ――なんでわたしだけがこんな目にあわなければならないんだろう。

 まだ幼い子供であるルイズだが、その内面はすでに歪み始めていた。
 どれだけ努力しても出来ないことをやれと言われる理不尽。平民の使用人からも向けられる侮蔑の視線。
 ルイズにはこうして誰もいない場所へ逃げ出すしか出来ることはなかった。

 風で流されてくる雨でしめった草の上にルイズは寝転がる。

 しめった土の臭い。目に入るのは空へ精一杯に枝を伸ばした大樹。そして聞こえてきたのは、耳をつんざくような轟音だった。
 目の前で光が炸裂した。

 落雷。

 そうルイズが認識したのは、燃えた枝が寝転がる身体のすぐ横に落ちてきてからだった。
 ルイズは身を起こし燃える大樹から雨の中へ逃げ出す。その最中、ルイズは大樹から目をはなさなかった。

 ルイズは奇跡的に無傷だった。
 だが、心の中までは無事では済まなかった。

 その日、ルイズは破壊の力に魅入られた。





□桃色の魔女~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 部屋の中にノックの音が響く。

「開いてるわ」

「はあーい、ルイズ。晩酌のお誘いに来たわよ」

 齢十六となり魔法学院に入学したルイズ。いつもの通り授業を受け、夕食を終えて戻った寮の自室に顔を出してきたのは、赤毛の髪に褐色の肌の女性。
 隣の部屋の同級生。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーだった。
 右手には赤ワインの瓶、左手にはパンの入ったバスケットを携えている。

「あら、キュルケ。今日は隣で盛ってないのね」

「何言ってるのよ。汚らわしいとか言って散々な目に遭わせてきたのは貴女でしょうに」

 キュルケはルイズの座る机に瓶とバスケットを置くと、慣れた手つきで部屋の隅から折りたたみの椅子を用意し棚からグラスを二つ用意した。

 急に机の上を占有されたルイズは、ため息を一つつきインク壺の蓋を閉めインクがついたままの羽ペンをペン立てに置いた。
 そして机の上に広げられた紙を集め始める。

「こんな時間まで勉強なんて、相変わらず筆記だけは優等生なんだから。あら、良い紙使ってるじゃないの」

「勉強じゃないわ。論文を書いていたのよ。あ、ワインは待って。染みなんてついたら大変だから」

 ワインの栓を抜こうとするキュルケに、紙をまとめていたルイズは待ったをかけた。

「論文? なんでそんなものを……」

 キュルケは不思議そうな顔で、ルイズの手元を覗きこむ。

「明日は使い魔の召喚の日でしょう?」

「ええ、そうね。だからこうして留年するんじゃないかと気が気じゃない貴女のために来てあげたんじゃない」

 大きなお世話よ、とルイズは返し、さらに言葉を続ける。

「まあ、でもそうね。留年。このままだと、わたしはほぼ確実に儀式に失敗して留年する。だから論文を書いているの」

「論文で留年は勘弁してくださいとか頼み込むわけ? 神聖な儀式にそれは通用しないと思うけど……」

「違うわ。この論文はアカデミーに持っていくの」

 アカデミー。この国、トリステイン王国の王立魔法研究所のことだ。

 留年とアカデミーに何の関連があるのかキュルケは理解できず、首をかしげる。

「丸一年も学院にいて使い魔も呼び出せないんじゃ、何年かかっても留年続きよ。だから、明日駄目だったら学院を辞めてアカデミーに入れないかこの論文で審査して貰うの」

「学院を辞めるって……」

 突然の告白に、キュルケは手に持ったワインの瓶を落としそうになる。
 唯一無二の悪友。永遠のライバルが自分の元からいなくなってしまう。
 辞めないで、とは言えなかった。ルイズの言っていることは何も間違ってはいなかったからだ。この爆発を心から愛す爆発娘が、他の魔法を使うだなんて想像もつかない。

「これは学院に入ったときから考えていたことよ。だから、論文の準備はずっと前からしていたの。辞めることは家族にしか言っていなかったけどね」

「じゃあときどき授業を抜け出していたのは悪巧みじゃなくて……」

「何が悪巧みよ! 論文のフィールドワークのために学園を出ていたからよ。……まあ授業に出てないのはそれだけが理由じゃないけど」

「はあ、明日は使い魔の召喚の日だというのに何の用意もしていないのは、そういうわけだったのね。気の早い貴女なら部屋に藁の寝床でも用意しているのかと思ったのに」

 キュルケは軽い悪態をついて、混乱しそうになる頭をいつも通りに落ち着けようとする。
 そんなキュルケの内心を知らぬルイズは、何でもないことのように話を続けた。

「ありえない明日よりも目の前の現実よ。とりあえず今書いている本命以外に二本は書き終わってるわ」

 ルイズは集めた紙束を持って席を立つと、部屋に据え付けられた棚をあさって新しく二つの紙束を取り出し、キュルケに手渡した。

「ええと、『装飾型魔法杖に関する研究』に『平民がメイジとして生誕する確率の考察』……ね。これ、もう研究されてて価値のない論文とかいう落ちはないの」

 渡された論文をぺらぺらとめくりながらキュルケは言う。
 キュルケは卓越した魔法の使い手である『トライアングル』のメイジだが、魔法研究についてはさほど詳しくない。
 しかし、学園の内外に名をとどろかせる有名なメイジである『魔女』のルイズといえど、学生の書く論文がそう簡単に魔法文化が特に盛んな国であるトリステインの研究所に認められるとは思えない。
 いや、それを可能にしてしまえそうな気分になるのがこの小さな魔女の持つオーラなのだが。

「大丈夫よ。わたしの姉はアカデミーの研究員で、概要を送ってみたけど十分行けるって言われたわ」

「身内の評価なんて当てにはならないとは思うけどねぇ……あら、錬金を使った加工なんて書いてあるけどこれはどうしたの?」

「わたしと同じように政略結婚の駒になるよりは自分で人生を歩みたいなんて野心を抱えてる上級生を捕まえて、ちょいっとね。ほら、表紙が共著になっているでしょう」

 自分の知らないところで何をやっているか解ったものではないな、とキュルケは目の前の悪友について思った。
 論文を斜め読みしたキュルケは、紙束をルイズに突き返し、ワインの瓶に再び手を伸ばす。

 今日は一晩ルイズを励ますつもりで訪れたが、そんな無益な努力より酒の肴に論文についての話を聞き出そう。

 野心あふれるゲルマニア出身のキュルケは、論文の中にあった『平民からメイジを抽出する実験教育』の項目を見てそう思いついた。












 二日酔いと共に向かえた春の使い魔召喚。
 結論からいうと、ルイズの魔法は成功した。

「あは」

 思ってもいなかった結果に、ルイズは心の奥底から沸き上がる歓喜に笑いを隠せなかった。

「あはははははははははは、やった、やったわ! 最高の使い魔を喚び出したのよわたしは!」

 ルイズが喜んだのは、魔法を成功させたことではない。
 喚び出した生物を見て喜んだのだ。

 魔女のルイズが喚び出した使い魔。それは……人間だった。

「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」

 誰かがつぶやいたその言葉。それが使い魔を召喚し終わって待機していた生徒達の耳に入ると、笑い、そして動揺が生徒全員に広がった。

「魔女だからって平民をさらってくることはないだろう!」

「確かに魔女には奴隷がつきものだけど、平民はないだろう」

 平民を呼び出した侮蔑とも魔女と呼ばれるルイズが人を呼び出した恐れともとれる言葉は、歓喜で心が満ちあふれたルイズには何の障害ともならない。

「何を言ってるの!? 人間よ!? この大地の支配者たる人間を召喚したのよ!」

 喜びで笑うルイズと、平民を笑う生徒達の笑い声が場を満たす。

 だが、そこに教師の喝の声が割り込んだ。

「これ! ミス・ヴァリエール! それに皆さん! 喚びだした使い魔の種族で過度に誇ったり相手を馬鹿にするのは卑しい行為ですぞ!」

 メイジを見たければまず使い魔をだとか相応しい使い魔が喚び出されるなんて散々言っておいて……、とルイズは注意をしてきた教師に食ってかかりそうになるが、踏みとどまって言葉を飲み込んだ。

 教師と口論する前に、彼女には他にやるべきことがあった。

 ――契約を、『コントラクト・サーバント』をしなければ。

 そこまで考えると、ルイズの顔から血の気が引いた。

 これから『コントラクト・サーバント』、使い魔との契約を結ぶ魔法をこの目の前の少年にかけなければならない。

 ルイズの使える魔法は爆発のみである。

 何かを対象にした魔法は、その対象物が爆発する。それは物に限った話ではなく、生き物も同じだ。
 実験と称して今まで数多くの小動物を殺してきた。さらにルイズはその性格が災いしてか、荒事に巻き込まれその爆発で人に怪我を負わせたこともある。
 だが、人を殺したことは平民相手ですら一度もなかった。
 契約の『コントラクト・サーバント』の魔法は、使い魔と口づけを交わして契約を行う。失敗し爆発した場合は、頭、ないし刻まれるはずのルーンの場所が爆発するだろう。ルイズ自身も無事ではすまないだろう。

 成功すれば良いというだけの話だが、爆発以外の魔法を使えたのはつい先ほど、この少年を召喚したたったの一回のみだ。

「『錬金』」

 ルイズは試しに人のいない場所の草に『錬金』の魔法をかけるが、地面が爆発でえぐれただけだった。
 今日になって急に魔法を使えるようになった、というわけではないようだ。

 ――使い魔は自分の分身。自分にかける魔法を使ってもわたし自身は爆発しない。だから『コントラクト・サーバント』では爆発しない。

 そのような考えがルイズの頭によぎるが、楽観的すぎると自ら考えを切って捨てた。
 ルイズは気持ちを切り替えた。そうだ、先ほどと同じように爆発するのを前途として魔法を使おう。

 右腕を呼び出した人間、青い服を着た少年へと伸ばす。少年は、状況を未だ理解できないのかぽかんとした顔で座り込んだままだ。
 そしてルイズは右腕へと精神力を通す。
 ルイズの両腕には、水のメイジの外科手術により魔法の杖が埋め込まれていた。自分を実験台にした魔法研究の成果。これこそ、彼女の論文の『本命』だった。


「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」


 彼女が唱える呪文は、他の魔法のようなルーンではない。神聖な儀式と言われるだけはある、特別な呪文。
 しかし、右腕に通す精神力は何度も使ったことのある『爆発』と同じもの。
 あの落雷の日から十年以上にも及ぶ修練……意図的に爆発を起こす修練の果てに身につけた、『人が傷つかない失敗魔法』の行使。


「五つの力を司るペンタゴン」


 右手の指先は、少年の額の上に。


「この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」


 呪文の詠唱を終えたルイズは、目を見開いたままの少年へと頭を近づけていく。


 ――もしかして人間を召喚って人攫いの同類になるのかしら?


 少年に契約の口づけをしながらそんなことを考えたルイズは、また顔を青くした。



[5425] デカとヤッコサンその1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/25 15:31
□デカとヤッコサンその1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





「ようこそおいでくださいました異国の貴人」

 フライの魔法で去っていく生徒達を見上げる目の前の少年に、ルイズはトリステインの淑女が行う仕草で一礼した。
 この少年は遠い異国から来訪した異邦人であるとルイズは今のところ仮定している。
 生徒達はこの少年を平民と呼んでいたが、ルイズはこのような服を着た平民を一度も見たことがなかった。ルーンが刻まれる痛みでのたうちまわった少年にどさくさにまぎれて触った彼の服の質感も、今まで全く触ったことのないものだった。
 そして、極めつけはただのフライの魔法を見てこの少年は驚愕したのだ。
 ルイズは考える。間違いない。この少年はわたし達ハルケギニアの人類が到達していない未知の国から訪れた使い魔だと。
 魔法の始祖、ブリミルの加護の届かない国があるというのは今まで何度もルイズが考えていたことだ。
 エルフの住む聖地を隔てた東方、海原の広がる未知の西方。ブリミルがもたらした魔法の六千年王国とは異なる文明の魅力に、ルイズの好奇心はよだれをあふれさせた。

「わたしの名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。この国、トリステインの公爵をまかされている家の三女でございます。わたしの召喚に応じてくださり感謝を述べさせていただきます」

 この少年がこの国から呼ばれた可能性は否定できない。見聞の広いルイズといえども辺境の部族全てを把握しているわけではない。よってルイズは、近隣国までなら通用するであろう公爵家の名前を出して自己紹介をした。

 その結果は、ただの困惑。ヴァリエールの名にも公爵の爵位にも何の反応も示さなかった。

 ――やはり異国の人? 言葉は通じているはずだけど……。

 この少年は、ルーンを確認しようとする教師コルベールに、確かにハルケギニアの共通語を使って食ってかかっていたのだ。

 ハルケギニアでは共通の言葉と文字が用いられている。
 そして、東方から流れてくる品にはルイズの知らない文字が書かれている。文化が違うと言葉も違うということをルイズは理解していた。
 だがルイズは、この少年を異国から召喚された民だと信じて疑わなかった。

「あの、失礼ですがわたしの言葉は通じているでしょうか?」

「え、あ、うん」

 やはり通じる。
 使い魔となった生物は、人の言葉を理解する。ならば、異国の言葉を使う民も使い魔となればハルケギニアの言葉を理解するだろう。
 この少年の言葉を我々が理解できるのも『サモン・サーヴァント』もしくは『コントラクト・サーバント』の恩恵ではないか。ルイズはひとまずそう仮定した。それなら一般の使い魔の鳴き声を人間が言葉として理解できないのは何故か、などという問題は全てが確定したあとに考えることだ。

「よろしければお名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」

「え、その、俺の名前? 平賀才人って言うんだけど……」

 未だ状況の掴めない少年、才人だったが、名を問いかけられ反射的に答えてしまう。
 才人が何とか理解したのは、自分がどうやら目の前の可憐な少女に『召喚』されたということ、自分が『使い魔』とかいうものにされてしまったこと、そしてキスで自分の身体に文字を刻んだり空に浮かんだりするまるで魔法のような『不思議な力』を使う人達がいるという、ファンタジーあふれた状況に自分が投げ出されてしまったということだった。

「ヒラガ・サイトゥ。失礼ですがどちらがファミリーネームでしょうか」

「あ、ああ、平賀が苗字だ」

 気の抜けた声で才人は答える。だが彼の内心は、今にも叫び出したい気持ちだった。目の前の少女に怒鳴りつけたかった。
 ここはどこだ! お前達はなんなんだ! なんで飛ぶ! 俺の身体に何をした!
 だが、才人はできなかった。
 目の前の少女は、自分に敬意を払って接してくれている。それを怒鳴りつけ、一方的に怒りをぶつけるなど、世の可愛い女の子をこよなく愛する思春期の少年才人には出来なかった。
 だから才人は、一つずつ疑問を問いかけることにした。

「えっと、ここはどこかな?」

「ハルケギニア大陸のトリステイン王国。その王国にあるトリステイン魔法学院でございます」

 全く聞き覚えのない地名が返ってきた。しかも魔法学院。
 才人はますます状況がファンタジーじみてきたと混乱した。

「あんたたちは何? 何も使わないで空飛んでいたけど……」

「やはり魔法をご存じないのでしょうか? わたし達はこの国の貴族であり、魔法という技術を学ぶメイジというものです。空を飛び、無から火を起こし、生き物を遠くから呼び出します」

 ルイズは才人を魔法のない文化圏から来た民だと断定した。よって、平民にはできないことを例に挙げて魔法について簡単に説明した。
 それを聞いた才人は、ようやく状況を理解した。
 自分は夢を見ている。はは、魔法使いの国に召喚されるなんて、この前やったシミュレーションRPGの影響かな。
 混乱の中に光を見いだした才人は、やや落ち着いた様子で次の質問をした。

「俺の身体に何をしたんだ? 使い魔っていっていたけど、俺は何をされたんだ」

 その質問に、才人とは対照的にルイズは冷え切った頭で覚悟を決めた。

 やはりそうだ。この人は、他の獣たちのように『サモン・サーヴァント』の導きに応じたわけではないのだ。
 ルイズは召喚の儀について考察された本を読んだことがある。使い魔は自分に相応しい主の呼びかけに応じて自ら召喚の鏡をくぐるのだと。だから、どう猛な魔獣ですらメイジは使い魔として喚び出し無事に『コントラクト・サーヴァント』の行使が出来るのだと。
「そのことですが……ミスタ・ヒラガ。このような場所で立ち話もなんですし、落ち着ける場所で座ってお話しませんこと? あなたがおかれてしまった状況について詳しく説明させていただきますわ」

 ルイズは覚悟を決めた。ここからが正念場だ。
 異国の民を攫ってしまった事実。それに関してルイズはすでにどうでもいいと思っていた。トリステインも知らず魔法もないような国の人が拉致されたからと言って遠い異国の自分に害が及ぶとは思えない。
 だが、目の前の少年、才人に悪い感情をもたれてしまうわけにはいかなかった。

 見たこともない素材の服。人類の生活の基礎であるはずの魔法のない国の文化。隣の国ゲルマニアですらルイズの好奇心を満たす数々の技術があるのだ。遠い異国ともなればどれほどのものか。
 そして、使い魔だ。
 人間の使い魔など、聞いたこともない。希少さで言うならばこの国随一と言っても良いだろう。
 平民なんて召喚してどうするんだ。そうルイズは生徒達に馬鹿にされたが、それは違うとルイズは考える。人は金で簡単に従わせることが出来る。だが、それは他の高等魔獣と呼ばれるものも同じなのだ。軍はグリフォンを、マンティコアを、ワイバーンを自らの手駒として飼い慣らしている。
 大事なのは、生物としての格だ。人はこの大陸全てを支配した。身体能力や寿命でなら人を超える生物などいくらでもいる。だが、実際大地を自由に作り替えているのは人間なのだ。
 魔法の使えない異国の民とて、その格に変わりはないだろう。大地の隅々まで居住の地を伸ばしているのはメイジではなくその手で土を耕す平民だ。さらに、この少年はどうだろう。自分とは人種が違うようだが、整った髪、血色の良い肌、汚れもほつれもない服、頑丈でそれでいてやわらかそうな靴。貴族のそれに匹敵するような快適な暮らしが大地の上で根付いているであろうことは簡単に想像できた。

 この少年は是非とも自分の所有物にしなければ。
 ルイズは好奇心だけではなく独占欲も旺盛であった。

「どうぞこちらへ。私の部屋に案内しますわ」

 また笑いがこみ上げてきそうになり、ルイズは才人に背を向けて学院に向けて歩き出した。

「あ、なあ、ルイズ、さん? その前にちょっといいかな」

「はい、なんでしょうか」

 口元を押さえて才人に振り返るルイズ。今ルイズの顔には、同級生達から『魔女の笑み』と呼ばれる邪悪な笑顔が浮かんでいた。まだこれを彼に見せるわけにはいかない。

「殴ってくれ」

「え?」

 唐突な提案に、ルイズは思わず笑顔を崩して口をあんぐりと開けてしまった。

「思いっきり、俺の頭を殴ってくれ」

「……どういうことでしょうか?」

 異国の民は何を言い出すのか解らない。これが文化の違いか。
 いきなりのカルチャーショックにルイズは困惑した。

「良い夢なんだけどさ、そろそろ夢から覚めたい。夢から覚めて、インターネットするんだ。今日の夕食はハンバーグだ。今朝、母さんが言ってた」

「……は? インターネット?」

「いや、いい。君は俺の夢の住人なのだから、気にしないで良い。とにかく俺を夢から覚めさせてくれ」

 ルイズの思考が凍った。

 ――夢って、夢って! あれだけ、あれだけ説明したのにまだこの状況を理解できていないというのこのぼんくらは!

 心の中を渦巻いていた歓喜と覚悟は、一瞬で怒気に切り替わった。
 ルイズは短気だったのだ。

「なんだかよくわかりませんが、殴ればいいんですね?」

 ルイズはぎゅっと拳を握りしめた。殴れと言うなら殴ってやろうではないか。

「お願いします」

 拳を握りしめたまま、ルイズは右腕を振り上げる。『魔法の杖』が仕込まれた右腕を、だ。

「ええ、そんなに夢から覚めたいなら」

 体重も腰も入っていない少女の一撃。だが、それにはルイズの理不尽な怒りが乗せられていた。

「今すぐ現実を直視させてあげるわよ!」

 才人の頭は、爆発した。




□あとがき
ゼロ魔板設置記念として就寝時に妄想していたゼロ魔のエピソードをノープロットノー世界観考察で書き殴ってみました。序盤が終わったら短編連作予定。
勢いで書いているので、おかしなところ、気にくわないところがあれば遠慮無く指摘してください。後のエピソードで無理矢理整合性を取ろうと試みます。



[5425] デカとヤッコサンその2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/02 06:16

 ヴァリエール家の三女ルイズ嬢は好奇心と探求心の塊である。
 将来の可能性の一つとしてアカデミーの研究員を選択したのも、魔法研究で国に貢献したかったからではない。アカデミーに貯蔵された無数の研究成果。それを目当てにしたものだ。

 幼い日、ルイズが芽生えたばかりのその破壊に対する好奇心を真っ先に向けたのが、自分に衝撃を与えた雷についてだった。

 雷とはなにか。何故雷で木が炎上したのか。そして、自分の魔法であの破壊を引き起こせるのか。
 雷と炎にまつわる自然に関する本を読みあさり、魔法の失敗を繰り返した。
 そして雷を擬似的に引き起こす魔法も存在すると知り、魔法に関する文献も読みあさるようになった。

 ルイズの母、カリーヌ・デジレは風のメイジである。

 雷は風の系統の魔法。魔法の学習に積極的になった娘が雷の魔法を見せて欲しいと言ってくると、カリーヌは喜んでその破壊の力を披露した。
 その圧倒的な魔法の暴力に、ルイズはさらに魅せられることになる。

 屋敷内の本をわずかな期間で読破した幼いルイズは、新しい知識を欲した。
 もっと破壊を。もっと破壊の知識を!

 禁忌の欲にまみれたルイズは、さらなる知識のため親をだますことに決めた。

「お父様、お母様、わたしはいつかスクエアクラスの偉大なメイジになりとうございます。ですから、魔法に関する蔵書をもっと増やして欲しいのです」

 スクエアクラスになりたいなど、完全な嘘だった。屋敷の本を読み切ったルイズは幼いながらも理解していたのだ。

 自分は異常だ。

 魔法を失敗して爆発するなど、ありえない。自分はハルケギニアの一般的な魔法の使い手ではないのだ。
 自分の使えるのは爆発の魔法のみ。
 だが、その爆発の性質は使う魔法の種類により変わる。破壊を楽しむようになってからそれを理解するようになった。
 だからか、ルイズは確信していた。自分の使えぬ魔法の知識は、爆発の魔法をより強力なものにすると。

 愛しい娘の懇願に、両親は困惑した。
 魔法に関する本などこの屋敷に山ほどあるはずだ。まだ幼いこの子供に見せるような初等の魔法書など、それほど多くもない。
 だが、ルイズがわずかな期間で身につけた魔法の知識を披露すると、考えが変わった。

 この子は天才なのではないだろうか。

 両親は喜んでトリステインのみではなくハルケギニア中からその権力を利用して書物を集め始めた。
 魔法の本だけではなく、自然や文化、教養の本も多く読ませた。魔法を理解するには万物を理解することが必要だ。そういって両親はルイズに様々な知識を与えた。

 人は、趣向にあった知識を覚えるとき、そして、欲に動かされたときにその記憶力を最大に発揮する。
 ルイズは遊ぶことなど忘れて、読書と魔法の修練にあけくれた。
 他の楽しみと言えば、身につけた様々な知識で姉のエレオノールをからかって遊ぶことくらいか。

 得た知識の成果は爆発の魔法の変化と共に返ってきた。規模は大きく、狙いは正しく、距離は遠く。

 精神力にこめた感情が魔法に影響されると言うことを実体験として理解する。対象を傷つけたくないと強く願えば、爆発は爆風と爆音に変わった。大樹を燃やした雷を思い浮かべると、爆発はより凶悪なものに変わった。

 自らの魔法の力に自信をつけていくルイズ。それがさらに知識の蒐集を早める。
 破壊のための読書。その読書が少しずつ破壊のためではなく自らの知識を増やすために変わっていくのにルイズは気付かなかった。
 ルイズよりもルイズに知識欲を植え付けようとした両親達のほうが一枚上手だったのだ。

 ルイズが膨大な知識と傲慢な性格と周囲を巻き込む行動力をもって『魔女』と呼ばれる以前のこと。
 彼女の二つ名は、『賢者』であった。





□デカとヤッコサンその2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 またやってしまった。
 ルイズは自らの短気がまたやっかいな事態を引き起こしてしまったことを反省した。後悔はしなかったのだが。

 普段は教師にすらまともな敬意を払わない唯我独尊なルイズだが、自分の背の上で気絶する才人に対してはずっと淑女としての態度を崩さなかった。

 理由は二つある。

 一つは彼の学院での立場を生徒達が口にしていたような平民ではなく、ヴァリエール家の客人とするため。
 貴族の家柄としては一流である自分が彼に敬意を示せば、他の者もそれに従わざるを得ないだろう。

 そしてもう一つ。こちらが本命。才人の機嫌を取るためだ。人間、下手に出た相手にそうそう悪い感情を持たないだろう。
 遠い異国から攫われたという大きなマイナス感情。それを少しでも埋め合わせるため、ルイズはあらゆる手を使うつもりだった。

 人から知識を引き出すということ。そして相手から好かれるということは、権力や暴力など役に立たないことをルイズはその経験から知っていた。

 まあ、やってしまったことはしかたない。

 ルイズはいつものようにそう結論づけて、背負った才人を引きずって歩き始める。

「どっせーい!」

 ルイズの身長は153サント。比較的小柄だが、低すぎるというわけではない。
 だが、才人の身長は170を超えるほどの高さ。フィールドワークに慣れたルイズと言えど、軽々と持ち上げるというわけにはいかなかった。

「……何やってるのよルイズ」

 そんなルイズ上から、声がかかった。

「あら、キュルケ。授業はどうしたの?」

 コモンマジックである『フライ』の魔法で宙に浮いているキュルケに、ルイズは才人を背負ったまま声を返した。

「いつまでたっても教室に戻ってこないから様子を見に来たのよ。……はあ、それにしても酷い格好ね」

 キュルケの言うとおり、ルイズの格好は酷かった
 背中に背負った少年に押しつぶされ老人の様に前のめりになり、さらには背負い鞄リュックを背にではなく胸にぶら下げている。

 とても高貴な公爵家の娘の格好には見えなかった。

「そういうならちょっとレビテーションで持ち上げなさいよ」

「はいはい……」

 キュルケは『フライ』の魔法を解いて地面に降り立ち、ルイズの背中で眠る才人をレビテーションで浮かび上がらせた。
 人一人分の重さから解放されたルイズは、身体を後ろにそらしてストレッチを行うと、身体の前にぶら下げていた鞄を肩から外し、。

「では御者さん、寮までお願いしますわ」

「授業はどうするのよ」

「気絶した人なんて授業に連れて行けないわ」

「はあ……どうせまた癇癪起こして魔法で吹き飛ばしたんでしょう」

「ぐ……」

 図星だ。的確すぎる予想にルイズは何も言い返せなかった。

「しかし、会ったばかりの男性を自室に連れ込むなんて、ヴァリエールもやるようになったわねぇ」

「男性じゃなくて使い魔よ。それと、彼はヴァリエール家の客人扱いにするから余計な手出しは無用よ」

「あら、ヴァリエール家の男に手出しをするのがわたしの家の伝統なのだけど」

「はあ……」

 いっそのことキュルケを彼の現地妻にさせてハルケギニアに留まるよう仕向けさせようかしら。ルイズは才人懐柔案にそんな新しい策を追加した。

 ルイズは頭の中でこれからどうするかを考えながら手に持った背負い鞄を調べる。
 これもまた今までに触ったことのない質感の布で作られている。素材は不明。唯一解るのが、非常に機能的な形状をした鞄だと言うことだ。

 ――鞄の口を開閉するのは……ファスナーか。何これ。この鞄一つ量産して売るするだけで屋敷が建てられそうだわ。

 才人のことなどすっかり忘れ、ルイズは鞄の持つ魅力に一瞬でとりつかれた。
 鞄だけでこれなのだ。中に入っている物は一体どれだけの価値があるのか。

 ルイズは鞄のファスナーを開けると、おもむろに中をあさり始めた。

「ちょっとルイズ。その荷物ってこの彼の物なんでしょう。勝手に開けて良いの?」

「ばれなければ良いの。いつも言っているでしょう」

 キュルケはルイズのそんな態度にため息を一つついた。
 ルイズがばれなければいいと言って行動した結果、結局全てがばれて面倒ごとを引き起こしたのはこの一年だけで両手の指で数え切れないのだ。
 ルイズはキュルケのそんなあきれの表情も意に介さず、鞄の中から一つの薄い箱を取り出した。

「ねえ、キュルケ。これ何だと思う?」

「ルイズが解らないのにわたしがわかると思って?」

「仮にもトライアングルメイジなんだからその言いぐさはないでしょ」

 ルイズが取り出したのは、才人の世界ではノートパソコン、あるいはラップトップパソコンと呼ばれる物だった。
 だが、それをハルケギニアに住む彼らが理解できるはずもない。

「素材からして解らないわねぇ……」

 ルイズはノートパソコンを裏返したり拳で軽く叩いたりしてそれが何か確かめようとする。

「ちょっと貸してみて」

「はい、落とさないようにね。……まあこういうものならゲルマニア人のほうが詳しそうね」

 ノートパソコンを渡されたキュルケは、杖を握ったままの手でルイズと同じように両手でいじりはじめる。
 だが、やはりキュルケにもそれがなんの用途に使うものなのか、そもそも素材はなんなのか理解することは出来なかった。

「ちょっと彼降ろすわね」

 キュルケは宙に浮かせていた才人を地面にゆっくりと降ろしレビテーションを解くと、右手の杖を左手に持ったノートパソコンに向けた。

「壊さないでよ」

「解ってるわよ」

 キュルケが唱えたのは『ディテクトマジック探知』。対象物の魔力を探知するための魔法だ。
 魔法で生み出された光の粉が、ノートパソコンに降りかかる。

「魔法の反応はないわね」

「そりゃそうよ。彼、魔法のない国から来たんだから」

「何それ!?」

 ハルケギニアはメイジの支配する世界だ。
 メイジが貴族となり王となり、魔法の使えぬ者達を支配する。それが何千年も続いてきたのだ。
 魔法の使えない者が貴族の位を得ることが出来るゲルマニア出身のキュルケにも、魔法のない国というものが想像できなかった。

「本当なの、それ?」

「その箱を見ただけでわたし達の理解の出来ない場所から来たことが解るでしょう」

「ねえルイズ、これ土のメイジなら素材が解るかしら」

「何言ってるのよ。彼に訊けば良いだけじゃない」

 ルイズは鞄の中からまた違う物を取り出しながら言った。

 ――これは動物の皮をなめしてできているわね。牛かしら?

 手の平ほどの大きさの四角い物体。間に隙間が開いており、そこには紙と、これまた素材の解らないカードが入っていた。
 折りたたみ式になったそれを開くと、右側に金属でできたボタンがついていた。
 ルイズは躊躇することなくそのボタンを外した。中には様々な色をしたコインが入っていた。

「こっちは財布のようね」

「他人の財布をあさるなんて感心できないわね」

「ばれなければいいのよ」

 ルイズは財布の中から一番大きなコインを取りだす。それは真鍮に似た輝きを持つコインだった。
 金ではない。土地が変われば金属の価値も変わるだろうと今度は素材についての考えを切り捨てた。
 ルイズが注目したのはそれではない。コインの作りの繊細さであった。

 手に取ったときに最初に感じた違和感。それは、コインの側面に細かな溝が掘られているからだった。
 片面を見ると、美しい草花の図柄。それと、見たこともない文字だ。
 コインを裏返すと、一面に文字が浮かんでいた。文字は精巧な直線と美しい曲線で描かれている。

 さぞや価値のあるコインなのだろう。
 少なくともこの国の平民が日常で使うコインをここまで作り込む必要は無い。

 ルイズは学院に向けて歩きながら様々な角度からそのコインを観察する。

 そして、突然の事態に驚愕する。

 文字の中から、文字が浮かび上がってきたのだ。ルイズは瞬時にその構造を把握。そして、めまいがしてきた。

「ねえキュルケ、ゲルマニアではこのコインを量産できるかしら?」

「今度は何?」

 再び才人を宙に浮かび上がらせていたキュルケは、ルイズにノートパソコンを渡し代わりにコインを受け取った。
 一分ほどコインを手の平の上で遊ばせたキュルケはやがてゆっくりとルイズの方を向いた。

「……是非彼の話を聞きましょう」

「ええ、格別のワインを用意して、昨日の晩酌なんかとは及びも付かない最高の尋問を行いましょう」

 ルイズはわずか五百円の価値のコインを前に、その何百倍もの価値があるワインを用意することを決めた。




Q.ファスナーってハルケギニアにあるの?
A.一巻のロングビル絵の服がどう見てもファスナー付きです。1891年アメリカにて誕生。
メガネの形状やパンツのゴムなど私の考えるハルケギニアの文明レベルは高いです。



[5425] デカとヤッコサンその3
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2010/03/29 14:24

 平賀才人はルイズほどではないが、好奇心にあふれた性格をしている。

 彼がそう周囲の人間に認識されたのは、小学生時代に夏休みの朝顔観察で、お茶を使った朝顔の育成について五十ページを超える日記を宿題として提出してからだった。

 小学、中学を通しての得意科目は理科。逆に、暗記力を問われる社会科は苦手だった。才人は短気だ。長時間延々と単語を覚え続けるなど苦痛以外の何物でもない。

 親にはもっと勉強を頑張れといつも口うるさく言われていたが、才人は勉強が別に嫌いなわけではなかった。
 ただ、学校の教科書に載っている内容は、さほど興味と好奇心を満たしてくれるものではなかっただけだ。

 才人は退屈な日常を満たしてくれる刺激に飢えていた。

 そんな才人が出会った最高の友は、インターネットだった。
 世界中の無数の知識が小さな箱の中に広がっている!

 インターネットの魔力に囚われるのにはさほど時間はかからなかった。
 才人は存分にその知識欲を満たした。

 wikipediaを端から読みあさり、最先端の物理科学をgoogleで検索し、ひも理論の難解さに理解を放棄したりした。

 ついでに男子としての欲も満たした。彼は健全なエロ男児だったのだ。
 そして、才人には行動力があった。
 インターネットの中だけではなく、現実世界でも行動を開始しよう。
 そう意気込んだ彼が選んだのは悪名高いあの『出会い系サイト』だった。

 だが運命は「現実世界にお前に相応しい女などはいない」とばかりに、出会い系に登録したばかりのノートパソコンを故障させた。

 彼の行動は早かった。即座に親に土下座して修理代金を確保し、パソコンを修理に出した。
 修理が終わるまでの日々は、ただ苦痛の日々だった。
 才人は別に友人も居ないような根暗少年ではない。気の合う友人達と遊び回ったりもする。

 でも、それでは刺激が足りない。もっと刺激を! もっと刺激を! ついでに恋人も!

 その才人の思いに答えたのか、召喚の鏡はノートパソコンの修理を終え帰宅しようとする才人を一方的に刺激あふれる異世界ハルケギニアに送り出した。





□デカとヤッコサンその3~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 女の子に好奇心を向けるのは大好きだが、女の子に好奇心あふれる目を向けられるのはむずがゆいものだ。
 目を覚ました瞬間に視界一杯に飛び込んできた褐色の美女の視線を見て、才人はそう思った。

 これは誰だろう。さっきまで夢を見ていたわけだから、これがまた夢ということはないだろう。
 現に、自分は今布団の中にいる。頭が少しふらふらするのも寝起きで頭がぼやけている証拠だ。

「ルイズ、ルイズ、起こしたわよ」

 目の前の美女が、後ろに振り向いて誰かに呼びかけた。

 ――ルイズ? 確か夢に出てきた女の子の名前じゃあ……。

 才人は美女の振り向いた先にまだ霞んで見える視線を向けた。
 そして、混乱した。

 ――何で夢の魔法使いが俺の部屋に!

 自分好みの女の子の魔法使いに召喚されて使い魔にされるという、ゲームをやりすぎたかと後悔しそうな夢に出てきた少女が、自分の部屋の机に座っていた。
 この状況は一体何なんだ。可愛い少女にエロチックな美女が自分の部屋にいるなど、これはあの夢の続きか。

「初めに言っておきます、これは夢ではありませんわ、ミスタ・ヒラガ」

 そう言われて、才人は気付いた。
 ここは自分の部屋なんかじゃない。白い壁紙と緑のカーペットの自分の部屋なんかじゃない。
 石の壁に木の板をはめこんで作られた異国風の部屋。窓も、見たことのない豪勢な彫刻の彫られた西洋風のものだった。
 窓から射す夕暮れの光が、自分の部屋でいつものように朝の起床をしたわけではないという事実を才人の脳に刻み込んだ。

 才人は不意に自らの頬をつねった。
 痛い。
 これは夢ではない。そもそも、夢はこんなにはっきりとした自意識を保てるものではなかったはずだ。

 しかし、これが夢じゃないとしたら、自分は夢だと思っていた状況の真っ直中にいることになる。
 ここは魔法使いのいるとりすていんとかいう外国で、目の前の金髪の女の子は魔法使いで、自分は使い魔として召喚された。

「ええと……、君は、ルイズさん、でいいんだっけ?」

 才人はまず状況を初めから整理し直そうと決めた。

「ええ、そうですわ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。使い魔とメイジ同士の関係ですので、気軽にルイズと呼んでいただいてかまいません」

「そして私はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。キュルケが名でツェルプストーが家名ですわ、異国のお方」

 ここは学院寮のルイズの自室。
 そのルイズの部屋には、ルイズと才人の二人だけではなく、キュルケとその使い魔の火トカゲがいた。
 ルイズがキュルケを自室に通したのは、キュルケが希望したからだけではない。

 ルイズはこれから異国の地から見知らぬ土地に攫われた人間に、その境遇を説明しなければならない。
 嘆き悲しむのは当然で、場合によっては召喚したルイズに怒りの矛先を向けるかも知れない。

 魔法のない遠い異国から来た才人には、貴族の威光もメイジの恐怖も通用しない。

 だからルイズは、数を味方につけた。
 才人が変な気を起こさないよう長身のキュルケと巨大な火トカゲを部屋に通した。
 才人を力で押さえつけるつもりはない。必要なのは、相対しているのは小さな女の子一人ではないと無意識に刻み込ませること。

 その効果があったのかはともかく、今のところ才人からは怒気を感じなかった。

 実際のところ、才人は怒りをまき散らすほど状況を把握していなかった。
 いくら考えても、話が現実離れしすぎているのだ。

 ドッキリテレビか? そう頭に解が浮かんできたが、さすがにそれはないだろうと切り捨てた。
 確かに目の前の二人は女優と言われても納得できそうな美人だが、自分は芸能人でも何でもない。あれは有名人を策にはめて笑うための番組だ。

 とりあえず才人は、再び室内を見渡すことにした。
 そして、視界に飛び込んできた生き物をみてぎょっとした。

「そ、それ……」

「あら、わたしの使い魔に興味がおあり? 火竜山脈から召喚したサラマンダーのフレイムですわ。あなたの国にはサラマンダーはいるかしら?」

「い、いない……」

 昔動物園で見たことのある雄ライオン、それほどの大きさの真っ赤な肉食爬虫類の姿に、才人は心臓が止まりそうになった。

「く、鎖とかにつながなくて大丈夫なのかよ」

「大丈夫ですわ。使い魔ですもの。わたしが命令しない限り人など襲いませんわ」

 巨大なトカゲのぎらぎらとした瞳に、才人はとっさに視線を外した。
 代わりに視界に映ったのは、机の前に座るルイズ。
 机の上には、修理したパソコンを入れるために持ってきたリュックが置かれていた。

 リュックの口は大きく開けられている。
 良く見ると、リュックの中身が全て机の上に広げられていた。

 俺の荷物を勝手に! そうつめよろうとベッドから腰を浮かせた才人に、ルイズは先手をうった。

「失礼ですが、危険物がないか検めさせていただきました。なにぶん、ここは貴族の子女達の眠る寮ですので」

「は、はあ。なるほど。貴族、貴族ね……」

 ルイズの柔らかい声に、沸騰しかけた才人の頭はゆっくりと冷めていった。

 ――まあ魔法なんてあるようなファンタジー世界じゃ貴族なんて天然記念物が居てもおかしくないよな。

 未だ状況の掴みきれない才人だったが、わずかに得た情報から何とか自分の置かれている状況について仮説を立てていた。

 1.ここは日本製のゲームかファンタジー小説か何かの世界の中である。どう見ても外国人なのに日本語が通じるのもそのため。そんな感じの映画を昔母がレンタルビデオ屋から借りてきたのを見たことがある。

 2.ここは海外にある隠れ里的な小国である。魔法という超常の力を他国に隠しひっそりと生活している。そんな感じの漫画が購読している漫画雑誌で連載されて半年ほどで打ち切られたのを見たことがある。

 3.ここは地球ではなく、宇宙の遙かかなたの遠い惑星である。魔法というのは発達した科学の別名で、自分は実験体としてあの鏡からUFOの中へと連れ去られたのだ。そんな感じのSFホラー小説を幼なじみから借りて見たことがある。

 ――どれも現実離れしすぎだよなぁ。

 才人は自分の想像力に自ら苦笑した。

「なあ、できればここはどこであんたたちは何者で俺は一体どうなったのか、初めから詳しく説明して欲しいんだけど」

 自分では答えを見いだせなかった才人は、とりあえず目の前の二人に頼ることを決めた。





 ハルケギニアは6000年前に現れた魔法の始祖ブリミルとその子供達によって作られた、大陸を埋め尽くす文化圏である。

 ハルケギニアは魔法を使える貴族が魔法を使えぬ平民を従える世界であり、ブリミルの血を引く血族達が王となりいくつかの国に分かれて大地を支配している。

 ここはそんなブリミルの血を引く王家の加護を受けた国トリステイン王国の魔法学院。トリステインの貴族の子女達は魔法を学ぶためにこの学院を学舎としている。

「大陸、大陸かあ……」

 才人は椅子の背もたれに身体を預けながら、ここが地球であるという可能性を捨てた。いくらなんでも大陸丸ごと魔法使いがひしめいているなんて、地球上でありえるはずがない。伝説のムー大陸のように海の底に沈んで未だ人が生きているとかいうならともかく。

「ミスタ・ヒラガのいた国はなんという名前の国なのかしら?」

 キュルケがそう問いかけてくる。

「日本って国の東京って都市に住んでいるんだけど……知らない、よなぁ?」

「ええ、存じてませんわ。……ルイズ、聞いたことある?」

「全く」

 ルイズはそう答えながら机の上に重ねた紙束に羽ペンで文字をつづっていく。
 国-ニッポン。都市-トーキョー。
 彼女は才人が口にする全ての情報を記録するつもりであった。

「俺もハルケギニアなんて大陸もトリステインなんて国も聞いたことないよ。つーか魔法が実在する国自体世界中どこ見渡しても存在ねーよ」

 才人は理不尽な状況にだんだんと冷静さを失っていき、右手で頭をかきむしり始めた。
 一方のルイズはメモをとり続ける。彼は「魔法が実在する国自体」と言った。魔法のことを全く知らないわけではない。想像上の技術として彼の知識の中にあるのだと導き出した。

「ねえ、ルイズ。彼に地図を見せたらどうかしら? もしかしたら彼の国ではトリステインが別の名前で呼ばれているのかもしれないわ」

「はあ、ハルケギニアの事が伝わっていたとしても地図を見てそれだと解るとは思えないけどね」

 そう言いつつもルイズは棚の中から地図が束ねられた羊皮紙の冊子を取りだした。フィールドワークのために大陸中を行き来するときにいつも用いている地図。あちこちにメモが走り書きされており、くたびれて端がぼろぼろになっている。

 ルイズは地図の束を何枚かめくり、机の上にハルケギニアの全容が書かれた地図を広げた。

「これがハルケギニア全体の地図ですわ。ここが今居るトリステイン王国」

 才人の前で地図上の小さな国、トリステインを指さして見せた。

 一方の才人はその地図を見て、思わず芸人顔負けのツッコミをルイズに入れた。

「ってヨーロッパじゃねーか!」

 手の裏で肩を叩く軽快な音が室内に響いた。

 才人は地理が苦手だ。純粋な記憶力のみを要求される科目だからだ。
 だが、それでもこの地図が地球のヨーロッパ大陸に酷似していることは理解できた。

「ミスタ・ヒラガの国ではハルケギニアをヨーロッパと呼ぶのでしょうか?」

 才人に肩を叩かれて思わず何気安く触っているんだと癇癪をぶつけそうになったルイズだが、才人がこの地図を見て反応をしたという事実に気付き怒りではなく問いを才人に投げかけた。

「ええと……うん、これ、どう見てもヨーロッパの地図だ」

 ルイズは才人がハルケギニアの地形を知っていることに驚いた。
 才人の国では、ハルケギニアの地図を見ることが出来るということだ。

 ルイズはハルケギニアと交流のある異国の文化にもそれなりに詳しい自信がある。
 だが、ニッポンという国をどのような書物でも目にしたことがない。行商人達の話からも伝え聞いたことはない。
 交流のない異国の地図をこんな少年が目にすることができるのか。ルイズは

「いや、でもありえねーよ。何でヨーロッパ人が魔法使えるんだよ。ハリー・ポッターかよ畜生」

「ミスタ・ヒラガ。あなたの国ではそのヨーロッパという土地はどのような土地だと言われているのでしょうか」

「…………」

 ルイズの質問に、才人は沈黙を返す。
 右の手の平で顔半分を覆い、十秒ほど無言のままたたずむ。

 そして、ゆっくりと口を開き始めた。

「いや、ごめん。これはヨーロッパじゃない。形は同じだけどヨーロッパじゃないや」

「えっと、どういうことでしょうか」

「あんたたち、日本を全く知らないんだろう?」

 ルイズとキュルケは、才人の言葉に素直に頷く。

「ヨーロッパ人は多分日本のことを知っているし、パスポートがあれば飛行機で簡単にヨーロッパと日本を行き来できるんだ」

 才人は一方的にそうまくし立てる。視線はルイズとキュルケどちらにも向いていない。
 ただ真っ直ぐに、ヨーロッパに似たハルケギニアの地図を見つめていた。

「それに、ヨーロッパに魔法使いの国なんてあるはずがないんだ」

 誰に放つわけでもない。自分自身に対して確認するために、才人は言葉を続けた。

「どうやら俺は並行世界ってやつに来ちまったらしい」




あとがき
妄想ひたすら書き殴っていたらいつまでたっても初日が終わらない……。このSSはノープロットなのでストーリー展開とかよりこういうぐだぐだ会話とルイズ様の奮闘がメインになりそうな感じです。
ハルケギニアの地図を見たい人は才人御用達のwikipediaにGO!



[5425] デカとヤッコサンその4
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/24 14:15

 才人は記憶力を総動員してヨーロッパの地理を思い出していた。

「ここがイタリア」

「ロマリアですね」

「ロマリア……ドラクエ3? いや、違うなローマか。ローマって首都がある国だ。こっちはフランス。芸術が盛んで、あと料理が凄く美味しい」

「そこはガリアですね」

「ガリア……聞いたこと無いな」

「ここはどうかしら? 私の出身地のゲルマニアなんですけど」

「そこはドイツだったかなぁ。ゲルマニアか。ゲルマニア……ああ、このあたりにはゲルマン民族っていうのが居たはずだ。ドイツは技術と医療と車とソーセージが発達している国」

「あら、やっぱり異世界でもゲルマニアは素晴らしい国なのね。今居るトリステインはどうですか?」

「うーん、ごめん、どの国があったか思い出せない」

 才人は並行世界とはなんぞやと訊ねてきたキュルケに、並行世界について説明した。
 もし歴史のあの瞬間あの事件が起きていなかったら。もし人類が人ではなく他の動物だったら。そんなifの可能性の先にある分岐世界。
 そして才人は自分の知っているヨーロッパについて地図を使って一つずつ確認していった。

 ちなみに才人が初めに指さしたのはイタリアではなく、地球でいう東ヨーロッパの位置。ルーマニアがある場所だった。
 悲しいかな、変形したヨーロッパ地図から正確な国名を割り出せるほど、才人の地理と世界史の成績は良くなかった。





□デカとヤッコサンその4~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





「では、ミスタ・ヒラガは遠い異国ではなくこの世界に酷似した異世界からやってきたというのですね」

 会話をキュルケに任せ才人の言葉を黙々と書き留めていたルイズが、ペンを止めて才人に任せた。

「ああ。小説とかでは並行世界って呼ばれてるやつだと思う。何でこんなところに来てしまったかは教えてくれるんだろ?」

「ええ、これから説明しますわ」

 ルイズは意図的に使い魔の召喚についての話よりハルケギニアについての説明を先に行っていた。
 現状を認識していない才人に、異国に呼び出されたということをはっきり理解して冷静になって貰うこと。この場は使い魔になってもらう交渉の場ではない。異国に喚び出されたことを許してもらう説得の場だ。

 そして、使い魔の話を後回しにした理由がもう一つ。ルイズには説明を躊躇してしまうほどの罪悪感があった。遠くの地から才人を攫い、一方的に使い魔にしてしまった罪悪感だ。

 使い魔は契約を了承した獣が喚び出されると言われている。
 それがなんだ。彼は魔法も知らず、使い魔として喚び出された状況を夢だと言って目を背けようとした。

 魔女とまで呼ばれるルイズは、唯我独尊な性格であり他者に迷惑をかけることを気にもとめない。
 しかし、貴族として人として、他者を不幸にして人生を狂わせるのを良しとするような外道ではなかった。

 ルイズは怖かった。遙か遠い国で人生を歩むはずだった才人の将来を狂わせてしまったのではないかと。
 異国への、異世界への興味が膨らむにつれ、その罪悪感もどんどんと膨らんでいった。

 ルイズは本日何度目かになる覚悟を決めた。
 罵倒を受け入れよう。怒りを全て受け入れよう。そのうえで、彼に使い魔になって貰うのだ。

「わたし達メイジは、一生の友として使い魔……他生物の従者をハルケギニアから魔法を使って喚び出します」

「え、今一生って言った?」

 すでに使い魔についておおよそながら予測を立てていた。
 だから、今までになかった新しい情報。「一生の友」という言葉を聞き逃さなかった。

「メイジと使い魔との契約は、どちらか片方が死ぬまで……ですわ」

「なんだよ、それ」

 才人は愕然とした。
 異世界へのちょっとした小旅行、そう楽観的に考えていたものが一瞬で崩れ去った。
 死ぬまでだと? こいつらは自分が死ぬまで使い魔なんてものにしてこんな場所につないでおくつもりなのか。

「じゃあ、まさか俺に一生死ぬまでここにいろっていうのか? ……なあ、喚び出せるなら送り返すこともできるんだろ? ゲームの召喚獣は戦闘中だけしか喚び出してないぞ」

「……申し訳ありませんが、喚び出す魔法はあっても、送り返す魔法は知られていません」

「ふざけんな!」

「ですが!」

 拳を机に叩きつけて憤る才人。それに対し、ルイズは彼にすがるような目を向けた。

「ですが、もしかしたら送り返す魔法が世界のどこかにあるのかもしれません。使い魔は主と一生を共にするもの、だから誰も送り返すなんてことを考えたことがなかったんです。わたしの姉は魔法研究所の所員です。送還の魔法が研究されているかもしれません。それに、わたしも送還の魔法を見つけるのに努力を惜しむつもりはありません」

 ルイズは本気だった。
 彼をだましたり懐柔したりするために今の台詞を言ったわけではない。

「言い訳になりますが、わたしはあなたを異世界から攫うために召喚の魔法を使ったわけではありません。これはメイジとして未熟なわたしの過失です。わたしの手であなたの人生を狂わせてしまったというなら、わたしの全てをかけて償わせていただきます」

 そのルイズの本気を理解してしまった才人は、机に叩きつけ強く握りしめたこの拳をどうすればいいか解らなくなってしまった。

 怒りはある。悲しみもある。理不尽な状況に巻き込まれてしまった言葉では言い表せない暗い感情が心の奥で渦巻いている。だが、それを目の前のブロンドの少女にぶつけるわけにはいかなかった。

「俺はどうすれば良いんだよ……」

 才人は頭をかきむしりながらルイズに向けていた視線を窓の外にそらした。
 すでに日が落ち夜の闇で埋め尽くされた空には、地球のものとは違う二つの月が浮かんでいた。

 ――本当に異世界に来ちまったんだなぁ。

 見覚えのない月の姿に、才人が驚くことはなかった。
 遠くの地にいきなり飛ばされて、そこが偽物のヨーロッパで、住人は空を飛び、巨大なトカゲを従わせている。
 月が一つ二つ増えようが今更

「ミスタ・ヒラガ。わたしはあなたを我がヴァリエール家の客人として迎えようと思います。家の自慢になってしまいますが、ヴァリエール家はこの国でも最も格式の高い貴族である公爵の家柄です」

 才人の知っている貴族の爵位はあの有名なドラキュラの伯爵の位だったが、ルイズの説明に公爵とは伯爵よりも上なんだろうな、と何となく思う。
 その公爵に客人として扱われるのだ。悪いようにはされないだろう。

「そして、失礼ですが、その、わたしの使い魔となるようお願い致したく思います」

「え……?」

 客人にすると言われた才人は、自分は使い魔として扱われないだろうとばかり考えていた。
 だが、金髪の少女は自分に使い魔になれと言ってきた。

 ――使い魔ってゲームとかじゃ奴隷みたいなものだよなぁ。嫌だなぁ。俺SMは嫌いなんだよな。

 先ほどよりもいくらか心の平安を取り戻した才人は、そんな脳天気なことを思った。

「この学院のメイジは使い魔との契約をできないと留年するという取り決めになっているのです。恥ずかしながら、わたしはまだこの学院に留まりたいと願っています」

「あー、そういうこと……」

 才人も学生だ。留年は学生生活を送るうえでの退学と並ぶ最大の恐怖。
 それを回避するためなら少しくらいなら妥協しても良いと才人は考えた。
 才人は異常なほど新しい環境への順応性が高い。既に異世界でどう生活するかを考え始めていた。

 一方、ルイズの隣で口を出すことなく彼女の告白を聞いていたキュルケも、ルイズの言葉に嬉しくなった。
 自分の居る学院を辞めてアカデミーへ行くと昨日ルイズに言われて、内心傷ついていたのだ。魔女のルイズとはこの学院で一番親しい悪友だという自負があったのだ。

「なあ、使い魔ってのはどんなことをすればいいんだ? 馬車馬のごとく働けとか言うなら俺は逃げるぞ」

「本来ならば、使い魔はメイジの目となり耳となる能力を与えられ、その能力を持ってメイジの利となる働きをします」

「どういうこと?」

「この使い魔のフレイムが見ているものをわたしも見ることができる、ということですわミスタ・ヒラガ。ふふ、火トカゲの視界というのもなかなか面白いものね」

 横からキュルケが小難しいルイズの説明に解説を行った。

「ルイズさんも俺の見ているものが見えるのか?」

 そうなったら大変だ、と才人は思った。
 こんな可愛い女の子に自分が用を足している瞬間なんて見られた日には、自殺すら検討してしまうだろう。

「残念ながら無理なようですね。わたし、メイジとしては落ちこぼれですの」

「君も大変なんだなぁ」

 自分の全く興味のない教科で赤点との戦いを繰り広げる才人は、同情の混じった視線をルイズに向けた。

「他には珍しい草や鉱物を見つけたり、メイジの身を守ったりするのですが、流石に客人にそこまでさせるわけにはいきませんわ。使い魔というのは肩書き上のことでかまいません」

「そうかー。……解った、俺君の使い魔やるよ」

 才人はあっさりと答えを出した。
 異世界に来て行く当てもない。手に職を持てるような技術なんて持っていない。
 それなら可愛い女の子の従者をやるのが一番素敵じゃないか。
 楽天家の才人はそう結論づけた。

「本当ですか! それなら、いや、それならではなく、ええと、こちらは使い魔としてではなくミスタ・ヒラガ個人へのお願いなんですけれど」

 才人の解答を聞いたルイズは、心の中で喝采を上げた。
 人間の使い魔を得ることが出来た。彼は自分に悪い感情を抱いていない。全ては上手く行った!

 歓喜と共にルイズの中でくすぶっていた罪悪感は薄まっていき、代わりに押さえつけられていた知的好奇心が爆発した。

「あなたの世界、チキュウについて詳しくお教えいただけないかしら。未知の世界に興味がありますの」

「ああ、話すだけで良いならいくらでも話すよ」

「それでしたら、お話のついでに極上のワインを用意いたしますわ」

「ええ、俺二十歳超えてないからお酒は飲まないよ」

「あら、ニッポンではお酒を飲むのに年齢の制限があるのですね」

 ワインの瓶を出そうと立ち上がったルイズは、才人の言葉を聞いて立ったまま机の紙にメモを取った。
 そして羽ペンをペン立てに突き刺すと、部屋の隅まで歩いていき戸棚を開けた。

「でもご安心ください。トリステインではお酒を禁じる法はありませんわ。これはわたしのヴァリエール家の領地で取れた葡萄から作った最高級のワイン。初めての飲酒でもきっと気に入っていただけますわ」

 ルイズが取り出したのは美しいストロベリーブロンドの女性の横顔が描かれたワインの瓶。
 彼女の名を冠したロゼワイン、ワイズ・フランソワーズであった。





 ルイズの指摘通り、才人は飲酒をするのが初めてだった

 実はワインのアルコール度数は高い。サワーやチューハイのような初心者向けのお酒ではけっしてない。
 アルコール慣れしていない才人は一気に上機嫌になり、異世界に連れ去られたことを誰にも体験できない旅行をしにきたのだと前向きに解釈しだして鬱屈としていた感情を全て吹き飛ばした。
 初めに才人が言ったのは「いーよいーよそんなにかしこまらなくていーよ。俺、敬語とかで話すのも話されるの苦手だし」だった。
 わずかに上気した顔のまま、才人は故郷の話をする。
 彼がまず話題に選んだのは、『魔法』と対になるであろう『科学』を用いた、機械についてだった。

「デンキってどんな燃料なの? ハルケギニアでも発掘できるものなのかしら」

「電気というのは……そうだな、雷の力を利用したものだよ」

「雷の力ですって?」

 ルイズは己の心の奥底に眠る雷への探求心を刺激され、思わず机の上に前のめりになった。

「すんげー弱い雷を作って、そのエネルギーでいろいろなものを動かしているんだ」

「それ、どうやって作っているの!?」

「ええと、例えば石油を燃やしてすごい規模の火を燃やして水を蒸発させてだな……」

 火を使うと聞いて、火のトライアングルであるキュルケも才人の話に注目した。
 キュルケは手に持っていたグラスを机の上に置き、両の腕を机の上にのせわずかに前へと身体を傾ける。

 美女二人に身体を寄せられた才人は、鼻の穴をわずかに広げながら物理の授業で習った火力発電の概要について説明していく。

 才人は嬉しかった。

 自分が好奇心で普段集めていた知識、そして毎日のように学校で詰め込まれていく知識。それが役に立つ日が来るとは全く思っていなかった。勉強は将来何の役にも立たない。そう思い続けていた。
 それがなんだ。何の意味もないと思っていた知識が、こんな可愛い女の子達を喜ばせることが出来るなんて、そんなこと先生は誰も教えてくれなかったぞ!

「で、タービン……風車を回す。ここがミソなんだけど、フレミングの左手の法則っていうのがあって……」

 ルイズは才人の話を聞きながら、ものすごい勢いで紙に文字を走り書きしていく。

 そんなルイズの姿を見て、才人はまるで刑事ドラマの取り調べの風景のようだと心の中で笑った。

 カツ丼くださいと言えば出てくるだろうか。

 とりあえず才人はカツ丼の代わりにワインを一口のみ、バスケットの上にのったパンを一つ掴んでかじりついた。
 ニンニクのペーストが表面にうっすらと塗られたパン。どうやら異世界であってもパンはちゃんとパンであるようだった。

 ワインの酌をかわしつつ才人の電気についての講釈は続く。

 三人の会話は、バスケット一杯に積まれたガーリックパンが全てなくなるまで続けられたのだった。



□デカとヤッコサン 完□


こんなるいずさまにわたしはしょうかんされたい。

容姿描写の参考ワード:ストロベリーブロンド



[5425] 三人の魔女その1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/25 01:46

「あーっ!」

 夜も更けたので続きは明日、と解散しようとしたところでルイズが突然叫んだ。

「どうしよう、サイトゥの寝る場所わたし何も用意してない」

「あら、そういえばそうだったわね……まあ使い魔のを用意していたとしても藁束は客人に相応しいベッドじゃないけれど」

 才人は彼女たちのやりとりを聞いて、やはりここは夢の世界なんかじゃないんだと認識した。
 寝床の確保なんて言う現実的な話、曖昧な夢の中で気にすることではない。

「ま、ルイズ。それに関しては安心してちょうだい」

「何? どこかに空きベッドでもあるの?」

「空きベッドは無いわ。でも、人一人分入るベッドのあてはあるわ」

 キュルケはそう言うと、椅子をずらして才人の近くへ寄り、そのまま才人の肩へとしなだれかかった。

「ね、異世界の紳士様。今夜は二人一緒のベッドで過ごしましょうか。素敵な異世界の話のお礼に、ゲルマニアの『微熱』あふれる夜をお教えしますわ」

「ま、まじでー!?」

 ワインの酔いによって活発に動いていた才人の心臓は、褐色の美女の身体に爆発しそうなほど鼓動を開始した。

「なななななななな」

 一方それを見たルイズは、ワインで桃色にほてった顔を一瞬で真っ赤に変えた。

「きゅきゅきゅきゅきゅるるけ人の使い魔にななななななにしようとしししてるのよっ!」

 知識豊富な賢者であるルイズだが、男女の関係については非常に初心であった。

「あら、サイトゥはヴァリエール家の客人なんでしょう? ヴァリエールの男を自分のものにするのはツェルプストーでは当然のことよ」

「んなっ!」

 何を言い出すのかこの雌犬は。
 そうだ、目の前の赤毛は盛りのついた雌犬だ。犬には調教が必要だ。

 ルイズは沸騰したままの頭で右手の指を大きく弾いた。
 キュルケの足下が『衝撃の爆発』で吹き飛ぶ。

「ね、ねえ、キュルケ。わたしの近くで『そういうこと』をしないって何度も教えたわよね」

「え、ええそうねルイズ。使い魔召喚の初日ですもの。自分の使い魔と一緒に過ごすのが習わしってものね」

 キュルケはかつてルイズと反目し合っていた日々を思いだした。
 連日のように男を自室に連れ込むキュルケにルイズは汚らわしいと怒り、キュルケが連れ込んだ男を裸のまま爆破して次々と窓の外に放り投げていったのだ。初め、キュルケは当然のことながら部屋の扉に鍵をかけていた。これを破るには学院内で固く禁止されている『アンロック』の魔法を使うか、盗賊のような錠破りの技を使うしかない。だがルイズはアンロックも錠破りも使わず、ただ扉を破壊することで中に押し入った。自分の都合のためなら他人の迷惑など省みない。それがルイズだった。

 キュルケは恐怖に震えながらフレイムの頭を撫で、ルイズの部屋を出て行った。

 フレイムの尾の炎が失われたルイズの部屋は、大きな光源を失って闇が広がる。

 その後ルイズから部屋のベットを使うよう勧められた才人だが、自分は床で寝ると言い出したルイズに慌て、結局毛布を借り日本で布団を使ってそうしていたように、ベッドを使うことなく床の上で眠った。





□三人の魔女その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 ルイズは二日連続で頭痛と共に目覚めた。

 二日酔いだ。昨日は何の酒を飲んだのだったか。そうだ、何か嬉しいことがあって秘蔵のワインを空けたのだ。

 良いお酒は二日酔いをしない。そんな言葉は嘘であると位の高い貴族の家出身のルイズは知っていた。

 頭が痛い。
 授業をサボって寝ていたい。

 そう思いルイズはベッドの上で丸まろうとする。

 だが、いつもと何か感触が違った。
 あの暖かい上質の毛布の感触が返ってこない。

 寝返りで蹴落としでもしたかしら。
 仕方なしに、ルイズは片手で頭を押さえながらむくりと身を起こした。

 ベッドの両脇を見るが、毛布が落ちてしまっている様子はない。
 寝ぼけ眼で部屋を見渡すと目的の毛布はベッドのはるか遠く、部屋の片隅に丸まって落ちていた。

 何であんな場所に。

 痛みの治まらぬ頭を振って、ルイズはベッドの上から降りた。
 そして、何故か吹き飛んでしまっていた毛布を取りに部屋の隅に歩いていく。

 腰をかがめて毛布を引っ張ろうとするルイズだが、何かが引っかかって持ち上がらない。
 今度は腰を入れて毛布を引っ張り上げる。すると、毛布の中から何かが転がり落ちた。

 何だろう、と目をこすってその何かを覗きこむルイズ。

 そこには、見知らぬ男が眠っていた。

「キャアアアアアアアアアアアアー!?」

 悲鳴と共に爆発音が朝の寮内に響き渡った。












「あは、あはははははははは!」

 突然の騒音に何事かと駆けつけたキュルケだったが、寝間着姿で才人を介抱するルイズを見て、またいつもの癇癪でも起こしたかとあきれかえった。そして、ルイズから事情を聞くと、予想外の事実に思わず笑い出してしまった。

 お腹を抱えて笑い続けていると、ルイズが真っ赤な顔で着替えるから起こしてあげてと才人を押しつけられ、部屋の外に追いやられた。

 流石に部屋の外で笑い続けるわけにも行かず、笑いをこらえてルーンを唱えて才人に目覚めの魔法をかけた。

「おはよう、サイトゥ。トリステイン流の火花散る朝はどうだったかしら?」

 巨乳美女の抱擁による起床。本来なら飛び上がって喜びそうな状況であったが、才人の気分は最悪であった。

「頭が痛い……」

 爆発の痛みか二日酔いの痛みか。
 とりあえずキュルケは二日酔いによるものだと説明しておいた。

 ちなみにキュルケはそれなりの酒豪であり、二日酔いなど関係ないとばかりに朝早くに起床し着替えもすでに終えていた。
 キュルケは隣の部屋の扉を開けて中からフレイムを出すと、扉の前でルイズが出てくるのを待った。

「はー、改めて見るとでけーなー」

 才人はのっそりと部屋から姿を現したフレイムを見ると、腰をかがめてその頭を撫でた。
 使い魔は怖くないものだと知った才人は恐怖ではなくその好奇心を目の前の火トカゲに向ける。フレイムは心地よさそうに目を薄めて「きゅるきゅる」と意外に可愛い鳴き声を出している。

「サイトゥの世界にはサラマンダーはいないのよね」

「ああ、小説とかの空想上の生き物って感じかな。しかし、どうやって燃えてるんだこれ」

 フレイムの背を撫でながら、才人はフレイムの尻尾に注目した。

 尻尾が燃えている。

 背を優しく撫でると、きゅるきゅると喉を鳴らしてまるで犬のようにその尾を左右に振る。
 キュルケが何も言ってこないと言うことは、この尾の炎で火事が起きる心配などはないのだろう。

 ファンタジーだ。

 才人はただひたすら感心した。

「サラマンダーは火の魔獣。わたし達の使う四大魔法とはまた違う魔法の力を持ったトカゲなのよ」

「やっぱり魔法かー。すげーな」

「チキュウのカガクではこういうことはできなくて?」

「生き物に火を付けて無事に生かすなんて、科学じゃ無理だろうな」

 そんな会話をキュルケと才人は二人でしばらく続けていた。
 が、いつまで経ってもルイズが部屋から出てくる様子はなかった。

「なあ、ハルケギニアの貴族ってこんなに朝の支度に時間がかかるものなのか?」

「化粧覚え立ての子供じゃないんだからそれはないわ。おかしいわねぇ」

 さらに数分待ってみるが、部屋の扉は開かないままだ。
 しびれを切らしたキュルケは、勢いよく扉をノックして叫んだ。

「ルイズ、ルイズ、どうしたの。もう朝食の時間よ!」

 だが扉の向こうからの答えはない。
 もしかして、とキュルケは返事を待つことなく扉を開いた。

 その向こうには、学院の制服に着替たルイズが床の上に広げられた毛布にくるまって寝息を立てていた。












「はあ、貴族の子女が歩きながら朝食を取るなんて……」

「あら、別にこれくらい良いじゃない。私なんて外を走り回るときは馬上で食事を取るわよ」

「そういう変な食事の取り方をするからいつまで経っても胸が大きくならないのよ」

「胸は関係ないでしょ胸は!」

 そんな二人の会話を聞きながら、才人は食堂で貰ってきたパンを口に含んだ。
 美味しい。
 パンの中はまだ湯気が立つほどに温かい。焼きたてのパンはこんなに美味しいものなのだと才人は感心した。

「手で食べられるわたし達はともかく、フレイムはちょっと辛そうよ」

「ぎゅるぎゅるー」

「ああ、昨日は気にしていなかったけど、そのサラマンダー、火竜山脈の魔獣だったわよね」

「ええ、この尻尾は間違いないわ。ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんかつかないわよ?」

「ブランドだの値段だの物としての評価なんかしたら使い魔が悲しむわよ、ゲルマニア人さん」

「う、たしかにそうね。ごめんねー、フレイム。あなたがどこのサラマンダーであってもわたしはあなたが好きよ」

「きゅるきゅるー」

「それで良いのよ。ま、火竜山脈の火の魔獣については前々から興味あったから今度調べさせて貰うわね」

「あら、『物』ではないフレイムを簡単にいじくりまわしてあげさせると思って?」

「あなたの使い魔の情報の代価はわたしの使い魔の世界の情報。十分すぎる取引だわ」

「……やっぱりルイズ、あなたゲルマニアの貴族になった方が上手くやっていけるわよ」

 パンを食べ終わった才人は、仲の良い二人の言い合いを後ろから歩きながらぼーっと見ていた。

 マントが揺れる二人の後ろ姿。キュルケを見ると、歩くたびにマントにその大きな尻の形がくっきりと浮かんできた。
 男心を全力で刺激する魅惑のヒップ。
 彼女は乳もすばらしかった。うん、あの乳は良いものだ。才人は朝っぱらからそんなことを考えた。

 そして、ルイズの方を見る。
 すると横からかすかに風が吹きルイズのなめらかなウェーブがかかった金髪を揺らした。
 朝の陽光が風になびいた髪を照らし、金色の髪の中から綺麗な桃色の輝きを浮かび上がらせた。

 不思議な色だ。才人はそう思った。

 才人が見たことのある金髪と言えば、ブリーチで黒髪を脱色した粗悪なボトルドブロンドくらいのもの。
 天然のブロンドというものを今まで見たことがなかった。

 地球から次元を隔てた遠い異国の地で出会った二人の少女。
 きっと自分がこの世界に喚び出されたのは、『出会い系』などという安直な恋を求めた才人を見咎めた神様が、自分に相応しい女性は他にいるとしてこの地へと送り出して美女との出会いを運命づけてくれたのだ。ありがとう神様!
 安直で脳天気で馬鹿である才人はこの世界にはいない遠い地球の神と仏に感謝した。ちなみに彼は無宗教である。

 才人が一人でそんな妄想をしているうちに、学院の本棟が間近に迫っていた。
 すでに授業が始まるぎりぎりの時間。他の生徒達の姿は見えない。
 だが、一人、本棟の入り口にたたずむ物が居た。

 学院の女子制服を着ているが、その容姿は幼く生徒かどうかは疑問が残る。
 シャギーの入ったボブショートの青い髪に、幼い顔には赤いメガネをつけている。両手には大きな木の杖を抱えていた。

「あらタバサ。どうしたのこんなところで突っ立って」

 その少女の姿をみて、キュルケは気さくに話しかけた。
 どうやら彼女の知り合いのようだった。

「……二人とも昨日は居たのに今朝の食事にこなかった。心配」

「あらあらあらもう可愛いわねぇこの子は」

 キュルケはタバサと呼ばれた少女を全身で抱擁し、身体をすり寄せた。

「え、と、知り合い? 下級生?」

 突然目の前で繰り広げられ始めた百合色のやりとりに、才人は困惑しながらルイズに訊ねた。

「あれでも同級生よ。ちょっとキュルケ、サイトゥにその子紹介するから離しなさい!」

「はあーい」

 キュルケの抱擁から介抱されるタバサ。その表情は、抱きつかれている最中も介抱された後も同じ、無表情のままだ。

「タバサ、この人は私の使い魔、サイトゥ」

「サイトゥじゃなくてサイトな。サ・イ・ト」

「ニッポンの言葉って発音しにくいのよ……」

 才人はずっと気になっていた自分の名前の訛りをこの場になってようやく訂正した。

「そしてこの子はわたし達と同じ魔法学院の新二年生。ガリアから留学してきているシャルロット・エレーヌ・オルレアン。タバサって呼んであげて」

「うん、よろしく、タバサ」

「…………」

 タバサはじっと才人を見つめると、やがてゆっくりと才人に向けて会釈した。
 可愛いけれどどうもつかみ所が解らない子だ。そう才人は思った。

「雪風のタバサ、微熱のキュルケ、そしてわたし、魔女のルイズの三人を合わせて、学院の三魔女と皆は呼ぶわ」

 ルイズは腰に手を当てて、才人に向けて胸を張った。

「どう考えても蔑称なのにルイズは気に入っちゃっているのよね」

「とばっちり……」

 あきれるキュルケに無表情ながら不満を口にするタバサ、そして誇るルイズを見て才人は、赤青黄の信号機コンビだな、とそんなことを取り留めもなく考えた。



[5425] 三人の魔女その2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/25 16:01

□三人の魔女その2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 タバサはルイズの親友である。
 少なくともルイズはそう思っており、タバサとの関係を聞かれたときにも大切な親友だと答えている。

 二人が初めて知り合ったのは、学院に入学したばかりのこと。
 他の生徒達が少しでも良い家柄の貴族の子女にお近づきになろうと奮闘している中、タバサは一人学院の図書館で本を読んでいた。
 物静かなタバサ。読書は唯一の趣味だった。
 彼女が魔法の修練を欠かさないのは、いつかその力が必要となる日が来るであろうから。そこに楽しみや喜びなど皆無だった。
 一方、読書はそんなものとは違い、ただ楽しむためだけに行っていた。

 様々な分野の書物の中でもタバサは特に、平民の女性が好んで読むような恋物語を選んで読んでいた。
 何の取り柄もない平凡な女の子。それが、容姿端麗で頭脳明晰な貴族の男子に見初められ身分の違いで心を痛める。そんな話が平民の間では人気があった。

 タバサがこのような物語を好んでいたのは、自分を不幸な境遇から救い出してくる自分だけの勇者が現れないかという願望が心の奥底にあったからなのだが、その恥ずかしい妄想を他人に話すことは一度もなかった。

 ガリアの屋敷にある小説は全て読み切ってしまったタバサだったが、異国の魔法学院ならば自分の知らない本が山ほどある。
 タバサはそう思い、友人を作ることなど全く考えずに図書館に真っ先に入り込んだのだ。

 誰もいない本の庭で、タバサは一人優雅に本を読みふけっていた。

 一人だけの、わたしだけの時間。

 だが、そんなタバサに横からかかる声があった。

「レビテーションの魔法をお借りしてもよろしくて? 本を取っていただきたいの」

 話しかけてきたのは自分と同じ魔法学院の生徒のようだった。
 自分の領域へ踏み込んできた邪魔者にタバサはわずかに機嫌を悪くして、そんなの自分でやって欲しい、と小さく答えた。
 だが。

「申し訳ないけど、わたしレビテーションも使えないの。落ちこぼれというやつね」

 目の前の金髪の少女は、そう言いつつもどこか誇らしげに立っていた。
 何となく、祖国の従姉のことを思い出した。彼女もよく魔法を失敗する落ちこぼれだった。

 使えないならば仕方がない、とタバサは金髪の少女、ルイズの頼みを聞くことにした。

 この図書館は魔法を使うことを前途とした構造になっている。棚の高さは何と三十メイル。棚から本が落下して下に人がいた日には、軽傷では済まされないだろう。
 レビテーションが使えないなら手の届く範囲の本しか読むことが出来ないだろう。だが、メイジ専用の図書館というものは、平民のこそ泥に貴重な本を盗まれないように高いところに置くのが通例だ。ルイズもその高いところにある貴重な本を読みたいのだろう。

 どの本を取ればいいのか、そう訊ねたタバサにルイズはさらりと答えた。

「あの棚のあの段の端から端まで。あ、その下の段もお願いするわ」

 あまりにも突飛な注文に驚くタバサだが、ルイズの顔は自分を馬鹿にするような冗談を言う表情ではない。

 ――この人はわたしと同じ本の虫だ。

 そうタバサは確信した。





 その日からルイズとタバサは図書館の同じ机で一緒に読書をするようになった。

 自らは声を発しようとしないタバサに、ルイズは本を読みながら次々と話しかけた。
 無視しようかとも思ったタバサだが、ルイズの会話はどれも貴族達が酒の席でするようなどうでも良い話ではなく、読書家として興味のそそられる話題ばかりだった。

 遠い異国に置き去りにされた犬の使い魔が国境をいくつも越えて主人の元へ帰ろうとする話。
 ガリア、アルビオン、トリステインの三国が争った戦争の采配の逸話に関する非現実性の指摘。
 亜人と人間が友好関係を結ぶ物語は現実世界で実現可能かという考察。

 普段本を読み様々なことを頭の中で考えていたタバサは、ついついルイズの話題に乗ってしまった。

 そのようにして毎日のように会話を交わし、少しずつだがタバサはルイズに心を開くようになっていった。
 そして次第に、タバサからも本に関する話をするようになった。

 二月も経った頃、二人は図書館以外でも会話を交わす仲になっていた。

 仲を深めた二人は本にも関係のない普通の友人らしい会話もするようになる。
 時には、本を数分で読み終わるルイズの速読が汚いとタバサが文句を付けて、喧嘩になったこともあった。

 やがてそんな二人の中に、ルイズの悪友を自称するキュルケが加わることになる。

 キュルケは二人ほど読書が好きではなかったが、その代わりに図書館や自室に籠もろうとするタバサを様々な場所へと連れ出した。タバサの隠れた特技、サイコロ博打が猛威を振るいだしたのもキュルケが裏町に連れ出し始めてからである。

 キュルケの奔放さとルイズの唯我独尊な行動力。
 その性質が引き起こす様々な問題に、傍らにいたタバサも否応なしに巻き込まれることになった。

 読書家のくせに常識が欠けているのではないかと疑いたくなるルイズの起こす問題に、タバサは何とか状況を沈めようと無言で奔走する。

「貴女がいないとルイズはどこかに飛んで言っちゃうわね」

 そんなことをキュルケに笑いながら言われたりした。

 ルイズは本に興味があるわけではなく知識に興味があるのだ。そう知っても最早ルイズとは切っても切れない仲になってしまっていた。





 知識の魔獣。貪欲な賢者。そんなルイズが「タバサそのもの」に興味を持つことは当然のことだったのだ。そうタバサは今になって考える。

 入学時点で風のトライアングルの留学生。それでいて家名は不明。そもそも「タバサ」などどう聞いても偽名だ。
 そして、しばしば不意に学院から姿を消すタバサ。騎士としての任務のためだったのだが、毎日のように顔を合わせていたルイズにとってはさぞや不可解に思われたことだろう。

 興味の矛先をタバサに向けたルイズは、行動を開始する。
 生徒に誰もタバサの正体を知るものがいないと聞き込みを終えたルイズは、次に教師陣に手を伸ばした。

 教師達、特に学院の重鎮ならばタバサの正体を必ず知っているはずだ。そうルイズは確信していた。

 何せここはトリステイン王国の由緒ある魔法学院。国内外の貴族の子女達が集まる学びや。身元不明のメイジなどが留学できるような場所ではない。

 そして、ルイズは知った。タバサの正体は、ガリアの王族に関係の深いオルレアン家の長女。シャルロット・エレーヌ・オルレアンだと。

 当然のことながら、ルイズはガリアで起きた王を巡る騒動を知っていた。
 これ以上タバサについて深く調べるのは外交問題になりかねない。ルイズもトリステインの王家に関わりの深いヴァリエール家の三女なのだ。

 しかし、ルイズは躊躇することなくその領域へと踏み込んだ。

 タバサの父、オルレアン公シャルルはその兄ジョセフ一世に暗殺されたとのもっぱらの噂。
 そしてタバサの母、オルレアン公爵夫人についての情報を秘密裏に得て、ルイズの知識欲は爆発した。

「エルフの毒っ!? エルフの先住魔法ですって!?」

 賢者であるルイズは、ハルケギニアに点在する先住魔法についても造詣が深かった。この六千年でエルフの先住魔法について研究された書物も数多く存在する。

 しかし、ルイズはエルフの魔法というのを実際に目にしたことはなかった。
 何せ、エルフは遠い聖域の地にて何千年も引きこもっている。それを引っ張り出すためには、ハルケギニア中の軍事力を片っ端から集めてようやくだ。

 ルイズは興奮冷めやらぬまま、図書館のタバサの元へと走っていった。

「貴女の母親を助ける心当たりがあるわ。協力しなさい」

 タバサはただただ驚いた。何故ルイズが自分の母のことを知っているのか。
 最近ルイズがあちこちを探り歩いているのは知っていたが、それはいつもの風景でありまさか自分のことを調べられているなど想像もしていなかった。

 心の奥底に踏み込まれて拒絶しそうになるタバサだったが、助ける心当たりがあると聞いて踏みとどまった。

 タバサを味方に付けたルイズはさらなる行動を開始した。

 まず、ルイズは個人的な知り合いであるジュール・ド・モット伯爵に連絡を取った。
 トリステインの王宮に関わりの深い人物であり、外交にも強い。そこからガリア国内のオルレアン派と渡りを付けた。

 そして次に、ヴァリエール家の仇敵であるはずのフォン・ツェルプストーとキュルケを間に置いて交渉を行った。

 ルイズの取った策は大胆だった。
 オルレアン派の協力を得、オルレアン公爵夫人の影武者を用意する。そして夫人本人はツェルプストーの用意したゲルマニアの秘密屋敷に隠す。全て内密のこと。ゲルマニアに連れて行ったのは、ガリアとの地理的な関わり合いのためだ。ゲルマニアは広く、聖域に近い奥地ならばガリアの密偵の手もそう簡単には及ばない。

 かくして、オルレアン公爵夫人誘拐作戦は成功に終わった。

 こんなことをして大丈夫なのか。
 そう訊ねるタバサに、既に学院の皆から魔女と呼ばれていた少女はただ笑って言った。

「ばれなければいいのよ」

 タバサはこの言葉を聞いた時点で、目の前の桃色の魔女について深く考えるのをやめた。
 何のために自分が今まで偽名を使っていたというのか。もうどうとでもなってしまえ。


 そして、どうとでもなってしまった。悪い方にではなく、良い方にだ。
 魔女であり賢者でもあるルイズの知識は、先住魔法に蝕まれた夫人の心を少しずつ元に戻していった。

 治療開始から半年が経過し冬が終わろうとしていたころには、夫人はつたない文字ながらもタバサに手紙をツェルプストー家経由で送る程まで回復していた。


 タバサは不幸な自分の境遇を救ってくれる勇者がいつか現れて、自分の肩を抱いてくれる。そう夢に見続けていた。
 勇者は現れなかった。
 だが、タバサの傍らには魔女が居て、肩ではなくその手を握り空の下へと連れ出していったのだった。




作者が好きなゼロ魔SSは「ゼロのガンパレード」「エデンの林檎」「虚無の魔術師と黒蟻の使い魔」「ゼロと聖石」です。



[5425] 三人の魔女その3
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2010/03/29 14:24

□三人の魔女その3~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 科学という概念の存在しないハルケギニアだが、意外とその建築技術のレベルは高い。
 それは、建築を専門とする貴族の家が何百年もその『錬金』を初めとした魔法の技術を代々伝え発展させてきたからだ。

 魔法はある分野では科学に匹敵し、凌駕する。才人はルイズ達に案内された教室を見てそう解釈した。

 石造りの階段教室。大学の講義室にも似た傾斜のある教室。その床は魔法を利用して作られていた。
 つなぎ目の全くない、石の床。才人がそれに気づくことが出来たのは、昨夜から刺激され続け活性化している好奇心によるものだった。普段なら教室の造りなど気にすることもなく、周りを埋め尽くす魔獣達に腰を抜かしていたところだろう。

 階段の一番下、教卓の後ろには地球のものと似た黒板がすえつけられていた。

 ――黒板とかチョークって中世時代にはなさそうな物だよなぁ。緑色の黒板は目の健康のためのはずだからそれも考えられているってことかな。

 魔法があるだけで文明レベルは地球のはるか下。そう思っていた才人は考えを改めた。
 ここの世界は『科学』の代わりに『魔法』があるだけで、ゲームに出てくるような中世時代をベースにしたファンタジー世界ではないのかもしれない。

 そんなことを考えながら才人はルイズの後ろに付いて階段を下りていく。
 足を一歩踏み出すたび、教室のどこからか忍び笑いの声がくすくすと聞こえてきた。
 どうも自分は注目されているようだ。

 ――そういえば昨日、最初は平民として馬鹿にされるけど気にしないでくれとか言われたなぁ。

 すぐにそんなことは言われなくなるから、ともルイズは言っていたが。
 例のヴァリエール家の客人扱いというのでどうにかしてくれるのだろう。

 才人は笑い声を意識の外に追いやり、ルイズに連れられるままに椅子に座った。
 横に何人も座れる長椅子と長机。こちらは木製だ。石の上に長時間座るのは流石に尻が痛かろう。

 周りを見渡しながら座った才人に、横から声がかかった。

「はぁーい、サイト。今日からよろしくね」

 そこにはキュルケが居た。さらにその奥にはタバサも居た。

「何だ、お前達一緒の席なのか」

「この前二年生になって、ルイズが一番前の机が良いってごねたの。それでわたし達もここに。どうも学院はわたし達を三人で一セットだと思っているみたいねぇ」

 その言葉を聞いて、才人はふと疑問に思った

「あれ、二年になったばかりなのか。使い魔召喚できないと留年とか言っていたからあれが進級試験なのかと思っていたけど」

「筆記に合格して二年に進級、でも使い魔の儀式に失敗すると一年生に逆戻りよ」

 キュルケとのやりとりを横目で見ていたルイズが割って入りそう説明した。

「進級できるようなメイジなら『サモン・サーヴァント』程度の魔法を失敗するなんてありえないの。だから逆戻りの話は本来なら進級して気持ちが浮ついた生徒の気を引き締めるための建前なの。本来なら、ね」

「ルイズ、すごい教師達に食い下がっていたものねぇ。常に筆記で一位を取るから使い魔は免除してくれ! だなんて」

「この世界も学生は大変なんだなぁ」

 そんな安直な感想を述べた才人は、後ろを振り向き教室を見渡した。
 二年生は皆使い魔を召喚している。つまり、この教室には様々なファンタジー生物にあふれているのだ。

「あれはバジリスク?」

 六本足のトカゲを指さして才人は言った。

「ええ、そうよ。チキュウにはいるの?」

「いや、サラマンダーと同じで空想上のモンスターだ」

「生き物の違いも今度詳しく聞きたいわね。チキュウにしかいない生き物とかも知りたいし」

 教室の風景に喜ぶ才人に、地球の生き物に思いを馳せるルイズ。
 何だかんだで似たもの主従なんじゃないかとキュルケは思った。

「あの目玉のお化けは? 確かゲーム……物語の中じゃアーリマンって名前だったけど」

「バグベアーね」

「あの蛸人魚は? あれも物語の中に出てきたスービエに似てる」

「スキュアよ」

「はー、ファンタジーだなー。すげー」

「チキュウにいないはずの生き物が空想上ファンタジーの生物として存在しているという話の方がわたしとしてはすごく感じるわ」

「それも含めての並行世界なんじゃないか」

 一通り教室内を見渡した才人はそういえば、と横に振り向いた。

「えっと、タバサ……の使い魔はどんなのなんだ?」

 一人本を覗きこんでいたタバサは、首を動かすことなく目のみを才人の方へ向けて答えた。

「外。大きくて入れない」

 ちなみにタバサは手に持った本の内容にはずっと目を通していなかった。
 大切な二人との友達の輪。そこに急に割り込んできた使い魔の男の子に警戒して耳をそばだてていたのだ。

「あなたは……」

 タバサは本を閉じると、ゆっくりと才人の方へと顔を向けた。

「外の国の人?」

 見慣れない服。そして先ほどからのルイズ達との会話。
 どうも遠くの国からやってきた使い魔らしい。

「それも含めて後でまとめて説明するわよ」

 ルイズのその言葉を聞いて、タバサは悲しくなった。キュルケは事情を知っている様子だ。自分だけ仲間はずれにされてしまった。そう感じたのだ。
 そんなタバサの微弱な感情の動きを感じ取ったキュルケは、両腕でタバサの小さな体を抱え込んだ。

「大丈夫よー。もータバサかわいー」

「はいはい、先生来たわよ」

 ルイズはペンの先で机を強く叩いて二人へ呼びかける。

 美少女二人の抱擁をこっそり見守っていた才人と教室内の男達は、その音を聞いて反射的に前へと向き直った。





「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね」

 本日の一限目の授業を担当する教師、ミセス・シュヴルーズは教室全体を見渡しながら喜びの混じる声で話し始めた。

「このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 シュヴルーズはやや小太りな中年の女性教師。
 この学院で教鞭を振るい初めてそれなりの月日が経つ。

「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」

 一通り教室内を見終わったシュヴルーズは、目の前の席に座る見慣れぬ少年を見てそう言った。

 シュヴルーズのその声に、教室中がざわめきに包まれる。

「ルイズ! 召喚できないからって、いくらなんでもその辺歩いていた平民をさらってくることないだろう!」

 誰かがルイズに向けてそう叫んだ。
 冗談のつもりで放った言葉、だが、言った本人はそれが本当のことなのではないかと考えが変わっていき、思わず身震いをしてしまった。
 ちなみにこの言葉を放ったのは、かの少年『風上』のマリコルヌではなかった。マリコルヌはルイズの愛の奴隷を自称しており、むしろ才人に使い魔の座を交代して欲しいと願うほどの男であった。

「魔女のルイズ! 平民だからって何をしてもいいわけじゃないのよ!」

「用が済んだら釜の中にでも放り込むつもりか!」

 なんだこれは。才人は教室に渦巻く空気に困惑した。
 いじめの類ではない。確かに笑いを含む声も聞こえてくるが、何かが違う。皆どこか一歩引いて遠くから罵声を投げかけている。才人はこの状況をそのように感じた。

 才人は隣に座るルイズの表情を覗きこむ。
 するとどうだろう、これほど罵倒されているというのに、ルイズは何も気にしていないというような涼しげな顔をしていた。

 その表情のまま、ルイズは音もなくゆっくりと立ち上がった。
 そして後ろへと振り返り、教室の生徒達を右から左へ流し見た。

 ルイズが再び前へと振り返ると、いつのまにか教室内は沈黙に満たされていた。

「ミセス・シュヴルーズ。このままでは騒がしくて授業にならないでしょう。ですから、わたしに自らの使い魔を皆に紹介する機会をくださりませんこと?」

 ルイズは優雅な仕草で目の前の教師にそう問いを投げかけた。

「そうですね。珍しい使い魔のようですし私も興味がありますわ。ですが手短にお願いしますね。すぐに授業を始めますので」

 シュヴルーズの了承を得、ルイズは才人の手を取り立ち上がらせた。
 そして才人の手を握ったまま黒板の前へと歩いていき、生徒達の方を向くと才人の手を離す。

 教室中の全ての視線がルイズと才人へと集中していた。
 才人は思わず、小学生のように背筋を伸ばして『気を付け』をしてしまう。

 一方のルイズは優雅な仕草を崩さぬまま、ゆっくりと語り始めた。

「初めに申し上げます。わたしの使い魔は平民ではございません」

 それはまるで演説するかのように透き通り、はるか遠くまで響き渡りそうな凛とした声だった。

「家名をヒラガ。名をサイト。ハルケギニアより遙か遠く、始祖ブリミルの加護すら届かぬ遠い遠い国、ニッポンよりお越しいただいた賢人でございます」

 賢人? なんだそれ。思わずサイトは吹き出しそうになった。
 自分はただの学生だぞ。学校の成績だって中の中だ。彼女いない歴十七年だが、三十路の賢者になった覚えはない。

「彼の国には魔法はなく、よって貴族と平民の違いも存在しません。魔法が無いなど原人の国だ、などと思う方もいるかもしれませんが、それは違います。彼の国では魔法以外の全技術を極めた『カガク』という学問が万民に広がっていると伺いました。賢人の『カガク』は必ず、トリステインにさらなる発展をもたらせてくれることでしょう」

 カガクはきっと自分の知識欲を満たしてくれることでしょう、の間違いだろうと悪友の演説を聞きながらキュルケは苦笑した。
 だが賢人というのはその通りだ。昨夜聞いた電気の話など、ハルケギニアの誰も知らぬ超技術であろう。

「わたしは、この異国よりお越しいただいた賢人をヴァリエール家の客人として正式に迎えさせていただきます。皆様も異国の賢人を歓迎していただけると嬉しく思いますわ」

 ルイズは優雅に一礼すると、才人に目配せをして自席へ歩いて戻っていく。
 才人は一言「よろしくお願いします!」と転校生のように挨拶の言葉を述べるとルイズの後を追って着席する。

 彼らに罵倒の声を向ける者は、もはや誰もいなかった。




ぼくらのルイズ様は原作では完全なるツンデレラブコメ要員とされており、その活躍の場はほぼすべて才人の手によって塞がれている。
だがルイズ様は気高き貴族の精神を宿しており、逆境にも折れない勇者の心をその小さな胸(CV:釘宮理恵)に秘めている。
だからぼくらは才人を消してルイズ様を最高の主人公にするのだ。

一方Leniはルイズを魔改造して変人主人公にした。
これで才人を残せる! そう喜んだが、そこには原作のルイズの姿はなかった。
目的と手段がいつの間にか入れ替わってしまっていた。



[5425] 三人の魔女その4
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2010/03/29 14:25

 才人は目の前の光景に驚愕した。
 シュヴルーズが軽く杖を一振りしただけで、ただの石ころが一瞬で真鍮に変わったのだ。

 真鍮の化学式は記憶していなかったが、少なくともあんな石ころから作れるような金属ではなかったはずだ。

 ――原子配列変換? ヴァルキリープロファイルかよ!

 現代科学の常識に凝り固まった才人は、魔法の非常識さにめまいを覚えた。

「では、誰かに『錬金』をやってもらいましょうか……」

 そういってシュヴルーズは教室の生徒達の顔を見渡す。
 彼女はこの魔法学院に来て長いが、昨年はこの生徒達を受け持ってはいなかった。覚えている生徒の名もまだ少ない。

「ではミス・ヴァリエール、あなたにお願いしますわ。先ほどに引き続いて前に出てきてもらいましょう」

 その言葉に、教室中がざわめいた。

「先生! ルイズはやめておいたほうが良いです!」

 名指しされたルイズの隣、キュルケが立ち上がり叫んだ。

「危険です!」

「危険? どうしてですか?」

「ルイズを教えるのは初めてですよね?」

「ええ。でもミス・ヴァリエールは『賢者』と呼ばれるほど素晴らしいメイジであると聞きます。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい」

「ルイズ。やめて」

 キュルケの懇願に、ルイズは無言で起立することで答えた。

 ルイズはそのまま教卓の前まで歩くと、ざわめく教室の生徒達を前にした。

「あらミス・ヴァリエール。杖はどうしたのですか? 『錬金』には杖が必要ですよ?」

「杖ならありますわ。少し見つけづらい特殊な杖ですの」

 そう言ってルイズは両の手の平をひらひらと振った。
 シュヴルーズはそれ以上追求をしなかった。『賢者』と呼ばれるほどのメイジだ。きっと杖も変わったものを使っているのだろう。
 シュヴルーズはローブの袖の中から小石を一つ取り出し、教卓の前に置いた。

「さあ、錬金したい金属を、強く心に思い浮かべるのです」

 シュヴルーズの指導に、ルイズはその小さく可愛らしい口をゆっくりと開く。
 だが、放たれたのは詠唱のルーンの言葉ではなかった。

「さて、皆様。こうしてみると一年前を思い出しますね」

「ミス・ヴァリエール?」

 いきなり何を言い出すのだとシュヴルーズの顔が険しくなる。
 だが、ルイズはそんなことを気にすることもなく言葉を続ける。

「初歩的なコモン・マジックを失敗する私に、皆様はわたしにゼロのルイズという二つ名を授けてくださいましたね」

 ああ、だめだこりゃ。ルイズの二度目の演説を目の前で聞くキュルケは頭を抱えた。
  ルイズはあのときのことを未だ根に持っている。わたしの静止など聞くはずがない。

 何を隠そう、一年前に『ゼロのルイズ』の二つ名を皆に広めたのは、ヴァリエール家と反目し合うツェルプストー家のキュルケだったのだ。

「わたしは恥じました。自身の魔法が皆に認めてもらえぬ未熟さを。ですからこの一年、わたしは魔法について日々研鑽を繰り返してきました」

 ルイズは笑っていた。学院に恐怖の名として広まる『魔女』の笑みだ。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、この一年で培った修練の成果をこの場で皆様にお見せしたく思います! ……ミスタ・ヒラガ、あなたにもハルケギニアの真の魔法の『力』をお教えしますわ!」

 まるで劇場の役者のような大げさな仕草で、ルイズは両腕を大きく振るう。

「イル! アース! デル!」

 ありったけの精神力がこめられたルーンの詠唱。
 机の上に置かれた小石が、強く輝き出す。

「『爆音』の錬金!」

 教室が魔女の破壊の力に満たされた。





□三人の魔女その4~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 トリステイン魔法学院の学院長は、オールド・オスマンと呼ばれる老メイジであった。
 齢百とも三百とも呼ばれる魔法の権威。その彼は、学院本塔の最上階にある学院長で書類仕事に追われていた。

 本来ならのんきに秘書の尻を撫でながら水煙草で一服している時間。不意に秘書から舞い込んだ書類に頭を悩ませていた。

「うぬぬ、ヴァリエールめ。今度は騎士団の騎竜の鱗をはいでまわったじゃと……」

 オスマン氏がこのような突発の仕事に見舞われるのは、半数以上がルイズの引き起こす迷惑事によるものであった。
 ちなみに遠いヴァリエール領でも公爵が同じ書類でめまいを覚えていた。

「ミス・ヴァリエールも成績だけで見るととても優秀な子なのですけれどね」

 オスマン氏の傍らに控えた秘書、ミス・ロングビルがオスマン氏の使い魔、ネズミのモートソグニルの尻尾を弄びながらそう言った。

「それが問題なんじゃよ。学院始まって以来の秀才ともなれば、そうそう退学にもできまいて」

 生徒達は貴重な収入源であり一人でも多く学院に貴族を集めなければなどと言ってはばからぬオスマン氏だったが、ルイズの奔放さには学院から放り出しても構わないと思うほどであった。
 オスマン氏はとりあえず、書類に学院は悪くない、ヴァリエール家に全てを任せるという旨を遠回しに書きつづっていった。

「それよりミス・ロングビル。そろそろその子を離してやってくれないかのぅ」

「もうわたくしのスカートの中に潜り込まないときつく言いつけてくださるのなら考えますわ」

「おうおう、それはすまなかったのう。これ、モートソグニル、彼女に謝りなさい」

「ちゅー」

 そんな使い魔と主のやり取りを聞いたミス・ロングビルは冷たい視線でオスマン氏をにらむと、机の上に載ったインク壺にモートソグニルを突っ込んだ。

「ああ! なんてことを!」

「オールド・オスマンは黒がお好きのようでしたので」

 ミス・ロングビルは顔にかけた緑の眼鏡の弦を右手で軽く上げると、そう淡々と言い放った。

 そんな二人の漫才風景に、突如小さな振動と大きな爆音が飛び込んできた。

「ぞ、賊ですか!? もしかして土くれのフーケ!」

「これこれミス・ロングビル。あわてなさんな。おおかたミス・ヴァリエールが何かしでかしたのじゃろう」

 オスマン氏の予想は見事に当たっていた。
 いや、ルイズの爆発魔法を見たことがある学園の者達は皆その予想を立てていた。

「どれ、たまには直々に動いてみるかの」

 オスマン氏インク壺からモートソグニルを引っ張り出し懐から取り出したハンカチーフでインクをぬぐってやると、ハンカチーフを机に置いたままゆっくりと立ち上がった。

「ミス・ヴァリエールの元へ?」

「うむ、たまにはきつく言っておかんといかんじゃろ。今年はもうミス・フォンティーヌもいないしの」

 そう言って扉へと歩いていく。
 だが、オスマン氏が辿り着く前に、扉は大きな音を立てて開かれた。

「大変ですオールド・オスマン! ミス・ヴァリエールが!」

 開いた扉から部屋に飛び込んできたのは、禿頭のメイジ、コルベールであった。

「うむ、今からそのことで説教しにいくところじゃ」

「いえ、いえ違うんです、オールド・オスマン! 彼女の喚び出した使い魔についてなんです。これを見てください!」

 コルベールはオスマン氏に、使い魔召喚の儀式で描いたスケッチと『始祖ブリミルの使い魔たち』と表題にかかれた古い書物を見せた。

 ゆるみきっていたオスマン氏のひげ面の顔は、一瞬で熟練のメイジのそれに変わった。












 授業が終わり、ルイズ達は昼食を取るために教室を出て本塔にあるアルヴィーズの食堂へと向かう。

「しかしルイズの魔法すごかったなー。あんなに音と振動がすごかったのに、壊れたのは石ころだけだったなんて」

 ルイズの魔法をはっきりと見たのは昨夜キュルケに向けて放たれた一回のみの才人だったが、ルイズが授業中に見せたその魔法の規模にすっかり感心していた。

「石だけで済んで良かったわ。この子、一年前なんて先生ごと教室の半分を吹き飛ばしたのよ。成長したのねぇ」

「あれはわたしの魔法の偉大さと破壊力を皆の心に刻みつけるためにやったのよ。人を傷つけない爆発なんて、十歳の頃には使えていたわ」

「……でもついた名前はゼロのルイズ」

「ふん、今それを言うやつがいたら、一晩中魔法の実験台になってもらうわよ」

「魔女は良いのにゼロは駄目って、あなたのこと良く解らないわ」

 雑談を交わしながら食堂へと入っていく。
 三魔女の輪の中に見慣れぬ才人の姿があるのを見て、ルイズ達とはマントの色が違う貴族達が才人を注目した。
 この調子だと、食事の前にまた皆に紹介されるのだろうか、と思いながら食堂を見渡していた才人だが、ルイズは才人の袖を掴むと食堂に並ぶ長机の方ではなく、料理人達が慌ただしく動き回る厨房へと向かっていった。

「あれ、どったの?」

「急だったから、あなたの食事まだ用意してもらってないのよ。だから申し訳ないけど、今日のお昼だけは厨房の人に直接貰ってちょうだい」

 なるほど、と才人はルイズの言葉に素直に頷いた。
 貴族の食事はどんなものか、と楽しみにしていたのだが、ただで食事を貰う立場だ。文句は言うまい。

 扉の付いていない入り口から、才人は厨房へと入る。
 この厨房であの長机一杯に座る貴族達の食事を作るのだろう。大きな鍋やオーブンがたくさん並んでいる。

「マルトーおじさま、いるかしら?」

 厨房の奥に向けて、ルイズが叫んだ。
 すると、奥から「おーう」と威勢の良い野太い声が返ってきた。

 そして、四十ばかりの太った親父が厨房の奥からのっしのっしと歩いてくる。

「どしたー、魔女のじょーちゃん。今日は頼まれてもベリーパイは増量してやれんぞ。残念ながら今日のデザートはケーキだ」

「そうじゃないわ、おじさま」

 召喚したばかりの使い魔の前で自らの食い意地を暴かれたルイズは、わずかに顔を赤くしながらマルトーに声を返した。

 そして、簡単に才人を召喚したことを話し、食事を賄ってくれるよう頼んだ。

「がっはっは! 行動も規格外なら喚び出す使い魔も規格外だな『魔女』さんよ!」

「褒め言葉ね。ああ、賄いは今日の昼だけで良いわ。代わりに、今日の夜から彼用に一人分食堂に運ぶ食事を増やして。上には私が言っておくわ」

「おお、解った。よし、坊主。こっちにこい」

 貴族嫌いのマルトーだが、彼は学院に名だたる三人の魔女のことは好ましく思っていた。
 彼女達は平民も貴族も関係なしに行動し、時には平民のために危険を省みることなくその杖を振るってくれると知っていた。

「トリステイン流の最高の飯を食わせてやる。賄いだがな!」

 大口を上げて笑うこの中年のことを、ルイズも好ましく思っていた。
 自分の部下を大切にし、その明るい性格で厨房に活気をもたらす。それに何より、彼の作るクックベリーパイは極上の味だった。





 新年度となり、ルイズ達二年生は食堂の座る場所が端から真ん中の机に変わった。

 ルイズは貴族の女子達と談笑を交わしながら食事をとっていた。

 意外なことに、ルイズには友人が多かった。
 魔女と呼ばれるほど問題行動が多く多数の生徒達に迷惑をばらまいているルイズだが、その性格は明るく前向き。さらに彼女にはハルケギニア中を駆け回るうちに身につけた、多くの人を惹きつける話術があった。

 一年生の初めはゼロと馬鹿にされていたルイズだが、いつの間にやら女子達の中心のリーダー的存在にまで上りつめていた。
 恐れつつもルイズに向かって魔女と罵声を向けることができるのも、何だかんだで彼女達は仲がよいからであった。

 小難しい魔法の知識など忘れて年相応の少女の笑顔を見せるルイズ。

 そして、それを取り巻く貴族の子女達。

 その貴族達の中に、『香水』の二つ名で呼ばれるメイジ、モンモランシーの姿があった。


 モンモランシーとルイズはそれなりに深い仲である。
 それは親友と呼ぶより共犯者と呼んだ方が相応しい。

 モンモランシーの実家、ド・モンモランシ家は水の精霊と関わりの深い一族である。
 水の精霊と対話し、益を授かる。精霊と話す技術だけではなく、「精霊とは何か」「水とは何か」を研究し代々伝えてきた。

 先住魔法とは万物に宿る精霊の力を引き出すものである。ド・モンモランシ家は気付いていなかったが、水の精霊を詳しく知る彼らは先住魔法の「真理」にほど近い場所にいた。
 万物から精霊の力ではなく「性質そのもの」を取り出す四大魔法のメイジ達とは違い、ハルケギニアに住む魔獣・亜人達の多くは精霊の力を使う先住魔法を巧みに操る。それは、聖域に座するエルフも同じであった。

 四大魔法における「水」は癒しの力。先住魔法の「水の精霊」の力も同じく癒しをもたらす。

 ルイズはエルフの毒に侵されたオルレアン公爵夫人の治療のために、ド・モンモランシ家の子女モンモランシーを巻き込んだ。

 香水と秘薬作りが趣味であるモンモランシー。禁制の薬を調合したことは何度もある。

 だが、ガリアの王族を誘拐してそれを勝手に治療するなんて、そんな大それた事が出来るわけがない。

 しかし結局モンモランシーはルイズの説得の前に折れた。
 水のメイジとしてエルフの魔法を打ち破ることがどれだけ偉大なのか、と始まり、国境は違えど同じラグドリアン湖に面する家の者同士助け合わなくてどうするか、自分に任せれば水の精霊のご機嫌取りなど余裕でしてみせる、などなど、軽快に回るルイズの言葉の前にモンモランシーはついつい首を縦に振ってしまった。

 モンモランシ家の秘蔵の精霊研究資料をルイズに渡したときの彼女の笑みは忘れることはできない。あれは間違いなく魔女の笑みだ。


 そんなことがあっても、モンモランシーはルイズのことが嫌いにはなれず、結局こうやって友人としての関係を続けているのだ。

 恐るべきは公爵家のカリスマの血か。少女達の中心で洒落の効いた平民の小話をするルイズを見ながらモンモランシーはそう思った。




作品タイトルについて:私の心からのこの作品とゼロ魔への想いがこのタイトルに詰めこまれています



[5425] 三人の魔女その5
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/27 03:35

□三人の魔女その5~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 さて、何度も述べたがルイズは『魔女』である。

 その一エピソードとして、デザートのケーキをわずか三十秒でぺろりと平らげたルイズが食後に取った行動について記載しよう。


 食事を終えたルイズは席を立ち、別の場所へと移動する。
 食事中には席の周囲のものとしか会話が出来ないため、デザートを速攻で処理したルイズは自ら別の友人達の元へと赴いて食後の談話をしようと思ったのだ。

 長テーブルに沿うようにしてルイズは歩いていく。そのとき、すぐ横で会話する男子達の声が聞こえてきた。

「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合っているんだよ!」

「誰が恋人なんだ、ギーシュ?」

「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 色恋話はこの年の少年達が一番気にする話題だ。少女達も同じであるのだが。
 だがルイズは、彼らの話を聞いて、ただ「汚らわしい」と心の中で思った。
 何が特定の女性はいないのだ、だ。こいつもキュルケの同類か。

 そう少し気分を悪くして彼らの側から歩き去ろうとする。

 が、彼らの中の一人がポケットから落とした小壜に、ルイズの足が止まる。
 これを落としたのは、先ほどキザな台詞を吐いていた優男、ギーシュだ。

 汚らわしい男でも落とし物は落とし物だ。返してやろう。

 と、床に落ちた小壜を拾ったルイズ。だが、その小壜が何であるかに気付いた彼女は、ふとひらめいてにやりと笑った。

「ギーシュ! ギーシュ・ド・グラモン! これ落としたわよ」

 ささやくようであるが大きく良く通る声。街の役者から教えて貰った特殊な発声法を使い、ルイズは目の前の男達に話しかけた。
 後ろから話しかけられたギーシュと彼の取り巻きは、振り向いてぎょっとした。

 魔女だ。

 彼女が話しかけてくるなんて、また何かたくらんでいるのか。
 いや、食事中の彼女はいつも上機嫌だ。素直にただ落とし物について話しかけてきただけだろう。

 そう考えた金髪の貴族ギーシュだが、ルイズが手に持っている小壜を見て目を見開いた。
 あれは、あの小壜は!

「これは僕のものではないよ、ルイズ」

 背中からわずかに汗を流しながらギーシュはそうとぼけた。今この場であれを自分の物だと主張するのは、あまりよろしくない。

「あら、そうなの」

 ルイズは笑って素直に引き下がってくれた。
 だが、周りがルイズの持っている物を見て騒ぎ始めた。

「おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

「それをギーシュが落としたというのかい、ルイズ? つまりギーシュはモンモランシーと付き合っていると言うことだな?」

「違う、違うよ皆。これは僕が落とした物じゃない」

 ギーシュは頭を左右に大きく振って否定する。
 だが、周囲の少年達の冷やかしの声は止まらない。

 そんなギーシュに、ルイズは擁護の声を向けた。

「そうね、違うというなら違うのでしょう」

 おお、ミス・ヴァリエール。何と機転の利くことか。

「でも、落とし主が解らないと言うことは、これはわたしが貰ってしまってかまわないのかしら?」

「い、いいんじゃないかな」

 それが目的か! とギーシュは内心で叫んだ。
 拾った物を自分の物にしようだなんて、貴族として意地汚くはありはしないか。
 そうギーシュは言いたかったが、この場をこじらせないためには余計なことを言わない方が良いだろうと口をつぐんだ。

「ねえ、良いかしら? これ貰ってしまって、モンモランシー?」

 不意にルイズが横を向いた。

「……ええ、構わないわよルイズ」

 そこには、怒りで震えるモンモランシーが両手を握りしめながら立っていた。

「ねえギーシュ、わたしはあなたに香水を送ったつもりなのだけれど、あれはわたしの記憶違いなのかしら?」

「ご、誤解だよモンモランシー」

 突然の事態に、ギーシュはさらに全身から冷や汗を流す。
 モンモランシーは遠くに座っていたはずなのに何故ここに! くそ、誤魔化さなければ良かった!

「何が誤解なのかしら、ああそう。あなたがあの日わたしに語った言葉が誤解だったのね。香水なんて貰っても迷惑、そういうことだったわけ」

 何のことはない。ルイズはモンモランシーに聞こえるようにわざと彼女の方を向いて大きな声で話していたのだ。
 そんなルイズは目の前で起きている事態などわたしには関係ない、とばかりに小壜から香水を手の甲に垂らし首筋にすりつけていた。

「いや、違う。君のことは今も愛しているよモンモランシー」

 その言葉に、不意にギーシュ達の横から誰かが椅子を蹴倒して立ち上がる音が上がった。
 真ん中の二年生の席の隣、一年生のテーブルの方からだ。

「ギーシュさま! これは一体どういうことですか!?」

 ルイズやモンモランシーよりわずかに幼い、一年生の貴族の少女がギーシュに詰め寄った。

「誰?」

 モンモランシーは不意に割り込んできた少女に眉をひそめた。

「ケ、ケティ……」

 ギーシュはさらに顔を青くした。
 そうだ、ここは食堂。全ての生徒が今この場にいるのだ。

「ギーシュさまはあの日、わたしだけを見てくださると言ってくださいました。ですが、ですが……やはりミス・モンモランシと……」

「ケティ違うんだ!」

「何が違うのか詳しく説明して欲しいわね、ギーシュ」

 左右から同時に攻め立てられてギーシュの頭はどんどんと混乱していく。

 いつの間にやら食堂に修羅場が出来上がっていた。
 ギーシュを冷やかしていた男子生徒達は、少女二人の鬼気に押されすっかり黙り込み、その修羅場を見守っていた。

 そんな中、この状況を作り出したルイズは一人声を上げて笑い、彼らに背を向けてキュルケやタバサ達の方へと歩いていった。

 ルイズの日常はだいたいこんな逸話の連続であった。












 食後の談話を終えたルイズが、厨房へと入っていく。

「おじさま、サイトを返しにもらいに来たわ」

「おう、嬢ちゃんか、すまねえなぁ……」

 やってきたルイズに、シェフやメイドと一緒に賄いを食べていたマルトーが気まずそうに頭をかく。

「あら、サイトいないわね」

「坊主は裏口にいるんだ」

「?」

 用でも足しているのかとルイズは首をひねる。
 まさか裏口で誰かにいびられているとかいう、貴族の学院生活小説みたいなことが起きていることはないだろうか。

「いや、それがな、飯をやったら美味い美味いって見てるこっちが嬉しくなるような食べっぷりを見せてくれたと思ったら、今度は美味いもんを食わしてくれたお礼をさせてくれ、何て言いだしてな」

「あら、それは……」

 丸一日彼と一緒にいても特に気付かなかったが、それなりに礼儀正しい人柄なのだろうか、彼は。
 知識の吸収ばかりに気を取られ、才人自身を全然見ていなかったことをルイズは少し恥じた。

「良い使い魔を召喚したなぁ、嬢ちゃん」

「ええ、そのようね」

 マルトーの言葉を聞き、ルイズは花のように笑った。

「裏口に行けばいいのね。そのまま教室に連れて行くわよ」

「ああ、ごくろうさんって言ってやってくれや」

 食事中失礼、とルイズは言って厨房の奥にある勝手口へと歩いていく。
 マルトーとルイズが会話を続ける最中も、使用人達は特にかしこまった姿勢を見せなかった。

 この厨房の使用人達は皆知っていたのだ。ルイズは他の貴族達と違い平民を下に見ず、さらには対等な立場で接するのを最も好むことを。


 勝手口の扉を開け、ルイズは本塔から外に出る。
 軽く周囲を見渡すと、すぐに才人の姿は見つかった。

 才人は青空の下、大きな鉈を片手に薪割りをしていた。
 彼の横には山のように割られた薪が積まれている。

「サイト、お疲れ様。途中で悪いけれど午後の授業に行くわよ」

「あ、ルイズ、見てくれよこれこれ!」

 ルイズが才人に話しかけると、才人は妙にテンションの高い声でルイズに詰め寄ってきた。

「何?」

「これこれ!」

 才人は鉈を握っていない左手をルイズに向けて突き出した。

「使い魔のルーン……が光ってるわね」

 才人の左手の甲に刻まれた見覚えのない使い魔のルーン。
 そういえば、とルイズは思いだした。人間を召喚したことに気を取られすぎて、自分の使い魔のルーンを確認するという基本的な作業を忘れてしまっていたのだ。

「それでな、ちょっと見ててくれ」

 ルイズに向けていた左手を引くと、才人は脇に置かれた薪用の丸太を掴み、ルイズから距離を取って鉈を構えた。
 そのまま才人は左手の丸太を自分の頭の上に放り投げる。
 そして丸太が落下する一瞬の間に才人はルイズが目で追いきれない勢いでその右手を何度も振るった。
 裏口の雑草の上に、八分割された丸太がばらばらに落ちてくる。

「サイト、武芸のたしなみがあったの!?」

 ルイズは目を見開いた。なんて見事な剣技だ。
 『ブレイド』の魔法を得意とする騎士団のメイジでも、こうはいかないだろう。

「いや違うんだ。俺、今まで薪割りも剣道もしたことない。でも、鉈を握ったら左手の文字が光って、体がすごい軽くなった。それで何て言うのかな、どうやればこの鉈を上手く使えるかなんとなく理解できるんだ」

「何それ!?」

 聞き覚えのない使い魔の能力に、ルイズは目を輝かせながら驚愕した。




サイトについて:魔改造というより、原作でエロ方面にしか使われていない「好奇心が強い」という公式設定を拡大解釈した存在。
彼は挿絵の軟弱さと原作読者のニーズであるラブコメ時空さえなければ、好奇心が強く熱血で愛のために命も投げ出す八十年代少年漫画主人公だと思うのです。



[5425] 三人の魔女その6
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/08 18:37

 ルイズは才人に詰め寄り、左の手首を両手で掴み顔をまじまじと近づけた。

 不意に近づいてきたルイズの顔、ふわりと舞った髪と共に漂ってきた香水の香りに、才人の心臓は鼓動を速めた。

「えと……、あ、これもいいけど授業は行かなくていいのか」

「それよりももっとそのルーン見せて。何かを思い出しそうなのよ」

 才人の左手を上下に振り、様々な角度からルーンを眺めるルイズ。
 そして才人の右手から鉈を奪い取り、今度は左手に持たせる。
 その一連の動作で左手のルーンが点滅した。

「ああーもうー! 何なのよ一体ー!」

 才人の左手を解放したルイズは、突然頭を掻きむしり始めた。

「お、おい?」

「何で調べたいことが一度にこんなにやってくるのよもーっ!」

 晴天の空に向かってルイズは絶叫する。
 それはルイズの「嬉しい悲鳴」であった。




□三人の魔女その6~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 結局、ルイズはサボらず授業に出席した。
 サボる気満々ではあったのだが、鉈片手に才人を引っ張っているところをキュルケとタバサに見つかり、教室へと連行されたのだ。

 授業の最中もずっとそわそわし続けるルイズ。
 それを見た周りの生徒達は、ルイズが何かをしでかすのではないかと気が気でなかった。

 授業が終わると、ルイズは才人の手を引き寮の自室へと走っていく。

 無事何事もなく授業を終えられた生徒達は胸をなで下ろし、そして始祖ブリミルに祈った。
 あのヴァリエール家の客人が無事に明日を迎えられますように。
 彼を魔女の魔の手から救い出そうとする勇者は当然のことながら誰もいなかった。

 寮の部屋に戻ったルイズは、才人を椅子に座らせると、クローゼットの中をあさり始める。
 そして、中から使い古された革の鞘に収められた短剣を取り出した。

 魔法の杖を誇りとする貴族のメイジが精神力の通らぬただの刃物を持つことは、美しくないことだと言われる。

 だがルイズは、例えメイジでも刃物は野外で必要な道具だと考える。
 彼女は見聞を広めるため、ハルケギニア中を練り歩く。村など無い未開の地で野営をすることなどいつものことだ。
 その最中、この短剣は非常に役に立つのだ。「武器」としてではない。「道具」としてだ。

 そんな様々な「道具」がクローゼットの中に詰め込まれている。ルイズは他にも小振りのナイフも取り出した。
 さらに、勉強道具が入った部屋の棚の中から豪華な彫刻が彫られたペーパーナイフを取り出し、机の上にそれらを並べた。

 ルイズはそれらを順に才人に持たせると、ふむと一人納得して部屋の壁に置かれた大きな本棚の前に向かう。
 そして、ものすごい勢いで本棚をあさり始めた。速読を覚えるルイズがさらに本を「流し読み」し、本棚の本を消化していく。だらしのないことに読み終わった本は床の上に投げ出されていた。

 ひとしきり本を読み終わると、今度は紙の束が積まれた棚の前へ行き、先ほどと同じように紙の束を高速で読み始めた。

 ときどきルイズの手が止まり、何かをぶつぶつつぶやいたり、本棚と棚の間をうろうろ歩いたりする。

 その間、才人はずっと放置され続けていた。

 やがて陽が傾き初め、夕食をしらせる鐘の音が部屋まで届いた。

「お腹がすいたんだけど……」

 そういう才人に、勝手に行ってきなさいもう席に座って食べてもいいから、と目の前のノートから視線すら外さずにルイズは返した。
 才人は何なんだ一体とあきれながら部屋を後にし、部屋の中が静寂に包まれた。
 やがて陽は落ち、薄暗い部屋の中で紙をめくる音だけが響いていった。

 ルイズがそろそろランプを照らすかと本を閉じ指をならそうとすると、ノックの音が響き部屋の扉が開く音が聞こえた。
 才人が帰ってきたか、そう思い扉へと振り向く。

「うわ暗っ。はあーい、ルイズ、また晩ご飯食べてないだろうから食事持ってきてあげたわよ」

「……お話、聞きに来た」

 才人をお供に引き連れたキュルケとタバサが、まるで我が家であるかのように部屋の中に踏み込んできた。





 才人が机の上の紙に、ペンを走らせる。
 才人が持つのはルイズがいつもつかっているような羽ペンではなく、彼の世界では『四色ボールペン』と呼ばれるハルケギニアには存在しない貴重なペンだ。才人がハルケギニアに持ち込んだ荷物の中にはこのような小物がいくつか混じっていた。

 紙の上に書かれていくのは、一筆書きの絵。
 才人は地球の世界地図を描いていた。

「俺あんま地理得意じゃないからそんなに正確じゃないけど……」

 そう言いながらも、それなりに形になった大雑把な世界地図が紙の上で完成した。
 日本を中心とし、その左に巨大なユーラシア大陸、右には太平洋をまたいでアメリカ大陸。ハルケギニアに相当するヨーロッパの下にはアフリカ大陸、そして日本の下の適当な位置にオーストラリア大陸が描かれていた。

「うーん、やっぱり微妙だな。形とかかなり適当だ」

「いえ、十分よ。もしチキュウが本当にハルケギニアの並行世界だとして、この地図がハルケギニアの地理と一致するなら、この紙一枚が無数の宝石に彩られた国宝に匹敵するわ」

 聖地を越えた東方の領域は前人未踏の地。
 『世界地図』などというものはハルケギニアには存在しない。

「……これ、ハルケギニア?」

 先ほどルイズから才人は異世界から来たと説明されていたタバサは、才人の描いた世界地図の小さな一角を指していった。

「ああ、ヨーロッパって言われてる」

「小さい……」

「チキュウでは、世界にどんな陸があるか全て解ってるのかしら。この地図で全部?」

 タバサに続いてキュルケが才人に疑問を投げかける。

「ああ、空のずっとずっと高いところから世界を見下ろせるから、全て解ってるよ」

「世界の果てには何があるの?」

 今度はルイズだ。相変わらずメモの手は止まらない。しかも、いつの間にか羽ペンではなくボールペンを使っていた。
 世界の果て、と聞いて才人は軽く笑った。
 そうか、そうだよな。世界が丸いなんて想像できるはずがないよな。ガリレオは偉大だ。

「実は地球の正しい姿はこうじゃないんだ。地球はもっとこう……」

 そう言いながら紙を持ち上げる才人。
 彼は紙の端を掴むと、国宝級の紙を丸めて四つの角を一箇所に合わせた。

「球体。それが俺の世界、地球の正しい姿だ」

「待って、待ってサイト!」

 そんな才人に静止の声を上げるルイズ。

 説明が唐突すぎたか? そう後悔する才人を尻目に、少女三人は何かを話し始めた。

「ねえ、今……」

「……急に変わった」

「やっぱりそうよね……」

「……わたしもそう聞こえたわ」

 二人と会話し何かの確認を取るルイズ。
 そして、ルイズは才人の方へ向き直った。

「ねえサイト、あなたの世界の名前、もう一度言ってみて」

「え、地球だろ?」

「チキュウじゃないの?」

「いや、だから地球だって」

 ルイズは再びキュルケとタバサの方を見る。
 二人はルイズに小さく頷きを返した。

「あのね、サイト。わたし、いえわたし達にはあなたの世界の名前が二通りの響きで聞こえるの」

「は? どういうことだ?」

「チキュウと地球。そう聞こえるの」

「いや、だから地球だろ?」

「そうじゃないのよ。えーと……そうだわ」

 ルイズは新しい紙を一枚机の上に載せると、手に持ったボールペンを紙の上で走らせる。

「こっちがチキュウ」

 ルイズはハルケギニアの共通語の文字を書いた。

 C H I K Y Uチキュウ .

「そしてこっちが地球」

 Earth大地の sphere .

「……全然違う文字だな」

「文字だけじゃなくて、発音も違うように聞こえているわよ」

 ルイズは生き生きとした顔で、サイトに言う。

「ねえ、サイト。昨日、わたしが契約のキスをするまでにわたし達が喋っていた言葉、理解できていたかしら」

「召喚されたばっかりのときのことか? えーと……うん、何て言ってるか解ってた。教室の時みたいに魔女がどうこうって言われていた」

「ということは、『サモン・サーヴァント』にただの動物の使い魔が知恵を持つ秘密が隠れていそうね。うふふふふ……」

 ルイズは思わぬ発見に、笑いを止められなくなった。

「あは、サイト。あなたの喋っている言葉、あなたがどうその単語を認識しているかによって、きっとわたし達に伝わる意味は変わるわ。わたしとあなたはきっと言語で会話をしているのではないわ。意思で言葉を交わしているのよ」

 ルイズは指で才人の左胸を軽くつついた。





「話がそれたわね」

 ルイズはひとしきり喜んだ後、椅子に深く座り直して咳払いを一つした。

「で、サイト。世界がなんで地球だいちのたまなんて呼ばれているか、説明の続きをお願いできるかしら」

「え、ああ、そうだったな……」

 ルイズにうながされ、才人は再び世界地図を手に取った。

「世界はこうなっている。つまり、平らじゃなくて、丸い。地球だ」

 才人は地図を丸めながらそう言った。
 紙で作った粗末な地球儀。だが、地球について説明するにはこれが一番だと才人は自信を持っていた。
 そんな才人に、ルイズ達が言葉を口にし始める。

「地球はボールなのね?」

「ああ、そうだ」

「ハルケギニアもそうなのかしら?」

「ああ、ちゃんと月があるし間違いないと思うぞ」

「……下にいる人は落ちない?」

「ああ、大地に足をつけてしっかり生活してる」

 一人一つずつの質問。
 あれ、意外と反応が薄いな、と才人が思った瞬間だった。

「なんじゃそりゃあああああ!」

「うっそぉ!?」

「…………!?」

 三人の驚愕が広い室内を揺るがした。




[5425] 三人の魔女その7
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/02 06:15

□三人の魔女その7~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





「ごめんなさい、取り乱したわ」

 三人娘達の中で一番品のない驚き方をしたルイズは、両の手を頬に当てながら気持ちを落ち着かせた。

「でも、ごめんなさい。世界が丸いなんて全然理解できない。一つずつ確認していくわ」

 メモ用の紙の上に、ルイズは再びボールペンを載せる。

「本当に世界は丸いの?」

「だから丸いって言ってるだろーが。月だって丸いだろ?」

「月が丸いと世界も丸い?」

「月というか空にある星全部が丸い。地球もその星の一つだよ。海と木に満たされた月が地球になるって思えばいい」

 才人が言いたかったのは、世界を特別なものだと思うな。そういうことだった。
 世界は夜空にある無数にある星の中の一つ。そう才人はルイズ達に説明する。

 だがブリミル教の思想を生まれたときから教え込まれていた彼女達。世界は始祖ブリミルの加護を受けた特別な物だと無意識のうちに思っている。なかなかその考えを受け入れられなかった。
 しかしそれでは話は進まない。世界は丸い。そう仮定してルイズは質問を続ける。

「じゃあ、球の下にいる人達が落ちないというのは何故? 物は上から下に落ちるものでしょう?」

「その上から下に落ちる、というのがそもそも勘違いなんだよなー」

 才人は、さてどう説明したものだろうと考えを巡らせる。
 そして、とりあえず思いついたことを片っ端から話すことにした。

「上から下に。じゃあ、なんで太陽は空から落ちてこない? 星もそうだ」

「え、あ、なんで? キュルケ?」

「わたしに振られて解るわけがないでしょう」

 理解の範疇を超えてしまったルイズは、思わず隣のキュルケへと頼ってしまう。トリステインの賢者も世界の真理の前には脆かった。

「下に落ちる、という現象を科学では『重力』とか『引力』とか言って……ルイズ、ちょっとペン貸してくれ」

「……このペン、他にないの? 木炭みたいにインクがいらないのにすごい綺麗な線が引けるわ」

「あー、確かまだあったはず。そっち使うか」

 才人は床に置かれた自分の鞄を膝の上に持ち上げると、中をあさり新しく一つボールペンを取り出した。
 いつの間にかリュックの中に紛れていたボールペン。100円ショップで四本100円で売っているような安物の黒ボールペンだ。
 そのボールペンを使い、才人は新しい紙の上に円を描いた。

「これが地球」

 そして円の外側から円の縁の線に向かって、いくつもの矢印を描いた。

「『星』というものは、自分自身の中心に向かってものを引っ張る力を持っている。上から下へとものが落ちるのは地面がものを力で引っ張っているからなんだ。万有引力の法則って呼ばれてる」

 才人の説明を無言で聞き続けるルイズ達。
 さて、自分の説明は通じているだろうか。こういうとき、理科や物理、化学の教師達はどうしていたか。

「月も『星』の一つだから、当然引っ張る力を持っている。ハルケギニアの月は二つだよな。なあ、ハルケギニアの海にも満潮や干潮ってあるか?」

 とりあえず才人は、自分が好きだった授業を真似して、教え子達に質問を投げかけることにした。

「あるわね」

「何でそれが起きてるかは解っているか?」

「水の精霊が先住魔法で……」

 ルイズが文献で読んだ理論を披露しようとする。
 だが、才人はそれを否定した。

「違う、実は違うんだよそれ。潮の満ち引きは、月が『引力』で海の水を引っ張っているからだ。魔法のある世界でもきっとそれは一緒だ」

「……引っ張り合ってぶつからないの?」

「引っ張り合っているよ。月は地球の地平線の向こうへ無限に落ち続けてるって森本レオが言ってた」

「誰よ、それ。有名な学者?」

 才人は曖昧な知識で放物線運動について説明する。学校の授業でも習っていない夜空が地上へ落ちてこない理由についての説明だ。ありがとう森本レオ!

 なんとか説明を終えた才人は、矢印付きの円い地球の描かれた紙にさらに円を付け足す。
 地球の隣に二つの小さな円、ハルケギニアの月。そして紙の端に巨大な円、太陽を描いた。太陽にはおまけとして炎をあらわすぎざぎざを円周につけておいた。

「星のない場所には、上も下も空気すらもない宇宙が広がっている。そしてその宇宙のずっと遠くには太陽だ。鉄なんて一瞬で溶けてしまうような温度で燃えているけど、すごい遠いから地球を少し暖めるくらいの熱しかとどかない。これが『世界』だ」

 才人は誇らしげにそう言葉を締めた。
 さて、自分の説明は伝わっただろうか。そう思いながらルイズの様子を見ようと覗きこむ。
 すると、ルイズはペンを握ったまま震えていた。
 そして次の瞬間、ルイズはペンを机に放りだし、両手を大きく動かして胸の前で拍手をし始めた。

「すすすすすすごいわサイトッ!」

 それにつられて、キュルケとタバサも拍手を行う。

 ルイズは確信する。『科学』とは世界の真理を探究する学問だと。
 彼女は才人の教えを全て真実だと直感で信じ、そして己の中の価値観の数割を捨てさり頭の中でさまざまな理論の再構築を始めていた。

 しかしそれは『賢者』たるルイズだから出来たこと。
 キュルケとタバサは、まだ才人の話を信じ切れていなかった。

「サイト、本当に世界は丸いのかしら。全部机上の空論で、勘違いだったってことはありえない?」

 キュルケは才人にそう訊ねた。面白い話だが、話が飛躍しすぎてそうそう納得できるものではない。

「いや、それはねーよ。だって、地球じゃ空飛ぶ鉄の船に乗って月まで行って、丸い地球の姿を見た人が何人もいるんだから」

「うっそお!」

 月まで飛ぶ船と聞いて、キュルケ、そして横で無言で話を聞いていたタバサは驚いた。
 ハルケギニアにも風石で空を飛ぶフネが存在するが、月まで飛んだなどおとぎ話の中だけの話だ。
 もしや彼は遠い夜空の星の国からやってきた王子様なのでは、とタバサの妄想は爆発したがそれを口に出すことはさすがになかった。

「でも、思ったよりも進んでいるって昼間は感じてたけど、やっぱり世界は丸いって知らなかったかー」

 足りない脳みそから必死に説明をひねり出していた才人は、力を抜いて椅子に身を投げ出した。目の前のグラスにつがれた赤ワインには一回も口を付けていない。

「わたしも本をたくさん読む。でも知らなかった」

 そうタバサは感想を述べる。

「きっと大発見」

 タバサが言葉を終えた瞬間、何かが床の上に倒れる大きな音が室内に響いた。
 音が聞こえたのは机のすぐ側。何故かルイズが椅子を蹴倒して床の上に倒れていた。

「ルイズ? どうしたの?」

 キュルケの言葉にルイズは何も応えず、床を這うようにして動き出した。

 ルイズが向かったのは、先の時間に彼女が床にぶちまけた本とノートの山。
 ルイズはほふく前進でそこに辿り着くと、山を無言であさり出す。
 やがて一つの紙束を見つけるとものすごい勢いでページをめくりだした。

 ある一ページでルイズは動きを止め、そしてゆっくりとキュルケ達へと振り向いた。

「計算されてる……」

 震える声で、ルイズは言った。

「計算されているのよ、二千年以上前に、丸い世界の直径が……」





 地球の『科学』に魅せられたルイズ達は、才人からさらなる話を聞き出そうとした。

 いつのまにかルイズのメモには、才人が高校の物理の授業で覚えたばかり知識、重力加速度を用いた位置の計算式h=v0t-(1/2)gt^2や、力を表す計算式F=maなどが記載されていた。
 物理計算式の話はキュルケとタバサには不評だったため、昨夜の発電機の話のような抽象的な科学の知識についても説明していく。
 昨夜から美少女が一人追加され、酒の力が加わり才人は上機嫌になっていく。
 そして才人は、地球における科学の集大成を彼女達に披露することを決めた。

 伝家の宝刀、遅れてやってきた英雄、異世界であいけいへの扉。ノートパソコンだ。

 才人はパソコンの電源を入れる。
 内部からディスクが稼働する音が聞こえ、ディスプレイが夜の部屋に光を灯す。

「これが地球の魔法のランプかしら? でも『ディテクトマジック』には何も反応しなかったわよね」

「そもそも地球に魔法は無いわよキュルケ」

「色が付いてる」

 さほど驚くそぶりを見せる様子のない彼女達。才人はそわそわしながらその会話を眺める。
 まあまだ電源を入れただけだ。驚くのはこれからだ。

 Windowsの画面が立ち上がり、ノートパソコンデフォルトの色鮮やかな壁紙が表示される。

「綺麗な絵」

「絵じゃないわね。風景転写のマジックアイテムと同じ効果があるのでしょう」

「あ、ファンファーレが聞こえたわよ」

「オルゴールみたいなのが中に仕込まれているのかしら」

 ――あれ、おかしいぞ。

 才人は困った。本来ならここで皆が凄い驚いて科学万歳才人万歳とちやほやされているはずのところだ。

「ええと、これはノートパソコンっていって、これだけで色々なことがやれるんだ」

「色々なことって何?」

 才人の言葉に、ルイズが期待の目を向ける。

「ええと、例えば……」

 才人はノートパソコンのタッチパッドを操作する。
 画面内のマウスポインタが才人の手の動きに合わせて移動する。

 そして、スタートメニューでボタンをタップする。

「あら、これは……」

「どうしたの? ルイズ」

「サイト、もしかしてこれは操作者の動きでやりたいことを選べる受付窓口のようなものかしら?」

「そ、そうだけど良く解ったな」

「直感だけどね。でも面白いわ。マジックアイテムへの応用案として論文でも書こうかしら」

 淡々と答えるルイズの言葉を聞きながら、才人はメニューの中から電卓を選択した。

「ええと、これは電卓って言って、四則演算を自動で行ってくれる計算機だ」

「4578かける9742は?」

 四則演算と聞きタバサが問いを投げかけた。

「ええと、4578……」

「44598876ね」

「……44598876だ」

 才人が入力を終える前に、ルイズが暗算で先に答えた。

「あはははは、手の指示が必要ならルイズの暗算に追いつけるはずがないわねー」

 酔いの回ったキュルケが、その滑稽な情景に笑い声をあげた。
 先を越された才人は焦った。
 まずい、まずいぞ。このままでは格好が悪すぎる。そうだ、あれなら……。

 才人はショートカットキーでエクスプローラを開くと、メディアファイルフォルダを開き、その中から一つのファイルをダブルタップする。

 メディアプレイヤーが立ち上がり、動画が開始される。

「!」

 画面に映し出された光景に、タバサは一人背筋を伸ばして強く反応した。
 才人秘蔵の動画。毛布の上に座った子猫がふらふらと頭を左右させて、今にも眠りにつきそうな顔で身体を揺する猫動画だ。

「あら、映像転写ね」

「あの庭付きの屋敷が一つ買えるマジックアイテム?」

「かわいい……」

「タバサは猫が好きなの? わたしは犬の方が好きなんだけれど。いつか自分の屋敷に大型犬を飼いたいわ」

「ルイズは大型犬をわざわざ飼わなくても、犬を自称する下僕がたくさんいるじゃない」

 映し出される子猫の姿に、少女三人がわいわいと談笑を交わす。
 だがそれは才人の想定外。猫じゃない、写真が動いているのに驚いてくれ!

 その後、才人は様々なアプリを立ち上げてルイズ達に披露するが、彼女達を心から驚かせることは出来なかった。
 才人は知らなかった。ハルケギニアには魔法を中に込めた道具、マジックアイテムが存在することを。インターネット専用機と化していたノートパソコンでは、マジックアイテムの常識を根本から覆す機能を引き出すことが出来なかったのだ。

 そうして才人は、ノートパソコンのバッテリーが六割まで減っていることに気付き、心の中で涙を流しながらパソコンの電源を落とした。彼は、ノートパソコン内のハードディスクに残っているwikipediaのキャッシュが何よりも価値があると言うことに最後まで気付かなかった。


 そうして夜はまた更ける。

 ちなみに、今夜もルイズはまた一つのことを忘れていた。
 寝床の用意。今日も才人は床で眠る羽目になった。



□三人の魔女 完□


補足説明:天文学の発展は、自然と『地球が丸い』という事実を導き出します。それに気付けば太陽の位置から地球の直径も容易に算出できます。しかし、一神教世界観はそれら多くの『科学』を否定し闇に葬り去ってきました。かんちがいのようでしたきゃーはずかしい
『科学』が導く『自然法則』を全て始祖ブリミル及び精霊達の『魔法の恩恵』で説明でき、未だ釜ゆで宗教裁判が存在する六千年王国ハルケギニアでは、はたしてどれだけ世界の真理が暴かれているのでしょうか。
スペシャルサンクス:月は何故落ちないかを森本レオで説明してくれた知人A。



[5425] がんだーるう゛その1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/28 13:37

 ルイズは自らの魔法の属性について考える。

 ルイズの持つ魔法の力。それたただひたすら「破壊」の一点のみを突き詰めたものだ。
 火のメイジの使う『フレイム・ボール』。
 ルイズの使う『フレイム・ボール』の爆発。
 より強い破壊をもたらすのはどちらかと問われれば、圧倒的な差でルイズの魔法に軍配が上がる。

 では、この破壊の力とは何か? 自らの使う魔法とは一体何か?

 ルイズはこの十年間、それをただひたすら自問してきた。
 四大魔法を知り精神力の本質を知り先住魔法を知ったルイズであったが、未だその答えは出ない。

 だが、使い魔を召喚したあの日、ルイズの行く先に光が見えた。

 爆発以外の魔法を使うことが出来たのだ。

 成功したのは、『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーバント』の二つ。
 ただのコモン・マジックと呼ばれるこの魔法。
 だがどうだろう。使い魔召喚は数ある魔法の儀式の中で最も神聖なものの一つであると言われ、それがもたらす効果も他のコモン・マジックの比ではない。

 その二つの魔法に共通するのは、全魔法の中で二つしかない使い魔に関する魔法であると言うこと。そして、口語詠唱の呪文、「五つの力を司るペンタゴン」という言葉だ。

 五つの力を司るペンタゴン。これは始祖ブリミルのもたらした魔法の力を象徴する言葉。メイジそのものを表す言葉。学院の制服であるリボンを止めるためのブローチにもペンタゴンを表す五芒星が刻まれている。

 五つの力とは、火、水、風、土の四大系統に、伝説の属性である虚無を加えたものだ。

 この言葉が混じる魔法を自分が使えたと言うことは、自分は五つの力の加護を得た虚無のメイジなのか?
 そう考えたところで、ルイズは自らの妄想を鼻で笑った。

 使い魔を呼べるだけで虚無になるのなら、世の中のメイジはみな虚無のメイジだ。

 そう思い、妄想を記憶の奥に丸めて捨て去ろうとする。
 捨て去ろうとしたのだが。

「ガン、ダールヴ……」

 ルイズは自分の使い魔が始祖ブリミルの神の左手、ガンダールヴであると導き出してしまい、ここ三日で何度もそうしたように頭を抱えた。





□がんだーるう゛その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 昼食を知らせる鐘が学院に響く。
 朝食を抜き午前の授業を無視したルイズだが、混乱した頭を落ち着けるためにゆっくり食事でも取ろうと机の前から立ち上がった。

 そして扉まで歩いていったところで気付いた。自分はまだ寝間着のままだ。

 着替えなければ、と後ろに振り返ったところでルイズはその光景に口をあんぐりと開けてしまった。

 部屋が、汚い。

 本棚の下には本がぶちまけられ、棚からは紙があふれている。
 そんなちらかった部屋の中、毛布が綺麗に折りたたまれて隅に置かれていた。

 ――使い魔の面倒も見てやらないで、なにやってんだろ私。

 そういえばサイトはどうしたのだろう。今朝何か言葉をかわした気がする。
 部屋にいないと言うことは、授業に出ようとしない自分を置いて教室に向かったのだろうか。

 ルイズは息を大きくはき出すと、服を着替えるためにタンスに向かった。
 食堂に行ってまずはサイトに謝ろう。そして学院から余った寝具を手配しなければ。

 着替えを終えたルイズは部屋の惨状を再び見直すと、「食事から戻ったら片づけよう」と部屋を出ようとする。午後の授業に出る気は全くなかった。

 扉の前に立ったところで、向こう側からノックの音が響いた。
 何てぴったりなタイミング、とルイズは苦笑してそのまま扉を開いた。

 扉の向こうに立っていたのは、タバサであった。

「食事に呼びに来てくれたの? 大丈夫よ今行こうとしていたところだから」

「話がある」

 そう言ってタバサはルイズの袖を左手で掴んだ。
 タバサがこういう動作をするときは、付いてこいという合図だ。付き合いの長いルイズは経験でそれを知っていた。

 タバサに連れられルイズは寮を出る。
 そしてその足は、学院の裏側の方向へと向かっていった。
 さて、何だろう。ひとけのない場所に行きたいというのは何となく解るが、それなら何故寮のあの部屋で話をしなかったのか。

 タバサは学院の裏の一角で足を止める。
 そこには、体長六メイルほどもある竜が座り込んでいた。

「あら、風竜じゃない。どうしたの、使い魔の紹介でもしてくれるの?」

 ふらふらと引き寄せられるようにルイズは風竜に近づいていくと、おもむろにその体表、竜の鱗を手の平で触り始めた。
 見知らぬ人間に手を伸ばされ触れられた風竜は驚き「きゅいきゅい」と可愛らしく鳴いた。暴れないのはその巨体で人に害を与えないようタバサがしっかりと言い聞かせているからだろう。

「あれ?」

 手の平に伝わってくる感触に、ルイズは首をかしげる。

「ねえタバサ、この子本当に風竜?」

「…………」

 ルイズの問いに、タバサは沈黙を返す。
 そして無言のまま十数秒が経ち、そしてタバサはゆっくりと口を開き始めた。

「……どうしようか迷っていた。でもルイズなら話してもきっと大丈夫」

「何のことよ。話が見えないんだけど?」

「あなたはわたしに自分の使い魔の『本当』のことを教えてくれた。だからわたしも教える」

 そうタバサは言うと、右手に握った大きな木の杖を掲げてルーンを唱えた。

「『サイレント』? ……本気で誰にも聞かれたくない話があるのね」

 ルイズの言葉に、タバサは小さく頷く。
 そして、風竜の方へと目を向けると、小さな声で「話して良い」とつぶやいた。

 タバサの言葉に応じるようにルイズの横にいた風竜は首を振る。

「やっと人と話せるのね!」

 風竜はその大きな口を開くと、突然人間の言葉を話し始めた。

「……は?」

 いきなりの事態に、ルイズは身体を硬直させた。
 竜が、喋った。
 この三日こんなことばかりだ、という思いがルイズの脳にうっすらと浮かんだ。

「えーと……韻竜さんでございますでしょうか」

「きゅい! そうなのね。名前はイルククゥ、おねえさまはシルフィードって名前をつけてくれたのね!」

「おねえさまはわたし」

 早口でまくし立てる風竜に、タバサが言葉をつけくわえる。

 とりあえずルイズは、両手で頬を覆った。
 落ち着け、落ち着け。大丈夫。これはまだわたしの常識の許容範囲内の出来事のはずだ。

「つまり、タバサの使い魔は、絶滅したはずの風韻竜、そういうことね?」

「きゅいきゅい! 絶滅なんてしてないのね!」

「そういうこと」

 ガンダールヴに引き続いて韻竜。何なんだ今年の使い魔達は。
 他にも変な使い魔が混じっていやしないだろうな、とルイズは昨日の教室の光景を頭に思い浮かべた。

「ルイズ」

 思考の海へと沈もうとしていたルイズに、タバサが話しかける。

「わたし、どうすればいい?」

「どうすればいいって、あー」

 タバサの立場、そして韻竜という存在から、ルイズは状況を把握する。

「トリステインの中だけで考えるならば何の問題もないわね。いくら珍しい魔獣だからって留学生の使い魔を奪うほどアカデミーも馬鹿じゃないし」

「他の人に話しても大丈夫?」

「大丈夫じゃないわね。今のはトリステインだけの話。ガリアも含めて考えると、あなたが韻竜を召喚しただなんてガリア王室に伝わった日には、どうせまたろくでもないことにしかならないわ」

「隠す?」

「そうね。隠すというのは大切なことよ。ねえ、イルククゥ、シルフィード?」

「シルフィードって呼んで欲しいのね。きゅいきゅい」

「シルフィード、魔法は使えるかしら?」

「使えるのね! これでも二百年も生きてるんだから!」

「韻竜で二百年って、人間で言う十歳程度じゃなかったかしら」

「うっ」

「ともかく、喋れること、魔法が使えること、韻竜であること、全部隠しましょう。隠し事というのは、いざというときの切り札になるし」

 ルイズは杖が埋め込まれた左腕を右の指先で叩いた。
 杖を持たずに平民の格好をしてメイジであることを隠し、その腕に仕込んだ杖で爆発をまき散らすというのはルイズが良く利用する荒事解決の手法であった。

「ばれない?」

「ばれなければいいっていつも言っているわよね。どうしてもばれては困る隠し事の扱い方は簡単。奥の奥の奥まで隠せばいいのよ」

 唇をつりあげた笑みを浮かべながら、ルイズはシルフィードの首筋を撫でる。

「とりあえず、間違って喋ってしまわないようにサイレントの魔法がかかったマジックアイテムを取り寄せるわ。屋敷に私物として保管してあるの。首輪にでも加工しましょう」

「良いの?」

「代価は貰うわよ? 風韻竜の生態調査」

 魔女の取引。だがタバサはルイズが無償でマジックアイテムを譲ってくれるのだと認識した。ルイズが珍しい生き物を調べるのは当たり前のこと。ルイズにシルフィードの正体を明かした時点で自分の使い魔がいじくりまわされるのは確実だと諦めていたからだ。

「後は、タバサ自身がわたし以外の誰にもこのことを話さないことね」

「キュルケにも?」

「キュルケにも。本当に必要になったときだけ話しましょう。情報漏洩の防ぎ方というのはね、自分の中に全て抱えておくことよ。あなたの大切な人の事情だって、わたしは協力者にすら必要最低限のことしか話してないわよ?」

「サイトにも?」

「あなた彼を気に入ってるの? 会ったばかりの人を信用するなんて論外よ」

 ルイズは驚いたような呆れたような顔でタバサを見た。
 その視線にタバサはただこくりと頷く。

「ああ、あと鱗もあまり他人に触らせない方が良いわ。風竜に詳しい調教師とかに触れられたら何かがおかしいってばれるから」

 ルイズはそう言ってシルフィードの頭を一撫ですると、一歩引いてシルフィードに寄せていた身を離した。

「さて、話はこれで終わりで良いかしら?」

「ん」

 タバサはシルフィードの口に左手で触れると、右手の杖を振って『サイレント』の魔法を解除した。
 あの左手の仕草は「喋るな」だろうか。タバサはシルフィードにおねえさまと呼ばれていたが、既に使い魔に対する調教は完了しているのかも知れない。

 タバサが戻って良いとつぶやくと、シルフィードはその大きな翼を広げ、学院の寮へと向けて飛んでいった。
 ただの風竜として見ても見事な竜だ、とルイズは思いつつ空を見上げていた視線を下ろしタバサの方へと向き直る。

「もう食事の時間終わっちゃったかしら」

「マルトーさんにパンでも貰えばいい」

 二人はいつも通りの会話を交わしながら学院の建物を迂回して食堂へと向けて歩いていく。
 昼の鐘からはずいぶんと長い時間が経っている。
 ルイズはスカートのポケットから時間を刻むマジックアイテムの時計を取り出すと、その時刻を見てため息を一つついた。

「最近まともな食事を取っていない気がするわ」

「今回はともかく他は自業自得」

「言うわねー……」

 そう言葉を投げ合いながら『風』と『火』の塔の間にあるヴェストリの広場へとさしかかったときだ。
 ルイズ達の視界の遠くに、妙な人だかりが見えた。

「何かしら? 今日何かあった?」

「さあ」

 吸い寄せられるようにしてルイズ達の足はその人だかりの方へと向かう。
 広場に集まる貴族達の顔が識別できるほどにルイズが近づいたときだ。

「諸君! 決闘だ!」

 前時代的な宣言が、人混みの中心から放たれた。



[5425] がんだーるう゛その2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/02 06:17

□がんだーるう゛その2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 広場に展開された決闘の場。
 その中心にいるのは、土のメイジ『青銅』のギーシュ・ド・グラモン。
 そしてもう一人、薪割り用の鉈を片手に持った平賀才人であった。

「って何でサイトがあそこにいるのよ!」

 思ってもいなかった状況に、ルイズは絶叫した。

「それは貴女の忠実な愛の奴隷であるぼくがご説明しましょう、ミス・フランソワーズ!」

 人だかりの後方で足を止めていたルイズ達の前に、一人の少年が進み出てきた。

「あら、『盛り豚』のマリコルヌじゃないの」

「ああっ! とうとう犬とすら言われなくなったっ!」

 恍惚とした表情で小太りの少年、マリコルヌがその身をくねらせる。
 それを見たルイズは反射的に彼を蹴りつけた。

「おお痛い。ともかくだね、食事の場に居なかったフランちゃんは状況が掴めないだろうから説明するよ」

「誰がフランちゃんよ誰が」

 ルイズの鋭い視線にマリコルヌは動ずる様子もなく言葉を続ける。

「そう、あれは食事が始まる前のことだった……。ミス・フランソワーズを連れずに一人で食堂に現れたミスタ・ヒラガ。彼は慣れぬ動きで二年生のテーブルに座った。その隣には、先日魔女の抱擁で恋破れたギーシュが座っていたんだ」

 魔女の抱擁とは何だ、とはルイズは突っ込まなかった。
 彼の言動がどこかおかしいのはいつものことだからだ。

「で、何。折り合いでも悪かったの?」

「いいや、悪くはなかったよ。むしろ良かったさ。女なんてと愚痴るギーシュに、親身になって話を聞くミスタ・ヒラガ。ルイルイにも見せてあげたかったね、ワインを酌み交わした彼らのまるで前世からの親友のごとき様相を!」

「それがどうしてこんなことになってるのよ」

 そこまで話を聞いたところで、タバサがルイズの袖を引く。

「始まった。止めなくて良いの?」

「ギーシュは土のドットでしょ。それも『錬金』とゴーレム生成ばっかりやってる。サイトならしばらく放っておいても大丈夫よ」

 これが他の系統のメイジならばすぐにでも止めたのだが、土ならば無事でいられる。
 ドットクラスの土のメイジ兵は、戦の場では土や岩、金属からゴーレムを生成して戦うのが一般的だ。
 剣で火や水、風を斬ることは出来ないが、土を斬ることは出来る。彼が本当に『ガンダールヴ』なら、青銅のゴーレムなど鉄の鉈で切り裂いてみせるだろう。

 ルイズはそう考えマリコルヌから事情を聞くことを優先した。

「で、その後どうしたって?」

 ルイズは歓声の上がる広場の中心を見ずに、マリコルヌの方を見た。

「うむ、彼らは多いに盛り上がったよ。話題は失恋の話からやがて女性の話へと変わった。特に意気投合したのは女体の神秘についてだ。女体の神秘、実に良い言葉だね」

 そう言いながらルイズの下半身を眺めようとしたマリコルヌだが、目に入ったオーバーニーソックスの脚が急に跳ね上がってきた。 ルイズの脛は真っ直ぐにマリコルヌの股の間に吸い込まれていき、健脚の蹴りがもたらす強い衝撃が彼の股から脳天までを突き抜けていった。

「ぶりみるーっ!?」

「で、その後どうしたって?」

「そそそそそそそのだね……」

 内股になり、中腰の体勢でマリコルヌが必死で言葉を続けようとする。

「ず、ずっと意気投合していた彼らだったけど、さ、最後、ある話題で仲違いをしてしまったんだ……ああありがとうタバサ」

 タバサは脂汗を流し苦悶の表情を浮かべるマリコルヌをさすがに気の毒に思い、腰に軽く杖を断続的に当てて介抱をしてあげた。

「仲違いの原因は……君だよフランソワーズ」

「私?」

 ルイズは急にあがった自分の名前に首をひねった。何だろう。
 昨日の仕打ちにギーシュはルイズを恨みに思い、彼女の使い魔のサイトに当たり散らしでもしたのだろうか。
 そうなると、サイトが主であるルイズの名誉を守るためにギーシュに決闘を挑んだという可能性が十分に考えられる。

 ――も、もしそうだとしたらわたしはサイトに何て言ってあげたらいいのかしら? ありがとう? 流石使い魔ね? いつものことだからこんなことしなくて良い?

 心の中で先ほどのマリコルヌの様に身をくねらせるルイズだが、その幻想は続けて放たれたマリコルヌの言葉に見事に破壊された。

「彼らはね、ルイズ。君のその可愛らしい胸の大きさについて仲違いを起こしたんだ」

 ルイズとマリコルヌの後ろで話を聞いていたタバサは凍り付いた。

「自分の主にキュルケの様な胸があればと主張するミスタ・ヒラガに、何を言うルイズはあの大きさだからこそ素晴らしいのだと主張するギーシュ。二人はお互いの意見をゆずらなかったね。特にギーシュだ。彼がモンモランシーを好きだと言うことは昨日解ったとは思うけど、彼女、胸が慎ましやかだろう? ギーシュは大きな胸も好きだが、小さな胸に対しても大きなこだわりがあるんだ」

「……そう、そうなの」

「そうさ。決闘まで発展するのには時間はかからなかったよ。まさに紳士二人の信念をかけた戦いだ。小さな胸の大いなる戦いバスト・ジハードさ!」

「ふふ、ふふふふふ、そうなのそんなことで決闘をしているの」

 ルイズは腹の底から響いてくるような声で笑うと、身体をゆっくりと動かして広場の中心へと向き直る。

「うふふ、説明感謝するわマリコルヌ。今度砂糖水を樽一杯ごちそうでもするわ」

「ルイズ実はデブ専!?」

 ルイズの冗談を曲解し再び身をくねらせるマリコルヌを尻目に、ルイズは身体をゆらしながら人の波を分けて決闘の場へ向けて歩いていった。





 才人とギーシュの決闘は、一方的と言っていいものだった。

 青銅のゴーレムを次々と繰り出してくるギーシュに、才人はただ右手の鉈を振るって対抗する。鉄製の鉈はまるで野菜でも切るかのように青銅の像を真っ二つに割った。
 才人の見事な剣技に焦りを覚えたギーシュは、ゴーレムの数を増やして陣形を組む。
 しかし、才人が鉈を横に大きく振るうと、一度に四体のゴーレムが広場に崩れ落ちた。

 ギーシュが兵を生成する端から、才人はゴーレムを破壊していった。

 やがて精神力を切らしたギーシュは、疲労でその場に膝をつく。

 鉈を片手に精神力の切れたギーシュに一歩ずつ近づいていく才人。
 もちろん、彼にはギーシュをどうこうするつもりはない。

 高校デビューという言葉があるが、この場はいわば使い魔デビューの場。
 なめられないよう皆の見ているこの場でちょっと脅しつけてやる。そう才人は考えていた。

 だが、鉈を振るえばギーシュに届くという距離に近づいたところで、急に右手が破裂した。突然の痛みに思わず鉈を地面に落としてしまう。
 何事だと右手に目を落とした瞬間、横から怒声が響いた。

「この馬鹿犬どもーっ!」

 いきなり才人の足下が大爆発を起こした。

 仲良く宙を舞う才人とギーシュの二人。しばしの空中浮遊を楽しむ才人の脳裏に森本レオの顔がよぎる。

 そして草の生い茂った広場の地面にその身をしたたかに打ち付けた。
 武器を持たぬ才人の身体能力は一般的な現代人のそれ。受け身に失敗し腹を地面に打った彼は思わずぎゃふんと悲鳴を上げた。

 痛みに身動きできずにいる才人だが、急に何者かが地面に横たわる彼の片足を掴み引きずっていく。
 うつぶせのまま引きずられ草の香りをかがされた才人だが、やがて足は手放され彼を引きずる動きは止まった。

 才人が横を見ると、そこには自分と同じように地面に身を投げ出したギーシュが転がっていた。
 一体なんなのだろうこの状況は。

「さて、禁止されている決闘なんてするいけない二人にわたしは説教を行いたいんだけど……いつまで寝てるの! 起きなさい!」

「は、はいいいいい!」

 叱咤の声に、叫びを上げながら身を起こす才人達二人。
 目の前には、怒りで顔を真っ赤にしたルイズが仁王立ちしていた。

「……何かしら、サイト。そのふざけた座り方は」

「はい、これは日本で正座と呼ばれていまして、説教を受けるときにする座り方でございます」

「そう、正しい座り方ね。ギーシュ! あなたも正座しなさい!」

「は、はい……」

 並んで草の上に正座をする才人とギーシュ。
 ルイズは腕を組んでそんな彼らを見下ろしている。

「ねえサイト……、わたしあなたをもう少し賢い人だろうとばかり思い込んでいたわ。庇う人のいない遠い異国の地に来て、まさか住人と生き死ににかかわる問題なんて起こさないだろうって。こうなったのはどうしてかしら? なんなの? 馬鹿なの?」

「はい、俺は大馬鹿ものでございます。ここに来てからずっと順調すぎて調子に乗っておりました」

「ねえギーシュ……、わたし言ったわよね? サイトはヴァリエール家の客人だって。それがどうしたのかしら。家名も貴族としての名誉も領民の生活もかかっていないただの口論程度で禁止されている決闘をするだなんて。こうなったのはどうしてかしら? なんなの? 馬鹿なの?」

「はい、僕は大馬鹿ものでございます。たかが魔法の使えぬ蛮人と彼を見下しておりました」

「ねえ二人とも……、わたしの胸は決闘をするほどそんなに小さいのかしら?」

 その言葉に、才人とギーシュは同時にさっと視線を横にずらした。

「目をそらすのはどうしてかしら? なんなの? 馬鹿にしてるの?」

 ルイズの問いにも、彼らは答えない。いや、答えられない。魔女を目の前にして真実を話せるほど無謀ではないし、嘘をついて誤魔化そうと気になるほど彼女の胸は中途半端ではない。

 沈黙を続ける二人に、ルイズはやがて身体を小刻みに震わせ始める。

「そ、そう、やっぱり馬鹿にし、しているのね。そ、それともあれかしらあなたたちは犬畜生だから、何も喋れないのかしら」

 ルイズは声をどもらせながら、組んでいた腕を解いて二人に向けて手の平を向けた。

「人間様に従わない駄犬には、調教が必要よね?」

 才人とギーシュは、晴天の下再び宙に身を躍らせた。




マリコルヌとの会話のためだけに発生させた決闘イベントでした。



[5425] がんだーるう゛その3
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2010/03/29 14:25

□がんだーるう゛その3~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 ルイズ、才人、ギーシュの三人は学院本塔最上階の学院長室に呼ばれていた。

 彼女達三人は、部屋のカーペットの上に正座をして座っている。
 叱られるときは正座。ルイズはその異国の風習を微妙に気に入っていた。

 ルイズ達の前には学院長のオスマン氏。そして傍らには秘書のミス・ロングビルと、ルイズ達をここまで連行してきたコルベールが立っていた。

「さて、問題を起こした当人にはミス・ヴァリエールが十分な罰を与えたようじゃが……、じゃが仮にも学院規則で禁止された決闘を行った者に、教師としての建前上、こちらから罰を与えないというわけにもいかないのう」

 右手で小さな水パイプをふかし、左手で豊かな白髭を触りながら、オスマン氏はそう言った。

「あら、禁止されているのは貴族同士の決闘ですわ。異国の民であるサイトが決闘をしたとして何のお咎めがありましょう」

「ええい! またそうやって煙に巻こうとしおって! 魔法の使えぬ平民ごときが貴族に剣を向けるなど前代未聞なだけ、学院に居る者同士、杖を向け合うのと杖と剣を向け合うのは同じ罪じゃ!」

 そのオスマン氏の言葉に、ルイズはルーンを一言唱え、右腕を振り上げて指を鳴らした。
 次の瞬間、パイプの中の煙草が小さな音を立てて弾け飛んだ。

「オールド・オスマン。今後一度でも、『賢人』のミスタ・ヒラガを『平民ごとき』などと下に見ることがあったら、私も大切な使い魔を侮辱されたとしてそれなりの行動に出させていただきますわ。彼は異国の貴人。ハルケギニアの民と同列に扱うことの無いように」

「う、うむ……。その通りじゃな。詫びよう。平民ごときなどという汚い言葉も、貴族が使って良い言葉ではなかった」

 熟練のメイジであるオスマン氏が反応できないほどの速く器用な魔法に、彼は冷や汗を流しながら頷きを返す。

 ルイズに説教をするはずが、オスマン氏は逆に説教をされていた。
 この場には、元貴族であるが今は平民であるミス・ロングビルも同席している。『平民ごとき』という言葉はオスマン氏の完全な失言であった。
 オスマン氏は本来は平民と貴族を分け隔て無く見る人格者。自らの失言を恥じて心の中で素直に反省をした。

 だが、この場は決闘をした二人を罰する場。教育者としての凛とした表情は保ったままだ。

「ミスタ・グラモンは懲罰室で反省文。ミス・ヴァリエールはそうじゃな。使い魔の監督不届きと、先日の竜鱗強奪の罰として、一週間の寮内謹慎としよう」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 そのオスマン氏の処断に、服を草汁で緑に染めた才人が食い下がった。

「この喧嘩、ルイズは全く関係ありません! なんでルイズに罰が与えられるんですか! 罰するならルイズではなく俺に罰を与えてください!」

 その才人の言葉に、オスマン氏はふむ、と髭に触りながら考えた。
 ミス・ヴァリエールめ。なかなか主思いな使い魔を召喚しよったようじゃ。

「異国の民ミスタ・ヒラガよ。この国では使い魔の罪はその主の罪となるのじゃ。凶暴な魔獣が使い魔となる可能性がある以上、それを完全に御するのがメイジの義務。学院の立場として決闘に対する罰を与える以上、そこは譲れぬ線なんじゃ。すまんが納得してくれ……」

「そうですか……」

 才人はその言葉を聞いてがっくりと項垂れた。

「ごめん、ルイズ……」

「僕からも謝罪の言葉を述べさせてもらうよ、ルイズ。今回の件は完全に僕が悪いのだから」

「いえ、良いわよ。このくらい慣れっこよ。それに、サイトにはもう十分主として罰を与えたしね」

 その三人の姿に、オスマン氏は髭に覆われた口に笑みを作った。
 良きかな良きかな。これが素直な若人の姿というものじゃ。

「さて、ミス・ロングビル。ミスタ・グラモンを懲罰室へ」

「はい、解りました」

「何、ちゃんと真面目に反省文を書けば、夕食までには解放してやるわい」

「はい……とと、うお、足がしびれる! これが正座の力か!」

 オスマン氏に促され立ち上がろうとしたギーシュだが、思わぬ正座の威力に彼は足をとられてカーペットの上を転げ回った。

 ミス・ロングビルに介抱されながら、ギーシュは足を引きずり学院長室を後にした。
 そして正座のまま床の上に取り残される才人とルイズの二人。
 そんな二人に、オスマン氏はずっと険しくしていた表情を緩めて話しかけた。

「さて、いつまでもそんな格好で座っていては辛いじゃろう。応接用のソファーにでも座りなさい。少し二人に大事な話があるんじゃ」

 オスマン氏はそう言いながら机に水パイプを置き、代わりに一冊の本を机の引き出しの中から出してソファーまで歩いていった。
 それを追うように、ずっと無言で待機していたコルベールもソファーへと向かう。

 才人とルイズは、なんのこっちゃと正座のまま二人で顔を見合わせた。





「さて、話というのは、何じゃ。ミス・ヴァリエールの使い魔についての話での」

 そう言って、オスマン氏は携えた古書の表紙をルイズに向けて見せた。

 表題は、『始祖ブリミルの使い魔たち』だ。

 それを見て、ルイズはオスマン氏達が何を言いたいのかおおよそ理解した。

「ガンダールヴですわね」

「ふむ、流石はトリステインの『賢者』。すでに解っておったか」

「自分の使い魔のことを調べるのは結構なことですが、授業には出ていただきたいものですな」

 今日の二年生の午前授業担当であったコルベールはそうルイズに釘を刺した。
 ちなみにこのコルベール、自分の研究のために授業を放棄することがしばしばある。他人のことは全く言えなかった。

「で、ガンダールヴが何か?」

「何か、じゃないわい。これはこの魔法学院の使い魔召喚の儀始まって以来の大事件じゃ」

 オスマン氏の呆れるような言葉。
 そして、次にコルベールが鼻の上の眼鏡の縁を人差し指で軽く持ち上げながら話し始めた。

「すまないがミス・ヴァリエール。広場での一部始終は全て私が見させてもらった。止めることも出来たんだがね、どうしてもミスタ・ヒラガが剣を使って戦うところを見たかったんだ」

「いつでも止められたのにわたしに一週間の謹慎って、酷くありません?」

「ほっほっほ、反省文で済んだところが謹慎にまでなったのは、普段のおぬしの行いによるところじゃよ、トリステインの『魔女』」

 ルイズの言葉にオスマン氏がそう答えた。
 教育者として何度もルイズに頭を悩まされてきたオスマン氏。年甲斐もなくしてやったりという顔をしていた。

「ともかくじゃ、薪割り鉈で青銅のゴーレムを真っ二つにしたというその力、間違いなくガンダールヴのものじゃろう」

 オスマン氏はソファーの前に古書を置くと、本めくって使い魔のルーンが書かれたページを開いた。
 ルイズは隣に座る才人の左手をとると、本の横へ彼の左手を引いて並べた。

 本のルーンと、手の甲のルーンの形は完全に一致していた。

「始祖ブリミルの使い魔ガンダールヴ。二つ名を『神の左手』。剣と槍を自在に操り、始祖ブリミルの盾となったといわれているの」

 オスマン氏は本を閉じると、再び空いた手の平で髭を弄び始めた。

「メイジとしてはこれ以上の使い魔はおらんじゃろう。じゃが、それを皆に広めるのは自重して欲しい」

「どうしてですの?」

 ルイズはオスマン氏が何を言いたいのかおおよそ推測が付いていたが、あえてオスマン氏に何故かと訊ねた。

「『ガンダールヴ』の力は始祖の力。それを利用しようとする者は多いじゃろう。特に、ブリミルの血族を名乗る王室は顕著であろう。今、アルビオンが戦火に見舞われているのは知っておろう?」

 ルイズはその言葉に小さく頷いた。

「始祖の力などを得た王室のボンクラどもが、その戦にどう介入するかなど解ったものじゃないわい。いつの時代も奴らは戦が大好きだからのう。お主も自分の使い魔を他人に好き勝手使われるのは望まないじゃろうて」

 そうオスマン氏は言葉を締める。

 さてどう返答してくるか、とオスマン氏がルイズの顔を覗きこむと、唇の端を釣り上げた笑みが返ってきた。
 そしてルイズはその唇をゆっくりと開くと、オスマン氏に向けて話し始めた。

「わたし、使い魔召喚の魔法についての論文を王室直属のアカデミーに送ろうと思っていましたの」

「ほう、論文とな」

「魔法を使えないわたしがなぜサーヴァントの魔法だけ成功したのか、二つの使い魔召喚の魔法は本当にコモン・スペルなのか、始祖ブリミルの使い魔とは一体なんだったのか」

 そこまで言って、ルイズはソファーの上で脚を組み、膝の腕で両手の指を組み合わせた。

「その論文、魔法を戦争利用することばかり考えているアカデミーの方にお見せするより、トリステインの魔法の権威たる『オールド・オスマン』にお見せした方が有意義かしら?」

「……何が望みじゃ、『魔女』よ」

 苦々しい顔で、オスマン氏がルイズに訊ねる。

「何てことはありませんわ。……わたし、明日の虚無の休日に使い魔の身のまわりを整えてあげようと、城下町へ行こうと思っていましたの。でも困りましたわ。寮から出られないのでは、予定が狂ってしまいました」

「…………」

「ああ、それと、わたしの部屋には寝具が一人分しか無いのです。ですからこの二日、わたしの使い魔は床の上で寝ていましたの。始祖の使い魔を床の上で眠らせるなんてこんなに失礼な話はありませんわね。そんなことが教会に知れたら、この学院はどうなってしまうかしら。困りましたわ」

 全く困った様子のない笑顔でルイズは一人語った。
 してやられた、とオスマン氏は思った。折角この問題児を一週間押さえつけることが出来る機会であったのに。

「解った、解ったわい。決闘の罰は今ここで反省文を一枚書くだけで良いとする。それと、寮に一室を用意する。それでよいな?」

「寮の部屋はいりませんわ。ガンダールヴの力を調べるにも、異国の話を聞くのにも彼と同じ部屋にいた方が都合が良いですもの。上質で、それでいて部屋を専有しない大きさのベッドを一つ、わたしの部屋に今日中にご用意いただければ、と」

「はあ、仕方がないのう……」

 こうして学院の長と魔女との交渉が締結した。

 それを横目でずっと見ていた才人。
 彼は、もしかしてとんでもないやつが自分の主になったんじゃないか、と今更になって気付いた。




あとがき:年末なので閑話として重曹を使った食堂大掃除短編を書こうと思ったら、才人の知識レベルでは重曹を作れないことに気付いた!

そしてガンダールヴの能力を考察するため原作一巻を見直していて気付きました。ただの風竜も使い魔になれば、『サモン・サーバント』と『コントラクト・サーバント』の恩恵で人間の言葉を喋るようになる可能性があることを。まあ言わなければ読者の人も気付かないのでばれなければいいですか。



[5425] がんだーるう゛その4
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2010/03/29 14:25

□がんだーるう゛その4~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 夕食を終え部屋に戻ったルイズと才人。
 部屋の隅には、すでに下段に収納棚が据え付けられた新しいベッドが用意されていた。

 二人は机の傍らの椅子に座り、机の上に載せられた刃物を前にして『ガンダールヴ』についての考察をする。

「今のところの仮定では、『ガンダールヴ』の力は二つ」

 ペン先を引っ込ませた四色ボールペンの先端で、ルイズはノートとして使っていた茶色い紙を叩く。

「一般的な武器、及び『サイトが武器と認識した道具』の使い方が頭に流れ込んでくること」

 机の上に並べられているのは、短剣、ナイフ、ペーパーナイフ、布に石を詰め込んだ即席のブラックジャック、木の串、食堂から持ち込んだ食事用のナイフとフォークだ。
 初めフォークでは発動しなかったガンダールヴのルーンだが、ルイズがフォーク一本で看守を殺し脱走したこそ泥の話をすると、食事用のナイフとフォークでも左手のルーンが輝くようになった。

 一方木の串は、串どころか割り箸ですら事故で人が死ぬことを才人は知っていたため、ガンダールヴの力を引き出すのにさほど時間はいらなかった。

 必要なのは手に持つものを武器と思い込むための想像力だ。

「そして、それらの武器を持つと身体能力が向上すること」

 これは鉈で丸太を切ったときや、広場での決闘で実践済みだ。
 さらに才人は先ほど、ペーパーナイフを持ちながらその場で宙返りもしてみせたりもした。

「でも、この身体能力というのはすごい限定的ね。さっき昼の広場を担当した衛兵さんに確認を取ったんだけどね、サイトの動き、凄い変だったらしいの」

「変?」

「ええと、動きはまるで野獣のように素早い。でも、構えとか剣の振り方は素人そのものだ、って」

 才人はその言葉に、母がレンタル店から借りてきた古代文明の戦争映画を思い出した。
 映画の中の筋骨隆々な戦士達はどのようにして武器を振るっていたか。

「えーと、つまりあれか。向上した腕力だけで無理矢理戦っていたと」

「それは少し違うと思うわ。腕力だけでは、銅の塊を鉈で綺麗に真っ二つなんてできないわよ。あなたは武器の正しい扱い方、刃物をどう動かせばものを切れるかについては理解している。けど、人が長い年月を培って積み重ねてきた技術、『武術』については専門外なのよ、おそらく」

 刃物の正しい扱い方と、武術。
 近いようでいてその実かなり遠い理念だ。

「あー……確かに言われてみればそうだ。鉈を持っていたとき、なんつーか、スポーツをやるときみたいな正しいフォームの取り方とか、効率の良いゴーレムの倒し方とかは思い浮かばなかった」

「六千年前の使い魔だものね。その時代に剣術や槍術がなくても納得できるわ」

 そう結論づけ、ルイズは机の上の刃物を片付け始める。
 その最中、ルイズはふと気付いたように才人に話しかけた。

「武術に興味があるなら衛兵さんに教えてもらいなさい。今度紹介するわ」

「そうだなー……こんな力があるならそっちも身につけた方が良いか」

「その理由以外にも、身体を動かす趣味を持った方が何かと楽しいわよ。わざわざわたしと一緒に使えもしない魔法の授業を聞くよりかはずっと良いんじゃないかしら。ちなみにわたしも武器を使わない武術ならちょっとだけ知ってるの」

 両手に短剣を抱えながら、ルイズは腰をひねり右の回し蹴りを虚空へとはなった。
 空気を切り裂く軽快な音が室内に響く。

 残念ながら才人の位置からは脚を上げたルイズのスカートの中身は見えなかった。

「魔法使いに格闘技が必要なのか?」

「口を塞がれたり杖を奪われたりしたら、結局頼りになるのは自分の身体よ」

「ルイズは他の皆と違って杖を持っていないじゃないか」

「わたしは両腕が杖だから。ああ、腕を折られたら魔法が使えなくなるかもしれないわね。ちょっと考えておきましょう」

 クローゼットの奥に刃物をしまいながらルイズはそう答えた。

 机の上には食事用の道具と木の串だけが残り、メモを取っていた紙も戸棚の奥にしまわれた。

 片付けを終えたルイズは再び椅子の上に座り、才人に向けて人差し指を突きつけた。

「さて、キュルケ達がまた来る前に、キャラ設定について決めておきましょうか。たまには自分の使い魔も構ってあげなさいとって言っておいたから今日は来ないかもしれないけれど」

「キャラ設定て……」

 キャラ設定という用語がハルケギニアの言葉に存在することに才人は呆れた。
 いや、自分になじみが深い言葉だったせいでそう訳されてしまったのか。パソコンのバッテリーに限りもあるし、もうゲームが出来ないんだなと才人は残念に思った。
 ちなみに才人がおぼろげながらも世界地図をちゃんとした形で書けたのも、インターネット専用機であったノートパソコンについでにいれてみたシヴィライゼーションなどのシミュレーションゲームのおかげであった。

「まず、異世界から来たという話だけど、これは私とキュルケ、タバサの三人だけの秘密。他の人には地図にも載っていない遠い異国の地から召喚された賢人と説明する」

「ああ、まあ異世界なんてばれたとしても誰も信じないだろうけどな」

「だからこそ、漏れる経路が増えるのを恐れずタバサにも教えたのよ。まあ一応、あの二人にはもう口止めをしてあるけど」

 ルイズは四色ボールペンを手の中でいじりながらそう答えた。
 四色のペン先を一色ずつ交互に出していく。さらに同時に二色を出そうとしても出てこないことを確かめたり、ペン先を出し切らずにスイッチ部がバネで戻る様子を観察したりしていた。
 ルイズはすっかりこのボールペンの構造を気に入ってしまったようだ。

 四色ボールペンに興味を奪われつつも、ルイズは言葉を続ける。

「そして、ここからはキュルケ達も含めた皆への説明。あなたは学問を学びつつ、武器の鑑定人をしていた」

「ああ、武器の使い方が解るって言うのは隠さないのか」

「真実に嘘を混ぜるのが正しい人のだまし方よ」

 ボールペンの先を才人に突きつけ、ルイズは断言した。

「で、武器好きが高じて趣味でそれを振るってはいたけど、特に誰からも学ばなかったので剣技は身につかなかった。そんな設定でどうかしら?」

「なるほどなー。でも、身体能力の向上についてはどうするんだ? 剣持ったときだけ素早くなるんじゃどう見ても違和感あるだろ」

「そっちは一応考えがあるわ。まあ設定上は物を壊すと困るので普段は力を抑えているという感じにしましょう」

「種族が違うってことにすればいいか」

「種族?」

「ほら、俺ルイズ達と違って肌の色黄色いだろ。だから小型犬と大型犬の違いみたいに、ハルケギニア人とは種族が違うってことにすればおっけーだと思う」

「そうね、確かにそうね」

 ルイズと才人はノリノリでキャラ設定を作っていく。
 才人は普段からゲームや漫画に触れていたためかこういう設定を考えるのが好きな若者であったし、ルイズは友人に演劇好きの幼なじみと読書好きの同級生がいるためこういう人物設定の話をすることがわりと多かった。

 やや暴走気味であったが、それでも何とか整合性の取れた嘘を考える。

「問題は、この左手だよなぁ。理由もないのにずっと包帯を巻き続けるなんてわけにはいかないだろう。怪我ならずっと治らないのも変だし」

 才人は、ガンダールヴのルーンを隠すための包帯が巻かれた左手をランプに向けて透かした。

「それは大丈夫。昼の決闘で鉈を落とすためにあなたの手を爆破したでしょう。あれで酷い火傷を負ったということにすれば良いのよ」

「あれは右手だったぞ?」

「どっちの手だったかなんて誰も覚えてなんかいやしないわよ」

「でもそうなるとルイズが俺に人に見せられないような火傷を負わせたってことになるだろ? いいのかそれで」

「サイトはギーシュを切るつもりはなかった。でも横で見ていたわたしは自分の使い魔が貴族を傷つけるとあせり魔法を使った。これならどちらにも非がないように聞こえるでしょう」

「うーん、そうかなぁ」

 才人は右手で包帯の表面を撫でながらルイズの言葉に首を傾げた。
 彼にはまだメイジと使い魔の関係がどのようなものであるかほとんど理解していなかった。ルイズの話を使い魔と主ではなく、人と人としての間の出来事としてとらえていたのだ。

「ま、これで悪い評判が立ったとしても今更気になんてしないわ。それより、包帯だと動かしづらいでしょう。水のメイジに頼んで皮膚手袋を用意してもらうわ」

「皮膚手袋?」

「火のメイジが自分の手を焼いてしまうということは良くあるの。そういった人が火傷を隠すために使う、はめても違和感を感じないマジックアイテムの手袋よ。色は白で良いかしら?」

「色は何でもいいや。でも、魔法でも火傷の痕は消せないんだな。地球でも皮膚移植とかしないと消せないらしいし」

「重度の火傷の痕は水のトライアングルメイジでもないと治しきれないし、それに手袋と比べて治療用の秘薬はすごい高級品なのよ。平民が何年も遊んで暮らせるくらいにはね」

 なるほど、と才人は頷く。
 だが、ルイズの言葉を少し反芻して考えてみると、おかしなところがあると気付く。

「ルイズには火傷を消せる魔法使いの知り合いはいない? 治療の薬を買うほどのお金はない?」

「……どっちも答えは否、ね。でも傷を治さない理由はどうとでも作れるわ」

「じゃあこういうのはどうだ。ルイズの命令を聞かず決闘を続けようとした俺は、自分を恥じて火傷の痕を自らの戒めとして……」

「クドい! というかクサい! 没ね」

「い、今更それを言うかお前は……」

 得意げに設定語りをしていたところに入った思わぬ突っ込みに、才人は顔を赤くして反論した。

「この設定はわたしも関わることなんだから、真面目に考えてよね」

「てめぇ!」

 二人は左手の火傷の理由をどうするか、討論を交わし始める。
 その討論は、キュルケがフレイムを連れて部屋にやってくるまで続いた。

「あれ、なんで机の上に串とナイフとフォーク?」

 ルイズは、才人に地球の食器について聞こうと思っていたのと誤魔化した。



[5425] がんだーるう゛その5
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/30 03:39

 ルイズ、キュルケ、タバサ達三人は、虚無の曜日に一緒に街へ繰り出すことが多い。

 これは、放っておけば自室に籠もって出てこないルイズとタバサを週に一度くらいは太陽の下に連れ出そうとキュルケが努力を続けた結果である。

 虚無の休日にトリステインの中でも一番の都市である王城の城下町にいくには、学院から馬を借りるか、朝食後に学院から出る乗り合いの馬車を利用するかである。
 だが今日城下町へ繰り出そうとするルイズ達はそのどちらも選ばなかった。

 ルイズ達は先日決闘が行われたヴェストリの広場に集まり、一匹の風竜を目の前にしていた。

「人が三人、火トカゲが一匹。帰りは荷物も増えるわ。シルフィード、いけるかしら」

「きゅい!」

 竜の大きな頭を撫でながら言うルイズに、シルフィードは強く肯定するようにひと鳴きした。
 その鳴き声を聞いてにっこりと笑ったルイズは傍らのタバサへと向き直る。

「はい、これ。道中で読むと良いわ」

 ルイズは背に負ったリュックの中から、5枚ほどの紙を取りだした。才人が地球から持ち込んだ鞄は、いつの間にかルイズの物として扱われていた。

「何?」

「使い魔に人語を喋らせるための方法についての草稿案よ。はい」

 紙をタバサに手渡すルイズ。その横では、シルフィードとフレイムがきゅいきゅいきゅるきゅるとはじめましての挨拶を交わしていた。

「人語……?」

「そ。タバサなら『緑の街の黒猫達』を読んだことがあるわよね?」

「うん」

 緑の街の黒猫達。魔法を使える平民メイジの使い魔達が、人語を話して街中を大冒険するという、最近人気の児童小説だ。

「使い魔のルーンの恩恵で、あの黒猫みたいな使い魔が人の言葉を話すようになると言うことはまれにあるの。それも、使い魔になったときにいきなり話せるようになるのだけじゃなくて、使い魔になって十年も経ってから話せるようになった例もあるわ」

 タバサは、ルイズの話を聞きながら紙の一枚目を眺める。

 草稿とはいうものの、文字で紙がびっちりと埋め尽くされていた。
 筆跡はインクとペンを用いたものではなく、才人が地球から持ち込んだボールペンの文字。
 つまり、これはこの四日間のうちに書かれたと言うことだ。

「使い魔が人語を話すのに必要なのは、初めからそれが備わっているかの運と、知能。運はともかく知能は訓練で上げられるから、その紙に書かれている方法を試すと良いわ。シルフィードは大きいから、昼にでもこの広場で訓練すると良いわね」

 昼、と言う言葉と、広場、という言葉を特に強調してルイズは言った。

「読み終わったらその紙他の人にも貸してあげて。自分もやってみたいって人、きっといると思うから。ああ、学院だけじゃなくてガリアの知り合いにも見せてあげて良いわよ」

「…………」

「あれ、ルイズ、タバサ何を話しているの?」

 いつまでもシルフィードの上に乗らずに話し込んでいるルイズ達に、フレイムとシルフィードのやり取りを眺めていたキュルケが割ってはいってくる。

「使い魔が人の言葉を話すための方法よ。キュルケ、あなたのフレイムももしかしたら喋れるようになるかもしれない」

「本当!?」

「ええ。タバサも。その子、子供の竜みたいだから、頭が良くなればもしかすると数年後には言葉を喋れるようになっているかもしれないわね?」

 ルイズはそう言ってタバサに向けてウィンクをし、シルフィードに乗り込むためにタバサの元から離れていった。

「……ありがとう」

 タバサはルイズの背に向けて、小さく感謝の言葉を言った。





□がんだーるう゛その5~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 トリステインの城下町は馬の行き交う大都市であったが、その衛生環境は非常に優れていた。
 水を象徴とするトリステイン王国。その名の通り優れた水のメイジを多く抱える魔法王国であった。

 水は汚れを洗い流す。汚れとは毒であると、水のメイジ達の研究によって広く知られており、王宮の傍らに広がる城下町は日々清掃が行われ、さらに水道や治水も長い時間をかけて整えられていた。

 虚無の曜日は人も多数行き交うため、町のあちらこちらに清掃を担当する平民や水のメイジの姿が多く見受けられた。

 その城下町の大通りに面したブルドンネ街をルイズ達は歩いていく。
 四人の他に、フレイムも巨体を揺すって人の波を割りながら前へと進む。

 シルフィードは流石に町中に入れるわけには行かないので町の外に離している。今彼女は一人置いていかれたことに拗ねて、草原でふて寝をしていた。

「とりあえずルイズ、今日はサイトの買い物をするんでしょう? どこからいくの? やっぱり服?」

「武具店」

「は? 武具?」

「剣をサイトに持たせるの。サイトは、武器の鑑定士だって説明したでしょう」

「おう、その通りだ」

「はあ……。でも一日歩き回るのにいきなりそんな重たい物買うの?」

「さすがに持って歩かないわよ。学院まで送ってもらうの。たくさん買うつもりだしね」

 ルイズはそう言って、マントの上に背負った背中のリュックを右手で叩いた。
 中には、金貨や銀貨がぎっしりと詰まっている。
 一目でこの鞄の構造を見極められるものはいないだろうと、スリ対策に持ってきていたのだ。

「さすが公爵家の三女は言うことが違うわねぇ」

「別に親からもらったお金ばかりじゃないわ。自分で稼いだお金もあるわよ。ちょっと盗賊の返り血がかかってるかもしれないけどね」

 ルイズはそんなことをさらりと言って、大通りをそれて路地裏へと入っていく。
 貴族の行き交う大通りとは違い、ごろつきのたまり場となっている裏道は清掃員が足を運ぶこともない。
 ゴミや汚物が道端に転がり悪臭を放っていた。

「きゅるきゅる」

「ああフレイムごめんね。ここを這って歩くのは辛いわよね。……はい、『レビテーション』」

 ゴミを前に足を止めていたフレイムに、キュルケはルーンを唱え浮遊の魔法をかけて浮かび上がらせた。

 ルイズ達は汚物を避けて前へと歩いていく。

「きたねえなあ……」

 東京のアスファルトの風景を見慣れていたサイトは、汚い裏道に素直な意見を述べた。

「こんな場所まで清掃の手を行き届かせるほど、国の財政に余裕はないのでしょう。……雨が降ったら表にも汚れが流れるから、わたしはここも綺麗にした方が良いと思うのだけれどね」

「そもそも道にこんなゴミを放り投げてるってことが俺には良く解らん」

 そんな言葉を交わしながら彼女達は歩き、剣の形をした看板の店の前で足を止めた。

 石段を上がり、羽扉を開ける。少女達が一列に並んでぞろぞろと薄暗い店の中に入っていった。

「おやおや、貴族の奥様方。そんな集団でこんな店に何用ですかね。ピエモンの秘薬屋は一本道が違いますぜ」

 その様子を店の奥のカウンターから見ていた五十歳ほどの中年店主が呆れたような声で言った。

「客よ。武器を見せて頂戴」

「はは、おったまげた! 貴族様が刃物をご入り用ですかい!」

「貴族が剣を振らないなんて常識に凝り固まるくらいなら、杖を仕込んだ剣を一本でも多く貴族の軍人に売りつけることを考えなさいな、おじさま」

「はは、ははははは、なかなか言うじゃないですか若奥様」

 ルイズの言葉に、店主はくわえていたパイプを唇から離し、口から煙を吹き出しながら笑いこけた。
 今日は休日だというのに客が来なくて困っていたところだ。丁度良い、この小生意気な貴族から金を巻き上げてやろう。店主はそう考えルイズをぼったくりの標的として見据えた。

「この店の剣の質が知りたいわ。『ごく普通の』大剣をまず見せて」

「おうよ」

 普通のと言われて、店主はどれほどの質の剣を出したものかと悩んだ。
 相手は貴族。そこそこ立派な剣を用意した方が良いだろうか。
 いや、質の悪い剣を見せてこれが平民の中では普通なのだと言って高く売りつけるか?

 三十秒ほど店の奥で悩んだ店主は、素直に店で一番多く扱っている『普通の』大剣をカウンターへと運んだ。

「いかがですかね、奥様」

「サイト、見て」

 ルイズに促されて才人は両手で目の前の大剣を両手で握った。

「すげぇ! 本物の剣だ!」

「良いから、心を落ち着かせて『鑑定』してみせて。得意なんでしょう?」

 ルイズの言葉に、そうだ、自分は武器の鑑定士だったんだと才人は真面目そうな表情をつくろってみせた。

「……鋼でできた大剣。重心が先端に寄りすぎているから、振る際は剣の勢いに身体を引っ張られないように気を付ける必要があるな。切れ味は悪いから、引くよりも叩きつけるようにして重さで相手を潰す感じで使う」

「ほう」

 才人の評価に、店主は素直に感嘆の声を上げた。
 若く見えるが、この金髪の貴族に使えている護衛だろうか。

「なるほどね。おじさま、この剣おいくらかしら」

「はあ、ごく普通の大剣ですからね。新金貨で二百ってところですぜ」

 店主のその言葉に、ルイズは無言でカウンターを全力で蹴りつけた。

「ひっ!」

 小さな体から放たれた蹴りは床にくくりつけられたカウンターを傾けさせ、店内を揺さぶった。

「馬鹿にしているのかしら? わたしは別に板金鎧を買いに来たのではないのだけれど」

 新金貨で二百。それは、平民の一年の生活費に匹敵する。
 いくら命を売る高給取りの傭兵とはいえ、その価格で平凡な剣を買おうとするものはいない。

「貴族が皆、物の価値を解らない愚者ばかりと思わないことね。お金の価値を知らなければ、領民に正しい税もかけられないのよ?」

「へ、へへ、これはとんだご無礼を。その剣は新金貨で八十でさあ」

 へこへこと頭を下げながら店主は平謝りする。どうやら目の前の貴族にはぼったくりは通用しないようだ。
 貴族相手にぼったくりをするのは、ばれた場合非常に危険なことになる。店主は素直に剣の正しい値段を言った。

 一方のルイズはこの店主が初めからまともな値段を提示しないであろうと予想していた。
 店に並べられた武具には、どれも値札がつけられていない。ようするに、そういう店なのだ。

「とりあえず一通り目を通すから、順に持ってきて。大丈夫、冷やかしのつもりで来たわけじゃないから何本か買っていくわよ」

 この貴族は自分より一枚上手だ、そう長年培った直感で悟った店主は、それなら良い剣をたくさん買っていってもらおうと一品物の武器を取りに店の奥へと引っ込んでいった。





「なに、タバサ剣に興味あるの?」

 ルイズと店主のやり取りを横目に、キュルケとタバサは店の棚に飾られた剣や鎧を眺めていた。

 金物に興味はなかったキュルケだが、意外と真面目に剣を眺めているタバサに驚いて横から声をかけた。

「昨日メイジ殺しの技を初めて見た。鉈でゴーレムを討ち取る。興味深い」

「ああ、昨日のサイトの決闘ね。確かに凄かったわね」

 キュルケは昨日サイトが振るっていた鉈に似た曲刀を手に取りながらタバサの答えに声を返した。

「でも、メイジなら剣なんかじゃなくて『ブレイド』の魔法とか『エア・ニードル』の魔法とかを使えば良いじゃない?」

「魔法を二つ同時には使えない。片手に剣。片手に杖。それが理想」

「タバサみたいな身体のちっちゃい子が二杖なんてできるわけないわよ。軍人の使う杖剣にしておきなさい」

「……そう」

「こんな場末の武具店にそんなもの置いてあると思わないけどね」

 とそこまでキュルケは言ったところで、ふと数日前に見たルイズの論文を思い出した。

「タバサ、小さなあなたでも剣を持ちながら杖を持てるわよ」

「?」

 キュルケの言葉に、タバサは首を傾げた。
 まさか細身の杖と剣を一緒に握れとでも言うつもりなのだろうか。そんなことをすれば、握力の弱いタバサでは握りが甘くて手から剣がすっぽぬけてしまう。

「ルイズよ、ルイズ。あの子、杖を持たずに魔法使っているでしょう」

 キュルケの言葉を聞いて、タバサは心底嫌そうな顔をキュルケに向けた。
 ルイズが杖を持たずに魔法を使えているのは、腕の中に魔法の杖の素材を水のメイジの外科手術で埋め込んでいるからだ。
 確かにあれはすごいと思うタバサだが、実際自分の腕に仕込みたいかというと、否だ。

「悪趣味」

「あはは、まあそうよね。でもね、ルイズはあれの他に、指輪型の杖とかも作っているのよ。それなら両手で剣を握りながら魔法を使えるでしょう?」

「それ、本当?」

「本当よ。確認してみましょうか。ねえ、ルイズ……って、それ!」

 カウンターのルイズの方へと顔を向けたキュルケだが、目に飛び込んできたものを見て驚きの声をあげた。
 宝石がはめ込まれ金の細工が施された、豪奢な大剣がカウンターの上に載っている。

「す、すごい剣じゃない」

 キュルケは剣やメイスといった金物に興味はないが、貴金属や宝石には興味が大ありだ。
 剣に施された見事な装飾に釣られるように、ふらふらとカウンターへと近づいていく。

「おや、若奥様お目が高い。これはかの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿が鍛えた大剣でさあ」

「シュペー卿! 偽物じゃないの!? いえ、この銘は確かに……よくこんなもの仕入れられたわね」

「へへへ、まあ長年武具屋をやっていればこういうのを手に入れられる機会がございましてね」

 店主は、この大剣をまるで自分が作った物だと言わんばかりに胸を反らして誇った。
 キュルケは剣を両手に持って散りばめられた宝石を眺めている。

 だがルイズは興味なさそうな顔で、ただ一言、「サイト」と鑑定士の名前を呼んだだけだった。

「キュルケ、ちょっとそれ貸してくれ……うん、ありがとう。よし……」

 大剣の柄を握り、才人は薄目できらびやかな諸刃の刀身を眺めた。
 二十秒ほどそうしてから、才人はゆっくりシュペー卿の大剣をカウンターに広げられた柔布の上に置いた。

「これ、なまくらだ。丁寧に扱わないと簡単に折れちまう」

 その才人の声を聞いて、胸を反らしていた店主は慌て始めた。

「そ、そんなはずが……! 刀身には魔法もかけられていて鉄すら一刀両断のはずですぜ旦那」

「キュルケ、『ディテクトマジック』」

「あ、うん、解ったわ」

 店主と一緒に驚きの顔を浮かべていたキュルケは、淡々と放たれたルイズの言葉に促され腰に差した杖を引き抜いてルーンを唱えた。
 杖の先から光る魔法の粉が金細工の施された刀身に降り注ぐ

「ええと……、『固定化』ね。でも、強度を増すというよりは装飾を守るために経年劣化を防いでいる感じ。切れ味はほとんど上がっていないでしょうね」

「そ、そんな……」

 才人とキュルケの鑑定結果に、店主はがっくり肩を落としカウンターの上に突っ伏した。






原作では今後も触れられないだろうという予想で独自設定ラッシュ。
しかし、自動操縦の人形型マジックアイテムとインテリジェンスアイテムが組み合わさったら、SFなAIロボットが完成するんですね。魔法って凄い!



[5425] がんだーるう゛その6
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/30 04:20

□がんだーるう゛その6~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 店主の落胆の様子を眺めていたルイズは、彼の肩を叩いて話しかける。

「おじさま、普通の剣を扱っていては知る機会がないでしょうけど、こういうのは儀式剣っていうの。人を斬るための剣じゃなくて、式典や魔法の儀式の場に用いられるものよ。初めから強度なんて何も考えられずに作られているの」

 ルイズの話を聞いても、店主は動かない。それほどこの大剣に剣としての価値が無かったショックが大きかったのだろう。
 ルイズは頬をかきながらさらに言葉を続けた。

「キュルケ、この剣を装飾品や工芸品として見た場合、いくらの値をつけるかしら?」

「そうね、この細工、この宝石の数、そしてシュペー卿の名前を考えるなら……三千エキューはくだらないと思うわ」

「本当ですかい!」

 キュルケの鑑定に、店主が歳に見合わぬ勢いで身を起こした。

「え、ええ……」

 その勢いにキュルケは気圧されながら肯定の意思を伝える。
 さらに、ルイズが剣についての補足を語る。

「名剣だと言って貴族に売りつけて、さあ折れたとなったら面倒なことになるわよ。素直にブルドンネ街にある貴族御用達の宝石店にでも卸した方がいいわ」

「へえ、そうしやす。ありがてえ、ありがてえ……」

 へこへことルイズとキュルケに頭を下げる店主。

 そんな彼に、店の入り口の方から声がかかった。

「がはははは、だから言ったじゃねえか! 宝石で人は切れねえってよ! 何が儀式剣だ。剣の風上にもおけねーやつだ!」

 品のない大声に、ルイズは振り向く。
 だが、そこには誰もいない。
 タバサが近くで細身のレイピアを手に取っているが、彼女がこんな声をあげるはずもないだろう。

「こら! デル公! 貴族のお客様の前で下品な口を開くんじゃねえ!」

「うるせえな、俺が何を喋ろうが剣の勝手だ!」

「……どういうこと?」

 虚空から聞こえる声に、ルイズは店主へと疑問の声を投げかけた。

「いや、実はですね、あそこにインテリジェンスソードが置いてあるんで」

「なんですって!?」

「意思を持つ魔剣なんて、そんな悪趣味な物どこの魔術師が始めたんでしょうかねぇ……。剣が喋ったところで何の役に立つのかってもんでして」

 その店主の説明も最後まで聞かずに、ルイズは入り口の方へと歩いていく。

「どこ?」

「おう、なんかよーか娘っ子」

 乱雑に積まれた数打ちの剣の束。その中から声が聞こえた。
 ルイズはその中なら、1.5メイルほどもある一本の長剣を取り上げた。

 薄い錆にまみれの刀身の古くさい長剣だ。

「あなた、インテリジェンスソードね?」

「おう、それがどーかしたか」

「おじさま、これ買いますわ。おいくらかしら?」

「っておい!?」

 長剣の話を黙殺し、ルイズは剣を握ったままカウンターへと戻っていく。

「へえ、そんな包丁にもなりやしない鉄屑なら、十エキューもいただければ十分でさ。むしろ処分に困っていたくらいなもんで」

「そう」

 ルイズは長剣をカウンターに置き、背中のリュックの肩紐から腕を抜いてカウンターの上にリュックを落とした。
 鈍い音、そして小さな金属が大量にこすれる音が店内に響いた

「ル、ルイズいったいどれだけお金持ってきてるのよ。小切手で良いじゃない」

「言ったでしょう、返り血を浴びたお金だって。さっさと処分してしまいたいのよね。……さ、おじさま、代金はこれで良いかしら?」

「へえ、まいど」

 ルイズはリュックの中から取りだした新金貨十四枚を店主に渡すと、釣り銭を受け取らずカウンターに置いた長剣を手に取った。

「名前は」

「……デルフリンガーだ」

「そう。今日からあなたはわたしの所有物。インテリジェンスソードの仕組みを調べるための実験に使わせて貰うわ」

「おいおいおい、そりゃねーよ」

「恨むなら、剣の身に生まれた自分を恨むのね。さ、サイト」

「ん、ああ」

 喋る剣を物珍しそうに眺める才人にルイズは声をかけ、デルフリンガーを手渡した。

「はっ、鑑定士か何かしらねーが、こんな坊主に俺の素晴らしさが……って、おでれーた。てめ、『使い手』か」

「使い手?」

 デルフリンガーのいきなりの言葉に才人は首を傾げる。
 使い手って何だ、そう聞き返そうとした才人の手に、突然痛みが走った。衝撃に手から柄がすっぽ抜け、剣は床の上をすべっていく。
 何事かと才人が顔をあげると、そこには脚を高く振り上げたルイズの姿が見えた。
 今のは蹴りか。そして中身は紫か。

 ルイズは脚を下ろすと、床をすべっていったデルフリンガーの元へと歩いていく。
 床に落ちた剣を拾い、ルイズは顔を刀身へと近づけた。
 そして、小さな声で剣に語りかける。

「それ以上その『使い手』のことをわたし以外の誰かに喋ってみなさい……。土の中に埋めて丸ごと鋼に錬金してしまうわよ」

「は、はい、解りました……」

 ルイズはデルフリンガーの返答によろしい、と頷きカウンターの元へと戻る。

「はい、改めて、この剣を『鑑定』して隅々までね」

「お、おう」

 デルフリンガーを再び手渡された才人は、両の手でその柄を握りしめる。

 ――すげえな、喋る剣って。一体中身はどうなっているんだ。

 才人の好奇心が、武器の力を引き出すガンダールヴの力を高めていく。
 目を閉じ、心を剣に寄せ、知識を引き出す。

 そして。

「サイト!?」

 才人は倒れた。





 才人は、頭の後ろに感じる柔らかい感触と共に目を覚ました。
 誰かが自分の頬を手の平で叩いている。

 才人が目を開けると、逆さまになったルイズの可愛らしい顔が目に映った。

「あ、起きた。大丈夫?」

「えー、あー?」

「急に倒れたのよ、あなた」

 横からキュルケの声が聞こえた。

 背中から固い床の感触を感じる。
 何でこんなことになっているのか。

 そうだ、喋る剣の使い方をガンダールヴの力で見ようとしたのだ。

 才人は身を起こして周りを見渡す。
 ランプに照らされた薄暗い武具店の室内。カウンターの向こうからは店主が何事かとこちらを覗きこんでいる。
 横には心配そうな顔でこちらを見るキュルケと、三日月刀を抱え無表情でこちらを見るタバサが立っていた。
 そして、後ろを振り返ると、ルイズが正座の姿勢で座っている。

 どうやら自分は膝枕をされていたらしい。そのことに気付いた才人は、すぐに身を起こしてしまったことを後悔した。

「なんで急に倒れたのかしら?」

 膝を立てて立ち上がろうとしながら、ルイズは傍らに落ちたデルフリンガーに訊ねてみた。
 才人を『使い手』と呼ぶこの剣、もしかして何かいろいろ知っているのではないだろうか。

「あー、この坊主、慣らしもしないで俺の中身をいきなり覗きこもうとしやがったからなぁー」

「どういうこと?」

「俺っち、こうみえても歴史の長い凄い魔剣なのよ。それを一度に全部見ようとしたから頭がそれを拒否してぶっ倒れたんだろ」

 錆だらけの刀身でランプの光を反射させながら、デルフリンガーがそう言った。

「歴史が長い……あんた、どれくらい前に作られたの?」

「さあー覚えてねえなぁ。千年以上前なのは覚えてんだけどなー。長生きしすぎていろいろ忘れてしまってんのよ俺」

「…………」

 ルイズはデルフリンガーの言葉を聞いて、無言で立ち上がる。
 そして床からデルフリンガーを拾うと、こちらを覗きこむ店主の下へと歩く。

「おじさま、この剣買いますわ」

「へえ? お代はもういただきやしたが……」

 店主の返答を聞かず、ルイズはカウンター上のリュックに両手を突っ込む。
 そして中から口の閉じられた大きな革袋を取り出すと、店主の目の前にその革袋を置いた。
 鈍重な音が響き、カウンターがわずかに揺れる。

「新金貨で八百。足りない分は今後もこの店をひいきにすると言うことで」

「は、はっぴゃく!?」

 突然告げられた想像外の金額に、店主は驚きの声を上げる。

「それほどの価値があの剣にはあるのよ。少なくともわたしにはね」

「はあ……わかりやした」

 店主は革袋を掴むと、中身を確認することなく店の奥にそれを仕舞いに行った。
 調べるまでもない。中身にはきっとちゃんとした新金貨がつまっている。そう確信して店主は金庫の中に革袋を詰めた。

 そして店主は店の奥に置かれたひいきの客にしか譲っていない業物をいくつか見繕い、カウンターへと運ぶ。

「さて、若奥様、次はこんな剣はどうでしょう」

 鑑定士を傍らに置いた金髪の貴族に、店主は話しかけた。





「ねえタバサ」

「なに」

「ルイズ、わたし達に隠し事しているわよね」

「してる」

 次々と剣や槍などを鑑定していく才人を見ながら、キュルケは腕を組んだ。

「隠し事をされた友人として、わたしはどうすれば良いのかしら」

「話してくれるまで待つ。隠し事は誰にでもある」

「隠し事だらけだったあなたがいうとそれっぽいわねぇ……」

 ため息をつきながら、キュルケは武器をいじるタバサを見る。
 剣は飽きたのか、先端にとげのついた鉄製の棍棒の柄を両手で握っている。

 さすがに貴族としてその棍棒はどうなのよ、と頭の中で考えながらキュルケはタバサに言葉を投げかけた。

「ねえ、どれを買うか決めたの?」

「ん」

 タバサは首を左右に振って否定すると、カウンターの前で槍を両手に構える才人の方を向く。

「彼に決めてもらう」

「ああ、『鑑定士さん』にね」

 キュルケはタバサと同じように才人を眺める。
 肌の黄色い素朴な少年。
 だがどうやら異世界から来たという以外にも色々な事情がありそうであった。

 そんな才人は、店主を前にしてルイズとどの武器を買うのかを話し合っていた。

「やっぱり槍は必要だと思うんだよなー」

「右手に槍、左手に剣って? いくら伝説の勇者がそうだからって、すぐにそれを真似しようとするのは安直だわ」

「じゃあお前はどうするのが良いって言うんだ?」

「右手に長剣、左手にはさっきのソードブレーカーかマインゴーシュかしら。学院で『固定化』をかけてもらえばかなり頑丈になるわよ」

「それならいっそのこと盾を持った方が良いんじゃねーかな」

「あら、才人に盾を扱いきれるかしら?」

 武器の使い手であるガンダールヴが盾を使えるのかとルイズは才人を笑った。

 才人はむう、とうなって少し考え、ソードブレーカーを選んだ。形状が格好良かったからだ。

 才人の返答に満足したルイズは、リュックからさらに金貨を取り出して店主に渡す。
 他にもいくつか買っていこうか、とカウンターに広げられた武器を眺めていたルイズはふとひらめいた。

「ねえサイト、地球の代表的な武器ってどんなものがあるのかしら?」

「あー、地球か? そうだなここにある剣とかもあるけど……今はほとんど銃だな」

「銃、銃ね。ねえおじさま、銃は置いてあるかしら?」

「へえ、ゲルマニア産のを少し置いてますぜ」

 そう言って店主は店内の一角を指さす。
 木で出来た棚、そこに長身の銃が飾られていた。

「どう、サイト?」

「んー……確かに銃だけどなぁ、駄目だ、これじゃ使うのが大変だよ」

 才人は片手で銃を握りながら首を振った。

「地球で個人所有するようなメジャーな銃と言えばこう、手の平より少し大きいくらいの大きさで、持ち運びも楽なんだ」

 才人は実際に地球の銃に触れたことは無かったが、テレビやゲームの中で拳銃を何度も見たことがあった。
 才人の中では、銃とはハンドガンのイメージが強い。狙撃銃や猟銃といった長銃はどうしても使いにくそうな印象が大きかった。

「ふうん、そう。まあ、火薬の取り扱いとかも難しいだろうし、遠くを狙うには弓の方が便利かもね」

 そう言いながらルイズは銃の横の壁に立てかけられた弓を眺める。
 だが、今日はそこまでは良いだろうとカウンターの前に向き直った。

「そうだ、おじさま、寸鉄とかの暗器も用意してくれる?」

「はあ、まあありますけどね。でも若奥様、それ全部この旦那に使わせる気で?」

「ええ、ちまたは土くれのフーケで騒がれているでしょう? メイジ以外も身を守るすべは必要よ」

「そんなものですかね」

 そう言いながら店主はカウンターの上に寸鉄やふくみ針、ナックルダスターなどを並べていく。
 裏町の住人が好んで買っていく安価な武器だ。

 その中からルイズは先端にとがりのないブラスナックルを選び、才人に持たせた。

「はい。最近巷では盗賊が暴れているの。だから、それは常にポケットにでも忍ばせて、いつでも身につけられるようにね?」

 才人はルイズのその言葉を聞いて、その裏の意図に気付いた。
 これは身体能力強化を誤魔化すために使うのだ。いつでも身につけられるようにする。すなわち、いつでも身体強化を出来るようにして、普段は力をおさえているがいつでも本領を発揮できるという設定の裏付けにするのだ。

 こうして、ルイズの『ガンダールヴ』研究のための道具調達は、何事もなく終わった。

 どさくさにまぎれてタバサが自分のための剣を購入品に混ぜルイズに代金を支払わせたが、ルイズがそれに気付くことはなかった。



□がんだーるう゛ 完□


補足説明:武器の操作手順を脳内に送り込むある程度の鑑定能力が『ガンダールヴ』にないと、ゼロ戦操縦や戦車砲撃やロケットランチャー発射なんてできないだろうなぁ、という考察結果。



[5425] 好きな焼気持ちその1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/30 16:23

□好きな焼気持ちその1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 アルヴィーズの食堂、その奥にある厨房。
 学院内にいる貴族達全員分の料理を一度に作れるこの厨房は、とても広い。

「そう、軽く黄色い色が付くくらいで良い。焦げる前に止めるように」

 その厨房で何故か、才人が料理人達に指示を出していた。
 さらに、才人の指示に従いフライパンを振るう料理人はルイズとキュルケである。

「あらキュルケ、以外とフライパン捌きがさまになってるじゃない」

「わたしは火のメイジよ、ルイズ。火の扱いはお手の物ね。そういうあなたこそ慣れた手つきじゃない」

「料理が出来ないと野営もできないわ」

 言葉を交わしながら二人はフライパンの表面を木のヘラでかき混ぜる。
 フライパンの上には、細かく刻まれた玉葱が載せられていた。

 炒めた玉葱の香ばしい香りがキュルケ達の周りに広がっていく。

 こちらは大丈夫だろう、とサイトは彼女達から視線を外し、後ろの調理台へと振り返る。

 そこではタバサ、そしてモンモランシーが台に置かれた二つの小振りの鍋にそれぞれ手を突っ込み、何かをこねていた。

「タバサ、あなたちょっと握力弱すぎるんじゃない?」

「お肉が潰れたら大変」

「大変、じゃなくて潰してこねるのよ。こう、こう」

 タバサに見せつけるようにしてモンモランシーは腰を入れて鍋の中の物をこねる。
 鍋の中に入っているのは、生肉のミンチだ。
 秘薬作りの課程で薬草やキノコをこうして手でいじることの多いモンモランシーは、楽しげな表情で両手を肉まみれにしていた。

 そのモンモランシーに促されるように、タバサも体重を乗せて鍋の中の肉ミンチを強くこね始める。

 その様子に満足したモンモランシーは、手を止めて背後の才人へと振り向く。

「でも、ミスタ・ヒラガ。本当にこんな粗末な肉で美味しい料理ができるのかしら?」

「言っただろ、ハンバーグは庶民の料理だって。高いステーキ肉なんて使う必要ないんだよ」

 そう、彼女達はハンバーグを作っているのだ。

 きっかけは、夕食時の会話。
 異国の民であるという才人に、モンモランシーが日本ではどのような料理が食べられていたのかを質問したのだ。

 そこで才人が頭に思い浮かべた料理が、召喚されたあの日に夕食として食べるはずだったハンバーグだったのだ。
 ハンバーグという言葉はハルケギニア共用語には訳されず、さらにどんな料理かを語っても誰も心当たりがない。
 そこで才人達は食後の厨房に入り、料理長のマルトーにハンバーグのレシピを教え、この料理を知っているかと訊ねた。

 答えは、否だった。

 聞いたことのない異国の料理。それでいてレシピは簡単。
 タバサの一言、「食べたい」で彼女達の食後の行動は決まった。
 夕食の片付けを終えた厨房を借りてハンバーグを作ってみることにしたのだ。

 格式の高い貴族は自分で料理を作ることはない。
 それでもこうやって才人の指示で厨房に立っているのは、異国の文化に触れてみたいという興味と、才人の言った「ハンバーグを食べるときよく料理を作る母を手伝っていた」という言葉によるものだった。

 マルトーの監視の下、貴族の子女達が厨房で慌ただしく動く。
 それを遠巻きに見ていた使用人達も、異国の庶民料理を作ると聞いて彼女達を手伝い始めた。

「なんでわたしがこんなことを……」

 そんな中、一人だけが不満そうな顔で火にかけた鍋をお玉でかき混ぜていた。
 学院長の秘書、ミス・ロングビルだ。

「おうおう、ロングビルの嬢ちゃん。この状況で見てるだけってのはねーんじゃないのか」

 文句を言いながら鍋をかき混ぜるロングビルの横で釜の様子を見ていたマルトーがそう言った。

「いえ、わたしはあくまで学院長にミス・ヴァリエールが何かしでかさないようにと言われて監視をしているだけなのですが……」

「良いじゃねえか。手伝ったらちゃんとハンバーグ食わせてもらえるだろうさ」

「太るので肉料理の夜食はちょっと……」

「かかっ、嬢ちゃんはちょっと痩せすぎだぁ。そんなんじゃ元気な子供産めねーぞ」

 そんなマルトーのセクハラ発言に、ロングビルはこいつも学院長の同類かと眉をひそめた。

 そんなロングビルの横で、ルイズ達は玉葱を炒め続ける。

「サイト、サイト! 色付いてきたけどこれくらいで良いの?」

「ああそれくらいで丁度良い。あとはそれを肉と一緒にこねるから、フライパンの底を水にでもつけて触っても火傷しない温度まで玉葱を冷やしてくれ」

「あら、それなら……はい、『放熱』」

 ルイズと才人のやり取りを聞いたキュルケは、ルーンを唱えてフライパンの熱を魔法で空気中に飛ばした。

「厨房で杖を振るって料理を作る貴族なんて、そんな話聞いたことないわね」

「外を馬で駆け回って野宿するのよりはずっと健全な貴族のありかただと思うわ。さ、サイト冷ましたわよ」

「よし、じゃあ肉と混ぜよう。おーい、タバサ、モンモンモン、フライパンそっちに持っていくからちょっと前あけてくれ」

「誰がモンモンモンよ!」

 才人に引き連れられてキュルケとルイズは作業台へとフライパンを運ぶ。
 そして促されるままフライパンの中身をタバサ達がこねた挽肉の中へと乗せた。

「後はパン粉と鶏の卵を入れて、またこねてこねてこねる」

「卵を入れるのは焼いたときに肉と玉葱をしっかりくっつけるための『つなぎ』。そうだな、坊主?」

「へえ、さすが料理長さんですね。その通りですよ」

 腕を組んで作業台の上を眺めるマルトーの指摘に、才人はそう感心して答えた。

「ねえ、ミスタ・ヒラガ。混ぜるのはいいけど、これ素手でやる必要あるのかしら?」

「満遍なく均等に混ぜるには、やっぱり素手じゃないと無理だよ。均等に混ぜるのがハンバーグのコツなんだ」

 そんなやり取りをするモンモランシーと才人の横で、タバサが肉と玉葱とパン粉と卵まみれになった手を鍋の上に掲げた。

「ぐちゃぐちゃ。気持ち悪い」

「そうか? 粘土遊びみたいで面白くないか?」

「粘土……」

 才人の言葉を聞いて、タバサは再び鍋の中に手を突っ込み肉をこね始める。
 そして。

「猫さん」

「面白いからって食べ物で遊ぶな! っつーか猫上手いし!」

 肉で作ったリアルな猫のオブジェに、才人は思わず突っ込みを入れた。

 そんなやり取りをしつつ具材の用意は終わる。
 混ぜ終わった鍋を前に、さらに才人とルイズ、キュルケも加わって肉のタネをちぎり、円く形作って皿の上に並べていく。

「普通の円でも楕円でもいいけど、必ずこう、こうやって真ん中をへこませるんだ」

「どうして?」

 タネを両手で弄びながらルイズは才人の説明に疑問を投げる。

「焼くと真ん中が膨らむんだ。だから焼き上がりを平らにするためへこませる」

「隙間だらけだから熱で中の空気が膨張するのかしら」

「料理も秘薬作りと同じくらい奥が深いのね」

 和気藹々と喋る五人の手で大皿の上にハンバーグの素が並べられていく。
 やがて鍋の中が空になる。五人の手の平は具材と肉の脂でべとべとだった。

「さて、あとは焼くだけだ。マルトーさん、お願いします」

「おうよ」

 才人の呼びかけに、マルトーは大きなフライパンをいくつも取り出す。
 貴族達の夕食へ同時に焼きたてのステーキを提供するための業務用料理道具だ。

「表面は焼き色をつけて、中までしっかり火を通すんですけど、ここの厨房の火加減解らないのでマルトーさんお願いできますか?」

「おう、じゃああんたらは手を洗って横で見てな。よしお前ら、料理人としての腕前、貴族の嬢ちゃん達に見せつけてやれ!」

 そのマルトーの言葉に、材料を運んでから一休みしていた調理師やメイド達が返事をして、コンロに火を入れフライパンを手に持った。





 賄い用のテーブルの前に、ルイズ達貴族と使用人達が一緒になって座る。
 そのテーブルの上には、完成したハンバーグの皿が並べられている。

 焼きたてのハンバーグの上に熱々のトマトソースがかけられ、かぐわしい香りと共に湯気を放っていた。
 付け合わせとして夕食の残りのポテトサラダが皿の横に添えられている。

 三度の食事の場ではなくただの夜食であったため、皆はブリミルへの祈りの言葉を告げることなくナイフとフォークを使ってハンバーグを食べ始めた。

 見慣れぬ形をした焼肉団子に、ルイズはおそるおそるナイフを差し込んだ。
 柔らかい。
 ステーキのような抵抗はなく、軽くナイフを引いただけでハンバーグが一口大に切れた。

 ルイズは左手のフォークをそれに刺し、ハンバーグを口へと運んだ。

 そして。

「んんんんーっ!?」

 肉汁が口の中へと広がった。甘く、それでいて肉の旨味が色濃く残っている。
 噛むたびに、口の中はジューシーな肉汁で満たされていく。
 肉は柔らかく、噛まずとも舌を動かすだけで口の中でハンバーグがほぐされていく。

 口の中のそれを飲み込むと、焼きたてのハンバーグの熱で食道がぽかぽかと温かくなった。

 ルイズは余韻に浸るようにしばしたたずむ。
 そして、顔を上げて素直な感想を述べた。

「美味しい!」

 その言葉に、ハンバーグを口に入れた皆が同意だとばかりに頷いた。

「何これ、すごい甘い感じがする。それがトマトソースの酸味とからんで、すごい素敵な味になってる」

「肉汁もすごいわね。あんなにぐちゃぐちゃになるまで混ぜたのに、こんなに汁が出るなんて。美味しいわ」

 ルイズの言葉を引き継ぐように、キュルケもそう言った。

「甘みも肉汁も、玉葱を入れたおかげなんだ。手間がかかるけど炒めてから混ぜるのが美味しさの秘訣らしいよ」

 彼女達の感想に、才人が補足の言葉を入れた。
 才人は笑顔で故郷の味のハンバーグを口にする。まさか異世界の材料でこんなに美味しいハンバーグを作れるとは、想像以上だった。

 モンモランシーとタバサも、初めて味わう旨味に、美味しいと感想を言う。

「赤ワイン、赤ワインは無いかしら?」

「付け合わせにハシバミ草が欲しい」

 舌の肥えた貴族を前にしても、才人の大好物である日本の国民食の一つハンバーグは大人気だった。

 使用人達も口々に美味しいと喜びながら言った。
 賄いとしていつも食べている肉は粗野な端の部位であったため、ハンバーグの思わぬ旨味に頬を落としそうになっていた。

 そんな風にして喜ぶ皆の横、ずっと不機嫌であったロングビルはと言うと。

「う、ううっ……」

 涙を流してハンバーグを咀嚼していた。

「ど、どうしたんですかミス・ロングビル!?」

 その様子に気付いたキュルケは、ロングビルへと声をかける。

「美味しい……あんな粗末な肉がこんなに美味しくなるだなんて……故郷のあの子に食べさせてあげたい……」

「ええ!? 確かに美味しいですけど泣くほどのものですか!?」

 驚くキュルケに、あるメイドがキュルケに言った。

「ミス・ロングビルのご家族はアルビオンに居るとお伺いしたことがありますが……」

「え、アルビオン? ……あー、なるほど」

 キュルケはその言葉に納得して、ロングビルの方へと乗り出していた身を引き、ハンバーグを再び手に付けた。

「アルビオンなら仕方が無いわね」

 その様子を横目で眺めていたルイズも、なるほどと納得する。

「え、何が仕方無いんだ?」

 そう疑問を投げた才人に、ルイズは答える。

「アルビオン王国はね……料理が不味いのよ」

「……なるほどなー」

 簡単な回答に、才人も納得する。そういえば、アルビオンとかいう国は地図上、イギリスに対応した国だったか。それなら、まあ、仕方が無い。

 そんなやり取りをする背後から、不意に声がかかる。

「おう、坊主。言われたとおりに丸パン焼いたぜ」

 一人席を外していたマルトーが、テーブルの上にいくつかの大皿を並べていく。
 皿の一つには、追加で焼かれたハンバーグ、別の皿には焼きたての円く平べったいパン、そしてサラダが積まれていた。

「サイト、これは?」

 先ほど聞いていたレシピには含められていなかった品々を見て、ルイズは才人へと問いかけた。

「おう、これはな……」

 サイトは立ち上がり大皿へと手を伸ばすと、パンを一つ手に掴むと、その上に葉菜、薄く切ったチーズ、ハンバーグを乗せ、さらにチーズと葉菜、パンと順に乗せてハンバーグを挟み込んだ。

「ハンバーガーってな。ほら、食べてみろよ。手づかみで、そのままがぶってかじりつくんだ」

 ハンバーガーと呼ばれたパンを手渡されたルイズは、才人の言葉に従いその小さな口でそれに齧り付いた。

「!?」

 先ほどと同じように、口の中に広がった肉汁。それはすぐに舌の上のパンと絡み、口の中で少しずつ味が変わっていく。
 さらに、チーズ、葉菜が噛むたびに口の中で踊り、葉菜の水気がハンバーグでぎとぎとになった口の中をさわやかに洗い流していった。
 美味。
 ただそれだけの簡単な言葉がルイズの身体を満たした。

「お、お、お、お、おいしいわ……なにこれ、初めての味わう感覚……いろんな味が一度にとろとろしゃきしゃきって……」

 ルイズはハンバーガーを両手に掴んだまま、その身をくねらせる。
 それを眺めていた面々は、我先にと皿の上の具材へと殺到した。

「おいおい、そんな焦らなくても余るってくらいたくさん作ってあるぞ。しかしこれはうめえな。夕食のメインを飾れるぜ」

 席についてハンバーグを食べながら、マルトーはそんな彼らを笑って眺めた。
 マルトーはハンバーグの新しい味を、一口一口料理人としての感覚を研ぎ澄ませながら味わっていく。

 そんなマルトーは、不意に誰かに袖を引かれて横を振り向いた。
 そこにはいつの間に側に来ていたのか、タバサが立っていた。

「どしたー?」

「ハシバミ草。……ハンバーガーにする」

 タバサの左手には、食べかけのハンバーガーが握られていた。

「……ぷっ! がはははは! 嬢ちゃんは相変わらずあれが好きだな! よし、今すぐ用意してやる。明日の朝用に仕入れてあるんだ」

 そんなタバサとマルトーのやり取りの横で、使用人の一人が赤ワインの瓶をテーブルの上に運んできた。

 次々と瓶の栓が開けられ、グラスにワインがつがれる。やがて試食会は、酒宴へと変わっていく。

 才人と学院の住人達との初めての異文化交流は、こうして成功を収めたのだった。




ルイズ=姉、タバサ=妹、キュルケ=お母さん。そんな三人娘達。



[5425] 好きな焼気持ちその2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/31 07:52

「昨日のハンバーグは美味しかったわね」

「そうね。今度夕食にでも並べて欲しいわ。マルトーさんならきっと素敵な改良もしてくれるでしょう」

「ハシバミバーガーお昼に食べたい」

「ハンバーガーは手づかみで食べられるのが良いわね。ちょっとした遠乗りで食べるのによさそう」

「……ああ、俺の大好物をみんなに認めて貰えて嬉しいよ」

 口々にハンバーグの感想を言う四人娘に、才人は横を振り向きながらそう言った。
 そして、前へと向き直る。

「でも、この状況はどうなんだ!?」

 才人は目の前に広がる光景を見て、絶叫した。





□好きな焼気持ちその2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 才人の座るテーブルの前には、大量の小皿に載せられたサラダがあった。
 サラダはいずれも、細く千切りにされている。

「仕方が無いじゃない。『キャベツ』がどんな野菜か想像付かなかったんだから」

 そんな才人の愚痴に、ルイズがそう答えた。

 ルイズ、キュルケ、タバサ、モンモランシーの四人はサラダを一人で食べる才人の横で、パンをちぎりながらワインを嗜んでいる。

「翻訳されなかったってことはハルケギニアには無いってことだろ。諦めろよ」

「すぐに諦めたら人間堕落するわ」

 ルイズはそう言うと、才人の前に小皿を持ってくる。
 細かく千切りにされた葉菜がその上に載せられている。

「飯食った後にこの量は辛いんだが……」

「一皿一皿は一口分しか載ってないでしょう? あなたくらいの男の子なら余裕よ」

 ルイズに促され、才人は仕方なしに小皿に手を付け始める。
 才人が使うのはナイフとフォークではなく、夕食前に木材を削って作った『箸』だった。
 名前も解らない野菜の千切りを才人は口へと運ぶ。

「……違うな。しっとりしすぎだ」

「はい、じゃ次」

 ルイズが新しい皿を才人の前へ持ってくる。
 才人はためいき一つ付きながら、箸をのばしてそれを掴む。

「器用ねぇ」

「ああ、箸か? 日本ではナイフやフォークよりもずっ一般的な食器だよ」

「わたしの分も作って貰ったのは嬉しいんだけど全く動かせないわ」

 ルイズは懐から一組の木箸を取り出すと、才人の真似をしてペンを持つように箸を持つ。
 だが、いくら力を入れても二本の箸の間は開かない。

「日本の子供は文字を覚えるよりまず箸の使い方から学ぶからなー。慣れれば、切る、刺す、掴む、絡める、全部これ一つで出来るようになる」

「スープは飲めないわね」

「スープはお椀にいれて、お椀を左手で持って直接口を付けて飲むんだよ」

 才人は毎朝味噌汁を飲むときにそうしていたように、左手でお椀を掴んですするジェスチャーを取る。
 それを見たルイズは。

「ちょっと原始的ね」

「文化の違いって言ってくれ」

 そう言い返しながら才人は野菜の千切りを口へと運ぶ。
 一噛み二噛みと咀嚼して、これは違うと結論づける。この水気の多さはキャベツというよりはレタスだ。
 才人は次の皿を手元に持ってくる。

「そもそもこの中にキャベツに似た野菜があるかも解らないんだよな」

「他の野菜で代用できないのかしら」

「あの料理にキャベツ以外を使うなんて俺は聞いたこと無いぞ」

 そう言いながら才人は野菜を口にする。
 そして、首を振って皿を横に除ける。どうやらこれも違ったらしい。

 次の皿を目の前へと運ぶ。

「あ、それは……」

 ルイズはその皿の中身を見て、わずかに身を乗り出した。

「んんぎいー!? にがっ! にがっ!」

「ハシバミ草……慣れてないとすごい苦いから気を付けてって言おうと思ったんだけど……」

 咳き込みながら横に置かれたコップの水を一気飲みする才人。
 喉をさすりながら一息つくと、急に服の襟を引かれて才人は後ろに仰け反った。

「ハシバミ草、美味しかった?」

 いつの間に後ろに回り込んだのか、タバサが襟を掴みながら才人の顔を覗きこんでいた。

「え、う、いや、苦すぎてちょっと苦手かな……」

 タバサはその才人の感想を聞いて、眉をわずかにひそめ口を固く結んだ。

 彼女との付き合いはまだ浅いが、才人には何となくこの表情の意味するところが解る。『けっこう悲しい』だ。

「あ、でも、そうだな、この野菜、焼き肉とかのときにタレと一緒に焼いて食べたら俺もきっと美味しいと思うよ! ピーマンみたいな感じで!」

「そう」

 才人の言葉を聞き、タバサは襟を離して才人を解放する。
 そして、皿の上に残ったハシバミ草の千切りを手で掴むとそのまま口へと運び、咀嚼しながらキュルケ達の元へと戻っていった。

「……いまいち良く解らん子だなぁ」

「そこが可愛いのよ」

 自慢の親友を誇るようにルイズはそう言った。

 才人は頭の中でもう一度、ようわからんとつぶやくと、再び千切りサラダの山と格闘し始める。

 そんな才人の横から、ふと小さく声がかかった。

「あのう、ミスタ・ヒラガ、ミス・ヴァリエール」

 メイドの制服に身を包んだ、黒髪黄肌の少女だ。

「あらシエスタ。どうしたの?」

 ルイズがそう返事をした。

 才人は黒髪のメイドを見る。どうやらこの少女はシエスタという名前らしい。
 ルイズ達と行動を共にしていると、なかなか使用人達と知り合う機会がない。貴族と平民の地位の差というものだろうか。日常の行動範囲が違うのだろう。
 ルイズ達はまだ良いのだが、他の貴族達はどうも使用人達への扱いが悪い。
 明らかに下に見ているというのか、言い方は悪いが同じ人として見ている感じがしない。

 そんな貴族と平民の差で、ルイズがこのメイドの名を呼んだと言うことはそれなりに覚えのある仲なのだろうか。
 いや、ルイズならば学院に居る全ての人物の顔と名前を覚えてると言われても今更驚かないのだが。

「その、キャベツという野菜を探しているのですよね?」

「そうよ」

 才人を間において、シエスタとルイズは言葉を交わす。

「あのですね、間違っていたら申し訳ないのですが、わたしの故郷ではヤシェ玉を『ニセキャベツ』と呼ぶんです」

「本当? でもヤシェ玉なんて煮る野菜であって、生で食べるものではないわよ?」

「いえ、故郷ではよく、こうやって細切りにして塩を振って食べていました」

 シエスタの言葉に、ルイズは才人の方を向いた。

「よし、サイト、ヤシェ玉を食べるのよ」

「いや名前だけ言われてもどれだかわかんねーし」

「あ、はい、これですミスタ・ヒラガ」

 シエスタがまだたくさん残っている小皿の中から一つ選んで才人の前に置いた。

 才人は前に置かれた小皿の中身を両の目で見つめる。

 見た目。
 うん、それっぽい。
 色。
 うん、キャベツと同じ色だ。

 才人はそこまで確認した才人は、右手の箸でヤシェ玉の千切りをはさむと、そのまま口へと運んだ。

「……うん、これ、キャベツだ。キャベツの千切りだ!」

「本当! よおーっし!」

 ルイズは才人のその言葉を聞いて思わずガッツポーズを取った。ところどころで貴族らしからぬ行動を取る少女だ。
 そうしてルイズは横を振り向くと、ワインを飲んで談笑していたキュルケ達へと声をかける。

「さ、みんな材料が揃ったわよ。動いた動いた」

 ルイズの呼びかけに「はぁーい」とゆるんだ返事をキュルケとモンモランシーは返し、グラスを置いて立ち上がる。
 昨日に引き続いて十人ほど集まっていた使用人達も、洗い終わった調理器具の置いてある台へと向かう。

 皆が動く中、食べ終わった野菜の皿を片付ける才人にルイズは話しかける。

「でも何でヤシェ玉がニセキャベツなのかしら。初めからヤシェ玉って翻訳されていても良さそうなのに」

「だって、キャベツじゃなくてニセキャベツなんだろう?」

「ニセって何よ」

「え、ニセはニセだろう……って、翻訳されてないのか。ニセは日本語で偽物とか似たような物って言う意味だよ。つまり偽物のキャベツ」

「……待って、なんで日本語の名前がシエスタの故郷の方言になってるの?」

「ん……え、あれ?」

 ルイズは芋の入ったカゴを運ぶシエスタを両目で見据える。

「今度、シエスタの故郷について詳しく聞いた方が良いかもしれないわね」





 昨夜のハンバーグの時と同じようにして、貴族と平民が混ざり才人の指示で料理を作っていく。

 まず用意されたのは、パンを焼くのに使う小麦粉だ。
 それを台の上に載せられた鍋の中に入れる。

「そして、小麦粉の半分くらいの量の水を入れる。入れたらダマにならないようによくかき混ぜる」

 才人の指示に従いタバサが鍋の中に水を入れ、モンモランシーがそれをかき混ぜる。
 同じようにルイズとキュルケも二人で仲良く鍋の中をかき混ぜていた。

 その横では、シエスタが袖をまくり、皮をむいたべたべた芋をおろしがねですり下ろしている。

 他の面々、マルトーは自慢の鉈包丁でキャベツを大きくみじん切りにし、深い皿へと載せていく。
 他の使用人は賄い用に余らせた豚肉を氷倉庫の中から取りだして、ナイフで細切れになるよう肉片をそぎ落としていく。

「そして混ざったら……って、ロングビルさんそんなに身を乗り出さなくても全部説明しますよ。また学院長に言われて来たんですか」

「いえ、ちょっと個人的興味が……」

 そんなやり取りをしつつ、小麦粉と水が混ぜおわる。
 シエスタ達メイドもべたべた芋をすりおわったようだ。かゆそうに指先を爪でかいている。

「本当は小麦粉と水の状態で時間をおくといいらしいけど、時間がないので省略しよう。俺も家でそれやったことないし」

 才人は台におかれた鶏卵を手に取り説明を続ける。

「山芋……べたべた芋だっけ? それと卵を小麦粉水の中に入れてかき混ぜる。鍋一つに卵は一個でいいかな?」

 その才人の指示に従って、鍋の中にすり下ろしたべたべた芋が入れられる。
 べたべた芋はどうやら山芋と似通った芋の一種のようだが、その形は山芋とは違いジャガイモのように丸く小さい。
 これならば入れすぎということは無いだろう。

 芋と卵を入れ終わり、キュルケとモンモランシーはそれを混ぜ始める。小麦粉を水に溶かすのとは違い、それらは綺麗に混ざり鍋の中の色が少しずつ変わっていく。

「次は肉とキャベツを混ぜれば用意は終わり……マルトーさん、そっち終わりました?」

「おう、今持ってく!」

 深皿の中に山盛りになったキャベツと、その半分もない細切れの豚肉が台へと運ばれる。
 そして、鍋の中にキャベツと肉が入れられ、それをまたかき混ぜる。

「む、急に混ぜるのが難しくなったわね」

 お玉を使い鍋をかき混ぜていたモンモランシーが険しい顔でそう言った。

「ああ、そういうときはそこからすくうようにして混ぜるんだ。もう溶かすんじゃなくて均等になるように混ぜるだけだから、そんなに力はいらない」

「ああ、なるほど。こういう感じね」

 才人の言葉を聞いてようやくスムーズに手を動かせるようになるモンモランシー。

 一方隣のキュルケは初めから余裕そうな顔で鍋の中を混ぜていた。キュルケは料理が得意であった。

「それでタネは完成。本当は油を薄く塗った鉄板をみんなで囲んで焼くんだけど……さすがに鉄板なんて無いだろうからフライパンだな」

「焼くからオコノミ焼きなのね」

 鍋の中を混ぜ終えたキュルケが腰から抜いた杖を軽く振り、杖の先に小さな火を灯した。

「でも、『オコノミ』って何かしら? この鍋の中の物が『オコノミ』?」

 鍋の中を興味深そうに眺めていたルイズがそう才人に質問する。

「オコノミはえーと、お好み。好きな物を入れて焼くって意味かな?」

「『お好み焼き』ね。日本の固有名詞を使うときはもう少し意味を思い浮かべながら言ってね、サイト」

 包帯の巻かれた才人の左手に触れながらそうルイズが言った。
 そしてモンモランシーが鍋を混ぜる様子を横で見ていたタバサも才人に言葉をかける。

「好きなものなら何でも?」

「いや、一応いくつか入れる候補があって、肉の他には……海老とか、チーズとか、餅とかだな」

「モチ?」

「えーあー、そうか、餅は確かにハルケギニアになさそうだな。米はあるよな?」

「ある」

「米の中でも特にべたべたもちもちしたやつを炊いて、熱いうちにそれを叩いて潰してこねるんだ。すると米が固まって餅になる」

 そう会話を続ける横で、モンモランシーもようやく鍋をかき混ぜる手を止めた。



[5425] 好きな焼気持ちその3
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2008/12/31 13:16

□好きな焼気持ちその3~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





「俺も駆け出しの料理人だった頃は貧乏で、良く水に溶いた小麦粉を焼いてそれを食べてたもんだなぁ」

 マルトーがへらでフライパンの上のお好み焼きをひっくり返しながらそう独りごちた。

「野菜を入れていたらお好み焼きに似たものが出来ていたかもしれませんね」

 その横でそれを見ていた才人がマルトーに声を返す。

「入れていたとしてもこうやって細かく刻んで混ぜるってことは思いつかなかったと思うぜ。あのころは馬鹿だったからな」

「それが今は料理長ですか。頑張ったんですね」

「がはは、そう褒めるな恥ずかしい」

 才人の言葉に笑いを返すマルトー。才人と話しながらもフライパンから目は離さない。

 そのマルトーの横では、同じようにフライパンとへらをもったキュルケが、お好み焼きを華麗にひっくり返していた。

「料理上手いなぁ、キュルケ。ちょっと意外だ」

「そう? ま、わたしもここまで上達するのにいろいろあったのよ」

 木のへらでお好み焼きの表面を軽く叩きながらキュルケがそう言った。

「……もしかしてルイズ関連だったりする?」

「鋭いわね。子供の頃にちょっとあの子と一悶着あったのよ」

「何やってんだかなぁ、俺のご主人様は」

「ま、結果的に趣味が一つ増えてわたしは良かったと思っているけどね」

 そう言葉を交わすキュルケと才人を横目に、マルトーはさらにお好み焼きをひっくり返した。

「あ、マルトーさんそれくらいで良いです」

「おう、そうか。火通るの早ぇなあ」

「本来はお店でお客が自分で焼きながら作って食べるものですからね。大火力でさっと焼いても中の肉までしっかり火が通ります」

 マルトーは大皿に焼き上がったお好み焼きを載せる。
 そして油の付いた布でフライパンの上をこすると、お好み焼きのタネをお玉でフライパンへと再び流す。

 才人は大皿に盛られたお好み焼きに、ケーキを切り分けるために使うナイフで切れ目をいれ、小皿に小分けにしていく。

 キュルケもお好み焼きを焼き終わり、へらで直接お好み焼きを切り分けると、そのまま小皿へと載せていった。

 その小皿をメイド達がテーブルへと運んでいく。
 いつの間にか様子を見に来た使用人の数が増えていた。





 テーブルを囲むようにお好み焼きが載せられた小皿が並び、テーブルの中心にはお好み焼きが積まれた大皿。
 量は多いが、容積のほとんどは小麦粉と水とヤシェ玉。
 夜の戯れとして作るにはほどよい価格の食材群であった。

 テーブルの前に座った貴族の少女達と使用人達。
 彼女達に促されるように、才人は胸の前で手を合わせ。

「いただきます」

 と言った。

「サイトのそれ、面白いわよねぇ。誰に言っているの? ニッポンの神様?」

 そうルイズがナイフで小皿のお好み焼きを切りながら才人に尋ねた。

「俺は無宗教だよ。そうだな、多分、料理を作ってくれた人と料理の材料を作ってくれた農家の人に言っているんだ」

「ニッポン人は道徳心が高いのかしら」

 そうルイズは言いながら、フォークでお好み焼きを口へと運ぶ。

 できたての熱さにはふはふと息を吐きながら咀嚼する。

 美味しい。熱々の生地のほのかな甘みに、とろけるような肉の味。美味しい、美味しいのだが。

「何か物足りないわね」

 そうルイズは言った。

「休日の町の屋台で売っていそうな味ね」

 とキュルケも続く。

「野菜入りのミートパイみたいね。品のない舌触りだけど」

 とモンモランシー。

「薄味」

 とタバサ。

「そうですか? 美味しいと思いますけど」

 とロングビル。

 その微妙な評価に、才人はしまった、と叫んだ。

「大切なのを忘れてた! この上に、ソースとマヨネーズと鰹節と青のりをかけるんだよ」

 思わぬ失態に、才人は頭を抱えた。
 そして、その才人の叫びに聞き慣れぬ単語を耳にしたキュルケは疑問を投げかける。

「マヨネーズ? 鰹節? アオノリ? それもニッポンの料理?」

「マヨネーズはハルケギニアにもあるわよ、キュルケ」

 そう才人ではなくルイズが答えた。

「あらそうなの? 聞いたことがないけれど」

「ガリアの地方のソース」

 そうガリア出身のタバサが追加で答えた。

「トリステインには輸入されていないわね。マルトーおじさまなら知っていそうな物だけれど……あれ、マルトーおじさまは?」

 マルトーに話を振ろうとしたルイズだが、テーブルに彼がいないことに気付き辺りを見渡した。
 すると。

「おーう、嬢ちゃん達、食うのはまだはえーぞ! このソースを使いな!」

 マルトーが鍋を両手で抱えて厨房の奥から歩いてきた。

「賄い用に作ってるソースだ。きっとそれに合うぜ」

「よくソースが必要って解りましたね」

 マルトーの準備の良さに、才人は驚いて彼に訊ねた。
 まさか料理人の勘というやつだろうか。

「いや、焼いている途中にちょっと食べてみて、これはソースがいるだろうってな」

「つまみ食いはずるいっすよ料理長ー」

「そうですよー」

 マルトーの告白に、使用人達が口々に文句を言い出す。

「がはははは、良いじゃねーか。こうしてソースを用意できたんだ、どうせお前達も物足りなかっただろう」

 そう言いながらマルトーはお玉でソースをすくい、皆の小皿のお好み焼きの上にソースを薄くたらしていった。
 ルイズはお好み焼きの上に載せられたソースをナイフの先につけると、それをなめてみた。
 甘みと酸味の混じった独特の味がする。食べた覚えのない味だった。

「おじさま、このソースはどうやって作ったの?」

「おう、料理に使わない野菜や果物の切れ端を煮込んで、塩と酢と砂糖を混ぜたものだな。嬢ちゃん達の食事に出したことはないぜ。昔、これ作って上司に見せてみたら、客に残飯から作った料理を食わせる気かって怒られてなぁ。自信作だから賄いには出してるけどな」

「美味しいですよねー、マルトーソース」

 マルトーの言葉に、シエスタがナイフでお好み焼きを切りながらそうソースの感想を述べた。
 シエスタに追従するように、使用人達もうんうんと頷く。学院の平民達には人気のソースなのだろう。

 ソースを配り終えたマルトーに、ルイズはさらに訊ねる。

「マルトーおじさま、マヨネーズの作り方は知っているかしら? お好み焼きにかけると良いそうだけど」

「おー、マヨネーズか。作れるぜ。でも、今から作り始めたんじゃ料理が冷めちまうな」

「鰹節とアオノリは知ってます?」

「そっちは聞いたことねえなぁ。鰹ってあの魚の鰹か?」

「どうなの、サイト?」

 マルトーの言葉を受けて、ルイズは才人へと話題を振る。
 才人は記憶を巡らせて、鰹節はどんなものだったかと記憶を巡らせる。

「ええと……魚の鰹をカチカチになるまで干して、紙みたいに薄く削った物、かな? ごめんあまり知らない。でも、出汁とかが一杯出るスーパー調味料だ」

「ほう、面白そうだな。今度鰹が入ったら試してみるか」

 マルトーは才人の言葉に、目を輝かせた。

 ソースがかけられたお好み焼きを前に、改めてルイズ達はナイフとフォークを握る。
 そして冷めないうちにと、皆お好み焼きを口にする。
 すると。

「あら?」

「……一気に美味しくなったわね」

「うん」

 先ほどとはうってかわって、皆美味しいと絶賛する。

「ソースで味を引き立たせる類の料理だったのね」

「ソースを足しただけでこれだけ美味しいなら、マヨネーズと鰹節が追加されたらどれだけ美味しいのかしら?」

「もごもご……」

 三人娘達は小皿の上のお好み焼きをぺろりとたいあげ、さらに大皿に積まれたお好み焼きを小皿へと仲良く取り分ける。
 ちなみにロングビルはまた感涙極まった様子で一口一口噛みしめながら食べていた。

「確かに美味しいけれど、見た目が汚いから貴族の食卓に並べるのはちょっと無いわね」

 一方、モンモランシーはそう感想を述べた。

「そうだなぁ。これを奇麗に焼き上げるのは俺でもさすがに無理そうだ。材料も安いから賄い行きだな」

「ひぃふふぃ」

「タバサ、口の中に物を入れながら喋るのはやめなさい。行儀悪いわよ」

 キュルケが苦笑しながらお好み焼きを口いっぱいに入れながら話そうとするタバサを注意する。
 しかられたタバサはしばし咀嚼を続け、口の中のものを飲み込むと、改めて言葉を放った。

「ずるい。平民だけこれ食べるの」

「がはははは、残念だったなぁ。実は賄には食卓には出してない俺の創作料理を一杯出してるのよ。貴族は料理の材料だけで文句を言うやつらが多いからな、端材を美味しく処理してるんだよ俺らは」

「ずるい」

 そうして料理長特製マルトーソースの力により、大皿のお好み焼きはあっさりと無くなったのであった。





 食事を終えたルイズ達は、食器を片付けると才人を囲んで日本の料理についての話を聞く。

「日本の料理に欠かせないのは、やっぱり醤油と味噌だな。大豆から作る調味料なんだ」

「大豆から調味料ねぇ……」

「やっぱりハルケギニアにはないのかー。はあ、味噌汁が恋しい……」

 そう言って遠くを眺める才人。
 そんな中、使用人の一人が控えめに手を上げた。

「あの、わたしの故郷のタルブ村に、大豆から作るショユとミソがあるんですけれど……」

「ええっ!? すげえ! タルブすげえ! どうなってんの!?」

「本気でシエスタには話を聞かないといけなさそうね……」

 両手を上げて喜ぶ才人に、頭を抱えて考え込むルイズ。
 そんな二人の様子を何のことやらと思いながら、モンモランシーが才人に尋ねた。

「ミスタ・ヒラガは他にどんな料理を知っているのかしら? ハンバーグやお好み焼きのような実際に作れそうなもので」

「俺、そんなに料理とかしないからなぁ……あんまり母さんの手伝いもしてなかったし」

 才人は腕を組みながらどんな料理を作れただろうと記憶を掘り返す。

 目玉焼き、卵焼き。いや、卵があるならそれくらいハルケギニアにもあるだろう。
 カレー。いや、カレールーなんてどうやって手に入れるんだ。
 昔体験学習で打った蕎麦。いやいや蕎麦の実なんてこんなところに存在するのか。

 そうして悩み続けた後、ふと才人はある料理を思い出した。

「コロッケって料理の作り方を歌詞にした歌があるんだ。実際に作ったことはないんだけど」

「へえ、どんなの? 歌ってみて」

 ルイズに促され、才人は使用人達の前で一人歌い始めた。
 ハルケギニア共用語に訳されたその歌は、おおよそ次のようにルイズ達に聞こえてきた。


 厨房に入りじゃがいもを用意する。

 じゃがいもをゆでたら皮をむき、押し潰す。

 玉葱を包丁でみじん切りにする。なお涙目になっても我慢すること。

 塩と胡椒と振ったミンチをフライパンで炒める。

 じゃがいも、玉葱、炒めたミンチを混ぜそれらを握って丸くする。

 それの表面に小麦粉、溶き卵、パン粉を順につけていく。

 熱した油でそれを揚げれば『コロッケ』の完成。

 キテレツ外人。


「……誰?」

「ああ、しまった! マサルさんが混じった!」

 才人が最後に言った言葉。
 それは才人が良く読んでいた漫画雑誌のギャグ漫画『すごいよ!!マサルさん』に出てきた替え歌ネタだった。

 ちなみに才人が歌った歌、キテレツ大百科のオープニング曲『お料理行進曲』の第一番は、ハルケギニアの言葉に訳され全く韻を踏んでいなかったため、才人は厨房にいる皆に音痴と思われたのであった。



□好きな焼気持ち 完□


タイトルでラブコメ展開を期待した人はごめんなさい。



[5425] 正しき少年の日々その1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/01 00:11

 魔女二人は薄暗い室内で釜をかき混ぜる。

 魔女とは学院に名だたる『魔女』のルイズ。そして数多くの禁制の秘薬の作り方を知る『香水』のモンモランシーであった。

 二人はやがて完成した魔女の秘薬を前に、笑みを浮かべた。

「これが精霊の涙を使った幻の薬……」

「ええ、文献を調べに調べてようやく見つけた、先住の力を得た禁断の秘薬よ」

「ばれたら大事ね」

「ばれなければいいのよ。でも、水の精霊の加護を得た秘薬。効果は保証付きよ」

 三角フラスコへと入れられた空色に輝く薬。それをモンモランシーとルイズはうっとりとした目で見つめた。
 そして、ルイズは棚からコップを一つ取り出し、水差しでそこに水をそそぐ。
 モンモランシーはそのコップへとフラスコの中身を傾ける。

「少しだけね。一度に全てを使う必要は無いわ。少しずつ使えば良いのよ」

「解ってるわ」

 ルイズとモンモランシーはそう言葉を交わし、淡い水色となったコップの水を前に黙り込む。
 夜の沈黙が二人を包む。

 やがて、二人の魔女のうちの一人がぽつりと呟いた。

「どっちが先に飲む?」

 そして二人同時に顔を上げ、視線をかわした。

「チェスで決めるのはどうかしら?」

「ルイズにわたしが勝てるわけ無いでしょう! くじで決めましょう」

「くじね。紙くじでいいかしら」

「もうちょっとおしゃれなのはないの?」

「この部屋を見渡してからそれを言って欲しいわ」

 そう言いながらルイズは紙を用意しようと席を立とうとする。
 そのとき、突然部屋の扉が開いた。

「ふぃー、良い湯だった。異世界に来てまで風呂に入れるとは思わなかったなー」

 はたして誰に言っているのか、そんなことを呟きながら才人が入ってくる。
 ここは寮のルイズの自室。そしてそこに住む才人は、ノックをするというデリカシーが無かった。

 突然の来訪者に、二人は心臓が跳ね上がりそうになる。
 だがそれがトリステインの秘薬法など知らない才人だと解り、ほっと胸をなでおろす。

「あ、モンランシー来てたのか」

 誰がモンランシーよ、と言おうとしたモンモランシーだが、言葉が詰まり声を出せなかった。
 才人が机の上の秘薬が入った水を手に取ったからだ。


「ちょっと汗かいたから水もらうなー」

 才人は手に掴んだコップを一気にあおった。





□正しき少年の日々その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 モンモランシーは、目の前の光景に絶句してしまった。
 なぜだ。なぜこんなことに。

「なんで……」

 身体の底から振り絞るようにして、彼女は声をなんとかあげた。

「なんで豊胸剤で身体がちっちゃくなるのよ!」

 秘薬を飲み込んだ才人は、モンモランシーの腰ほどの大きさの幼子に変わっていた。

 なぜこんなことになったのだろう。
 始まりは、家のつてで最高級の秘薬の素材、『精霊の涙』を手に入れたことだった。
 秘薬作りを生業とするものにとっては、究極の調合材料。
 これをいかなる用途に使うか。モンモランシーは『賢者』のルイズを頼った。
 珍しい材料を見て目を輝かせるルイズ。そして導き出した答えは、水の精霊の力を借りた『豊胸剤』であった。
 毎日少しずつ飲むことで、誰にも悟られることなく胸を大きくする。そのはずだった。
 それが、どういうことか、一人の少年を幼児へと変えてしまった。

「って、何で服まで小っちゃくなってるのよ!」

 モンモランシーは絶叫する。

「それは……その、精霊の力じゃないかしら」

 そう曖昧にルイズは答える。

「何でもかんでも精霊の力って、小説じゃないんだから!」

「でも、先住魔法には『変身』なんて凄いものがあるし、人体も服も結局は土に帰る似たようなものだし、それに服の素材は動物の毛に綿花に虫の糸よ?」

「う、まあ、それは良いとして、豊胸剤がこんなことに……」

 モンモランシーはフラスコにまだ大量に残った秘薬を眺める。
 これは胸を大きくするための薬。間違っても美貌を保つための若返りの薬ではないのだ。

「ほら、男の人の胸が大きくなるのっておかしいでしょう。文献には女性が飲んだ場合の効果しか書かれていなかったし。だから効果が反転して、身体が小さくなったとかじゃないかしら」

「そんな無茶苦茶な……」

 あまりの事態にめまいのする頭を抑えながら、モンモランシーは小さくなった才人を見る。
 少年の才人と同じような、つんつんした黒髪。
 独特の黄色い肌は日焼けがなくなりわずかに薄くなっている。
 そして、大きな瞳をくりくり動かしながら、周囲を見渡している。
 彼も状況を掴めていないのだろうか。

 とりあえず話しかけてみよう。そう思った瞬間、部屋にノックの音が響いた。

「ミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 麗しきミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!」

 続けて風邪を引いたようながらがら声が部屋に響く。
 ルイズの愛の奴隷、マリコルヌである。

 突然の来訪者に、モンモランシーは慌てふためく。

「ど、どうしましょうルイズ!」

「……慌てないでモンモランシー。部屋の外で話を聞いてくるわ。大丈夫、部屋には一歩もいれさせないから」

 そう言ってルイズは部屋の扉へと歩いていく。
 そして扉を開けると、入り口を塞ぐようにして立つ。

「なんの用?」

「おお、ルルララヴァリエール今日も霜降りのガリア牛の様に美しい」

「な・ん・の・よ・う?」

「うむ、それなんだがね」

 マリコルヌはポケットから布きれを取り出した。

「サイトが浴場に手袋を忘れていってね」

 サイトのやつ、外すなって言ったのに。そうルイズは心の中で舌打ちをした。

「だから僕がはるばるこうやって君の部屋まで訪れたということさ」

 手袋を用があったのは本来サイトに対してなのだが、そこでルイズを呼ぶのがマリコルヌのマリコルヌたるゆえんであった。

「そう、ありがとう。帰って良いわよ。というか帰りなさい」

「そうしよう。……おや、ルイズ。その子は一体」

「その子って、え、あ、こら!」

 ルイズの後ろにはいつの間にか小さくなった才人が来ており、ルイズの身体の隙間から部屋の外へ頭を出していた。
 才人はきょろきょろ頭を動かし廊下を眺める。

「ど、どうしたんだい。その子は。どことなくサイトに似ているけれど……は、まさかサイトと種付けして子供を!」

「んなわけあるか!」

 ルイズはマリコルヌの言葉に、全力で足払いをかけた。

 廊下の上に豪快にマリコルヌが倒れ落ちた。

 だが彼はその傷みにも負けずにさらに言葉を続ける。

「じゃ、じゃあもしや麗しきミス・フォンティーヌが妊娠出産した子供を預かって……」

「それも違う! というかこの前までちいねえさま学院にいたでしょ!」

 ルイズが倒れるマリコルヌの頭の上で腕を大きく振るうと、マリコルヌの背後で爆発が起き、彼は廊下の上を二転三転と転がる。
 その様子を眺めていた小さな才人。
 マリコルヌの必死な表情を見て、才人は笑い出した。

「あははははは、るいずおねーちゃんあのぶたさんおもしろーい」

「おねっ……!」

「ああ少年そんな可愛い顔で罵声を浴びせるのはやめて! 僕そっちのケはないから! 目覚めちゃう!」

「ってあほか!」

 さらにルイズはマリコルヌに爆発の魔法を浴びせた。
 床板が衝撃でわずかにはがれ、埃が廊下にまき散らされる。
 背の小さな才人は、その舞い上がった埃をまともに顔に浴びてしまった。

「えっくち!」

 埃を鼻に吸い込んでしまい、可愛らしい仕草で才人はくしゃみをする。

 その次の瞬間、マリコルヌは小さくなった。





 部屋へと戻ったルイズ。
 いつの間にやら子供は一人から二人へと増えていた。

「……これ、マリコルヌかしら。風上の」

 部屋の奥で一人待っていたモンモランシーは、ルイズが入り口から連れてきた金髪青目の幼児を見てそう言った。

「感染った……」

 先ほどモンモランシーがそうしていたように、ルイズは頭を抱えてうめいた。
 風上のマリコルヌ。良く言うとぽっちゃり、悪く言うとデブの彼は、水の精霊の加護か何かか、余計な脂肪が取り払われた状態で幼児へと変わっていた。

 顔の脂肪で薄目がちになっていた目はぱっちりと開き、柔らかそうなもちもちの肌はそのままにぱわわんとした顔をルイズに向けていた。

「マリコルヌって痩せたらこんなに可愛かったのね……」

 そんなマリコルヌの幼い顔を見て、モンモランシーは素直な意見を述べた。

「あのね、わたし昔何回かマリコルヌに会ったことあるの。家の付き合いでね」

 マリコルヌの頬を突っつきながらルイズは言った。

「その頃のマリコルヌはちゃんと痩せていて……ああ、これよりは少し大きな歳の頃よ。普通に美形で使用人達の人気も高かったの」

「それが何であんな豚に」

 本人を前にしてマリコルヌを豚と呼ぶモンモランシー。ルイズに感化されていた。

「そこまでは知らないわよ。まあ下手に美形なのよりは太っていた方が殴りやすくて良いんだけど」

 そう虐待前途で話すルイズ。
 彼女は既にマリコルヌに対し悪い意味で遠慮というものがなかった。

 秘薬の被害者がまた増えたか、と改めて頭を悩ませる二人だったが、またもや部屋にノックの音が響いた。

「ああもう! 今度は何!?」

 先ほどとは違いルイズを待たずして部屋の扉が開く。
 あまりの事態に動転して鍵を閉め忘れたのだ。

 部屋の主の歓迎を待たずに部屋へ足を踏み入れたのは、大きな杖を片手に抱えたタバサであった。

「薬。もう出来てると思って」

 共犯者の一人の登場である。
 実はタバサも秘薬作りに一枚かんでおり、入手が困難な高所の薬草を使い魔のシルフィードに乗って調達を行っていた。
 調合は今夜実行。それを聞いていたタバサは、こうやってルイズの部屋までやってきたのだ。

 だが、タバサは、部屋に見知らぬ二人の子供がいるのを見て警戒を深めた。
 この場にはルイズとモンモランシーの二人しかいないはずだ。才人も調合の間は外に追い出すと言っていた。

 タバサは杖を構えたままルイズ達の元へと歩いていく。
 そして、ルイズのマントを掴んできょろきょろと辺りを見渡している金髪の男の子の顔を覗きこんだ。

「……可愛い」

 タバサの反応は、素直なものだった。
 タバサは杖を脇へと抱え、金髪の男の子の肩を両手で抱きかかえる。

「持ち帰っていい?」

「駄目だから! それマリコルヌだから!」

 マリコルヌ、と聞いた瞬間タバサは腕の中の男の子を全力で突き飛ばした。
 軽い幼児の身体は力の弱いタバサの突き飛ばしすらもこらえることが出来ず、部屋の床板の上を転がっていった。

 マリコルヌは一瞬何が起きたか理解できず仰向けになりながらぽかんとした表情を浮かべる。
 そして。

「びぃえええええええええぇぇぇぇん!」

 肩と背中の痛みに、泣き出してしまう。

「あ……」

 タバサは咄嗟にとってしまった行動に、しまったと眉をひそめた。
 いくらマリコルヌでも子供相手にやりすぎた。

 泣き続けるマリコルヌに、同じくらい小さな才人がかけよっていき、よしよしと頭を撫でた。
 腹の底から鳴き声を上げていたマリコルヌは、才人の介抱の手にやがて泣き声を止めるマリコルヌ。
 そして、むっくりと上半身を起こすと、涙目でタバサの方を見つめる。

「ひどいやたばさおねえちゃん……」

 目を潤ませながら涙声でマリコルヌはそう言った。
 それを聞いたタバサは、ルイズとモンモランシーの方へと振り返る。

「……持ち帰っていい?」

「いや駄目だから!」



[5425] 正しき少年の日々その2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/01 01:45

「さて、どうしたものか」

 幼児へと変わった男の子二人を眺めながらルイズはそう言った。
 秘薬の力により幼くなった二人は、床に寝転がり炭で紙に絵を描いて遊んでいる。

「わたしは無関係」

 窓の外を眺めながらタバサはそう言った。

「そうは行かないわよ。わたしたちは同罪よ。ミスタ・ヒラガにだってわざと飲ませたんじゃないんだから」

「無関係」

 頑固に意見を曲げないタバサの姿勢に、少しでも多く共犯者を増やし気を軽くしようとしていたモンモランシーはため息をつき引き下がった。
 ことがばれたら無関係などきっと突き通せない、そういう考えを秘めながらだが。

 とりあえずルイズと二人だけでも今後どうするか考えよう。そうモンモランシーが思ったときのことだ。

「おねーちゃーん」

 床の上の小さなマリコリヌが、ルイズ達の方を向いて呼びかけた。
 名前を呼ばずお姉ちゃんとだけ呼んだため、三人の少女達は一斉に振り向いた。

「おしっこー」

「んまっ!」

 あけすけのないマリコルヌの言葉に、モンモランシーは思わず声をあげた。
 貴族がそんなはしたない。
 そう思って口に手を当てていると、横にいたタバサが動いた。

「連れてく」

「まちなさーい、タバサ!」

 ルイズが立ち上がってタバサへと詰め寄り両手で肩を押さえる。

「ねえタバサ、まさかよこしまな考えはないわよね? 純粋にトイレに連れて行ってあげようと思っただけよね? ね? ね?」

 真っ直ぐタバサの眼鏡の奥の瞳を見つめながら言うルイズ。

 そんなルイズの視線に、タバサはわずかに眉をひそめながら横へと向く。

「あ、タバサ、今舌打ちしたわね? 小さく聞こえたわよチッって!」

「…………」

 そんな視線のやり取りをするルイズとタバサの横。

「おしっこー……」

 マリコルヌが身体をもじもじさせていた。
 そんな様子を見ていた小さな才人は、立ち上がってマリコルヌの手を握った。

「よし、おれがいっしょについていってやるよ!」

 幼い才人は面倒見の良いガキ大将だった。





□正しき少年の日々その2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 トイレの前で貧乳三人娘が立ち言葉を交わす。

「本当にどうするのよ、ルイズ。あなたの使い魔はともかく、マリコルヌはあれでも貴族なんだから、隠しきれないわよ」

 そうルイズにすがるように詰め寄るモンモランシー。
 対するルイズは、腕を組んだままずっと頭を巡らしていた。

「……そうね、隠すのは無理ね。素直に学院長のところに行きましょうか」

「ええっ!?」

 やがて出たルイズの答えに、モンモランシーは驚きの声をあげた。

「い、いつも見たいに誤魔化すとか丸め込むとかうやむやにするとかしないの……?」

「被害者が居る以上、無理ね。でもわたし達は罪には問われない。無罪」

「そうなの?」

 無罪と聞いて、タバサもルイズへと問いかける。

「トリステインでは豊胸の秘薬は作るのが禁止されている訳じゃなくて、飲むのが禁止されているのよ。偽乳などけしからんって暴走した王室の馬鹿が昔制定した国法なの。で、わたし達は飲んでいない。そして飲んだサイトはそもそも豊胸効果が現れていない。どこにも罪はない」

「マリコルヌの生家への説明はどうするのよ。秘薬の効果を考えるなら、時間切れなんてありえないわよ」

「おたくのお子さんが痩せました。すごいでしょう。育て直してみませんか……じゃだめ?」

「だめに決まってるじゃない!」

 適当に言うルイズに、モンモランシーが突っ込みを入れる。
 それを受けて、ルイズは真面目に考え始める。

「それなりに素直に答えてみましょう。わたし達は珍しい秘薬の材料を見つけて実験をしていた。そこへ、夜の女性の部屋にマリコルヌが訊ねてきた。驚いたわたし達は調合に失敗。そうしたらあら不思議」

「あら不思議、が本当に不思議すぎるわね」

「まあ本気でやばくなったらアカデミーの知り合い総動員してどうにかするわよ」

 そう話し合っていると、トイレの中からマリコルヌと才人が出てきた。

「すっきりー」

「ちゃんとてあらったよーえらいー?」

「はいはいえらいえらい」

 ルイズは才人の頭を撫でてあげると、学院長室へ向かうため寮を後にした。





 寮を出て本塔へと向かう間の広場。
 ルイズが先頭を歩いていると、ふと広場の片隅に大きな穴が空いているのが見えた。

 何だろうとそれを覗きこむルイズ。

「……何やってるのよギーシュ」

「おやルイズ、孤独なモグラさんに何か用かい?」

「ウザい。キモい。で、そんな穴ぐらで何やってるのよギーシュ」

 ギーシュの返答を切り捨て、さらにルイズは穴の中でマントを土まみれに汚すギーシュへと問いかけた。
 それに対しギーシュは、ぎゅっと膝を抱えて縮こまると、自らに語りかけるように話し始めた。

「僕はモールだからね。情けない、しがない、惨めなモールだからね」

「だ、か、ら、何やってるのよギーシュ」

 ルイズの三度目の問いかけ。
 ギーシュはようやく身を起こした。

「うむ、それなんだがね、ルイズ。僕は恥ずかしいんだ、この前しでかしてしまったことが。だからこうして一人でモールのように反省しているんだ」

「反省? この前の決闘のこと?」

「いや、違うよ。そっちじゃない。その前、二人のレディに失礼なことをしてしまった。それが恥ずかしいんだ」

「……あー、あの二股」

「二股、そうか、やはり二股に見えるかい。でもね、僕はそんなつもりじゃなかったんだ。ケティを遠乗りに誘ったのは紳士として彼女を楽しませてあげようとしただけ。僕はずっとモンモランシーのことを愛していたんだよ」

「それ、本当?」

「そうさ! ずっと僕は彼女を愛していた! 香水を渡された時なんて、まるで駆け出したい気分だったよ! それがなんだ? 見栄を張るためだけにその香水は僕のじゃない? ああ恥ずかしい! 恥ずかしい!」

 そういって再び穴の中で丸まるギーシュ。
 ルイズは、それを見下ろしながら言った。

「そう、良かったわねモンモランシー」

「へ?」

 急に振り返ったルイズ。その向こう。
 小さな男の子の手を握った愛しき人、モンモランシーの姿があった。

「ももももももももんもらんしぃー!?」

「ギーシュ……」

 突然の来訪者に驚くギーシュ。
 そして、モンモランシーは目を潤ませてギーシュと向かい合う。

「ギーシュ、あなた……」

「モンモランシー……」

「わたしの誤解だったのね。こんなにもわたしのことを思ってくれていただなんて。わたし、わたし――」

「えっくち」

 小さな才人は夜風に当たり湯冷めをしていた。





 子供が、三人に増えた。

「どうするのよこれー! ルイズー!」

「どうやらくしゃみをすると男の人に感染するようね……」

 二人で同時に頭を抱えるモンモランシーとルイズ。
 その横では新たに増えた幼児を前にタバサは氷の魔法を見せて遊んでいた。

 もしかしてこれは本格的に危ない感染症なのではないか。
 そう考え始めたルイズの後ろから、突然声がかかった。

「ミス・ヴァリエール! また広間に大穴なんてあけて何をしようというのですか!」

 風呂上がりのほてった赤い顔で、学院長秘書のロングビルが怒声を上げた。
 元貴族の平民であるロングビルだが、彼女は特別に貴族用の風呂に入ることを許されていた。学院長の秘書として貴族に接することの多いロングビル。身だしなみは貴族と同等に整える必要があったのだ。

 彼女は風呂上がりに職員用の寮へと戻ろうと思った矢先、少女の叫び声を聞いて広場へとやってきたのだ。
 そして見えたのは、謎の大穴とルイズの姿。
 また面倒事かと風呂上がりの頭に血を上らせた。

 沸騰しかけた頭。だが、ルイズの傍らに見慣れぬ子供がいるのを見て、一気に頭は冷めていった。

「ミス・ヴァリエール……」

「は、はい。これから学院長室に説明しに行こうかと思っていたところです」

「ミス・ヴァリエール、この子達……故郷のアルビオンに連れて帰って育ててもいいですか?」

「駄目ー! 駄目ですよそれー!?」

 膝をつき三人の幼児達を両手で抱えてルイズを見上げるロングビルに、全力の突っ込みを入れるルイズ。
 もう何が何だか、と混乱してきたルイズ達に、さらなる訪問者が現れる。

「ルイズ、どうしたんだいこんなところで騒いで。また変なことたくらんでいるのか?」

 風呂上がりの貴族達。
 眼鏡のメイジ、レイナールを先頭にした五人組の少年達だ。

「えっくち!」

 だが、彼らが近くに寄った瞬間、ロングビルの髪の毛に鼻をくすぐられたマリコルヌがくしゃみをした。

 少年達は一瞬で十ばかり幼く変わってしまった。

「やや、これはどういうことですかな!?」

 さらにそこに、ハゲ頭の教師がやってくる。

「えっくち」

「わわわ!」

 ギーシュのくしゃみに教師も秘薬の力にさらされる。
 教師の頭から急に髪の毛が伸び始め、まばたきする間に年の頃十五ばかりの長髪の美少年へと変わった。

「だ、誰ー!?」

「し、失礼な、あなた達も私の名前をお忘れか! 私はコルベールですぞ!」

 整った顔にかけられた眼鏡を指先で動かしながら、長髪の少年は叫ぶ。

「なんじゃなんじゃ騒がしい」

「えっくち!」

「オールド・オスマンー! って、変わって無いー!?」

「ふぉ!?」

 くしゃみの連鎖は続き、やがて秘薬の力は学院を支配する。
 数日経つ頃には水の精霊が怒りで洪水を起こすかのようにトリステイン中に秘薬の力が広まり、空路を経てアルビオンへと到達し反乱軍の兵士達を無力な子供へと変える。
 大陸を侵食していく精霊の秘薬はやがてガリアの王城へと辿り着き、ガリア王ジョセフを純粋な少年に変えた。
 こうして、ハルケギニアに平和が訪れたのであった。





「って、なんじゃそりゃーっ!?」

 毛布をはねのけてルイズは上半身を勢いよく起こした。

「……あれ?」

 広場にいたはずのルイズ。だが、彼女はいつの間にかベッドの中にいた。
 夜中であったはずの窓の向こうの空は、明朝独特の薄暗い水色をしている。

 ――えーと、夢?

 ルイズは頭を振って今までの記憶を振り返る。
 夢。そう、夢だ。なんだ、精霊の力で若返りって。長寿の秘薬なら聞いたことがあるが、若返りなど聞いたこともない。
 いや、そもそも豊胸剤という時点で何かがおかしい。そんなものがあったならモンモランシーのつてなど頼らずとっくの昔に入手している。

「ふにゃ……」

 そんな思考の波に飲まれているルイズに、ふと声が届く。
 聞こえてきたのは部屋の反対側にあるベッド。才人の眠る場所だ。

 そこでルイズは思い至る。
 そうだ、先ほどのが夢ならば才人の姿は小さくはなっていないはず。

 そう寝ぼけた頭で考えたルイズは、裸足のまま才人のベッドへと歩いていく。
 才人は頭から毛布を被っているようで、身体が縮まっているかどうか解らない。

 ルイズはこっそりと毛布をはぐ。

 毛布の中にいたのは、いつもと変わらぬ少年の才人の姿だった。

 ほっと胸をなで下ろすルイズ。
 勘違いだ。ただの夢だ。そう結論づけて二度寝しようと自分のベッドへと足を向けたそのときだ。

「ふゃ、るいずおねーちゃーん」

 突然聞こえてきた寝言に、ルイズは反射的に魔法を放った。












「あー、嫌な夢見た」

 ルイズは目の下にくまを作りながら、そうつぶやき朝食のテーブルの前にすわった。
 あの後、ルイズは二度寝できなかった。夢の内容が頭にフラッシュバックして眠るに眠れなかったのだ。

「夢見が悪いからって魔法を使うな魔法を」

 その隣で、ぼろぼろになった才人が手櫛で髪を整える。
 主と同じく不機嫌だが、こちらは夢見の悪さではなく物理的な暴力によるものが原因であった。

「ねえサイト、あなたは夢とか見なかったの?」

「見てたとしてもあんな起こされかたじゃ覚えてねえっつーの」

 ぶつくさと文句を言う才人。
 ルイズは眠気で支配される目をこすりながら、なんとか才人をなだめていった。

 そして、ルイズの才人とは逆の隣の席、そこにこれまた眠たそうなモンモランシーが着席する。

「ねえ、ルイズ……」

「モンモランシーも変な夢見たの?」

「は? 夢? 何それ?」

 モンモランシーは眠たげな目を見開いてルイズを見つめた。

「あら、違うの?」

「違うわよ。あのね、ルイズ。ちょっと悩んでいることがあるの。それで昨夜はずっと眠れなくて……。魔女さん、ちょっと相談に乗ってくれないかしら?」

「どうしたの?」

 改めてかしこまるモンモランシーに、ルイズは問いを返す。
 それを受けて、モンモランシーはルイズにこう語った。

「手に入れたものの使い道が思いつかなくて……精霊の涙」

「ひいっ!?」



□正しき少年の日々 完□


明けましておめでとうございます。
一年に一度夢落ちが許される正月。良い初夢の夜をお過ごしください。なお正しい初夢は二日の夜に寝て三日の朝に起きる間に見る夢だそうです。



[5425] 雪風さんちのタバサさん
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/02 06:14

 ルイズと才人は部屋の床に山積みになった荷物を慌ただしく片付けていた。

 先日の虚無の曜日に城下町で買った品々だ。
 始めに訪れた武具店の品だけでなく、持ちきれなかった服や日用品も多い。

 才人は制服を着る生徒や使用人達と違い、毎日私服だ。
 仮にもヴァリエール家の客人という立場であるので、服は平民が着るようなものではなく貴族用の物を買っている。勿論、貴族の証であるマントは含まれていないのだが。

「普段着る服はベッドの下のタンスへ。礼服はクローゼットにかけておきましょう」

「おう、礼服はこれかな。……おいルイズ、ちょっとクローゼットに服に関係ない物入れすぎじゃねえ?」

「それ大きいから便利なのよ」

「革製のものとかあるし……臭い移るだろ」

「香水で誤魔化せば……駄目?」

「駄目です。いや俺もそこまで身なりとかうるさくないけど、これはないわ」

「ううー、剣とかも買ったし別に棚か何か用意すべきかしら」

「鉄臭い服は着たくねえなぁ」

 そんな会話を交わしながら二人は服と日用品を片付け終わり、残った武器に手を付ける。
 とはいってもしまう場所がないので、壁に立てかけたり床に置いて埃を被らないよう布をかぶせたりする程度だ。

「地震来たら危ないな」

「トリステインは来ないわよ」

 そうなのか、と返事をしながら才人は壁に立てかけられた古剣を一つ掴むと、鞘からわずかに刀身を出す。

「――ぷはぁ! ようやく解放されたぁ! おい坊主に娘っこ、買っていきなり置いていくのは酷いんじゃねーの?」

「まあそう言うなよ」

「わざわざ錆落とししてもらったんだからありがたく思いなさい」

「そんなことしてもらわなくても俺は自分で……えーと、なんだっけ?」

 何かを言いかけて止まるデルフリンガーだが、ルイズはそれを気にしない。
 どうもこのボロ剣はあまりに長く生きすぎて記憶が曖昧になっているらしいのだ。
 齢三百と言われるあのオールド・オスマンですらときどき魔法の知識が危ういときがあるのだ。千年以上生きた剣ならどれだけのものだろうか。

 金具に気を付けながら荷物から武器を取り出していくルイズ。
 その中に、見覚えのない細身の短剣が入っているのに気付いた。

「ねえサイト、こんなの買った? 短剣なら持っているから今更必要ないと思うのだけれど」

「あ、それは、えーと、タバサが……」

 と、才人が説明をしようとした時、扉からノックの音が響いた。

「あー、はいはいちょっと待ってー」

 ルイズは荷物を包んでいた厚布に汚れた手をこすりつけて拭き取ると、扉まで小走りで向かう。
 そして鍵を開け扉を開くと、そこにはタバサが立っていた。
 いつもの大きな杖は持っていない。代わりにルイズが昨日貸した指輪型の杖を右手の人差し指にはめている。

「あら、タバサ。ごめんね、今ちょっと荷物の整理をしているの」

「荷物に用事。入って良い?」

「へ? どうぞ」

 才人の服に何かあるのかと首をひねりながらルイズはタバサを部屋へと招き入れる。

 部屋へと入ったタバサは部屋の真ん中できょろきょろと周りを見渡す。
 やがて開封しかけの荷物の中にある物に気付き、厚布の袋に手を入れた。

「その短剣がどうかしたのタバサ?」

「わたしの」

「は?」

「あ、いやー、ほら、この前武器屋にいったときさ、タバサも一緒に剣を選んだんだよ」

 才人がルイズに説明しようと手を振りながら説明する。

「でも何でわたしの荷物にそれが入ってるわけ?」

「え、そのー、それは……」

「…………」

 言いよどむ才人に、無言のタバサ。
 それでルイズは思い至った。

「ちょっとタバサ、もしかしてわたしの支払いにそれ混ぜたんじゃないでしょうね」

「…………」

「タバサ?」

「プレゼント」

「は?」

「ルイズからわたしへ、プレゼント」

「……いや、別にあなたへ贈り物をするのは構わないけどね、それがそんな飾り気もないもので、しかもわたしの知らないところでとかちょっとないんじゃないかしら」

 そのルイズの言葉に、タバサは首をひねって考え込んだ。

「運賃」

「なんのよ」

「シルフィード」

「町まで往復乗るだけで金貨十枚以上取るとか、もうシルフィードに乗るなっていいたいのかしら」

「……じゃあ、口止め料」

「なんのよ」

 ルイズの問いに、タバサは二人を見守る才人へと視線を投げる。

「彼についての隠し事。それを追求しない口止め料」

「んなっ」

 彼とは才人、隠し事とは『ガンダールヴ』についてだ。
 ルイズの驚愕を横に、タバサは短剣を大事そうに抱えて部屋を後にした。





□雪風さんちのタバサさん~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 さて、剣を手に入れたもののこれからどうしたものか。
 部屋で鞘から短剣を抜いて刀身を眺めながらタバサはそう考えた。

 剣の使い方に関する本は読んだ。この前城下町にルイズ達と行ったときに、指南書を一緒に買ってきたのだ。

 だが戦いの技能は本では身につかない。そのことを騎士であるタバサは身をもって知っていた。

 タバサは一通り思考を巡らすと、そして剣を買ったときのように才人に頼ることにした。

 今ルイズの元へ行っても機嫌が悪いままのはずだと考え、夕食の場でタバサは才人に剣を教えてくれないかと頼んだ。

 だが、才人の返答は思ってもいないものだった。

「え、いや俺剣の使い方とか全然知らないし」

 ではあの青銅のゴーレムを真っ二つにしたのはなんだったのかと訊ねると、「馬鹿力」とだけ返ってきた。

 才人の言うには、日本には『気』という魔法とは違う人の力を引き出す技術があり、それを使って一時的に腕力を高めたということだ。
 疑いの目で見るタバサだが、では実際に『気』を見せてやる、と食後に広場に連れられていった。

 また決闘かと貴族達が見守る中、タバサは才人に言われるままに風の魔法を放った。
 人一人なら簡単に吹き飛ばしてしまう強烈な暴風魔法。

 だが、才人はそれをポケットに手を入れたまま足を踏ん張って耐えてみせた。

 タバサは『気』の持つ潜在能力に魅せられた。

 是非教えて欲しい、そう才人に詰め寄る。だが。

「魔法をメイジしか使えないように、『気』は日本人にしか使えないんだ。教えても絶対に使えない」

 タバサはわずかに落胆しながら素直に引き下がった。
 彼が無理というなら無理なのだろう。きっと地球では『気』も科学の力で解析され、日本人にしか使えないということがはっきりと解っている可能性が高い。

 彼が剣に関して素人だと言うことは解った。
 しかしそうなると誰に剣を教わればいいのか。
 悩むタバサに、才人は提案をした。

「剣を使うなら、俺と一緒にやらないか?」

 才人はタバサを連れてルイズの元へ行くと、剣の修練について都合して欲しいと言った。
 するとルイズは、彼らの元に一人の衛兵を連れてきた。

「彼はこの学院の衛兵長。この人が剣を教えてくれるわ」

「よろしくお願いします! 平賀才人です!」

「おう、よろしくなぁ。わしは衛兵長だ」

「……この人、わたしの母の元部下で、母に変な影響受けてときどき言動が変だけど気にしないであげてね」

 こうしてタバサは剣を正式に学ぶことになった。





 剣術、とはいっても技術よりもまず体力と筋力が基本となる。

 タバサと才人がまず命じられたのは、毎朝の走り込みだ。
 厳しい騎士の任務を経て体力だけは豊富なタバサ。運動不足がちの現代人である才人を置いて、一人学院の内壁を走っていく。

 空からはいつの間に学院の外の寝床から起きてきたのか、シルフィードが見下ろしていた。

 朝の走り込みが終わると、タバサは自室に戻って汗を拭き、いつもどおりに朝食を食べてから授業へと向かう。

 教室には才人の姿がない。
 なんでも、ルイズの部屋で一人文字の勉強をしているらしい。

 剣の練習を抜け駆けされたのではないかと心配していたタバサはそれを聞いて安心した。
 二人同時に学び初めて、いきなり差を付けられるわけにはいかない。タバサは微妙に負けず嫌いであった。

 昼食を経て午後の授業が始まると、才人は教室で文字の勉強をしていた。
 彼曰く、日中に一人で部屋に籠もっているのは気が滅入る、とのことだ。
 本があれば一日中部屋から動かずにいられるタバサにはその気持ちは良く解らなかった。

 そして授業が終わって夕食が始まるまでの間、タバサと才人は衛兵長の指導で剣術を学ぶ。

 型も出来上がっていないのにいきなり刃物を振り回すのは危ない、と木剣を渡された。
 膝の高さほどしかない短い木剣だが、それでも手に感じる感触はずっしりと重かった。タバサが以前使っていたような中抜きされた魔法の杖とは違う。練習用とは言え、立派な人を殴り殺すための武器だ。

 衛兵長の指示の元、木剣を構え、そして素振りを繰り返す。
 剣術は遊戯などとは違い実戦の武術。ただ剣を振ると言うだけでも無数に型が存在する。彼女達が最初に学んだのは、剣を右肩の後ろに振りかぶり、左下へと振り下ろすという原始的なもの。

 それでも剣の重みは手の平を痛め、翌日の朝には手の平にマメが出来る寸前になっていた。秘薬を使わぬ水の魔法で簡単に治してしまったのだが。

 こうした生活が数日続いたある日のこと。
 ルイズからシルフィード用の首輪を譲り受けたタバサは、昼食後に広場の目立つ位置でシルフィードに『使い魔の頭が良くなる方法』を試していた。
 シルフィードが言葉を喋れるようになっても問題なく見せるための行動なのだが、どうも自分の使い魔は頭が足りていないようなのでタバサはわりと真面目に指導を行っていた。

 真面目にやり過ぎたのか、いつの間にか昼の休憩時間は終わり、周りから人がいなくなっていた。

 人のいない広場。
 そこでタバサは腰にさしていた短剣を抜いた。

 練習を開始してから数日経過したが、未だにこの剣を振ったことはない。

 貴族としてメイジとして騎士として魔法を学び続けてきたタバサだが、本当はずっと前から剣に興味はあった。

 それはある物語を読んだのがきっかけ。竜殺しの物語、『イーヴァルディの勇者』だ。

 幼い日に読んだこの物語は、ずっとタバサの心の奥底に残り続けていた。
 いつか自分だけの勇者がやってきて、手を握って闇の底から救い出してくれるのだと、何度も妄想した。
 だが勇者は現れなかった。当然だ。物語は現実とは違う。

 それでも、とタバサは思う。
 自分だけの勇者が居なくとも、自分が勇者になって剣を取ることは出来る。

 わたしは勇者になる。そう思いをはせていると、ふと『イーヴァルディの勇者』の一節が口からこぼれ出た。

「ルーを返せ」

 それは、竜と対峙した少年が、剣を構えて村娘を攫った竜へと叫んだ言葉だ。
 今、タバサの手には陽光に輝く短剣が握られている。
 そして、目の前にはドラゴンとは違うが、一匹の風韻竜が座っている。

 まるで物語の場面のような風景だとタバサは思った。

 ルーを返せ。その次に続く台詞はなんだったろうか。

 ――あの娘はお前の妻なのか?

「違う」

 幼い頃何度も読み返したガリア版の『イーヴァルディの勇者』の台詞が、タバサの頭の中へと甦ってくる。

 ――お前とどのような関係があるのだ?

「なんの関係もない。ただ、立ち寄った村で、パンを食べさせてくれただけだ」

 ――それでお前は命を捨てるのか。

「それでぼくは命を賭けるんだ」

 タバサはそこまで台詞を言うと、剣を振りかぶり、木剣で何度もそうしたように虚空に向けて剣を振り下ろした。

 そして、短剣を腰の鞘へと収める。

「もう大丈夫だよ」

 そう言いながら振り返り、先ほどまで剣を握っていた右手を差し伸べる。

「竜はやっつけた。きみは自由だ」

 手を差し伸べた先。
 そこには、キュルケが立っていた。

 沈黙が広場を支配する。
 やがて、気まずそうな顔で、キュルケは呟いた。

「あ、あのね、タバサ。授業にこないから呼びに来たんだけど……」

 キュルケはそこまで言うと目をそらし、さらに言葉を続ける。

「その、あなた、意外と演技派なのね」

 タバサの白い肌は羞恥で真っ赤に染まった。



[5425] 天才達その1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/02 06:27

 才人はベッドへ倒れ込んだ。

「うふぃぃぃぃ疲れたー」

 柔らかな毛布に身体を投げ出す才人。彼は今、黒い礼服を着ていた。
 つい先ほどまでアルヴィーズの食堂で行われていたフリッグの舞踏会、それに参加していたのだ。

「もう踊りたくねー。もー無理。腰痛い」

「ダンスを習い始めてたった五日であれだけ踊れれば上出来ね」

 きらびやかなドレスに身を包んだルイズが、部屋の真ん中を区切るように設置された厚手のカーテンを引きながらそう言った。

 部屋に設置されたカーテン。これは、若い男女が一緒に住むのならこれくらい用意しなさいとキュルケに言われて先日設置したもの。フォン・ツェルプストーのあの娘は性に奔放に見えて意外と考えているのだ。
 ルイズはこのカーテンを主に着替えをするときに用いる。
 使用人相手なら着替えを隠すどころかむしろ着替えさせるくらいのものだが、才人は使用人ではなく客人。どこの貴族が客人の前で服を着替えるのかというのがキュルケの弁だ。目の前で服を着替えるのが駄目で、目の前で服を脱いで誘うのは良いと言うキュルケをルイズは理解できなかったが、確かにカーテンは必要だ。

 カーテンを引き終わったルイズは、一人でドレスを脱いでいく。学院の使用人を呼んで手伝わせることも出来るのだが、舞踏会が終わったばかりで使用人の手が足りておらず順番待ちになっているので、ルイズはそれを待たずに一人で脱ぐことにしたのだ。

 才人とカーテン一枚を隔てて、ドレスを脱ぎ下着姿になるルイズ。
 隣で美少女が着替えているという年頃の少年には生唾ものの状況だが、才人はそれに対し特に気にする様子はなかった。
 ルイズはあまりにも平然としすぎているのだ。会って数日しか経っていない少年と一緒の部屋に住んでいるというのに、自分のペースを崩さず生活するルイズ。それがあまりにも自然すぎて、才人にはよこしまな気持ちがほとんど浮かんでこないのだ。

 自分に姉か妹が居て、同じ部屋で生活していたらこんな感じなのかな、と才人は思う。

 さて自分も着替えるか、と服を脱ぎ始める才人。
 黒ズボンを脱ごうとしたところで、黒く輝く革製の靴が目に入る。

「いろんな人の足ふんじまったなぁ。怒ってないかな」

「ちゃんと始めにサイトは踊れないと説明したから大丈夫でしょう。ふふふ、それなのに皆にもてもてだったじゃない、サイト」

「それはお前が開始早々皆の前で大演説なんてし始めるからだろ。なんだよあの紹介の仕方」

「見知らぬ国の偉大なる賢人だなんて紹介されたら、わたしも一度は踊ってみたくなるわね」

 言葉を交わしながら二人は着替えを続ける。

 ルイズは寝間着に。才人は絹製の服へと着替える。才人の服は自己主張を抑えつつもどれもしっかりとした素材で作られていた。ルイズ曰くヴァリエール家の客人を演出するためのものらしい。ちなみに始めに着ていたパーカーやスラックスや靴は、貴重な資料と言うことでルイズに奪われている。

「着替え終わった?」

「ああ、もういいよ。しかしまー、こんなのはあまり無しにして欲しいな。普段通りが一番。異世界初心者平賀さんの答えです」

「しかし、そんなミスタ・ヒラガに残念なお知らせがあります」

 カーテンを開けながらルイズはそう才人に言った。

「一週間後、虚無の休日が明けた翌日。使い魔品評会があります。それに向けて頑張りましょう」

 何かと忙しい使い魔生活である。





□天才達その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 いつもの夜の風景。
 ルイズと才人はテーブルの前に座り、軽く一杯ワインを飲みながら話をする。

「その、使い魔品評会ってのはなんだ?」

「二年生が召喚したばかりの使い魔を学院の皆の前で見せ合う行事よ」

「あー、なるほど。幻獣博覧会か。品評会ってことは使い魔MVPを決めたりするのか」

「そんな卑しいことしないわよ。喚び出して一月じゃ使い魔の調教なんて終わってないから、順位を決めたりするなら自然と喚び出した種族の順列ってことになるわ。使い魔の種族で過度に誇ったりするのは貴族として恥ずかしいことなのよ」

 ルイズは才人を召喚したときに「人間を喚び出したのだ」と儀式の場で皆に自慢をしていたことをすっかり忘れ、そんなことを言った。

「特にこの学院では学院長のオールド・オスマンが小さなネズミを使い魔にしていることを皆が知っているから。モートソグニルは優れた使い魔だけど、品評会みたいな場ではそのすごさは解らないわ」

 才人はオスマン氏の使い魔を見たことがなかったので、そうか、と軽く生返事をした。

「でも順位をつけないまでも、学院の皆に見られるのは気位の高い貴族には十分な刺激になるの。結果としては皆やる気になって自分の使い魔との交流が進むって寸法ね」

「ルイズはどうなんだよ、やる気」

「わたし? 凄いあるわよ。だからこうやって一週間前に言っているのよ」

「意外だなぁ」

「あのね、サイトはわたしが生まれて初めて成功した魔法の成果と言っていいの。それを皆に自慢したい気持ちくらい、わたしにだってあるわ」

「そんなもんか。しかし皆の前でじろじろ見られるだけじゃなくて何か芸を見せるんだろ? おーい、デルフ、一緒に漫才でもするか?」

 サイトは部屋の片隅に向けて声を投げかけた。
 すると、壁に立てかけられた古剣の刀身から声が響く。

「おいおい、相棒ぉ。俺は大道芸の道具じゃねーぞ。使うなら人か野獣をぶった切るだけにしてくれ」

「む、駄目か」

「それに使い魔を見せる場で俺なんか出したら、おめーより俺っちのほうが目立って品評会の意味なくなっちまうぞ」

「それはないな」

 そんな話をする才人とデルフリンガーを横目に、いつの間にか席を立っていたルイズはタンスの中を漁り始める。
 そして、中から一つの服を取りだした。
 才人が召喚時に着ていた服。青いパーカーだ。

「あのねサイト。わたしは別にあなたに話芸をさせるつもりはないわよ? 他に喋ることのできる使い魔だっているわけだし。人が喋るのは当たり前だけど、犬が喋るのは衝撃的だわ。それより……」

 話しながら、ルイズは畳んであったパーカーを両手で掴んで胸の前で広げてみせる。

「異国の賢人として、その知識を披露して欲しいと思ってるの」

「俺に何か講釈でもしろと? 無理無理」

「そうじゃないわ」

 ルイズは椅子へと戻り座ると、才人の前へとパーカーを突きつけた。

「知識と言っても、言葉じゃなくて現物を見せるのよ。例えば、この服と同じ素材の大きな布を作って皆に触ってもらうとか。ねえ、これ何で出来てるの?」

「何って……ナイロン?」

「ナイロンね……ちょっと待って」

 ルイズはワイングラスをひっかけないようにパーカーを机の上に置くと立ち上がり、棚から紙と四色ボールペンを取り出す。
 四色ボールペンはいつのまにかルイズの所有物になってしまっていた。

「なあルイズ、ボールペン使うのは良いけど、そんなに使っていたらインクなくなるぞ?」

「そうなったら仕組みを調べて複製してみせるわ。さ、それよりナイロンって何?」

 ルイズはボールペンを右手に持ち、きらきらと輝いた瞳で才人へと顔を向ける。

「えーと、ナイロンは石油から作るんだ」

石油いしのあぶら?」

「海の底にプランクトン……埃みたいな小さな生き物の死骸が溜まって、それが長年かけて油になるんだ。ナイロンはその油を加工して作る」

「なるほど、石は化石って意味ね。海の底なら確かにスクウェアクラスの水のメイジでもそう簡単に発掘できないわ」

「海の底まで行かなくても、大昔に海の底だった場所を深くまで掘れば見つかるぞ」

「大昔に海の底だった場所?」

「化石が解るなら、魚の化石とかも見つかってんだろ? 陸で海の生き物の化石が見つかったなら、人が生まれるよりずっとずっと大昔はそこに海があったってことだ」

「へえ……あ、ごめんなさい話がずれたわね。この服はその石油から作られているのね?」

「そう。地球ではいろんなものを石油から作っていたんだ。柔らかい鼻紙とか、馬のいらない車の燃料とか。ルイズの持ってるボールペンの外側だって石油から出来てるんだぞ」

 才人はそう言いながらルイズの手元を指さす。

「これ? この固いのが油から?」

「そう、プラスチックって言うんだ。固くて軽いから、木材とか金属の代わりに色んなところで使われていた」

「なるほどねぇ……。服も油から、ね。じゃあ石油があればサイトはナイロンを作れる?」

「おいおい、何度も言ったけど俺は職人や学者じゃなくてただの学生だっつーの。無理無理」

 才人の返答に、ルイズはむうと唸って名残惜しそうな目でパーカーを眺めた。
 未知の材料。未知の精製法。
 自分が生きている間にこれ以外のナイロンの服を着ることはきっと出来ないだろう。

「じゃあサイトが実現できそうでハルケギニアになさそうな物。何か考えてよ」

「何か、っていきなり言われてもなぁ……」

 急な指令に才人は腕を組んで考え始める。
 一分ほど椅子の上で唸っていた才人は、膝を叩いて立ち上がると自分のベッドの前へと進み、ベッド下段の引き出しを開けて中から黒ボールペンを取り出す。
 そしてテーブルへと戻ると、ルイズから紙を一枚借りてそこに文字を書き始めた。

 思いついた物を箇条書きにしていっているのだろう。ルイズは才人が書く複雑で多様な日本の文字に興味をそそられたが、邪魔をするわけにはいかないと無言でワイングラスに口を付けた。

 紙の半分ほどを文字で埋め尽くした頃。

「あ」

 ふと才人は何かを思いついたように声をあげた。

「自転車だ」

「自転車?」

 才人は思い出していた。学校の授業で使っていた国語の教科書を。

 その教科書には、単元の一つとして自転車について書かれた解説文章が載っていたのだ。
 自転車のおおよその仕組みから始まり、自転車が生まれ現代の形になるまでの歴史について書かれた教養単元。

 車輪が開発され馬車の存在するハルケギニアならば、初歩的な自転車ならば作れるのではないか。そう才人は思ったのだ。

「あ、いや、でも一週間か……」

「サイト、詳しく教えて」

 期限の短さに考えを取り下げようとする才人に、ルイズは詰め寄った。
 ルイズはこの短い間に才人という人物を理解していた。彼は記憶力が悪い。思い出したときに知識を搾り取らなければ、いつそれを忘れてしまうか解ったものではない。

 ルイズに迫られた才人は、とりあえず話してみるだけ話してみようと説明を開始した。

「ええと、そうだな。馬とかを使わず人力で動かす車だ。人力と言っても馬車みたいに人が地面を直接走る訳じゃなくて……」

 身振り手振りと下手な絵を交えて才人はルイズに自転車のおおよその仕組みを話す。
 車輪を人力で動かす仕組み。それを聞いたルイズはぽつりと呟いた。

「クランク構造ね」

「ハルケギニアにもクランクがあるのか?」

「ええ、こういう車輪を動かすためのものじゃなくて、平民の間で何かを回転させる道具として使われているのだけれど」

 ルイズはそう言いながら、才人の書いた絵を眺める。

「でもこれ、二輪で倒れないの?」

「進み続けている間は倒れないよ。ちょっとコイン貸してみ」

 そう言われたルイズは、棚の中をあさって才人に新金貨を渡す。

「コインを立てようとしても、普通は倒れる」

 才人は金貨をテーブルの上で縦に置こうとする。
 だが、金貨は倒れ甲高い音を立てる。

「だけど、動いている間、コインは倒れない」

 才人は再びコインを持ち、指でコインに縦回転をかけるとテーブルの上にコインを離した。
 すると、コインは倒れることなくよたよたとテーブルに置かれた紙の上を走っていく。

 コインはやがて失速していき、再び音を立ててテーブルの上で倒れる。

 ルイズは両目を開いて、その様子をじっと眺めていた。

「……凄いわサイトあなた天才よ!」

 ――凄いのは俺じゃなくて国語の教科書なんだけどなぁ。

 才人はそう思いつつもそれを口に出すことはなかった。褒められるのは悪い気がしない。無理にそれを放棄することもないだろう。
 ルイズはコインを掴み才人と同じように机の上でそれを走らせると、「よし」とつぶやきボールペンを手にとって何も書かれていない紙に絵を描き始めた。

「何かいてんだ?」

「設計図」

「え、自転車のか」

「そうよ。チェーンは難しくてまだ理解しきれてないから、直接車輪を回す方のやつね」

 そしてルイズは才人へ質問を投げながら、紙にペンを走らせる。
 いつの間にかテーブルの上には定規などの製図道具が置かれており、ルイズは紙の上に正確な線を引いていった。

 才人の書いた絵と口頭の説明からルイズは確実に自転車を紙の上で構築していく。
 先ほどルイズが才人にそう言ったのとは逆に、才人はルイズを天才なのではないかと思った。

 やがて、ルイズのペンを動かす手を止める。
 タイヤを直接クランクペダルで回して走る、原始的な自転車の簡略図が紙の上に出来上がっていた。

 細かく文字と寸法が書込まれ、素材の指定までされている。
 最近文字を習い始めた才人はそれを見て、ふと現実に引き戻された。

「絶対一週間じゃそれ作れねえって。骨組みを木材から切り出すだけで終わっちまう」

「魔法があるわ」

「いや、魔法じゃ細かい物を加工するのは難しいって太ったおばさん先生が言ってただろ。魔法を使った工事も、最後は平民の職人達の技術力が物を言うって」

 意外と授業の内容を聞いている才人。
 だが、ルイズは才人の言葉に全く動じた様子を見せない。

「大丈夫よ」

 口の端に笑みを浮かべながらルイズは自信たっぷりに言った。

「この学院には天才が居るの」




あとがき:なんだかもうルイズ様と才人の掛け合いを書くだけでストーリーは進めなくていい気がしてきました。いやそれじゃあかっこいいるいずさまとしての出番が無いんですけどね。
とりあえず正月休みの中にアルビオン編直前まで思いつきの短編連作で書いてそこからペースダウンする予定です。ネタを出し切らないと眠る直前まで頭の中が書きたいネタで埋まってしまって……。

今回の参考資料:学生時代に読んだ国語の教科書。何年か前に見た新製陸舟車復刻のテレビ番組。



[5425] 天才達その2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/02 20:09

「この学院の教師はね」

 紙を片手に夜空の下を歩くルイズが才人に語る。

「優秀なメイジが多いの」

 すっかり陽が沈んだ後だというのに、すれ違う人の数は多い。いずれも使用人。
 舞踏会の後片付けに追われているのだろう。

「土のミセス・シュヴルーズはトライアングル、風のミスタ・ギトーはスクウェア。いえ、そもそも教師は全員トライアングル以上ね。メイジの区分についてはもう知っているでしょう?」

「ああ、ドット、ライン、トライアングル、スクウェアだっけ? 確か重ねられる魔法の数で決まるとか何とか」

「属性の数、ね。魔法というのは生まれつきの才能の締める割合が大きくてね。どれだけ努力してもライン止まりなんていう人もざら。トライアングルのメイジというのは魔法の盛んなトリステインでもそうごろごろ転がっているようなものじゃないの」

 才人はルイズの周りにいる貴族達を思い出す。爆発の魔法しか使えないルイズは置いておくとして、キュルケ、タバサがトライアングル。そしてギーシュはドットで、ルイズの周りをよくうろうろしているマリコルヌとかいうメイジもドットだ。
 同じ二年生で、トライアングルとドットという大きな差が出来ている。

「でも、この学院はそんなトライアングル以上のメイジをたくさん教師として抱えている。当然ね。ハルケギニア中の貴族の子女を教育する場ですもの。生徒に少しでも多くの魔法を見せる必要がある」

「ふうん。で、それが自転車と何が関係が?」

「優秀な教師陣。元軍人や元魔法職人、元研究員もいるわ。そんな中でもね、やっぱり居るの。突出した才能を持つ人、天才というのが」

 ルイズはそう語りながら本塔の脇を進む。
 そして本塔と火の塔の中間、そこに何故か建っていたボロ小屋の前で足を止めた。

 ルイズは塗装のはげかかった木の扉をノックする。

「ミスタ、いらっしゃいます?」

 数秒の時間をおいた後、中から扉が開かれた。

「やや、これはミス・ヴァリエール、それにミスタ・ヒラガ。私に何かご用ですかな?」

 そう良いながらハゲ頭の中年メイジが中から姿を現した。





□天才達その2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 才人はこのメイジを知っていた。
 学院の教師。ルイズ達には火の魔法を教え、皆からはミスタ・コルベールと呼ばれている。
 そして自分が召喚されたあの日、ルイズの傍らに立っており、さらには才人の正体が『ガンダールヴ』であると知る数少ない人物である。

 ルイズは彼に一言、研究の種を持ってきたと言いボロ小屋の中へと入っていった。

 才人も「お邪魔します」と呟いてからその中へと入っていった。ちなみにトリステインには靴を脱ぐ玄関という概念がない。

 足を踏み入れたコルベールの部屋。
 それは、一言で言い表すならば「混沌」そのものであった。

 壁は全て棚で埋め尽くされており、書物や瓶が置かれている。
 机の上にはどの惑星を模したのか天体儀が置かれており、その下にはペンで書き込みのされた紙がばらまかれている。
 そして、床の上には様々な動物を入れたケージ。足下の篭で大きな蛇が動き、才人は思わずびくついてしまった。

「ミスタ・コルベール。ちょっと見ない間にまた散らかってるじゃないですか!」

「いやはや研究に没頭するとどうしてもこうなってしまいましてね」

「またキュルケが怒りますよ。あ、言っておきますけどあれでも彼女、ミスタに関しては本気ですよ? 最近他の男性といちゃいちゃしているのを見たことがありません」

「いや、そう言われましても教師が生徒に手を出すというのは……」

「ミセス・シュヴルーズの夫は彼女の元生徒らしいです」

 ルイズはそう言いながら小さな机の前へと行き、椅子を引いて座った。
 そして、手に持った紙をコルベールに向けて突きつける。

「ミスタ・コルベール。話というのはこれについてですの」

「む、何かの設計図ですかな。む、むむむ、これは……!」

 コルベールは差し出された紙を受け取ると、眼鏡のかけられた瞳を見開いてそれを眺め始めた。
 目がぎょろぎょろと動き、なめ回すように紙の表面を視線でさらっていく。

「ミ、ミス・ヴァリエール、これは一体!?」

「わたしの使い魔が異国から来た賢人だと言うことは何度もお教えしましたよね? 彼の国にあるという乗り物の話を聞いて、設計図を起こしてみましたの。名前は自転車」

「ふむ、自ら転がる車ですか。面白い、これは面白いですな」

「これを一週間後の使い魔品評会に披露しようと思いますの。間に合いますか?」

「一週間ですか。なかなか厳しいですな。しかし、これは実に面白い。む、ここについて少し質問してよろしいかな?」

 設計図の一部を指さしながらコルベールはルイズに訊ねる。
 それを受けて、ルイズは横を振り向く。

「サイト、ちょっとここに来て一緒に見て」

「あ、うん、解った」

 檻の中の角ウサギを物珍しそうに見ていた才人はルイズに呼ばれルイズの横に着席した。

 それと同時に、コルベールは質問を開始する。
 ペダルをスムーズに回すにはどのような構造が良いのか。初心者は加速がつけられず倒れてしまわないのか。
 才人は自分が乗っていた自転車を思い出しながらそれらの質問に何とか答えていった。

 質問が終わりやがて会話はコルベールとルイズの二人の議論へと変わる。
 素材はどうするだの強度はどうだの道の平坦さがどうだの骨組みをどう加工するだの、話が理解の範疇を超えた才人は、一人席を立って部屋の中を眺め始めた。

 分野を問わない様々な道具が部屋の中に乱雑に散らばっている。才人の知らないハルケギニア独特のオブジェもあり、才人にはこの小屋がおもちゃ箱のように思えた。

 床を見ると、物の散らかりように反して意外と汚れが無いことに気付く。
 先ほどルイズはキュルケがどうこうと言っていた。言われてみればキュルケは確かに面倒見の良い性格をしている。案外この部屋も彼女が片付けていたりするのかも知れない。
 料理も上手で掃除も出来るとなると、何とも家庭的だ。才人は貴族に対し抱いていた偏見を少し和らげた。

 そして顔を上げると、そこには立派な柱時計が置かれていた。才人にはそれが機械式なのか魔法の産物なのか理解は出来なかったが、秒針は正確に動いていた。
 才人はそこに刻まれた時刻を確認すると、ポケットの中に手を入れ中から懐中時計を取りだした。
 ルイズからもらったその時計を覗きこんだ後、才人は設計図を前に未だ議論を続ける二人の方へと向く。

「ルイズ、コルベール先生、もう夜遅いんで帰っても良いですか?」

「え、ああ、こんな遅くまで引き留めて申し訳ない。戻っても構いませんぞ」

「鍵は持っているわよね? 帰って良いわよ」

 そう言いながら二人は机の前から一歩も動こうとはしなかった。
 才人はそんな二人を置いて小屋の中から出て行く。
 品評会はデルフと漫才をする案でいくか。そんなことを考えながら部屋へと戻った。











 ある日の午後。才人はルイズのいない授業には出ず、広場で一人剣を持ち素振りをしていた。
 いや、正確には一人ではない。

「どうした! なんだそのへっぴりごしは! じじいのファックの方がまだ気合いが入っている! 返事はどうした!」

「サー、イエス、サー」

「ふざけるな! 聞こえんぞ! 大声出せ! タマ落としたか!」

「サー! イエス! サー!」

 一人で剣を振るのに飽きた才人は、手に握るデルフリンガーとフルメタルジャケットごっこをしながら素振りを行っていた。
 レンタルビデオで映画を見るのが好きな才人の母。
 それに影響されてか才人もそれなりに映画に詳しかった。

 罵倒の声に気合いを入れて叫び返し、才人は剣を振る。
 数千年剣をやってきたデルフリンガーはそれなりに剣技に覚えがあった。

「よし! 良いぞ! 家に来て妹をファックしていいぞ」

「サー! ……って、デルフの妹ってどんなのだ。レイピアか何かか」

「あー? いや、何となく言っただけだ。なんか槍とか居た気もするが……」

 ひとしきり剣を振り終えた才人は、首にかけた柔布で顔の汗をぬぐう。
 ハルケギニアにやってきてまだ二十日も経っていない才人だが、身体は少しずつ武人のそれに作り替えられつつあった。
 ガンダールヴのルーンで過度に酷使された肉体は超回復を経て確かな筋力へと変わる。夜は筋肉痛に蝕まれながらベッドに身体を投げ出し深い眠りについている。

 インターネットやアクションゲームが趣味だった才人がここまで運動に熱中しているのも、ひとえにガンダールヴの力のおかげであった。まるで漫画の中の主人公のように素早く動く自分の身体。彼がタバサに語った『気』という説明も、漫画の影響であった。

 デルフリンガーを鞘に収め、次はジョギングでもしようかとする才人。
 学院の内壁へと足を踏み出したその時だ。

「サーイートー!」

 遠くから、何かが土煙を上げながら迫ってきた。

「出来たわよー! サイトー!」

「ええっ!?」

 それは、自転車にまたがったルイズの姿だった。
 ゴムの巻かれた前輪に付けられたペダルを踏み込み、立ちこぎで進むルイズ。
 後輪には、自転車初心者向けの追加オプション、補助輪が備え付けられていた。

 ちなみに立ちこぎをしているルイズ。前から吹く風にスカートが舞い上がっていた。水色だ。才人は思わず前屈みになった。

「眼福……って、違う違う! ルイズ! 何でたったの二日で完成しているんだよ! おかしいだろ!」

「何でって、出来た物は出来たんだから仕方が無いじゃない!」

 初めての走行にテンションが上がりっぱなしのルイズ。
 目の下には大きなクマができていた。徹夜で作業をしていたのだろう。

 ルイズは才人に近づくとペダルから足の裏を離して速度を緩める。
 ちなみにブレーキは付いていない。危なくて仕方が無かった。

 日本で使われる自転車がアスファルトの上を走るのとは違い、草の生えた地面の上を進む手製自転車。
 見えない位置にあったぬかるみに前輪を取られ、ルイズは地面へと投げ出された。

「あいたぁ……」

「あー、ルイちゃん大丈夫ですかー」

「誰がルイちゃんよ!」

「は、しまった、その背丈で補助輪なんて付けてるからつい」

 一人で起き上がったルイズは、服に付いた草を払って倒れた自転車を起こす。

「やっぱりまだまだね。車輪が固いからがたがたして腰が痛いし、止まれないし、何より石畳の上じゃないとまともに進めない。もし完璧になったとしても馬や馬車で荒らされた街道は走れそうにもないわ」

「でも二日でそこまでできれば十分だろ。いや、十分と言うかありえねぇ……。あれだ、さてはお前ら馬鹿だろう」

「誰が馬鹿よ! ……まあでもこれで品評会まで安心して改造し続けられるわ。さあ、サイト行くわよ」

「は? 行く?」

「ミスタ・コルベールのところによ。チェーンとブレーキと空気タイヤについて詳しく話しなさい」

 有無を言わさずルイズは才人を引きずっていく。
 こうして才人はまた夜が更けるまで質問攻めにされるのであった。












 虚無の休日。コルベールの研究室に籠もるルイズと、それに付いていったキュルケ。
 自然と才人はタバサと二人きりになった。

 剣の練習でもするかということになり、衛兵長からそろそろ組み手も含めて練習しようと提案される。

 才人達が使っているのは木でできた木剣。
 練習用の物と言えど、頭を強打すれば死の危険性もある。才人はそれを小さなタバサに振るうのは抵抗があった。
 そこで才人は、タバサと二人で組み手用の剣を作ることにした。

「いや、でも竹が無いとは思わなかったな。竹刀にしようと思ったのに」

 そう言いながら才人はナイフで木を削っていく。

 鉈で丸太を八分割にもできる才人。ルーンの恩恵で器用度も向上している彼は伸縮性の高い木材を軽々と加工する。
 その横でタバサは才人の削りだした部品を組み合わせて剣の形を整えていく。いびつだが、竹刀っぽい何かが少しずつ完成していった。

 朝食後から始めた作業はもう少しで夕食という時間で終わり、二本のしなやかな竹刀型木剣が完成した。

「よし、打ち合わせてみるか。タバサ、ここに目がけて思いっきり振り下ろしてくれ」

 木剣を横に構える才人。
 そこに向けてタバサは言われたとおり体重を乗せて木剣を振り下ろした。

 次の瞬間、タバサの木剣は半ばから見事に折れた。

「ありゃ?」

 想定外の結果に、才人は首をひねる。
 何が駄目だったのだろう。組み立て方か、それともやはり竹を使っていないせいか。

「乾燥が足りない」

 折れた木剣を眺めながらタバサはそう呟いた。

「乾燥かー。確かになんかそれっぽいなー。くそ、物を作るのってこんなに難しいのか」

 才人は地面に散らばった木片を集めながら、ルイズにでも相談しようかと考えた。

 そんな時のことだ。

「サーイートー!」

 遠くから、何かが土煙を上げながら迫ってきた。

「出来たわよー! サイトー!」

「ええっ!?」

 それは、補助輪付きの自転車にまたがったルイズの姿だった。

 踏み込むペダルの位置は前輪ではない。前輪と後輪の間に設置されたペダルはその回転を歯車に伝え、さらに後輪へと繋がれたチャーンへと力を伝える。チェーン式の自転車。この数日で時代は数十年スキップしていた。

「って、ありえねえだろおおおおおおおお!」

「うっさい!」

 才人の叫びにルイズは怒声を返し、ハンドルに据え付けられたブレーキを握りこむ。
 ゴムがこすれる音を立てて、自転車は華麗に停止した。

 そしてルイズは右手を才人へと付きだし、サムズアップをした。

「どうかしら、サイト?」

「どうかしら、じゃねぇーっ! もっと考えろよ、文明レベルとか! ここは中世ファンタジー世界じゃなかったのかよ!」

「うっさいわねぇ。ほら、品評会は明日なんだから補助輪無しで走れるようになりなさい才人」

 そう言うルイズの言葉も聞かず頭を抱える才人。
 そんな才人の袖をタバサは軽く引いた。

「あ? どした?」

「……乗りたい」

 そういってルイズから自転車を借りるタバサ。
 補助輪付きの自転車に乗る142サントの小柄な少女の姿は、どう見ても自転車を覚えたての小学生のそれであった。


 翌日、使い魔品評会は滞りなく行われた。

 ルイズは観客の皆に才人の知識と氷の魔法で作ったカキ氷を使用人達に配らせ、自転車に乗った才人を皆に紹介する。

 ブラスナックルを持ち身体能力を上げた才人は、仮面ノリダーのテーマを口ずさみながら自転車で爆走した。

 才人の見せるウィリーなどの未知の自転車トリックに生徒達は魅せられ、その日以降コルベール式自転車二型は魔法で空を飛べるメイジ達の人気の遊具になったのであった。



□天才達 完□


あとがき:コルベール先生の部屋にある天体儀って何の天体なんでしょうね。まさかハルケギニア?



[5425] 最強の証明
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2010/03/29 14:26

 ミス・ロングビルは考える。
 自分は今幸せなのではないだろうかと。

 ふとしたきっかけでなった秘書という職。
 嫌いな貴族達が集まる場所。
 嫌々始めた仕事だが、何と言うことか連日引き起こされる魔女の事件の処理に追われるうち、ふと充実した気持ちになっていることに気がついた。
 まるで、自分がごく普通の人間にでもなったかのような錯覚。
 このままでいいかもしれない。そんな思いが沸いてしまい思わず首を振った。


 土くれのフーケは考える。
 自分はいつまでこんなことをし続けるのだろうと。

 憎い貴族達への復讐のために始めた盗賊。
 馬鹿な貴族の慌てふためく様を見られればいい。そう思っていた。
 だがいつからかこの仕事は故郷の国にいる妹分や孤児達を養うための手段へと変わり、引くに引けない状況になっていることに気がついた。
 いつの日か自分は捕まり処刑台に立たされるだろう。自分の魔法に絶対的な自信は持っていなかった。すでに貴族達は警戒の色を強めている。
 このままではいけない。そう思うが金のためにやめるわけにはいかなかった。


 マチルダ・オブ・サウスゴータは考える。
 自分ははたしてどのように生きるのが正しいのかと。

 秘書の仕事も学院の宝を盗むために始めたもの。
 偽りの生き方だ。そこに未来はない。
 盗賊としての仕事も、ただの八つ当たりであることを自覚している。自分と妹分をこんな地の底まで引きずり下ろしたのはあの憎きアルビオン王だ。
 トリステインの貴族は何も関係がない。こんなことをしても父の誇りは取り戻せない。
 このままどうなってしまうのだろうか。彼女は決断を迫られていた。





□最強の証明~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 土くれのフーケは本塔の外壁へ垂直に降り立つ。
 巷を騒がせる貴族専門の盗賊。フーケが次に狙うのは、一年間調査を続けていたこのトリステイン魔法学院の宝物庫であった。

 魔法を学ぶために貴族の子供達が集まるこの学院はまさにこの国の貴族の象徴だ。
 そこを狙うのは、土くれのフーケとして最重要課題であると彼女は思っていた。

 壁を歩き、宝物庫のある位置へと移動する。
 熟練の土のメイジであるフーケは、素足で壁や床を踏みしめるだけでその性質を感じ取ることができる。
 そして、宝物庫の壁で足を止めた彼女は肩を落とした。

 壁の強度が高すぎるのだ。
 このままでは自分の力ではどうやってもここを破ることができない。

 この魔法学院の宝物庫は、大陸有数の難攻不落の守りを誇ると言われている。
 そうなったのは、ごく最近の話。
 一年前のことだ。

 一年前の宝物庫。その時点でもこの壁はスクウェアクラスの『固定化』がかけられており、容易に中に突破できるようなものではなかった。
 学院の教師はそれを自らの成果のように生徒達へと語っていた。
 その話は、やがて一人の魔女の耳へと入ることとなった。

「それなら、ただの一生徒の魔法などに破られることなどないのでしょうね」

 その魔女は笑いながらそう言い、学院長と秘書に扮したフーケの目の前で宝物庫の壁を爆破した。
 壁は、まるで『固定化』などかけられていなかったかのように粉々に粉砕された。

 それを見た学院長は憤った。
 魔女に対してではない。小さな少女の魔法の力に耐えられなかった宝物庫の守りに対してだ。
 偉大なる魔法の権威である学院長は、その知識と魔法の全てを総動員し、宝物庫の造りをより強固な物に変え警備を強化した。

 狙い始めたばかりの宝物庫がみるみるうちに強化されるのを見て、フーケは歯がみした。
 そして、やがて宝物庫はフーケでは、いや、熟練のスクウェアクラスのメイジの集団ですら突破できないであろう領域にまで強化された。
 本塔が根本から破壊されたとしても、宝物庫はその四角い密室を保ったまま瓦礫の中でたたずむだろう。

 フーケは考える。
 この宝物庫を破るにはどうすればいいのか。扉を開ける瞬間を狙えばいいのか?
 いや、駄目だ。トライアングルやスクウェアのメイジ達の見守る中を突破するなど不可能だ。
 宝物庫の開閉は学院長、教師五人以上及び衛兵五人以上の同伴が学院の規則で取り決められている。

 フーケは決断する。今踏みしめているこの壁を破って中の物を盗み出そうと。

 方法は考えている。

 魔女の雷を使うのだ。












 使い魔品評会を数日後に控えたある日の夜。
 才人とルイズは月夜の下、二人で広場に居た。

 才人は先日ルイズが開発したばかりのコルベール式自転車一型にまたがり、前輪につけられたペダルをこいでいた。
 そして、足をとめるとハンドルにすえつけられたブレーキ用の棒を勢いよく引く。
 ゴムの摩擦が木でできた車輪の回転を止め、自転車は急停止した。

「どう、ブレーキは?」

「んー、悪くはないんだろうけどなぁ。なんつーか、ちゃっちい」

 才人は自転車に新しくつけられたブレーキを眺めながらそう言った。

「ブレーキは自転車の中でも特に重要な部分なんだ。頑丈で強固で確実な作りにしないと、いざというとき大変なことになる」

「馬車は急には止まれないって言うわよ?」

「それは馬車の抱えている欠陥だろー。急停止さえできていれば轢かれず助かった人がきっとたくさんいたはずだ」

「……まあね。馬車で命を落とす人は毎年多くいるわ」

 才人は補助輪の外された自転車を降り、ルイズへと引き渡す。

 ルイズは既にブレーキをどう改造しようかと思考の波の中で揺られていた。

 そんな時、才人はふと感じた巨大な気配に背後を振り返った。

「んなっ!? ちょちょちょちょちょちょ」

「うるさいわね。考え中よ邪魔しないで」

「そんなことしてる場合じゃねー! ルイズ! 後ろ! 後ろ!」

「あによ……」

 振り返って、ルイズは驚愕した。
 三十メイルはある巨大な土のゴーレムが、巨体をゆらして歩いていたのだ。

 才人はそれを指さしてルイズに向かって叫ぶ。

「るるるるるいず、あれなんだ!?」

「ゴーレムよ。あの大きさ、戦略級のスクウェアゴーレムじゃない。何でこんな場所に……」

 巨人は真っ直ぐにある方向へと歩いていく。

 その先にあるのは、学院の本塔だ。

 ルイズは驚きを思考の奥底に押し込め、状況を把握しようと考えを巡らせる。

「スクウェアレベルの土魔法、本塔……学院長室、いえ、宝物庫。まさか土くれのフーケ!」

「土くれって……前言っていた盗賊か?」

「ええ、可能性は高いわ。あの先には、貴重なマジックアイテムとかが収められた宝物庫があるの」

「おいおいおいそれってやばくね?」

「いえ、今の宝物庫はすごい頑丈だからあの大きさのゴーレムでも……」

 ルイズがそう言った矢先、巨大なゴーレムは本塔へと辿り着き人を模した腕を広げ、本塔に抱きついた。

 ゴーレムは宝物庫のある壁へ腕と胸を押しつけると、その身を土から鋼に変え始めた。

 それを見たルイズは、ゴーレムを操るメイジの狙いに思い至った。

「その方法があったか……! まずいわ、あのゴーレム、本塔を壊して『宝物庫ごと』宝を持ち去るつもりよ」

「なんじゃそりゃあ!」

 その大胆な発想に、才人は目を白黒させた。
 まるでニュースで見た、重機を使ってお金をATMの筐体ごと奪う手法のようだと才人は思った。

 ゴーレムの上半身は徐々に鋼に変わっていく。
 才人は腰のデルフリンガーを抜いた。

「デルフ、行くぞ!」

「おいおいおい相棒、あんなでかいのぶった切るつもりか」

 駆け出そうとする才人に、デルフリンガーは困惑の声を上げた。
 当然だ。
 あんな巨大なゴーレムに剣一本で立ち向かおうとするなど前代未聞だ。

「下がりなさい、サイト」

 そんな才人に、ルイズは冷たく指示を出す。

「いや、でも放っておくわけには……」

「良いから下がりなさい。そんな短い剣でどうあの巨大なゴーレムを斬ろうというの。何事にも相性というのがあるのよ。そう、この場合は剣ではなく魔法よ」

 そう言いながらルイズは才人の肩を引いて下がらせ、逆に自らが前に出た。

 その端麗な顔に鋭い表情を浮かび上がらせ、ルイズは本塔にしがみつくゴーレムを真っ直ぐ見据える。

「サイト、あなたにはまだ魔法の持つ本当の『力』というものを見せていなかったわね」

 振り返らずに、ルイズは背後の才人へと語り始めた。

「ああいう大きなゴーレムを打ち倒す方法は三つ。ゴーレムを操るメイジを直接狙う、同じかそれ以上のゴーレムをぶつける、そしてもう一つ……。ゴーレムを形作っている素材により強力なゴーレム操作の魔法をかけて支配し、自分の物にしてしまう方法よ」

 そう言うとルイズは、両の腕を伸ばしゴーレムへと向けた。
 この腕こそ、ルイズの持つ魔女の杖だ。

「見せてあげる。わたしの持つ『力』を」

 ルーンを唱える。
 長く、唄うかのような詠唱。
 そしてルイズは腕を横へ払った。

「弾けろ。『ゴーレム生成』!」

 破壊の力がゴーレムを支配する。
 土でできた太い足の透き間から光が漏れ、鋼でできた上半身に亀裂が入る。
 ゴーレムは身を仰け反らせ大きく震え始める。
 そして一瞬止まったかと思うと、大きな衝撃とともにその身を四散させた。
 轟音が学院を包む。

 土煙が広場を覆い、月の光を遮る。
 やがて土煙が消え光を取り戻すと、本塔に寄り添っていたゴーレムは跡形もなく消えていた。
 あれほどの魔法だったというのに本塔の壁には傷一つ無い。

 ルイズは服の埃を払い後ろへと振り向くと、才人に向けてウィンクを飛ばした。


 土くれのフーケは、その一部始終を遠くから眺めていた。

 想定外の事態。
 本来ならば、宝物庫の壁はあのゴーレムごと崩壊していたはずなのだ。
 それがなんだ。爆発など無かったかのように本塔は立派にそびえ立っている。

 ルイズの魔法が弱すぎたと言うことはないだろう。巨大な鋼のゴーレムを粉塵になるまで破壊し尽くすその力。これで破れぬはずがないのだ。
 おそらく彼女の使う魔法は、フーケが想像するよりも遙かに繊細で奥が深い物なのだろう。

 ルイズの操る魔法は、自分の盗賊としての格を遙かに超えた代物だ。そう直感したフーケは、歯ぎしりをしながら夜の闇へと姿を消す。

「おのれ、ヴァリエール。あの化け物め!」












 使い魔品評会が終わって数日後の夜、ルイズは部屋で一枚の手紙を読んでいた。

「あれ、それ手紙? 知り合いから?」

 そこに、風呂上がりの才人が部屋に戻って来、ルイズの眺める便せんに注目した。

「ええ、屋敷にいる姉から。去年までこの学院で一緒に居たんだけれど、卒業してね。手紙でやり取りをしているのよ」

「へえ、姉貴が居るのか。いいなぁそういうの」

 才人はそう言いながら、自分のベッドに腰を下ろす。
 ルイズはそんな才人を見ながら、手の中にある便せんをひらひらと揺らしてみせた。

「それでね、面白いことが書いてあって……」

「へえ、どんなの?」

「土くれのフーケ、母さまが捕まえたんですって」

「へえ、なるほど……って、ええ!?」

「どうもフーケはわたしがゴーレムを破壊したのをお気に召さなかったみたいで、ヴァリエールの屋敷に忍び込もうとしたみたい。そこを母さまに見つかって、そのまま母さまに直接叩き潰された、と」

「おいおいあんなでかい土の巨人作るやつが一人に負けたって?」

「わたしの母なのよ、あの人は。そう言えば解るでしょう?」

 こうして世間を騒がせた土くれのフーケは捕まり姿を消す。
 フーケは世の中にルイズ以上の化け物がいることを知らなかったのだ。




一巻終了。次からはアルビオン編です。



[5425] 風雲ニューカッスル城その1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/03 23:37

□風雲ニューカッスル城その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 ルイズは自らのメイジとしての力量をライン相当であると考える。

 四大魔法のメイジにはドット、ライン、トライアングル、スクウェアの四つの段階が存在するが、それは魔法に掛け合わせる属性を重ねられる数によって区分けされている。

 では、段階の違うメイジの差とは何か。

 戦闘活劇を好むメイジの少年達はそれを戦いにおける強さの差だと思っているのだが、それは違う。
 属性の相性や得意とする魔法によっては、それは簡単に覆される。ドットがトライアングルを打ち負かした逸話など歴史上にいくつも存在する。
 魔法研究者ならば、戦争用の魔法を使ったこともないのにトライアングルの力量を持つなどということもざらにある。

 ルイズはメイジの階級を魔法の「真理」にどれだけ近づけたかを測るものであると考える。

 熟練したメイジが多くの属性を重ねられるようになるのは、始祖ブリミルがもたらした四大魔法の「真理」に近づき魔法という技術を理解しているからである、と。

 そして、ルイズは自らの爆発の魔法について、ライン相当の「真理」を得ているだろうと感覚的に捉えている。
 トライアングル、そしてスクウェアの高みに届くには、さらなる研鑽が必要だ。そして、その真理の探究には爆発の魔法だけそのものではなく万物の知識や四大魔法の真理を知ることが必要である。そう思い続けている。


 ルイズが魔法学院の授業に出るのはその真理の追究の一環だ。本来、学院で学ぶような内容など五年以上前に全て学習済みだ。
 それでもなおこうして教室の最前列で授業を受けるのは、熟練のメイジである教師達の教科書には載っていない知識と経験則の披露を直接目で見るためだ。

 今ルイズは教室で『風』の授業を受けていた。
 教鞭を振るのは風のスクウェアメイジ、ギトーだ。

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

 最強の系統、という言葉を聞いてルイズは吹き出しそうになった。
 自分の魔法はどの系統だからお前より俺の方が強い、などという話は属性の魔法を覚え始めた少年達が言うような言葉だ。
 だがルイズはそれも仕方が無いと思う。

 まだ三十路にもなっていないこの若い教師は、元軍人だ。
 若くしてスクウェアの領域へと辿り着き、将来の隊長候補とまで言われたほどであるらしい。
 こうして魔法学院で教鞭を振るっているのは、軍の同僚といざこざを起こしたためだ。軍の規律は厳しい。退役となった彼は、その魔法の腕を学院に売り込んだのだ。

 そんなことをルイズは考えていると、ふと隣に座っていたはずのキュルケが居ないことに気付いた。
 教室を見渡すと、教室の階段の中程にキュルケが立っているのが見えた。

「何があったの?」

 そうルイズは隣の才人に尋ねる。

「ああ、なんだかあの先生がキュルケに、自分に火の魔法をぶつけてこいって……」

 才人がそう言うやいなや、キュルケの前方に直径一メイルもある巨大な火の玉が浮かび上がった。
 直撃すれば即死してもおかしくはない。キュルケは殺る満々だった。

 轟音と共に撃ち出される火の魔法。
 それを前にして、ギトーは慌てる様子もなく短くルーンを唱え杖を振るう。
 ギトーの背後から強風が吹き荒れた。

 キュルケの放った火球はその強風の前に霧散し、熱をまとった風がキュルケへと迫る。

 それを見ていたルイズは咄嗟に腕を上げ指を弾いた。

 教室に響く轟音。

 煙がはれたそのとき、キュルケは呆然とした表情で棒立ちになっていた。

「ミスタ・ギトー!」

 ルイズはキュルケの無事を確認すると、振り返ってギトーに叫んだ。
 全身に響くような声に、ギトーは軍の上官を思い出して思わずびくりと身体を震わせ背筋を伸ばした。

「戦闘の実技訓練は教室内でやるものではありません。オールド・オスマンの耳に入っては事ですよ」

「う、うむ。反省しよう。ミス・ツェルプストー、着席してよろしい」

 ギトーはルイズから目を逸らしながらキュルケに指示を出す。
 キュルケは自分の魔法が通用しなかったのが気にくわなかったのか、むすっとした表情で席へと戻った。

 そしてギトーは再び講釈を開始する。

「さて、このように『風』はすべてを薙ぎ払う。『火』も、『水』も、『土』も、『風』の前では立つことすらできない」

 ドットの鉄ゴーレムをドットのエア・ハンマーで吹き飛ばすことはできないのだが、ルイズはそれを口にすることはなかった。無駄に授業を妨害する必要もないだろう。論破するのは授業が終わりに近づいてからで良い。

「残念ながら試したことはないが、『虚無』さえ吹き飛ばすだろう。それが『風』だ」

「あら、でもルイズの『爆発』は吹き飛ばすことができなかったようですね」

 ギトーの講釈にキュルケがそんな合いの手を入れる。
 キュルケの言葉に教室中から小さな笑いがあがった。

 ギトーは鋭い眼光で生徒達をにらみつけ、その笑いを止める。

「……ゆえに、『風』は最強の属性たり得るのだ。目に見えぬ『風』は、見えずとも諸君らを守る盾となり、必要とあれば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、『風』が最強たる所以は……」

 ギトーは杖を胸の前に構えた。
 そしてルーンを唱え始める。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 ルイズはそのルーンに聞き覚えがあった。昔、母から見せてもらった風の魔法。
 机から身を乗り出してその魔法の完成を待つ。
 だが、突如教室の扉が開き、集中を乱されたギトーは魔法の詠唱中断する。

 何事か、と教室中の皆が扉を振り向くと、そこには全身にチェーンを巻き付け油まみれになったコルベールが居た。

「ミスタ、何事ですか。授業中です」

「ミスタ・ギトー。申し訳ない。本日の授業は全て中止となりました?」

「中止とな?」

「はい、そうです。教室の皆さんにも大切なお知らせがあります。背筋を正して聞くように」

 背筋を正す前にまず自分の格好をどうにかしたらどうか、と教室の皆は思ったが、口に出す者はいない。

「皆さん、本日のトリステイン魔法学院にとって、よき日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、めでたい日であります」

 コルベールは後ろ手に手を組み言葉を続ける。全身に巻き付けられたチェーンが鈍い音を立てた。

「恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 教室中がざわめき立つ。
 そんな様子を一人眺めていた才人は、あのコルベール先生がこんな真面目な顔をすることもあるんだなぁ、と一人思っていた。ブリミルの降臨祭に並ぶなどと言われても彼にはそのすごさが理解できていなかった。コルベールの言葉にも、お姫様がいるなんてますますファンタジーっぽいなー、と思っただけだ。

「したがって、粗相があってはいけません。急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 生徒達は皆顔に緊張した表情を浮かべる。姫殿下といえば王妃と並ぶ現在の国のトップだ。
 そんな生徒達の中、一人、立ち上がる者がいた。ルイズだ。

「ミスタ・コルベール。申し訳ないですけど少々お待ちいただけますか? ……ミスタ・ギトー!」

「む、なんだね?」

 生徒達と同じように真面目な顔を浮かべていたギトーは突然呼ばれた名前に困惑を返す。

「先ほど使おうとしていた魔法、是非続きをお見せいただきたく思いますわ」

「こ、これ、ミス・ヴァリエール!? 話を聞いていたのかね!?」

 そんなルイズに、コルベールが驚きの声を向ける。

「聞いていましたわ。でも、魔法一つ見るだけの時間はあるでしょう。ミスタ・ギトーが使おうとしていたのはスクウェアスペルの中でも秘術と呼ばれるもの。時間を割いてでも見る価値は皆にとってもありますわ」

「ふむ……」

 その言葉を聞いてギトーは頷きあごをさすった。
 確かに自分が使おうとしていたのは軍の隊長格に伝わる強力な魔法。それをルーンを聞いただけでこの少女は見破ったというのだ。
 ギトーはこのトリステインの『賢者』に自分の魔法を披露したくなった。

「あいわかった。ミスタ・コルベール。すぐに終わるのでお待ちいただきたい」

「むう、仕方ありません。私は次の教室に行きますので、早急に切り上げるようお願いいたしますぞ」

 そう言ってコルベールは教室を後にする。
 残されたギトーは、先ほどと同じように胸の前に杖を構えた。

「一度しかやらぬので見逃さないように。ユビキタス・デル・ウィンデ!」

 詠唱を終えた瞬間、ギトーの横が霞み、やがてそこにもう一人のギトーが現れた。

「風は遍在する。これが風のスクウェアスペル。『遍在』だ」

 教室がざわめく。
 分身下もう一人のギトー。顔や体格だけではない。服や手に持った杖すらも完全な形で二人に分かれていた。

「驚くのはまだはやい。どれ……」

 二人のギトーは同時に小さくルーンを呟き、杖を前へと振るう。
 二人の杖の先から、『ライト』の魔法の光がともった。

「『遍在』はもう一人の自分を生み出す魔法。遍在を唱えた時点でこの魔法は終わり、他の魔法を使うことができる。そして、遍在ももう一人の自分として魔法を唱えることができるのだ。これが『風』が最強であることの証明だ」

 教室の皆がその魔法に魅せられていた。
 コルベールが教室にやってきてからずっと一人で本を眺めていたタバサも、本を閉じてその魔法に注目していた。

「す、すばらしいですわミスタ・ギトー」

 ずっと不機嫌だったキュルケもその光景に見とれ、驚きの声を上げた。

「いや、私もまだまだ未熟。軍のころの同僚ワルドは、三つの『遍在』を作り出して見せたものだよ。……いかがだったかね、ミス・ヴァリエール」

「ええ、素晴らしい魔法でしたわ。ありがとうございます」

 ルイズはそう言うと、腕を胸の前へと上げて指を弾いた。
 遍在で生み出されたギトーが爆発し、風となってかき消える。

「むう!?」

「さあ、皆さん、姫殿下が参りますゆえ、急ぎましょう。御覚えがよろしくなるようしっかりと杖を磨きましょう」

 ルイズはそう言って才人の手を引き教室を後にする。
 ルイズにとって『遍在』の魔法そのものはどうでもいいものだった。ただ、どのように分身が生まれどのように消え去るのか、それを見たかっただけなのだ。












 その日の夜。ルイズの部屋にはいつものように三人の魔女と、一人と一匹の使い魔が集まっていた。

「お姫様、綺麗だったなぁ……」

 ワイングラスを片手に、才人はそんなことをぼんやりと呟く。

「意外とサイトって面食いなのね」

 そんな才人にキュルケは笑いながら言う。

「ただのエロ犬なだけよ」

 ルイズは手に持った紙を眺めながら、辛辣な言葉を述べた。
 タバサは一人会話に乗らず、ワイン片手に優雅に読書をしている。ルイズの部屋には貴重な本が揃っていると最近タバサは気付いた。

「おま、ひでえなぁ。これでも健全な思春期の少年だっつーの俺は」

「健全なのに隣で寝るルイズに手を出さないのはどうしてなのかしらねぇ」

 キュルケはにやにやと笑いながら才人をからかい、そしてルイズの方を見た。

「ルイズ、式典の最中ずっと不機嫌だったけどどうしたの? 他の人みたいに姫殿下ばんざーいとでも言っていればよかったのに」

「今日は真面目に授業を受けようと思ったのにいきなり中断したからよ」

「お姫様を見ても嬉しくなかったの? 他の子達なんかあの王女見てきゃーきゃー騒いでいたわよ」

「今更姫様を見ても、ねえ……」

「ああ、そうか。あなた子供の頃からのあのお姫様の知り合いなんだっけ」

 キュルケは昔聞いたルイズの子供時代の話を思い出しながらそう言った。
 他の貴族達にとって姫は雲の上の存在だが、ルイズにとって姫は仲のよい幼なじみなのだ。

「ま、姫様はどうでも良いでしょう。それよりも、タルブよタルブ!」

 ルイズは身体を前へと乗り出すと、手に持った紙をテーブルの上に叩きつけた。

「ああ、あのメイド……シエスタだっけ? その子に何か話聞いていたわね」

「そう、聞けば聞くほどあの子の故郷はおかしいのよ。例えば、名物のシチュー、ヨシェナヴェ。サイト、これはなんだって?」

「ああ、日本の伝統料理の寄せ鍋のことだな。山で取れる野菜や根菜、それと肉を鍋に入れて醤油や味噌で味付けして煮込んだ鍋料理。寄せ鍋、ええと、発音はヨ・セ・ナ・ベだ」

 才人はルイズと二人でしたシエスタとの会話を思い出しながら言った。

「それに、シエスタが村から持ってきていたショユを少しなめさせてもらったけど、あれは間違いなく醤油だ。日本の料理にかかせない調味料で、ハルケギニアに対応するヨーロッパにはないものだよ」

 そこまで聞いて、キュルケもルイズ達が何を言いたいのか理解する。

「つまり、異世界のサイトの国にあるはずのものが何故かタルブ村にある?」

「そういうことよ」

「偶然ってことは無いの? ええと、例えばこの世界でニッポンに対応する遠い国から交易で流れてきたものがその村で落ち着いたとか」

「調味料自体の一致はともかく、名前の一致はおかしいのよ。サイトに確認したけどハルケギニアの言葉はヨーロッパの言葉とは全く対応していないわ」

 それを聞いて、キュルケは腕を組んで思考を巡らせる。
 そして、横で一人黙々と本を読み続けるタバサに視線を送った。

「タバサ、あなたもちょっと考えなさいよ。これじゃわたし一人がルイズに知恵比べを挑まれているみたいだわ」

 キュルケの言葉に、タバサは本を閉じずわずかに上目遣いになって小さく呟いた。

「彼と同じ人がいる」

「同じ人? どういうこと?」

「ニッポン人」

 そこまで言ってタバサは本へと視線を戻した。

「えーと、つまりどういうことかしら?」

「わたしがサイトを召喚したのと同じように、何らかの手段でニッポンからタルブ村まで世界を超えてやってきた人がいるということよ」

 ルイズはそうキュルケへ謎かけの答えを教えた。

「ショユもミソもヨシェナヴェも、全て突然村に現れたシエスタの曾祖父が村に伝えたものだそうよ。そして、その曾祖父が村に現れたときにまとっていたというマジックアイテムが、これ」

 そこまでルイズはまくしたてると、先ほどテーブルの上に置いた紙を手の平で叩いた。
 その紙には、何かのオブジェが細かく描かれている。

「『竜の羽衣』という空飛ぶ秘宝だそうよ」

「『竜の羽衣』……また仰々しい名前ね」

 キュルケはテーブルの上におかれた紙を眺める。
 翼を広げた大きな鳥のような姿をしたオブジェの絵。

「これのどこが竜なの?」

「竜じゃないわよ。ねえサイト、これは何か教えてあげて」

 ルイズはワインを飲みながら二人の会話を聞いていた才人へと話を振る。

「……ああ、それは飛行機だ」

「飛行機!? あの大陸と大陸と飛んで行き来するっていう地球の乗り物!?」

「大きさからして多分一人乗り。時代を考えると……多分、世界大戦をやっていたときの戦闘機だ。何十年も前、地球のいろんな国が同時に戦争を行っていて、こんな大きさの戦うための飛行機が毎日のように空を飛んで殺し合っていたんだ」

「カガクでできた地球版の騎竜ってとこかしら? 壮大な話ね」

 キュルケはそんな感想を述べながら、絵をまじまじと見つめた。

「そういうわけで、わたしと才人は近日中にタルブ村に行くつもりよ。何日か学院を離れるけれど、あなたたちも付いてくる?」

「うーん、付いていきたいけれど授業サボって大丈夫かしら?」

「大丈夫よ。ミスタ・コルベールに話を通すつもりだから。彼、自転車にご執心だからもっとすごいサイトの国の乗り物を調べてくるって言えば大喜びで外出許可を申請してくれるわ」

「あら、それなら是非ミスタにも付いてきて欲しいわね。二人で辺境の村まで旅行とか素敵じゃない」

 と、そんなことを話していると、突然扉の方からノックの音が響いた。

「こんな夜中に誰かしら?」

 キュルケはルイズを促した。
 ノックは規則正しく、一定のリズムを刻むように部屋に響く。

 その音に、ルイズは何か心当たりがあったのか目を見開いた。

「これは……いえ、確かに今日なら……」

 そう呟いて立ち上がると、ゆっくりと扉を開いた。
 そして、どうぞと来訪者を部屋へと招いた。

 その人物に、キュルケ達は眉をひそめた。
 怪しいのだ。漆黒のマントに身を包み、頭巾を目深に被っている。

 黒マントの人物は部屋の半ばまで進むと、懐から魔法の杖を取り出した。
 突然の事に、キュルケとタバサは咄嗟に身構え、各々の杖を黒マントへと構える。

 だが、ルイズはキュルケ達に「大丈夫」と伝え、杖を下げさせた。
 黒マントの人物はルイズに軽く会釈すると、ルーンを唱えて杖を振った。
 杖の先から光の粉が生まれ、部屋に降り注ぐ。

「……ディテクトマジック探知?」

 キュルケが光の粉を見てそう呟いた。黒マントの人物はその言葉に頷く。

「どこに耳が、目が光っているか解りませんから」

 ディテクトマジックは部屋のあらゆるところからマジックアイテムの反応を探知した。
 が、どうやらそのなかに魔法の耳やどこかに通じる覗き穴がないようであった。

 それを確認した黒マントの人物は、ゆっくりと頭に被った頭巾を取った。
 そしてルイズへと話しかける。

「夜分遅く申し訳ない。お久しぶりです、トリステインの『賢者』よ」

 そこに居たのは、トリステイン王国を動かす枢機卿。白髪と白髭の老いた顔の鳥の骨、マザリーニであった。



[5425] 風雲ニューカッスル城その2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/04 14:44

□風雲ニューカッスル城その2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 机を囲むようにして一同は座る。
 思わぬ人数超過に、ルイズはクローゼットの奥から野営用の折りたたみ椅子を持ち出して自分はそこに座っていた。

 そしてルイズは座ったまま傍らの老人を皆へ紹介する。

「こちらはマザリーニ枢機卿。サイト以外は知っていると思うけど、この国の宰相よ」

「ふむ、宰相では無いのですがまあ良いでしょう」

「わたしがトリステインの王宮でお世話になっていた頃の、ええと、上司? 違うわね。とにかく、お世話になった方よ」

「はは、世話になったのはこちらの方ですよ『賢者』殿」

 マザリーニはあごひげを手で撫でながらそう笑った。

 キュルケとタバサは目の前の人物を知っていた。
 いや、トリステインに住む者なら皆知っているであろう人物だ。彼は、実質的なこの国の最高指導者であった。

「そしてマザリーニ様。ここにいるのは学院での友人達ですわ。こちらがゲルマニアからの留学生、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」

 ルイズの紹介に、キュルケは優雅な会釈を返す。

「こちらがガリアからの留学生、タバサ」

 いつの間にか本を閉じていたタバサは、キュルケに習うように頭を下げる。
 普段は周りなど知ったことではないという態度を取るタバサだが、これでも元王族。正しい態度を取るべき状況というものは重々理解していた。

 そんなタバサを見て、マザリーニは「ほう、あなたが」と小さく呟いた。
 彼は外交にも深く関わる人物。当然のことながらこの学院にガリア王家に連なる者が留学してきていることは把握していた。

「そしてこちらがわたしの使い魔、ヒラガ・サイト。地図にも載っていない遠い遠い異国の地からお越しいただいた賢人でございます」

「遠い異国の賢人ですとな? はは、それはまた『賢者』の名にふさわしい者を召喚したものですな」

 笑いながら才人を見るマザリーニ。
 その笑いに嫌みは全くなく、心から『賢者』のルイズを讃える言葉として放たれていた。

 そしてひとしきりルイズの友人達を眺めると、マザリーニは椅子に深く座り直して語り始めた。

「まず、皆様には私が何故夜分に賢者殿の部屋まで訪ねてきたのかをご説明しなければなりませんな。なに、やましい目的などございませんぞ。実はですな、トリステイン一の知識を持つ賢者殿に、まつりごとの相談に参ったのです」

 まつりごと、と聞いてキュルケは眉をひそめた。
 目の前にいるのはこのトリステインの政治の全てを牛耳っているような人物だ。

 それが、この小さな桃色の魔女に相談だと?

「賢者殿には昔から様々な御知恵をお貸しいただいていましてな。……例えばそう、皆様は城下町、王都トリスタニアに訪れたことはございますかな?」

「ええ、水の街の名にふさわしい美しい街並みでしたわ」

 キュルケは髪の毛をかきあげながらそう言った。
 トリスタニアは美しい都だ。ゲルマニア、トリステインと様々な都市を見てきたキュルケだが、トリスタニア以上に美しさにあふれた街を彼女は見たことがない。

「そう言っていただけると治める甲斐がございますな。では、そこにいる清掃を行う水メイジを見たことは?」

「ありますわ。他の町ではなかなか見ない光景ですわね」

「そう、この水メイジこそ賢者殿が考え出した疫病を防ぐための方法なのです」

 マザリーニは手を打ち合わせてそう言った。

「あれは八年も前のことでしたかな。アカデミーの所長が私に進言したのです。王都に水のメイジを使わし徹底的にゴミを無くせと。何故か、と聞いて驚きました。汚物と衛生の関係と、王都を清掃することによる効果を詳しく、そして解りやすく書かれた資料を渡されたのです。そして、私はさらに驚きました。この資料を作ったのは普段姫殿下と一緒に王宮内を走り回っている、あのヴァリエール家の三女殿だと」

 マザリーニの口は止まることなく動く。
 まさしく政治屋の口。早口だというのに、その言葉はキュルケの頭にすらすらと入ってきた。

「傭兵やごろつきに身をやつした平民のメイジを集め、早速町の清掃を始めました。するとどういうことか、一年もする頃には清掃区画から病人が一気に減少したのです」

 汚れは病へと繋がる。その概念は、ハルケギニアにも存在する。
 だがその概念を適用されたのは医療の現場だけであり、市街地の汚物処理には繋がっていなかったのだ。

「町の景観をよくするという理由もあり、貴族からも水のメイジを集めて王都の清掃に当たらせました。それが今日、水の都と呼ばれるトリスタニアになっているのです。病人が減れば働く者も増え、町が潤い税も集まる。見事な賢者の采配ですな」

 そこまでマザリーニは言うと、語り口を止めあご髭をいじりながら軽快に笑った。

 話をずっと聞いていたキュルケは、少し驚いた顔でルイズの方を振り向いた。

「ルイズ、そんなことやってたの?」

「アカデミーの人に見せたのは穴だらけで稚拙な論文以下の紙切れよ。わたしはただあの頃、病気がちなちいねえさまが過ごすには世界は汚すぎる、と思っていただけ」

「はっはっは、謙遜なさるな。それは今日に続いている確かな思い。ミス・フォンティーヌはあなたの手で病を克服したと聞き及んでおりますよ」

 そう笑うマザリーニの様子を見て、国のトップにずいぶんと気に入られたものだとキュルケは思った。

「ねえルイズ、この前留年したときのための論文なんて書いていたけど、そんなことしなくてもこの方に言えばいくらでも働き口はあったんじゃないの?」

「嫌よ。マザリーニ様になんて頼んだら、国の中枢入りは確実。わたし政治には興味ないの。領地も領民もいらない。一人のんきに研究員をしたいわ」

「私としては今すぐにでも学院を辞めて王宮へ来て欲しいものですがなぁ……」

 そんなマザリーニの言葉に、肩をすくめ頭を振るキュルケ。
 ただの同級生の悪友が国を動かす重鎮に招かれる。スケールが違いすぎる話だ。

「ま、このように賢者殿は自分からまつりごとに関わるのを良しとはしませんが、まつりごとに関わる知識が膨大なのは確かなこと。ですから以前からこうやって相談に乗ってもらっていたのです」

「なるほど……あ、でもトリステインの国政に関わることを話すなら留学生のわたし達は席を外した方が良いのかしら?」

「いえ、かまいませぬよ。どちらにしろこのような王宮から遠く離れた場所での相談事。そこまで重大なことは話しませぬ」

 そう前置きをしてから、マザリーニはルイズに質問を投げかけ始めた。
 上下水道の整備、飢饉の対策、新法の正当性。おおよそこの小さな魔女にはふさわしくない話ばかりであった。

 ルイズはそれにすらすらと答えていった。
 この知識を持ってかつて『賢者』の二つ名で呼ばれたルイズだが、今の彼女はその当時よりも内政について強みを持っていた。それは、トリステインよりもはるかに進んだ異国日本の話を才人から毎日のように聞いているおかげであった。
 例えば、こんな話。

「アルビオンの内乱が激しく、このままでは王家が倒れるのも時間の問題でしょう。となれば、国際法で定められた国際共通貨幣法のエキュー法も危うくなるところ。しいては、トリステイン独自の貨幣を用意しようと思うのですが、深刻な問題が……」

「偽造、かしら?」

「そうなのです。最近の賊どもは金の錬成を可能にする土のスクウェアメイジをトップに抱えているらしくてですな。水のトリステインでは彼らの偽造を防ぐことが難しいのです。これが土のゲルマニアなら偽造のできない貨幣を用意できるのでしょうが……」

「あら、アカデミーの方々はそんなぼんくら揃いではありませんわ。……サイト、ちょっと財布の中身を借りるわよ」

「あ? ああ……」

 ルイズは才人にそう言うと、才人の小物入れから彼の財布を取り出すと、中から五百円玉を取りだした。

「これは賢人ヒラガの居た異国ニッポンで広く流通した貨幣です」

「む、これは……おお、まるで装飾細工のようだ!」

「それをアカデミーお抱えの職人に見せて再現させれば、偽造は困難になりますわ。偽造がはびこるのも、貨幣の価値を中の金属に頼り切っているからです」

「ふむ、すばらしい。これはお借りしても?」

「サイト、いいかしら?」

「ああ、かまわねえよ。どうせ五百円だし、この国じゃ使い道ねえし」

 これが財布に入った虎の子の一万円札なら躊躇したところだが、才人は五百円玉と聞いてまあ良いかと軽く了承した。

「だそうです。ふふふ……マザリーニ様、その貨幣がわずかパン五つ分の価値しかないと言ったら驚きますかしら?」

「これがですとな!? むう、これは素材の価値を考慮したとしてもエキュー金貨をはるかに超える代物ですぞ」

「ちなみに彼の国では、高価な貨幣は全て国の発行する小切手のようなものだそうです。トリステインでそれをやるのは難しいですけれど」

「ふむなるほど。今度また時間のあるときにでもその異国の政治の話を聞いてみたいものですな」

 そのような話を繰り返しながら、ルイズとマザリーニは二人で会話をかわしていく。

 そして、やがてマザリーニのその言葉は愚痴に変わっていった。
 やれ王妃は政治に全く興味を示そうとしない、やれ姫は王族の義務である他国の者との結婚を自分から言い出したというのに嫌がる。

 横でその話を聞いていたキュルケは嫌われ者の鳥の骨にもいろいろあるのだと実感した。隣のタバサはいつの間にか読書を再開していた。

 そんなマザリーニの愚痴にルイズは。

「いやまーそうでしょーねー」

 と虚空を見上げながら言った。

「昔、姫さまに『帝王学の成績も悪いしこのままだと将来は政略結婚の駒ですね』って言ってから、なんだかあくどい施政者と夢見るお姫様の二面性を持つようになっちゃって……」

「なんと! まあ賢者殿には困ったものですな……」

 呆れたように眉をハの字にするマザリーニ。
 彼は別にルイズの信奉者というわけではなく、彼女が様々な面倒事を引き起こす魔女であることも知っていた。

 と、そんなことを話していると、突然扉の方からノックの音が響いた。

「あら、今度は誰かしら?」

 キュルケはルイズを促した。
 ノックは規則正しく、一定のリズムを刻むように部屋に響く。

 その音に、ルイズは何か心当たりがあったのか目を見開いた。

「これは……いえ、そうだわ、予想してしかるべきだった……」

 そう呟いて立ち上がると、ゆっくりと扉を開き、どうぞと来訪者を部屋へと招いた。

 その人物に、キュルケ達は眉をひそめた。
 またもや怪しい人物が部屋に入ってきたのだ。マザリーニと同じように漆黒のマントに身を包み、頭巾を目深に被っている。

 頭巾の人物は部屋の半ばまで進むと、懐から魔法の杖を取り出した。
 ルーンを唱えて杖を振った。
 杖の先から光の粉が生まれ、部屋に降り注ぐ。

ディテクトマジック探知、ね……」

 どこかで見たような光景にキュルケそう呟いた。頭巾の人物はその言葉に頷く。

「どこに耳が、目が光っているか解りませんからね」

 ディテクトマジックは部屋のあらゆるところからマジックアイテムの反応を探知した。
 その反応に、頭巾の人物はあわあわと左右を見渡した。その様子を見ていたルイズは、小さく「大丈夫です」と語りかけた。

 それを聞いた頭巾の人物は、ゆっくりと頭に被った頭巾を取った。
 そしてルイズへと話しかける。

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

「姫殿下!?」

 ルイズ達の誰のものでもない、マザリーニの驚きの声が部屋に響き渡った。



[5425] 風雲ニューカッスル城その3
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/05 02:17

□風雲ニューカッスル城その3~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 部屋に響くマザリーニの声。
 それに対し、来訪者であるトリステイン王国の王女アンリエッタは言葉を返す。

「あらマザリーニ。こんばんは」

 驚いた様子もなくけろりとした様子で彼女は言った。

「こんばんは、ではありませんぞ殿下! このような時間に護衛もつけずに何をしておいでですか!」

「あらあら。その言葉はそのまま返しますわよ宰相さま? こんな夜更けに女の子の部屋に居るだなんてはしたないわ」

「私は賢者殿に政治の相談をしにきただけですぞ」

「あらまたなの? またなのマザリーニ? ルイズに頼ってばかりでは彼女も大変よ。まあわたくしもルイズに相談があってきたのですけれど」

 そこまで言うと、アンリエッタはルイズの方へと向き直る。
 そして両手を広げてルイズへと抱きついた。

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

「いえ、この前騎士団の竜を見せてもらうときに会いましたが」

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

「聞いてませんね。というかその台詞予め考えていましたね? 姫さまには堅苦しい行儀などするだけ疲れるのでいつも通りで良いですね?」

「ええ、そうねそうよルイズそれでこそわたくしのルイズね! 心を許せるおともだちはあなただけよ!」

「友達がいないのは作ろうとしないからでは?」

「まあ、酷いわ! 王宮には口うるさいくせに自分は何もしない母上や、わたくしがお仕事を手伝っているというのに失礼にも日に日に痩せていく枢機卿や、頭の中が空っぽの癖に欲にだけは敏感な宮廷貴族たちばかり! 偽名を使って城下町で遊び回った方がずっと心が安まるわ」

「で、殿下! 私の目を盗んでそんなことを!」

 アンリエッタの言葉に椅子から立ち上がり詰め寄ろうとするマザリーニ。
 だがアンリエッタはマザリーニの前で手をひらひらと振って下がらせた。

「こうなったのもルイズが王宮を離れてしまってからのこと。こうして話していると幼い頃を思い出すわね、ルイズ。一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたあの日! 泥だらけになって!」

 ルイズに抱きついていたアンリエッタは、ルイズから身を離すと、今度は手の平でルイズの両肩に触れダンスを踊るかのようにくるくると回り始めた。

「……ええ、その最中『秘密の花園の少女たち』の台詞を間違ったわたしに、姫さまはわたしが覚えられるまで花園の暗唱を命じましたね」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみあいになったこともあるわ! 『不思議の国のアニエス』に出てくるお菓子のようでわたくしすごい欲しかったのに、食い意地をはったルイズに蹴り飛ばされたわね。ああ、喧嘩になるといつもわたくしが負かされていたわ。あなたに全身を爆破されてよく泣いたものよ」

 友人達の前で自分の過去を暴露されたルイズは、顔を赤くしながらも会話を続ける。

「いえ、姫さまが勝利を収めたことも一度ならずございましたわ」

「思い出したわ! わたくしたちがほら、アミアンの悲劇と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫さまの寝室で、ドレスを奪い合ったときですね」

「そうよ、『舞台女優ごっこ』の最中、どちらがオードリー役をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一発が上手い具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのおなかに決まって」

「姫さまの前で、わたし、嘔吐いたしました」

 それからアンリエッタは口元を抑えてあははは、と笑った。ルイズは笑いつつも恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。

 才人は椅子に座りマザリーニをなだめながらそんな様子を見つめていた。
 ルイズの過去も驚いたが、目の前の姫様の言動にも驚きだ。

「なあ、キュルケ。二人がどんな知り合いなのか知っているか?」

 二人の中に割って入って聞き出す勇気もなく、才人は隣に座るキュルケに訊ねた。

「ルイズは幼い頃、定期的にトリステインの王宮に行ってお姫様の遊び相手を務めたそうよ。劇舞台ごっこをよくやったそうね」

「殿下が劇舞台が好きなのは、賢者殿が殿下を城下町の劇場に連れ出したのがきっかけですな」

 落ち着きを取り戻したマザリーニは、キュルケの言葉にそんな逸話を付け足した。

 才人はそんな二人の言葉を聞いて、アンリエッタが何故こんな芝居がかった話し方や動きをしているのか理解した。
 彼女は今、旧友と劇舞台ごっこの続きを行っているのだろう。ルイズのノリは良くないが。

 そんなことを考えている間にも、アンリエッタとルイズの会話は進んでいた。

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

「自由を代償に国で一番の地位を得ているではないですか」

「地位、地位だなんておかしい。わたくしは籠に飼われた鳥よ、ルイズ。結婚するのよ、わたくし。それも、昔から恐れていたゲルマニアとの政略結婚の駒として」

 よよよと奇妙な泣き声を口にしながら床に腰をつくアンリエッタ。

 そんな様子を見て、マザリーニは思わず立ち上がった。

「殿下! アルビオンの驚異に対抗するには、ゲルマニアに輿入れし同盟を組むのが一番と言い出したのは殿下ではありませんか!」

「あらそうだったかしら。でも、政治と恋は別物ですわ。一度会っては見たものの、あの皇帝は全然好みではないの。ああっ! 可哀想なわたくし!」

 アンリエッタは床に腰を下ろしたまま額に手の甲を当てて天井を仰ぎ見た。
 彼女は一通り身をくねらせると、演技に飽きたのか体を起き上がらせてマントの埃を払った。

 そして、自分を見る呆れた視線に気付く。

「あら、ごめんなさい。おともだちとの夜の談話を邪魔したようね。はじめまして、わたくしはこの国の王女、アンリエッタ・ド・トリステインですわ。……そちらはゲルマニアのミス・ツェルプストーに、ガリアの姫騎士ミス・オルレアン。そして、ルイズの使い魔であり異国からやってきた賢人であるミスタ・ヒラガでよろしかったかしら?」

「え、ああ、はい」

 突然呼ばれた自分の名前に、才人達三人はアンリエッタを不思議そうな目で見た。

「あら、いきなり名前を呼んで驚かせてしまったかしら? ルイズのことが心配で、ときどき学院の話を部下から伝え聞いているの」

「心配という割には、いつも賢者殿の奇行にお腹を抱えて笑っておりますな、殿下」

「普段の王女の仕事には潤いが足りないから、フォークが落ちただけで笑ってしまうですのよ、わたくしは」

 マザリーニの言葉に、アンリエッタは口元に手を当ててくすくすと笑いながらそう返した。

 そして、アンリエッタは笑いを止めると、笑みの上にわずかに真面目な表情を作って、ルイズへと語りかけた。

「さて、ルイズ・フランソワーズ。今日は相談事があって参りました。折角です、マザリーニもそこにお座りになったまま聞いてくださいまし」

 かしこまって言うアンリエッタに、ルイズは背筋を伸ばしてその話を聞く。

 アンリエッタは言葉を続ける。

「先ほど申しましたように、わたくしはゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになりました。同盟のためです。まあ仕方がありませんね、呑気に王宮で過ごしていたらいつアルビオンの貴族たちに首をはねられるか解ったものではありませんもの」

 アンリエッタは首に手刀を当てながらそう言った。
 芝居かかった台詞はなくなったが、それでも演劇のように身振り手振りをまじえて話していた。

「そして、アルビオンの反乱勢力はトリステインとゲルマニアの同盟を驚異と感じています。したがってこの婚姻を妨げるための材料を血眼になって探しています」

「……では、もしかして、姫さまのめでたい政略結婚をさまたげるような材料が?」

「そう、そうなのよフランソワーズ! 都合良くそんなものが存在してしまっているの!」

 そんなアンリエッタの言葉を聞いて、マザリーニは思わず立ち上がった。

「で、殿下! 聞いておりませぬぞそんなことは!」

「言ってませんもの。まあ、落ち着いて最後まで聞いてくださいまし」

 アンリエッタはマザリーニに座れというジェスチャーをして、再び語り始めた。

「婚姻の妨げになるほどの材料。それはわたくしが以前したためた恋文なのです」

「こ、恋文?」

 ルイズは思いもしなかった言葉に思わず聞き返してしまった。

「そう、恋文です。わたくしから、アルビオンの愛しのウェールズ皇太子に宛てた一通の手紙です」

 そこまで聞いて、マザリーニは椅子を蹴倒してアンリエッタに詰め寄った。

「殿下ーっ! 聞いておりませぬ、聞いておりませぬぞそんなことはっ!」

「あらマザリーニ、そんな大声を上げてははしたないわ」

「はしたないわ、ではございませぬ!」

 騒ぐマザリーニにそれを淡々とかわすアンリエッタ。
 才人達は知るよしはなかったが、これは王宮で毎日のように繰り返されている二人の風景であった。

「……ええと、姫さま。アルビオンの王子に宛てた恋文が、嫁ぐはずだったゲルマニアの皇帝を怒らせる、ということですよね?」

 そんな二人にルイズがそうアンリエッタに訊ねた。

「ええ、そうよ」

「恋文の一枚や二枚、簡単に偽造できるものですよね。アルビオンの貴族たちが恋文を見つけても、それは偽書だと主張すれば良いのでは?」

「それができないのですよ、困ったことに。手紙にはね、一級文書用の王家に伝わる魔法のインクで、始祖ブリミルの名で誓った永遠の愛とわたくしの署名が書かれているの。トリステイン王室発行の手紙だと言うことは位の高い貴族なら解ってしまうわ」

「な、なんでそんなことを……」

 唖然とするルイズとマザリーニ。
 そんな二人の後ろでずっと無言を貫いていたタバサがぽつりと呟いた。

「花姫」

「そう、よくご存じですねミス・オルレアン! あの舞台『花人の姫』のあのシーン、自らの頭の花の蜜をインク代わりにして人間の王子へと恋文をあてたあのシーンにわたくしは感銘したのです」

 その言葉を聞いてマザリーニはただただ頭を抱えた。

「殿下、何故そのようなことを……」

「説教は聞きませんよ、マザリーニ。必要なのは過去を嘆くことではなくこれからどうするか。そこでルイズ・フランソワーズ、お願いがあるの」

 アンリエッタが期待に満ちた目をルイズに向けた。
 ルイズはそれを見てただただ嫌な予感しかしなかった。

「ルイズ、あなたにはこの手紙をアルビオンのウェールズ王子の元から受け取って来て欲しいのです。何なら、その場で燃やしてしまってもかまいません」

「殿下!?」

 突然のアンリエッタの言葉に、マザリーニは声を裏返しながら叫んだ。

「殿下、賢者殿に何をさせようとしているのか解っておいでですか!? このような任務、軍に任せるのが筋ではございませんか!」

 そんなマザリーニの言葉を聞いて、アンリエッタは「あら」と瞬きをしながら答えた。

「戦うことしか知らない脳みそまで筋肉でできたような軍人が何の役に立つというの? 彼ら、鶏の卵ですら王宮からこの学院にまで割らずに運べないのよ。……まあでもそうね。確かに戦場に行くならそんな軍人も役には立つでしょう。グリフォン隊の隊長を一人つけましょう」

 もはやマザリーニは言葉も出なかった。駄目だ。自分にはこの腹黒姫を止めることはできない。

 一方のルイズは、眉間にしわを寄せながら考え込み、そしてアンリエッタに言葉を放った。

「姫さま、王命とあらば国に忠誠を誓った公爵家の娘として謹んでその任務お受けしますわ。ですが……ぶっちゃけわたし、死にますよ?」

 上目遣いで自分より長身のアンリエッタを見上げるルイズ。

 だが、アンリエッタはルイズのそんな言葉に首を振って否定した。

「だめよ、だめよルイズ、そんなこというの。あなたがこんな任務で死ぬはずがないわ。わたくし知っているのよ。あなた、ガリアの秘密騎士に付いていって色々な揉め事を解決しているのでしょう? 知っているのよ。吸血鬼退治に翼人と村人の調停。ただの一学生にはできない功績だわ。情けない軍人達では絶対に無理だわ」

「……何故それを」

「国外の情勢を知るために密偵を使うのは政治の基本だと思わなくて? ルイズ」

「……密偵がいるならそちらに頼めばよろしいのでは」

「あら、賢者ともあろう人が何を言っているの? 密偵というのは何年も何十年も相手の元に潜伏させて初めて効果を発揮するもの。急に戦場に密書を奪還してこいなど専門外、とても無理な話よ」

 そこまで語り、アンリエッタはルイズに笑いかけた。
 その笑みは口元をつりあげる、魔女の笑みと呼ばれるルイズの笑顔にとても似ていた。

「行ってくれるかしら、ルイズ・フランソワーズ?」




あとがき:姫様ヘイトでもめるくらいなら、いっそのことヘイトなんてどこ吹く風ってくらい濃いキャラに魔改造しちゃえばいいじゃない。



[5425] 風雲ニューカッスル城その4
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/06 02:29

□風雲ニューカッスル城その4~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





「行ってくれるかしら、ルイズ・フランソワーズ?」

 そう笑顔でルイズに告げるアンリエッタ。
 それに対し、ルイズも笑顔を作り返した。

「ええ、解りましたわ、姫さま。その代わり……」

「報酬ならしかと払うわよ。騎士の称号を与えても構いません」

「いえ、それもいただきますが。それよりも一つ」

 ルイズは笑顔のまま、腕を上げて手の平を胸の前で握った。

「一発殴らせてください」

「魔女ォーッ! 姫殿下にーッ! なにをするかーッ!」

 ルイズの言葉に一拍おいて、突如扉が開き何者かが部屋になだれ込んできた。

 それは、以前才人と乳戦争を引き起こした貴族の少年、ギーシュであった。

「姫殿下! そのような卑しい魔女に頼ることはありません。その任務、このギーシュ・ド・グラモンにお任せください!」

 ギーシュは右手に携えた薔薇の造花を振りながら、優雅にアンリエッタに進言した。

 ルイズは自分の部屋に無断へ参上したギーシュを一睨みすると、その横へと無言で歩いていく。
 そして、先ほど握った拳でギーシュのあごを殴り上げた。魔女式アッパーカットである。

「おぶぅッ!?」

「姫さま、どうやら盗聴されていたようです。どうしますか? 縛り首ですか?」

「あらあらまあまあ、困りましたわ。でもルイズ。縛り首はいけないわ。ええ、駄目よそれは」

 アンリエッタは口元に手を当てながら困惑の表情を浮かべた。

「縛り首は死体がとても汚くなるから、貴族の死に方として美しくないわ。ここはやはり斬首刑よ」

 アンリエッタはさらりとそんなことを言った。
 ギーシュは突然告げられた物騒な言葉に目を白黒させた。
 おかしい。こんなはずでは。格好良く登場しその任務お任せください、まあ素敵な殿方是非お願いします、と運んで姫殿下の覚えを良くするはずだったのだ。

 死刑を告げられたギーシュは、脂汗を流しながら誰か助けて貰える人がいないかと部屋を見渡した。
 そして、こちらを眺めるマザリーニと目があった。

「殿下。このような場所で話をしていたのは我々に非があります。死刑は認められませぬ」

 その言葉に、ギーシュはほっと胸をなで下ろす。

「せいぜいが、数年の禁固と、耳をそぎ落とす程度でよろしいでしょうな」

「ででででで殿下! このギーシュ・ド・グラモン! けっして国に害をなす目的で盗み聞きをしていたわけではありませぬ! そう、その任務その任務、わたくしめにお任せくだされば、すぐさま手紙を取り戻してみせましょう!」

 ギーシュはやけになり、とにかく勢いで誤魔化そうとした。

 アンリエッタはそのギーシュの言葉にふと考え込んだ。

「グラモン? あの戦争狂のグラモン元帥の縁者かしら?」

「せんそうきょ……息子でございます姫殿下」

 思わぬ父の評価にギーシュは唖然とするが、死刑か否かの正念場と言うことを思いだしギーシュは真面目な顔でアンリエッタに応える。

「あらあらそれなら手柄を逸るのも仕方が無いですね。ねえルイズ、この人は使えるかしら?」

「まあ矢よけくらいにはなるかと」

「ルイズ!? 酷くないかい!?」

 ここでフォローしてもらわねば困ると焦ったギーシュだが、相手は魔女であることを思い出し自分で何とかしなければと考えを巡らせる。
 そしてランプに照らされた暗い室内を見て、何とか知恵をひねり出した。

「姫殿下、僕は『土』のメイジでございます。聞き伝えるところによるとグリフォン隊の隊長殿は『風』のメイジ。そしてキュルケは『火』でタバサは『風』。ルイズに至っては系統魔法を使えません。この『土』の力はきっと役に立つことでしょう」

 それがギーシュが何とか考えついた自分を売り込むための売り文句。
 だが。

「ちょっとギーシュ。何言ってるの。キュルケとタバサなんて付いてくるわけ無いでしょう」

「え、そうなのかい?」

「何でトリステインの問題に他国の貴族が関わるのよ。この中で行くのはわたし一人よ」

「サイトもかい? 彼は君の使い魔だろう?」

「死んだらどうするのよ。客人よ彼は」

 そう腰に当てながらギーシュに言うルイズ。
 アンリエッタが依頼したのはあくまでルイズにだけ。別にこの部屋にいる全員に頼んだわけではないのだ。

 だが、そのルイズの言葉に、キュルケはルイズの背後から語りかけた。

「ルイズ、行かないとは言っていないわよ。……トリステインの姫殿下。わたしの故郷であるゲルマニアとの同盟の危機と聞きました。この任務、このフォン・ツェルプストーもご一緒してよろしいでしょうか?」

「キュルケ!?」

「あら、それは頼もしいですわ。でも、トリステイン王国の者であるわたくしには、あなたに命じる権限はございませんわ。でもアルビオンに旅行に行くルイズ・フランソワーズに友人として同行するというのなら誰も止める者はいないでしょう」

 のほほんと言うアンリエッタ。
 一方のルイズはギーシュを掴み上げていた手を離し、キュルケへと詰め寄った。

「キュルケ、キュルケ本気なの!?」

「ここまで聞いておいてあなた一人で行かせると思って、ルイズ?」

「解ってるの、戦場なのよ!」

「何を今更、ね。オーク鬼の巣には連れて行って戦場は駄目なんて道理が通っていないわよ」

 指先で髪の毛をくるくると巻きながらキュルケは何のこともないというように言った。
 ルイズは何とかして考えを改めさせようと思考を巡らせ始める。
 だがそんなルイズの横で、タバサが本を閉じ、顔をルイズの方へと向けた。

「わたしも行く」

「タバサも!? 何言ってるの。あなたは完全に関係ないじゃない!」

「今更。わたしの任務をいつも手伝っているのは誰?」

 タバサの視線は揺るがない。
 勇者になるのだと誓ったタバサの思いは強固だ。
 そして、タバサがその剣と杖で守るのは自分の母を救った少女、ルイズである。

「俺も行くぞ」

 焦るルイズに追い打ちをかけるかのように、才人も言った。

「女の子一人戦場に送り込んで見ているだけなんて、日本男児のやることじゃない」

 才人は自分に浸っていた。物語の中のような世界に喚び出され、『ガンダールヴ』という選ばれた力を授かった彼。自分がここにいるのはこのためなんだ、などと言う青臭い、それでいて少年らしい思いが全身を巡っていた。

「サイト、あなたまで何を言っているの。これはわたしが受けた任務。あなたには関係ないわ」

「今更、だな。俺はお前の使い魔なんだぞ、御主人様」

 その言葉を聞いてルイズはただただ頭を抱えた。
 もう彼女には彼らを止められない。策を打つ前にキュルケ達の決心は固まってしまっていた。

 そんなルイズとその友人達の様子を見て、アンリエッタはトリステイン一とも呼ばれるその美しい顔に笑みを浮かべていた。





 結局、キュルケ達三人とギーシュは、ルイズと同行することとなった。
 マザリーニはしきりにルイズに頭を下げていたが、ルイズはただ学院を離れる理由を学院長向けにでっち上げて欲しいとマザリーニに告げるだけで彼女自身も引く様子はなかった。

 その後、アンリエッタは身分証代わりだと言って指にはめていた指輪をルイズに渡した。

「姫さま、これは?」

「トリステインの王族に伝わる秘宝、『水のルビー』です。一節には、始祖ブリミルに由来を持つ神器であるとか」

 そう告げられたルイズは、その指輪を目を輝かせてまじまじと見つめた。

「ウェールズ様はそれと同じ『風のルビー』を身につけていておいでです。身分を証明するのに役立つでしょう」

 その言葉を聞いて、ルイズはアンリエッタがこの任務をただ適当に命じたわけではないと理解する。
 始祖ブリミルの神器。まさしく唯一無二の国宝。
 そんなものを死を前提とした任務の場に持たせるわけがない。アンリエッタは、本気でルイズという人物の力を買ってこの命を授けたのだ。

「明日、グリフォン隊の隊長に身分を証明するための文書も持たせます。マザリーニ、よろしくて?」

「……あいわかりました」

「そして、もう一つウェールズ様に届けてもらいたい物があります」

 そう言って、アンリエッタはキュルケ達が座るテーブルまで歩き、先ほどルイズが座っていた椅子へと座った。

 テーブルの上を一通り眺めると、アンリエッタは座ったままルイズへと振り返る。

「ルイズ、紙とペンを貸していただけます?」

 その言葉を聞いて、ルイズはアンリエッタに愛用の四色ボールペンと机の横に摘まれた紙を一枚渡した。

「あら、良い紙を使っているのね」

「ヴァリエール領で作らせている植物紙です。質は良いですが原価はたいしたことはございません」

「ですって、マザリーニ。それとこれは、ペン、なのかしら?」

「はい、わたしの使い魔である賢人ヒラガ・サイトの国で広く使われているインク入りのペンです」

 そう言って、ルイズはアンリエッタに四色ボールペンの使い方を教える。
 アンリエッタは初めて見る地球の道具に、新しいおもちゃを与えられた子供のように驚き喜んだ。

「まあ、まあ色インクがたくさん入ったペンなのね。素敵ね。ではこの色を使って……」

 キュルケ達の見守る横で、アンリエッタは紙の上にペンを走らせた。
 闇夜の中でランプが一つ灯っているだけの薄暗い部屋ではその内容を盗み見ることはできなかったが、時折アンリエッタが「ウェールズ様……」とつぶやきながら虚空を見上げたり、「ああっ! ブリミルよわたくしたちを引き裂くだなんて!」と両手で自らの肩を抱きながら体を左右にひねる様子を見て、ルイズ達はおおよそアンリエッタが何を書いているのかの予想が出来た。

 そしてアンリエッタは書き終わった書を巻き、杖を振って魔法の封を施した。
 魔法の蝋に押された花押には、アンリエッタの横顔が形作られていた。

「その密書をウェールズ様にお渡ししてください。件の書をルイズに渡すように書いてあります」

「密書? 恋文の間違いでは?」

「あらいやだ、ルイズ・フランソワーズったら。恋文を回収するために恋文を渡すはずがないじゃない」

 そんなことを言うアンリエッタは両の手を頬に当てて首を左右に振っており、誰がどう見ても彼女の言が嘘であることは明白であった。





 その日の夜遅く、ルイズと才人の二人だけになった部屋で、ルイズは一人机に座り珍しく羽ペンで書をしたためていた。

 明日は朝が早いというのにいつまでも寝間着に着替えようとしないルイズに、才人は眉をひそめながら語りかけた。

「何書いてんだ?」

「遺書よ」

 振り返ることなくルイズが答える。

「いしょぉ?」

 頭に疑問符を浮かべながら才人はベッドの上から降り、ルイズの横へと歩く。

「見て良いか?」

「どうぞ」

 ルイズの返事に、才人は今も何かを書き続けているルイズの手元を覗きこんだ。

「……筆記体はまだ読めねえや」

「そうだったわね。これはね、要約すると、『私が死んでも私が死地に行くよう命じた人のことを探らずそっとしておいてください』って書いてあるの」

 まさしくそれは遺書だった。

「それ、逆に調べようとするやつ出てくるだろ」

 そんなルイズの遺書に、才人は思わず突っ込みを入れた。押すなよ、絶対に押すなよ、という伝統芸だ。
 ルイズの返答はと言うと。

「あらよくわかってるじゃない。わたしを盲信する軍人やメイジ殺しの知り合いとかも結構居るから、私が死んだら王室ってどうなっちゃうのかしら」

 淡々と、ルイズはそう言った。

「おいおい、俺、ルイズのことそこまで外道だとは思っていなかったんだが……」

「人に死んでこいと命令するなら、その相手に殺されることぐらい覚悟するべきだわ。わたし、国のためと言えど死にたくないの」

 ルイズは公爵家の娘だが、自分のために破壊の力を追い求めるその生い立ちのせいか、国への忠誠心というものが薄かった。
 国のために、という貴族の意思で彼女が動くことはない。
 同じくして領民のために、という古き時代の貴族の意思も彼女は持ち合わせてはいないため、ルイズはおおよそ貴族らしからぬ貴族であった。いや、自分のために、という卑しい貴族の意思は持ち合わせているのだが。

 ルイズの答えに、才人はさらに言葉を続ける。

「じゃあ断れば良かったじゃないか」

「王のいないこの国では、姫さまの言葉は王の言葉に等しい。王命って言うのは、そんなに簡単に断れるようなものじゃないのよ、残念ながらね」

 そう言いながらも、ルイズは遺書を書く手を止めることはなかった。



[5425] 風雲ニューカッスル城その5
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/07 18:13

 ルイズは遠い遠い日の思い出を夢として見ていた。
 それは、十年以上も前のこと。ラ・ヴァリエールの屋敷で母に何故魔法が使えないのかとしかられ、毎日のように一人庭に逃げ出していた過去。
 夢の中のルイズも、その過去をなぞるように説教の最中庭に逃げ、池に浮かべた小舟の中へと隠れ一人泣いていた。

 ルイズの夢。それは、幼いルイズの視点ではなく、空の上から幼い自分が泣く様子を見下ろす物であった。

 夢の中。しかし、ルイズははっきりと自分が過去を見ているのだと認識していた。

「なんでわたしだけがこんな目にあわなければならないんだろう……」

 泣きながら、幼いルイズはそう嘆いた。
 これはあの嵐の夜より以前の光景。眼下のこの幼子は、魔法が使えぬと嘆き、皆に蔑まれ、ただただ心を歪め続けている。

 それを見て、ルイズは叫んだ。

 ――顔を上げろ! 目を見開け! 自分の魔法を見ろ! お前は破壊の力に愛されている!

 だがその声は届かない。

 代わりに、幼いルイズへと語りかける声があった。

「泣いているのかい? ルイズ」

 それは、銀髪青目の美しい少年だった。

 誰だろう。そう一瞬思い悩む空に浮かぶルイズだったが、すぐに思い出した。
 ラ・ヴァリエール領の隣、ワルド領を預かる子爵家の若き当主、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。

 もう十年も会っていないその少年を見て、ルイズは当時のこと思い出していた。
 何故魔法が使えぬと叱られ、ただただその現実から逃げ続け、一人で泣き、そしてこの少年に慰められるのだ。
 今のルイズにとっては恥ずかしく、そして忌まわしい過去だった。

 ルイズの見守る中、少年は幼いルイズを優しい言葉でなだめていった。
 そして少年は幼いルイズの手を取り、共に屋敷へと向かい歩いていく。

 ルイズはそれを見て、再び叫んだ。

 ――そっちへいくな! 逃避そっちはお前の行くべき道じゃない!

 声は響かない。
 だが、その叫びに幼いルイズはゆっくりと振り返り空を見上げた。

「ほんとうにそれでいいの?」

 幼いルイズは、空のルイズへと向けてそう呟いた。

「あなたはそれでほんとうにいいの? まじょでいいの? わたしは……」

 気がつくと、夢の中の幼いルイズは、現実の自分と同じ少女の姿へとなっていた。
 そして、こちらに背を向ける少年の手を握りながら夢のルイズは言葉を続ける。

「わたしはおうじさまヒーローに救われ愛されるおひめさまヒロインでいたい」

 そう告げた夢のルイズは、少年と二人屋敷へと消えていった。





□風雲ニューカッスル城その5~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 ルイズは朝に弱い。
 二度寝は当たり前のことで、朝食を抜くことも多い。
 ハルケギニア中を冒険したり、格闘の腕を鍛えたりなど健康極まりないルイズの体。
 それでも小さく細い彼女の体はやや低血圧気味であった。

 任務初日の朝、ルイズは才人に起こされ寝ぼけ眼で窓の外を眺め、そして朝食に起きるには早すぎる時間に起こされたことを怒り才人を蹴りつけようとした。
 だが、そこで才人に任務のことを指摘され、大慌てで荷造りを始めた。

 そして昨晩ワインのつまみとして用意して結局手をつけなかったパンを朝食としてかじりながら、ルイズと才人は学院の外へと向かう。
 朝番の衛兵が守る門の外、そこには既にキュルケ、タバサ、ギーシュの三人がそろっていた。
 彼らの傍らにはそれぞれの使い魔が同行しており、キュルケの使い魔フレイムと、ギーシュの使い魔のジャイアントモールがきゅるきゅるもぐもぐと挨拶を交わしていた。

 その様子を眠そうな目で眺めていたキュルケが、ようやく姿を見せたルイズを見つけて声を上げた。

「ルイズ、遅いわよ。……またその格好なの?」

 キュルケが眉をひそめながらそう言う。

 ルイズの格好は、普段の魔法学院の制服ではなく、平民が着るようなデザインの動きやすくそれでいて頑丈な服であった。動きの邪魔になるマントは背に負った皮袋の中に入れてある。
 そしてウェーブのかかったストロベリーブロンドの長い髪は頭の後ろで結び上げポニーテールにしていた。
 彼女と共に現れた才人も、いつもの絹で出来た服ではなく、傭兵が着るような厚手の服に身を包んでいた。

 ルイズの腰には短剣。才人の背にはすっかり話が合い相棒となった長剣のデルフリンガー、腰にはソードブレーカーを下げている。
 二人とも、どこからどうみても平民そのものの格好であった。

「動きやすさ優先よ。これから行くのは観光地じゃなくて戦場なの」

 そう言いながらルイズはポケットに手を入れ何かを取り出すと、キュルケにそれを放った。

「指輪? ルイズ、これは?」

「杖よ。いつもの杖を手放したときの切り札にでも使って。それ一つで王室ブランドの杖が三本買えちゃうから、大切にしてね」

 そうルイズは言い、そして今だお辞儀を続けるサラマンダーとジャイアントモールの姿に目をつけた。

「使い魔、連れて行くの?」

「あなただって連れているじゃない」

「フレイムも主人の言いつけを無視して付いてきたいと言うような単純馬鹿な使い魔なのかしら」

「おいおい、心配してやったのに単純馬鹿はねーだろう」

 ルイズの思わぬ評価に才人は苦笑しながらルイズに言う。
 ルイズはそれを黙殺し、フレイムの傍らでふごふご鼻を鳴らすジャイアントモールを見た。

「ねえギーシュ、モールを竜の背中に乗せるつもり?」

「駄目なのかい? 秀才のルイズ」

「モグラを空に浮かべた話なんて聞いたこと無いわ」

 その言葉にギーシュは自分の使い魔に大丈夫かいと聞くと、ジャイアントモールはもぐもぐと頷いた。

 そんな様子をルイズは眺め、一人計算していた。

 ――五人にサラマンダー、ジャイアントモール。追加で一人とグリフォン。隊長格のグリフォンなら三人は乗れるから……。

 行程の計算。この任務はただアルビオンに行って帰ってくるだけのものではない。
 ウェールズ皇太子の居るニューカッスル城へ辿り着くには反乱軍との戦闘も予想され、可能な限り体力と精神力を温存しなければならない。
 疲労の溜まる馬を使うのは論外で、いかに空を飛ぶ風竜とグリフォンで楽をするのかが重要となるのだが、その風竜とグリフォンの疲労も考えなければならない。

 ルイズはとりあえずの目標をアルビオンへの便がある港町ラ・ローシェルに定め、一日の飛行を考えた。
 風竜ならば半日とかからず飛べる距離だが、大所帯を考えると急ぎすぎるのも駄目だ。
 ルイズは今更になってアンリエッタから追加でグリフォンを用意してもらうのだったと後悔した。

 そんなことを考えていると、ルイズの視界にふと影が差した。
 グリフォンが空から降りてきたのだ。

「やあ、待たせてしまったかな」

 そう、グリフォンの背に乗る騎手がルイズへと語りかける。
 グリフォンはゆっくりと地へと降り立ち、その背から羽帽子の貴族が飛び降りた。

 ルイズ達の前に立ったその貴族は、優雅な仕草で帽子を取り彼女達に一礼した。

「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。姫殿下の命により参上した」

 髭面の貴族は凛とした表情でそう告げると、やがて彼は表情を崩し笑みを作った。

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 そう良いながら髭面長身の貴族、ワルドはルイズへと駆け寄った。

「お久しぶりでございますミスタ・ワルド。隊長になられたようで、おめでとうございます」

「ああ、本当に久しぶりだ! 十年ぶりかい!」

 そう言いながらワルドは、まるで幼子をそうするかのようにルイズを抱きかかえ持ち上げた。

「相変わらず軽いなきみは! まるで羽のようだね!」

「お恥ずかしいですわ。ミスタ・ワルド。わたしはもう六歳の子供ではないのですよ」

「おお、これは失礼。きみもすっかり可愛らしいレディに育ったものだね」

 ワルドは笑顔のままルイズを地面に下ろし身体を離した。

「いや、懐かしい再開に浮かれてしまったようだ。ルイズ、同行する彼らを紹介してくれるかい?」

 そんなワルドの言葉に、ルイズは薄い笑みを顔に貼り付けたまま答えた。

「道中でお教えしますわ。急ぎの任務、まずは日が昇る前に出発致しましょう」












 ラ・ローシェルに向けて二匹の魔獣が空を行く。
 ワルドが操るグリフォンにはルイズが乗り、シルフィードの上にはキュルケ、タバサ、才人、ギーシュが狭そうに乗り込んでいた。

 キュルケは竜の背の上で爪の手入れをし、タバサはいつも通り本を手に一人黙っている。タバサは本を読みつつも指につけた魔法の指輪に微弱な精神力をこめ、風よけの魔法を使っていた。風で本のページがめくれるのを嫌ったのだ。

 そして才人とギーシュはそわそわと先頭をいくグリフォンの姿を眺めていた。

「なに、気になるの?」

 キュルケは爪にかけていたヤスリを動かす手をとめ、二人の少年に語りかける。

「い、いやなに、ずいぶんと魔女と親しそうな美男子だなと思ってね……」

 とギーシュ。

「ああいうキザヤローはどこか気にくわないんだよなー。ほら、見えるか? 何だかルイズと身を寄せ合ってくっちゃべってやがる」

 と才人。

「ふうん、気になるんだ」

 キュルケはそんな二人の様子を見てにやにやと笑った。

「ま、わたしもちょっとあの二人の関係が気になるわね。ルイズからあんな知り合いが居るだなんて聞いたことないもの。だからね、あのグリフォンにはフレイムを乗せたわ」

 そのキュルケの言葉に、ギーシュはおや、と呟きそしてにやりと笑ってみせた。
 一方の才人は、何のことやらと首をひねる。

「フレイムが乗っているから何なんだ?」

「おやサイト、ルイズから聞いていないかい? 使い魔は主の目となり耳となると」

「そ、だから今からちょっとフレイムの耳を借りて二人の話を盗み聞きしてみるわ」

 キュルケの言葉を聞いて、才人もにやにやと笑い始めた。
 本を読みながらその話を聞いていたタバサは「悪趣味」と言おうとしたが、ルイズにまとわりつくあの男のことが気になったので口に出すことを止めた。

 キュルケはフレイムに感覚を飛ばし、伝わってくる声を才人達へとそのまま話す。

『ルイズ、きみとはすっかり疎遠になってしまったね』

『仕方が無いことですわ、ミスタ・ワルド。あなたが軍に居る間もわたしは王宮へは訪れていましたが、流石に軍と接触を持つ機会はありませんでしたわ』

『おや、そうかい? この前は騎竜を見に魔法衛士隊に訪れたと聞くし、それに僕の隊にもきみの信奉者はいるんだよ、賢者にして魔女の愛しいルイズ』

『彼らとは軍人としてではなく個人的な友人としての付き合いですわ』

 キュルケはルイズ達の言葉をそうシルフィードの上の面々に伝えると、口元を歪ませ笑った。

「ははーん、ルイズ、これはちょっとご機嫌斜めね」

「そうかい?」

「そうよ。あの子、平民とか貴族とか気にしない癖に、自分が敬意を払った相手に見下されるのが嫌いなのよ」

 なんのこっちゃ、とギーシュと才人は二人仲良く同時に首をひねる。

「公爵家の娘のルイズが相手を『ミスタ・ワルド』と呼び、子爵が自分を『ルイズ』と呼び捨てにする。雰囲気を読まない馴れ馴れしさに結構むきむききているみたいねぇ」

「ああ、なるほど。彼女、いまいちどこを向いているか解らないプライドを持っているからね」

 そんな会話を交わしてから、キュルケは再び盗聴を開始する。

『彼らはただの級友とヴァリエールの客人ですわ』

『そうかい。婚約者だった身としてはきみの恋の行方が気になるものでね』

『あくまで元婚約者、ですわ。僕のルイズ、という言葉もやめてくださいまし。もうミスタ・ワルドはわたしの婚約者ではなく、カトレアお姉様の婚約者なのですから』

『公爵殿との酒の席での口約束さ。いまの時代は貴族ももう許嫁などではなく恋で伴侶を決めるものだ、そう思わないかい?』

『そうですわね』

 ここまで聞いて、キュルケ、ギーシュ、そしてタバサは目を見合わせた。

「姐さんに婚約者がいただなんて……」

 そう驚きの声を漏らすキュルケ。

「おお、何てことだろう。麗しのフォンティーヌに許嫁だなんて……」

 そう薔薇の造花を片手に身をよじるギーシュ。

「…………」

 本を閉じふるふると頭を左右に振るタバサ。

 そんな三人の様子を才人は不思議そうに眺めていた。

「おいお前ら、どうしたんだ」

「……ああ、そうね、教えないと駄目ね。ねえサイト、ルイズに姉がいるのは知ってる?」

「ああ、何やら手紙でやり取りをしていたな」

「そう、ルイズには八歳年上の姉が居てね、去年までこの学院に通っていたの」

「らしいな……って、え? 八歳年上?」

 予想していなかったルイズの姉の年齢に、才人は驚きの声を上げた。
 確かルイズ達の学院は三学年までしかないはず。八歳年上と言うことはルイズの姉は二十四歳。どういうことだろう。

「ルイズのお姉さん、カトレア姐さんは、幼い頃から病を患っていたの。それが最近になって完治して、二十歳になってようやく学院に通うことが出来たの」

「うむ、ミス・フォンティーヌの姿は周りの幼い少女達とは違い、まさしく大人の魅力を放っていた。僕ら年下の男達は、皆彼女の虜になったものさ」

「ルイズの面倒も良く見ていてね、わたしとルイズとタバサの三魔女が問題を起こして彼女がそれをそれとなくフォローするという関係だったの。だから、わたしたちにとっては頼りになる姐さん」

「姐さん」

 キュルケの言葉に、タバサも追従するようにそう言った。
 ずいぶんと皆に慕われた人物であったらしい。

「今年は姐さんがいないからそのフォローの役割をわたしがしなきゃいけないんだけど……。それにしても、婚約者かぁ。彼がそれに釣り合うかと言われると、魔法衛士隊の隊長と考えてもどうかしらね」

「しかしだね、彼女も今年で二十四。そろそろ身を固めても良い頃だよ。残念な話だがね」

「…………」

 本当に残念そうに言うギーシュと、首を振ってそれを否定するタバサ。

 そしてキュルケは一人、考え込むように口元に手を当てていた。

「……まあ、詳しいことはもっと盗み聞きして調べましょう。町に着くのは夕方近くですもの。きっと話題にはたくさんでてくるはずよ」

 そう言ってキュルケは再びフレイムへと感覚を送った。

 こうして一同はラ・ローシェルの町へと到着する。




ワルドが領地を離れた時期:十年前
ルイズ様が落雷を見た時期:十年前
ルイズ様に関わり合いのない人物はだいたいそのまんまです。



[5425] 風雲ニューカッスル城その6
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/08 05:48

 空の港町ラ・ロシェール。日が空を紅に染めた時間にこの街へ到着したルイズ達一行は、貴族向けの宿、『女神の杵』亭で一泊した。
 路銀の浪費を嫌がったルイズだが、ワルド自らが小切手を切り全員分の宿泊費を負担したので結局このラ・ロシェール一の宿を使うことになった。お忍びの任務で小切手もどうなのかと思ったが、よくよく考えると自分たちは目立ちすぎる集団なので今更だとルイズは諦めた。

 そして夜が明け朝、ルイズは同室に泊まっていたキュルケと二人で、魔法の儀式を執行していた。

 メイジならば誰もが必ず一度は行う儀式。魔法の杖との契約だ。

 ルイズは荷物の中に持参していた秘薬に指輪を浸し、そしてぬれたままの指輪をキュルケの指へ通した。

「後は明日の朝になるまでそれを外さずに居れば、契約は完了よ」

「……早いわねぇ。これもあなたが考えたの?」

「違うわ。アカデミーにいる姉さま……カトレア姉さまじゃない方の姉さまが考案した簡易儀式よ。契約は薄いけれど、杖を使い続けることで契約が深まるの」

 ルイズは眼鏡をかけた吊り目の姉を思い出しながらそう言った。

「あなたたち、姉妹揃って優秀なのねぇ」

「いえ、これは別に姉さまが優秀というわけじゃなくて……7、8年くらい前かしら。学院を卒業して暇そうにしている姉さまをからかってよく喧嘩になって、そのたびに姉さまの杖をへし折っていたの」

 杖とは貴族の誇りだ。
 杖を折ることは貴族に対する最大の侮辱とも言われる行為だが、幼いルイズはそれを姉に対し躊躇無く行った。

 一方の姉、エレオノールは繰り返し折られる杖に次第に誇りというものを感じられなくなり、杖を折られた後いかに新しく杖を調達するかという効率的な思考を抱くようになった。
 杖の儀式は六千年続く神聖な儀式。それを変えようと考える者は少ない。
 だがエレオノールはその領域に踏み込み、その全容を解き明かしていった。

「何というかまあ……」

 キュルケはヴァリエール家の姉妹のあり方に呆れかえった。
 もしかすると彼女達は、自分なんかよりゲルマニアの民としてふさわしいのではないだろうか。

「それで面白いことが解ってね、この儀式、魔法の儀式なんかじゃないのよ」

「え、魔法の杖と契約しているのに?」

「この儀式を行えば平民だって杖と契約できて、杖を振ってマジックアイテムを操れる。証拠に、魔法を使えないわたしでも杖との契約は出来るのよ」

 ルイズは自分の腕に仕込んだ杖を皮膚の上から触りながらそう言った。
 この儀式が系統魔法かコモン・スペルによるものならば、魔法の使えぬルイズが行えば杖は木っ端微塵に弾け飛ぶはずだ。

 そんなことをつらつらとルイズがキュルケに説明していたとき、部屋の扉からノックの音が響いた。

 ルイズは立ち上がり扉を開ける。扉の向こうはワルドが立っていた。

「ルイズ、ちょっと来てもらっていいかな?」

「あら、おはようございます。何か用事ですか?」

「ああ、それほど時間は取らせない。中庭の練兵場に来てくれ」

 そういうとワルドは何の用なのかも告げず、廊下の向こうへと歩き去っていった。
 一方的な誘いに、ルイズは後ろへ振り返るとキュルケと二人で肩をすくめた。





□風雲ニューカッスル城その6~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 練兵場。トリステインとアルビオンの国交が穏やかではなかった時代、このラ・ロシェールの街はアルビオンと正面から向かい合う要塞であった。この宿の中庭にある練兵場も、そんな時代の遺産だ。

 そこにワルドに呼ばれるまま訪れたルイズは、その場にワルドと武器を携えた才人がいるのを見て、何事かと眉をひそめた。

「ミスタ・ワルド、何のご用でしょうか?」

「彼の実力を、ちょっと試してみたくなってね」

 ワルドが髭に包まれたあごで才人を指しながらそう言った。
 ルイズはその意図が理解できずに、どういうことですか、と訊ね返す。

「なに、決闘の介添え人として僕達の戦いを見守っていてくれるだけで良い」

 その言葉を聞いて、ルイズはめまいがした。
 何を言い出すのだろう、この男は。本当に軍人は脳みそが筋肉で出来ているのだろうか。

「今はそんなことをしているときではないでしょう。これから何があるかも解らないというのに、疲労を自ら溜めるおつもりですか?」

「そうだね。でも、貴族というヤツはやっかいでね。強いか弱いか、それが気になるともう、どうにもならなくなるのさ」

「強いか弱いか、だなんて、何故それをサイトに求めるのですか。彼はただのわたしの使い魔です。凶暴な魔獣ではないのですよ」

「いやいや、ルイズ、僕は知っているよ。彼は鉈で青銅のゴーレムを軽々と切り飛ばしたそうじゃないか」

 ワルドのその言葉にルイズはため息をついた。あの決闘が軍にまで伝わっているのか。
 ルイズはまだ気付いていないが、トリステインの『賢者』であり『魔女』である彼女が異国の賢人を召喚したという話は、トリステインにいる彼女の信奉者の中ではすでに広く伝わっている噂であった。

「異国から召喚されたメイジ殺し。これはすぐにでも手合わせ願いたい相手だと思ってね」

 ワルドは本気だ。ルイズは彼を止めることを諦め、才人の方を見た。

「サイト」

「なんだ、やめろってか?」

「違うわ。ちょっとこっちへ来なさい」

 ルイズの手招きに、才人は言われるままに従う。
 ルイズは腰の留め金から自分の短剣をはずし側へとやってきた才人へと手渡す。
 そして、小さく才人の耳元で呟いた。

「サイト、わざと負けなさい。そうすれば彼につきまとわれなくなって済むわ」

「えっ」

「いいから従いなさい。下手に勝ったら道中面倒なことになるわよ」

 そこまで言ってルイズは才人の耳に寄せていた顔を離し、才人の背後に回って両手で彼の背中を押した。

「お待たせしました、ミスタ・ワルド。グリフォン隊隊長との相手は辛いと思い、彼には必勝を願ってわたしの剣を貸しました」

「おやおや、仲睦まじいことだ。きみの心を射止めるにはここは是非とも勝たなければいけないね」

 こうして決闘は開始された。





 決闘はあっけないものだった。

 ワルドの振るった杖剣に才人は短剣を大きく吹き飛ばされ、そして返す刃で放たれた『エア・ハンマー』の魔法に才人は練兵場の端に積まれた樽の山へ弾き飛ばされた。

 ワルドは冷めた表情でその様子を眺めると、ルイズの方へと振り返りしんみりと言った。

「解ったろうルイズ。例えメイジ殺しの力を持つ使い魔と言えど、彼ではきみを守れない」

 ルイズはそのワルドの言葉を無視して才人の方へと歩いていく。
 そして才人の額から血が流れているのを見ると、ポケットからハンカチを取り出し、額の血をぬぐおうとする。
 だが、その手をワルドに掴まれ止められる。

「行こう、ルイズ」

 そのワルドの促す声に、ルイズは振り返らずに答えた。

「怪我人の介抱が先ですわ。ミスタ・ワルドは一人で勝利の祝杯でもあげていてくださいまし」

 そう言って、ルイズはワルドの手を振り払い、才人の額をぬぐった。
 そのルイズの態度に、ワルドは語りかけた。

「彼は弱い。足手まといを連れたままアルビオンに行くつもりかい?」

 ルイズは答えない。ワルドは肩をすくめてやれやれと頭を振ると、杖剣を鞘に収めて練兵場から去っていった。

 練兵場にはルイズと才人の二人だけが残される。

「いつつつつ……」

 ずっとだんまりだった才人が、ワルドが去ってようやく声をあげた。
 ルイズはそんな才人の様子に安心して、腰のポシェットから応急手当の道具を取り出すと才人の額の治療を始めた。野外を歩き回ることの多いルイズは、魔法を使わない治療についても熟知していた。

「まったく、修練が足りないわね。受け身を取り損ねるなんて」

「おいおい、樽の山の上でどうやって受け身を取るって言うんだよ」

「わたしは取れるわ」

 淡々と言うルイズの言葉に、才人は苦笑をした。
 これはこれで、ルイズなりの友人への親しい接し方なのだ。彼女と会ってまだ一月弱しか経っていないが、何となく才人はその距離感を理解していた。

 額に血止めを塗りおえたルイズに、ふと才人の背から声が上がった。

「まったくよー。なんだよわざと負けろって。俺にかかればあんな細っちい杖なんてへし折って見せたによぅ」

 才人の相棒を自称する剣、デルフリンガーだ。樽に当たった衝撃で鞘から刀身がわずかにはみ出たのだろう。

「良いのよ、これで」

「わっかんねーなー。一緒に任務するってんなら実力を見せつければいいじゃねーか」

「彼の意図が解らないのよ。実力を知りたいというなら正直にそう言えばいい。決闘がしたかったなんて本気で言うなら……それこそわたしは軍の質を疑うわ。魔法衛士隊隊長ともあろうものが任務中に同行者と決闘? 馬鹿げてるわ」

 才人の治療を終えたルイズは才人の手を取り彼の身を起こすと、キュルケの待つ部屋まで帰っていった。












 その日の夜。
 ルイズ達一行は翌日のアルビオンへの渡航を前に、夕食を食べながら英気を養っていた。
 とは言ってもさして日常と変わることなく、才人とキュルケはワインを片手に談笑をし、タバサは一人本を読み、ギーシュは貴族の他の客へ色目を使い、ルイズはワルドの言葉を聞き流しながらデルフリンガーを両手でいじって調べていた。

 戦場へ行く前夜とも思えない穏やかな時間。
 そこに、突如闖入者が現れた。

 武装した傭兵の一団が、宿の中に踏み込んだのだ。

 突然のことに、酒を交わしていた貴族たちが叫びを上げ酒場はパニックに包まれる。

 咄嗟に反応したのはキュルケとルイズ。互いに魔法を放って宿へ踏み込んできた傭兵達を沈黙させる。

 そして宿の外を眺めると、外は大量の傭兵達に囲まれていた。

「拙いわね、戦場に行く前に戦争に巻き込まれたみたい」

 ルイズは降り注いだ矢の雨にテーブルを蹴り上げ、それを盾にしながらそう言った。
 そして、酒場内に居る貴族たちへと声を投げかけた。

「皆様、この騒動に心当たりのある方はいらっしゃいますか?」

 答えは返ってこない。

「……どうも一番心当たりがあるのはわたし達みたい」

「どうするのよルイズ。外の傭兵、百はいるわよ」

 そう言葉をかわすルイズ達の横に、突然上から何かが落ちてきた。

 荷物。ルイズ達が学院を出るときに持参していたものだ。

 そして次の瞬間、誰からまた上から落ちてくる。

 タバサだ。壊した扉を矢よけ代わりに抱えている。
 いつの間にか二階へと上がり、荷物を取ってきていたようだ。腰には鞘に入った短剣がささっていた。

「あら、気が利くじゃない」

 そう何でもないようにルイズが返す。ルイズ達三人にとってはこの程度の荒事は慣れたことのようであった。

「るるるるるるいず、これは一体どういうことだい!」

 ギーシュが机の下で震えながらそう言った。

「知らないわ。でも、これはわたし達を狙ったものだと考えたらだいたい予想が付かない?」

 ルイズはそう言いながら、荷物をあさり中から一枚の紙を取りだした。
 今朝ワルドから受け取った、マザリーニの署名が入った書状だ。
 それをルイズは矢を腕に受け、水のメイジであろう貴族から治療を受ける店主へと投げつけた。

「店主のおじ様。この騒動で負った店の被害はその書状を添えてトリステイン王国に請求してくださいまし」

「へ、へえ……」

 お前のせいかと激昂しかける店主だが、書面に書かれたマザリーニの名に吐き出しかけた言葉を飲み込み、軽く返事だけを返した。

「さて、こういうときに傭兵や盗賊が取る行動と言えば、精神力が尽きるのをひたすら待つって感じだけど……」

 杖を構えたまま応戦せず机の陰に隠れたキュルケはそう言った。
 その言葉に、ギーシュは懐から杖である薔薇の造花を取り出してキュルケに言う。

「ぼ、ぼくの『ワルキューレ』で蹴散らしてみせるさ」

「そういうことは今の三倍の大きさのゴーレムを作れるようになってから言いなさい。人の大きさしかない青銅のゴーレムなんて、サイトの時みたいに叩き壊されて終わりよ」

 さてどうしたものか、とキュルケがルイズとタバサに目配せをしようとしたところで、ワルドが声を放った。

「いいか諸君」

 ワルドの言葉に、一斉にキュルケ達が彼の方を見る。

「このような任務は、半数が目的地にたどりつければ、成功とされる」

 この言葉の意味するところは、囮を使えということだ。

 彼の言葉にキュルケは神妙な顔つきになる。
 任務を任されたのはルイズ。となると囮になるとしたらまず自分だ。
 ワルドは隊長を任されるほどの手練れ。この場で囮として切り捨てるのは得策ではない。

 覚悟を決めようと、杖を強く握ったその瞬間だ。

「あはははははははははは!」

 突然、ルイズが大笑いを始めた。
 皆が唖然とした顔でルイズを眺める。

「何を言い出すのかと思えば、囮? 馬鹿にしているのかしら」

「ル、ルイズ?」

「ねえ、ミスタ・ワルド。これからわたし達が行くのはどこ? 戦場でしょう? それが何? たかが傭兵の集団に襲われた程度で半分を切り捨てる? なるほど、姫さまが軍は無能だとしきりに言っているのが良く理解できるわ」

 外にいる傭兵の数は集団で済まされる数ではない。だが、ルイズは胸を張りながらそう言った。
 そして、笑いを止め、ルイズは真剣な顔でキュルケの方を見た。

「キュルケ! 敵陣に火を放ちなさい。生物が本能的に恐れる炎を」

 言葉の意味するところは、撤退ではなく応戦。
 あの傭兵の軍勢を魔法を用いて応戦しようというのだ。

「タバサ! 風を呼びなさい。火を舞い上がらせ、矢など吹き飛ばす風を」

 タバサはただ頷いた。
 矢返しの魔法は存在する。先日、風の教師であるギトーは矢どころか燃えさかる巨大な火球すらも吹き飛ばして見せた。

「ギーシュ! 道を開きなさい。わたし達が進むための青銅の道を。敵を食い止めるための油の道を」

 突然のルイズの指示にギーシュは困惑する。
 だが、即座にその言葉の意味するところを理解し、彼は薔薇を構えた。

「サイト! 剣を握りなさい。剣は人を斬って初めて剣になる。あなたはわたしの使い魔。わたしのために血の道を作りなさい」

 才人は従うままに肩の剣を抜いた。
 磨き上げられた刀身を輝かせながらデルフリンガーがルイズの言葉に応、と答える。

「ここにいる貴族の皆様! 杖を構えてくださいまし。外にいるのは魔法も使えぬただの人。杖を振るうだけで彼らはただの家畜の集団となりましょう」

 その言葉を聞いて、カウンターの下で身を屈めていた貴族たちの震えが止まる。
 そうだ、何を恐れているのだ。自分は貴族。剣や矢に頼らざるを得ない平民どもとは違う選ばれた血族。何を恐れる必要があるというのか。

「ミスタ・ワルド。あなたはそこで見ているが良いわ。あなたが囮として切り捨てようとした者の破壊の力を」

 ルイズは拳を強く握る。
 ラ・ロシェールの全傭兵と貴族達の少年少女達との戦争が始まった。



[5425] 風雲ニューカッスル城その7
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/08 18:18

□風雲ニューカッスル城その7~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 宿から影が躍り出た。
 傭兵達はそれを確認すると同時に一斉に矢を放つが、人影は止まらない。
 目をこらして見てみると、それは人ではなくゴーレム。

 人と同じ作りをしたゴーレムを見て、傭兵達は武器を構え叩き壊そうとゴーレムへと向かう。

 だが、次の瞬間ゴーレムは爆炎を上げ傭兵達を吹き飛ばした。
 後方から飛来した火の魔法がゴーレムに激突したのだ。

 だがこのゴーレムは金属で出来たゴーレム。火で燃えるはずがない。

 実はこのゴーレムの内部と表面、ギーシュが錬金した油で満たされており、ドットスペルの発火魔法で一瞬で引火したのだ。

 ゴーレムが身を振るうと中の油が飛び散り、炎が四方へとばらまかれる。
 熱で融解しかけたゴーレムを前に、傭兵達は必死で逃げ出そうとする。

 そのような光景が同時七箇所で展開されていた。

「ま、メイジ慣れしている傭兵と言っても、普通は杖を抜いてさあ始めって軍人相手に限った話よね」

 ゴーレムに火を放ったキュルケは、杖の先をくるくると頭の横で回しながらルイズ達と共に宿を飛び出した。
 ギーシュのゴーレムに被害を受けていない後方の傭兵達から矢が飛ばされるが、タバサが展開する矢返しの風魔法の前に全て軌道をそらされる。
 お返しとばかりにルイズが『ファイヤー・ウォール』の魔法を唱えると、後方に陣を構える弓兵の一団が根こそぎ吹き飛ばされた。

「それにしても……」

 火の海から飛び出した傭兵を才人が斬り捨てるのを見ながらキュルケは呟く。

「何あの詩でも詠んだみたいな演説。お姫様の演劇癖でも移ったの?」

 キュルケはルーンを唱える合間に含み笑いをしながらルイズにそう言った。
 対するルイズはと言うと。

「そんなわけないでしょう。わたしが素であんなこと言うとでも思ったの? ねえキュルケ、あなたトリステインに来てどれくらいになる?」

「え、一年とちょっとだけれど……」

「じゃあ、ああいう演説がこの国の貴族に受けるというのは理解できるわね?」

 キュルケはその言葉に、ギーシュを思い浮かべ、マリコルヌを思い浮かべ、アンリエッタを思い浮かべ、ワルドを思い浮かべた。

「確かにそうね。それが?」

「カウンターの下で惨めに震えているトリステイン貴族達を兵力に変えるには、ああいうキザなのが効果覿面ってこと」

「…………」

 キュルケは閉口した。いや、ルーンを唱える口は閉じてはいなかったのだが。
 そして。

「……ったく、トリステインの貴族は実利のない勇ましい言葉にすぐ影響されるんだから。だから戦に弱いのよ」

「ごもっとも」

 走るルイズ達の後ろでは、そのルイズの言葉に踊らされた貴族達が宿の外に躍り出て傭兵達へ魔法を向けていた。

 矢は風に防がれ、魔法で隆起した地面に傭兵は足をとられ、距離を詰めた火のメイジの一撃で傭兵達は必死に逃げ出し、燃えさかる炎は水の魔法で延焼を防がれた。
 手慣れている。トリステインに亡命した元王党派の軍人でも混ざっていて指示でも出しているのだろう。

「で、ルイズ、どうするの? まさか本当に全部これを相手にする気?」

「まさか。逃げるに決まってるじゃない」

 ルイズ達の向かった先。それは港へと続く道ではなく、使い魔達を泊めた宿の近くの納屋であった。

「さ、皆、シルフィードに乗って。『囮』を使うわよ」

「囮?」

 突然のルイズの宣言に、キュルケは疑問を返す。

「ええ。あの宿に居た頼もしい貴族様方全員。あれがわたし達が逃げるための囮よ」

 そう言ってルイズは唇の端を釣り上げながら笑った。ルイズはワルドの言う囮作戦に大賛成であったのだ。





 ルイズとワルドは昨夜この街へと来たのと同じようにフレイムと共にグリフォンに乗り、傭兵達の頭上を飛行する。

「いやはや、まさか自分たち以外を囮にするなんて、大胆な作戦だ」

 グリフォンの手綱を引くワルドがそう感心したように言った。
 手綱を引きつつも鞘から抜いた杖剣を右手に構えている。いつでも魔法を放てるようにしているためだ。

「先ほどは失礼しました。でもこれが皆を無事にアルビオンへと渡らせる最善の策でしたので。ミスタ・ワルドの精神力も温存していただきたかったですし」

「フネを進ませるための風の力に使う、だろう? ふふ、素晴らしい。きみが僕の部下ならどれほど頼もしいだろうか」

「軍に興味ありませんわ」

 そう言いながらルイズは眼下の傭兵を眺める。
 矢は飛んでこない。真上に放てば当たらなかった矢は自分たちにそのまま降り注ぐからだ。

 そして、矢よけの魔法ばかりでつまらなかったのか、タバサがシルフィードの上から氷の雨を傭兵達へと降り注がせていた。

「きみの同行者もずいぶんと頼りになるようだ」

「足手まといになる人間など始めから一人も連れてきていません」

「そのようだ。きみの使い魔も飛び出してきた傭兵を見事に片っ端から斬り捨てていたようだし、朝方はずいぶんと失礼なことを言ってしまったようだね」

「あれはミスタ・ワルドが強すぎただけですわ」

 そんな会話をしている最中、傭兵達の横の地面が急に盛り上がり、巨大な岩のゴーレムが出現した。

「おや、あれは……」

「トライアングルクラスの岩ゴーレムですわね。傭兵メイジも混ざっているなんて……」

「大丈夫なのかい? あのままでは下の貴族の彼らも物量で押されてしまうよ」

「問題ありませんわ」

 ルイズはそう言うと、ルーンを唱えて『エア・スピアー』の魔法を放った。
 槍のイメージを持って放たれたルイズの魔法はゴーレムの上半身を一撃で吹き飛ばす。

 そして、吹き飛ばされたゴーレムの破片は、大きな石つぶてとなって傭兵達の頭上に降り注いだ。
 突然の轟音と落石に傭兵達はパニックに包まれる。

「むしろ投石用の素材を用意してくれたようでありがたいです。それにあそこまで大きいゴーレムなら傭兵メイジには二体目は無理でしょう」

「これが、あの名高き『賢者』の魔法か……」

「ただの『魔女』ですわ」

 そう言いながらルーンを唱え、再生しようとしていたゴーレムを根本から『アース・ハンド』の爆発で吹き飛ばした。

 ルイズの魔法は全てイメージによって放たれる。

 本来、ルイズの使う魔法はただの爆発だ。
 だが、彼女はそれに強く魔法の効果を思い浮かべることで様々な種類の爆発を起こせることを幼い日に知った。

 対象の内部から爆発する魔法、表面が爆発する魔法、見えない矢が飛んでいき着弾した場所が爆発する魔法、爆音のみを残す魔法、強い振動だけを与える魔法。

 必要なのはイメージと感情。
 四大魔法の使い手も、感情の高まりに魔法の効果が左右される。
 ルイズの魔法はその感情の影響が特に顕著であった。短気で癇癪持ちである性格を何とか押しとどめて、冷静な魔女や賢者を取り繕うのもその感情を自分でコントロールしようとする努力の表れだった。

 ルイズ達はひとしきり眼下へと魔法を落とすと、今度は速度を上げて空を進んだ。
 向かうのは、樹の上にある『桟橋』。空を行くフネの甲板へ向けて二匹の魔獣は飛んでいった。





 フネの上に降りたルイズ達は、船員達と交渉し無事アルビオンへと向けて出発することが出来た。

 フネの動力である『風石』の代わりに魔法を使おうとフネの奥へと進むワルドに、タバサはどういう思惑なのか付いていった。手伝うつもりなのか、風のスクウェアであるというワルドの技術を盗み見るつもりなのか定かではないが、害はなさそうなのでルイズはとりあえず放っておいた。

 そして、才人だ。彼は船橋に身を投げ出しぐったりとしている。別に船酔いをしたわけではない。
 彼は、先の傭兵との交戦で剣を振るった。
 剣術の訓練を受けている彼だが、剣で生身の人間を斬ったのはこれが初めてだ。

 刃物を持つことすら禁じられた国出身の才人。それが、重たい長剣で何人も傭兵を斬りつけたのだ。言葉では言い表せない不快な気持ちが彼の中に渦巻いていた。
 キュルケになだめられギーシュに激励される才人だが、その表情は暗い。

「情けないわねぇ」

「まったくだ」

 才人を見下ろしながら言うルイズにそれに応えるデルフリンガー。
 才人は視線をルイズの方に向けた。

「生き物とか初めて斬ったんだよ。ああー、斬った人死んじまったかなぁ」

「言ったでしょう。わたしのために戦えって。辛いならわたしのせいにしておきなさい」

「そう簡単に割り切れるかよ」

 そう言って顔を両手で覆うと、才人は長い長いため息をついた。

「……なあルイズ、人斬ったことあるか?」

「あるわよ」

「殺したことは?」

「ないわよ……と言いたいところだけどどうかしらね。目の前で死ななくても放っておいたせいで死んだ人はいるかもね」

 ルイズは今回のような荒事に巻き込まれたとき、躊躇無く破壊の魔法を使う。
 一瞬で死ぬような魔法は使っていないが、拳で殴りつけるより遙かに威力の高い魔法。ルイズの知らぬ間に死んでいると言うことはあってもおかしくはない。
 例えば先ほどのゴーレムを破壊した落石。ルイズからは見えなかったが、岩に頭をかち割られて絶命していると言うこともあるかもしれない。

 ハルケギニアにおいても、殺人は禁忌だ。それでもルイズは、自分の身を守るためならば杖を振るっても構わないと思っていた。

 とりあえずルイズはこの平和な国から来た少年をどう元気づけてやろうと考えた。

 そのときだ。突如、空に爆音が響いた。

 一拍遅れてフネに声が響く。

「空賊だーっ!」

 その声に、ルイズ達は一斉に爆音のした方向へと顔を向けた。
 空の向こう、黒塗りのフネが浮かんでいる。二十門以上もある大砲をこちらへと向けた戦艦だ。

「アルビオン王室謹製の第一級船ね」

 ルイズはそのフネを見てそう言った。

「王室謹製?」

 空賊のフネを見て何故王室の名前が出てくるのだとキュルケはルイズへ問いを投げた。

「そ、本来ならただの空賊が持っているようなフネじゃない。戦争のどさくさに紛れて王党派から奪ったのでしょう」

 騒ぎを聞きつけて、フネの奥からワルドとタバサが姿を見せた。
 ワルドの顔には疲労の表情が見て取れた。船長に宣言したとおり、風の魔法でフネを進めていたのだろう。
 ルイズはそんなワルドを見て、一言言った。

「あのフネ沈められるかしら?」

「無理だな。この通り精神力を削りきってしまっていてね。万全ならばスクウェアスペルで抵抗は出来ただろうが……」

「キュルケは?」

「撃っても良いけど、その隙にあの砲門に集中砲火ね」

「そう」

 そこまで聞いて、ルイズは再びワルドへと振り返った。自分も聞かれると思って答えを用意していたタバサは一人肩を落とした。

 ワルドを見つめるルイズの瞳には諦めの色はない。
 ワルドはそれを見て強く心を惹かれた。

「ミスタ・ワルド。先ほどわたしの魔法を見て『賢者』の魔法かとおっしゃいましたね」

「ああ、すばらしい魔法だった」

「失礼ながら、あれはわたしの全力ではありません。ですから、これからわたしの本当の力をお見せしますわ。教会からも一度異端の指定を受けたわたしの魔法を」

 そう言って、ルイズは黒いフネを正面から見つめる。
 空賊のフネには、甲板の上で弓やフリント・ロック銃を携えた賊が並んでいる。
 だがそれはまだ射程外。風の強い空の上ではもっと近づかなければいけない。

 それを確認したルイズは、無手のままルーンを高らかに唱え始めた。

 イメージするのは、『火』、『水』、『風』、『土』。
 四つの属性を心の中で重ね合わせる。
 ルイズが唱えるルーンは、戦略級と呼ばれる戦争用スクウェアスペルだ。

 ルーンが終わる。
 そしてルイズは拳を強く握り、腰をひねり杖の仕込まれた右腕を身体の後ろへと回す。
 弓のようにしなったルイズの身体は、矢を放つように右腕を加速させ、黒いフネへと正拳突きを放った。
 ルイズの口からイメージした魔法の言葉が漏れる。

「『破城槌』」

 黒船の前方が、砲門ごと爆砕した。

 煙が上がり、突然の自体に船橋の賊達が慌てふためく。
 フネの装甲は粉々に打ち砕かれ、二十あった砲門は全て歪み使い物にならなくなっていた。
 魔法に打ち抜かれたフネは、浮力をわずかに失いゆっくりと高度を下げ始めた。

 一撃でフネを落とす。それを見たワルドは、驚きに目を見開いていた。

「フネの構造を完全に理解すれば、最小の力で撃ち落とすことが出来る。いかがかしら」

「…………」

 ルイズの言葉に、ワルドはただただ沈黙した。
 風のスクウェアである自分の魔法を超える強大な力に、声を出すことが出来なかった。

「あ、ルイズ、ちょっと浮いてきたわよ」

 フネの落ちる様子を眺めていたキュルケがふとそんな声を上げる。

「あら、向こうにも風のメイジが居るようね。……ラナ・デル・ウィンデ、『エア・ハンマー』っと」

 追加で放たれたルイズの魔法がフネの脇につけられた翼をへし折り、黒船は再び沈み始めた。

「まあ下は海。落下して死ぬことはないでしょう。漂流はするかもしれないけれどね」

 そう言うとルイズは黒船から視線を外し、船長へ賊を撃退したことを伝えるために船橋へと向けて歩き出した。




あとがき:この話のためだけに前振りの原作そのままな前二話を書くのは大変でした……。
そういえば原作才人って未だに人殺してないんですよね。



[5425] 風雲ニューカッスル城その8
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/10 17:17

□風雲ニューカッスル城その8~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 ルイズ達一行は、貴族派の占拠下にあるという港町スカボローには降りず、フネから竜とグリフォンで飛び立ち迂回して浮遊島のアルビオンへと向かった。

 従来なら国境を兼ねる浮遊島周辺の崖は領地の衛兵により厳しく監視されている。
 だが、今アルビオンは内乱の混乱の中にあり、国境警備は手薄だった。他国の軍艦が上陸したならばともかく、風の魔法を受けて高速で飛ぶ小さな竜とグリフォンを見つけられる者はいなかった。

 アルビオンに上陸したルイズ達は、反乱軍を刺激しないようマントを外し傭兵メイジの一団に扮装し、シルフィードとグリフォンで空の低い位置を飛んでいく。

 ニューカッスル城へと向かう最中、いくつもの戦場跡が見えた。
 火を放たれ踏み荒らされ道に変えられた麦畑。
 略奪され斬り捨てられた村人以外の姿の見えない村跡。
 死体が処理されず虫が沸き鳥獣がたかり腐臭を放つ合戦場。

 まだ若く本物の戦場をほとんど目の当たりにしたことのないキュルケ達学院生徒。
 ニューカッスル城近くの森で一時の休憩を取る頃には、皆無言になっていた。

 そんな中、軍人であるワルド、そして才人の二人は気にした様子もなく仮眠を取り保存食を口にしていた。

「ふむ、使い魔くんはあれを見ても平気なようだね。若いというのにたいしたものだ。君の国では戦争が頻繁に起きでもしていたのかね?」

「いえ、俺の国では六十年くらいずっと戦争はやってませんよ。でも、学校で戦争の資料や写真……ええと、風景転写みたいなので実際の戦争の様子を見せられたり、あと戦争にテーマを絞った博物館みたいなところに旅行で行かされたりしたんです」

 その才人の言葉を聞いて、マントに身を包み仮眠をしていたルイズがもぞもぞと起き出してきた。
 顔色が悪いが、才人の国の話を聞くために無理に起きたのだろう。

「俺の国、日本は六十年前に世界中……周りのたくさんの国を相手にした戦争で大負けして、それから国全体でもう戦争はしませんって自分たちと世界中に約束したんです。だから、戦争はどんなに酷いものかって皆教育を受けるんです」

「ふむ、占領下になるのを避けるために他国に攻め込まない条約を結ばされたのか?」

「敵にまわした国が多すぎて、領地分割で揉めるくらいなら共同で監視下においてしまおうという感じじゃないかしら」

 ワルドとルイズの言葉を聞いて、才人は苦笑した。
 日本国憲法の話などをしても、社会システムが根本から異なる彼らには上手く伝わらないだろう。

「まあ、そういうわけで戦場に行くと聞いてある程度の覚悟が出来ていたんですよ。むしろルイズ達がここまでへこんでいるのが俺には不思議だ」

「仕方ないじゃない、あんなの初めて見たんだから」

「日常的に戦争は起きているが、実際戦場を目にするのは軍人だけだからな。貴族の子女達など皆建前の戦争論を机の上で聞かされるだけの温室育ちなのだよ」

 僕も軍に入りたての頃はそうだったさ、とワルドは言って干し肉をかじった。
 ちなみにキュルケとギーシュは、肉は無理、と堅焼きパンをもそもそと食べて今は寝入っている。

「ねえサイト、あなたの国は魔法が無いんでしょう? どうやって戦争をしていたの。飛行機の話は聞いたけれど……」

 マントに身を包み寝転がったまま、ルイズは才人にそう訊ねた。

「そうだな、飛行機や戦車みたいな乗り物に乗ったりする。歩兵はみんな銃だ。この前武器屋で見たようなものじゃなく、何十発も連続で撃てるような銃。あとは、爆弾かな」

「魔法や幻獣が無いとそうなるのね」

 そんな才人とルイズの会話をワルドは興味深げに聞いていた。
 異国の民というのは本当のようだ。しかし、魔法の無い国というのが想像できない。貴族と平民は魔法無しでどう区分けられているのだろう。

「魔法は無いけど、戦争に関する技術なら向こうの方がずっと進んでいるんだ」

 そう才人は言う。

「六十年前の戦争で、科学を利用した爆弾が日本に対して使われたんだ。たった一発で十四万人が一瞬で死んだ」

「じゅうよんまっ……!?」

 想定外の数字に、ルイズは絶句した。
 ハルケギニアにも火薬を用いた爆弾のようなものはある。
 だがそれは、人を一箇所に詰め込んでようやく十人を殺傷できるかというようなもの。十四万など想像も出来ない。

「科学の進歩って言うのは兵器の進歩と一緒だからさ。今だと多分その何百倍も威力がある爆弾がある」

「……確かにそんなのがあったら、戦争はしないって考えに至るのも当然のことね」

 ルイズはそう言って仰向けになり、両手で顔を覆った。
 才人の話を聞いて先ほどの戦場跡を思い出してしまい頭が冷え切っていった。

 ルイズは今までずっと才人の言う科学は素晴らしい技術の塊とだけ見ていた。だがそれは側面でしかない。
 誰にでも使える道具を作るという科学は、誰にでも使える兵器を作るということでもある。

 ルイズの目指す究極の破壊の力は科学にある。それを知ってもルイズの心はどこか暗く沈んだままだった。





 一時間ほどの休憩を終えたルイズ達は、ニューカッスル城を遠くから見下ろせる丘に陣取り突入の段取りを決めていた。
 ルイズはレンズに『遠見』の魔法が付与された双眼鏡を左手に持ち、右手のペンで敵陣の配置を紙に記録していた。

「包囲網は整えられつつあるって感じね。急がないと数日中に城が落とされちゃうわ」

「でもどうやって城まで行くんだい? 連絡の取れる王党派の心当たりでも?」

 ギーシュの言葉に、ルイズは首を振った。
 そして、あごをさすりながら考え込んでいたワルドが顔を上げて言った。

「ここまで来たように陣中突破しかあるまいな。ただしあそこを抜けるにはもう傭兵だなどという言い訳は効かん」

「強行突破、ですか。あの数の中を?」

「できるわよ」

 キュルケの疑問に、ワルドではなくルイズが答えた。

「国内の王党派はほぼ全滅。残るはニューカッスル城の王を討つのみ。となれば、背後の警戒は薄いわ」

 紙にボールペンで長い矢印を書きながらルイズは言葉を続ける。

「地には傭兵や平民の兵を含めた歩兵が無数にいるけれど、空の守りはフネと貴族の騎兵。隙間は多いわ。アルビオンに上陸したときみたいに、魔法を使って速く動けば入城はそんなに難しくない」

 無数の魔法と矢の中をくぐり抜けていくのを想像していたキュルケは、安心したように息を吐いた。
 そうだ。空を行けば難は少ない。これだけ広い陣なのだ。騎乗兵の多いアルビオンの軍と言えど、陸と比べると空の守りははるかに薄い。

「でもね」

 そうルイズは言葉を続けた。

「問題は、お城に入った後なの。広い陣の後ろから城へ突破するのは可能。でもあの四方を囲まれたお城から脱出するのは空を使っても不可能に近いわ」

「行きはよいよい帰りは怖いってやつか」

 ルイズの言葉を黙って聞いていた才人がそんなことを口にした。
 彼の国に伝わる歌の一節だ。

「しかしだ。どちらにしろ城に辿り着かなくてはならない。あの陣を突破して城へ行くことはもう決定事項だ」

 そう答えるのはワルド。彼の言うことは真理だ。
 手紙を受け取るという任務がある以上、帰還する方法が無くても城へ行き皇太子に会わなければならない。

 と、そこで一人考え込んでいたギーシュが顔を上げた。

「空が駄目なら、土の中というのはどうだい?」

 ギーシュはそういうと、手に持った薔薇の造花をくるりと回した。
 すると、地面が盛り上がり、中から彼の使い魔であるジャイアントモールのヴェルダンデが姿を見せた。

「ぼくのヴェルダンデなら、馬の走る速さで土を掘り進めることが出来る。人の歩く速さで良いと言うなら、落盤の心配のない頑丈な土の道を作れるのさ。城にも中庭くらいあるだろうから、そこから外に逃げればいい」

 そのギーシュの言葉に、ルイズは活路を見た。

「じゃあ、ここからあの城まで道は作れる?」

「それは難しいね。彼女は臭いを頼りに地を掘るんだ。だからここに宝石でも埋めておけば城からここまでは来れるけど、頼りになるものがないと城までは行けない」

「となると、行きは空、帰りは土の中ね」

「でもルイズ、ジャイアントモールの掘る穴の大きさじゃ、流石にシルフィードとグリフォンは通れないわよ」

 結論を出そうとするルイズに、キュルケがそう疑問の声を投げる。
 グリフォンは羽の付いた馬ほどの大きさ。
 シルフィードに至っては六メイルほどもある。とても穴の中を進めるような大きさではない。

「殿下の任務のためならば女王陛下より授かったグリフォンを手放すのもやぶさかではないが……」

 そう答えるワルド。
 だが、シルフィードの主であるタバサは大きく首を振った。

「置いていかない」

 タバサのその目は、一人ででも敵陣を突破して帰還すると言わんばかりのものであった。
 だが、これ以外に脱出の手立ては浮かばない。
 王族専用の脱出通路に頼るなどという案も浮かぶが、そもそもそんなものが用意されているのかも怪しい。

「ルイズとワルド子爵の二人だけで城に向かうかい?」

「ヴェルダンデに穴を掘らせるならギーシュ、あなたも必要よ。三人と一匹じゃグリフォンが失速してしまうわ。かといって、わたし以外の誰かに密書を任せるのも、ね……」

 一通り知恵を振り絞った後、ルイズはタバサの方を向いた。

「タバサ、シルフィードの首輪を外しなさい」

 そのルイズの言葉に、タバサはぴくりと肩を動かした。
 なおもルイズは言葉を続ける。

「その子と一緒に無事学院に帰りたいなら、外しなさい。切り札は必要なときに躊躇無く切るべきよ」

 タバサはしばし顔を伏せた後、ルイズの言葉に従いシルフィードの太い首にかけられた首輪を外した。
 シルフィードの鳴き声を消すためにつけられた『サイレント』の魔法が封じ込められたマジックアイテムの首輪だ。
 首輪を外されたシルフィードは、久方ぶりの解放に、きゅいと一言小さく泣いた。

「シルフィード、喋って良いわよ」

「きゅい?」

 ルイズの言葉にシルフィードを鳴き声を返す。

「人の言葉を喋って良いわよ」

「きゅい? 良いの?」

 竜の姿のシルフィードが、そう人語を口にした。

 その突然の事態に、ルイズとタバサ以外の全員が大きく目を見開いた。

「ル、ルイズ。それって……」

「使い魔だから話せるというわけじゃないわよ。シルフィードはね、韻竜なの」

「きゅい。そうなの。ホントはみんなとお話できるの」

 シルフィードはそう言いながら歌を口ずさみ始めた。
 首輪を外して人と話すのは久しぶりのことであり、彼女はそれを心から喜んでいた。

 そんなシルフィードに、ルイズはさらに言葉を告げた。

「シルフィード、人の姿になりなさい」

 まるで自分の使い魔に命令するかのような態度。
 それを見てもタバサは何も言わず、シルフィードは「はーい」と返事をして魔法の詠唱を開始した。

「我をまといし風よ、我の姿を変えよ」

 それは、ハルケギニアのメイジ達に先住魔法と呼ばれる精霊の力を使った魔法の詠唱であった。
 シルフィードの周りに風が渦巻き、そして輝いたかと思うと、巨大な竜の姿がかき消えた。
 その代わりに、年の頃二十ばかりの青髪の女性がそこに立っていた。

「よし、大成功なの」

 青髪の女性が両手を腰に当てて胸を張った。
 先住魔法の『変化』の魔法。
 それを見て再びルイズとタバサ以外の全員が驚愕した。キュルケ以外の男性陣には別の意味の驚きもあったのだが。

「これなら穴の中も通れるわ。ああ、あとシルフィード。人に変身するなら服も一緒に作りなさい」

 服をまとわぬ裸人に向けてルイズはそう苦笑しながら言った。




ウェールズ落とし書くことに気を取られてどうやってニューカッスル城まで行くか何も考えていませんでした。ノープロットの弊害がここに。



[5425] 風雲ニューカッスル城その9
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/12 11:58

□風雲ニューカッスル城その9~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 二つの影が空に飛び出した。
 既に時刻は夜。白と赤の二つの月が身を寄せ合い闇の中で光り輝いている。

 早馬など比べものにならないほどの速度で、二匹の幻獣は二つの月のように共に空を駆けていった。

 夜の闇。魔法による早駆け。陣の手薄な位置の突破。
 これ以上ないほどの最高の条件が揃っている。

 だが、それでもルイズ達は身を完全に隠すことは出来なかった。

 陣の半ばまで進んだところで、陣の中から鐘の警報が響く。

 その音を聞いて、風竜の背にしがみついていたルイズが顔を上げた。

「ま、そう簡単に上手くいくわけがないわね」

 シルフィードに乗るルイズ達の背後、風の魔法で駆けるグリフォンに追いすがろうと反乱軍の騎竜が二騎姿を見せた。
 スクウェアメイジの風に乗るグリフォンと言えど、竜相手では速度に劣る。
 あのままではグリフォンごとワルドと乗り合わせたキュルケが落とされてしまう。

「サイト、ギーシュお願い」

 ルイズの言葉に、彼女と同じくシルフィードに乗り込んでいた二人が頷きを返す。

 ギーシュが才人に手の平大の何かを渡し、才人が右手に持った紐にそれをかける。
 そして、才人は手に持った紐を頭の上で回転させ始めた。

 才人が手に構えているのは、投石器スリング
 極めて原始的な古代の道具。だが、その威力は人を殺傷するには十分であり、熟練者の手にかかれば弓よりはるかに遠くへ飛ぶ、立派な武器であった。
 ギーシュが土から錬金して作った真球の石を才人は頭上で回転させる。

 そして才人はグリフォンの後ろに迫る竜に狙いを定める。

「三」

 そう才人が数字を口にする。
 すると、それに合わせるようにルイズがルーンを唱え始めた。

「二」

 ルーンが終わる。
 そしてルイズは才人の頭上で回転する石を見上げた。

「一」

 才人の頭上に指を突きつけるルイズ。
 石へと魔法がかかる。

「行け!」

 叫びと共に、石の弾丸が撃ち出された。

 石は真っ直ぐ騎竜へと向かっていく。
 高速で飛翔するシルフィードの進行方向とは逆に撃ち出された弾丸。だがそれは速度を失うこともなく空を切り裂く。

 投石の動作を目視していた騎竜を操る騎士は、手綱を咄嗟に操り回避行動を取ろうとする。

 だが、竜が身をひねろうとした瞬間、竜の正面で石が突然光を放った。

 夜の闇を全て吹き飛ばすかのような強烈な光。
 思わず目を閉じてしまった騎士に追い打ちをかけるように、鎧を通じて振動が伝わってくるほどの轟音が襲った。
 眼下で鳴らされる警報の音がかき消えてしまうかのような轟音だ。

 光と音。衝撃を伴わないその爆発に、グリフォンを追っていた騎士二人は身を丸め、竜は飛ぶのを止めた。

 相手の動きを止めることのみにイメージを傾けたルイズの爆発魔法。
 それは、作戦の場で才人がルイズに語った地球の非殺傷鎮圧兵器、特殊閃光音響手榴弾スタングレネードを魔法で再現したものであった。

 ルイズの爆発魔法は光と音を伴う。修練を重ねたルイズは、修練の果てにその性質を高める術を身につけていた。
 ただの攻撃魔法ならば魔法で防がれてしまう。だが光と音ならば風の鎧を身に纏おうとも咄嗟に防ぐことは容易ではない。

 強い光に夜の暗さに慣らした目を焼かれた二騎の騎竜は、眼下の陣の中へと墜落していく。
 間近で慣らされた轟音にグリフォンも驚き羽を大きく羽ばたかせるが、ワルドが手綱を操るとすぐに真っ直ぐ飛び始めた。

 ルイズはそれを確認すると前へと向き直る。

「前方、三騎」

 タバサがさらなる騎竜の襲来を告げる。
 城への進路を阻むように陣形を組み杖を構える騎士達。
 それを確認したとき、既に才人は次の投擲の準備を開始していた。

 弾丸が投げ飛ばされ、夜空に太陽が生まれる。
 身をすくませる騎士を迂回するようにシルフィードは高度を上げ、そして城へ向けて進む。

 横合いからさらに一騎の騎竜が追いすがってくるが、才人は魔法を伴わぬ投石で竜の頭を打ち砕いた。
 ルイズと才人以外知る由もないが、石を投げるのは神の左手と呼ばれる『ガンダールヴ』だ。投石器という武器を用いれば200メイル先の的ですら容易に打ち抜けるだろう。

 陣を突破し、大陸沿岸の岬の先端、ニューカッスル城が間近に迫る。
 突然の接近に、城の建物内から兵士が姿を現し、大砲が角度を変える。
 それに対し、ルイズ達はシルフィードの上から旗を掲げた。

 予めルイズが荷物の中に用意していた旗。降伏の意思を示す旗だ。

 その旗を掲げたままシルフィードは城の上空に位置を取り、城壁に囲まれた中庭へゆっくりと降下していった。

 シルフィードが城に降り立ち、ルイズ達がその背から降りる頃には、彼女達の周囲を兵士達が取り囲んでいた。
 槍と杖がルイズ達へと向けられる。
 一拍遅れるようにグリフォンが地に足をつけるが、兵士達の警戒は変わらぬままだ。

「皆、杖を捨てて」

 ルイズの言葉に、ギーシュ、キュルケ、ワルドは順番に杖を地面に投げ落とした。
 勿論ルイズは腕を捨てることなど出来ないし、キュルケとタバサは魔法の指輪を指にはめたままだ。あくまで敵対する意思がないことを伝えるための儀式のようなものだ。
 抵抗する様子を見せないルイズ達に、兵士達の一人、後方で金属鎧を着込み立派な杖を構えるメイジが声を放った。

「何者か」

 凛と通る声。彼はこの兵士達を束ねる長であった。
 それに対し、ルイズは優雅に一礼して答えを返した。

「トリステイン王国より大使として参りましたルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。トリステイン王国第一王女アンリエッタ・ド・トリステインより、ウェールズ皇太子殿下に密書を言付かって参りました」

「『賢者』殿とな……?」

 兵士長は眉をひそめてルイズの姿を見た。
 確かに目の前の少女は噂に聞くトリステインの賢者と同じく桃色がかった金髪に美しい顔をしている。
 だが、その格好は平民にしか見えないものだ。

 彼のいぶかしげな視線を見て、ルイズは腰の荷物袋に手を入れ、中から一枚の羊皮紙を取りだした。

「トリステインの枢機卿であるマザリーニ殿の手による身分証明書でございます」

「ふむ……」

 ルイズ達を取り囲む兵士達の間を縫って、兵士長が前に出る。右手には杖を構えたままだ。
 兵士長は左手でルイズから羊皮紙を受け取り目を通す。
 ルイズの身分を証明する文と、最後のマザリーニの署名に目を通すと、兵士長は杖を下ろし背後へと振り返った。

「皆の者、槍と杖を下げよ! これよりこの方々をトリステインの大使として城内にご案内する!」

 彼の言葉に兵士達は一斉に槍と剣を引き、一斉に敬礼をした。
 兵士長もルイズ達へと向き直ると、一礼して言葉を続けた。

「あの陣を抜けよくぞ生き残った、トリステインの精鋭達よ! ようこそ、亡国アルビオンへ! トリステインに名高き賢者殿御一行のご来訪、心より歓迎致します」

 こうしてルイズ達は被害を出すことなく戦場の片道を踏破した。












 ルイズ達は兵士に城内へと促され、簡易の玉座が置かれたホールへと案内された。
 玉座にはアルビオン王国の老王ジェームズ一世が腰掛けている。

 ルイズ達はルイズを中心にして横に並ぶと、一斉に膝をついて頭を下げた。一人タイミングが遅れた才人であったが、横のギーシュに習ってぎこちない礼を行った。

 それに対しジェームズ一世は、王にふさわしい重厚な声でルイズ達へと呼びかけた。

「面を上げられよ、大使殿。王国としてのアルビオンは滅びた。もはやそのように頭を下げられる権威など朕にはない」

 今だ健在のアルビオン王。だが彼は、最早この戦は負けなのだとしっかりと自覚していた。
 ジェームズ一世に促され、ルイズ達はわずかに頭を上げる。

「して、我が息子へと用件があるのだそうだな。ウェールズは今この城を離れておる。問題ないならば朕が代わりに聞こう」

 ウェールズが居ない。その言葉を聞いてルイズはわずかに眉をひそめたが、任務に支障はないと考えジェームズ一世に語り始めた。

「はい。まず一つは、姫殿下より承った密書にございます」

 ルイズは懐から封のされた紙を取り出し、目の前の床に置く。
 アンリエッタがルイズの自室でしたためたウェールズへの手紙だ。

「こちらは国に関わることではなく姫殿下と皇太子殿下の個人的な物であると思われますが……念のためお目通しを」

 その言葉にジェームズ一世が傍らに控えたメイジに目で促す。
 メイジはルイズの元へと歩くと、手紙を手に取り王の元へとそれを運んだ。
 ジェームズ一世は手紙を手に取ると封を切り、紙を広げて中を読み始めた。すると、読み進めるうち彼は肩を振るわせて小さく笑い始めた。

「くくくく、ウェールズめ。アンリエッタ殿と恋仲にあるのは知っておったが、ここまで盲信されておったとは……」

 ジェームズ一世の読む手紙。それには紙一面にアンリエッタによるウェールズへの愛の言葉が書かれていた。
 恋物語など比べものにならない甘い甘い恋文。ジェームズ一世は自分の息子に宛てられたその手紙を見てただ笑うしかできなかった。

「やれやれ、あの愚息、自分を慕ってくれる気の強い女が好きとか抜かしておったのはこのことか」

 そう言ってジェームズ一世は紙を元の形に丸め、杖を振るって魔法の蝋で封をした。
 それを傍らのメイジに渡し、再びルイズの元へと返す。

「大使殿。それはあまり他人の見て良いものではない。中を読まずに処分すると良い」

「はい」

 ルイズはジェームズ一世の言葉にやっぱりかという顔をして手紙を受け取った。

「して、もう一つの用件とは別の手紙の回収であるな?」

「はい、その通りでございます」

「ふむ、パリー! パリーはおるか!」

 ジェームズ一世はルイズ達の背後に並ぶメイジ達へと声をかけた。
 すると、彼らの中から一人の年老いたメイジが前へと進み出てくる。

「パリー、大使殿をウェールズの部屋へ案内せよ。大使殿はトリステインの姫君からウェールズに宛てられた恋文を所望しておる」

「よろしいのですか?」

 ジェームズ一世の言葉に、老メイジではなくルイズがそう言葉を返した。

「なに、トリステインとゲルマニアの同盟を考えると我が愚息の私事などどうでもいいものだ。この二国には我々の仇を討ってもらわねばならぬからな」

「……それについてですが陛下、わたしどもにはこの城から抜け出す算段がございます。必要とあらば陛下をトリステインに亡命させることも可能です」

 そう言うルイズの言葉、ジェームズ一世は首を横に振る。

「いらぬよ。城を囲む奴らに気付かれぬよう抜け出す方法などいくらでもある。だが、王家は最早滅びたも同然。ならば、最期に王家の誇りと名誉を守りながら朕は死ななければならぬ。それが王としての朕の最後の義務だ」

 その王の言葉に、ルイズはただ顔を伏せた。これ以上彼女が言うべきことは無い。
 始祖ブリミルの血を引く王の名誉。それは何よりも優先して守られなければならない。六千年王国の民であるルイズ達にとって、それは何よりも尊重すべきものであった。

「だが、始祖の血を一つ絶やしてしまうのは忍びない。可能ならばウェールズを逃がしたいものなのだが……あやつも頑固者でな。朕と共に討ち果てると言って聞かぬ」

 そう苦笑の混じった顔で告げると、ジェームズ一世はゆっくりと立ち上がった。
 そして眼前に並ぶルイズ達、そしてその背後の家臣達を眺めて言った。

「明日にはこの王国は滅びるであろう。これより最期の祝宴を行う。大使殿達にはトリステインに戻る前に、我らの最後の姿を目に焼き付けていっていただこう」




爆発に光が伴うというのはアニメ設定(設定というかアニメの演出?)を都合良く取り入れたもの。アニメの設定は都合の良い部分だけ採用します。
ニューカッスル城は地球にあるものでは最後の籠城戦の舞台としては貧弱すぎるので、五稜郭くらいのものをイメージしています。



[5425] 風雲ニューカッスル城その10
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/15 01:16

□風雲ニューカッスル城その10~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 宴の用意が進められる中、ルイズは老メイジのパリーに連れられウェールズの部屋へと歩を進めていた。
 キュルケ達は旅の疲れを癒すために客間へ案内され、その中でルイズだけが大使の代表として手紙を受け取りに来たのだ。

「私はウェールズ殿下の従者を仰せつかっておりましてな。姫殿下とウェールズ殿下との仲も勿論存じておりました」

「はあ」

 そんな会話をしながら暗い城内を進む。

「殿下が国外に外遊なさるときも従者として同行しておりましてな。トリステインに訪れる機会も多く、私は以前、賢者殿ともお会いしているのです」

「あらそうなのですか……申し訳ありません、記憶にございませんわ」

「ほほ、そうでしょう。私は皆に混じって賢者殿を見ただけですからな。ラグドリアン湖でウェールズ殿下と姫殿下が密会しようとしたときのことは覚えておいでですかな?」

「あー……密会しようとしたところを皆で覗いて、姫様達が戻ろうとしたところで拍手で迎えたときのことですね」

「そうですそうです。いやあ、あのときは見事に賢者殿に扇動されてしまったものです」

「今思うと、あのときのわたしの行為は身分をわきまえない失礼な行動であったと思いますわ」

 ルイズはそう心にもない反省の意思を述べつつ、数年前の出来事を思い出していた。

 ウェールズと逢引きをしたいと言い出したアンリエッタ。
 またいつものヒロイン病かと呆れてそれを全力でひやかしたルイズ。
 だが、それが本気の恋による行動であったとは当時のルイズは想像もしていなかった。

 ルイズは恋愛に疎い。

 かつては婚約者もいた。慕ってくれる者も多い。
 だが、ルイズに普段向けられるのは賢者や魔女という名への崇拝の視線だ。ただの少女として彼女を見る者は少ない。居たとしても、マリコルヌのような異質なラブコールそのものを楽しむような変態ばかりだ。

 そこへ来て、ワルドという青年がルイズの前に現れた。
 姉の婚約者のはずの美青年。しかし彼はこのニューカッスル城に付くまでの間、ルイズにしつこいまでのアプローチを続けていた。

 才人に戦いを挑んで見せたのも、自分に強い姿を見せたかったからなのだろうか。ルイズの心はわずかに揺れ彼の真意は掴めない。
 皆の前では唯我独尊を掲げてみせるルイズだが、内面では年齢相応の少女の部分も確かに存在していた。

「ここです」

 頭の中でぐるぐると思考を回していたルイズに、パリーが話しかけてくる。
 彼は質素な木製の扉の前で立ち、懐から鍵束を出して扉の鍵を開けた。

 パリーは扉を開け部屋の中へと入ると、ルイズを促し中へと招き入れる。

 そこは、質素な部屋であった。
 一人用の小さなベッドに、飾り気のないテーブルと椅子。
 調度品の類と言えば、壁に掛けられたタペストリー程度だろうか。

 ジェームズ一世率いる王党派の軍勢は敗北を重ね、敗走の末にアルビオンの端の岬にあるこのニューカッスル城へと辿り着いた。
 この城はおおよそ王族が立ち入るような場所ではなく、他国からの侵攻に対抗するための最前線の軍事拠点である。
 王族が泊まるにふさわしい部屋など無く、ただただ無骨な作りをした要塞であった。

「さて、どこにしまっておいでですかな」

 パリーはそう呟くと、この部屋の唯一の収納場所であるテーブルの引き出しを漁り始めた。
 仮にも王子の居室だというのに、彼の動作には遠慮と言うものがない。それだけウェールズとこの老メイジとの間には親密な関係が結ばれているのだろう。

 やがてパリーは引き出しの中から幅二十サントほどの箱を取り出した。
 金装飾や宝石が散りばめられた、大きな宝石箱だ。

「鍵は殿下がお持ちなので開けられないですが、この箱の中に確かに入っているはずです」

 テーブルの上に置かれた宝石箱。その正面には小さな鍵穴が開いていた。
 ルイズはそれを眺めると、パリーへと訊ねた。

「アン・ロックは?」

「無理ですな。これは王宮から持ち出してきた王族用の宝石箱ですので」

 ルイズは宝石箱を手にとって、その造りを眺めた。

「では鍵を壊して中を開けます……よろしいですか?」

「ええ、殿下も戻られないようですしな。本当は今日の夕方には城へお戻りになるはずでしたが……戻られぬと言うことは反乱軍に捕まってしまったのかもしれませぬ」

「秘密通路でも使って城を抜け出していた?」

「ええ、この城の地下には秘密の港がございましてな。そこから殿下は空賊に扮して反乱軍の補給路を狙っていたのです」

 空賊、という言葉を聞いてルイズはびくりと体を硬直させた。
 嫌な予感がする。背中からじわりと汗がしみ出してきた。

「ええと、その空賊船とは、アルビオン王室謹製の第一級船だったりするでしょうか」

「ええ、『イーグル』号という王室直属の軍艦ですな。……ああ、見る者が見れば確かにそれと解ってしまいます。そこを反乱軍に狙われたのやも……」

「う、撃ち落とされてしまっている可能性はありますね……」

 今朝ルイズが撃ち落とした空賊のフネはあきらかにウェールズの乗るフネであった。
 どうしたものかと考えを巡らせようとするルイズだが、手の平に載る宝石箱の重さに意識を戻し、任務の遂行を優先した。逃げたと言い換えても良いかもしれない。

 ルイズはコモン・スペルの口語詠唱をすると、宝石箱の鍵穴に向けて『アン・ロック』の魔法をかけた。
 鍵穴を中心として小さな爆発が起き、鍵が破壊される。綺麗な宝石箱に小さな穴が開いていた。

 ルイズはそれを気にした様子もなく、テーブルの上に箱を置き直すと、蓋をゆっくりとあけた。
 中には、紙の束が詰まっていた。

「……ええと」

「それ全てが姫殿下より送られた手紙です。二人は頻繁にやりとりをしておりましたので」

「隠す気全然無いじゃないあの脳天毒花畑……」

 ルイズはそう毒づきながら、これが任務の恋文か確かめるために束の中から一番上の紙を手に取り、目を通した。

『愛しのウェールズ様。最愛なるウェールズ様。わたくしだけのウェールズ様。あなたと離ればなれになってどれだけの月日が経ったでしょうか。あなたの居ない王宮での日々はまるで始祖ブリミルの加護のないはるか異教の地で過ごしているかのようです。今すぐにでもあなたの元へと駆け出したい。ウェールズ様ウェールズ様ウェールズ様。この胸が張り裂けそうな気持ちをどう言葉に表せばいいのでしょう。あなたを思うこの気持ち、詩にこめてあなたへと贈ります――』

 ルイズは無言で手紙を宝石箱の中へと戻すと、腰の小物入れから着火の用意を始めた。
 宴の場では甘い物を食べられそうにはなかった。





 ウェールズの部屋を出て客間へと案内されるルイズ。
 その道の最中、ワルドが廊下の壁に身を寄せて一人佇んでいた。

「あら、ミスタ・ワルド。どうしました? 客人と言えど戦時の砦を他国の者がうろつくのはいらぬ誤解を受けますよ」

 ワルドを見つけたルイズは、何をしているのだと眉をひそめてそうワルドへと言った。

「ああ、ルイズ。待っていたよ。……パリー殿。すまないが外してくれないか。彼女と二人きりで話したいことがあるんだ」

「はい、かしこまりました。宴の用意が終わりましたら客間へ呼びにいきますので、お話が終わりましたら客間へとお願いします」

 老メイジは一礼すると、ルイズ達の元から去っていった。
 戦時の砦で他国の使者から目を離すなど本来ならあり得ない話だが、こうして自由にさせると言うことは最早城内の警戒などあってないようなものなのだろう。

 暗い夜の廊下で二人が残される。会話はワルドから切り出された。

「ルイズ、回収は終わったのかな?」

「ええ、ここに」

 ルイズはそう言って胸、服の内側の内ポケットを叩いて示した。

「で、二人きりで話したいこととは? 任務終了の確認などではないでしょう?」

「ああ、そのとおりだよ……そうだな、このようなことは慣れていないのでね。飾り立てることなく率直に言おうか」

 そうしてワルドは咳払いをすると、壁に預けていた身を起こし、ルイズの正面に真っ直ぐと立った。

「結婚しようルイズ」

「……はい?」

 唐突な告白に、ルイズの思考が停止した。

「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは、国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」

「待って、待ってワルド様。いきなりで解らないわ。あの、その……あなた、お姉様の婚約者でしょう? 何でわたしに……」

 詰め寄るワルドに、ルイズはただただ混乱する。
 だがワルドはさらにルイズの心を乱そうとするかのように追い打ちをかける。

「言っただろう。そんなもの、酒の席の口約束だと。僕に必要なのはカトレアじゃない。ルイズ、君なんだ」

 アンリエッタの恋文で稼働していたルイズに似合わぬ乙女回路が、ワルドの言葉に暴走を始めようとする。
 平静を取り戻そうと頭をふらつかせたルイズの肩を、ワルドは両手を乗せて支え顔をわずかに近づける。

「きみは偉大な賢者だ、ルイズ。そう、始祖ブリミルの弟子達のように、歴史に名を残すような素晴らしい人物になるに違いない。その力、僕の側で役立たせて貰いたいんだ」

「……そう」

「この旅で僕は理解した。僕に必要なのはきみだ、ルイズ。明日にでもここで結婚式をあげよう」

「……え、ここで?」

「そうだ。今日中にウェールズ皇太子殿下が戻られると聞いた。僕たちの婚姻の媒酌を頼むにはこれ以上ない相手だろう。明日の昼には反乱軍がこの城に攻めてくる。その前に、結婚式を挙げよう」

「…………」

 ルイズはただ無言で、肩を掴むワルドの指を両の手で解いていった。
 そして肩に乗せられたワルドの手を下ろさせると、一歩引き真っ直ぐワルドを見つめた。

「ワルド様、正直に申しますと、始めあなたと再会したとき、わたしのあなたへの印象は最悪でした」

「……ああ、ラ・ロシェールへ行く道の半ばまでずっと不機嫌そうだったね。久しぶりに会ったというのに嫌われてしまったのかと心配だったよ」

「ワルド様、昔のことは覚えておいでですか? ヴァリエールの屋敷の中庭で……」

「あの、池に浮かんだ小船かい?」

 ルイズは頷いた。

「わたしはいつも魔法ができなくて母さまに怒られた後、あの小船の上に逃げ込んでいたものです」

「それを僕が探しに行っていたのだったね。今のきみとはまるで違う。使えぬ魔法すら自分の力に変え、真っ直ぐ前を向いて輝いている」

「ええ、ですから、あの逃げていたばかりは今のわたしにとっては恥ずべき過去。ワルド様、昔と変わらずわたしに接しようとするあなたを見たらそれを思い起こさせられて仕方が無かったのです」

「ははは、これは失敗したな。昔とは違う僕を見せた方が良かったのか」

「そしてもう一つ。ちい姉さまの婚約者が目の前にいると聞いて気分が良くなかったのです。姉さまがこの男に奪われてしまう、だなんて子供じみたことを思っていました」

 そんなルイズの言葉を聞いて、ワルドは肩をすくめた。

「言っただろう。正式な取り決めなど無いただの口約束だと。僕が見ているのは君さ」

「そのようですね」

 そしてルイズは、ワルドの前で一礼した。

「その婚姻、お受け致します」

 暗い廊下でうつむくルイズの表情は、ワルドから見ることが出来なかった。





 祝宴。キュルケはそこでワインを片手に持ちながらホール全体を眺めていた。

 籠城をしていたというのに食材の蓄えがあったらしく、ホールに並べられたテーブルには様々な料理が載せられている。

 テーブルの周りには礼服や軍服に身を包んだ貴族達。
 王党派の残り兵力は五百だっただろうか。そこから考えると、このホールに集まるメイジの数は非常に多かった。

 最後の舞台まで王族に付き従うような忠誠心を持つのはやはり貴族だからか。
 いや、もしかしたらこの宴に格の高い平民の兵士も混ざっているのかもしれない。

 傭兵に扮した服装から学院の制服に着替えたキュルケ。
 その近くには貴族の男達が代わる代わる訪れてきた。
 滅びる国への最後の使者へ顔を覚えて貰おうとやってきているのか、それともこの場ではもう数少ない若く美しい少女を見ようとやってきているのか。解らないが、キュルケは彼ら一人一人と言葉を交わしていった。

「トリステインの大使殿! このワインをお試しあれ! お国のものより上等と思いますぞ!」

 キュルケはトリステインの貴族ではないのだが、いちいち説明するのも面倒なので彼女はただ笑ってそれに返した。

「なに! いかん! そのようなものをお出ししたのでは、アルビオンの恥と申すもの! このハチミツが塗られた鳥を食してごらんなさい! うまくて、頬が落ちますぞ!」

 言われるままにキュルケは鳥の肉を一口食べる。
 だが、頬が落ちると言うことはなかった。

 普段学院で食べるマルトー達の作る食事の方が美味だ。
 そういえばここはアルビオンだったんだな、とキュルケはどうでも良いことを思いだした。
 もちろん、それを口に出すことはないが。

 訪れては笑い大声を出して去っていく貴族達。
 まるでそれが命の最後の輝きのように見えて、キュルケはどこか寂しさを覚えた。

「六千年の栄華、ここに没する、か……」

 過去、幾度もハルケギニアでは戦争があった。いくつもの国が滅びた。

 だが、始祖ブリミルに連なる血を伝える三王家一教国は、例え領土を狭めることはあってもこの六千年滅びたことはなかった。
 それが今、一つ潰えようとしている。
 アルビオンという大陸そのものが無くなるわけではない。だが、始祖ブリミルを象徴する王家が一つ消え去るのだ。

 キュルケには、今後歴史がどう動くのか想像が出来ない。
 反乱軍は聖地奪還を旗に掲げているらしい。
 だが、それに従う国はないだろう。場合によっては、ロマリアと反乱軍との全面戦争に発展するかもしれない。

 キュルケはホール全体を見渡す。

 今ここにいる彼らが討ち果てるのがこれからの歴史の動きの引き金となるのだろうか。
 ここまで来た彼らが捕虜になどなるとは思えない。捕まるとなったら爆薬を飲んで一人でも多くの敵を葬ろうとするだろう。

 玉座を見る。年老いた最後のアルビオン王。その隣では、ルイズが王の耳に口を寄せ、何かを話していた。

 やがてルイズは王との会話を終え、グラスを片手にキュルケの元へと歩いてきた。

「何を話していたの?」

「アルビオンの今後について」

「あら、政治に興味はなかったんじゃないの?」

「それでもわたしの知識が彼らの役に立つというのなら、出し惜しみはしないわ」

「戦場に向かう彼らへの最後のはなむけとか言うつもり? それとも感傷?」

 ルイズはキュルケの言葉に答えない。
 代わりに、相談したいことがある、とルイズは言った。

「何かしら?」

 ルイズはキュルケに語り始める。明日、結婚式を挙げるのだと。












 ハルケギニアにおいて、結婚式は始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂で行われる。

 新郎と新婦はこのブリミル像の前で、ブリミルの名に誓って永遠の愛を約束する。
 結婚式とはブリミル教の神聖な儀式の一つなのだ。
 当然、ブリミルへの誓いを破る離婚は忌むべき行為だとして蔑まれる。

 その像の前で、ワルドとルイズは二人並んで立っていた。

 ワルドはトリステインで着ていた魔法衛士隊の制服。

 ルイズは城の者から借り受けたドレスを着ていた。その背には、新婦が身につける純白の乙女のマントがかかっている。

 だが、彼らの前には詔を読み上げる進行役が居ない。ウェールズは居なかった。

「ふむ、ウェールズ殿下は間に合わなかったようだ」

「代わりの者は?」

「陛下にお頼みしたかったのだがご老体を我らのまがままに付き合わせる訳にもいかない。一人、位の高い家の者が来てくれる手はずだ」

「そうですか」

 そういってルイズはうつむく。

「緊張しているのかい、ルイズ?」

「……いえ」

 どこかぎこちない様子で、ルイズは首を振った。
 明らかに緊張している様子が見て取れた。

 二人しかいない礼拝堂に沈黙が訪れる。
 再びルイズに話しかけようとするワルド。そこに扉の開く音が響いた。

「やあ、またせたね」

 そう言って、礼服に身を包んだ青年が扉の奥から姿を現し、ルイズ達の元へと歩いてくる。
 七色の羽が飾られた帽子を被った金色の青年。
 歩くたびに揺れる薄紫色のマントはアルビオンの象徴だ。

 青年はルイズ達の前で歩みを止めると、優雅に一礼して自分の名を名乗った。

「この式の媒酌を務めさせていただく、アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ。……まあこの名も今日限りのものだろうがね」

 皇太子の登場に、ルイズは小さく笑った。




ワルドとの結婚シーンは書かなきゃいけないんです(強引に軌道修正させつつ)



[5425] 風雲ニューカッスル城その11
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/16 06:42

「誓いません」

 ルイズは始祖ブリミルの名で愛を誓うかというウェールズの詔に、そう答えた。

「……ルイズ?」

 横で胸に杖剣を構えていたワルドがルイズの方を向いた。

「わたしはこの結婚を望みません。ウェールズ殿下、申し訳ありませんが……」

 ルイズの言葉に、ワルドは慌てて杖を下げルイズに詰め寄ろうとする。
 だが、ルイズは一歩引いてそれを避ける。

「どうしたんだい、ルイズ。気分でも悪いのかい? 日が悪いのなら改めて……」

「違います、ごめんなさい。ワルド様。わたしはあなたと結婚できない」

 ルイズのその言葉に、ワルドは顔を赤く染めルイズの手を強く握った。

「……緊張しているんだ。そうだろルイズ。きみが、僕との結婚を拒むわけがない」

「その自信がどこから来るのか解りませんが……ごめんなさい。わたしはあなたに付いていくことは出来ない」

 ルイズは淡々とそう言うと、ワルドの手を払った。
 対するワルドは、顔に貼り付かせていた笑顔を消し、怒りの表情を浮かべた。

「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる! そのためにきみが必要なんだ」

 叫ぶワルドにルイズはただ冷たい目を向ける。

「僕にはきみが必要なんだ! きみの能力が! きみの知識が!」

 ワルドは両手を広げ高々と述べる。
 対するルイズはさらに一歩引き、ワルドを見つめた。

「ねえ、ワルド様……」

 ルイズは首の下の留め金を外し、肩のマントを脱いだ。
 白いマントは新婦の証。それを外すということは、もう式を続ける気がないという表明だ。

「結局、最後までわたしを愛していると言ってくれませんでしたね」

 そのルイズの言葉に、ワルドの表情が凍った。

「わたしの級友には女子に見境無く愛の言葉を囁く人がいますが、はじめその類かと思っていました」

 ギーシュのことである。

「でも、あなたの口からはそんな愛の言葉すら出てこない。ワルド様、結婚を断られたあなたがここでわたしを愛していると食い下がってくれたなら、国に帰ったとき父さまに相談してお付き合いをしても良いと思っていました」

 嘘だけどね、とルイズは心の中で呟いた。
 結婚しようと言い出したワルドに、ルイズは信奉者が一人増えた程度にしか思っていなかった。少女の心を確かに持つルイズだが、ワルドは趣味ではない。どちらかといえば才人のような勝ち気な少年の方が好みなのだ。

「わたしを妻にすれば、この知識を引き出し放題とでも思ったの? でも残念。わたしは夫であろうが肉親であろうが、自分で話したいと思ったときしか知識を披露しないの」

 口元を歪ませて笑うルイズ。
 対するワルドは能面のような表情で右手に杖を提げていた。
 ワルドは小さく口元で何かを呟く。そして、杖を唐突に振るった。

 咄嗟に後ろに飛び距離を取るルイズ。しかし彼女に魔法は飛んでこない
 杖が向けられた先。それは傍らで控えたウェールズの胸。
 切っ先の鋭い杖剣は、『エア・ニードル』の魔法で青白く輝き、ウェールズの体を深く深く貫いていた。

 右手を突き出したままワルドはルイズを見、頭を大きく左右に振った。

「残念だ、残念だよルイズ」

「ええ、わたしも残念よ。まさか、考えられるうちで一番最悪のケースだったなんて」

 ルイズはマントを後ろに放り投げながらワルドの杖の先を見た。
 そこには胸を貫かれたウェールズではなく、杖に串刺しになった小さな魔法人形スキルニルがぶら下がっていた。





□風雲ニューカッスル城その11~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 扉が音を立てて開かれ、十五人ほどの人が礼拝堂になだれ込んだ。
 剣を抜いた才人、タバサ。杖を構えるキュルケにギーシュ。そして鎧に身を包んだ兵士達だ。

 それを見て、ワルドは首を左右に振った。

「ふむ、全て見抜かれていたと言うことかね? はは、賢者殿を出し抜くには僕では甘かったようだ」

 それに対しルイズは視線を外さぬままワルドに言った。

「いえ、全く見抜いていないわ。あなたが裏切り者だというのは可能性の一つとして考えていただけ。ただ単に……ワルド、あなたがあまりにも女性を口説くのが下手すぎただけよ。任務中にこんないつ攻め込まれるかも解らない場所で結婚しようだなんて、いくらなんでも不自然すぎたの」

 考えられる全てのケースに対しルイズは罠を張っていた。
 ウェールズにこだわっていたワルドに、ルイズは城の中に残る者からウェールズに最も容姿が近い人を選ばせ、血を吸い人に化けるスキルニルを用いウェールズの影武者とした。

 ルイズは横のメイジ達を見る。
 その中には、カトレアの姿に変身したシルフィードも居る。本物の姉にはとても似ていると言えないが、十年姉と会っていないというワルドをだますには十分だろう。

 ワルドがギーシュのようなただの浮気性の男ならば、彼女をけしかけて揺さぶってやろうと思っていたのだ。このような場所に何故カトレアが、と思われるかもしれないが、勢いで押し切れば十分に心を揺さぶれるはずだった。
 おおよそ戦場でやるような行為ではないが、ルイズは一度ワルドの裏の裏まで確認しないと安心してアルビオンから出られないと考えていた。

 そんなルイズの言葉にワルドは杖を振るって人形を落とし、肩をふるわせて笑い始めた。

「くく、あはははは、なるほど。ユビキタス確かにこの十年己を鍛えてばかり。デル女性の機敏などてんで理解していないなウィンデ」

 それはあまりにも自然な魔法の詠唱であった。

 言葉の中に自然に溶け込んだルーン。誰もその違和感に気付かなかった。
 ただ一人。彼の言葉を『日本語』で聞いていた才人を除いて。

「ルイズ離れろ! 魔法だ!」

 才人の警告に、ルイズは咄嗟に横に飛んだ。

 だが、魔法は襲いかかってこない。
 ワルドが唱えたのは攻撃のための魔法ではない。彼の唱えたルーンは『遍在』だ。
 二日前、学院で元軍人の教師ギトーが見せた『最強』の風の魔法。

 ワルドに瓜二つの四人の『遍在』が礼拝堂に現れた。
 その四人の奥、五人目の本物のワルドは杖を構えながらルイズへと言った。

「この旅における僕の目的は三つあった。しかしどうしたことだろう、このままでは全てを達成と言うわけにはいかないな」

「……どういうことかしら」

 ルイズはドレスの裾を破り戦うための姿勢を取りながらワルドへと訊ねた。
 ギトーの言でワルドが遍在を使えることは知っていた。だが彼の言では遍在は三つしか作れないはずだったのだ。最悪の予想よりさらにスクウェアメイジが追加。城のメイジ達は戦の準備に忙しく、これ以上の増員は望めない。

 ルイズはただひたすらにワルド本体の隙をうかがっていた。
 だがワルドは遍在に杖を構えさせながら、笑って左手の指を掲げてみせた。

「まず一つはウェールズの命。素直に言おう。僕はきみたちの言う反乱軍、『レコン・キスタ』の者だ」

 そう言いながら指を一本立てる。
 彼の言葉に、兵士達からざわめきが漏れる。

「二つ目の目的は、ルイズ、きみが受け取ったアンリエッタの恋文だ。この場にも持ってきているのだろう?」

「あんなものとっくに燃やしたわよ」

「何?」

 ワルドが眉をひそめる。
 ルイズはアンリエッタの恋文を全て燃やし尽くしていた。
 任務達成の証拠とするため一枚の手紙からアンリエッタの署名部分だけを千切って残してあるだけだ。

「それは困ったな。だが仕方が無い。三つ目の目的で良しとしよう」

 そう言ってワルドは左手を下ろした。
 彼の周囲では兵士達がすでに包囲網を作っている。

「三つ目……トリステインの賢者、きみを『レコン・キスタ』へと連れて行くことだ!」

 遍在は四方の兵士達へと斬りかかり、ワルドはルイズに詠唱の隙を与えまいと電光石火の勢いでルイズに肉薄した。





 戦闘におけるルイズの魔法は近距離で使うものではない。
 彼女の使う魔法は全て爆発であり、他のメイジ達のような『ブレイド』や『エア・ニードル』など彼女には使えない。
 だからこそルイズは格闘を学び外に出るときは短剣を身につけていた。

 だが、ドレスを着たルイズの手元に短剣は無く、無手に対しワルドは杖剣を振るう。
 詠唱は可能。だが、自分を巻き込まずワルドだけを傷つけるような器用なイメージを作るだけの集中をすることができない。
 この短い旅で、ワルドはルイズの魔法がどのようなものか理解していたのだ。

 杖を振るいながらワルドはルイズに語りかける。

「抵抗しなければ殺しまではしないよルイズ。きみは生かしたまま知将として『レコン・キスタ』に迎えるつもりだ」

「無理矢理連れて行ってわたしが従うとでも思っているの?」

「我らの閣下の力に触れれば、きみも『レコン・キスタ』の素晴らしさを知るだろう。例えきみが死体になっていようとね」

 そう言いながら風の刃を叩きつけるワルド。ルイズは身を沈めることでそれを回避した。
 ルイズの背後に置かれた長椅子が暴風にあおられ吹き飛ぶ。

 ワルドから何とか距離を取ろうとしながら、ルイズはワルドの言った言葉を頭の中で反芻する。
 ルイズを連れ去りさえすれば良い。
 つまりルイズが拒否しようが構わないと言うことだ。

 禁呪に『ギアス』と呼ばれる心を操る水の魔法がある。
 それを使えばルイズは彼らの望む知識を語る小さな巨大図書館になってしまうだろう。

 さらに、死体になっていようとも、とワルドは言った。
 四大魔法には人を蘇生する魔法は無い。だがそれは四大魔法に限った話。
 水の精霊の力があれば、人は蘇るのだ。『レコン・キスタ』は精霊の加護を受けているか、精霊が作り出したマジックアイテムを所持している可能性がある。

 もしかすると、目の前にいるワルドも『レコン・キスタ』の手で既に殺され、精霊の力で傀儡となっているのかもしれない。

 ぞっとしない。ルイズは強く歯を食いしばった。
 殺されるわけにはいかない。ワルドはここで打ち倒し、反乱軍が来る前にこの城から逃げ出さなければならない。

 ルイズは剣の間合いを取るワルドに一歩左足で踏み込むと、体をひねりワルドの胴を狙って右の回し蹴りを放った。
 突然の反撃にワルドの動きが止まる。
 そこに隙を見いだしたルイズは飛び跳ねるように左の蹴りを打ち込む。

「これは驚いた」

 だが、ワルドはそれを杖剣の柄で正確に受け止めて見せた。
 固い柄を蹴りつけてしまい、逆にルイズが足を痛めてしまう。

 左右の蹴りを放ち大きな隙が出来たルイズに、ワルドは魔法をまとわぬ杖を突きつけた。
 ルイズは咄嗟に左手でそれをパリイング。体勢を整え再びワルドと対峙する。

「体術の心得もあるのかい。なかなかの蹴りだ」

「それはどう、もっ」

 ルイズはワルドの死角を取るように杖のない左腕側へ潜り込もうと動き、すれ違いざまに後ろ回し蹴りを放つ。
 対するワルドは、ルイズの蹴りに合わせるように自らも左脚を振り上げ蹴りを打った。

 ルイズの足刀とワルドの脛が交差する。

 ワルドの蹴りは体重の乗った重たい一撃。体格差に押され、ルイズは弾き飛ばされた。
 そこに、ワルドの『エア・ハンマー』が追加で放たれる。避けようのない『面』の攻撃がルイズを襲う。

「しかし残念ながら、僕は軍人で隊長なんだ」

 吹き飛ばされたルイズに、距離を取らせまいとワルドは前へと駆ける。
 ワルドから離れた魔法を使う唯一の機会。だが、ルイズは全身を襲う衝撃に、魔法の詠唱どころではなかった。

 先の魔法で大きく崩れた椅子の残骸にルイズは突っ込む。何とか受け身を取るが、尖った木の破片がルイズの頬を大きく切り裂いた。

 動きを止めたルイズにワルドは『エア・ニードル』を纏わせた杖を突きつける。
 ルイズはその場で宙返りをし、後ろへと飛ぶことでそれを避けた。
 風の刃に巻き込まれた後ろ髪が、ごっそりと抉られ赤みがかった金の毛が礼拝堂に舞い散る。

 ルイズは崩れかけた長椅子の残骸の上に器用に降り立った。
 身の軽いルイズは、不安定な足場にワルドを誘ったのだ。
 その誘いにワルドは乗った。だが、足場は崩れない。ワルドはルイズが思う以上の修練を積んだ軍人なのであった。

 暴風のようなワルドの攻撃をルイズは捌いていく。
 当然無傷とはいかない。
 脇腹を抉られ肩を抉られ風を叩きつけられた。

 援護はない。当然だ。四人のスクウェアメイジの遍在が兵士達を押しとどめているのだ。

 もはや無事にワルドを倒すことは出来ない。
 それを理解したルイズは、死中に活を求め自らが巻き込まれるのも省みず爆発魔法を放った。

 早撃ちのワルドよりもさらに早い一単語のルーンでの魔法。
 だがワルドは、それを難なく回避して見せた。

 驚愕するルイズ。ワルドが行ったのは、ルイズの視線から魔法の放たれる位置を見極めるというもの。
 メイジ同士での戦いで身につけたワルドの体術。
 ルイズはこれほどの強者を母と体術の師以外に見たことがなかった。

 蹴りは防がれリーチの短い拳など届かない。
 杖剣と風の魔法に追い詰められ、ルイズはいつのまにか礼拝堂の壁を背にしていた。

「終わりだ、ルイズ。なに、腕の一本程度ですましてやる」

 そう言って杖を振り上げるワルド。
 ルイズの足はもう動かない。木の破片が右のふとももに突き刺さり地面を赤く濡らしていた。
 それでもなお瞳の輝きを失わないルイズに、ワルドは刃を振り下ろした。

「――させねえよ!」

 突如横から飛来した人影。それはワルドの振るった剣を弾きルイズを凶刃から守った。

「貴様!」

 光り輝く長剣に、いびつな溝の掘られた短剣を持つ少年。才人がルイズの前に立ちふさがっていた。

「何故だ! 貴様には遍在が一体ついているはずだ! 何故ここにいる」

 そのワルドの叫びに、才人は何と言うこともないという顔で返した。

「杖ばっかり触ってる貴族のぼっちゃんには解らねえだろうよ」

 才人はそう言うと、右手の輝く剣をワルドに向けて叩きつけた。




スキルニルはルイズが戦場での身代わり用に持ってきていた荷物の一つなのですが書く場所がなかった。



[5425] 風雲ニューカッスル城その12
Name: Leni◆d69b6a62 ID:d0c01066
Date: 2009/01/16 07:04

□風雲ニューカッスル城その12~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 杖と剣が交差する。

 魔法衛士隊の制服に身を包みわずかばかりルイズの魔法ですすに汚れたワルド。
 服の至る所を切り刻まれ全身の裂傷で血を滲ませる才人。

 二合ばかり打ち合った後、ワルドはわずかに後ろへと下がる。
 そして雷光のような突きを連続で放った。
 才人はそれをガンダールヴの超感覚を駆使して左手の剣で捌き、剣を振るったワルドの隙を狙うように右手の長剣を振るった。
 ワルドはさらに後ろへと下がることでそれを回避した。

 それはワルドがルイズとの戦いでは取らなかった距離だ。
 才人は主を守るようにルイズの前に立ちふさがり、ワルドからルイズを隠していた。
 それがワルドにとって有利に働いた。才人が邪魔になってルイズは魔法を使えないのだ。さらに、使い魔を捨て駒として扱わない限り才人を巻き込むのを恐れ容易に魔法を放つことも出来ないだろう。

 ワルドは才人の長剣の射程外でルーンを唱えると、『エア・ニードル』を杖に纏わせ踏み込み暴風のような突きを放った。

 だがそれは、才人の左手の剣に阻まれる。剣もろとも破壊しようと放たれた針の魔法はいとも簡単に受け止められ、カウンターとでも言うべきタイミングで長剣がワルドを襲った。
 すぐさま杖を引いてワルドは剣閃を防いだ。

「おのれ蛮人め……先の決闘では力を隠しておったか」

「ルイズから見たらお前なんてただの道化なんだよ」

 言いながら才人は剣を振るった。
 型の完成していない未熟な剣筋。だがそこに込められた力は強く、ワルドの服をかすめ振り下ろされた剣の切っ先が石造りの床を破砕した。
 その動きを大振りと見たワルドは即座に突きを放つが、まるで脊髄反射でもしたかのように左手が動き受け止めた。

 才人が学院で剣を習い始めてからまだ一月も経っていない。
 剣筋は滅茶苦茶で構えもまだまだなっていない。だが、それでもわずかな修練の日々は才人の戦い方に大きな影響を及ぼしていた。
 それはとても簡単な理念。だが、戦い方を知らない者は失念しがちなこと。
 ただ一つ、『むやみな突撃をするな』という教訓が才人の戦い方を支配していた。

 ワルドほどの達人相手ともなると、大振りの攻撃の隙は魔法を一つ打ち込めるほどの大きな隙になる。
 才人は衛兵長との訓練で身をもってそれを実感し、間合いを取るという戦い方を覚えていた。

 そして、才人の手には二本の剣があった。

 右手の剣は1.5メイルほどもある長剣。
 本来ならば両手で持たねばならないそれを才人はガンダールヴの力で底上げされた腕力をもって片手で軽々と振るう。
 修練の足りぬ者が相対したなら、その巨人のような一撃を受け止めきれず獲物を手放してしまうだろう。

 左手の剣は切ることよりも守ることを重視して作られた短剣。
 才人はこの短剣、ソードブレイカーを持つことで、隙の少ない『後の先』を取るという戦い方を自然と行っていた。
 剣を捌く訓練など行ったことなどないが、ガンダールヴの驚異的な見切りの力がワルドの嵐のような攻撃を捌くことを可能としていた。

 流れるような突きを繰り出すワルドに後の先を取る才人。
 互いの剣技は拮抗している。その事実を熟練者であるワルドは即座に理解した。

「蛮人には蛮人の戦い方があるということか。……では、貴族の戦い方を見せよう」

 後退するワルド。
 才人はそれに釣られないようその場に踏みとどまる。後ろにルイズが倒れているからだ。守らなければならない。
 ルイズを守る。その想いが、今までにないほど才人の全身に力を与えていた。

 距離を取ったワルドは一瞬でルーンの詠唱を完成させる。
 才人に突きつけた杖の先から暴風が生まれた。
 ルイズもろとも吹き飛ばそうと放たれた『ウィンド・ブレイク』の魔法だ。

 剣の届かぬ距離だが魔法を撃つには近すぎる距離。
 間近で放たれた魔法に、才人はただ右手を振るい剣を横に薙いでそれをいなす。

 長剣に触れた風は、まるで初めからそこになかったかのようにかき消えた。

「何!? 貴様、何をした!」

「貴族のぼっちゃんには解らねえだろうよ」

 そう答えたのは、才人ではなく彼の右手に握られた光輝く長剣。
 才人はその長剣を振り上げると、大きく一歩を踏み込みワルドに突きを放った。

 待ちの構えを取る才人には似合わぬ激しい一撃。
 これ以上下がるとルイズの魔法が飛んでくる危険があると見たワルドは、杖を振るって突きを弾いた。
 強烈な突きであった。杖を通じてワルドの右腕がわずかにしびれる。

 才人は怒っていた。
 ワルドはルイズを裏切った。ワルドはアルビオンの惨状を生み出した反乱軍の間者だった。
 そして何より。

「ルイズを傷つけやがったな……許さねえ!」

 怒りで増幅された力をこめて才人は剣を振るう。
 杖では捌ききれぬと見たワルドは踊るような足捌きでそれを回避していった。

「異国から連れ去られただけの蛮人がずいぶんとルイズの肩を持つ!」

 回避しながらワルドはルーンをつぶやき、『エア・カッター』、『エア・スピアー』と立て続けに魔法を放つ。

「蛮人? 違うね。俺は、ルイズを守る使い魔だ!」

 魔法への警戒を促す長剣の指示に従うまま才人は剣を振るい、迫る魔法のことごとくを消し飛ばした。

 そして先ほどとは左右を逆にするかのように、いびつな溝の掘られた短剣を突きだし体ごと前へと押し込む。
 踏み込んだ震脚が石造りの床を振るわせる。

 ルイズを守るという意思。それが何よりも力を与えてくれると言うことを才人は直感で理解していた。

 才人には魔法が届かない。
 未知の力にワルドはわずかに恐怖するが、軍の任務で先住魔法を使う魔獣を相手にしたことがある彼は、恐怖を押し込み再び杖を構え才人へと突きを放ち始めた。

 刃が届かないなら、魔法が届かないなら、その両方をもって相手を倒す。

 ワルドはレイピア状の杖剣の切っ先で才人の急所を狙いながら、ルーンを唱え続ける。
 零距離で『エア・ハンマー』が放たれる。
 だが、それさえも才人は長剣の声に従い防ぎきった。

 魔法は届かない。ワルドはそれを悟る。
 剣はどうか。連続で撃ち出す突きは、左手の剣で捌かれるが、時折才人の体をかすめわずかながら体力を削り取っている。

 だがワルドには悠長に消耗戦をしている時間はない。
 いつ城内から援軍が来るとも解らず、視界の端では風韻竜がブレスを吐き遍在を追い詰めている。

 才人を仕留めるならば、魔法ではなく剣だ。
 そのためにはまずこの邪魔な短剣を排除しなければならない。
 そう考えたワルドは杖を凶器に変えるルーンを呟いた。

 突きが主体のワルドが普段は使わぬ『ブレイド』の魔法。杖をレイピアに変える『エア・ニードル』とは違い、杖を長剣に変える魔法だ。
 ワルドはスクウェアクラスの精神力が凝縮された杖を振りかぶり、雷鳴のような一撃を才人に振り下ろした。

 短剣をへし折るために振るわれた嵐を凝縮した一閃。
 だが、それは才人の左手の短剣にしっかりと受け止められた。

「ぬぅ!」

 才人の持つ短剣がただの剣ならば軽々と折られていただろう。
 だが、才人の持つ剣はただの剣ではなかった。
 ルイズが直接掛け合い、トリステインで最も偉大なメイジであるオスマン氏の手によって『固定化』がかけられた最高の盾なのだ。
 そして、この短剣はソードブレイカーと呼ばれる特殊な武装。
 風の刃を纏った杖は短剣に掘られた溝にはまり、ワルドが引こうとも杖は動かない。

「言っただろうが」

 才人が右手の長剣を振る。
 ワルドは身をそらしてそれをかわすと、魔法で応戦しようと杖にまとわせていた刃を消す。
 次の瞬間、才人は腕力に任せて左腕をひねった。

「杖ばっかり触ってる奴には解らねえだろうってよ!」

 刀剣壊しソードブレイカーが鉄ごしらえのワルドの杖を真っ二つにへし折った。
 ソードブレイカーなどという平民の剣士同士の間でしか用いられぬ武器。メイジであるワルドはそれがもつ驚異を理解していなかったのだ。

 唯一の武装を破壊され驚愕するワルド。
 才人はそれに対し、全力の蹴りを浴びせた。

 増幅された脚力による蹴りは、ワルドを大きく吹き飛ばす。彼の体は数メイルの距離を舞った。

「ルイズッ! 魔法だ!」

 戦いの一部始終を呆けながら見つめていたルイズ。
 突然の才人の叫びに、彼女は我に返った。

 ワルドは今、才人から大きく離れて瓦礫の上で膝をついている。

 ルイズは腕を上げた。血を失ったせいかわずかにめまいがする。
 それでもルイズはワルドを見据え、口の中でルーンを呟いた。

 ワルドが自分に何度も放った風の魔法。ルイズは『エア・ハンマー』をワルドに向けて叩きつけた。
 虚空から爆発が生まれる。
 ワルドの左半身を包んだそれは、彼の左腕を強引に引きちぎった。





 礼拝堂の戦いは終結しつつあった。
 遍在のうち一体は、才人を追い詰めたところで光輝く剣に魔法を弾かれ、ソードブレイカーに杖をからめとられて切り伏せられた。
 もう一体はキュルケの杖を叩き折ったが、彼女の身につけた指輪が杖と思わず火の魔法を顔に浴びせかけられ、背後からタバサの短剣で肺を突かれた。
 もう一体は三匹の幻獣を相手にし、ジャイアントモールに足場を崩され火と風のブレスにたたらを踏んだところにギーシュの『アースハンド』に動きを止められ、シルフィードの木をも切り倒す爪の一撃を叩きつけられた。

 残った遍在はわずか一体。兵士達を薙ぎ払うも、他の遍在を倒し援軍に来たメイジと幻獣に少しずつ追い詰められている。

 この場は負けだ。そう悟ったワルドは遍在を近くまで呼び寄せ、風の魔法で壁を破壊した。
 遍在を盾にしつつ、礼拝堂の外に出た。そこには彼のグリフォンが待ち構えていた。

「ルイズ、ここは負けを認めよう。だが、きみはどちらにせよここで終わりだ」

 遍在に『エア・シールド』の壁を作らせながら、ワルドは片手でグリフォンにまたがる。
 彼の半ばで千切れた腕からは血は流れていない。イメージの無いルイズの純粋な爆発魔法で傷口を焼かれたためだ。

「穴を掘ろうとも無駄だ。きみは死にそして我らの前に忠誠を誓うのだ」

「言ったわよ。わたしは望まぬ相手には知識を披露しない。わたしは百科事典なんかじゃないの」

「はははは! ならば、五万の兵から生き残って見せるが良い!」

 笑いながらワルドは空高く去っていく。遍在はそれを見届けると風になってかき消えた。
 壁の向こうに見える空に浮かぶ太陽は高く昇り始めている。
 反乱軍が伝えたという開戦の時間は近い。

 逃げなければ、とルイズは腰を上げようとするが、足に力が入らない。
 見れば、木片が太ももに突き刺さり床を血で染めていた。
 ルイズは強引に木片を抜き去ると、ドレスを引き裂いて包帯代わりに脚へと巻いた。

 才人を手招きし肩を貸して貰い立ち上がると、兵士達の方へと体を向けた。
 ワルドの魔法に引き裂かれた者も多く、軽傷の兵士が胸を切り裂かれた兵士の手当をしている様子も見える。

「アルビオンの皆様、申し訳ありません。トリステインからわざわざこのようなやっかい事を持ち込んでしまいました」

 ルイズのそんな謝罪の言葉にも、兵士達は気にした様子もなく笑って返した。

「なに、あやつは反乱軍の者であろう。開戦時間がわずかに早まっただけだ」

 一人の兵士がそう言うと、残った兵士達も同意だとばかりに頷いた。
 ルイズはそんな彼らに深く一礼をすると、キュルケ達の方へと顔を向けた。

 無傷の者など居ない。相手はスクウェアメイジだったのだ。
 だが、悠長に城の水メイジに治療を受けている時間などないのだ。

「急いで逃げるわよ。シルフィード、まだ変身できる? 地下まで小さくなって走って」

「きゅい」

 シルフィードは返事を返すと『変身』の魔法で一メイルほどの小さな竜へと変わった。
 手足の構造が変わる変身をすれば急には動けない。姿はそのままに体を縮めたのだ。
 それを見ていたフレイムはきゅるきゅると鳴くと、シルフィードに体を寄せた。その意図を理解したシルフィードは「ありがとうなのね」と呟きフレイムの上に乗った。竜の足では速く走れないと思っての行動であった。

 それを見ていたルイズはくすりと笑うと、顔を上げてキュルケ達を見た。

「さあ、行くわよ。地下の秘密港まで急ぎましょう」

 それを合図に、ルイズ達大使一行は礼拝堂から飛び出し駆けだした。

 水の魔法の心得のあるタバサはキュルケと併走しながら指を振るい、ワルドの風の魔法で出来たキュルケの切り傷に止血の魔法をかけている。

 ルイズは才人の肩を借りよたよたと走る。だがその歩みは遅い。
 才人もワルドとの二連戦で体力をほぼ使い果たしているためだ。ルイズを背負おうともまともに走ることは出来ないだろう。剣を握っても力があまり沸いてこない。ガス欠かな、と才人は思った。

 そんなルイズと才人の姿を見ていたギーシュは、やれやれと肩をすくめて薔薇の造花を振るった。
 地面から青銅のゴーレムが一体生まれる。

「ルイズ、そのゴーレムに乗るといい。サイトに任せるよりはずっと速い」

「あら、ありがとう」

「なに、先の戦いでは足止め程度にしか活躍できなくてね。少しでも役に立たないと同行した意味がないさ」

 そう言うギーシュも無傷ではなかった。魔法で椅子に吹き飛ばされたのだろう。木屑が服に突き刺さり頭からは血を滲ませていた。
 ルイズはゴーレムに背負われ冷たい青銅に身を預けた。ルイズを乗せて前を行くキュルケ達をゴーレムは追う。

 礼拝堂を出、城内へと入る。この城には、フネが出入りするための秘密港がある。
 それを伝え聞いたルイズは、そこを脱出のための手段として選んでいた。

 城内を進み、ホールへと出る。そこには、武装をした貴族達が集まりジェームズ一世の前で敬礼を行っていた。
 ルイズはそこで「少し止めて」とギーシュに言うと、ゴーレムから降りふらつく足で立つと、ジェームズ一世に向けて深く一礼をした。
 その姿を見たジェームズ一世は、肺を病んでいるような咳をすると、ルイズに向けて短く言葉を投げかけた。

「大使殿。後は頼む」

「はい、アルビオン最後の任務、しかと承りました」

 ルイズは深々と下げていた頭を上げると、再びゴーレムに乗ると秘密港へと向けて進み始めた。




戦闘を書くのは今も昔も苦手です。単にガンダールヴ大勝利ではつまらないのでワルド視点で才人の奇妙な強さを恐怖する内容に。
次回、二巻エピローグ。



[5425] 風雲ニューカッスル城その13
Name: Leni◆d69b6a62 ID:cd1b2261
Date: 2009/01/17 17:11

 ルイズは遠い遠い日の思い出を夢として見ていた。

 それは、池の小舟で一人泣く夢。
 憧れの少年に慰められ、手を差し伸べられる夢。

 ルイズはその幼い日の情景を空から見下ろし一人見ていた。
 少年に手を取られ屋敷へと歩いていこうとする夢の中の幼いルイズ。
 それに向かいルイズは淡々と告げた。

逃避そっちはあなたの行くべき道じゃないわ」

 その声に幼いルイズはゆっくりと振り返り空を見上げた。

 ――ほんとうにそれでいいの?

 幼いルイズは、空のルイズへと向けてそう呟いた。

 ――あなたはそれでほんとうにいいの? まじょでいいの? わたしは……。

 幼いルイズは少女の姿へと変わりルイズを正面から見据える。
 対するルイズは夢のルイズの言葉をどうでも良いという様子で聞く。

 ――わたしはおうじさまヒーローに救われ愛されるおひめさまヒロインでいたい。

 そう告げた夢のルイズの言葉をルイズは鼻で笑って流した。
 そしてルイズは空の上から庭へと降り立ち、手を繋ぐ少年と少女の二人の元へと歩いていく。

「救われるのを何もせず待ち続ける悲劇のヒロインとか、もう古いのよ」

 そう言って、夢の中のルイズの傍らにいる少年の首に腕をかけ、無理矢理少年を奪い取った。

騎士ヒーローと一緒に並んで戦うお姫様ヒロインが良いの、わたしは」

 腕の中の少年はいつのまにか才人に姿を変えていた。





□風雲ニューカッスル城その13~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 風韻竜がアルビオン大陸を背に空を滑空していた。

 翼は広げたまま動かない。
 行きよりも一人と一匹分増えた重みに加えて先の戦闘での疲労。『変身』の精霊魔法を何度も使ったのも拙かった。
 シルフィードは飛びながらもゆっくりと落ちていた。
 だが、向かうのは地上。落ちることにさしたる問題はなかった。

 シルフィードの背の上では少年少女と魔獣達がぎゅうぎゅう詰めで落ちないよう身を寄せ合っている。
 進む方向を指示するのはシルフィードの主では無く、傍らにヴェルダンデを控えさせたギーシュだ。

「ヴェルダンデ、素敵な宝石の匂いはこっちかい? おお、そうかい流石きみの鼻は優秀だね。よしシルフィードくん、そのまま真っ直ぐ進んでいってくれ」

 ギーシュの指示にきゅいとひと鳴きして返すシルフィード。

 ギーシュの背後では、キュルケ達がニューカッスル城の脱出直前に城の者から渡された治療薬で傷の手当てをしていた。
 人間用の塗り薬が火トカゲに効くのだろうかと頭をひねりながらフレイムに塗るキュルケ。
 彼女達の中で唯一まともな治療魔法を使えるタバサは、一番の重傷であるルイズに水の秘薬を使いながら治癒の魔法を使っていた。

 『風』のトライアングルであるタバサ。だが『雪風』の二つ名で知られる彼女は『水』の魔法も得意としていた。
 血を失い青ざめていたルイズも、治療の甲斐あって血色の良い顔で寝息を立てている。

 ルイズは気絶していた。
 シルフィードに乗り込みギーシュに今朝のうちに伝えていたこれからの進路の再確認を取ると、そのまま横転したのだ。
 格闘の心得があるルイズだったが、流石に軍部の隊長格のスクウェアメイジを相手取るには無理が大きかった。

 彼女を助けた才人は、一人無言で自分の体の至るとことにできた切り傷に薬を塗り布を当て、ルイズの荷物の中に入っていた包帯を巻いていた。

「どうしたの、サイト。だんまりしちゃって」

 才人の様子を見たキュルケは、手鏡で顔が傷ついていないかを確認しながら彼に訊ねた。
 才人はキュルケの方へと顔を向けるとぽつりと呟いた。

「……マジで死ぬかと思った」

「は?」

「マジで殺されるかと思った。なんだよもー剣で斬り合うってこんなに怖いのかよ! ゲームと全然違うじゃねえか。聞いてねえぞおいデルフ、デルフ聞いてんのか」

 背中に背負った長剣を外すと、おもむろに手の平で鞘を叩き始めた。

 才人は生まれて初めて味わった恐怖に、今更になって混乱していた。
 彼が命のやり取りを体験したのはワルドと剣を結んだ先の戦いが初めてであった。
 港町で傭兵を斬り捨てたときも、騎竜に石を投げつけたときも『ガンダールヴ』の力に任せるままの一方的な戦いであった。それが、ワルドという強敵を前にして初めて死の恐怖を体感した。

 真剣を握ったときに覚悟していた。戦場に行くと決意し覚悟していた。
 だが、当たれば即死というワルドの魔法を前にそんな覚悟はどこかに吹き飛んでしまった。

 鞘からわずかに曇り一つ無い刀身を見せたデルフリンガーは、面倒くさそうに声を返す。

「うるせーなー。剣握っておいて今更怖かったとか馬鹿じゃねーのか」

「しかたねーだろーが。何だよあの髭親父の馬鹿みたいな強さは!」

 そんな少年と剣のやり取りを苦笑しながら眺めていたキュルケは、サイトがデルフリンガーを鞘にしかと収めるのを見てから彼に再度声をかけた。

「サイトはこういうの初めてだったの? あんなに剣使うの上手いのに」

「そうだよ。日本じゃこんな物騒なことまず起きない」

「あら、そうなの」

「そもそもこんな刃物を持ち歩いていたら、危険人物とみなされてお縄になって牢獄送りだ」

「変わってるのね」

「治安が良いんだよ。剣なんて持っていたら喧嘩のとき殺し合いになるだろ」

 魔法のない世界ならそういうものかもしれない、とキュルケは納得して才人から視線をずらした。
 彼の横では治療を受け終えたルイズが眠りこけている。

 ルイズは横たわりながら身をよじり、寝言を言うかのようにうめいた。
 何だろう、とルイズの顔を覗きこむキュルケと才人。
 次の瞬間、不意にルイズの腕が伸び才人の首を刈って彼を胸に抱き寄せた。

「ちょ、おい、ルイズ!?」

 逃げ出そうとする才人だが、竜の背で暴れるわけにもいかず才人はルイズに抱えられるまま動けずにいた。

「あらあら」

 起きているときには見られないルイズと使い魔の仲の良い抱擁の姿に、キュルケは思わず笑みをこぼし二人の様子を眺めていた。





 ルイズが目を覚ますと、そこは竜の背ではなくベッドの上だった。

 体にかけられたシーツをはぎとり身を起こすと、急な目覚めで血の回りきっていなかった頭がぐらぐらと揺れた。
 頭を片手で押さえつつ、ルイズはベッドからゆっくりと降りた。
 靴を履いていなかったらしく、床から伝わる木の感触を素足で捉えた。

 靴はどこだ、と視線を下ろしたところで彼女は気付いた。血に塗れたドレスを着ていたはずが、いつのまにか荷物の中にしまっていたはずの服に替わっている。
 床の上に置かれた自分の靴を見つけて履いたところで、ふと脚の痛みが消えているのに気付く。
 ふとももに負った傷は深かったはずだ。『風』のメイジであるタバサに治療しきれるとは思えない。

 ルイズは立ち上がって周囲を見渡す。木でできた素朴で狭い一室。
 小さなベッド、机、椅子。椅子の上には誰かが座っている。
 腕を組んで眠りこけている少年。才人だ。

 ルイズはその姿を見つけると、彼の肩を掴み揺り起こした。

「サイト、サイト、起きて」

「……んあ? あー……ああルイズ、大丈夫だったか」

「ええ。それよりも、状況を説明して」

 起こされた才人は目をこすりあくびをかみ殺すと、顔を上げてルイズに言った。

「ここは例のフネの中だ」

「……そう、見つけたの。じゃあ今は海の上?」

「いや、トリステインの岸辺。沈む前に漂着したらしい」

「そう。……まあ船底に穴が開かないよう落としたからそうでしょうね」

 そう簡単な会話をかわし、才人は膝を叩いて椅子から立ち上がると、扉に向けて歩き出した。

「外行こう。歩けるか?」

「ええ、大丈夫」

 めまいが消えはっきりした視界でルイズは才人を追う。
 失った血も魔法で補われたのだろう。貧血の兆候もない。

 扉を開け部屋から出ると、夕暮れの空が目に入った。
 どれだけ眠っていたのだろう、とルイズは思いながら顔を下げると、開けた海岸線が視界に映った。
 砂浜ではマントを着た貴族が数人と、鎧を着込んだ兵士達が何やら話している。
 貴族はこのフネに乗っていた者だろう。兵士達はこの領地を治める貴族の私兵だろうか。ここはアルビオンに近い国境付近だろうから警戒も強いのだろう。

 ルイズはフネを見渡し降りる場所を見つけると、フネから降りて海岸へと足を踏み出した。
 浅い海の上を歩き、砂の上に足跡を残しながら兵士達の元へと進む。
 そして、兵士達へと自分の名を名乗る。ヴァリエールの名を聞いて兵士達は顔を見合わせた。
 兵士達と話していた金髪の貴族は、そんなルイズの方へと振り返って笑みを作った。

「おお、目が覚めたようだなミス・ヴァリエール」

「はい、お久しゅうございますウェールズ殿下」

 貴族達の中心で兵士と話をしていたのはアルビオンの皇太子、ウェールズ・テューダーだ。
 スキルニルが化けていた者とは違う、輝くようなブロンドに整った顔。正真正銘の王子であった。

「お困りですか?」

 横目で兵士達を見ながらルイズはウェールズに訊ねた。

「いや、大丈夫だ。今、亡命の話をしていたところだよ。内乱以降こうして逃げてくるアルビオンの者は多かったらしくてね。問題なさそうだ」

 ルイズに笑顔を見せながら言うウェールズ。
 だが、その表情はどこか暗く沈んでいる。

「すでにニューカッスル城は総攻撃を受けたらしいね。情けないことだ。王国の最期に立ち会えずこうしてのうのうと生きているなど」

「そのことですが、ウェールズ殿下。ジェームズ陛下より書を授かってきました」

「父上から?」

 ウェールズの声にうなづきを返すと、ルイズは後ろに振り返り、フネの上でこちらを眺める才人に叫んだ。

「サイト! わたしの荷物持ってきて!」

 へーい、と返事を返した才人は、鞄を携えてフネから降りてきた。

 才人から荷物を受け取ったルイズは、鞄の紐を開け中から金のあしらわれた黒塗りの筒を取り出す。
 筒の先端をひねると蓋が取れ、中から筒状に巻かれた羊皮紙が飛び出す。ルイズはその羊皮紙を取り出すと紙を広げて両手でウェールズに差し出した。
 それを受け取ったウェールズは、紙に書かれた文を読んで苦虫をかみつぶしたような顔になった。

「父上……」

「陛下から承ったアルビオン王国最後の指令。それはただ一つ。『アルビオン王家の血を絶やすな』です」

 ルイズはウェールズの顔を真っ直ぐ見据えながら言った。



[5425] 風雲ニューカッスル城その14
Name: Leni◆d69b6a62 ID:cd1b2261
Date: 2009/01/25 00:37

□風雲ニューカッスル城その14~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 トリステイン王国の首都トリスタニア。その中心に真っ直ぐと伸びるブルドンネ街、その先に王族の住む王宮があった。
 その日、王宮の守りを担当する魔法衛士隊グリフォン隊副隊長は、隊長不在の隊をまとめながらグリフォンを傍らに控えさせ待機していた。
 どこかぴりぴりした空気が王宮を包んでいた。王宮の上空には飛行禁止令が出され、隊の皆は戦が近いとの噂を聞き過剰なほどに気を引き締めていた。

 気負いすぎな部下達の気持ちをどう緩めてやろうかと髭をさすりながら考える三十過ぎの副隊長。
 そんな彼の元に、部下の一人がトリスタニアの上空に竜の影ありと伝えてきた。
 副隊長はすぐさまグリフォンにまたがり集まる隊士の元へと向かう。
 竜は城下町の上空を滑空し、王宮の門の前へと降りたという。

 副隊長は二騎の隊士を伴い門へと向かう。
 するとそこには、体長六メイルほどもある風竜と、数名の貴族と平民が門番の兵士に詰問されていた。

 前に出て兵と話すのは、ブロンドの髪をポニーテールにまとめ上げた平民の服を着た少女。
 後ろに立つ貴族の従者かと見た副隊長は、グリフォンに乗ったまま杖を構え少女に向けて声を上げた。

「何者か!」

 顔を上げて副隊長を見上げる少女。
 杖を構える副隊長に向けて少女は高らかに名乗った。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。アンリエッタ姫殿下の命により参上致しました。姫殿下、もしくはマザリーニ閣下にお目通し願いたく思います」

 そう言って平民に扮した少女、ルイズは一枚の書状をグリフォンの前に突き出した。

 ヴァリエールの名を名乗る平民の少女。だが、埃で汚れうっすらと血の香りのするこの少女が、副隊長には隊にも信奉者のいる姫殿下の幼なじみには思えなかった。
 副隊長は門番を促して書状を少女から受け取らせる。門番から書状を受け取った副隊長は、杖を構えたままそれに目を通した。

 マザリーニ枢機卿の署名の入った身分証明書。少女の名乗った名を確かに証明する書状であった。
 副隊長は杖を下げグリフォンから降りると、ルイズに深く一礼した。

「これは失礼を致した。して、ミス・ヴァリエール。何故そのような平民の格好を?」

「身分を隠す必要のある任務を受けておりましたので」

 嘘だった。単にルイズはうっかり荷物からマントを出すのを忘れていただけだった。
 副隊長は隊士の一人に命じ、王宮に話を通すよう門の中へと向かわせた。

 そしてルイズを宮殿内に案内しようとしたところで、彼女の後ろにも貴族と平民が立っているのを見た。

「ミス・ヴァリエール。後ろの方々は?」

「わたしと同じく殿下の命を受けた魔法学院の生徒達です」

「ふむ、なるほど。皆傷だらけだ。さぞや厳しい任務を受けていたのでしょうな」

「密命ですので、申し訳ありませんが話すことは出来ません」

「何、解っておりますよ。姫殿下自ら軍の者以外に授けた任務。探るような真似は致しませぬ」

 そう笑い副隊長はルイズ達を引き連れて門の中と入った。
 向かうのは城壁と王宮の間にある待合用の建物。身分が証明されたと言えども王族の居る宮殿内に勝手に入れるわけにはいかない。アンリエッタと連絡が取れるまで副隊長はルイズ達をそこへ案内するつもりだった。

 建物へと入る寸前のこと。
 宮殿の中からアンリエッタが護衛を引き連れて小走りでルイズ達の前へと現れた。

「ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! まあこんなに傷だらけになって!」

 頭に包帯を巻き頬に布を当て、手にも包帯を巻いたルイズの姿を見て、アンリエッタは思わずルイズを抱きしめた。

「姫さま、任務、完了致しました」

「ああ、あなたならきっと出来ると信じていたわ。ルイズ! わたくしのルイズ!」

 誰がわたくしのルイズだと呟きながらルイズはアンリエッタから身を離すと、腰の荷物袋から紙片を一枚取り出した。
 それは、アンリエッタの署名が書かれた手紙の一片だった。

「この通り、書は回収しました。申し訳ありませんが必要ない部分は全て燃やしましたが」

「いえ、かまわないのよ。紙は所詮紙。大切なのは中に込められ伝わったはずの気持ちなのだから」

 そう言ってアンリエッタはルイズから破かれた痕の残る紙片を受け取ると、紙に小さくキスをした。
 任務の完了を確認したルイズ。彼女は次の任務を進めるために、荷物袋からもう一枚羊皮紙を取りだした。

「姫さま。任務中にジェームズ陛下にお会いしたおり、新しく一つ任務を授かりました。これをお読みください」

 それはルイズがウェールズに見せたジェームズ一世の書状であった。
 それに目を通したアンリエッタは、はっとした表情でルイズを見た。
 ルイズはただ黙って後ろへと振り返る。その中には、少年少女達に混じって金髪の青年が一人。

 ウェールズ。その姿を見たアンリエッタは手にしていた紙を思わず手放した。
 呆然と立ち尽くすアンリエッタ。
 やがて彼女は、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。

「あ、あ、あ……」

 突然のことに言葉が出ないアンリエッタ。ルイズならば彼を救い出してくれる。そう心の片隅で願っていた希望。だが、まさか本当にそれが実現するとは思ってもいなかった。
 立ち尽くし涙を流すアンリエッタの前に、ウェールズが進み出てくる。

「アンリエッタ……」

「ウェールズ、さま……」

 アンリエッタはふらりと前へと踏出し、ウェールズへと倒れ込んだ。
 ウェールズは両手を広げ、アンリエッタを受け止め両腕で包むように彼女を抱いた。

「ウェールズ様……ああ、うあああああああ……」

「すまない、恥も知らずに生き残ってしまったよ」

 胸の中で泣き声を上げるアンリエッタに、ウェールズは幼子をあやすように頭を撫でる。

 そんな二人の様子をキュルケ達は涙をうっすらと浮かべて眺めていた。
 一人を除いて。

 ルイズは二人の抱擁を見ようともせずに、アンリエッタが手放した王の書状とアンリエッタの恋文の断片を拾い腰の荷物袋にしまう。
 そして抱き合う二人を眺めると、無言で彼らの前へと歩き、アンリエッタを靴の裏で蹴りつけた。

「きゃん!?」

 可愛らしい、それでいて子犬のような声で悲鳴をあげるアンリエッタ。
 思いの外強かった蹴りはウェールズもろとも彼女を吹き飛ばし、抱き合ったまま二人は草の上に倒れ込んだ。
 突然の暴挙に、傍らで見守っていたグリフォン隊がざわめきを上げる。
 だが、同じく控えていたアンリエッタの護衛達はいつものことだとただため息を吐いた。

「な、なにをするのルイズ? 劇でいうとクライマックスのシーンよここ?」

 そんなアンリエッタの言葉に、ルイズはただ冷たい視線を向ける。
 アンリエッタを蹴ったルイズに王族への遠慮というものは無かった。幼い頃から殴り合いの喧嘩をしていた二人。さらに、ウェールズはすでに滅んだ王国の王族だ。
 まったく詫びる様子もなくルイズはアンリエッタへ声を放つ。

「そんなのは後回しにして、姫さまには文句があります。あなたのせいで死にかけました」

「え、今更そんなこと言われましても……。戦場に行ったのなら死と隣り合わせなのは当然でしょう?」

「そっちではありません。姫さま、一人誰か足りないと思いませんか?」

 そのルイズの言葉に、アンリエッタはウェールズを強く抱きしめながらルイズとその同行者を見た。

「……グリフォン隊隊長が足りませんね。戦死でもしました?」

「違います。隊長、ワルドはですね、裏切り者だったんです。反乱軍『レコン・キスタ』の内通者だったのですよ」

 グリフォン隊の隊士達からざわめきの声があがる。

 起き上がるウェールズに身を任せ、胸に首筋をすりよせながらアンリエッタは眉をひそめた。

「それ、本当?」

「ええ。皆の怪我も全て彼一人を相手取った時に負ったものです」

 起き上がり身を離そうとするウェールズに強く抱きついたままアンリエッタは表情を険しくする。

「解ったわ。外ばかり見ていたら中が腐っていたのね。任せて、国中を調べに調べて粛清の嵐を巻き起こしてみせるわ」

「お願いします。隣に裏切り者が居て杖を向けられるということの無いよう」

 そうルイズは言い、アンリエッタから視線を外しアンリエッタの護衛に顔を向けた。
 ルイズは護衛にマザリーニと面会させてもらうよう話を通す。王の任務を遂行するため、ルイズは次の行動を開始した。












 アルビオンからの帰還から数日後。
 ルイズは何故かマザリーニの執務室で連日書類の作成を手伝わされていた。
 それらは全てゲルマニアとロマリアの国交に関わるもの。
 ウェールズの亡命でアンリエッタはゲルマニアの皇帝との婚姻を白紙に戻した。だが、いつアルビオンを制した反乱軍は、トリステインに牙をむくとも解らない。
 そのため、ゲルマニアとの同盟まで白紙に戻すわけにはいかなかったのだ。

「ちょっとちょっとマザリーニ様、何で関係ない治水の書類が紛れ込んでいるんですか!」

「いや、なに。折角の機会なのでそちらにも目を通して知恵を拝借したいと思いましてな」

「内政まで任された覚えはありません! ああーもうー! 皆わたしを歩く図書館か何かと勘違いしていないかしら」

 そう言いながらルイズがペンを走らせるのはロマリアへ向けた文の草稿だ。
 アルビオンの新政府は、始祖ブリミルの血を引く王室を滅ぼし、さらには同じく始祖の加護のあるトリステインを狙いつつも恥知らずに『聖地奪還』を掲げている。ロマリアを通さずにそのようなことをのたまうアルビオン新政府に対抗するため軍事同盟を結びたい。そのような旨が、いかにもロマリアを刺激しそうな内容で長々と書かれている。

 一方、ゲルマニアとのやりとりは、この数日で既に数回行われていた。
 皇帝とアンリエッタの結婚は無くなる。それは、アンリエッタとウェールズが正式に結婚することになったためだ。
 だが、それでは軍事同盟は結べない。代わりにトリステインは、アンリエッタとウェールズの間に生まれた子供をすぐさまゲルマニアに渡すことを約束した。

 ゲルマニアの皇帝アルブレヒト三世がアンリエッタを欲しがったのは、別にその美貌に惚れたからではない。
 皇帝は、始祖ブリミルの血という箔を欲しがったのだ。
 トリステイン王族の血とアルビオンとトリステイン二つの王族の血。その二つを比べてゲルマニア皇帝は後者を選んだ。

 アルブレヒト三世は齢は既に四十過ぎだ。妾の子もおり、トリステインから送られた子を自分の子と婚姻させ、自らの傀儡としてしまえば良い。そう考えた。いや、違う。ルイズがそうなるよう仕向けたのだ。

 正式な文書はまだ交わしていないが、このまま行くと軍事同盟は締結され、アンリエッタとウェールズは近いうちに式を行うだろう。

「大団円、といったところですかな」

 マザリーニは書類にペンを走らせ署名を書きながらそう独りごちた。
 それを聞いていたルイズは、首を振ってそれを否定した。

「大団円なものですか。これは、ゲルマニアに嫁ぎたくない姫さまがまだ生まれてきていない自分の子供に責任を押しつけただけの、ただの先延ばしの終わり方です」

「ほう?」

「わたしは姫さまに三つ選択肢を用意しました。ゲルマニアにこのまま嫁ぐ。ウェールズ殿下をゲルマニアに引き渡す。子をゲルマニアに引き渡す。まあ、返事は考える間もなく三番目を即答でしたけど」

 やれやれとルイズは首を振った。幼い頃からアンリエッタに政略結婚政略結婚と言い続けたルイズがその即答の原因なのだが。

 貴族や王族の結婚というのは本当に面倒くさいものだ。血と権威と領地が複雑に絡み合う。
 カトレアとの婚約を無視してルイズに結婚を迫ったワルドの方がずっと単純明快で解りやすい。彼の場合はルイズの脳に詰まった膨大な知識が目的だったのだが。

「まあ、トリステインにとっても三番目が一番ですな。王が不在なのをこれ以上続けるわけにもいきませぬ」

「滅んだアルビオンの王族がトリステインの王になるだなんて、アルビオンの反乱軍は確実に攻めてくるでしょうね」

「魔法衛士隊の隊長に間者を潜ませたほどです。ウェールズ閣下がおられなくても奴らはきっと攻めてきたことでしょう」

 ウェールズと愛を囁きながら王宮内の貴族を片っ端から調べているアンリエッタをルイズは思い出す。
 今頃『レコン・キスタ』に関わりを持つ高官でも見つけて笑いながら首をはねているかもしれない。

 ルイズはやれやれと首を振った。ルイズはトリステインさえ滅びなければ王族の婚姻がどうなろうとも構わなかった。
 それが、何故アンリエッタとウェールズの幸せ新婚生活などのために何日も執務室で缶詰状態にならなければならないのだろう。

「ああああもう何でわたしがこんなことを……」

「ジェームズ陛下の最後の任務を受けたのは賢者殿だったと聞きましたが?」

「そもそもただの学生がこうやって宰相の真似事をしているのがおかしいと思いませんか!」

「それは私が手伝って欲しいと思うからですな。滅びたはずの国から王子を連れてくるなどという事態、とても私一人の手では捌ききれませぬ」

 淡々と答えるマザリーニ。
 これを機会にルイズを自分の部下として王宮に組み込んでしまおうという考えも彼の中にはあった。

「はあ、学院生活が懐かしい……帰りたい……」

「ロマリアと渡りがついたら考えましょう」

 その言葉に、ルイズはがっくりと項垂れた。



□風雲ニューカッスル城 完□


第一部完という感じで短編連作に戻ります。
先のこと考えていないので未完のまま不定期連載みたいな感じで。



[5425] 異国のグルメ トリステイン魔法学院食堂の和風賄い食
Name: Leni◆d69b6a62 ID:cd1b2261
Date: 2009/01/25 00:36

□異国のグルメ トリステイン魔法学院食堂の和風賄い食~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 平賀才人はその日一日、学院の広場で剣の修練に励んでいた。

 主であるルイズ・フランソワーズが王宮に詰めており、彼は一人トリステイン魔法学院で日々を過ごしている。

 ルイズを置いてキュルケ達を伴い学院に帰還したのはルイズの指示だ。使い魔が守るべき主から離れて良いのかと彼は抗議したが、王宮ほどこの国で守りが堅い場所などあり得ないとルイズに言われ納得して引き下がった。
 そもそも才人は身元不明の異国人。
 戦争の兆候有りと厳戒態勢が引かれる王宮に住み込むには問題が多かったのだ。

 一人ルイズの部屋で過ごす才人は授業に出ることはなかった。
 そもそも彼が学院でメイジの授業を受けていたのは使い魔として主に同行していたため。
 生徒でも何でもない彼が一人で授業に出るわけにはいかなかった。

 そうなると、才人がやれることと言えば文字の学習か剣の修練のみ。
 アルビオンにて実戦を体験しワルドの一流の剣技を見た彼は、より一層剣の鍛錬に打ち込むようになった。

 魔法を学ぶ学院で剣技を学ぶ彼を前は奇異の目で見ていた貴族達。
 だが、アルビオンで裏切り者の魔法衛士隊隊長を撃退したと自慢するギーシュの言で皆才人をルイズを守る使い魔なのだと認識し、才人の訓練風景は日常に溶け込みやがて誰も気にしなくなった。

 秘密任務であったはずのアルビオン潜入は、ウェールズ皇太子の亡命と共におおやけとなりルイズ達は正式に王室から功績を表彰された。
 剣一つでワルドを打ち負かした才人をシュヴァリエにという話も上がったが、彼をトリステインに属させたくないと考えたルイズはそれを拒否。才人には平民では簡単には得られぬ金と、立派な剣が贈られた。
 しかし、才人がその剣を握ることは無かった。煌びやかな名剣に姿を変えたデルフリンガーとワルドの杖を叩き折ったソードブレイカーはすでに彼の愛剣となっていたからだ。

 その日も才人は鞘からわずかに刀身を覗かせるデルフリンガーを背に負い、練習用に改良した木剣片手に衛兵長に剣の手ほどきを受けていた。

 午前中は膝が上がらなくなるまで走り込み、午後はタバサと共に素振りと組み手を行う。
 アルビオンから帰って以来、タバサは死角に回り込むことを重点的に狙う戦法を取るようになった。
 元々戦闘慣れしているタバサ。応用力は高く腕力のなさを急所狙いで補おうとしたのだが、真正面からの正攻法をとる才人は自分とは違う戦い方にさらなる刺激を受けた。

 才人がこの世界に召喚されてわずか一ヶ月と少し。
 彼の体は帰宅部の現代高校生のそれから急速に作り替えられていく。
 ゲームやインターネットばかりが趣味であった才人は純粋に剣を振ることに楽しみを見いだすようにもなっていた。

 だが一日中体を動かせば当然のごとく腹は減る。
 そのとき才人はとにかく腹が減っていた。

 貴族達の夕食の時間が過ぎると才人はふらふらと食堂へと向かった。
 食堂ではわずかに残る貴族達が談話をしながら食後のワインを嗜んでいる。
 だが才人は食卓へは着かない。この日の夕食は、マルトーから賄いを食べるよう誘われていたためだ。才人は真っ直ぐに厨房へと入った。

 時折才人はこうして厨房へ行き賄いを食べる。
 というのも、賄いには貴族の食卓にはまだ出されないマルトーの作った新作料理が出るからだ。
 最近マルトーは才人から伝え聞いた日本の料理を再現しようとやっきになっていた。

「おう坊主、来たなぁ。今日のはうめぇぞ!」

「マルトーさんの料理はいつも美味しいっすよ」

 そう会話を交わしながら才人は座る。
 前のように手伝いを申し出ることはない。すでに昼の間に体力作りとして薪割りを行っていたからだ。

 その才人の前に、メイドの少女が配膳を持ってやってきた。
 黒髪黄肌のどこか東洋の雰囲気がする少女、タルブ村のシエスタだ。
 一緒に食べましょうというシエスタに才人は二つ返事で了承した。

 美人の女の子と一緒に食べられるのは大賛成だ……といつもの才人ならそう考えていただろうが、この日の才人はとにかく空腹で誰かと一緒に食べるかどうかなどはどうでもよかった。
 目の前で並べられる皿を才人はそわそわしながら見る。

「はいどうぞ」

 その料理は貴族の食卓と比べると豪華さは劣るが、空腹の才人の食欲を満たすには十分な量が盛られていた。



<ガーリックパン>-ニンニクの練り込まれたパン。貴族の夜食用の残り物でパサパサしている。

<ボイルライスのサラダ>-お米と新鮮野菜をたっぷり使ったマルトー料理長の新作実験料理。

<野菜スープ>-根菜の葉や肉の切れ端の入った白いスープ。

<水>-井戸から汲んだただの水。東京の水道水よりずっと上手い。



「ほう……」

 米だ。才人の目の前には米が並べられていた。
 野菜と一緒に混ぜ合わされているがそれは確かに才人がトリステインに来て初めて目にする白いご飯だった。

「お米だ……」

「なんだか珍しく入荷できたそうですよ」

 才人の呟きにシエスタが答える。

「でも良いのかな。食堂の方でも見たことないのに賄いで出すなんて」

「貴族の方達は人がいっぱいですからね。食卓に出すほどの量は入荷できなかったそうです。役得ですね」

 そんなものか、と才人は深く追求しなかった。
 それよりも、パンと米という主食が二つ重なってしまっていることが才人は気になっていた。

 才人は知らないことだが、ハルケギニアにおける米とは野菜の一種だ。
 皿にご飯だけが出されて食卓に並ぶことはない。
 ポテト・マッシュなどと同じような扱いなのだ。

「ま、いいか。いただきます」

「いただきます」

 才人の声の後、始祖ブリミルへの簡易な祈りを終えたシエスタも料理の前で手を合わせる。
 全ての食材への感謝を込めて、といういただきますという言葉だが、今の才人にはそのような子とを考えている余裕はなかった。

 自作の箸を右手に持つ才人。
 ちなみに隣のシエスタも箸を使っていた。故郷の実家ではずっと箸を食器として使っていたらしい。

 才人はとりあえず米に手を伸ばした。野菜が混ぜられソースがかけられた白米。才人はそれを器用に箸で掴んだ。

 一口、二口としっかり噛みしめて食べる。

「……美味い、美味いんだけどなぁ」

 確かにそのライスサラダはサラダとして優秀だった。

 ――でもなぁ。ふっくら炊いたご飯とは違うよなぁ。べちゃべちゃしているというか……。

 この米は炊いて料理されたものではない。ボイル、つまり茹でて作られたものだ。
 そもそもハルケギニアには米を炊くという文化がない。
 ボイルとしての調理法を知るものさほど多くなく、芯が残ったまま食卓に並ぶこともある。
 その点ではマルトーのボイルは完璧であったが、やはり炊いたご飯とは明らかに違うものであった。

「まあ仕方が無いか」

 出鼻をくじかれた才人は、サラダの横で湯気を上げるスープへと手を伸ばした。
 小振りの深皿に入った白いスープ。白味噌の味噌汁みたいだなと才人は思った。
 食事のマナーにうるさい貴族の食卓とは違い、ここは使用人達の食卓。才人は深皿を手に持ち味噌汁を飲むように直接皿に口をつけた。

「……!?」

 そこで才人の動きが止まった。
 あまりにも覚えのある味だったからだ。
 日本での学生生活。その学校帰りに友人達と一緒に店に寄って食べた味。

「豚骨スープ……!」

「おう、よく解ったな」

 後ろからかかった声に、才人は振り返った。
 そこにはマルトーが笑いながら腕を組んで立っていた。

「ハルケギニアにも豚骨スープがあったんですね」

「いや、それは俺のオリジナルさ。おめぇの国にはあるんだなこれが」

 オリジナル、と聞いて才人は驚いた。
 自分だけで豚骨などと言う考えに思い至ったのか。

「坊主に聞いた『出汁』って考え方が面白くてなぁ。色々試してみたら豚の骨が以外と美味くてな」

 才人は以前マルトーと日本料理の会話をしていたときに『出汁』の話題を出した。
 トリステイン料理でも沿岸部では魚や甲殻類の魚介類から出汁を抽出することがある。だがそれは特定料理のレシピの一貫に組み込まれているだけであり、出汁を取るという概念は以外と広まっていない。
 新しい考えに、一流の料理人であるマルトーは好奇心を多いに刺激され、三食の用意をする時間以外も毎日のように厨房に立ち日々研鑽を重ねていたのだ。

 マルトーのどうだという視線を受けながら、才人はスープの具を箸ですくって口の中に運んだ。
 スープの中は具でぎっしりと満たされていた。
 本来なら残飯となる根菜の葉や葉菜の芯が刻まれてたっぷりと入っている。まるで豚汁のようなボリュームたっぷりのスープだった。

「うん、うん、これは美味い」

 スープの具をひとしきり楽しんだ後、才人はようやく主食となるパンを手に取った。
 一口サイズに千切って食べる。焼かれてから一晩経過したそれは、この食卓のメインを飾るには少々物足りなかった。

「ちょっと惜しいよなぁ……ん?」

 ふと横に座るシエスタを見ると、彼女は才人と同じようにパンを手に持ち、千切ったパンをスープに軽く浸してそれを食べていた。

 ――スープにパン! そういうのもあるのか。

 才人はシエスタを真似して、パンを豚骨スープにつけて口に入れた。
 わずかな豚骨の臭みがパンのニンニクの香りに上書きされ、さらに水気を失ったパンをしっとりとした味わいに変えていた。

 後は空腹に任せるまま。
 才人はシエスタの食べる倍の速度で食事を進めていった。





「ふう……」

 食事を終えた才人はお腹をさすりながら食堂を出、星空の下を歩いていった。
 マルトーからお代わりを勧められた才人は、あの後もう一人分を平らげてしまった。腹がはち切れそうになっていた。明らかに食べすぎだ。

 夜風に当たりながら才人は先ほど食べたスープの味を思い出していた。

「はは、豚骨かぁ」

 そう呟きながら彼はにやにやと笑い歩く。

 ――豚骨と言えばやっぱりラーメンだよなぁ。パスタは探せばあるだろうからそこから麺を作ってもらって……。

 平和な異世界の学院の中、才人は故郷の味に思いを馳せていた。




あとがき:一応これはゼロ魔SSのつもりです。



[5425] 遥かに仰ぎ、麗しのその1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:cd1b2261
Date: 2010/03/29 14:23

□遥かに仰ぎ、麗しのその1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 アルビオンとの戦いから一週間が経過し、虚無の休日となった。
 平賀才人はその日一日は鍛錬を休み、他の生徒達と同様に休日を満喫していた。

 衛兵長曰く、休息も鍛錬の一環である。
 才人と共に剣技を学ぶタバサも、今日は自室で読書を楽しんでいることだろう。

 空は休日にふさわしい晴天。
 学院の使用人達は広場に野外用の椅子とテーブルを並べ、生徒達はそこでワイングラス片手に談笑していた。

 話の中心は、先日王室から発表されたばかりのウェールズ皇太子奪還について。
 事実がいくらか曲げられたそれだが、生徒達はどこまでが本当でどこまでが嘘か、主に『魔女』の行動について妄想で話を膨らませた。

 もちろん、そんな話をする者ばかりというわけでもなく、どうでも良いうわさ話や恋の悩みについて話す者も居たり、酔った勢いでコルベール式自転車を爆走させる男子生徒達も居た。

 そして皇太子奪還の中心人物であった才人とギーシュはというと、クラスの男達と一緒に学院メイドちちくらべについて激しく討論を交わしており、アルビオンの真相を聞き出そうと来る男子生徒を仲間に加え、二人に媚びを売ろうと近寄る女子生徒を落胆させた。

 それまで魔女の従者として距離を取られがちであった才人だが、乳について男達と語るこの瞬間、彼はある種の一体感を感じていた。

 かつてはルイズの乳の大きさで決闘騒ぎを起こした才人とギーシュ。だが彼らは成長した。
 受け入れられぬ性癖を尊敬すべき一つの道として受け入れる、海のように広い漢の心を身につけていたのだ。

「エロは国境を越える!」

 才人の放った言葉に、男達から賛同のうなりが上がった。

 いつになく真面目な表情で拳を握りしめる才人。
 不意に、その顔に靴がめり込んだ。

「――――!?」

 才人は声にならない叫びをあげて草むらを転がる。
 突然の物音に、広場は一瞬静まりかえった。

 才人の周りにいた男達は何が起きたか理解できなかった。が、ただ一人、『風上』のマリコリヌだけははっきりと見ていた。
 この世で最も美しい脚が、才人の顔面に蹴りを叩き込んだのだ。

 男達の野望の王国に割り込んだ侵入者。
 それは彼の主、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだった。

 ルイズは地べたに這いつくばる才人の元へと歩くと、つま先で一発、二発と彼を蹴りつけた。
 そして襟首に腕を回し、才人の首を脇に抱えた。

「出かけるわよ」

 その言葉と共にルイズは才人を引きずり歩き出した。

「ル、ルイズ?」

 事態が飲み込めないままギーシュが声をかけると、無表情のルイズが振り返った。

「……何?」

「え、ええと、そのだね。うん、君、王宮にいるんじゃなかったのかい?」

「休暇」

 そう一言だけで答えると、才人を引きずったままルイズは広場を後にした。





 学院を出たルイズは、門の横に止めてあった移動用の籠に才人を叩き込み、横に居た従者に指示を出すと自分も籠の中に乗り込んだ。
 籠には何本もの鎖が繋がれており、鎖の先は一匹の風竜の鞍に繋がっていた。

 従者は慣れた様子で鞍に乗り込むと、手綱を操り風竜を飛び立たせた。
 竜と鎖で繋がっている鞍はゆっくりと地面から浮く。
 揺れも傾きもしないその離陸は、風竜を操る従者がこの道三十年の熟練の操縦者だからこそできる芸当であった。

 空を飛ぶ竜に籠をぶら下げ移動手段とする。
 これは竜籠と呼ばれる貴族用の乗り物だ。

 ハルケギニアにおいても移動にかかる時間というものは重視されている。
 馬よりも空を飛ぶ幻獣を。その中でも最速と呼ばれる風竜を使った移動はハルケギニアの歴史において早期に考え出されている。

 だが竜の背中というものは不安定であり、馬に落馬があるように空を飛ぶ竜から振り落とされる事例はいくらでもある。
 空中浮遊の魔法を使う貴族と言えど、皆が皆咄嗟に魔法を使えるわけでもない。
 そして、高速度で高所から地面に叩きつけられて生き延びることはまずない。

 そこで考え出されたのが、籠の中に人を乗せ竜にそれを引かせる竜籠だ。

 勿論竜は馬とは比べものにならないほど希少な生物であり、高い知性を持っているが飼育は困難だ。
 故に平民が竜籠を所持していることは無く、貴族用の乗り物として使われていた。
 才人の故郷の地球でいうところの自家用ヘリやビジネスジェットが近いだろうか。
 勿論、速度は竜籠のほうが圧倒的に下なのだが。

 地球には存在しない空を飛ぶ幻獣を使った乗り物であるが、それに才人は興味を示さなかった。
 いきなり蹴りつけ問答無用に自分を攫ったルイズに批難を浴びせかけることが最優先だ。

 だが、怒る才人にルイズは淡々と答えた。

 婦女子の集まる場所で昼間からする会話かこの馬鹿犬が、と。

 もっともな返答に、言葉に詰まる才人。
 ルイズを問い詰めるために乗り出した身体を引き、そのまま座る。
 背中から高級ソファーのような弾力と柔らかさが伝わってきた。

 籠の中は観覧車のような対面式の構造だ。
 軽量化のために貴金属での装飾こそされていないものの、才人には内装が格式の高いものであると感じられた。

 内部からは見えないが、竜籠の外装にはトリステイン王家の紋章が彫られている。
 王族用の竜籠をルイズは王宮での労働の見返りに借りていたのだった。

 ルイズと王宮で別れて一週間。
 才人は久しぶりに会った主の顔を見て、あるものを見つけた。

「ルイズお前……隈すごいな」

 彼女の整った顔に二つの黒い窪みが出来上がっていた。

「そう……、そうなのよ聞きなさいよ聞け!」

 ルイズは両手で才人の左右の肩を掴むと、勢いよく前後に揺すった。
 そして突き飛ばすように手を離して座り直し、大きな動作で脚を組むと王宮での生活を語り始めた。

 マザリーニが仕事を押しつけてくる。
 貴族達が媚びを売ろうと次から次へと押しかける。
 アンリエッタが血の付いた杖剣を持ったまま王宮を走り回っている。
 マリアンヌ大后が娘の教育を間違ったと騒ぎ立てる。

 寝る暇もないという主張だが、要約するとそれはただの愚痴であった。

 才人は思う。この小さなお姫様が、今まで自分に愚痴を漏らしたことがあっただろうかと。

 魔女や賢者などと言われているが、実際には十六歳の未熟な女の子でしかない。
 個人では消化しきれない辛いことやどうしようもないこともあるだろう。
 客人としてどこか距離感があった一ヶ月前とは違い、アルビオンでの一件を経て本当の友人になれたのだろうか。

 とはいうものの才人は日本において大多数の男子高校生の例に漏れず異性の友人に恵まれておらず、女友達との距離感など解ってはいなかったのだが。





「で、結局どこに向かってるんだ」

 籠に取り付けられた窓から下界を見下ろしながら才人は訊ねた。
 視線の先には街道はなく、田畑もない。開拓されていない自然そのままの風景が広がっている。

「幽閉塔、って知ってるかしら?」

「知らないな」

 ルイズの問いに対し、才人は即答した。
 そう、とルイズは呟くと、あるトリステインの文化についてルイズは説明を始めた。

 貴族の幽閉。

 通常、罪を犯し裁かれた平民は投獄される。
 だが位の高い貴族は平民と同じ処遇にするわけにはいかなかった。

 暴虐の果てに王の座から引きずり落とされた王族が、かつてトリステインに居た。
 トリステインの王族は始祖ブリミルの血を引く世界で最も高貴な存在であり、牢獄に入れることははばかれた。
 そして彼はうち捨てられた要塞塔に幽閉され、二十二年生きた後、病で死んだ。
 幽閉と言っても、広い要塞を自由に歩き回ることが許され、料理人など十名の使用人が雇われていたという。

 貴族を罪人としてではなくあくまで貴族として扱い幽閉する。
 地球の歴史においてもロンドン塔やタンブル塔など、王侯貴族の幽閉に使われた有名な施設は存在したが、当然のことながら才人は知らない。

「初めは罪人の幽閉に使われていた塔だけど、時代を経て違う使われ方をするようになっていったの」

 ルイズの言葉に、才人は適当に相づちを打つ。
 興味があるわけではないがつまらないわけでもない、といった姿勢。まあそんなものだろうとルイズは話を続ける。

「没落したものの力を付けて再興されては困る家、認知するわけにはいかない妾の子、魔法の使えない落ちこぼれメイジ、政治的事情から死亡者として扱われている者、そういった人物を貴族達はこぞって塔に隠し始めた」

 幽閉塔と世俗は完全に切り離されている。
 貴族達はやがてそこに人を隠すようになった。

「でも、貴族を幽閉しておけるだけの塔がいくつもあるわけではないわ。幽閉するだけに新しく建てるのも目立つしね。だから貴族達は大きな幽閉塔を建ててそこに皆で一斉に隠し物をした」

 幽閉塔の共有。どこの誰が考えたのかは解っていないが、結果としてトリステイン中から次々と貴族が幽閉されていった。
 塔の情報を外に一切漏らさないのが掟であり、時代を経ると共に塔にいる人物について外で語ることは貴族らしからぬ行為として扱われるまでになった。

「これから行くのはそんな塔の一つ、『女学院』。ま、いろいろ言ったけど女しかいない秘密の花園に遊びに行くとでも思っておけばいいわ」

 そう言ってからからと笑うルイズに、才人は一つだけ疑問を投げかけた。

「なんとなくは解った……。けど、その、そんなところに行って大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃないわね」

 大丈夫ではない。幽閉塔はトリステインの汚点だ。

 そのようなところに通うのは、貴族達から見れば弱味を探し回られているのと同じだ。

 悪意を込められた噂は何度も耳にし、抗議文が届いたこともある。
 両親からは何度も止められているし、竜籠を頼んだマザリーニからは嫌悪の目を向けられた。

「けれどね」

 だがルイズは恐れない。躊躇しない。遠慮しない。

「そこには友達が居るの。友達が居るなら会いに行く。何の問題もないわ」

 前を見て歩いている限り、世界は自分を中心にして動いている。
 ルイズの本質は『賢者』ではなくあくまで『魔女』なのであった。






あとがき:久しぶりの執筆なので特に山も落ちも意味もないエピソードを選択。え、一年ラノベ読んでなかっただけで何でこんなにゼロ魔新巻出てるの……?



[5425] 遥かに仰ぎ、麗しのその2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:cd1b2261
Date: 2010/04/01 07:09

「汝等此処より入りたる者、一切の望みを捨てよ」

 ルイズは門に刻まれた文字を高々と読み上げた。

 幽閉塔『女学院』。空から見たその建物は、塔ではなく城と呼ぶべき物であった。

 塔への入り口、ガーゴイルの彫刻が彫られた城門を才人は見上げる。
 悪魔の像、そしてルイズの読んだ文字。

「まるで地獄の門だな」

「人によっては、そうかもね」

「ルイズにとっては?」

「さあ……、考えたこと無いわ」

 そして考えるつもりもない、そう言ってルイズは門を開いた。





□遥かに仰ぎ、麗しのその2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□





 ルイズ達が塔の中に入ると、すぐにメイド服を着た使用人が出迎えた。
 才人は魔法学院でもニューカッスル城でも使用人を見てきたが、女性の使用人はメイド服というのがハルケギニアでの決まりと認識する。

 竜籠の従者と塔に入ってすぐの来賓室で別れ、ルイズと才人は使用人に案内され塔の奥へと進んでいった。
 廊下に点在する窓はすべてカーテンがかけられており、日の光は一切入ってこない。
 代わりに、魔法の照明が天井からつり下げられている。

 寂しい場所だ。そう才人が思った矢先だ。

「あ、ルイズだー」

 廊下の向こうから、十歳ほどの少女が駆けてきた。

「久しぶりね」

「わーわー」

 少女はルイズの背中に抱きつくと、ルイズの魔法学院の制服であるマントを掴んで自分の身体に巻き付けた。

「はいはい、後で温室いくから、また後でね」

「はーい」

 じゃれる少女からマントを引きはがしその背中を押す。
 すると少女はルイズを見つけてそうしたときと同じように、廊下の向こうへ駆けて行った。
 そして。

「みんなー! ルイズ来たよー!」

 大声が廊下に響いた。
 それを聞いたルイズは苦笑。使用人は口元に拳を当てて小さく笑った。

「変わらないわね、ここは」

「はい。いつも通りでございます。これまでも、これからも」

 訂正、ここはきっと明るい場所だ。才人はそう考え直した。

 それから廊下を一分ほど進み、使用人は一つの扉の前で歩みを止めた。
 彼女は扉の正面に立ち、扉につけられたノッカーを打つ。

「ほーい」

 扉の向こうから気の抜けた返事が返ってきた。

「ミス・ヴァリエールがお着きになられました」

「はいはいはーい」

 扉の向こうから走る音。そして一拍おいて扉が開いた。

 中から出てきたのは黒髪を腰まで伸ばした少女。
 服装は先ほど廊下でルイズに飛びついた少女と同じ。この『女学院』で支給されている制服だった。
 その作りはしっかりしたもので、貴族を相手にする針子が作った物。ただ、貴族を象徴するマントはつけられていなかった。

「よっす」

 黒髪の少女がルイズに向かって片手を上げて挨拶をした。
 貴族らしからぬその砕けた態度に才人は面を食らう。
 対するルイズは腕を組んで胸を張り、言った。

「使い魔を連れてきたわ。賭けは私の勝ちね」

 そのルイズの言葉に、黒髪の少女はきょとんとした表情になる。

「使い魔? どれ?」

「これ」

 ルイズは組んだ腕を解き、親指で横に立つ才人を指し示した。
 指差された才人は何も言わない。そもそも目の前に立つ少女が、ルイズの友人であると言うこと以外何もわからないのだ。
 よって、自己紹介をするような場面なのかわからない。

 黒髪の少女は腰を軽く曲げ、下から覗きこむように才人の顔を眺めた。
 値踏みするかのように数秒才人を見つめた後、少女は姿勢を元に戻し一歩後ろに下がった。

「ま、とりあえず中に入りな」

 促されるままにルイズと才人は部屋の中へ入っていく。
 使用人は一人、笑顔でその様子を眺めていた。





 足を踏み入れた部屋には、高価な調度品と金属細工の入った家具が並んでいた。
 広さは魔法学院の寮部屋の倍ほどはある。

 竜籠でルイズが才人に説明したとおり、この塔は貴族の幽閉される場所。
 その私室ともなれば、相応の広さが求められる。

 魔法学院の寮はあくまで貴族の子供を入れる場所であるが、この『女学院』は子供ばかりが住んでいるわけではない。
 ここは一生を過ごすための場所だ。貴族として最低限の暮らしができるよう、ある程度の広さが確保されていた。

 ルイズと才人は部屋の中央に置かれたテーブルへと促され、椅子を引いて着席した。
 黒髪の少女はルイズと才人が二人並んで座ったのを確認すると、その対面に座る。

「友人が訪ねてきたのにお茶も出さないのね」

「どうせ後で温室行って山ほど飲むんだろう。それより説明しろよ人攫いさん」

 人攫い。久しぶりにその言葉を聞いてルイズは苦笑した。
 才人を召喚したばかりの頃は、同じように魔法学院の生徒達から人攫いだの奴隷を連れてきただのと言われていたのを思い出す。

 そしてルイズは以前生徒達に説明したときと同じように、嘘を混ぜた才人の出自を説明した。

 黒髪の少女はというと、机に頬杖を突きながらぼんやりとルイズの言葉を聞いていた。
 そして、ルイズの話が終わると、ふうん、と特に感心もしていない様子でつぶやいた。

「ふうん、じゃないわよ。使い魔が召喚できるかの賭け、私の勝ちよ。約束通りあれ渡しなさい」

「へいへい」

 少女は面倒臭そうに返事をして席を立つと、部屋の一角にある本棚へと歩く。
 そして棚から一冊の本を抜き出しテーブルへと戻ってくる。

「ほらよ」

 そう言ってルイズに本を投げ渡す。
 それを受け取ったルイズは表紙を数秒眺めると、本を開きページをめくっていった。

「なんだそれ」

 横に居た才人がルイズの持つ本を見て言った。
 ずいぶんと古ぼけた本だ。

「始祖の祈祷書っていう国宝の偽もんだよ、使い魔くん」

 答えたのはルイズではなく、正面に座り直した黒髪の少女。

「異国人っていうから喋れないかと思ったけど、そうでもないみたいだな。『爆弾魔』だ。よろしく」

 彼女から初めて投げかけられた挨拶に、才人も「よろしく」と返す。

 爆弾魔。名前なのかそれともメイジの二つ名なのか。
 さすがに名前と言うことはないか、と才人がそれについて訊ねると。

「ここでは本名を言ってはいけないってしきたりがあるのさ。そして二つ名でもない。これはまー、ここに入った罪状みたいなもんだ」

「罪状?」

「おう、それ聞く? 聞いちゃう? ここじゃ投獄された理由を聞くのはマナー違反だ。だけどまあ私は心が広いから教えてやろう」

 妙なテンションで『爆弾魔』はまくし立てる。
 トリステイン貴族は演技好き、とは誰の言葉だっただろうか。
 魔法学院で妙に大げさな言動を取る貴族達を見てきた才人は、落ち着いて『爆弾魔』に相づちを返す。

 語り始めたのは、一つの事件。
 首都トリスタニアでかつて連続爆破事件があった。

 街の至る所で上がる火の手。
 それの解決に乗り出したのが、当時アンリエッタ姫の遊び相手としてトリステイン王宮に滞在していた『賢者』ルイズだった。

 捜査を開始してから一週間、ルイズは爆破の実行犯を突き止めた。
 それは宮廷貴族の一人娘。ルイズとも面識のある小さな女の子だった。

 爆破の証拠、アリバイ、目撃と犯人と断定するだけの材料が揃っていたその娘には、犯人として一つだけ足りない者があった。
 爆破を行う動機がなかったのだ。
 いや、そもそも爆破を行っているという事実すら知らなかった。

 彼女は、爆破事件の真犯人により『爆弾魔』としての人格を植え付けられていた。
 トリスタニアの爆破を実行していたのは、娘の身体を操っていたその『爆弾魔』だったのだ。

「人格を植え付ける……?」

 とんでもない話だ。そんなことが可能なのか。

「理論上は可能よ」

 答えたのは、本を読み終えたルイズだった。

「あんたの使ってるデルフリンガーみたいに、物に人格を植え付ける方法は存在する。それを人間に対して行った馬鹿がいたのよ」

 人の心を魔法で操るのは容易い。

 真犯人を捕えたルイズは、娘の『爆弾魔』の人格を消そうとした。

 爆破は全て『爆弾魔』によって行われたこと。
 娘自身には罪は一切なく、『爆弾魔』の人格のみを処刑すれば罰が科せられることもない。

 だが、娘はそれを拒否した。

「まー、なんつーか、自分の中に住んでる同居人を殺すのは後味悪いって思ったのさ。今じゃ人格がぐちゃぐちゃに混じっちまって消したくても消せないんだがね」

「確かに会うたび言動が粗暴になっているわよね」

「それは人格じゃなくてここの生活のせいだな」

 けらけらと笑う『爆弾魔』。
 その様子を見て、才人は理解した。
 彼女はタバサやアンリエッタのようなルイズの『変な友人』の一人なのだと。





 窓が全て布で覆われ外界と隔絶されているこの幽閉塔にも、日の光を浴びることができる場所がある。
 植物を育てるための温室。作物や花を育てる愛でるのが趣味の者達が集まる場所だ。

 だが、今この温室に集まっているのは花を愛する寡黙な少女などではなかった。

「ルーイズ! アルビオンで大活躍だったんだってね!」

 集まっているのは、ルイズが『女学院』に足を運ぶうちにできた友人達。
 知識が豊富で饒舌なルイズは、友人を作るのが大の得意だった。

「耳が早いわねぇ。発表からまだ三日よ」

「わはは、暇人をなめちゃいけないよ」

 そういうと、ルイズの周りにいた一人の女性が一枚綴り形式の週報新聞をルイズの前で広げて見せた。

 記事の見出しは『ウェールズ皇太子殿下大救出!』。
 ちなみに一週間前の見出しは『アルビオン陥落! 始祖の血消滅!?』であった。

「ゴシップ紙じゃないの、それ」

「えー、でもこれ面白いよ?」

 そういうと女性は新聞紙を握った手をぱたぱたと上下に振った。

 外との繋がりがない幽閉塔と言えど、生活するためには数多くの物資がいる。
 定期的に届く物資の中には、外の情報を載せた新聞も混ざっていた。

 トリステインにおいて、紙は貴重なものではない。
 貴族と平民の共通の趣味として読書があり、それなりの規模の街であれば紙で作られた書物を扱う店は必ずと言って良いほど存在する。
 本を専門とする行商人もごく少数であるが存在するし、首都トリスタニアともなれば身分を問わず入館可能な国営の有料図書館がある。

 ここまでトリステインの紙文化が発展しているのは、平民の識字率の高さにあると言えよう。
 領土の狭いトリステインが他国に匹敵する国力を得るためにはどうすればよいのか、という難題を過去の賢王が文字教育によって解決しようとした結果である。

 もちろん義務教育という概念が存在する才人の故郷とは比べものにはならない識字率。
 だがそれでも、多くの知識を得られるようになった平民達の価値観が大きく変わる程度の改革はもたらされた。

 識字率が上がれば当然筆記媒体の需要も上がる。
 そこに商機を見た商人や貴族、果ては魔法研究所までがこぞって紙の開発・製造を始め、安価な紙が市場に流されるようになった。
 そして安価な紙の登場により、紙を使い捨てるという考え方が生まれ、当時の最新技術であった活版印刷と組み合わさり新聞が生まれた。

 そのような背景を知らない才人は、新聞というものの存在に純粋に感心した。
 数々の地球文明を越える魔法の産物を見てきた才人であるが、彼の頭の中ではハルケギニアの基本的な文明レベルは未だに剣と魔法の中世ファンタジー世界という認識。
 新聞という日本の生活で身近だった製品が、この世界にあるなどと想像していなかったのだ。

 目の前で広げられた記事はつい先日の出来事である、アルビオン王国での顛末だ。
 その当事者であるルイズは、次から次へと質問攻めにあい、それに一つ一つ答えていった。

「ふうん、本当に人間の使い魔なのね」

 ルイズが皆と会話を進めるうち、一部の興味が才人に向いた。
 二十歳ほどのたれ目の女性に顔を触られ、十にも満たない子供に服をぐいぐいと引っ張られる。

 多くの女性陣に囲まれて鼻の下が伸びそうになる才人だが、巨躯の狼に乗った双子の少女が「私達の使い魔とどっちが強いかな」と言ったところで冷や汗が吹き出た。
 狼に顔を舐められて硬直しているところをルイズがニヤニヤと眺めている。

「ルイズちゃん、私達のと一日交換しない?」

「王狼の毛皮っていいマフラーになるのよね」

「ごめんやっぱなしでー」

 婦女子達と楽しそうに語り合うルイズを見て、才人はなんとなく自分がここに連れてこられたのかを理解した。
 きっと友達に自慢したかったんだろう。自分が呼び出した使い魔を。

 竜籠の中で、ルイズはここへ友人に会いに行くと言った。
 あの『爆弾魔』がその友人なのかと才人は初め思っていたが、どうやらそれは間違いだ。
 ここにいる全員が、ルイズの友人なのだろう。

 思えば、魔法学院でもルイズは多くの友人達に囲まれている。

 友のためなら無理を押し通し禁忌も足で踏みつける。
 自分のご主人様の本当の魅力は、美貌でも知識でもなく、その精神にあるのだろう。
 平賀才人は狼に手を甘噛みされながらそんなことを思った。





□遥かに仰ぎ、麗しの 完□


あとがき:『爆弾魔』さんはゼロ魔ゲーム版の設定を出すためのオリジナル舞台装置さんです。ゲーム版のネタも原作設定に修正し直していろいろ書いてみたいなぁ。あ、ゼロ魔は中世ファンタジーではなく近代ファンタジーです。



[5425] 暴君その1
Name: Leni◆d69b6a62 ID:cd1b2261
Date: 2011/05/22 20:42

 トリステイン王国の首都トリスタニアには、清掃屋と呼ばれる水メイジの集団が居る。
 水の魔法で街中の汚れを洗い流し、汚物を除け、衛生を保つ。
 医療の現場では最早常識となっている衛生観念を街全体に広げるために生まれた、公共の清掃員である。

 設立から八年とまだ新しく規模も小さいため、裏通りなどでは清掃が行き届いていない場所もあるが、病の減少と大通りの活性化という実績が上がり、清掃屋は少しずつその人数を増やしている。

 水メイジの少女アンも、そんな清掃屋の一人であった。
 領地を持たない貧乏貴族の三女として生まれ、貴族の特権である魔法を生かした職を求めて清掃屋に所属した。

 清掃屋には貴族は少なく、その多くが平民のメイジであり、さらには道具を使ってゴミを集めるただの平民も居る。
 プライドの高いトリステイン貴族ならば平民と肩を並べて仕事などできぬ……と憤慨するところだが、清掃屋に務める弱小貴族はそのようなプライドなど持ち合わせておらず、むしろ危険もなく安定した収入を得られるこの仕事を喜んで受け入れていた。

 少女アンもそんなプライドの欠けた貧乏貴族の一人。
 いや、さらにたちの悪いことに、清掃屋という仕事に対するプライドまでも欠けていた。

「仕事中に飲むお酒は美味しいわね」

 まだ日も高い平日の昼間。
 アンは街の巡回から抜け出し、酒場宿『魅惑の妖精』亭で果実酒をあおっていた。

「…………」

 そんな不良貴族の隣で、ブロンド髪の平民が一人、呆れた顔でため息をついていた。

「仕事サボって飲酒とはいいご身分ですね」

「あらあら、こうやって街を様子を見回るのが清掃員の仕事よ」

 清掃員の証である青色の短いマントを片手でつまみながらアンが言った。
 それに対し、ブロンドの平民は冷たい視線を向けて言葉を返す。

「その酒場の見回りに、なんで私が付き合わされているんでしょうね」

 アンの友人であるこのブロンドの平民ファンションは、アンの実家に住む書生だった。
 職を持たない居候の身であり、日課である家の雑務を手伝おうとしたところをアンにさらわれ、街の巡回に付き合わされた。

 専用の清掃用具もない魔法の使えぬただの書生では当然清掃員の手伝いなど務まるはずもない。が、書生を連れてアンが向かったのは馬糞の転がる馬車道でも生ゴミの捨てられる露店横でもなく、一件の酒場宿だった。

「たまには息抜きもいいのではなくて?」

「私は息抜きした分だけ本業がおろそかになるんです」

 ファンションの本業は書生、つまり勉学だ。居候先の雑務を終わらせた後に勉強をしなければいけない。
 だがアンはそのようなことを気にする様子もない。

「たまにはわたくしの息抜きに付き合ってくれてもいいのではなくて?」

「良くありません。……が、言うだけ無駄なようなので諦めます」

「あらあら、息抜きだというのにそんな暗い顔をするものではないわ。そうそう、ここベリーケーキが美味しいのよ。ジェシカちゃーん」

 ファンションの言葉を右から左に流したアンは、近くのテーブルを布巾で磨いていた店員を呼ぶ。

「なんでしょうか不良メイジ様」

「あらあらいきなり酷い言われよう」

 『魅惑の妖精』亭は人気の居酒屋だが、開店は夕方から。今テーブルについて軽食を取っているのは二階の宿の宿泊客だ。

 そんな場所で、宿泊客でもないアンが昼間から酒を飲めているのには、当然理由がある。
 アンはこの店の店長ミ・マドモワゼルと顔見知りであり、その店長に気に入られて「いつでも食事に来て良いわよぉ~ん」と言われているのだ。
 そしてこの店員ジェシカはその店長の娘。アンとも面識があり、親しい友人とも呼べる仲だった。

「そのマントつけて昼間から酒飲んでいる道楽者が、不良以外の何だって言うのさ」

 ゆえに、ジェシカはアンが貴族であっても友人として正面から軽口を叩く。

 そんなジェシカの言葉に、同席のファンションは「全くだ」と同意する。
 ジェシカとファンションはお互い面識は無かったが、どうやら共通の友人に対する認識は同じものであるようだった。

「こんな昼間からお酒が飲めるのも、アンリエッタ姫殿下の善政のおかげですわね」

 自分に向けられた悪口を意にも介さず、アンは果実酒を口にしながらそう言った。
 そんなアンを見てジェシカは腰に手を当てて言い返す。

「こんな不良メイジをのさばらせておくなんて、姫殿下の善政とやらも鳥の骨の采配とやらもまったくなっちゃいないもんだね」

 ジェシカの言葉に、ファンションは苦笑した。

 王宮の膝元の首都で王族の悪口を言うなど、不敬にもほどがある行為だ。
 とは言っても、場末の酒場での雑談にいちいち不敬罪を持ち出すほど今の王室は横暴ではなく、その証拠に公職である清掃員のアンも酒を片手に笑っていた。

「それよりもジェシカちゃん、ベリーケーキを――」

 と、アンが追加の注文をしようとしたそのときだ。
 店の羽扉が大きな音を立てて開かれ、マントを羽織った貴族の集団が続々と店内へとなだれ込んできた。
 その先頭には、でっぷりと太った中年の男。過剰に装飾がなされたその服装から、上流貴族であることが見て取れた。
 その姿を横目で確認したジェシカは、先頭に立つ貴族へと身体を向けて姿勢を正した。

「これはこれは、チュレンヌ徴税官さま。ようこそ『魅惑の妖精』亭へ」

 ジェシカは引きつりそうになる表情を必死に整え、目の前の貴族、チュレンヌ徴税官に対応する。

「申し訳ありませんが店主はただいま留守にしておりますので……」

「なに、今日は仕事で参ったわけではない」

 ジェシカの言葉をさえぎり、胸をのけぞらせながら言うチュレンヌ徴税官。
 仕事ではないなら客か、とジェシカは判断し、低姿勢を保ったまま再度言葉を続ける。

「酒場は夕刻からとなっております。今は見ての通りの宿でございまして……」

 そう言ってジェシカは店内を手で示す。

 酒場にただよう不穏な空気を察知した宿泊客達は、すでに二階の宿泊部屋へと姿を消していた。闖入者などどこ吹く風と食事を続ける不良清掃員と書生を除いて、であったが。

 不遜な態度を取る清掃屋にチュレンヌ徴税官は一瞬眉をひそめるが、特に逆らう姿勢があったわけでもないのでその二人組から意識を離した。

「客として参ったわけでもない。今日はこの店の店員に私用があってな」

「店員、ですか……」

「ジャンヌ、という娘がこの店におるだろう」

 チュレンヌがその名前を告げた瞬間、店の片隅から「ひっ」という引きつった悲鳴があがった。
 その声の主に、ジェシカは視線を向ける。
 視線の先に居たのは、栗毛の女の子。『魅惑の妖精』亭の店員ジャンヌだった。

「……ジャンヌが、何か?」

「少々私的な話があるだけだ。おぬしが口をはさむようなことは何も無い」

 目標を見つけたチュレンヌはジェシカから視線をはずし、ジャンヌを見据える。
 そして後ろに控えていた下級貴族の一人に「連れてこい」と指示を出した。

「ひっ、や、やめ、やめてっ……!」

 近づく貴族から逃げるようにジャンヌは後ずさる。が、数歩下がったところで壁に背がぶつかり止まった。
 逃げ場を失ったジャンヌの腕を貴族が掴んだ。

「いやっ、いやあっ!」

 ジャンヌは叫びをあげて手を振りほどこうとするが、腕を掴む下級貴族は大人の男性。
 非力な少女は満足に抵抗することもできずに入り口へ引きずられていく。

「たすけ、助けてジェシカさん!」

 自分を呼ぶ同僚の叫びに、尋常ではない事態になっている、と今更ながらにジェシカは理解した。

「ジャン――」

「私用である、と言っただろう」

 ジェシカがジャンヌに手を伸ばそうとした瞬間、チュレンヌの背後の貴族達が一斉に杖を引き抜いた。
 いきなりの抜杖に驚愕したジェシカは反射的に手を引っ込め、勢い余って後ろへわずかによろめいた。
 杖とは暴力だ。平民にとって、杖を向けられるのは首に刃物を押しつけられるのと同義。

「ふぉふぉふぉ、それでは店員をしばし借りるとしよう。返す気はないがね」

 そう言い捨て、チュレンヌは腹をゆらしながら入り口に振り返る。
 杖を向けられたジェシカは、その背中をにらみつけることしかできない。
 チュレンヌは笑いながら店を後にしようと、羽扉を押した。
 その瞬間だ。

 銀色の光がジェシカの視界を横切った。

 肉を打つ鈍い音が響く。突然貴族の手から解放されたジャンヌが後ろに倒れ床に尻餅をつき、その横に金属製のスプーンが音を立てて落ちた。
 突然の事態に、ジェシカは目を見張った。
 見れば、ジャンヌを連れ去ろうとしていた貴族が腕を押さえて屈んでいる。

「昼間から人攫いなんて首都も物騒ね」

 店内に若い女の声が響いた。
 声の元は、ジェシカの横。そこには、ブロンドの髪を三つ編みにした眼鏡の少女、書生ファンションが座っていた。
 書生は食事を取っていた位置から動かず、ただ右手を前に突き出していた。
 そんな書生に、隣のアンが果実酒片手に合いの手を入れた。

「思っていたより治安が悪いのかしら。ジェシカちゃんがさっき言った通りですわね」

 そこでようやくジェシカは状況を理解した。
 この平民の書生が、食器を投げつけてジャンヌを解放したのだ。

「ぶ、無礼者!」

 ジェシカと同じように状況を理解した貴族の一人が、書生に杖を向ける。
 次の瞬間、轟音が響いた。
 貴族が魔法を放ったのか、とジェシカは思ったが、違った。
 貴族達は誰も魔法を使うためのルーンを唱えていない。今の音は、書生が足の裏で勢いよく床を蹴った音だ。

「はっ!」

 床を蹴り一瞬のうちに杖を構える貴族に肉薄した書生は、勢いそのままに貴族に靴の裏を向けた。
 跳び蹴り。
 ご、とも、が、とも聞こえるうめき声をあげて貴族は吹き飛び、羽扉に手をかけていたチュレンヌを巻き込んで店外へと転がり出た。

 慌てて店の外に顔を向けるもう一人の取り巻き貴族。その後頭部に書生の後ろ回し蹴りが叩き込まれる。
 ただの書生の少女のものとは思えぬ強烈な一撃を受けた貴族は横転し、チュレンヌ達の後を追うように店の外へと転がった。

「あらあら、相変わらずお転婆さんねファンション」

 その様子を眺めていた清掃屋アンは、書生が座っていた椅子を笑いながら掴み、先ほどジャンヌを連れだそうとしていた貴族に向けてその椅子を投げつけた。

 先ほど書生が投げた食器とは違い、山なりに放物線を描きゆっくりと飛ぶ椅子。
 当然、貴族はその椅子を避けようと身構える。
 店内にいる貴族達の視線は、投げつけられた椅子に向けられていた。

 椅子が弧を描き飛び、落ち、貴族が避ける。
 そのわずかな隙にアンは腰にさしていた杖剣を抜き、軍人さながらの早口でルーンを唱えていた。

「ラナ・デル・ウィンデ、『エア・ハンマー』」

 風の系統魔法が放たれ、店の入り口に陣取っていた貴族達がまとめて店外へと叩き出された。
 彼らの前で蹴りを放っていた書生をも巻き込んで。

「――ってこらー! アン! わたしを巻き込むなこの酔っぱらい!」

 『エア・ハンマー』の直撃を受けたというのに無事で済んだのか、書生が店の外からアンを罵倒した。

「あら、ごめんなさい。わたくし風の魔法は不得手なのよ」

 水のメイジである清掃員アンはそう笑って店の入り口へと向かう。

 彼女の利き手には一本の杖剣。ハルケギニアに古来から伝わるレイピア状の杖ではない。
 数年前『賢者』が発案したとされる、トリステイン軍人の一部が使う杖が組み込まれた長剣だ。
 遠くの敵に魔法を撃ちながら近くの敵を『固定化』が施された刃で斬りつける、メイジとしての見栄を捨て実用性のみを追い求めた武器。

 アンはその杖剣で壊れて動かなくなった羽扉を切り落として、外へと出る。

 『魅惑の妖精』亭を出た通り。平日と言えどもここはトリステイン王国の首都であり、道を歩くものは多い。
 その首都の道での乱闘劇。当然のように野次馬が集まっていた。

 小柄で眼鏡の文学少女が、メイジの集団を相手に蹴り、殴り、杖を奪い、膝で杖を叩き折る。
 メイジに対する鬱屈が溜まっている平民達にとっては最高の大道芸であろう。
 ならば自分は剣技のみを使って加勢しようか、とアンが杖剣を構えたときのことだ。

「衛兵さん! こっちです! こっち!」

 と、通りの向こうから短髪の女性が首都警邏の軍人数名を引き連れてきた。
 それを見たチュレンヌは、書生とアンをにらんだ後、取り巻きの貴族達に指示を出した。

「ええい、引くぞ! 引くぞ!」

 出した指示は、撤退。徴税官であるチュレンヌといえど、警邏隊の前で私闘を行って見逃されるということはない。
 彼が大きな顔ができるのは、あくまで税を徴収する店の中だけの話だ。
 ゆえに、警邏隊に詰問される前に逃げなければならない。
 平民との私闘ならば、現場で捕まりさえしなければ後をひくことはないだろうとチュレンヌは判断し、人だかりをかき分けて逃げ去っていった。

 軍人達が店の前に付く頃にはすでにチュレンヌ達の姿はなく、乱れた服を直す書生ファンションと振るう機会を失われた杖剣を持てあます清掃屋アンが残るのみだった。
 そんなアンの姿を見つけた軍人の一人が、ため息一つにつぶやいた。

「またあなたですかアン殿」

「はいはい、お説教は後にしてくださいまし」

 街中でいらぬ騒ぎばかり起こす不良清掃屋アンは、顔見知りの軍人に軽く手を振ると『魅惑の妖精』亭へと戻っていった。

 乱闘後の店内。椅子の投てきや風魔法の使用があったが、物理的な被害は羽扉のみ。
 人的な被害者である店員ジャンヌはというと、書生から助けられたときの尻餅をついた姿勢のまま、床に座り込んでいた。

「大丈夫よ、貴女を連れ去る悪人メイジさんは追い払いましたわ」

「あ、ありがとうございます……」

 アンが手の平を差し出すと、ジャンヌはその手を握った。
 アンはそのまま手を引っ張ってジャンヌを助け起こす。貴族に強く腕を掴まれていたようだったが、怪我はないようだ。

「で、なにゆえさらわれそうになったのか、差し支えなければ教えていただけるかしら?」

 そうアンが問うと、ジャンヌは「ひっ」と息を飲んで、顔を引きつらせた。

「なんでもないんです! 本当になんでもないんです!」

 ジャンヌは掴んだままだったアンの手を払い、店の奥に逃げていった。

「…………」

 本人に聞けないならば同じ店員のジェシカに聞こうか、とアンは考えたが、止めた。
 この『魅惑の妖精』亭は、店主が他に行き場のない後ろ暗い過去を持つ女達を集めて経営している店だ。同僚がワケありだったとしても、部外者にそれを話すわけがない。店主からして『普通ではない』のだ。

 この場で聞けることはない、と判断してアンは後ろに振り返った。
 軍人達が壊れた扉の検分をし、その向こうでは書生に事情の説明を受けている。
 その軍人達に混じって、一人の平民が店の入り口横に立っていた。
 乱闘の最中に警邏の者を引き連れて来た、金髪の女性だ。

 通報者として現場に残されていたその女性に、アンは近づいていった。
 そしてアンはその女性に真横に立つと、小声で女性に呼びかけた。

「アニエス」

「はっ」

 アンの呼びかけに対し、女性も小声で返事を返す。

「チュレンヌ徴税官を調べなさい。"なにか"があるわ」

 チュレンヌとジャンヌ。これは、下心から平民を手込めにしようというありふれた話ではない、とアンの"勘"が告げていた。

「隠密隊の腕を見せて頂戴」

「承知致しました……姫殿下」

 女性の返答に、アンは口元を釣り上げて笑う。それは不良清掃員アンとしてのものではなく、トリステインの姫将軍アンリエッタとしての笑みであった。



□暴れん坊君主~わたしのかんがえたかっこいいあんりえったさま~□






[5425] 暴君その2
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/05/23 22:26
「困りますぞ殿下」

 不良清掃員アンが城下町から実家に戻り最初にしたのは、鳥の骨と揶揄される老人の説教を聞き流すことだった。

 水の都トリスタニア。
 その中枢に位置するトリステイン王国の王城。そこが、アンの実家だった。
 貧乏貴族の三女とは世を忍ぶ仮の姿。その正体は、トリステインの第一王女にして国で最大の実権を持つ実質の国主、アンリエッタ・ド・トリステインである。

「この忙しい時期にいなくなっては、国が止まってしまいますぞ」

 清掃員の格好をしたまま執務室の自席で座る王女に、鳥の骨、枢機卿マザリーニは苦言を述べる。
 アンリエッタは王女といっても、王国の麗しいお姫さまなどという絵本に出てくるような華やかな存在ではない。

 王は昔に亡くなり、政治や外交に対する知識が皆無な大后にも頼れない。そのため、国王代理として日々政務に励んでいるのだ。
 さらには、ここ最近はレコン・キスタという反乱勢力の手が国内外の貴族達に広がっていることが判明。内部調査と内通者の処分に大忙しである。
 仮の宰相として働くマザリーニと、臨時の相談役として城に留めおいたルイズがいなければ、今頃国が転覆していただろう。

「血なまぐさい仕事には潤いが必要ですわ」

 積まれた書類に王印を押しながらアンリエッタは言葉を返す。
 アンリエッタがこなすのは血なまぐさい仕事である。今彼女が行っている公務の多くが、何かしらレコン・キスタに関わるもの。
 いつ戦争が始まってもおかしくない国際情勢。そして、国の内部に潜むレコン・キスタに属する貴族達。刑を執行する杖を収める暇もない。

「休むならば、外に出なくともウェールズ閣下がおられるではないですか」

 マザリーニが引き合いに出したのは、亡国アルビオンから逃げ延びた皇太子。いや、元皇太子である。
 すでにアルビオン王国は存在しないため、ウェールズの呼び名は殿下ではなく閣下となっている。
 アンリエッタとの婚姻が正式に発令され次第、陛下となるのであるが。

「ウェールズ様には毎日のように癒して貰っています。でも、花には日光だけではなく水も必要なのです。城下の営みという名の水が」

 爵位のない貧乏メイジに扮して街を練り歩くのは、生まれたときから王族として過ごしてきたアンリエッタにとってはこれ以上ない娯楽であった。
 自分と同じく格が高いはずの公爵家の三女であるルイズは、アンリエッタと違い自由に城下町を行き来できる。それどころか、彼女は自らの知識欲のために国内外を飛び回る存在なのだ。
 人は手に入らない物を何よりも欲する。
 アンリエッタは自らの肩にかかる国民の命を投げ出しても、自由というものが欲しかった。最も、実際に投げ出すほど王族としての自覚が欠けているわけではないのだが。

 だからこそ、トリスタニアから戻ったアンリエッタは服も着替えず、今日中に目を通さなければならない書類を処理しているのだ。はめを外して外で遊び回るのも、何も無計画というわけではない。
 仕事が滞れば、その分、愛しのウェールズとの何にも邪魔されない新婚生活が遠ざかってしまうのだ。妥当反アルビオン勢力である。

 今、彼女の手元にあるのはレコン・キスタとの繋がりが疑われている貴族を強制捜査するための申請書だ。
 一枚一枚に署名していてはとても手が追いつかないので、王印での裁決をしている。

 国を売る裏切り者は斬首の刑。
 明らかな証拠が見つかると即座に城まで下手人を呼び出し、見せしめとしてアンリエッタ自ら杖剣で首をはねにいく。戦時に必要なのは恐怖政治である、とアンリエッタは主張している。
 だが、処刑される貴族が有力であればあるほど、開いた穴を埋めるため代理人となる王室の仕事が増える。

「賢者殿も、どうか姫殿下の悪ふざけに乗るのはおやめください」

 マザリーニは増えた仕事の被害者、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールへと話し相手を変えた。

「わたしは止めました。それなのに無理矢理こんな変装までさせられて……」

 執務室に臨時に設けられた相談役の席。
 そこでルイズは平民の格好のままアンリエッタと同じように政務をこなしていた。

 荒く編まれた三つ編みに、やぼったい眼鏡。
 マントもなく杖も腕の肉の中という常識では考えられない場所に隠されているため、彼女の顔をよく知るものでなければ貴族であると気づかないであろう。貴族を嫌う辺境の里に足を運ぶこともあるため、平民の演技は慣れたものであった。

 彼女が着ている服と顔の眼鏡はルイズが用意したものではない。城下町に遊びに行こうと言い出したアンリエッタがどこからか持ち出したものだ。
 さらには用意されたのは服だけではなく、ファンションなどという偽名もだ。
 ファンションとは、ルイズの第二の名であるフランソワーズの愛称の一つである。
 貧乏貴族の三女アンの家に居候する書生ファンション。これは何度かアンリエッタがルイズと共に街に繰り出すときに使われた設定であり、彼女達は王女と公爵の娘ではなくトリスタニアの一住民であると城下町の店員や住民達に記憶されていた。
 実際、ルイズが貴族の格好をして街を散策しても、ファンションであると気づかれたことはない。
 よほど貴族としてのルイズと親しい者ならば別なのだが、そういった賢者の信望者はルイズ側の意図を汲んで見て見ぬふりをしてくれる。

「そもそも、ただの学生でしかないわたしの立場では、姫さまを止めることはできないはずですよ。あと、そんなわたしが城下町に出たところで何も文句を言われる筋合いはないはずですよね。ええ、ないですね!」

 ルイズは魔法学院の一生徒であり、公爵の娘とはいえ自身は爵位を持たない。『賢者』などという肩書きも国に何らかの保証を受けたものではない。はずなのであるが……。

「今の賢者殿は姫殿下の相談役でありますゆえ」

「そこがそもそもおかしい! そこのお姫さまは貧乏貴族の三女とかふざけた設定で遊び歩いてるけど、わたしだって本来は継承権もない貴族の末女ですよ! それが何でこんな国の中枢に関わる仕事を……」

 座りながらルイズは地団駄を踏む。体術を学ぶルイズの踏みつけだが、分厚い絨毯に勢いが殺され可愛らしい音が響いている。
 そんなルイズとマザリーニのやりとりをアンリエッタは書類に目を通しながら眺めていた。
 あの唯我独尊な幼なじみを完全にやりこめているのだ。面白くて仕方がない。

「あら、では正式に任命しようかしら。王室相談役」

 そんな言葉をアンリエッタは横から投げかける。可愛らしい否定の言葉が返ってくるのを期待してだ。

「わたしの今の立場は学生です!」

 ルイズはそもそも政治には興味がないと、何度も彼らに言い続けているのだ。彼女の知識は全て魔法と破壊の真理の探究のためにある。
 だというのに、隙を見せたらこのように重要な仕事を押しつけられる。
 レコン・キスタが暗躍する今だからではない。八年以上前に城下町の清掃などという発案をしてしまってから、ずっとだ。

「わたしも城下なんかに行かずに、さっさと押しつけられた仕事終えて、学院に戻りたいのですが――」

 そう言いながら、ルイズは手元にある紙を掴み、マザリーニに向けてひらひらと揺らした。
 専用の木材から作られた良質の紙である。
 トリステインの公文書には羊皮紙はあまり使われていない。紙の生産技術が確立さえしてしまえば、羊皮紙よりも紙の方が大量生産に向いている。
 羊皮紙が使われるのは耐水性が求められる状況だ。トリステインの羊皮紙は、アカデミーの手により耐久性を追求して改良を重ねられている。
 ルイズの使い魔である才人はハルケギニアを地球における中世相当だと思っているが、実際は近代に近く、さらには六千年という長きにわたって文明の大きな衰退が起こっていないのため、文明レベルはところどころ地球の現文明を凌駕している部分もある。

 そんなトリステインの文明によって作られた公文書用の紙。そこには、王国の常備軍である空海軍の再編成についてが書かれていた。

「明らかにこの前の事件に関係ない仕事も押しつけられてますよね? 逃げますよ?」

 レコン・キスタとの戦争を見越した軍の編成の書類だが、相談役として主に外交面を任されていたルイズにとっては無関係もいいところだ。
 だが軍であればまだましなほうで、戦争前後の王国領の経済予測や諸侯への影響など、舞い込む仕事が“なんでもあり”な状況に追い込まれていた。

「あらあら、国の機密を知ったのに正式な退出許可を得ないで逃げるなんて、打ち首ですわね」

 本来ならばまつりごととは無関係なはずの少女に対し、アンリエッタは笑いながら退路を塞ぐ。

「親友を罠にはめるとか最悪です姫さま」

「うふふ。恨むならば、わたくしをこのように育てたあなた自身を恨むことですね」

 ルイズはアンリエッタを育てた覚えなどない。
 落雷を見たあの日。それ以来変質した異常な子供としての己を隠さぬまま幼い姫と日々を過ごしていたら、アンリエッタが勝手に感化されて今の性格になっただけなのだ。
 昔のアンリエッタは策略や陰謀などに縁の無い純粋無垢な子供だったというのに。

 アンリエッタ以上にルイズと同じ時を過ごした八つ上の姉は、アンリエッタと違い十年前から変わらず人一倍優しい聖女のような存在だ。
 生まれついての病気が治ってからは、暴走する妹を諫める強さも手に入れたが、それは正しい成長だ。目の前の暴君などと比べては失礼である。

「でも、マザリーニ。わたくしもただの息抜きに抜け出したわけではなくってよ」

 アンリエッタはルイズに向けていた視線を己の片腕である宰相へと変えた。

「城の足下の様子も知らないのでは、正しい治世などとてもとても。実際、この目で面白いものを見つけてきたのだから」

 面白いもの、と聞いてルイズはすぐに思い当たる。
 『魅惑の妖精』亭での事件のことであろう。昼の酒場宿で貴族とメイジ達が押し入り、店員を攫っていこうとしたあの事件。

「マザリーニ、トリスタニアのチュレンヌ徴税官のことはご存じかしら?」

「はあ、良い評判は聞きませぬな。アルビオンの件があるので真偽を確かめる時間がとれておりませぬが」

「その評判というものには、白昼堂々若い平民の娘を攫うというものも含まれているのかしら?」

 アンリエッタの言葉に、マザリーニは「む」と呻くと何か考え込むように押し黙った。
 貴族が平民に対してある程度の無理を通しても、まかり通るのがこの国の通例だ。だが、人攫いが許されるほど法は乱れていない。

「詳しくは密偵――わたくし直属の隠密隊に調べさせていますが……わたくしも少し動く必要がありそうですわ」

「……殿下が? もしやレコン・キスタの内通者ですかな?」

「それはまだ解りません。ただ、わたくしの勘がささやいているのです」

 腰に下げられた王家の杖剣に触れながら、そっと目を閉じた。

「その娘……ジャンヌさんの周りには大きな何かがあると」



[5425] 暴君その3
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/05/23 21:21

 数日後の夕刻、清掃員アンは残る仕事をファンションに押しつけ早速『魅惑の妖精』亭へと訪れていた。
 店は夜の営業の準備時間中。
 前の騒動の時は店にいなかった店長のミ・マドモワゼルことスカロンにアンはジャンヌの家について訊ねた。

「あの子の家? 何でそんなこと知りたいのかしら? アンさんと言えど店員個人に深入りはあまりしてほしくないわね~」

 何かとワケありな娘達を集めて店を経営している店長として、スカロンは当然のように拒否の意思を見せた。
 ここは叩けば叩くほどホコリが出るような店である。なにせ、街角で路頭に困っているような子供でもお構いなしに店員として招き入れているのだ。
 だからといって、店で違法な仕事をさせているわけではない。
 汚れた過去から足を洗うための場として娘達に給仕としての仕事を与えているのだ。
 店の決まりの一つ、店員はお客からいくらでもチップを巻き上げても良い、というのも彼女達が独り立ちするためのお金を稼がせてあげようというミ・マドモワゼルの心遣いであった。

 だが、アンもこの程度で引き下がるつもりはない。

「ほら、わたくし水のメイジでしょう? もしジャンヌさんのご家族があの徴税官に乱暴されているのなら治療できるかしら、と」

「なるほど、そういうことね」

 スカロンは考える。アンにジャンヌの家を教えて良いものかと。アンの『本当の姿』は知っている。この店でそれを知っているのはミ・マドモワゼルだけであるが。
 もしジャンヌに表沙汰にできない過去があったらアンはどうするであろうか。今までアンが解決してきた街の事件を思い出す。
 問題ない。アンは不良清掃員の姿をしている限り、法の力を振り回そうとすることはない。

 そしてジャンヌ。スカロンは彼女の抱えている事情を何も知らない。
 だが自分がいないときに店内でジャンヌを巡って一騒動起きたのは知っている。長く勤めた店員は皆、スカロンにとって実の娘のような存在だ。過去はともかく今現在その身に不幸がふりかかっているならば、手をさしのべてやりたかった。

「別にジャンヌさんをどうこうしようとしているわけではないですわよ?」

 アンもジャンヌがレコン・キスタの間諜などではない限り、例えジャンヌに多少の後ろ暗い過去があっても無理に探る気はなかった。
 狙いはあくまで彼女に狼藉を働こうとしているチュレンヌ徴税官とその背後なのだ。
 法を犯す者全てを断罪するなど面倒極まりないことだ。アンはしばしばトリスタニアで目にした悪を成敗することがある。が、正義の心や法の精神などという崇高なものではなく、ただの自己満足でやっていることである。

「……よし、解ったわ! 教えるけど、ちょっと暗い事情を抱えていても責めないであげてね」

 スカロンは腰を振りアンに向けてウインクを飛ばした。
 ジャンヌが今辛い状況にあるのならできれば助けてあげたい。それがスカロンの思い。だがしがない店長にはできることがとても少ない。だからこそ、このあちこちに首を突っ込んでは豪快に解決してしまう不良清掃員に託すことにした。

「ええ、約束。ついでに徴税官の職務態度も調べますわ」

「トレビアーン! それは助かるわ~。あの貴族さん、アンさんがしばらく顔を見せていない間にずいぶんと好き勝手していて困っていたのよ」

「ファンションがうちで働いてくれればこんなこともないのですけれど」

 アンは貴族の横柄の責任を幼なじみの居候に全力で押しつけた。
 彼女が自分の手助けをしてくれれば、トリスタニアは住みよい街になるのに、と。
 別にアンは彼女が悪いと言っているわけではない。ただの愚痴だ。

「だめよ~。ああいう子は野山の花と同じで、無理に手元に置いたら枯れちゃうのよん」

「わたくしの方があの子とは長いのに、言いますわね」

「こればかりは人生経験よ」

 スカロンは再びアンにウインクを飛ばすと、ジャンヌの家の場所について話し始めた。





 トリスタニアは広い。
 ここ数年は善政で評判になったヴァリエール領やモット領にいくらか人が流れているが、ハルケギニア一美しい都としての名は高く、今も二十万人近い人々が居を構えている。
 トリスタニアを大きく二つに区分すると、王城と貴族の屋敷が建ち並ぶ貴族街と、平民達の住居や商人の店が集まる下町に分けられる。貴族街と下町の間には大きな川が流れており、貴族と平民という二つの階級を物理的に分ける象徴となっていた。

 アンがやってきたのは下町の中流階級の住居が並ぶ裏通り。そこに、ジャンヌの住む家があった。
 ジャンヌの家はアンが想像していた小さな家屋とは違い、それなりに立派な白い石造りの建物であった。
 家と屋敷の中間ほどの佇まいの建築。下流貴族やそれなりの規模を持つ商人の住んでいるような家だ。周囲の家と比べるとその大きさは少々目立っていた。
 自称している貧乏貴族の家というものがあるのなら、このような家なのだろうとアンは思った。

 アンは家の扉に付けられた大きなノッカーを叩く。
 すると、ノックの音にわずか遅れて扉の裏から鈴の音が響いた。来客を知らせる家屋用の魔導具の一つだ。
 ジャンヌは『魅惑の妖精』亭などに勤めているが、それなりに裕福な家柄らしい。
 アンが思い出してみるとジャンヌは店の給仕としての仕事を楽しんでやっていた。
 純粋に人と接するのが好きであの仕事を続けているのだろう。だからこそきわどい格好でお客を魅了し機嫌を取るという仕事で給仕の中でも上から二番目の人気を誇っているのだ。
 なにかと複雑な事情を抱えるあの店の店員の一人ということでアンはジャンヌを色眼鏡で見ていたが、人を思い込みで判断していたと彼女は少し反省した。
 アンがそのようなことをつらつらと考えていると、木製の扉が小さくきしむ音を立てながらゆっくりと開いた。

 扉の奥から出てきたのは、四十歳ほどの男性。トリスタニアの清掃員の制服を着て、肩には焼却担当の貴族階級の火メイジであることをしめすマントがかけられていた。
 この人がジャンヌの家族だろうか、とアンは思った。となると、ジャンヌは平民ではなく貴族の子女ということになる。昼夜問わず店に勤めていることから、この家の給仕も兼任しているということはないだろう。

「おや、急ぎの焼却ですかな?」

 と、貴族の男はアンの清掃員のマントを見ながら言った。
 彼はアンを清掃局から仕事の催促に来た連絡員だと思ったのだ。

 トリスタニアには多くの清掃員が街中のゴミを拾い水で道を清めているが、当然拾われたゴミはどこかに集めて処分しなければならない。
 ゴミの処分は水メイジの魔法では汚れを落とす程度のことしかできない。
 ゴミが可燃物ならば、火の魔法が得意なメイジに処理施設で焼却処分する。だがただ火をつければいいというわけではなく、より高火力でかつ施設へ熱の影響を与えないという魔法が必要なため、それを行う火メイジにも高度な技術が求められる
 だが高度な魔法教育を受けている中流以上の貴族は、清掃員という職になかなかつきたがらない。そのため焼却担当のメイジは街中の清掃を行う水のメイジと比べて少ない。これは、焼却後の灰や不燃物を錬金して再利用可能な物質に変換する土メイジも同じだ。

 この男は腕の高いメイジで、かつ貴族街に居を構えない下流貴族なのかもしれない、とアンはあたりをつけた。
 そしてアンは初めて会う男に軽く一礼をする。

「いえ、お仕事ではありませんわ。わたくしはジャンヌさんのお店に通わさせていただいております、アンと申します。お友達のジャンヌさんの家を人づてに聞きまして、訪ねてみようかと」

 アンの自己紹介を聞いて、男はわずかに呆ける。ジャンヌの店は男性客向けの酒場であり、このような若い貴族の娘が通っているものなのかと。
 だが、男はすぐに表情を正すと、アンに礼を返した。

「これはこれは。私はジャンヌの父でございます。見ての通り貴女と同じ清掃員をやっております」

 父であると言った男は、ジャンヌと同じ栗毛の髪をしていた。
 やはり、ジャンヌは貴族の娘であったようだ。

「しかし、娘は先ほど出勤したところでして……」

「そうでしたか……。でしたら、こちらのお土産をジャンヌさんにお渡しいただけますか?」

 そういうとアンは腰にさげた荷物袋から街で評判の小麦菓子の袋を取り出した。

「これはまたご丁寧に。どうですかな、娘はおりませんが東方から来たという『茶』の一杯でも」

「あら、ありがとうございます。少しご馳走になろうかしら」

 ジャンヌの父に案内され、アンは家の中へと入っていく。
 若い貴族の娘を家に連れ込んだという図にも見えるが、ジャンヌの父には下心などなく、娘の貴族の友人を素直にもてなそうとしただけである。アンもそれを解って茶の誘いに乗ったのだった。

 貴族が住むのにはわずかに小さいこの家に使用人はいないらしく、ジャンヌの父自ら炊事場に茶の用意をしにいった。
 彼の妻らしき人もいない。始めはジャンヌのように仕事に出かけているのかと思ったが、居間に置かれた死者を弔うブリミル教の位牌を見て、妻はすでに亡くなっているのだと知った。

 数分後、ハルケギニアの陶器とは違う独特の佇まいを持つ『茶器』を盆に載せ、父が居間へと戻ってくる。
 湯を沸かすには少し短い時間だったが、火の魔法を使ったのだろうとアンは予想した。

「はは、娘が店員の子達を連れてくるということはありましたが、お客が訪ねてくるのは初めてですなぁ」

 茶器からこれまた異国風の茶碗へと茶を煎れながら父は笑った。
 アンはその言葉に、確かにそれはその通りだろうと笑い返す。

「ああいうお店ですから、お客がお店の子の家を知るのは良くないことですわ」

 『魅惑の妖精』亭は、色香のある若い娘が給仕をするというのが売りの店だ。
 店員に本気で入れ込んだ客が、家まで尾行して問題を起こすという事件もたびたび起こる。スカロンが給仕の家を教えるなど、アンが相手でなければ絶対にしなかっただろう。

「あ、わたしくは別に『そういう趣味』ではございませんよ? あのお店は良いお酒を扱っているのです」

 そう言い訳するアンだったが、実際のところアンはあの店の雰囲気が大好きであった。良い酒を飲みたいならば実家で飲めば良いだけだ。
 可愛い女の子に酌をされるというのが好きなわけではない。奔放な貴族が若いメイド達に酌をさせるという夜会に忍び込んだことがあるが、そのときは特に感じ入るものはなかった。
 『魅惑の妖精』亭の妖精達は、あのときのメイド達と違って、生き生きと仕事をしているのだ。自発的に色気を振りまき、チップを貰って心から喜ぶ。アンが普段見ることができない、城下の平民達が全力で生きる姿なのだ。

「それで、今日はご挨拶とは別にジャンヌさんのご家族にちょっとお話があって来たのです」

 渡された茶を優雅に飲みながら、アンはそう話を切り出した。
 彼女は別に意味もなくお茶を楽しみに来たわけではない。

「先日、ジャンヌさんがお店であの悪名高い徴税官に攫われそうになったのを見まして」

「何ですと!」

 アンの言葉を聞いて、ジャンヌの父は茶器をテーブルの上に取り落とし勢いよく立ち上がった。
 茶器からはねた湯が服にかかり、熱さでさらに飛び跳ねた。

「あら、聞いていなかったのですね。でもご安心くださいまし。徴税官達は憲兵に追い払われていましたわ」

 そう言いながらアンは腰の荷物袋から人差し指ほどの長さの小さな杖を取り出すと、一言ルーンを唱えてテーブルの上に拳ほどの大きさの氷を作り出した。
 ジャンヌの父はかたじけない、と礼を言うとお湯のかかった服の上に氷を押し当てた。

「それで、あの醜い徴税官のことですから、わたくしのお友達のご家族にまで乱暴を働いていないかと心配になりまして……」

「は、いや、そうでしたか。でもご心配なさらず。私と娘二人で暮らしておりますが、この通り怪我も病気もなく……いや火傷はありますが」

「少し失礼いたします」

 アンは杖をしまい茶碗を置くと、立ち上がりジャンヌの父の元へと歩き、おもむろに彼の左肩を握った。
 すると父は顔をしかめて低い声でうなった。彼の左肩は打ち身になっており、若い娘の力で握られただけで痛みが表に出てきてしまう。

「あらやっぱり。わたくし、医療も少したしなんでいる水メイジですの。怪我をしているか何となく解ってしまうのです」

 彼が茶を煎れているとき、右手を多く使っていた。
 また、お湯がかかり立ち上がったときも、身体の一部をかばうようにしていたのも見受けられた。

「治療させていただいても?」

 アンは先ほどしまった杖を再び取り出しながらジャンヌの父に問いかける。

「はは、これは情けないところをお見せしましたな。しかし魔法に頼るほどの傷でもありません」

「いえいえご遠慮なさらず。お金のかからぬ簡単な治療ですので、秘薬なども使いませんわ。ほらほら、お座りになって」

 アンは彼を強引に座らせると、長いルーンを口ずさみ治癒の魔法を発現させた。
 軽い感じでアンは魔法をかけたが、これは治療魔法の中でも特に高度なトライアングルスペルだった。
 傷を調べ、症状に相応しい治癒の力を相手に与える。本来ならば水の秘薬無しに軽々しく使えるような魔法ではない。
 だがアンがわざわざそれを言って治療費を請求するなどということはしない。
 同じく高位の魔法の使い手であるジャンヌの父は、アンの使った魔法を理解していたのだが、だからといって彼がアンに無理にかしこまるということもしない。娘の友人の好意として彼は素直に治癒の魔法を身に受けた。

「しかし、徴税官の手によるものとなると、何故ジャンヌさんが狙われるのでしょうね。ジャンヌさんはただの雇われ店員で、ミスタは王国直下の公職で、徴税官の狙う相手には思えないのですけれど……」

 魔法をかけながらアンがそうつぶやいた。
 それを聞き、ジャンヌの父は険しい顔をする。

「あらいやだ、立ち入った話をしてしまいましたね。そんなつもりはなかったのですけれど。忘れてくださいまし」

 アンが素直に話題を撤回すると、ジャンヌの父も表情を元に戻しアンに向けて笑みを浮かべた。

「見事な魔法の腕ですね。私の勤める清掃支局でお会いしたことがありませんが、もしや中央支局の幹部の方でしたかな?」

「いえいえ、しがない貧乏貴族の末女でありますゆえ、そのような地位はとてもとても」

 杖を持たない片手でマントに触れながらアンは大げさに首を振った。
 彼女のマントは清掃員の貴族に与えられる物の中で最も格が低い物である。

「仕事をさぼってばかりの不良局員ですわ。ジャンヌさんにもよく税金泥棒などと言われますね」
「それは、娘が失礼を」

「事実ですので全面的にわたくしが悪いのです。あ、今日も仕事を他の方に押しつけてここに来てますの。内緒ですよ?」

 そう言ってアンはジャンヌの父に笑みを返した。
 豪奢な化粧に飾られていないが、それは確かにトリステインで最も美しいと言われる笑みであった。

「はは、治療代として黙っておきますよ」

 ジャンヌの父はその笑みに魅了されるわけでもなく、ただ冗談を返した。

「うふふ、ありがとうございます」

 アンは魔法を終え杖をしまうと、優雅な礼をする。
 そして、茶の続きを楽しもうと元の席へと戻っていった。



[5425] 暴君その4
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/05/26 13:56
 トリスタニアに夜が訪れる。
 夜間の犯罪を防ぐために城下町の所々にかがり火が掲げられ、夜の闇を必死に払おうとしているが、その火の光は街の奥深くまでは行き渡らない。
 城下町の大部分を占める平民街では、貴族の屋敷で使われているような灯りの魔道具は使われていない。
 魔道具は未だ貴族が使う高級品であり、首都トリスタニアと言えど平民街で監視もなく夜間放置していては、盗難にあってしまうのだ。

 それに対して貴族街では、貴族達が己の所有する住処を周りに誇るように、灯りの魔道具がいたるところの屋敷につり下げられていた。
 国が貴族街の道に置いた灯りなど、わずかなかがり火しかないというのに、王城を囲むように広がる貴族街はまばゆく光輝いていた。

 その貴族街の一画、トリスタニアの徴税官チュレンヌの屋敷で、ある貴族達の密談が交わされていた。

 庭に面した一室。壁には銀細工の入った室内用の照明魔道具が部屋を照らしている。
 部屋の中には黄金や宝石の散りばめられた置物が、いたるところに置かれていた。この一室だけでいったいどれほどのお金が注ぎ込まれているのだろうか。

 首都を担当する徴税官の屋敷とはいえど、ここまで豪華な調度品が揃えられた部屋はそうそうない。
 あるとすれば宝物庫であろうが、ここは庭へと続くベランダのある開けた部屋だ。部屋の中央には大理石作りのテーブルが置かれている。

 その豪華な部屋の中には、三人の男がいた。
 一人は扉の前に立つ、無地のマントを身につけた軍人風の男。この屋敷の主の私兵である。
 残る二人は、いかにも上流貴族といった豪奢な服とマントを身につけ、これまた立派な漆塗りの椅子に座っていた。

 その二人の上流貴族の一人、この屋敷の主であるチュレンヌ徴税官は、扉の前に立つ男へと言葉を投げかけた。

「なに、あの清掃員がやつの家にとな……」

「は。娘の店に張り込んでいた者によると、店からやつの家へ向かったとのこと。おそらくやつの娘の知人かと」

 部下の報告を聞き考え込むチュレンヌ。
 彼は、ある事情からジャンヌの家とその勤め先を部下に監視させていた。

 そして今その部下から、ある清掃員がジャンヌの勤め先から出ててジャンヌの家に姿を現したとの報告を受けていたのだ。

「このわたしを足蹴にしよって、平民と糞拾い風情が腹立たしい……」

 思い出すのはあの『魅惑の妖精』亭での一件。
 ジャンヌを連れてこようとしたところで平民が邪魔をして、あろうことか徴税官である自分を蹴り飛ばしてきたのだ。
 その隣にいた清掃員のメイジも、部下に向けて椅子を投げつけてさらには杖を抜き風の魔法を振るってきた。

「うむ……そうだな」

 平民と清掃員などというくだらない連中が、偉大な徴税官に逆らったのだ。
 それがまた姿を現した。
 少し考え、チュレンヌは清掃員に罰を与えることに決めた。

「その女を殺して、やつの家に死体を投げ入れろ。良い脅しになるだろう」

「承知致しました」

 命令を受けた男は、静かに部屋を退室していく。
 残されたのは、チュレンヌとその向かいで座る上流貴族の男。
 その貴族の男は、チュレンヌに言葉を向ける。

「チュレンヌよ」

「は、法院長殿」

 法院長と呼ばれた男は、手に持ったワイングラスを弄びながらチュレンヌに問いかける。

「して、やつは口を割りそうか?」

 対するチュレンヌは頭を振って否と伝える。

「ただ、あの拒みようでは何かを知っているようではありますな……」

「ふむ、ではどうする?」

「やつは元暗部のメイジでありながら、今はゴミ焼きなどという地位に満足しておるようです。人を殺すのが怖いのでしょうなぁ。ならばこそ、娘に関わる人間を殺してみせて、脅しをかけましょう」

「街中ではしてやられたと聞いたが、できるのか?」

 すでにジャンヌを攫うのに失敗したということをチュレンヌから聞いている。
 女二人に邪魔され、その場に城下の警備兵がかけつけて動きづらくなったとも。

「あのときわたしの部下達を叩き伏せたのは平民の娘。今回狙うのはその連れのただの清掃メイジでございます。使っていたのも『エア・ハンマー』程度。抜かりありません」

「そうか。ふふ、期待しておるぞ……」

 男は喉の奥で低く笑うと、グラスの中身を一口で飲み干した。











 夜の小道をアンは一人歩いていた。
 ジャンヌの父はなかなかの話し上手で、つい長居をしてしまった。
 清掃員としての取り留めのない会話だったのが、執政の評判というものが気になるアンは彼の話に耳をかたむけ、茶を三杯もおかわりしてしまった。
 ジャンヌの家を出た頃には日はすっかり落ちきってしまっている。

 アンは小さな杖で『ライト』の魔法を操りながら、夜道を進む。
 向かうのは、城への渡し船が置かれている隠し水路。

 ジャンヌの家から水路までの道のりを半ばまで進んだ頃だろうか。
 アンは己に近づく足音を聞き、その場で足を止めた。

 次の瞬間、脇道から五人のメイジ達が杖を構えて飛び出してきた。

「はあ!」

 メイジの一人が赤く光る魔法の刃でアンに斬りかかった。

 アンは驚くこともなくそれを避けると、右手に持っていた小杖を袖の中に落とし、腰に下げていた杖剣を抜いた。
 そして止まることなく流れるような動きで杖剣を振るう。

 アンの杖は襲いかかってきたメイジの杖へと当たり、その杖を覆っていた『ブレイド』の魔法ごと杖を真っ二つにした。
 『ブレイド』の魔法は岩をも割る。しかしアンは、ルーンを唱えることもなく杖剣でそれを切り裂いたのだ。

 その間にも、他のメイジ達は杖を構えながら走り寄りアンを囲んだ。

 杖を斬られた男をアンは蹴り飛ばすと、アンはルーンを口ずさみながら杖剣を両手で握り八相の構えを取った。

 包囲よりわずか遠くに位置していたメイジが、アンに向けて魔法の矢を飛ばす。
 本物の矢のごとく一直線に飛ぶ魔法の矢だったが、ルーンを唱え終えたアンの魔法に突き刺さり、消え去った。
 アンが使ったのは『アイス・ウォール』の魔法。死角からの魔法から、そそりたった氷の壁がアンを守る。

 その詠唱の素早さと氷の壁の厚さに、メイジ達はアンがただ者ではないと感じ取った。

 『ブレイド』の魔法を杖に纏わせているのは残り二人。
 杖剣を構えるアンは、その二人のメイジへじりじりと近づいていく。
 このまま近づかれたらこちらが先に斬られると察知したメイジ達は、杖を振りかぶりアンへと斬りかかった。

 杖剣を振るって二人の斬撃を叩き落とし、再び構えを戻すアン。
 先ほどのようにメイジ達の杖が斬られることこそなかった。だが、メイジ二人は『ブレイド』を伝って杖に響いた衝撃から、アンが自分よりはるか上の剣技の使い手であることを悟った。

 一連の動作の間、アンは呼吸の中にルーンの詠唱を混ぜていた。
 空に向かって切っ先が向けられている杖剣から氷のつぶてが飛び出し、氷の壁の影から表面にまわって魔法を放とうとしていたメイジの肩を抉った。

「ぐ……」

 つぶてを当てられたメイジは杖を落とすことこそなかったが、強い痛みで詠唱が中断してしまう。

 近づく者は杖で捌き、遠くの者は魔法で対処する。
 一対五という状況ながら、アンは襲撃者を完全にあしらっていた。

 構えには一分の隙もなく、杖剣を振るったかと思えばいつのまにか詠唱を終わらせ魔法を放っている。
 襲撃者はチュレンヌ徴税官の元で汚れ仕事を任されている戦闘慣れしたメイジ達である。
 その彼らをもってしても、アンを殺すための糸口が見えていなかった。

 こうなれば一斉に魔法を撃つか、とメイジ達が目配せをしている最中。道の陰から突如怒鳴り声が響いた。

「何をしている!」

 横道から、平民の傭兵が三人かけよってきた。
 いずれも女性ながらも戦なれした雰囲気を帯びた傭兵達。腰の皮ベルトには、短剣と短銃がそれぞれ一つずつ吊り下げてある。

 突然の邪魔者に襲撃者達の動きが止まる。

 傭兵達はアンの元へと駆け寄っていくと、言葉を交わすこともなくアンを守るようにメイジ達の前に立ちふさがる。
 そして傭兵の一人、金髪の女が短剣を抜き、目にも止まらぬ早さでアンの正面に立つメイジの前へと踏み込んでいた。

「ふっ!」

 剣先がメイジの右腕の肉を骨の近くまで切り裂き、吹き出す血と共にメイジの手から杖が落ちた。

 傭兵達は迷うことなくアンの味方に付いた。そのことをいち早く理解したメイジの一人が、杖を傭兵へと向ける。
 だが、メイジがルーンを唱え終わるよりも早く、傭兵の銃弾がメイジの肩を貫いていた。

 夜の静寂に火薬の弾ける音が響き渡る。

 杖を向けるメイジを前にひるまず銃口を向ける傭兵達。その正体に思い当たったメイジが、苦々しく呟いた。

「メイジ殺しか……!」

 それに答えるように傭兵が引き金を引く。
 銃口を向けられていたメイジは咄嗟にそれを感知し、横に飛び退いてそれを避けていた。
 ルーンの詠唱という手間もなく、鉛玉を撃ち込み傷を負わせる平民の武器。襲撃者達は戦慣れしていない貴族とは違い、その恐ろしさを十二分に理解していた。

 状況はいつの間にか四対五。
 傭兵三人はいずれも銃と剣を使いこなすメイジ殺しで、メイジ達の標的であるアンは手練れの杖剣使いだ。

「引けい!」

 メイジの一人がそう叫ぶと、メイジ達はその場から一斉に走り去っていた。
 それをじっと見ていた金髪の傭兵が、他の二人の傭兵に小さな声で指示を出した。

「追え。気づかれないようにな」

 指示と共に足音もなく二人がメイジ達の去った道へと走っていく。
 腰に下げた短剣と銃には止め金具がつけられておらず、金具の音が鳴ることもない。
 彼女達は傭兵ではない。トリステイン王女直属の隠密であった。

 その隠密の長、金髪の女性アニエスは、道の真ん中に立つ氷の壁を魔法で溶かしているアンへと敬礼した。
 アンは氷を溶かす魔法を使い終えると、刀身についた汚れを払うかのように杖剣を軽く一振りし、ゆっくりと鞘へと杖剣を収めた。



□暴れん坊君主□





[5425] 暴君その5
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/04 17:05

 城下から水路を通って王城へ戻ったアンリエッタは、清掃員に扮していた服を着替えると、私室ではなく執務室へと向かった。
 すでに夜は深く、本来ならば厳重に扉を閉められているはずの執務室。そこに、マザリーニとルイズ、そして隠密の長であるアニエスがいた。彼らはいつもの執務用の机ではなく、部屋の中央にある応接用の卓についている。

 マザリーニはアンリエッタに何か言いたげ顔を向けており、ルイズはいかにも寝起きといった顔でアンリエッタを睨んでいる。
 アンリエッタは二人の視線を無視して卓の上座に座ると、アニエスへと目を向ける。
 それを受けてアニエスは、部下から受けた報告を話し始めた。

「姫さまを狙った下手人、やはりチュレンヌの私兵のようです。正門からチュレンヌの屋敷に戻ったと」

「そう。でも、ジャンヌさんの自宅を訪ねただけの清掃員を殺しにかかるのは穏やかではないわね。妖精亭の仕返しと考えるにも、度が過ぎますし」

 そう言いながらアンリエッタはルイズの顔を伺う。
 アンリエッタに押しつけられた仕事を完遂して執務室で寝ていたところを起こされたらしい。
 ルイズの知識と発想は頼りになるが、彼女の寝起きは人一倍悪い。頭に血が回りきるまで頼りにはならないだろう、とアンリエッタは考え再びアニエスに向き直る。

「で、その徴税官の調査はお済みになりまして? ああ、徴税官の素行が悪く今すぐ罷免すべきといった程度のことは報告するまでもないわ」

「は、チュレンヌの周囲を調査をしたところ、『魅惑の妖精』亭の一件のような怪しい動きが見受けられました」

 小さく、それでいてはっきりと聞き取れる声でアンリエッタは言葉を続ける。
 彼女は身体能力や捜査能力だけでなく、隠密として発声法といった特殊な技能にも長けていた。

「酒場の娘と同じように私兵を使って幾人かのメイジに対し狼藉を働いているようです」

「税の過剰な徴収目的、というわけではないのでしょうね」

 徴税官が主に相手にするのは商人だ。秘薬屋や魔法道具屋ならともかく、メイジという幅広い技能者全体を相手にするものではない。

「はい、奴はどうやら指輪を探しているようです」

「指輪?」

 想定外の言葉に、アンリエッタは首を傾げた。

「詳しくはまだ調べの途中ですが、メイジ達はいずれも指輪を出せと脅されておりました。……中には、すでに死んでいる者もおります」

 その言葉にアンリエッタだけでなくルイズとマザリーニも反応を示す。
 死んでいる者、とアニエスは言った。殺された者、ではない。

「そしてもう一つ。その死んだ者は自殺として処理されていたのですが、警邏隊の捜査資料を検分すると、自殺ではなく明らかにメイジの手によって殺されている内容でした」

 アンリエッタに城下で襲いかかってきたのもチュレンヌの配下のメイジである。
 メイジ達が使ってきた魔法はいずれも殺傷能力が高い魔法ばかりであった。

「捜査を打ち切って自殺として処理したのは……リッシュモン高等法院長です。リッシュモンとチュレンヌはおそらく繋がりがあるかと」

 王国の中でも特に位の高い役職である高等法院長の名を聞き、アンリエッタは目を細めた。
 トリステインの司法、その中でも領主などの特権階級や国内流通などに法の裁定を下す最高機関の長。
 立法と行政を行う王室と唯一正面から対立することが可能な組織の最高責任者である。

「……フランソワーズ、どう思うかしら」

 その資料を見ているはずのルイズに、アンリエッタは問いかけた。
 ルイズの顔はすでに眠たげなものではなく、考えを巡らす王女の参謀のもの。

「調べるならリッシュモン、ね。ただの指輪を探すにしては手が込みすぎているわ」

 起こされて機嫌が悪いままなのか、敬語をつけずにルイズは言う。

「例えそれが国宝級のマジックアイテムだとしても、高等法院長の権力の濫用をして失脚の危険を犯す理由にはならないわ」

 ルイズの言葉にアンリエッタは思考を巡らす。
 殺された人間を自殺として処理する無理を通したリッシュモン。チュレンヌもしくはリッシュモンは指輪を手に入れようとしている。
 アンリエッタから見た彼らは、両者とも金を中心に生きているような豚。短絡的な行動を取るチュレンヌはともかく、リッシュモンは金のためとはいえ簡単に足の付く行動を取る愚者ではない。高等法院長という席を何よりも優先して保持することこそ金を集める最大の手立てだ。
 だが今回は隠密が数日調べただけで、簡単に彼の動いた跡を見つけられた。優先事項は高等法院長の座を守ることより指輪の入手になっている。
 指輪に何の価値があるのか。ルイズの言うとおり、指輪がいかに高価なものであっても手に入れてトリステインに居られなくなったのでは意味がない。となれば、指輪そのもの価値より、指輪に付随している利用価値こそが――

「な・ぜ・か、わたしの仕事に混じっていた高官の支出調査資料を処理していたときに見つけたのだけれど」

 アンリエッタの思考を遮るかのように、ルイズは言った。

「その高等法院長、とんでもない額の裏金をそこらにばらまいているわよ。法院長個人が贈賄に使うような額ではないわね。一年で七万エキューよ」

 七万エキュー。
 ルイズの実家である公爵家の屋敷を二つ建ててもお釣りがくるような膨大な金額だ。

「金の出所は徴税官ですかの?」

 じっと会話を聞いていたマザリーニがルイズに問いかけた。
 マザリーニは優秀な執政者だが、謀という点ではアンリエッタやルイズには及ばない。話の真相にまだ近づけていなかった。

「むしろ、チュレンヌはリッシュモンからお金を受け取っている手駒である可能性が高いでしょうね。マザリーニ様、リッシュモンと繋がりがある国はどこですか?」

 高等法院長の座を捨てて国外に逃げる可能性がある、と言に含めてルイズは問いを返した。
 この場ではマザリーニが一番トリステインの国政に関わって長い。高官同士の繋がりに対する知識も年月と共に自然と蓄積している。

「彼の経歴から可能性として考えられるのは、ロマリアですかな。……ああ、あとは国という垣根のないレコン・キスタがありましたか。いやはやなるほどなるほど」

 合点がいったとマザリーニは頷く。
 トリステインという国を捨て、ブリミル教の総本山であるロマリアというハルケギニアの中心地、もしくは現アルビオン政権であり多国籍の貴族の集合体であるレコン・キスタの元へ亡命しようとしているのではないか。
 それを繋げる鍵となるのが、指輪。

「アニエス、リッシュモンの動きを監視させなさい。昼夜問わず、一時も目を離さぬように」







 虚無の曜日。首都トリスタニアは人で溢れかえっていた。
 アルビオン王国が崩壊してからというもの、国内には戦の気配ありと贅沢を自重する空気が広がっている。だが戦時への備えでまた新しい商いが首都で開かれ、金銭や物資が流通していくことには変わりはなかった。

 街の中央に伸びる大通り、ブルドンネ街では前が見えないほど人が行き交っている。
 そこからややはずれた表通りの一画、酒場宿『魅惑の妖精』亭は通りの喧噪に反して静かだった。
 この店が酒場として営業を始めるのは夕刻からであり、虚無の休日に合わせて昨夜から宿を利用していた客は、既に朝食を済ませ退出済み。
 店員も休日とあってか昼に勤める者も少なく、数少ない虚無の曜日勤務の店員が二階の宿の清掃のために動き回っていた。
 そんな休日勤務の忙しい給仕を、宿泊客でもないのに一階の酒場を利用していた不良メイジが呼び止める。

「ジャンヌさん、ゴーニュの古酒お願いしますわ」

 アンである。今日は前の騒動の時と同じく、居候のファンションも連れている。

「アンさん、またお仕事さぼって昼からお酒ですか……」

 そんな二人を見て呆れるジャンヌ。
 ジャンヌは夜の酒場でも人気の高い給仕であったが、片親の父との生活のため、昼に勤務することが多かった。

「あらあら、今日は非番ですわ。お休みの日は飲んで食べて一休みに限ります」

 そうアンはチップを渡しながら言った。
 確かにアンはいつもの清掃メイジの格好ではなく、若い平民の娘が好んで着るような服をまとっていた。
 貴族の証であるマントもなく、貴族であることを示すのは腰につり下げられた立派な杖剣のみである。

「ファンションさんはどうします?」

 他にも飲食店は多いだろうに、何故わざわざこの店なのだろう。ジャンヌはそう思いながらアンの正面に座る三つ編みの少女の注文を取った。

「ベリーのお菓子を何か」

 どこか疲れた声でファンションが答える。
 こちらからのチップはない。だが彼女は別にチップを渋るような人ではない。
 そこまで気が回らないほど疲れているのだろう。アンに付き合わされているが、本当は家で寝ていたいのではないかとジャンヌは思った。

「あら、お酒はいらないのかしら? 居酒屋なのに」

 アンはそうファンションに言った。
 遠回しにお前も飲めと言っているようにも聞こえる。

「わたしは別にお休みではないです。ないはずです……」

 そう言いながらファンションはテーブルに突っ伏した。
 アンに振り回されている書生を哀れに思ったジャンヌは、作り置きのベリーケーキとは別に、疲れが取れると評判の果実のジュースをサービスすることに決めた。
 ジャンヌは調理場へ入っていき、食器を用意する。この時間帯は料理や飲み物を用意するのも給仕の仕事だ。
 お盆に菓子の皿、古酒のグラス、ジュースのコップ、そして白湯の入ったカップを載せてジャンヌはアン達のテーブルに戻った。

 お盆からテーブルに食器を並べた後、ジャンヌは休憩ですと言いながら椅子を引いてアン達の席につき、白湯を飲みながら一息ついた。
 そして、優雅に古酒を飲むアンにジャンヌは座りながら小さな礼をした。

「アンさん、この間は父の手当をしてくださったようで……」

「あらあら、いいのよ。もし豚にかまれて破傷風にでもなっていたら大変でしたもの」

 ジャンヌの礼の言葉に、何でもないことのように返すアン。
 だがジャンヌが父から聞いたところでは、普通のメイジでは使えないようなすごい魔法でたちまちに怪我を治してしまったというのだ。
 仕事を抜け出して酒を飲む普段の不良清掃員の姿からは、想像も付かない行動であった。
 徴税官に攫われそうになったとき助けてくれたのもこのアンとその連れのファンション。ジャンヌの中で地に落ちていたアンの評価が急上昇していた。

「あの、お休みならこの後わたしの家で昼食でもどうですか?」

 そんなことをジャンヌはアンに切り出した。

「今日はわたし勤務は昼までですし、父も改めてお礼を言いたいと」

 手を膝の上に載せて、可憐な花のように微笑むジャンヌ。徴税官に踏み込まれ恐怖で怯えていたときとはまるで別人だ。
 ジャンヌはこの店で二番人気の娘だ。
 器量よしで、こういった礼を欠かさない心遣いが、豪胆なジェシカとはまた違った良さがあるとの評判であった。

 ジャンヌからの思わぬ誘いに、アンはわずかに考え込む。

「ファンションも一緒で構わないのかしら?」

「はい、歓迎します!」

 アンがファンションをこの店に連れてくることは滅多になく、ジャンヌはこのストロベリーブロンドの書生のことをほとんど知らない。
 だが素手でメイジ達を圧倒したあの一幕は店の従業員の中でも噂で持ちきりであり、是非とも話をしてみたいとジャンヌは思っていた。

「というわけで食事を頂くのでベリーケーキはお預けね、ファンション」

「別腹なので問題ありません」

 ファンションはそう言いながら、フォークでケーキのスポンジを崩していく。

「あらあら、わたくしの知らない間に胃袋まで改造しちゃったのかしら」

 何のことだ、とジャンヌは首をかしげた。



[5425] 暴君その6
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/04 17:08
 三つ編み眼鏡の書生ファンションは、ジャンヌの実家に通されるや否や、いきなり興奮し始めた。
 突然のことに呆然とするジャンヌ。
 『魅惑の妖精』亭と表通りでの会話では、理性的な人だという印象をファンションに持っていた。
 ジャンヌはどうすればいいのかとアンに視線を向ける。

「ああ、いつものことだから気にしないで」

「いやいやいや気にしますよ」

 ファンションが興奮している原因は、どうやらジャンヌの父が居間の机の上に広げていたマジックアイテムにあるらしい。
 居間に無造作に置かれたそれを前にファンションは様々な角度からそれを眺めていた。

 焼却担当の清掃員として働くジャンヌの父であるが、本業とは別に家でマジックアイテムの研究を行っていた。
 昔、父は医の道を志していた。だが、得意な魔法の系統は火であり、下流貴族ながら軍上層部からの誘いもあった。
 火で人を傷つけることを嫌う彼はその誘いを断り、平民のメイジがするような簡単な魔法の仕事を続けながら医療用のマジックアイテムの研究を続けていた。

 ジャンヌは幼い頃を思い出す。貴族の家ならばありえないほどの貧しい生活だった。
 母は、ジャンヌが物心ついたときにはすでに病で床に伏せっていた。元々病弱だったらしく、ジャンヌを産んだ後に患った病で満足に動くことさえできなくなっていた。
 貴族の年金は全て母の治療費に消え、母の病死の後も収入の多くは秘薬を買うために作った借金の返済に当てられていた。

 そんな生い立ちであったため、ジャンヌは自分を貴族の娘であると思ったことはない。
 魔法を父に習ったこともない。生活のために小さな娘に出来る仕事を探し回るのに忙しかったからだ。
 彼女が『魅惑の妖精』亭で働き始めたのは、父が首都の清掃局という仕官先を見つける少し前のことであった。

 医の道を志し、マジックアイテムを研究していたのも、病弱な母がきっかけであったとジャンヌは父から聞いたことがある。
 そんな彼女の父は、マジックアイテムを手に興奮するファンションに己の研究について話していた。

「私は火に偏ったメイジでしてな、医者になろうにも水の魔法がろくに使えないのです」

 その言葉を横から聞いていたアンが頷く。
 彼の傷が癒されずにそのままだったのを見ても解る。医のメイジには必須であるはずの治療の魔法が不得手なのだろう。

「しかし、火が破壊しかもたらさないというのは平和に暮らすうえでとても悲しいものです。ですので、城下町の清掃に火のメイジが求められてると聞いて真っ先に志望したのですよ」

 城下町の清掃が始まった理由は、首都の景観を保つためといったものではない。
 街全体を清潔な環境にすることで、疫病の発生を未然に防ぐためだ。
 医療の現場にも通ずる考えだ。そこに火のメイジが求められていると聞いて、彼は歓喜したものだった。

「ただ医の道は捨てきれませんで。このように医療に役立ちそうな道具を片手間で作っていたのですよ」

「完成度はどうなのかしらファンション。……聞かなくてもその顔を見ればわかりますわね」

「火という現象ではなく熱に着目したのが素晴らしいですね! 特にこの熱線を出す魔導具は、外科手術用に今すぐ魔法研究所アカデミーに持ちこむのをお勧めするくらいです。出血を抑えつつ精密な切開を行える上に、細かな力の調整で刃物では届かない部分まで熱の刃を伸ばせるのですね。素晴らしいです!」

「おや、それはそれは。ありがとうございます」

 興奮しながらマジックアイテムの熱の刃を出し入れするルイズに、ジャンヌの父は笑いながら礼を返した。

「お世辞ではありませんわよ、ミスタ。このファンションは魔法は使えずとも魔法と魔道具の知識に関しては、今すぐ魔法研究所に仕官しても良いくらい優秀な書生なのです」

 ファンションとジャンヌの父の会話を聞いていたアンが、横からそんな言葉をかける。

「それはまことで?」

「ええ、わたくしから今度清掃局長に掛け合って、研究所への推薦状を書いていただくこともできますわ」

「是非魔法研究所に持ち込むべきです!」

 アンの言葉に、ファンションも追従する。

「はは、いや、折角のお話ですがお断りさせていただきます。魔法研究所とは昔少々問題を起こしましてな」

 しかし、ジャンヌの父はそう言って彼女達の誘いを断った。

 そんなやりとりを横から見ていたジャンヌは、何やら話がすごい方向へと飛んだものだと驚いていた。

「はあ、やはりアン殿は局長につてがある優秀なメイジ殿なのですな」

「アンさんはコネがあってもそれを帳消しにしちゃうくらい不真面目な人ですよ、お父さん」

 そうジャンヌは彼女達の会話に初めて割り込んだ。
 今までの盛り上がりを台無しにするような突っ込み。だが、それはジャンヌが『魅惑の妖精』亭で見てきたアンの嘘偽りのない姿であった。

「あらあら、これは言い返せないわね」

 まったくもってその通りなので、アンは笑って返すことしかできなかった。







 国が戦時の空気に切り替わりつつある中でも、大衆が娯楽を忘れることはない。
 そして様々な人が集まる首都トリスタニアには、平民から貴族までまとめて受け入れる一つの娯楽があった。
 演劇である。
 劇場はトリスタニアの随所に存在しており、その立地に合った演目が披露されていた。
 トリステインで最も美しいとされる噴水が存在する中央広場の近く、タニアリージュ・ロワイヤル座もそんな劇場の一つである。

 この劇場は特定の客層を狙わず、その立地の良さと建物の大きさで人を集めることを目的としたもの。
 虚無の休日である今日、この劇場ではトリスタニアの若い女性に人気の恋愛劇、『トリスタニアの休日』を上演していた。

 設立して間もない劇団が行うこの劇は、若い劇団にありがちな未熟さがそこかしこに見られた。
 一言で言ってしまうと、彼らの演技は下手だった。
 だが、演劇というものに慣れていない、休日に合わせてトリスタニアの外から来た者にとってはそれでも十分。
 また、役者は若手が多く、劇には興味がないが美形や美人には興味があるという客は、音程の外れた歌を聞き流して役者の顔に見入っていた。この劇がトリスタニアの若い女性に人気というのも、演目の内容ではなく主役の男性の美貌によるものであった。

 そんな劇を劇として見ていない客達に紛れて、客席の外れに一人の初老の男が座っていた。
 リッシュモン高等法院長である。
 彼の隣には商人風の男が座っており、リッシュモンと小声で言葉を交わしていた。

「劇場での接触とは考えましたな」

「高等法院の仕事には大衆娯楽の検閲がありますからな。私がこうして劇場に来ても不思議に思う者はいないのですよ」

 会話の最中にも、二人の間では荷物のやり取りが行われている。
 商人風の男からは金貨の入った袋を。リッシュモンからはトリステインの機密が書かれた資料を。

「最近はアルビオンに対する王室の目が邪魔でしてな。以前のような密談はもう無理でしょうな」

「ええ、私どもも聞いております。何でもこの国の姫は自らレコン・キスタの者の首を刎ねに行くと」

「斬首だけではありませぬ。己の腹を切れなどという侮辱的な行為を強いることもあります。全く持って暴君。生きた心地がしませぬな」

 金貨の袋の中身を確認しながら、リッシュモンは忌々しげにつぶやく。
 そんなリッシュモンに対して、男は小さな声でささやく。

「して、ブリミルの指輪はいかがか?」

 その言葉に、リッシュモンは首を小さく横に振った。

「まだ見つかってはおりませんな。しかし、あの村から隊の者が持ち出したのは確かのようですぞ」

「いち早く見つけてください。ゲルマニアは敵に回りましたが、ロマリアはまだ態度を決めかねています。手遅れになる前にお願い致します」

 自らが新アルビオン政権の使者であることを端から伺わせる男の言葉。
 彼の声は、壇上から響く弦楽器の音色と役者の歌声、そして客達の喧噪にかき消されリッシュモン以外に届くことはない。

 だが、そんな聞き取れるはずのない二人の会話をしかと耳にしている者がいた。
 彼らの三列後ろに座る二十代前半の女性。どこにでもいそうな金髪の平民。
 リッシュモンの監視を陰ながら続ける隠密の長、アニエスであった。



□暴れん坊君主□





[5425] 暴君その7
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/05 00:51
 ユルの曜日。
 リッシュモンと接触を行ったレコン・キスタの手の者を捕らえたと連絡を受けたアンリエッタは、ウェールズの私室を飛び出し執務室へと走っていた。
 執務室では先日と同じように、応接用の卓にルイズ、マザリーニ、アニエスがついている。

 アンリエッタはアニエスから渡されたレコン・キスタの間者についての報告書を読んでいく。
 リッシュモンがばらまいていた七万エキューの裏金の出所はレコン・キスタで間違いないようだ。
 間者は首都の劇場を隠れ蓑にして、金貨袋と引き替えに高等法院長にしか入手できないトリステインの資料をリッシュモンから受け取っている。
 リッシュモンとレコン・キスタの繋がりは最早疑いようのないものであった。
 今すぐにでも高等法院とリッシュモンの屋敷に魔法衛士隊を差し向けることができる。
 急いで書類を作成せねば、とアンリエッタが席を立とうとしたところで、アニエスが引き留めるように声を割り込ませた。

「ダングルテールの虐殺をご存じですか?」

 突然の問いに対する答えは。

「知っているも何も、アニエス、貴女の雇用条件の一つでしょう。それがどうかして?」

 アニエスとアンリエッタの突然のやり取りに、ルイズが不思議そうに目を細めた。
 ルイズはアニエスのことを詳しく知らない。いや、そもそも隠密隊という存在すらルイズが気がつかない間に設立されていたのだ。
 ルイズが知っているのは隠密はメイジと非メイジが混在する諜報技術者集団で、長であるアニエスは非メイジでありながら多才な能力を秘めているということのみ。

「わたくしとフランソワーズが生まれる前、二十年前の出来事よ。ダングルテールの村で起きた事件。知っているかしら?」

 アンリエッタに問われ、ルイズは記憶を掘り起こす。
 アングル地方ダングルテール、二十年前、虐殺。
 ルイズには思い当たる話が二つあった。

「トリステインのアングル地方のある村で、疫病が発生した。凶悪な感染症であり、村人共々火の魔法で村一つが焼き払われた」

 これが一つ目。そしてもう一つ。

「アングル地方では新教徒が多く存在した。新教徒は改革派の現教皇が就任するまでブリミル教徒に強い迫害を受けていた。保守派であった前体制のロマリアはトリステインのアングル地方に新教徒がいることに反発し、粛清を命じた。……このあたりはそこにいらっしゃる枢機卿の方が詳しいでしょうが」

 テキストを読み上げるかのようなルイズの言葉。
 まさしくルイズはこの事件について本の知識以上のことは知らない。自分が生まれる前の、魔法に関係ない一事件でしかないからだ。疫病の詳細もなく、焼き払うなどというお粗末な終わり方であるため彼女の興味の対象ではない。

 ルイズの言葉に、アンリエッタは頷く。

「そう、それが一般の認識ね。でも、実際には疫病なんて発生していなかったの。疫病の処置という名目でトリステインがロマリアに代わって新教徒の粛清を行った事件。それがダングルテールの虐殺」

 アンリエッタの言葉にルイズは浮かんだ疑問を解こうと頭を巡らす。
 疫病の対処という表向きの理由を用意して新教徒の村を焼き払った。だが、新教徒の粛清が行われたことは隠されていない。
 ではなぜ表向きの理由を用意する必要があったのか?
 隠そうとしていたのは『粛清を行ったこと』ではなく、『粛清を行うこと』ではないだろうか、とルイズは推測した。
 トリステインはロマリアのようにブリミル教保守派の狂信者を多数抱えているわけではない。
 新教徒をこれから粛清しますと事前に言っては、粛清を良く思わないものに実行を邪魔され、村人達に逃げる時間を与えてしまう。それを防ぐための建前だったのではないだろうか。

「アニエスはその虐殺に深い関わりがあるの。だから、隠密の立場を使ってその事件を追うことを許可するというのが、彼女を隠密隊の隊長として取り立てる際にわたくしが飲んだ条件」

 どうやら、アニエスがアンリエッタに取り入ったのではなく、アンリエッタがアニエスの才を見て己の手元に置こうとした経緯があるようだ。
 アンリエッタはルイズに向けていた視線をアニエスに戻す。

「で、それと今回の件が何か関係あるのかしら? リッシュモンがロマリアに裏金を受け取ってその虐殺を指示していたというところまでは以前報告を受けているけれど」

「これを」

 アニエスは懐から二つの資料を取り出した。
 一つは、以前から何度か報告を上げていた、チュレンヌ徴税官が狙っていたメイジの名簿の最新版。
 
 もう一つは、王軍資料庫の判が押された『魔法研究所アカデミー実験小隊』と表題にある資料。
 その資料をめくると、実験小隊という魔法研究所に存在しないはずの部隊についての概要が書かれていた。
 軍部や魔法研究所が表沙汰に出来ない仕事を任せるための秘密部隊。隠密隊にも似た立場のそれだが、ある点が隠密隊とは大きく異なっていた。実験小隊は人体実験や暗殺、異分子の抹殺など、過激な殺しの仕事を多く任されていた正しく『表には出せない』部隊であったのだ。
 資料をめくっていく。そこに記載されている日時を拾うに、この資料は二十年前のものであるようだ。
 そして、出動履歴にアングル地方の疫病の処置が載っていた。

 さらに読み進めると、実験小隊の構成員の名前が書かれていた。
 アンリエッタとルイズはその名前を読んでいく。

「これは……」

「チュレンヌに狙われていたものと名前が一致しますわね」

 隊長に関するページは何故か破られており見つけることが出来なかったが、他の隊員達はチュレンヌの私兵に殺され、リッシュモンの手で自殺として処分されている者がいた。ジャンヌの父の名も、隊長補佐という役職付で記載されている。

 ダングルテールの虐殺を指示したのはリッシュモンである。その実行者はこの魔法研究所実験小隊。
 そして今、リッシュモンはレコン・キスタの指示により元実験小隊の者から指輪を探し出そうとしている。
 その指輪はレコン・キスタがロマリアに渡りを付けるために必要な物であると、リッシュモンと密会していた男が話している。

「アニエス、指輪に何か心当たりがあるのかしら? そう、貴女のいた村に何か特別な指輪が存在した、とか」

 そのアンリエッタの問いに対し、アニエスは、

「ええ、あります。……ああ、ミス・ヴァリエール。言い遅れましたが、わたしはダングルテールの虐殺で焼き討ちにあった村の生き残りです」

 そう前置きを置いて、ダングルテールのある村の昔話を始めた。

 二十年前。まだアニエスがわずか三歳の頃。
 新教徒達の村の近くの海岸に、一人の女性が流れついた。ロマリアから逃げ延びてきた新教徒であるという。その女性は元上流貴族らしい気品があり、指には不思議な輝きを見せる大粒のルビーの指輪をはめていた。
 その女性を村に迎え入れてから一ヶ月後のこと。メイジの集団が村に押しかけ、人も建物もまとめて火の魔法で燃やし始めたのだ。
 そのメイジ達はこう言っていた。ロマリアの女はどこだ。
 女性を見つけてメイジ達はこう言った。ロマリアの女がいたぞ。
 そして、その女性は火の魔法で全身を焼かれて倒れた。

「二十年前の事ながらも、しかと覚えています。あの村にロマリアとつながりがある指輪があったとしたら、あの女性……ヴィットーリア様が身につけていた赤い指輪でしょう」

「なら話は簡単ね」

 アニエスの言葉に、ルイズはそう言った。
 あまりに早い結論に、アンリエッタは目をしばたたかせ、ルイズへ疑問をぶつけた。

「指輪について心当たりがあるの?」

「ええ、物凄く。ロマリアから持ち出され、それ一つで今のロマリアを動かすに足る指輪。それと同じ物をわたしも手にしたことがありますね。そして今は姫さまの指に」

 はっとした顔でアンリエッタは己の右手を掲げた。その手の指には、『青く輝く』ルビーの指輪がはめられていた。
 始祖ブリミルに由来を持つ神器。トリステイン、アルビオン、ガリア、そしてロマリアに一つずつ存在すると言われている始祖の秘宝。
 トリステインにおいては国宝の一つでしかないが、ブリミル教の総本山であるロマリアにとっては国宝以上の価値を持つ大きな交渉材料となる代物であることが解る。

「わたしが知る中では、今の教皇が始祖の指輪を持っているという話を聞いたことがありません。歴代の教皇は確かに身につけていたというのに」

 ルイズの言葉に、ロマリアの枢機卿であるマザリーニが頷く。

「実際、わたしが異端審問を受けて教皇と会ったときも、水のルビーと風のルビーに特徴が共通する指輪をつけていた記憶はありませんね」

 そう、ルイズはかつて始祖のもたらす四大魔法以外の魔法を使う者として、教会に異端視されたことがある。
 ロマリアへと連行、いや、ロマリアに乗り込んだルイズはいつものように大騒動を起こして、どさくさに紛れて教会から異端の指定を撤回させる言質を取ったのだ。そのおりに、現教皇、聖エイジス三十二世とも会っている。
 トリステイン、アルビオン、そしてガリアの王家に連なる者と会いそれぞれ始祖の指輪を見てきたルイズだったが、ロマリアでだけは赤い始祖の指輪、炎のルビーを最後までみることがなかった。

「リッシュモンの狙いは、指輪を持参してレコン・キスタに移り、アルビオン内での地位を築くこと」

 そうルイズは結論を述べた。
 トリステインとゲルマニア、そしてウェールズ元王太子の旗本に集うであろう旧アルビオン王家という、三つの敵を抱えるレコン・キスタは、これ以上の敵を作らないため何としてでもロマリアを味方につけようとするであろう。何よりレコン・キスタが掲げている題目がエルフの手からブリミルの聖地を奪還することなのだ。ブリミル教の中心であるロマリアを敵に回すことは何よりも避けたいだろう。
 その鍵がロマリアに伝わる炎の始祖の指輪だ。
 逆に言えば、トリステインがレコン・キスタよりも先に炎のルビーを手に入れロマリアとの交渉を行えば、レコン・キスタにロマリアが譲歩する可能性を潰せるのだ。

 そこまで確認し、アンリエッタは卓から立ち、執務席で魔法衛士隊の緊急出動要請の書類を用意し始めた。
 そんなときである、足音を立てて執務室にアニエスの部下がやってきた。
 そう、あの隠密隊の隊士が足音を立てたのだ。隠密隊としての心得を無視して、緊急事態を伝えにやってきたのだ。
 隠密から告げられた緊急事態。それは、多数の武装メイジがジャンヌの家に侵入したことを知らせるものであった。



[5425] 暴君その8
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/05 14:10

 それはいつもと変わらぬ夕暮れ時のことだった。
 ジャンヌは出勤前の早めの夕食を終え、清掃局の仕事から帰って来た父に食事を用意すると、化粧台で肌に白粉を薄くのせていた。
 品を失わないように、それでいて色気を最大限見せる給仕の化粧を慣れた手つきで行っていたときのこと。
 家にメイジの集団がやってきた。

 それは今までも何度かあったことだった。悪名高い徴税官の手下が、彼女の父から何かを聞きだそうと、杖を片手に脅しつけたり暴力を振るってきたりしていたのだ。
 だが、今日はいつもとは様子が違った。
 メイジ達は十人を超えるほどの数であり、また手には物騒な刃が入ったレイピア状の軍杖を持っていたのだ。
 彼らの服装は貴族のメイジが普段着るような高価そうな絹織物ではない。傭兵が着るような厚手で無駄のない無骨な服だ。

 そして、彼らに対するジャンヌの父の様子も違った。
 いつもは家にやってくるメイジ達に無抵抗だったはずが、今はジャンヌの前に仁王立ちし、手には金属製のいかつい杖を持っていた。
 ジャンヌは恐ろしくてたまらなかった。自分に杖を向けるメイジ達も怖いが、それ以上に父のことが怖かった。
 ジャンヌの父は温厚な人物だ。人を傷つけることを嫌い、杖を他人に向けることなどジャンヌは一度も見たことがなかった。
 だというのに、今彼女の父は杖を侵入者達に向けている。ジャンヌを守る背中からは、強い怒りの気配が感じ取ることができた。

 メイジ達は何も言わなかった。いつものように、指輪はどこだと問いかけてくることもなかった。
 ただ杖をジャンヌ達に向けて魔法を使えるためのルーンを唱えるだけ。

 魔法の矢がジャンヌ達に襲いかかる。
 それに対し、ジャンヌの父もルーンを素早く呟き炎の魔法を放った。
 巨大な炎の壁が室内へと現れる。
 炎は部屋を焼くこともなく魔法の矢だけを消し飛ばした。
 炎の壁はジャンヌ達と侵入者の間に立ちふさがるように燃えさかる。

 それをただ呆然と見ていたジャンヌは、不意にこちらへと向き直った父に手を取られ、身をすくませた。

「行くぞ!」

 ジャンヌの父はそう言うと、ジャンヌの手を引き、部屋の壁に向かって走り始めた。
 何を、とジャンヌが思うやいなや、父は壁に向けて杖を突きつけた。
 次の瞬間、杖の先が爆発した。
 まるで火の秘薬を使ったかのような轟音と衝撃。
 火と風を組み合わせた強力なトライアングルスペルは、壁を吹き飛ばし人が通るには十分な大きな穴を作り出していた。

 ジャンヌは父に手を引かれるままに部屋の外へと逃げ出す。
 部屋の先は家の外、花や料理用のハーブを植えた庭だ。

 この家は塀で囲まれているため、表通りに逃げるにはまた塀を破壊するか大きく迂回しなければならない。
 だが、それを塞ぐかのように新たなメイジ達が塀を乗り越えて現れた。

 爆発の魔法を使う際に部屋の炎の壁が消えたため、壁の穴からも侵入者達が続々と出てくる。
 退路がなくなり、ジャンヌの父は娘を背で庇うように左腕を広げる。

「私が口を割らぬからと、今度は口封じに来たか……!」

 そして、父はルーンを唱えるとメイジ達に向けて火の魔法を放った。
 巨大な火球が眼に追えぬ速さで飛んでいき、地に触れると共に巨大な火の柱に変わる。
 火の柱に巻き込まれた二人のメイジは、抗う時間もなく一瞬で燃え死んだ。

 それで止まることもなく、ジャンヌの父は杖を振るい黄色く燃える火の矢を十数本ばらまいた。
 避ける者もいたが、水の魔法でそれを防ごうと氷の盾を作り出したメイジは、一瞬で蒸発した氷と共に命を落とす。

 メイジ達も負けじと魔法を次々撃つが、ジャンヌ達の前で生まれた爆発の渦に全て吹き飛ばされた。

 ジャンヌはこれまでメイジの使う魔法というものを何度か目にしたことがあった。
 多くの人が集まる首都だ。魔法を使った決闘などが突然起きることもある。
 だが、己の父が使う魔法はそれとは比べものにならない強大なものであった。

 彼女の父は常日頃から言っていた。
 火の魔法は人を殺すために用いられるべきではない。水の魔法や土の魔法のように人を助けるために用いられるべきだと。
 だが、今彼が使っているのはまさしく人を殺すためだけに洗練された魔法であった。

 ジャンヌは自分が生まれる前に父がどのような人物であったか知らない。
 だが、これだけの数のメイジを前にひるむこともなく、着実に相手を殺していく。
 軍人であったのだろう、とジャンヌは思う。
 そして、父に任せておけばこの状況もなんとか切り抜けられるのではないか、とも。

 しかし。そんなジャンヌの甘い考えを見透かしたかのように、魔法が彼女の身を襲った。
 火や風が身を傷つけたわけではない。ただ、足下の土が急に盛り上がっただけ。
 だが、たったそれだけのことでジャンヌは平衡感覚を失い転倒し背を地に打ち付けて一回転。身を任せていた父の背から大きく離されて、尻餅をつく姿になった。
 彼女の父は叫ぶ。

「ジャンヌ!」

 無防備なジャンヌに向けて、メイジの一人が燃えさかる炎の槍を投げつけた。
 魔法を使えぬジャンヌにはそれを防ぐ手立てはない。
 彼女は死を覚悟し目を閉じた。

 だが、想像していた熱が彼女の身に襲いかかってくることはなかった。
 ジャンヌは目を開ける。
 彼女の目の前には、敵に背を向け自分を守るように立つ父の姿があった。

 ジャンヌの父は娘を助けるため、魔法の前に己の身を差しだしたのだった。
 背には火の槍が突き刺さり、肉を焦がし臓腑を焼いていた。
 血管が焼き切れ、行き場を失った血液は細胞を突き破って気管を逆流し、咳と共に口から流れ出た。

 形勢が逆転した。そう受け取ったメイジは『ブレイド』の魔法を杖にかけ、確実に相手の首を落とそうと近寄っていく。

 しかし、それを邪魔するかのように、突如炸裂音が鳴り響いた。
 『ブレイド』を構えるメイジの胸元に小さな穴が空く。
 それは、メイジ殺しと貴族達に恐れられる銃による一撃であった。
 胸に銃弾を受けたメイジは、突然の事態を理解することもなく胸から血を吹き出しながらその場に倒れた。

 そして次の瞬間、メイジの集団に向けて空から竜が突っ込んできた。
 固い鱗に覆われた重たい竜の突進にメイジ達は為す術もなくはね飛ばされる。

 その竜を駆る人物。王族のドレスを身に纏った王女アンリエッタは、竜が体勢を整え直す前に風の魔法で背から飛び降り、着地と共にジャンヌ達を囲むメイジ達に向けて氷の嵐を飛ばした。
 それにわずか遅れるように、空からヒポグリフの群れが降り立った。その幻獣を操るのは黒いマントのメイジ達。トリステイン魔法衛士隊ヒポグリフ隊であった。
 彼らの他に、周辺の家々の屋根に乗り銃を構える隠密の姿もある。

 アンリエッタは鞘から抜いた杖剣を手に持ったままジャンヌの元へと走った。
 土に汚れた服と髪のジャンヌの前で、ジャンヌの父が口から血を吐き倒れていた。
 背は黒く焼け焦げ、見るからに重体である。
 事態は一刻を争う。そう瞬時に判断したアンリエッタは、マントの隠しポケットから水の秘薬を取り出し治癒の魔法を始めた。

「アン殿……」

 意識をかろうじて保っていたジャンヌの父は、かすみかけた視界に娘の友人が映っているのを見た。

「いえ、姫さま……」

 己の身を包む水の魔法。その発生元である杖剣の刀身に掘られたトリステイン王室の家紋を見て、ジャンヌの父は清掃員であったはずのこの少女が姫殿下であると察した。
 そして、焼けた肺に息を吸い込み、アンリエッタに語りかける。

「助かりませぬ……。火で人がどのように死ぬのか……、この目で見てきたゆえに……」

「駄目です! 死んではなりません!」

 しかしアンリエッタの言葉とは裏腹に、ジャンヌの父の顔からは血の気が失せていく。
 彼は自分が助からないことを誰よりも理解していた。
 それは、かつて魔法研究所実験小隊で学んだこと。
 隊では魔法研究所の知の探究のために、人体実験を行わされることもあった。そして、誰よりも火の魔法に長けていた隊長の補佐として、火による多くの死をこの目で見てきた。
 例え水のスクウェアであろうとも、死が訪れる前にこの焼け落ちた臓腑を癒すことはできないだろうという確信があった。

「姫さま……娘を……頼みます……」

「ええ、ええ任してくださいまし! このようなことが二度とないように、きっと、必ず!」

 秘薬を背に振りかけながら強く答えるアンリエッタの言葉に、ジャンヌの父はすでに感覚がなくなりかけている頬を動かし笑みを作った。
 この方ならば娘を任せても大丈夫であろう。そう感じ取った彼は、最期にもう一つ、己の他には数人の元同僚しか知らぬ秘密を託すことにした。

「指輪は……隊長の元に……」

 言葉と共に、彼の身体から力が失われた。
 水の魔法で半ば無理矢理動かしていた心の臓も最早自ら動くことはない。
 焼き切れた肺がもうこれ以上呼吸を続けることもない。
 彼の言葉通り、秘薬と魔法の力を尽くしても、死を覆すことはかなわなかった。

 ジャンヌの父の死を理解したアンリエッタは、治療の手を止め、杖剣を腰の鞘へと収めた。
 その意味を理解したジャンヌは、父の亡骸の前で声を上げて泣き崩れた。

 日が沈み夜闇に包まれつつある平民街の庭先。すでに魔法衛士隊による鎮圧は終了し、声を上げる者はジャンヌ以外にはいない。
 慟哭が日の無い空を覆い尽くす。
 アンリエッタは、それをただ無念の表情で見つめるしかなかった。

 力なく立つアンリエッタの隣には、ヒポグリフと共にかけつけていたアニエスとルイズの姿があった。

「ねえ、アニエス……。貴女の仇の一つが晴らされたわけのだけれども……どういう思いを抱いているのかしら?」

「……ここには私欲により殺された不幸な父と、残された哀れな娘子がいるだけです。私の仇など、関係ありません」

 アニエスの顔に浮かぶのは悲痛の表情であった。
 二十年前の悲劇は彼女の脳裏に浮かばない。ただ救うことができなかった一人の男とその娘の泣く姿を見つめることしかできず、己の無力さを痛く感じ取ることしかできなかった。



□暴れん坊君主□





[5425] 暴君その9
Name: Leni◆d69b6a62 ID:42deb5c5
Date: 2011/06/05 21:16

 貴族街、チュレンヌ徴税官邸宅。
 庭に面したある一室で、二人の男が祝杯を挙げていた。

「いやいや、まさかトリスタニアの外とは思いませんでしたな」

 太った中年の貴族、チュレンヌが銀の盃を片手に笑っていた。
 この日の昼のこと。元魔法研究所実験小隊の男を拷問したところ、指輪の所在とそれを知る隊員についてはいたのだ。
 実験小隊の元隊員達は領地のない下級貴族出身であり、そのほとんどがトリスタニアに住んでいたため、チュレンヌ達は首都を中心に捜索をしていた。だが、その男が言った指輪の所在はトリスタニアではなかった。

「実験小隊小隊長、ジャン・コールベールか」

 リッシュモンにはその男に関する記憶があった。
 非合法な仕事を行う小隊の中においてただひたすら冷徹さを貫いていた若きメイジ。炎蛇の二つ名を持ち、トライアングルながらもその戦闘能力は軍のスクウェアメイジ以上。任務の為ならば女子供も容赦なく焼き捨てる、まさしく最高の駒であった。
 だが、ダングルテールの一件を機に小隊を止め出奔。どういうことかトリステイン魔法学院の教師の座についていた。
 そう、指輪は今トリステイン魔法学院にあるのだ。

「しかし、魔法学院ですか。手が出せますかなリッシュモン殿」

「ふふ、私を誰だと思っておる。高等法院の命令書を使えば、学院の教師一人縛り上げるなど造作もないこと」

 そう笑ってリッシュモンは銀杯のワインをあおった。
 旨い酒である。三十年物の高級酒であるが、それ以上にこれから手にするであろうアルビオンでの栄光を考えると酒がとても旨く感じられるのだ。

「して、チュレンヌよ。指輪の子細を知る者の口封じはしておるのだろうな」

「もちろんでございます。法院長殿より頂いた資金で、裏に名の通った傭兵メイジ達を雇い入れておりますゆえ。例え炎の魔法に長けた小隊員と言えど、数の力にはかないますまい」

 拷問を受けた男が言うには、小隊長が指輪を持ち去ったことを知っているのは他には隊長補佐のみ。
 それらのことを全て吐かせた後、男はすでに首を落とし土の中に埋めてある。

「今頃娘共々屍を晒していることでしょうな……」

「くくく……後は指輪を手にしアルビオンの皇帝の元に行くだけ。ハルケギニアの全ての富が我らの手に落ちるのも夢ではない」

「――そのような未来など貴方達の前にはありませんわ」

 男達の会話に割り込むように、庭先から女の声が響き渡った。

「何やつ!」

 闖入者の声に、チュレンヌは部屋のベランダを開けて庭を見た。
 そこにいたのは、清掃メイジの服を身に纏った一人の少女。部下が殺害に失敗したという、かつてチュレンヌに魔法を放った清掃メイジであった。
 彼女の後ろには、闇に溶け込むような黒い衣を身に纏った女性と、軍用の戦闘装束を着込んだストロベリーブロンドの少女が随行していた。

「貴様! ここを徴税官の邸宅と知っての狼藉か!」

 杖を抜き少女に凄むチュレンヌ。
 だが少女はそれに一切ひるむことはなく、悠々とした態度で彼らに告げた。

「うつけ者。わたくしの顔を見忘れましたか!」

「何……?」

 少女の言葉に、眉間に皺を寄せるチュレンヌとリッシュモン。
 その時、高等法院長であるリッシュモンの脳裏に、一人の王族の姿がよぎった。

 王城の玉座の間。
 王族のドレスを身に纏うトリステイン一の美貌。
 若くして王として威厳を持ち高官達を従えるトリステイン第一王女の姿。

「ひ、姫さま……!」

 リッシュモンはその王女の顔が、目の前の少女と瓜二つであることに気付き叫び声をあげる。

「……殿下!?」

 リッシュモンの言葉で、チュレンヌもこの清掃員がトリステインの姫、アンリエッタであることを悟る。
 突然の王族の来訪に、男二人はその場に膝をつき最敬礼を取った。

 アンリエッタはその二人を見下ろしながら、彼らに向かって蕩々と言葉を語りかけた。

「チュレンヌ徴税官。王家から与えられた徴税官という地位を悪用し、己の欲のままに狼藉を尽くし、挙げ句の果てに金のためにトリスタニアの市民に手をかけた悪行の数々。すでに明白です」

 アンリエッタの言葉に最敬礼の姿勢を取りながら震え上がるチュレンヌ。
 どうしてこうなったのかと全身から脂汗を流した。高等法院長の下についていれば安寧が約束されていたのではないか、と焦燥する。

「そしてリッシュモン高等法院長。貴方はかつて二十年前、ロマリアからの裏金を受け取り疫病と偽り村民もろとも村を焼き捨て、それをひた隠しにしていたと聞きます。ついには、何も知らず火を放った哀れな衛士達を国賊レコン・キスタでの地位を得るために手にかけるとは……、慈悲深き始祖にも許されぬ悪行です」

 まさか、とリッシュモンは焦りの表情を浮かべた。
 まさか、この姫殿下は全ての企みを見抜いていたのか、と。

「ましてや、関わりのない娘の命まで狙うとは言語道断! 貴方達に貴族としての誇りが欠片でも残っているのならば、潔く腹を切りなさい!」

 死の宣告を告げるアンリエッタ。
 対するリッシュモンは、強く歯を食いしばり礼の姿勢を解き、立ち上がった。

「おのれ暴君め……」

 そううめき、懐から手の平大の杖を取り出す。
 チュレンヌも彼に続き床に放った杖を拾って立ち上がり、屋敷に向けて声を上げた。

「このような場所に姫さまがおられるはずがない! 出合え! 出合え!」

 チュレンヌの声に、屋敷にいる私兵達が続々と集まってきた。
 私兵達はチュレンヌとリッシュモンを守るように庭に広がっていく。

「姫さまの名を騙る不届きものだ! 斬れ! 斬り捨てい!」

 メイジ達の集団を前に、アンリエッタは無言で腰から杖剣を抜いた。
 そして両手で杖剣の柄を握ると、ゆっくりと八相の構えを取り、手の中で柄をひるがえす。
 刀身に掘られたトリステイン王家の紋が、月の光を浴びて小さく輝いた。

 私兵達が動き出す。
 剣の腕が自慢のメイジ達がアンリエッタに群がっていく。
 岩をも一刀で切り伏せるブレイドの魔法がアンリエッタを襲う。

 だがアンリエッタはそれを魔法も使わず杖剣の一振りで払った。
 王家としての由緒正しい歴史などは存在しない、彼女の杖剣。
 だがそれは、最新の魔法技術によって作られた最大級の業物。
 アンリエッタが杖剣を振るうたびメイジ達のブレイドの魔法は薄れていき、やがてブレイドの魔法と共にメイジ達の杖が次々と切り裂かれていった。
 杖を失い抗う術を無くしたメイジ達は次々とアンリエッタに斬り捨てられていく。

 その最中にも、アンリエッタはルーンを唱えていた。
 重ね合わせる属性は水、水、水、そして風。
 彼女の強大な精神力を元にスクウェアの魔法が顕現する。

 それは雨であった。
 メイジ達の頭上から、月光と貴族街の灯りを受けて煌びやかに輝く水の雫が落ちてきた。

 メイジ達は酸の雨かと思い盾の魔法で頭上を守った。
 水が足下を濡らすが軍靴を履いているから問題ないとメイジ達はそれを無視してアンリエッタ達に魔法を唱えようとする。
 だが、突如彼らの足下が凍り付いた。
 彼らの靴を濡らす水は、恐ろしいほどの冷たさであった。
 ただの水ではない。水ならばすぐにでも凍り付くような低温。
 弱い火の魔法で雨を防ごうとしたメイジの一人は、たちまち火の熱を奪い取られ、その身に雨を受けた。
 すると、服を通って肌に触れた魔法の水は、メイジの全身に凍傷を起こした。

 雨が異様なほど輝いていたのも、空気中の水分が凍り付いて結晶となっていたためだったのだ。

 雨を受けてひるんだメイジ達に再びルーンを唱えるアンリエッタ。
 新たな魔法が唱えられたことで魔法の水は消え去るが、次に放たれたのはこぶし大ほどもある氷塊の雨であった。

 まるで戦場のような魔法の嵐に、次々とメイジ達が倒れていく。
 雹をかいくぐったメイジも、長さ五メイルもある水の鞭をまとったアンリエッタの杖剣に吹き飛ばされていった。

 炎を得意としていたジャンヌの父の魔法が人を殺すことに特化していたのだとすると、王女アンリエッタの魔法は人を蹂躙することに特化していた。
 まさしく暴君。彼女が杖を一振りするたび戦慣れしているはずのメイジ達が薙ぎ払われていく。

 アンリエッタが杖剣を振るう後ろで、ルイズも全力で暴れ回っていた。
 杖も剣も持っていない平民と侮り悠々とルーンを唱えていたメイジは、一瞬で距離を詰めたルイズの蹴りで顎を砕かれた。
 ルイズが履いているのは金属が仕込まれた、戦闘用の靴だ。
 相手が金属鎧を着込んだ傭兵だったならばそれを防ぐこともできたのだろうが、ここは戦場ではない。
 メイジ達が来ているのは厚手の服であり、その上からルイズは蹴りを叩き込み骨を砕き折っていった。

 獣のように飛び跳ねるルイズに危機を感じたメイジは、遠くからの魔法で彼女を止めようと大きく距離を取った。
 そんなメイジに向かってルイズは右手の指を向ける。
 次の瞬間、突然メイジの右手が轟音と共に弾け飛んだ。

 正体不明の爆発。
 王女は水の鞭を振り回しているため、王女の魔法によるものではない。
 だが、ルイズは杖を手にしていない。
 理解の及ばぬ攻撃を受けて恐慌状態に陥るメイジ。
 その彼の背に、刃が突き立てられた。

 音もなく背後に忍び寄っていたアニエスが、短剣を突き刺したのだ。
 彼女は隠密だ。
 戦いの中でも突如姿を消し、相手の背後に這い寄る。

 派手に立ち回るアンリエッタとルイズの影でアニエスは右手の刃を振るう。
 二人の死角からメイジが魔法を撃とうとすれば、左手の銃を放ち、銃声で己に注意を引く。
 魔法のような華やかさは無いが、その剣と銃は紛れもなく本物で、メイジ達の意識を次々と刈り取っていく。

 そんな二人に背後を守られ、アンリエッタはメイジの群れを薙ぎ払いリッシュモンとチュレンヌを追い詰めていく。
 彼らに近づくにつれ、メイジ達は精鋭となっていく。

 風のトライアングルメイジが、『ウィンディ・アイシクル』の魔法を放つ。
 三十もの氷の矢が一斉にアンリエッタへと襲いかかる。
 アンリエッタはそれを己の周囲に展開した粘性の高い水の壁で絡め取り受け止めると、魔法を解除することもなくメイジの元へと踏み込む。
 メイジは魔法を同時に二つ以上使えない。
 それがブリミルの四大魔法の原則。
 だがアンリエッタの手にはブレイドの魔法をも切り裂く杖剣が握られている。

 一閃。
 上段から振り下ろされた杖剣は、杖を持つメイジの右腕を切り落としていた。
 絶叫を上げるメイジをアンリエッタは蹴り飛ばし、彼女は屋敷の部屋の奥へと逃げていたリッシュモンを睨み付けた。

 鋭い眼光に怯むリッシュモンとチュレンヌ。
 しかし、最早逃げることは不可能と覚悟したチュレンヌ達は、ルーンを唱え始める。
 だがそれよりも早くアンリエッタが唱えた『エア・ハンマー』の魔法が、彼らを叩き伏せる。

 横転し部屋の高価な調度品へと突っ込む二人の男達。
 それでも致命傷には至らなかったのか、ふらふらと身を起こす。

 そんな彼らを睨んだまま、アンリエッタは己の影へと声を放つ。

「成敗!」

 王女の言葉と共に姿を現したアニエスは、左手の銃でチュレンヌの眉間を撃ち抜ぬく。
 血を吹き出しながらチュレンヌは力なく倒れていく。

 そして一拍の間に、アニエスはリッシュモンの前へと踏み込んだ。
 ルーンを唱える隙も与えず、アニエスは短剣でリッシュモンの胴を薙ぐ。
 ぐらりと揺れるリッシュモンに向けて、アニエスはさらに短剣を突き刺した。
 心の臓を深々と貫いた刃は、リッシュモンの命をしかと絶った。

 ゆっくりと崩れ落ちていくリッシュモン。
 アニエスはそれをまぶたの裏に焼き付けると、短剣の血を振り払い鞘に収める。
 そして、アンリエッタへと向き直り、膝をついて自らの主に礼を掲げた。

 それにわずか遅れるようにルイズが部屋の中へと姿を現す。
 すでに庭のメイジ達は全滅していた。
 アニエスにならいルイズは王女へと礼を取る。

 アンリエッタはただ静かに杖剣を振り刀身に付いた血を飛ばす。
 そして、ゆっくりと杖剣を鞘に入れていく。
 鍔が鞘に触れ、小さな金属音が響いた。
 それは戦いの終わりを告げる音。
 トリスタニアの夜は再び静けさを取り戻した。







 ジャンヌの父の死から数日の時間が過ぎた。高等法院長の内通という事件で王政府が動き、その被害者であるジャンヌの父の葬式は、王女の手で行われた。
 葬式の最中、ジャンヌの前に姿を現した王女は、まさしくジャンヌの知る不良清掃員と同じ顔をしていた。
 だがそれにジャンヌが今更驚くことはなかった。
 命の危機にかけつけてくれたアンは竜にまたがり貧乏貴族の三女などとは思えぬ綺麗な衣装に身を包んでいたからだ。
 そして、父から伝え聞いたアン水の魔法の腕。
 アンの正体は市井で評判の君主、王女アンリエッタなのだろうと確信があったのだ。

 ジャンヌの友人としてではなく、王女として姿を現したアンリエッタは、ジャンヌに一つの提案をした。

「貴女のお父様の貴族の位はジャンヌさん、貴女が引き継ぐことになります。ですから、貴女が望めば魔法を学ぶための学院へ通うこともできます」

 そして父と同じように魔法を世に役立たせるための職につくこともできると。
 ジャンヌはその場で答えを返すことはなかった。
 自分の一生を決めることだ、安易な思いつきで答えるものではない。

 ジャンヌはまだ二十歳も越えていない若い少女だ。
 だが、幼いときから大人に混じり生きるための銭を稼ぎ、地に足をつけた生活を続けて来た。
 同じ年頃の娘が持つような魔法への憧れはそれほど強くない。
 そもそもメイジである父に魔法を教わることもなかったのだ。

「――よし!」

 葬式を終えて幾日が経ったころ、彼女は顔を両手で叩いて気合いを入れ、『魅惑の妖精』亭へと訪れていた。

「あら、ジャンヌちゃんじゃな~い。その格好は……」

 店の主、スカロンがジャンヌを迎え入れる。
 彼もジャンヌの父の葬式には参加しており、ジャンヌがメイジの道を歩むかもしれないということを聞いていた。
 だが、今ジャンヌが着ている服はこの店の給仕として働くための色気のあるドレスだった。

「お店を続けてくれる、ということで良いのかしらん?」

「はい、急にメイジとか学校とか言われても、私にはきっと向いていないだろうな、と。やっぱり私は身体を動かして働くのが一番だなって」

「あらあら~、嬉しいわ~。ジャンヌちゃんみたいな人気な子が居てくれるのは助かっちゃう」

 そう言いながらウインクを飛ばすスカロンに、ジャンヌは笑みを返す。
 今更魔法なんて覚える必要はない。そうジャンヌは結論をつけた。
 火を医のために使うという半ばで終わった父の研究も、魔法好きの書生ファンション――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様に任せておけば良い。
 貴族としての生活がしたくなったら、この店で若い貴族の男でも籠絡して妻になってしまえば良いのだ。

「……よし!」

 ジャンヌは気合いを入れて店の仕事を開始した。





「レコン・キスタは国そのものだけでなく人々の生活までも脅かしてしまうものなのですね」

 アンリエッタはマザリーニを連れて王城の中庭を歩いていた。

「掲げるのは体制刷新、聖地奪還。でも実際には平和に暮らす父娘の安寧を奪い去るだけ……」

「甘い理想を掲げるものは得てして裏によからぬ実情を抱えているものですな」

 渋い表情でそう告げるマザリーニ。
 彼は四十数年間生きてきたが、絶対的に正しい理想を掲げて、裏もなくその通りに動いている執政者というものを見たことがなかった。
 綺麗事だけで世の中は上手く廻ってくれない。

「悲しいものですね。わたくしも正しい統治者などにはなれないのでしょうね」

「私は昔から姫さまには期待しておりますがな」

 此度の事件も、ダングルテールの虐殺という事件に執着するアニエスの復讐心を利用する形にならなければ、きっと難航していたことであろう。
 それでもレコン・キスタの手からこの国を守るのは王女の義務。己の手を汚してでも不幸な民を一人でも救わなければならない、と心に誓うアンリエッタであった。



□暴れん坊君主 完□




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