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【大相撲】

スパルタだった景勝パパ一哉さん 息子の晴れ姿に感無量

2018年11月26日 紙面から

初優勝を果たして優勝パレードで笑みを浮かべる貴景勝(右)。旗手は隆の勝(古瀬哲裕撮影)

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 ます席で息子の優勝を見届けた一哉さんは「子どものころからのことが走馬灯のように巡りました」と晴れ姿に感無量だった。

 中学生まで親子二人三脚でやってきた。一哉さんが極真空手をやっていたため、貴景勝も4歳から始めた。小3で出場した空手の全国大会で「胸骨に突きが決まった。勝ったと思った。でも相手があごを押さえて倒れて反則負けになった」と貴景勝は今も鮮明に覚えている。

 父も息子もその日を最後に空手をやめた。「判定のない競技に」と父は思い息子と話した。「本人の中で親を喜ばせたいというのがあったんでしょう。ある時『どうすれば(両親は)一番うれしいか』」と聞いてきた息子に、父は「大相撲の横綱になってほしい」と答えた。「格闘技で判定のない競技は相撲。相撲はテレビで見るくらいで全然知らないスポーツだった。東大行くよりはるかに夢物語なのに…。意を決してやった」と父も覚悟を決めた。

 高級住宅地として有名な芦屋市出身。そこで「男子なら、(東大進学が当たり前の)灘中に3人に1人は行く」と父が言う私立の仁川学院小を受験し合格した。「幼稚園で7個くらい幼児教育の塾を掛け持ち。小3までは空手と勉強を両立、東大に行くかプロアスリートになるか、でしたね」と父は話す。こう聞くと誰もがお坊ちゃまを想像するが、相撲をやると決めて生活スタイルが一変する。近所から白い目で見られるようになった。

 「大きな声で『やらんか、こらー』って。そんな言葉使う人いませんから。『何をさせるつもりなの?』って。だいたい話しかけてもこない。そんな土地柄ですよ」と父。でも、早朝4時起きで広島、三重と練習しに行った。「ああすればよかった、と後悔しないように。必死で勝たせたいと思ってた」と父が言えば、母・純子さん(51)も「中学のときはスーパーで毎日肉を1キロ買って晩ご飯で食べさせてた。食費は月に30万円だった」と振り返る。

 そんな厳しい父がこの日は目を細めた。「今場所は気持ちが強かった。気が抜けた相撲はなかったですね」。ただし、注文も忘れない。「次であいつの真価が問われる。あいつが普段言ってることがホントなのかウソなのかが。気迫がなかったらそれまでの人間だったということです」と。 (岸本隆)

 

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