思い返せば、二人で暮らしていたときも、さほど会話が多い夫婦ではなかった。同じテレビ番組を、それぞれの部屋で見ていたくらいだ。40年以上も連れ添った夫婦の生活なんて、そんなものだと思う。
だが、独りになったいま、ひしひしと感じるのは、彼女が家にいるのと、そうでないのとでは、気持ちの張りがまったく違うということだ。
仕事が終わって家に帰ったとき、発破をかけてくれる人が誰もいない。沙知代は、私が出ているテレビ番組をつぶさに見ていた。
私はそれほど話し上手ではないから、ボロが出たときは容赦がない。「何やっているの!」と叱られ、「ダメだったか?」と返すと「ダメよ、あんなの!」とキツい言葉が返ってくる。逆に、何も言われないときは合格点。大仰にほめられることはなかった。
〈今日の仕事、沙知代はなんて言うかな〉
彼女の反応が、私の活力になっていた。
いま、家にいるときはテレビが唯一の話し相手。画面に向かってボヤくしかない。
沙知代の遺品の整理は、すべて息子夫婦に任せた。私は、モノに対しては執着も、思い入れも何もない。彼女の思い出と、位牌ひとつあればいい。
宝石やら貴金属が好きで何やらたくさん持っていたけれど、それがどうなったかも、よく知らない。派手なものが多かったが、息子の嫁さんは彼女とは正反対のおとなしく落ち着いた人なので、身につけることはないだろう。
沙知代が死んでしまってしばらくは、何もする気が起きなかった。
〈何もない人生〉
そんな言葉がふと頭をよぎる。俺の人生は、もう終わりだ。朝起きてすぐに、そんな詮無いことを考える。
それでも、テレビに雑誌と、いただいた仕事はすべてこなした。
スケジュールを管理してくれている事務所からは、「しばらく仕事をキャンセルしましょうか?」という申し出もあった。
少し悩んだ。でも、キャンセルはしなかった。
ひとつには、自分の都合で人様に迷惑をかけたくないという責任感がある。そして、取材が入れば人と話をすることができるから、妻のいない寂しさを少しでも忘れられるのではないかと思った部分もあった。
だが、何より私を突き動かしていたのは、他でもない、沙知代の言葉だった。
「男の値打ちは仕事で決まる。それがなかったら、あんたなんて終わっちゃうのよ」
沙知代は、事あるごとにそう言っていた。昭和7年生まれの、昔の人。
「亭主が手持ち無沙汰でウロウロしていたら、家の中は真っ暗になるし、そのうち病気になっちゃうじゃない。だから、私はあなたを休ませないの。これも内助の功。妻の愛よ」
こう言ってはばからなかった。
確かに、私は仕事がなければ、日がな一日家に閉じこもり、ボーッとテレビを見ているような人間だ。沙知代に尻を叩かれてなければ、とっくのとうにボケていただろう。
この年になっても、私がこうして仕事をいただけるのは、紛れもなく彼女のおかげだ。